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【プロダクションノート2】

■第6章

リンドのメッセージ
人はルールを決めることができるが、いつも現実の人生に対処しなければならない


デルロイ・リンドは、リンゴ園の労働者を仕切るミスター・ローズを演じる。

「デルロイには自然な風格が備わっており、それは見ての通りである。また物柔らかさと彼の持つ力強さも伝わってくる。彼は思慮深く神秘的でもある。ミスター・ローズというのはとても複雑な役どころだ。それまでの生き方、善悪、自分が拠り所にしてきたルール、破ったルールにかかわらず、最終的にミスター・ローズは厳しい選択を強いられ、究極の犠牲を払う。デルロイには完璧なミスター・ローズ役としての静かなパワーを感じる」

リンドはこの企画にずいぶん前からかかわっているにもかかわらず、その役を引き受けることについては懸念していた。「最初はどうしてもやりたいというわけではなかった。脚本の草案をおそらく実際に撮影に入る2年ほど前にもらって、昔読ませてもらった分やこれまでに見たことのある別のバージョンと比べた。ミスター・ローズが率いるリンゴ園の季節労働者の話が実際に縮小されていると思った。しかしラッセに会い、自分の心配を話すと、書き直すと言ってくれた。2週間後リライトされたものを読み返すと、サイダーハウスとリンゴ摘みの部分がすばらしく改善されていた。そのとき引き受けることを決めた」

ハルストレムの姿勢がリンドの心に届いたようだ。とくにリンドが気にしていたのは、ミスター・ローズが微妙な陰も複雑さもない、いわゆる「悪い奴」と受けとめられることだった。新しい脚本によってその心配は和らぎ、レスリー・ホールランも指摘するように、ハルストレムの人間への視点にずっと近づいた。

「ラッセはどんなに極道に見える人物にも気高さを見つける。彼は本当に人を決めつけない。奇行や理解しがたい行動とか考え方もすべてひっくるめて人を理解し、何とかしてそれらを愛嬌に変えようとする。先に人を判断してしまわない。登場人物自身に行動を委ね、その人の目で物事を見ていくようにする。ミスター・ローズのような人物には、ありえそうな陰鬱な過去と本性を持たせ、こういうほかの面が加わることで、それでも魅力的だといわせる。ステレオタイプや注意書きひとつで終わるような人物を、監督は受け入れないだろう。とくに悪人、完全な弱みのある人物を描こうとすればなおさらである。彼のどの作品を見ても、バランスの悪い登場人物はひとりとして思い浮かばないのではないかと思う」

撮影が進行するにつれ、監督は「俳優としての自分に敬意を払ってとてもつき合いやすい人」だ、とリンドは気づいていく。「監督は非常に寛大で、プロで、励みになり、いつも求めに応じてくれた。ラッシュを見たときは面白かった。私からすると、この映画は映像的にもリズム的にも、とてもヨーロッパ的な感じがする」

ハルストレムはリンドのことを“驚異の人”と呼ぶ。「彼は威厳と複雑さを加味した深みのある演技を見せてくれた。とても思慮深く深遠な選択をした。けっして月並みな表現や下手な模倣には走らなかった。またとても洞察に満ちた考えで、ミスター・ローズと脚本の質をずいぶん高めた」とハルストレムは語る。

準備段階で、リンドはマグワイアとともに、本作の「リンゴ摘み指導」をしたヴァーモント州の農夫にリンゴ摘みの技術を習い、実際の果樹園の仕事を研究した。リンドはまた林檎を摘む人たちの細かい生活や、ミスター・ローズの特徴でもある心の揺れをアーヴィングがどれだけ小説に割いているか、その分量にも注目した。『サイダーハウス・ルール』に登場するどの人物も二面性を持っているように、ミスター・ローズは傷を持つ英雄であり、立派で不埒でもある。

原作を読むことでそのコントラストがよく理解できた、とリンドは思った。「原作から登場人物たちの曖昧な道徳観が読みとれたので、読んでいて面白かった。ミスター・ローズと娘をめぐる出来事は、たんに道徳的な問題となることが多い。最初に気になったのは、ミスター・ローズが徹底的に悪い奴に見えそうなところだった。しかし原作でも、そして思うに脚本でも、ホーマーを含むたくさんの登場人物に同じような問題があった」

