『ミリオンダラー・ベイビー』/"MILLION DOLLAR BABY"




2005年5月28日より丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にて公開

2004年/アメリカ/133分/カラー/DTS/ドルビーデジタル/SDDS/日本語字幕:戸田奈津子/原作:F・X・トゥール『ミリオンダラー・ベイビー』(ハヤカワ文庫刊)/サントラ盤:ジェネオン エンタテインメント ランブリング・レコーズ/提供:ポニーキャニオン、ムービーアイ、松竹、博報堂DYメディアパートナーズ、テレビ東京、WOWOW/配給:ムービーアイ、松竹共同配給

◇監督:クリント・イーストウッド ◇脚本:ポール・ハギス ◇原作:F・X・トゥール ◇製作:クリント・イーストウッド、ポール・ハギス、トム・ローゼンバーグ、アルバート・S・ラディ ◇製作総指揮:ロバート・ロレンツ、ゲイリー・ルチェッシ ◇共同製作:ボビー・モレスコ ◇撮影:トム・スターン ◇美術:ヘンリー・バムステッド ◇編集:ジョエル・コックス ◇音楽:クリント・イーストウッド

◇キャスト:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン、アンソニー・マッキー、ジェイ・バルチェル、マイク・コルター、ブライアン・F・オバーン、マーゴ・マーティンデイル、ネッド・アイゼンバーグ、ブルース・マクヴィッティ



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【解説】

全米中にわき上がる絶賛の声。アカデミー賞2部門に輝く『ミスティック・リバー』から1年、ハリウッドの頂点を極めたクリント・イーストウッドのまぎれもない最高傑作が、今ここに誕生した。

ゴールデン・グローブ賞の監督賞と主演女優賞の受賞に続き、本年度アカデミー賞では、作品・監督・主演男女優・脚色など、主要7部門にノミネート。「本年度のNO.1」(NYタイムズ)、「イーストウッドの最も感動的でエレガントな映画」(LAタイムズ)と、全米中のメディアの絶賛を浴びた本作は、実の娘に縁を絶たれた初老のトレーナーと、家族の愛に恵まれない女性ボクサーの間に育まれる崇高な絆の物語を、慈しむようなまなざしでみつめたヒューマンドラマ。ラスト30分、とめどなく流れる涙を、誰も抑えることはできない。そんな心に染みわたるような感動を、見る者の胸に深く刻みつける珠玉の名編だ。

トレーラー育ちの不遇な人生の中で、自分がひとつだけ誇れるのは、ボクシングの才能だけ。その思いを胸に、ロサンゼルスへやって来た31歳のマギー。彼女は、名トレーナーのフランキーに弟子入りを志願するが、フランキーは「女性ボクサーは取らない」と言ってマギーをすげなく追い返す。だが、これが最後のチャンスだと知るマギーは、フランキーのジムに入会し、黙々と練習を続ける。そんな彼女の真剣さに打たれ、ついにトレーナーを引き受けるフランキー。彼の指導のもと、めきめきと腕をあげたマギーは、試合で連覇を重ね、瞬く間にチャンピオンの座を狙うまでに成長。同時に、ふたりの間には、同じ孤独と喪失感を背負って生きる者同士の絆が芽生えていく。だが、彼らは知らなかった。その絆の真の意味を、試される時が来ることを……。

「これはシンプルなラブストーリー、父と娘のラブストーリーだ」。そう語るイーストウッドは、幼いころに唯一の理解者だった父を亡くしたマギーと、娘とのあいだに修復不可能な過去を持つフランキーが、お互いの中に「家族」を見出していく過程を細やかに描写。フランキーから「モー・クシュル(マイ・ダーリン)」という新しい名前を与えられたマギーの人生が、試合に勝つことではなく、フランキーに愛されることで輝きを帯びていくさまを、繊細なエピソードの積み重ねを通じて丁寧に描き上げていく。そして、エキサイティングなファイト・シーンの後に用意された衝撃の結末。提示されるのは、あまりにも悲しく、あまりにも切ない愛の形。自分のすべてを投げうって、マギーのたったひとつの願いをかなえようとするフランキーの思いは、イーストウッド自身が手がけた心揺さぶる音楽にのせ、私たちの心の奥深く、最も神聖な場所へと運ばれ、生涯消えることのない感慨となって残り続けていく。

シンプルなストーリーは、役者の演技によって重厚な輝きを放つ。そのことを誰よりも知っているイーストウッドは、自らフランキーに扮してカメラの前に立ち、重い十字架を背負った男の意地と苦悩、そして、マギーを育てることに贖罪の機会を見出していく男の生きざまを、物の見事に演じ切り、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。そんなイーストウッドに勝るとも劣らない名演を見せるのが、『ボーイズ・ドント・クライ』のオスカー女優ヒラリー・スワンクだ。3カ月のトレーニングを経てマギー役に挑んだ彼女は、全編吹き替えなしでボクシング・シーンに挑戦。その肉体的なチャレンジもさることながら、ボクサーというタフな役柄の中に、けなげさ、愛らしさが滲み出る堂々たるヒロインぶりを見せ、ゴールデン・グローブ賞をはじめとする数々の主演女優賞を受賞。アカデミー賞にも堂々の2度目のノミネートを果たした。

