『フリーダム・ライターズ』/"FREEDOM WRITERS"





フリーダム・ライターズ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
2007年7月21日よりシャンテ シネ他全国にて公開

2007年/パラマウント映画/上映時間123分/原題:FREEDOM WRITERS/ヴィスタサイズ/ドルビー DTS,SRD,SDDS,SR DELUXEカラー/5巻 11,050ft 3,368m/字幕翻訳:岡田壮平/原作:「フリーダム・ライターズ」(講談社刊)/サントラ:エイベックス・マーケティング(株)/配給:UIP映画

◇監督・脚本:リチャード・ラグラヴェネーズ  ◇製作:ダニー・デビート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェア ◇製作総指揮:ヒラリー・スワンク、トレイシー・ダーニング、ナン・モラレス、ダン・レヴァン ◇撮影:ジム・デノールト ◇プロダクション・デザイン:ローレンス・ベネット ◇編集:デビット・モリッツ ◇衣裳:シンディ・エバンス ◇音楽:マーク・アイシャム and ウィル・アイ・アム ◇音楽監修:マリー・ラモス

◇キャスト:ヒラリー・スワンク、パトリック・デンプシー、スコット・グレン、イメルダ・スタウントン、エイプリル・リー・ヘルナンデス、マリオ



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<海外評>

全米大絶賛!!
愚直なまでに、ひたむきに描き切るという大胆なアプローチで挑んだ本作は、痛いほどに我々の心を打つ。
Variety

生徒一人一人の努力が輝かしい勝利へと導かれるさまが素晴らしい。
Boston Globe

スワンクはこの役柄にふさわしく、 確かな演技で観客を魅了する。
Los Angeles Times

『フリーダム・ライターズ』のヒラリー・スワンクは、感情をわしづかみにしてくる。
New York Times

教育的ファンタジーに見えるが、ほぼ実話どおり。
New York Daily News

公平で誠実、誇りに想う感動作。
Entertainment Weekly

たった一人の教師でも、 生徒の一生を変えることができることを伝える素晴らしい作品。
New York Post

ヒラリー・スワンクは力強い実話をさらに輝かせている。
Rolling Stone




【解説】

全米の心を揺さぶった話題作、いよいよ日本上陸!
あふれる涙を勇気に変えて ─ 今日からは違う自分に


◆それは、1人の新米教師と1冊のノートが起こした奇跡の物語

人は、人生を変える"師"と何人出逢うことができるだろう。小学生の頃から節目節目で良き師と出逢い、導かれてきた幸運な人。生涯、"師"と呼べる人と出逢えず、人生に不平と不満を募らせる人、さまざまだ。この映画の主人公、ウィルソン高校203教室の生徒たちは、エリン・グルーウェルという若く経験もない、しかし、情熱だけは人一倍熱い、たった1人の英語教師によって人生を取り戻すきっかけを掴む。そう、幸運にも……。


物語は1994年、ロス暴動直後のロサンゼルス郊外、人種が激しく対立し、ドラッグとナイフと銃がはびこる、ウィルソン公立高校で始まる。低所得者層の多いこの地域では、貧困による憎悪と犯罪の中、15歳にして出口のない日々を送る子供たちは、卒業まで"生きて"いられれば、それで十分と思っていた。荒れ果てた教室では授業もままならず、ほとんどの教師たちは彼らを見捨てていた。しかし、エリンだけが彼らを信じ、彼らに未来の扉を開く鍵を与える。それは……書くこと。

彼女は、お互いを知ろうともせず憎しみ合うだけの生徒たち全員に、自費でノートを買い与え、自分たちの本当の気持ちを書くように諭す。最初はバカにして抵抗する生徒たち。しかし、想いを綴ることは自分と向き合うこと ─ 次第に、荒れた教室に変化が生まれていく。ギャング抗争に明け暮れていた彼らは、お互いを知り、理解するようになり、やがて、知ることを通じて大きな夢を抱くようになっていく……。1冊のノートと、そして、教師の全身全霊の愛が、多くの生徒を救ったのだ。