リンドは、登場人物がこの“問題”を解決する方法は難しい映画タイトルに帰せられる、とつけ加える。「私が思うに、この映画は現実と理屈の上での人生の違いと、そのふたつのせめぎ合いを描いたものである。人はルールや規則を決めることはできるが、それが何をまとめていようと、人はいつも現実の人生に対処しなければならない。この『サイダーハウス・ルール』というタイトルは、こうした葛藤、結局はその世界の現実とは関係のないこの特定の世界に課せられた一連のルールを要約している」



■第7章

すばらしい脇役たち
ラッパーのヘヴィ・Dなど


リンドはカメラを離れた場で、共演者のヘヴィ・Dから彼自身の「ルール」を評価する新しい方法を学んだという。ヒップ・ホップ、ラップ、R&Bを独特にミックスさせた影響力のあるその音楽は音楽産業の革命とまでいわれた、軽快なラッパーとして名を馳せたヘヴィ・Dは、ミスター・ローズの下で働くもっとも愛想がよく陽気なピーチズを演じる。“D”は“ドゥワイト”の略で、よく監督は「行くぞ、ドゥワイト」と名字で声をかけていた。もしかしたらミュージシャンのヘヴィ・Dと、俳優としてのヘヴィ・ドゥワイトを区別するためかもしれない。リンドも監督と同じ呼び方で彼のことに触れる。

「彼の経験や音楽の世界の話をするのはとても勉強になった。ドゥワイトとの会話は楽しかった。彼やその友人がどういう風に音楽に関して独自の世界を始めていったか、話してくれた。彼らは自分たちで自分たちの世界を決めていった。彼らの感覚では不可能はなかった。その話は聞いていてすばらしいと思った。というのも、俳優としてハリウッド世界に生き、ある時点を越えると、どこに限界があるか気づくし、ある限界も意識するようになるからだ。しかしその若者はこう言う。『自分がやってきたことを考えると、そんな限界なんて無視して、進みながら自分たちのために組み直すだけだ』。これを聞いて心が洗われたし、自分のキャリアについて考え直すきっかけとなった」

映画俳優としては比較的まだ未熟なヘヴィ・Dは、撮影の現場で、デルロイ・リンド、共演者、監督から学んだことに感謝していると語る。「演技を学ぶ機会に恵まれ、本当に幸せだ。ずいぶん質問をした。そういう性格なんだ。とくに技術については好奇心がかき立てられる。みんなとても助けてくれて、だから萎縮することはなかった。とても居心地がよかった」

自称映画オタクで“全ジャンルの研究家”というヘヴィ・Dは、撮影の合間によくさまざまな映画の台詞をずいぶん引用していた。ジーン・ハックマンを自分の英雄と語る彼の夢は「彼と同じようなキャリアを積むこと」だという。「ハックマンはいつも主役というわけではないが、いつでも目立つ。本当に彼の選択には感心する」。また彼が最初にこの企画に興味が湧いたのも、本作の監督がラッセ・ハルストレムだったからという。

「ラッセのファンなんだ。彼の作品『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』と『ギルバート・グレイプ』の2本については詳しいよ。彼に会うまで、この原作と脚本は読んでいなかった。ラッセとジョンのカップリングは完璧だとわかった」とヘヴィ・Dは語る。

「それからデルロイがミスター・ローズを演じているのを聞き、トビー・マグワイアとポール・ラッドがそれに加わるのを聞いた。僕は残りのキャストにも気づいた。マイケル・ケイン、シャーリーズ・セロン、エリカ・バドゥ、何と信じられないような顔揃え、驚くほど強烈なキャスト。思わず『この役をやるんだ。せっかくの機会が与えられているのに加わらないなんて馬鹿だぞ』と自分に言った」

ピーチズとその仲間が添えた一面は、新しい家族感覚、ホーマーがそれまで決して経験したことのない独特なコミュニティだと、ヘヴィ・Dは語る。「リンゴ摘みの仲間たちは団結が強く仲もよくて、ひとつの家族のようなものだ。彼らの生き方、人生の一面、生き延びるための仕事、という部分をホーマーに示し、彼に新しい視野を与えた。彼らはホーマーを招き入れ、受け入れ、そしてホーマーも彼らを受け入れた。ホーマーは彼らから自分を偽ることなくどうやって仲間に入るか、家族の一員となるかを学んだと思う」

ヘヴィ・Dはピーチズを「実際には何にも惑わされないという意味で無邪気な男。彼は状況に軽い面を添える」と評する。「それは僕の考えだった。この映画には重い問題が多くのしかかっているから、若干軽さも必要だと感じたからだ。役作りをしながら、あの男ならこう考えると思った。『俺はただ生きて働いて幸せになって、他人も幸せにしたいだけだ』と」

