■淀川先生を偲んで
淀川長治先生が逝去された。10年以上前から「いつお迎えが来てもいいよ
うに、葬式の費用をポケットに入れてるんだ」と 口癖のように言われてい
た。
映画雑誌『映画の友』の編集長時代に読者との交流会「映画友の会」を始
められ、雑誌が廃刊になっても東京と横浜で毎月1回の会を続けられていた。
小生は、その横浜の会で、幹事を数年間させていただいた。
TVでお目にかかる姿と違って、嫌いな映画は嫌いときっぱり言われるし、
会場で嫌な発言をする人がいれば「このバイキン! 出ていけ!」と一喝
される激しい姿も見せられた。
そこで、必ず言われる3つの人生訓があった。「苦労よ来い」「他人歓迎」
「私はかつて嫌いな人に逢ったことがない」ダメな映画や、嫌な発言をする
人を一喝するのは「本当に映画や人を愛していなければ出来ない」と言われ
ていた。
毎年12月の会では、クリスマス・プレゼントの交換があった。そこで汚ら
しい紙包みにくるんでプレゼントを持ってきた人に「あんた、なんてセンス
がないの」と叱られた。その一年後、その人が今度は銀紙とリボンでラッピ
ングしたプレゼントを持ってきた時は手を取って「まあ、素晴らしいね」と
褒めあげた。
本当に人が好きで好きでたまらないから、叱る。それと美的感覚を大事に
された。始めて会に参加された人に必ず「歌舞伎みたことありますか? 文
楽は? ミュ−ジカル見たことある?」と聞かれ「ない」と応えると「なん
て貧しい人なの」と叱った。
神戸に生まれ、幼い頃から映画だけでなく、歌舞伎や文楽、バレエといっ
た一流の芸術を見てこられた。「一流を見なさい。三流ばかり見ていたら人
間も三流になりますよ」とも諭された。
小生が、映画会社の宣伝部に在籍していた頃には、何度か旅行にも同行さ
せていただいた。お風呂が大好きで、一泊日の旅行では温泉地をご所望され
た。「お風呂場では人間みな裸でしょ。本音が語れるもの」と、見ず知らず
の人にも積極的に話しかけていた。
うなぎとステ−キ、中華料理といった脂っこいものがお好きで、横浜の会
では年に1回、中華街で食事をされるのを楽しみにされていた。しかし、そ
れが日曜日の夕方だと、家でTVを見るからと中座された。30年以上続けられ
た「日曜洋画劇場」をライフワ−クとされ、必ずオンエアされる姿をご自身
で確認されていた。
結婚されず独身を通されたのは、母親と生活されていて、そこで嫁姑のい
さかいが起きたら嫌だからと本心を話されたこともあった。
ご母堂が逝去されてからは「いつ死んでもかままない」と言われていた。
「死ぬことは怖くない。でも明日、死ぬと思うと、今日を生きる活力が生ま
れるでしょ」と自らに言い聞かせるように、講演を始められることもしばし
ばだった。
映画を通して人生を学び、それを人々に伝えた。淀川先生には子供さんが
いられないが映画を通して多くの子供、孫を作られた。そんな孫の1人とし
て心からご冥福をお祈り申し上げます。
(川崎 直也/マルチメディア・プロデュ−サ− (映像新聞より転載))
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