本作は、アメリカの心を揺さぶった、実在の英語教師エリン・グルーウェルと、ウィルソン高校の生徒たちによる同名の原作「フリーダム・ライターズ」を基にしている。ロサンゼルス暴動後、学校の荒廃が限界にまで達する中、"書くこと"で犯罪と貧困のスパイラルから抜け出した生徒たちの記録は、1999年の出版以来、NYタイムズのベストセラーにランク・イン。さまざまなメディアで取り上げられ、原作に惚れ込んだリチャード・ラグラヴェネーズの手によって、遂に映画化が実現した。主人公エリンを演じるのは、2度のアカデミー主演女優賞に輝くヒラリー・スワンク。これまで演じてきた芯の強い女性(生徒たちに全身全霊で愛情を捧げ、彼らを社会科見学に連れていくために先生の他にアルバイトを2つもする)でありながら、夫や父親との関係では悩みを抱える"脆さ"をも繊細に演じ、新境地を開拓。スワンクはエリンに惚れこみ、本作の製作総指揮も務めている。彼女と対立する主任教師役には、『ヴェラ・ドレイク』でスワンクとオスカーを争った英国の名女優イメルダ・スタウントン。さらに、父親にはスコット・グレン、夫役にパトリック・デンプシーと、錚々たる演技派が脇を固めている。また、問題を抱える生徒役に、人気シンガーのマリオら実力派の若手が顔を揃えただけでなく、実際の高校生たちが等身大の自分を演じているのも興味深い。監督・脚本は、『フィッシャー・キング』でオスカー脚本賞候補となったリチャード・ラグラヴェネーズ。『マディソン郡の橋』『モンタナの風に抱かれて』等原作ものの見事な脚本化で知られる彼だけに、今回も原作の"素晴らしさ"を余すところなく引き出している。製作は、ダニー・デビートを始めとする『エリン・ブロコビッチ』のプロデューサー陣が勢ぞろい。女性なら誰しも感情移入してしまうことだろう。

書くこと。それは心を開くこと。そして、心を繋げること。それこそが、人間関係の第一歩であることを、本作『フリーダム・ライターズ』は気付かせてくれる。過酷な生活環境の中でなお、"変わる勇気"を持つことの素晴らしさを伝える爽やかな感動作が誕生した。



 


【プロダクションノート】

◆フリーダム・ライターズとの出会い

エリン・グルーウェルとフリーダム・ライターズについて書かれた、LAタイムズ紙の小さな記事。それがすべての発端だった。本作の製作総指揮であるトレイシー・ダーニングは当時、報道番組『プライムタイム・ライブ』のプロデューサーをしており、ロングビーチまで彼らに会いにいった。「実際に会って話をしてみて、彼らのエネルギー、知性、そして人種と寛容に対する理解の深さに、本当にぶっ飛んでしまったの。感動して、これぞ私が伝えるべき話だと思ったわ」 監督のラグラヴェネーズも、その報道番組を観て感動した1人だった。「番組を観てすぐに彼らの本を読み、プロデューサーであるステイシーに電話したんだ。"これ"をやるべきだってね」

ラグラヴェネーズは、これが、ベテラン教師が貧しい生徒を救うというありがちな美談ではなく、教師と生徒の双方がお互いから学び、支え、尊敬し合うという関係だったことに感激した。「生徒たちが教師に現実を教えるという話は、これが初めてだと思う。彼らの文章には何の誇張も、独善的な意識もない。まさに"生"の声だ。彼らは日々を生きる本物のアーティストだ。理想に燃えたエリンにとって、貧困による憎悪と犯罪の中、15歳にして出口のない日々を送る子供たちの現実はあまりにも悲惨で、最初は信じることができない。でも、現実を受け入れることによって彼女自身も成長していくんだ」 映画には、生徒たちの承諾を得て、本物の日記の文章が引用されている。

また、生徒役の多くを、オーディションで選ばれた現役学生らが演じていることも、リアリティを増している。その1人、マーカス役を演じたジェイソン・フィンは、高校をドロップアウトし、役と同じようにストリートで暮らしていた経験を持つ。しかし、その虚しさに気付き、ビデオ製作学校に通い始めたことで「怒りや欲求不満との折り合いのつけ方を学んだ」と言う。そこで学生映画を作っているときに、高校時代の教師からオーディションを受けるよう薦められた。「映画製作と演技という新しい世界を見つけて、内面から変化することができたんだ。ドラッグを売ったり、路上暮らしなんてせずとも、生きていける自信が持てたんだよ」