ヘヴィ・Dは、ハルストレムの監督スタイルが自由だったからピーチズ像を自分で創り上げることもできたし、監督の導きのおかげだと感謝している。「監督と仕事をした経験はそんなにないが、みんなラッセのような監督であることを望むよ。基本的に僕にやらせてくれて、自分が考え出したことのほとんどを監督は気に入ってくれた。現場ではまったく穏やかで、ときどき気に入らないことがあると、どうしてダメなのか説明してくれるので、僕は納得できた。僕の経験不足のために、わかってないこともあるかもしれないが、指摘されて説明を受け、完全に理解できたときは本当にありがたかった」

ヘヴィ・Dはマディ役のK・トッド・フリーマンと共演するシーンがいくつかあった。フリーマンは自分の役を「いつでも事の次第をすべて把握しているが、それについて一言も口外しない男」と語る。「人が思っている以上に、彼はよくわかっている。彼は傍観者だが、映画では結局行動に出ざるを得ない状況に置かれる」

リンドのように、フリーマンも実際に撮影の数年前に行われた初期の本読みに参加したことがあった。「マディではなく、ピーチズの部分を読んだ。それから2回違う監督のオーディションを受けた。最終的にリチャード・グラッドスタインのときにはマディを読んだ。この企画とはずいぶんつき合ってきたよ。だからこの映画には出なければ、という感じだった。ラッセが監督することになると知ったときには、ますます絶対出なければ、と思った。こんな経過を抜きにしても、原作はずっと好きだったし、この企画のメッセージが気に入っていた。そしていつもその一員に加わりたいと願っていた」

フリーマンのいうこの映画のメッセージとは、専断的で厳格なルールは用心深く問い直し改めるべきだ、というものだ。「ルールという概念……正しいルールと間違ったルールがあるのか? 誰のルールにあなたは従っているのか? あなたのルールは最良のものか? 本作はこういった問いを私たちに考えさせる。最終的にはルールとは当人のものだと思う。自分の行動とそれが周りにどう影響を与えるか気をつけながら、自分を抑制するものだ」

ドクター・ラーチのしっかり者の同僚、エドナ看護婦を演じるジェーン・アレキサンダーは、社会の勝手なルールについては馴れている。この有名女優には、本作が久しぶりの女優復帰作となる。これまで彼女は国家芸術基金の長を務めており、その間何年も、いくつかの事務所ではきわめて難しい局面を迎えていた。長年活動家であったアレキサンダーには本作のテーマもなじみは深かったが、結局彼女がこの役を引き受けた理由は、この物語のハートにあった。

「この映画に出演したのは、いい物語で語られるべき大事な話であると思ったから。ジョン・アーヴィングの著作は長年愛読してきました。彼は何層にも入り組んだ原作をすばらしい脚本にしたと思います。マイケル・ケインとも仕事がしたかった。アンジェラ役のキャシーの仕事も知っていて、彼女を尊敬していたから、この映画の役は楽しくなりそうだと思いました」とアレキサンダーは語る。

またアレキサンダーにとっても別の魅力は、ハルストレム監督と仕事ができることであった。共演者の多くもハルストレムのことを“俳優たちの監督”と呼ぶ。濫用されがちな言葉だが、今回に至ってはまさに的確な表現だ、とアレキサンダーは説明する。

「俳優が映画製作のプロセスにどういう貢献をしているか、しかもそれが大きな力であることを、とてもよくわかっている監督だということ。とくにこのような登場人物が主体となって進行する、多くの感情の軋轢や微妙なニュアンスに溢れる作品では、人は人を見る。ラッセは細心の注意を払う監督です。彼は俳優が好きだし、人が好きだと思う」

「私が一緒に映画を撮ってきた偉大な監督たちとラッセには、相通じるものがある。言うなら、これまで何千もの監督がいるかもしれないが、実際に偉大な監督と呼べるのは一握りだけで、そういう監督はみな静かだ。そんなにしゃべらない。しかしいざ口を開くときは、よく耳を澄まさなければならない。監督の言葉には、絶対聞き逃せない大事なことが含まれているからだ。ラッセなら登場人物を一行で正確に指摘できるだろうが、言っても小声だろう」とマイケル・ケインは語る。「彼と会ったとき、誰がそんな姿を現場で見ると想像するだろう。現場に出るとたいてい監督が叫んでいて、『しまった、大変な間違いをしてしまった』と思うものだが、ラッセの場合はまったく違った。彼はすばらしい寛大な監督だよ」

