追悼 淀川長治氏


 <淀川長治(よどがわながはる)氏略歴>
 1909年 神戸にて、芸者置き屋を営む映画好きの両親のもとに生まれる。
     旧制神戸三中を卒業後、映画雑誌「映画世界」の編集者に。
     その後、ユナイテッド・アーチスツ日本支社宣伝部、東宝宣伝部を
     経て「映画之友」編集長。のちフリーになり、TV、ラジオ、文筆
     活動など幅広い活動を続ける。中でも、テレビ朝日系の長寿番組
     「日曜洋画劇場」の解説者として、番組開始から30年以上にわたり 
     その独特の語り口でファンを魅了し続けた。
 1998年 11月11日永眠。


INDEX

■追悼映画100選 作品紹介 (随時更新)

■「さよならの会」〜我々に宛てられた最後のメッセージ〜

■淀川先生を偲んで              川崎直也/マルチメディア・プロデュ−サ−

■淀川先生追悼                渡辺一弘
■「映画は愛である」と最期まで言いつづけた人 古山 慶
■淀川さんへ                 巴りよた
■映画・人間・人生を愛した淀川さん      渡辺慎也
■淀川さん追悼                長谷川未来
■パンチを受けた、その人生のしめくくりの風景 松岡洋子

■淀川先生追悼 

  映画評論家という職業は、つくづく不思議な存在だと思います。余りに映画に
没頭してしまうと現実性を欠き、逆に情熱を抑えてしまうと夢見る力が失われて
しまう。淀川先生は、ちょうどその中間をバランスよく行き来しながら生きてお
られた方だと思われます。もし映画の神様というものがいるのでしたら、映画を
愛し続けるのにふさわしい人間としてまず真っ先に先生をお選びになることで
しょう。決して手に触れことはできないが、我々にも共感できる魂というものが
込められている「映画」という表現。その不確かな幻影の側からも無条件で慕わ
れ、こんなに相思相愛であった人は、映画100数年の歴史上、かつておられたで
しょうか。具体的な感触のないものであっても信じ続け、そこに夢を見出そうと
する生き方に、改めて勇気を教わりました。
 「映画なんかなくたって食っていけるよ。」とか、「映画好きの人は他力本願
で実人生がない。」とか批判的に言われたりもしますが、先生が培ってこられた
人生は、そんな意見すらスラッと受け入れてしまうほど粋で、余裕のある生涯
だったような気がします。最近の先生は常に「死」というものを意識し、その自
覚があるからこそ、「生きる」ということの一瞬一瞬を確実に噛みしめながらす
ごしていらしたと思います。映画にラストがあるように命にも終幕はある。だか
らあえて胸を張って言いたい。「淀川先生は亡くなってはいない。映画の国に
行ってしまったのだ」と。

(渡辺一弘) →INDEXへ




■「映画は愛である」と最期まで言いつづけた人 

 1人の卓越した映画評論家の死に際し、一体何を言えるというのか。身勝手に
言わせてもらえば、映画評論家とはすでにある作品を新たな地平(=作品の多面
的な魅力の発露)へと導く者ではないか。物語を立体的に多面的に語り、そこか
ら見えてくる魅力を鮮やかに語ってみせる者。確かな知性と映画へのオマージュ
をもって。
 ぶった切るときは愛をもってぶった切り、賞賛するときもまた、ありったけの
愛をもって賞賛する。淀川氏はそんな映画評論家だった。「映画は愛である」と
最期まで言い続けた人、多くの映画を新たな地平へと導いた人だった。おそらく、
氏のようにチャップリンを語る評論家は二度と現れないだろう。あの、「さよな
ら、さよなら、さよなら」というフレーズは、氏が大衆と映画との間に広がる広
大な海に渡そうとした橋のように思えてならない。このフレーズと共に育った私
も、氏が残したテクストで、これから少しでも映画への愛をより深く育めればと
思っている。

(古山 慶) →INDEXへ




■淀川さんへ 

 ショックだった。なぜだか頭の中で、淀川さんは永遠に映画についてわたしたち
に語り続けてくれるというイメージがあった。ショックは受けたが正直あまりぴん
とこなかった。昨日から今日にかけ、家にある淀川さんの本や、インターネットで
読むことのできる淀川さんの評論などを読みかえしてみた。昨日の時点では出な
かった涙が出た。とても大切な人が逝ってしまった。以前、淀川さんを見た時、想
像よりも極端に小さなおじいさんで驚き、そこから発せられる映画への想いの大き
さにもっともっと驚いた。淀川さんの優しい言葉は、わたしたちと映画とを少しで
も近づけることができるように力強く心に入ってくるものだった。新作に対するも
のは読めなくなってしまったけれど、わたしには、まだ目にしていない淀川さんの
言葉が山ほどある。やっぱり淀川さんは永遠に語ってくれるのだ。今までありがと
うございました。そして、これからもよろしくお願いしますと、言いたい。