◆事実は小説より奇なり

脚本を読んだ途端、この役に惚れ込んだヒラリー・スワンクは、製作総指揮も買ってでた。「まさに事実は小説より奇なり、だわ」と語る。「これが現実に起きた"実話"というのが何より素晴らしいと思ったわ。私ったら、実話が大好きなの。最初のアカデミー賞をもたらしてくれた『ボーイズ・ドント・クライ』もそうだけれど……実話おたくと言っても過言ではないわ。とにかくこの話に恋してしまい、ぜひとも映画化に関わりたいと思ったの」

エリン・グルーウェルの人間性に強く共鳴したヒラリー・スワンクは、すぐ彼女宛にメールを送った。「誠意をこめて私の想いを綴ったわ。とにかくエリンに会いたかった。そして、彼女の物語がどれほど重要で素晴らしいかを伝えたかったの」

「この国で私ができることで、ある意味、教職ほど高貴な仕事はないと思っていました」とグルーウェル本人は語る。「学校も大きく変わるべきだと思っていたんです。あの暴動があったことで、人種や文化、経済的にもまったく異なる生徒たちが一緒になることができたんですから。そんな私にとって、ウィルソン高校は理想的な学校に思えたんです。紙の上ではね。人種もさまざまで貧富の差も激しく、極端に言えば、ハーバードに行くか、刑務所へまっしぐらか、のどちらかしかないような生徒たちでした」 悲惨な経験をした子供たちのために、何ができるかを模索した結果、グルーウェルは「アンネの日記」を読ませることにした。彼らはみな、戦場で生きるアンネの姿に自分を投影していた。次に試みたのは、日記帳に自分の経験や感情、苦難や成功を綴ることだった。

「子供たちは銃の替わりにペンを持つことを覚えたんだ。書くことで、彼らは救われた」と監督のリチャード・ラグラヴェネーズは言う。「エリンは生徒に過酷な戦いについて書かせることで、お互いを知るための扉を開いた。それまで、誰もしなかったことだよ。そして、13歳のアンネ・フランクが書くことで辛い日々に耐えたことを通じて、過酷な人生の対処法を教えたんだ」

本作のプロデューサーで、過去に『エリン・ブロコビッチ』も手がけたステイシー・シェアは、「この話を映画化したいと思ったのは、たった1人の人間でも大きな変化を起こせるということを伝えたかったから」と語る。「エリン・グルーウェルは身近なヒーローだわ。彼女も最初は、他の誰とも変わらない普通の新米教師でした。でも、やむにやまれぬ情熱で前進し、子供たちに対峙することで、あのような素晴らしい成果を挙げることができたの。その勇気に感服するわ」




◆実際のエリン・グルーウェルと203教室の生徒たち

1994年秋。ロングビーチのウィルソン高校に着任したとき、エリン・グルーウェルは大学を出たばかりの新米教師だった。カリフォルニア大学アーバイン校で学び、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校大学院で教育学修士号を取得した、いわばエリートであるグルーウェルが203教室で出会ったのは、"教育不可能"という烙印を押され、学校から見放された生徒たち。彼らは人種ごとに対立し、暴力や麻薬、貧困など大きすぎる重荷を背負った若者ばかりだった。

だが、グルーウェルには、教育とは多様な価値観を認め、育てること、という確固たる哲学があった。ギャングになる以外にも選択肢があることを生徒たちに示したい。その第一歩として、グルーウェルは、彼らのように過酷な十代を生きた若者、アンネ・フランクや、ズラータ・フィリポヴィッチ(戦禍のサラエボでの日々を綴った「ズラータの日記」の著者)の日記を与えた。