ハルストレムは俳優が自信を持ってリラックスして大胆な演技ができるように、感じよく迎え入れる体制を作るのが、監督としての自分の役目だと考えている。「俳優には考えを巡らし、間違いを犯し、違ったことを試すチャンスを与える。私のおもな関心は、俳優がのびのびと思いのままリラックスできる雰囲気を実際に奨励することだ。そこに仕事の比重を置いている。俳優を支え、尊敬と信頼を寄せることだ。カメラの前に立つことは本当に神経質になることなので、楽しく心が解放できるように、できるかぎりのサポートを努めている。俳優が自分の感情や考えを心から伝えられる雰囲気作りが、私にとってもっとも大事なことだ」と彼は語る。





■第8章

ロケ地探しについて
ホーマーが初めて見る海がアカディア国立公園、というのは 何とも贅沢だ


ブロンクィストにとってこの雰囲気を醸し出せるロケ地を見つけるのは、細かな計算を要する難問だった。アーヴィングとグラッドスタインが映画化実現のために費やした長い年数と、その過程に集めた資料がブロンクィストにとって大きな賜物となった。

「私が参画したとき4年間のリサーチ結果が使えたが、幅と高さが一間ほどのファイル棚にロケ地候補の写真がびっしり詰まっていた。アルゼンチンからサスカチュワン(カナダ)までどこでもあった。何トンも何十トンにも上る資料だった。それで私は何週間もその前に座ってファイルをめくり、メモを取ったり、面白い場所とそうでない場所をチェックしていった」と彼は振り返る。

方法として、まずブロンクィストは脚本に書かれた必要な場所を細かく抜き出し、それに合う場所を一つひとつ探し始めた。「わかっているのは舞台がメイン州で、設定が30〜40年代の時代映画だということ。重要となるのは、ホーマーが育つ孤児院、彼が新生活を始める農園、農園の近くにあると想定される海岸、それらを繋ぐ昔の列車の必要な4項目だ。われわれは大きな網を張り、そこから絞り込んでいくことにした。解決の鍵は、まずこれらのひとつを見つけ、その周辺に計画を立てていくことだ。ポイントになるのは海岸か孤児院だった。実際に海岸に建つ孤児院を見つけるか、孤児院をそこへ私たちで動かすのはあまりあり得ないと思えた。不可能ではないが、まず考えられない。難しすぎる。それでこう言った。『まず孤児院を見つけて、それから海岸を探そう。たまたま孤児院が海岸に面していたらいいじゃないか。もちろん海は動かせないのはわかってるよ』と」

ブロンクィストたちスタッフは、ニュー・イングランド、カナダ、ミネソタの一部までくまなく探した。最初に見つけたのは、マサチューセッツ州でセント・クラウズ孤児院の外観になりそうな場所だった。ヴェントフォート・ホールと呼ばれるその建物は、億万長者のJ・P・モーガンの姉妹とその夫、そしていとこのジョン・ヘイル・モーガンの夏の別荘として1893年に建てられたものだ。フランドル・バロック様式、チューダー様式、ジョージ王朝様式を併せ持つ、かつての由緒ある“古典的装飾様式”邸宅は、その後ぞっとするほど荒廃していた。不気味に浮き上がる尖塔、細かい煉瓦のファサードにはめられた優雅なステンドグラスの窓、不釣り合いの感じのいい裏口のポーチ、スタッフがセント・クラウズに求める全要素がそこにはあった。

「老朽化したヴェントフォートの館は、詩的で自分たちの描きたいものにぴったりだった。多くの病院、修道院、住宅を見たが、この建物は大きさも感じもちょうどいいと思えた。大きすぎず、不気味だが怖すぎず。語りたいストーリー、伝えたいイメージからすると、少し不気味な感じもほしいが、ステンドグラスや玄関のポーチは即刻くつろげる温かい雰囲気となる。実のところ、もともとの玄関は何年も前に崩れ落ち、シンプルな四角い柱と手すりで完全に修復されていた。しかし代えってそれが、私たちには好都合だった」とプロダクション・デザイン担当のデイヴィッド・グロップマンは語る。

さらに彼によると、ヴェントフォート・ホールは「ロケ地のひとつが決まったので、製作プランが動き出した始まりを意味した」という。「そこでマサチューセッツの周辺で、という感じになった」