(巴りよた) →INDEXへ




■映画・人間・人生を愛した淀川さん 

 映画ファンになりたての中学生だった僕にとって('85年頃)、「日曜洋画劇場」
は毎週欠かせないものでした。映画そのものもさることながら、やはり淀川さんの
明快で適確な解説が大きな魅力だったのです。独特のやさしい語り口は、あまり頭
の良くない中学生だった僕の心にすんなりと入ってきました。そう、淀川さんの解
説は、常に頭にではなく、心に染込みました。『アマデウス』、『裏窓』、『知り
すぎていた男』、『めまい』、『ハリーの災難』の解説などは今でもよく憶えてい
ます。
 ただ、最近は「日曜洋画劇場」からはすっかり遠ざかり、ごくごくたまに淀川さ
んの解説部分だけを見るという程度でした。つまり、僕はそれほど熱狂的な淀川さ
んの信奉者ではなかったわけです。
 ところが、11月11日に淀川さんがお亡くなりになったという第一報を聞いた時、
ほとんど親類を失ったような悲しみに襲われました。自分でも気付かぬうちに、淀
川さんが、僕の心の中の大きな部分を占めるようになっていたのです。これは、僕
に限らず、映画ファンなら誰でもそうだと思います。だから、淀川さんがもういな
いという喪失感に戸惑いをおぼえずにはいられません。
 頭でっかちでシニカルな映画批評家が多い中、淀川さんは生涯を通じて「心」で
映画を語った人だと思います。そして、淀川さんにとって、映画は「人間」や「人
生」と同義語だったのではないでしょうか。だから、淀川さんの口癖だった「もっ
と映画を観なさい」という言葉は、「もっと人間を、そして人生を愛しなさい」と
いうことだったにちがいありません。
 淀川さんはもういません。そして、これからも淀川さんのように全身全霊で映画
を、人間を、人生を心で伝える映画評論家は現われることもないでしょう。残念の
一言に尽きます。でも悲しみに沈むのは止めたいと思います。きっと天国の淀川さ
んはこう言うでしょうから。「悲しんでいる暇などあったら、もっと映画をみなさ
い」と。
 淀川さん、安らかにお眠りください。

(渡辺慎也) →INDEXへ




■淀川さん追悼 

 日曜日の夜遅くまで起きていると、あの人を見ちゃうのでなるたけ早くふとんに
入っていた。何がなんでも彼のために早く済ませた。チガった意味で。
 白い髪の毛と黒い縁の眼鏡、三角の眉毛でヒソヒソ話す『エクソシスト』や『ド
ラキュラ』などの怖い映画の解説。その淀川さんの解説で既にオノノイテしまい、
肝心の映画を見られなかったことは何回も何回も……そのせいで淀川さんが嫌いに
なってしまっていた。「コワイ、コワイ映画です」−そう言う淀川さんが一番怖かっ
た。亡くなったと聞いてすごくショックだった。実はもっと怖がりたかったことに
気づいた。
 この先、どう考えても淀川さんをテレビであれ何であれ、見たことがあるという
のは自慢だ。リアルタイムで会えた経験は本当に貴重。何十年か経ったあと、若い
ヤツに自慢できるのは確実。いままでもこれからも本当に「どうも有り難う」と言
いたい。

(長谷川未来) →INDEXへ




■パンチを受けた、その人生のしめくくりの風景 

 亡くなる直前までビデオで映画を見ていたと聞いた。日曜洋画劇場の「さよなら、
さよなら」も、ぎりぎりまで収録されたそうだ。
 昨今の不況で、世の中経済経済で動いている。巷では様々な遊びがあふれ、映画
や演劇にこだわり続ける自分に、ときどきひどく虚しさを感じることがある。自分
の愛してきたものや、自分が追いかけ続けてきたものは、今となっては何の価値も
なくなってきているのではないかと疲れを感じかけていた。
 そんな情けない自分に、淀川さんの人生のしめくくりの風景はパンチだった。あ
の笑顔でしかられているような気分になった。89年間、映画を追いかけ続け、その
すばらしさを伝え続けた淀川さんの姿に、たかだか30年で疲れを感じている自分を
とてもとても恥ずかしく思った。そして改めて、自分がこだわり続けているこの世
界は、一生をかけるだけの価値のあるものだと教えてもらったように思う。
 本当にありがとうございました。

(松岡 洋子) →INDEXへ








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