生徒たちはアンネとズラータの勇気に共感し、歴史や社会に強い関心を持ち始めた。そして、ズラータと、アンネの友人だったミープ・ギエスに手紙を書き、2人をロングビーチに招く。この実現のためにグルーウェルが日夜奔走した様子は、映画のとおりだ。ミープが学校を訪問したときに「アンネの精神を引き継いでほしい」という言葉と、ミス・Gことグルーウェルの励ましによって、彼らは自分たちの現実と本音をノートに書き始める。書くという、自分を表現する手段を得た彼らは、同時に、将来に対する希望も発見していった。ミス・Gのいる203教室は、アンネの屋根裏部屋やズラータの地下室と同じように、彼らが唯一自分を解放できる安全地帯そのものだったのだ。


203教室の生徒たちは、さらに公民権運動のために戦った勇敢なフリーダム・ライダーズ(Freedom Riders/1961年、人種差別撤廃を求めて、黒人と白人の学生たちがワシントンDCから南部へ、長距離バスで暴徒に襲われつつも移動した)のことを学ぶ。これが、フリーダム・ライターズの名前の由来だ。彼らはコンサートを開いたり、さまざまな活動で注目を浴び始める。グルーウェルは、生徒たちの日記と、彼らの成長の記録をまとめ、1999年、「フリーダム・ライターズ」として出版。これが大きな反響を呼び、NYタイムズのベストセラーリストの1位となった。ミス・Gと203教室の生徒たちは、教育と社会改革の実現者として、オプラ・ウィンフリー・ショーやピープル誌をはじめ、さまざまなメディアで取り上げられ、念願だったアンネ・フランクの家も訪れた。

しかし、何より特筆すべきは、203教室の150人の生徒全員が大学に進学したことである。大半が、身内で初めての大学進学者だった。多くはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に学び、大学院にも多数進学した。彼らの中には、現在、高校教師をはじめ、教育に従事する者も多い。グルーウェルは1998年に高校を離れ、カリフォルニア州立大学で教鞭を取った。その後、その教育哲学をさらに広めるべく、203教室の卒業生と共に設立したフリーダム・ライターズ基金の代表を務めている。基金では、生徒や教師のためのワークショップ、奨学金、講演会など、全国の学校に203教室の精神を広め、教育改革を推進しようと幅広い活動を行っている。また、グルーウェルは今年、自伝「Teach With Your Heart」を出版した。



 


【ストーリー】

◆銃の替わりにペンを持ったとき、未来は僕らのものになった

ロス暴動から2年後の1994年、ロサンゼルス郡ロングビーチ。

さまざまな人種が通うウィルソン高校では、登校も下校も命がけだ。カリフォルニアの青い空など、見上げている余裕はない。「ロングビーチでは肌の色がすべて。浅黒いか、黄色か、黒か。一歩外に出たら戦場なの」 学校に着いても問題は同じ。みな肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。バッグには銃かナイフ。誰もが18歳まで生きられれば、十分だと思っていた。


そんな203教室に理想に燃えた国語教師がやって来る。彼女の名はエリン・グルーウェル、23歳。弁護士になるはずが、「法廷で子供を弁護するのでは遅過ぎる。教室で子供を救うべきだ」と教師になった変り種だ。しかし、支配階級である白人の女教師など、生徒たちには別世界の住人でしかない。彼らの拒絶にショックを受けつつも、エリンは夫スコット(パトリック・デンプシー)に支えられ、詩の教材にラップを取り入れるなど努力を重ねていく。ある日の授業中、ラティーノのティコ(ガブリエル・チャヴァリア)が黒人のジャマル(ディーンス・ワイアット)を馬鹿にした絵を描いた。「こんな絵を博物館で見たことがあるわ。黒人とユダヤ人は下等だとね」 ─ エリンは、第二次大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明する。だが、驚いたことに、生徒たちは、ホロコーストも「アンネの日記」のことも知らなかった。銃で狙われた経験はあるというのに……。教育の大切さを改めて実感したエリンは、教材として「アンネの日記」を読ませようとするが、キャンベル教科長(イメルダ・スタウントン)に予算の無駄だと拒絶されてしまう。「あの子たちに知的興味を持たせるなんて無理よ」