次に決まったロケ地は、元ノーサンプトン州立病院だ。この倒れそうな建物群は現在、ペンキは剥がれ、ばらばらの玄関、腐食した手すりと鉄門、すり減った階段に散らばる破片、割れた窓、土台の煉瓦がむき出しになった壊れた戸口、不気味な当座しのぎの鉄条網の仕切り、と枠組みだけが残る放置された建物だった。その荒廃した外観は別にして、高い天井、木の床、浮き彫り細工が施された厚手のドア、広々とした廊下といった、昔の面影をどこか匂わせるものも残っていた。さらにマサチューセッツ独特の法律がたまらない後押しとなった。

マサチューセッツ州のレノーとノーサンプトンは約1時間の距離だ、とブロンクィストは見込んだ。「それでそれを結ぶ圏内を探し始めた」。ブロンクィストとスタッフは思いがけず、ノーサンプトンのちょうど北、ヴァーモント州のブラットルボーローにスコット農園を見つけた。広がるリンゴ園には、高さのある古びた納屋、本物のリンゴを包装する機械があり、ラドヤード・キップリングが名作『ジャングル・ブック』、『ガンガ・ディン』を書いた有名なキップリング・ハウスに隣接する場所だった。そこに伝わる記録によると、農園は1862年から操業され、建物の正面は当時からほとんど変わっていない。実際にスコット農園の所有者は、複雑なベルトコンベヤーを含む昔のリンゴ包装機械を保管しており、ノーサンプトン州立病院と違って、グロップマンがほとんど手を入れることはなかった。

残るは海岸と昔の列車だ。前者は、リチャード・グラッドスタインの推薦で決まった。息を呑むほど美しいアカディア国立公園に隣接する、メイン州バス港にある古風で趣のある漁村で、彼はかつてそこを訪れたことがあった。「妻と数年前にその漁村で休暇を過ごし、映画の企画を練りながら、そこで実際に撮影ができたらいいと憧れていた。アカディア国立公園はすばらしい所だし、今回とくにキャンディが父と暮らすロブスター漁港が必要だった。メイン州のロブスター漁港ほどそれらしいものはない」

このロケ地には別の特典もあった。昔の漁船を所有している住民がいたのだ。なかには90年以上も昔の船もあった。これらのスループ帆船は海に浮かぶ“小道具”となり、港の映像に登場する。

岩の多いメイン州の海岸で3つしかない砂浜のひとつ、アカディアの砂浜でも撮影が行われた。松・ニレ・樺の木の森林と背の高い草の平原に囲まれ、澄んだ海は氷河によって半円に切り取られている。こんな人里離れた美しい海が、ホーマーの初めて見る海となった。

「アカディア国立公園はもっともいい気分になれる場所のひとつだろう。ため息が出る。イエローストーン、グレーシャー、そしてアカディア、これらの国立公園は中でも至宝だ。そんな誇りと言える壮観の中に、メイン州の海岸もあった。それまで海を見たことのなかったホーマーが初めて見るのがアカディア国立公園、というのは何とも贅沢だ。実際には、公園の管理局へ出向き、『目を開けて初めて見る海がアカディアの砂浜だったらと思わないか?』と訴えなければならなかった」とブロンクィストは語る。公園側から許可が下り、1930年代以来初めての公園内で撮影される映画となった。

昔の鉄道駅だけが残った。幸運にもスコット農園のちょうど北、ヴァーモント州のベローズ・フォールズに自慢の年代物の蒸気機関車が走っていた。グリーン・マウンテン鉄道より、現在もなおニュー・イングランドで走る260型という最古の標準軌間の旅客列車を借りた。1891年に建造され、1920年代に改装されたその機関車には、鉄のアンダーフレーム、荷物専用室、電気のライトが装備されていた。今日もホーマーの時代と変わらぬ姿で登場する。10月のある日、ベローズ・フォールズ駅にセットを組み、天候まで操作して駅の撮影が行われた。その日撮影されたシーンは冬の設定なので、特殊効果チームの手で一時的でもヴァーモントに初雪が降った感じになった。古い機関車がゆっくりといい感じで線路を進んでいくと、撮影監督のオリヴァー・ステイプルトンはカメラと一緒にクレーンの高い位置から機関車の向こうへドリーの軌道直前まで少しずつ下りていった。慎重な目でその場面を見ているのが、ジョン・アーヴィングが堂々と演じるしかめっ面の駅長だ。アーヴィングは以前にも自著が映画化された『ガープの世界』(1982)に、レスリングのレフリー役でカメオ出演している。

「レフリー歴24年だったから、あのときはそんなに緊張しなかった。今回は不機嫌な駅長をやりたくて頼んだんだ。リチャードもラッセも、その役は私にぴったりと同意した。要求されたのは、誰に対しても不満そうな顔をすること。それは得意だ。人前に出たときはたいていそんな顔をしているから」とアーヴィングは語る。