次の授業で203教室に配られたのは、日記帳だった。「今思うこと、未来のこと、過去のこと。何でもいいから毎日書いて。そして読んでほしいときは棚に入れて」 ─ 最初に日記を書いたのは、おとなしいブランディーだった。徐々に、生徒たちは日記帳に本音を綴るようになってくる。「16歳で葬儀屋より多くの死体を見た」「難民キャンプで父は人が変わった。母や私を傷つけるようになった」「俺のダチはストリートの兵士だ」「銃を突きつけられると体が震える」 ─ 生々しい言葉の数々。兄は服役中で、母からも見放されているマーカス。カンボジア移民のシンディ。誰もが出口のない日々を送っていた。彼らの言葉に心揺さぶられたエリンは、本を買ってあげたい、とデパートでパートを始め、さらに週末はホテルでも働き始める。

数週間後、エリンはパートで貯めたお金で生徒全員をホロコースト博物館へと連れていく。父スティーブ(スコット・グレン)も渋々ながら運転手役を務めてくれた。ホロコーストの生存者に対面した生徒たちは、生への、そして知への欲求を高めていく。「彼らのことを忘れない。すべてミスGのおかげだ」


夏休みが明け、全員がなんとか2年生に進級。目立たなかったミゲル(アントニオ・ガルシア)が、日記を朗読する。貧しいミゲル母子はアパートから追い出されていた。「家もお金もないのに、なぜ学校へ行くのか? 服もボロボロで笑われると思ったけど、クラスのみんながいると気づいた。そして、グルーウェル先生が希望を与えてくれた。ここが僕の家なんだ」 203教室がひとつになった瞬間だった。だが、エリンの熱意が高じるにつれ、キャンベル先生ら学校側との対立が深まり、スコットとも距離が生じていく。さらには、コンビニ銃撃事件で、エバが目撃者となり黒人生徒のグラントが逮捕されてしまう。だが、服役中の父親の言いつけで、エバは仲間をかばっていた。「重荷は全部私が背負うの……?」 逆風が吹く中、203教室の生徒たちとエリンは、無事卒業の日を迎えることができるのだろうか。





 


【キャスト&スタッフ】

■ヒラリー・スワンク(エリン・グルーウェル/製作総指揮)

『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で2度のアカデミー主演女優賞に輝いたスワンクは、1974年7月30日、ネブラスカ州生まれ。ワシントン州ベリンガムで育ち、幼い頃から女優を目指して地元の舞台に立つ一方、スポーツでも力を発揮し、水泳のジュニア・オリンピック選考会に出場した。15歳のとき本格的に女優を目指すため、母親とLAに移住。トレーラーハウスで暮らしながらオーディションを受け、テレビの端役を経て『バフィ・ザ・バンパイア・キラー』(1992)で映画デビュー。その後、『ベスト・キッド4』(1994)のヒロインや、TVシリーズ『ビバリーヒルズ高校白書』のカーリー役(1997〜1998)を経て、『ボーイズ・ドント・クライ』で性同一性障害の主人公を演じ、オスカーをはじめ演技賞を独占した。他の主な出演作に、『ギフト』(2000)、『マリー・アントワネットの首飾り』(2001)、『インソムニア』(2002)、『ザ・コア』(2003)、『ブラック・ダリア』(2006)など。本作のラグラヴェネーズ監督とは『P.S., I LOVE YOU』(2008公開予定)でもタッグを組む。本作は彼女にとって初めてのプロデュース作品でもある。


■イメルダ・スタウントン(キャンベル教科主任)

1956年、英国ロンドン生まれ。王立演劇学校を卒業後、舞台で実力を発揮し、1991年には『Into the Woods』で権威あるオリヴィエ賞に輝いた。映画界でも『ヴェラ・ドレイク』(2004)でベネチア映画祭ほか多くの主演女優賞に輝き、アカデミー賞ではヒラリー・スワンクと主演女優賞を争った。主な出演作に、『ピーターズ・フレンズ』(1992)、『から騒ぎ』(1993)、『いつか晴れた日に』(1995)、『十二夜』(1996)、『恋におちたシェイクスピア』(1998)、『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』(2005)ほか。次回作は『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007)。