その鉄道駅のように、ロケ地の多くには過去の時代の面影がよく残っていたが、それでもデイヴィッド・グロップマンは注意を払わなければならなかった。スコット農園の昔の豚小屋が、名目上のサイダーハウスと化した。狭苦しい四角い建物の地味な薄い色の木の壁、古い鉄製のベッド、がたがたの低いサイドテーブル、その上に散らかるみすぼらしい白黒写真、古いトランプ、すり減ったサイコロ。それらが絵のように並べられた。節の多い松の柱がびっしり並ぶので、サイダーハウスは分割スクリーンや3枚組画像で撮影された。撚り縄が梁のある天井にかかって所々洗濯ばさみがついている。「サイダーハウスの内装は1927年の同じような建物内部の写真を参考にした」とグロップマンは語る。

セント・クラウズ孤児院に合成されることになる、荒廃したヴェントフォート・ホールと壊れかかったノーサンプトン州立病院は、もっと作業を要した。地元のレノーの女性たちがヴェントフォート・ホールにかつての輝きを復活させようと先頭に立って運動をしていたが、一時的でも元に修復するのは至難の業だった。ヴェントフォート・ホール協会報告書でも、その場所は“劣化の状態”と認めている。ここでの撮影はほとんどが建物の外で行われたが、この邸宅の内部でも数カ所撮影している。グロップマンとスタッフは協会の人たちとこの建物の内外の立て直しに尽力した。

「まず最初に出演者とスタッフの安全を確保するために補強した。それ以外はあまりいじらないようにした。玄関の間で撮影が行われることはわかっていた。(大きな広間で、徽章の彫られた立派な石の暖炉、木の柱、側面に高くステンドグラスの窓がはめられた戸口があり、隅には広い階段が続く)。私たちがそこに入ったとき、回り縁の50%くらいは壁から剥がれていたと思う。それでおざなりになっていた回り縁の山から集めてきてはよく調べ、それをはめ込んでいった。こうして内装もなんとか見える形になった。可能なかぎり、もともとの素材を使った。なかには縁が見つからない場所もあり、自分たちで作ったこともあったが、ほとんどは探し出して使った。途方に暮れる作業だったから、自分たちで希望する古くて趣のある美しい本物とそっくり入れ替えた方が簡単だった」とグロップマンは語る。

ヴェントフォート・ホールがとくにロケ地に適していた理由は、落葉樹が点在する丘を上がったところのその裏口にある。これはセント・クラウズの正面として使われた。それは孤立した感じを醸し出すし、ベローズ・フォールズ駅での映像と容易に組み合わせられそうだった。ポスト・プロダクションで、孤児院は駅を見渡す山々に組み込まれるだろう。さらに広々とした裏庭のおかげで、近隣に混乱をきたすことなく、脚本が求める特定の季節を描くことができた。それゆえグリーン担当スタッフは、芝の上へ落ち葉を散らすか、発芽直後の植物を植えるか、それを交互に繰り返していた。なかでも2日間は特殊効果スタッフが巨大な機械と大きな氷の塊を持ち込み、地面を一面雪で覆い、孤児たちやときにはスタッフも、脚本中(後者はもちろん脚本外)の雪合戦に夢中になった。



■第9章

アンドリュー・ワイエスの絵画を参考にしたセット
カラフルでなくコントラストを強く


『二十日鼠と人間』(1992)のセットをデザインしたグロップマンは、不況時代のアメリカを手掛けた経験がある。スタインベックの『二十日鼠と人間』も季節労働者の旅に触れており、カルフォルニア州のサリナス・バレーを舞台にした話だ。本作はとくにヤンキーの香りがするので、それを把握するために、グロップマンはアンドリュー・ワイエスの絵画を参考にした。この有名な画家の絵には、映画の舞台であるメイン州の田舎の忘れられない風景や人物画があった。しかもその画家のさっぱりした無色の背景は、グロップマン、ラッセ・ハルストレム監督、撮影監督のオリヴァー・ステイプルトン、衣装のレネー・カルヒュスが目指していた映画の外観と同じだった。