■パトリック・デンプシー(スコット)

1966年、メイン州生まれ。『パニック・スクール/冒涜少年団』(1985/日本劇場未公開)でデビュー以来、『キャント・バイ・ミー・ラブ』(1987)、『ダルク家の三姉妹』(1988)、『モブスターズ/青春の群像』(1991)など数多くの青春映画に主演。テレビでは2005年から始まったヒットドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』のデレク医師役で人気を博し、SAG(映画俳優組合)賞の主演男優賞候補になった。他の出演作に『きっと忘れない』(1994)、『アウトブレイク』(1995)、『メラニーは行く!』(2002)など多数。


■スコット・グレン(スティーブ)

1942年、ペンシルヴェニア州ピッツバーグ生まれ。大学卒業後、海兵隊に3年間従軍後、新聞記者になるが、演技に興味を持ち20代半ばにして俳優を目指す。『受胎の契約/ベイビーメイカー』(1970)で映画デビュー。『アーバン・カウボーイ』(1980)で注目され、『ライト・スタッフ』(1983)でのシェパード飛行士役で大きく脚光を浴びる。出演作は『地獄の黙示録』(1979)、『シルバラード』(1985)、『羊たちの沈黙』(1991)、『バックドラフト』(1991)、『目撃』(1997)ほか多数。


■エイプリル・リー・ヘルナンデス(エバ)

1980年、ニューヨーク市ブロンクス出身。大学では栄養学を専攻するつもりだったが、ジョン・レグイザモのワンマン・コメディ・ショーを観て感動し、ニューヨーク市立大学ハンター・カレッジでの専攻を芸術に変え、即興演技を学ぶ。在学中からオーディションを受け、コメディクラブのステージに立つ。2003年のスーパーボウル中継のCMで注目され、ドラマ「ロウ&オーダー」や「ER」(イネス看護師役)などの人気ドラマに出演している。


■マリオ(アンドレ)

若き実力派シンガーであるマリオはボルチモア出身。1986年生まれ。幼い頃から歌手を目指し、地元のタレントショーに出場。音楽界の大物クライブ・デイビスに見出され、若干15歳にして「Just a Friend 2002」で歌手デビュー。続くアルバム「MARIO」もヒットし、一躍人気者となった。2005年にはシングル「Let Me Love You」が初の全米1位を獲得。演技にも意欲的で、『Destination Fame』(2004)、『ステップ・アップ』(2006)に続き、本作が3作目の映画出演となる。


■リチャード・ラグラヴェネーズ(監督・脚本)

1959年、ニューヨーク生まれ。ニューヨーク大学で学び、脚本家の道へ。オリジナル脚本である『フィッシャー・キング』(1991)がテリー・ギリアムによって映画化され、英米のアカデミー脚本賞にノミネート。以降、『リトル・プリンセス』(1994)ではアルフォンソ・キュアロン、『マディソン郡の橋』(1995)ではクリント・イーストウッド、『マンハッタン・ラプソディ』(1996)ではバーバラ・ストライサンド、『モンタナの風に抱かれて』(1998)ではロバート・レッドフォードと錚々たる監督たちと仕事をする。1998年、ホリー・ハンター主演の『マンハッタンで抱きしめて』(1998・未)で監督デビュー。2003年には盟友テッド・デミと共同でドキュメンタリー『アメリカン・ニューシネマ/反逆と再生のハリウッド史』を監督し、エミー賞候補になるなど高い評価を受けた。オムニバス映画『パリ・ジュテーム』(2006)では、ファニー・アルダン主演のピガール篇を監督。現在は『P.S., I LOVE YOU』(2008公開予定)の製作中。


■ステイシー・シェア(製作)

マイケル・シャンバーグと共にダブル・フィーチャー・フィルムズを率いる。同社は、最近では『ワールド・トレード・センター』を製作した。1985年に南カリフォルニア大学(USC)映画学科を卒業した彼女は、リンダ・オブスト・プロを経て、1991年にダニー・デビート率いるジャージー・フィルムズに参加。代表作にアカデミー賞作品賞候補となった『エリン・ブロコビッチ』(2000)や、『パルプ・フィクション』(1994)をはじめ、『ガタカ』(1997)、『ゲット・ショーティ』(1995)、その続編の『ビー・クール』(2005)など多数。その実績を認められ、母校のUSCから2002年には名誉あるメアリー・ピックフォード賞を贈られた。