「セットについては、アンドリュー・ワイエスの絵のカラースキームをもとにした。基本的に色はない。できるかぎりすっきりとさせたかった。だから感傷的になりすぎることはないだろう。温かい甘美な光も嫌だった。ホーマーが育った環境は、どちらかといえば無慈悲な場所でもあるので、セピア色の感じも避けたかった。私はその“感じ”をラッセに説明する画像を探していた。私が見たモノクロの参考写真は私のイメージとはしっくりこなかった。ワイエスはなんとメイン州出身で、映画と同じ時代の画家であり、その絵はとても殺風景だが、喚起されるものがある。そのイメージだとかなり意識した。これ以上文句のつけばお古を着回すのが日常ではなかったかと思う。それにホーマーも何を着るかに時間をそんなにかけなさそうな男だ。私は彼のために微妙な衣装の変化を施した。ほとんど“医師”だった知性の世界から出ていくとき、キャンディとの恋愛が始まっただけでなく、リンゴ園やロブスター漁港で自分の手で働き、それが大好きになったとき、ホーマーの衣装は変わりはじめる。もっと格子柄を着て、サスペンダーを外し、より労働者らしく、セクシーになり始めた。彼の性格は変わっていき、それは恋愛、リンゴ摘み、ロブスター漁を巡ってだと思う。しかし本当のところは、ホーマーは医師という彼自身のもとの世界に戻れるように成長を続けている。彼は責任を感じ、引き受けることができなければならない。だからまさに彼の成長と成熟の物語だ」

ラーチについては、グロップマンのセットと同様、彼のかなり白黒がはっきりした哲学を反映して、おもに黒、チャコールグレー、白の装いだ。デルロイ・リンドのように、マイケル・ケインもカルヒュスの写真の一枚にラーチのヒントを得た。

「マイケルは私からある写真を取って『これだ! これがラーチだ!』と叫んだ。それは1921年以降のマサチューセッツ州エセックスで撮った造船技師の写真だった。私にすれば、ラーチはきわめて上品な人物だ。ハーバード大学で学び、彼の精神的な姿勢は高貴で気高く、一種の潔癖さ、感情を交えない簡潔さ、きちょうめんさがあり、そこを私は伝えたかった。ラーチは独特の懐中時計を持ち、ある一定のノーカラーのシャツを着る。またたいていは白と黒の装いで、どてもベーシックだが彼の見解を彷彿させる。彼の優しさは衣装からではなく、演技から醸し出されればと願った」

グロップマンと同じように、カルヒュスも現実の真実よりも感情的なものを衣装を通して伝えていこうとした。

「いろんな意味で『本物の人生』なんて無理。シンプルに、でも退屈しない人生にするのは難題だ。時代映画を撮ることの問題は、90年代にいる私たちは、その時代を振り返っていつも白黒で見ているということ。参考資料や写真はすべてモノクロか、あるいはセピア色だ。ではそれにどうやって肉付けしていくか。その時代の色を実際に調べると、とても強烈な色だったとわかる。しかしそうはしたくない。その方が正確で記録に忠実だけれど、現在の観客に伝えたい感情は伝えられないだろう。これから語られるストーリーをつかみ、当時の人は何を着ていたか、登場人物はどんな格好をするか、資料を当たり、それからある意味それを放り捨てる。資料を理解し、自分の感情をつかんだら、そこから離れる」 この点でワイエスは格好のインスピレーションの源泉だった。絵の技術は抜きにして、彼の作品はいつも主題への感情的結びつきに始まり、それに終わる。

「絵の技術があって、対象を描けたとしても、その本質の域にまで必ずしも達したとはいえない。あなたの中で何を感じ、どう対象を置き換えるかである。それは純粋な感情だ」とワイエスは断言している。

撮影監督のオリヴァー・ステイプルトンも同じような直感で仕事を進める。

「どうしてそのシーンに対してそういうフレームで撮ったか、言葉にしてはっきりと語るのはとても難しい。少なくとも60%は直感だといえよう。リハーサルの間に油断なく気を配っておいて、何が適しているか知る。いいショットに達するのは、何より事故のようなものだし、直感的だ。後になってどうしてこう撮ったか、合理的に解釈できる。ああそうだと、うまくいった事が突然わかったりする。うまくいく理由はわかっていることもあるかもしれないが、かならずしもそういう風な創作はしない。どんなメディアでも芸術的な部分で働く人はそんな感じではないか。終わって、振り返って、考えて、ああまあ気に入るかな。私の映画撮影もそんな感じで、一日に何度もそういうことを繰り返す」

こういう姿勢が、いつも場面の感情をより強調する、なめらかなカメラワークを生み出す。必要ない気ままな動きをうまく回避できるが、精巧なクレーンとドリー撮影となって、2、3カットを継ぎ目なく上品な広角ショットでつなげ、俳優たちも1回の撮りで済む。ステイプルトンとハルストレムはすばらしいコンビネーションで、この優雅な構成を作り上げていった。

『サイダーハウス・ルール』はハルストレムにとって大きな門出となったが、それは彼によれば、オリヴァー・ステイプルトンとのコラボレーションによるところが多いという。

「オリヴァーに関しては、撮影前の段階で、彼の頭にはすばらしい映像があり、そのアプローチに大いに頼ってみたかった。私の初期の作品ではカメラはそんなに動かしてこなかったので、その点ではオリヴァーの力をずいぶん借りた。2年前の私なら敢えてそんなことはしなかったかもしれないカメラの動きを勧めてくれた。しかしその動きはうわべだけでも、意味なくやっているだけでも全くない。“カメラの独りよがり”は大嫌いだが、彼の映像はストーリーにいつでも貢献している。彼のインスピレーションは照明の点では、以前にコンビを組んだことのあるスヴェン・ニクヴィストと同じだ。シンプルで、まっすぐで自然だ。彼のような偉大なカメラマンとまた仕事がしたい」

独特な喚起を誘うショットがいくつか、ハルストレムとステイプルトンのコンビから生まれた。メイン州でのあるひとまとめの場面の感情を押し出すために、ハルストレムとステイプルトンは大胆な撮影に出た。シャーリーズ・セロンとトビー・マグワイアが出演する、キャンディとホーマーの関係が危険と罪悪感をはらんでいるシーンだ。これはロブスター漁港の桟橋の先で行われた。海面には一連のロブスター漁の仕掛けがむき出しになって浮かんでいる。天候はひどく、寒くどんより暗く雨が降っている。全編を通してハルストレムは天候をシェークスピアのように活用し、暴風雨や風を場面のムードを補うものとして、自然のまま取り入れたり人工的に作ったりした。だからある意味、険悪な空もかえって好都合だった。ステイプルトンはカメラを昔の船にセットし、俳優たちをゆっくりと旋回しながら、湾、村、そしてふたりの動きを映していくことにした。

「一緒に創っていくという意志の表れだろう、ラッセか私かどちらがシャーリーズとホーマーを埠頭に座らせることに決めたのか憶えていない。しかしふたりの間で、役者をそこに座らせることに決め、朝方撮影しているとき、漁船を使って浮き桟橋のふたりを回って撮るという考えがひらめいた。このアイデアは、漂流するふたり、海の真ん中で桟橋に揺られる人という考えから来ている。というのも映画のその時点でのふたりは、ある意味道を見失い、どうしたらいいかさまよっていた。だから浮き桟橋を回りながら、まるでその桟橋はどこに行くかわからず、文字通り海の上で漂流しているように見せようとした。そのカメラの動きはその感じを増長できると思った。こうしてそのシーンは完成した」

ステイプルトンはワイドスクリーンSuper35の画面で撮影した。出演者が集まったときにその分量がとても大きいここと、アーヴィングの脚本は大部分が屋外を設定に書いていたから、広い画面は当然のことのように思えた。当初、標準画面での撮影を試していたが、グロップマンやカルヒュスと同様ステイプルトンも、とくに孤児院でコントラストのオンパレードにより強調されたニュートラルな調子を生み出すことに努力した。ホーマーが果樹園に移ると、彼の人生は文字通りすこし彩られ、色合いも豊かになる。しかし牧歌的な生活の中でさえ、危険と絶望の手がホーマーに忍び寄る。ステイプルトンはカルヒュスのようにウォーカー・エヴァンズの写真だけでなく、エドワード・ウェストンやドロシー・ラングがモノクロで撮った風景や田舎のポートレート写真にも触れ、農場のシーンは鮮明すぎる映像にしたくなかったと語る。真っ青な空や太陽は撮影スタッフの敵となった。ゲリラ隊のように日光を避けたり、美しい光を追いかけたりを交互に繰り返した。

「私に選択権があるなら、まちがいなくこの映画はモノクロで撮るだろう。唯一悩むところはリンゴ摘みの場面で、そこはカラーがいいかもしれない。太陽が出てきて、赤いリンゴを手に取る。緑の葉っぱ、青い空……すぐさま『サウンド・オブ・ミュージック』のような場所が頭をよぎるだろう。そのような状況で、色を統制し映画にふさわしい色を作っていくのは大変難しい。私たちはできるかぎり逆光での撮影を試みた。太陽が出てくると、真っ赤なリンゴ、緑の木々、青い空のような力強いぎらぎらした色は作らないようにした。天気に関してはかなりついていた。多くの撮影はグレーの曇った中で行われ、それは本作の雰囲気にとても適していた」