■マイケル・シャンバーグ(製作)

ダブル・フィーチャー・フィルムズをステイシー・シェアと共同経営するシャンバーグは、『エリン・ブロコビッチ』(2000)、『パルプ・フィクション』(1994)、『再会の時』(1983)など数多くの名作を製作してきた。この他のプロデュース作には『アウト・オブ・サイト』(1998)、『マン・オン・ザ・ムーン』(1999)、『リアリティ・バイツ』(1994)、『ゲット・ショーティ』(1995)、そして数々の賞に輝いた『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988)など多数。


■ローレンス・ベネット(プロダクション・デザイン)

アカデミー作品賞に輝いたポール・ハギス監督作『クラッシュ』(2005)の美術を手がけたベネットは、同作でアート・ディレクターズ・ギルドのプロダクション・デザイン賞候補になった。他に「グレイズ・アナトミー」をはじめ、多くのTVシリーズも手がけている。LAのオクシデンタル・カレッジと、東京の早稲田大学で学んだベネットは、映画界入り前にはアイルランドのダブリンで芸術活動をしていた。現在は、トミー・リー・ジョーンズとシャーリーズ・セロンが主演するハギス監督の次回作『In the Valley of Elah』に携わっている。


■シンディ・エバンス(衣裳デザイン)

エバンスが衣裳を手がけた作品には、シャーリーズ・セロン主演の『スタンド・アップ』(2005)をはじめ、キャサリン・ハードウィック監督の『ロード・オブ・ドッグタウン』(2005)と『サーティーン』(2003)、クリストファー・ノーラン監督の『メメント』(2000) などがある。


■マーク・アイシャム(音楽)

1951年、ニューヨークに生まれたアイシャムは、母がバイオリニスト、父が音楽教師だったため、物心ついたころからピアノ、トランペット、バイオリンなどの英才教育を受けた。サンフランシスコ交響楽団のトランペット奏者を振り出しにプロの音楽家の道を歩き始めた彼は、クラシック以外にもジャズやロックにも進出し、ローリング・ストーンズ、ジョニ・ミッチェル、ヴァン・モリソンらと共演し、ジャズ・トランペッターとしてのアルバムも多く発表しグラミー賞候補にもなっている。映画音楽も1983年の『ネバー・クライ・ウルフ』を皮切りに数多く手がけ、1993年の『リバー・ランズ・スルー・イット』ではアカデミー作曲賞の候補となった。他に『ヒッチャー』(1986)、『ハート・ブルー』(1991)、『クイズショウ』(1994)、『イン・ハー・シューズ』(2005)、『ブラック・ダリア』(2006)、『ボビー』(2006)など多数。


■ウィル・アイ・アム(音楽)

「レッツ・ゲット・スターテッド」などのヒット曲を持つ大人気グループ、ブラック・アイド・ピーズ(BEP)のリーダー的存在。彼が手がけた曲は、『ポセイドン』『最後の恋のはじめ方』『ビー・クール』などのサントラにも収録されており、また、人気シリーズ「ジョーイ」の音楽では、BMI・TVミュージック・アワードを受賞した。『ビー・クール』では、BEPのメンバーとして出演もしている。ウィル個人としては、メアリー・J・ブライジ、サンタナ、セルジオ・メンデスらのプロデュースも手がけ、さらにアパレルブランド「I Am Clothing」も発表するなど、多彩な才能を発揮している。


■マリー・ラモス(音楽監修)

現在まで50本以上の映画やTVの音楽制作に関わってきたラモスは、クエンティン・タランティーノの盟友であり、『パルプ・フィクション』(1994)、『ジャッキー・ブラウン』(1997)、『キル・ビル』(2003)など、彼のほとんどの作品で組んでいる。この他の作品に、『ビー・クール』(2005)、『ウェディング・プランナー』(2001)、タランティーノの新作『Grind House』(2007)などがある。