そしてもうひとり、忘れてならないのが、フランキーの唯一の友であり、マギーにハートのあるボクサーの素質を見出すスクラップを演じて4度目のアカデミー賞候補になったモーガン・フリーマンだ。彼の3度目のオスカー候補作『ショーシャンクの空に』と同様、物語はスクラップを語り部に進行していくが、そうした神の視点を持つキャラクターに、今回もフリーマンは抑制のきいた演技を見せ、唯一無比の存在感を発揮する。

F・X・トゥールの短編集"Rope Burns"におさめられた短編をベースに、セリフのひとつひとつが深い意味を持つ脚本を書き上げたのは、TVシリーズ"thirtysomething"でエミー賞、ヒューマニタス賞などを受賞し、映画デビュー作にあたる本作で、アカデミー賞候補にあがったポール・ハギス。スタッフには、撮影監督のトム・スターン以下、『ミスティック・リバー』を手がけたイーストウッド組のメンバーが集結。本作が記念すべき25本目の監督作となるイーストウッドを、力強くサポートしている。



 


【プロダクションノート】

◆キャラクターたちと物語

『ミリオンダラー・ベイビー』は、F・X・トゥールの短編集"Rope Burns"(日本語題「ミリオンダラー・ベイビー」ハヤカワ書房刊)におさめられた同名の短編をベースにしている。トゥールは、試合でリングにあがったボクサーの応急処置にあたるカットマンをしていた人物。その経験をいかして書き上げられた"Rope Burns"は、ボクシング人生の真髄をいきいきと捉えた作品集として、NYタイムズやLAタイムズのブック・オブ・ジ・イヤーにも選出されている。

これを脚色したポール・ハギスの脚本を読んだとき、クリント・イーストウッドが最も惹かれたのは、「それがボクシングの物語ではないこと」だった。イーストウッドは言う。「それは、自分の娘との疎遠な関係に苦しみ、必死でボクサーとして名をあげようとする若い女性の中に、自分の娘の姿を見出すひとりの人間のラブストーリーだったんだ」

実の娘を遠ざけてしまった自分を許すことができず、未開封のまま送り返されてくる手紙を毎週送り続けているフランキー・ダンについて、イーストウッドは次のように説明する。「フランキーは償いを探している。彼は、アイリッシュ・カトリックで、年を取り、教会と自分の娘との関係に幻滅している。娘に対するジレンマは、彼の心に激しく突き刺さり、彼の人生に大きな空洞を与えている」


さらに、フランキーは、スクラップとの関係において、もうひとつの重い過去を背負っている。スクラップのボクサー生命を絶つにいたった試合で、フランキーはスクラップのカットマンを務めていた。彼にはタオルを投げ入れる権利はなかったが、その試合を止める手だてをみつけることができたはずだった。が、そうしなかった自分を、彼は決して許すことができないでいる。「この出来事を、フランキーは強烈に受け止めている」と、イーストウッドは語る。「彼は、あの夜、スクラップを立たせ、戦わせ続けた。試合を止めさせることもできただろう、スクラップはひどい傷を負っていたからね。だが、フランキーはラウンドごとに止血し、スクラップにむごい戦いを続けさせたのだ」

そうした苦い体験から、フランキーは、「自分自身を守れ」をモットーにボクサーたちをトレーニングするようになったが、それはとりもなおさず、彼自身を守ろうとする必要性から出た言葉でもあった。「彼は過度に保守的になり、ボクサーたちの準備が整っていることを見極めることができない」と、イーストウッドは言う。「ボクサーを訓練しながらも、彼は心の中で半分引退してしまっているんだ」

その安全地帯から、フランキーを引きずり出そうとする人物が現れる。プロボクサーになる夢を追いかけて、ジムにやって来たマギー・フィッツジェラルドだ。オザークの貧民街で育ったマギーは、ボクシングの中に、目的と誇り、そして、彼女が知り得る幾ばくかの幸福感を見出している人物だ。ボクシングがなければ、自分が無に等しいことを知っている彼女は、31歳という年齢にもかかわらず、フランキーの元でボクサーになることを決してあきらめようとしない。その理由を、ヒラリー・スワンクは、こう説明する。「マギーにとって、ボクシングは逃げ道という以上に、愛情を傾けられるものだったの。それは私にも理解できるわ。私の家族もトレーラーハウスに住んでいたし、お金のある環境で育ったわけではないから。私は9歳で演技を始めた。好きだったし、ずっと続けたいと思った。つまり、マギーにつながる部分が私にもあったの」

最初、マギーからトレーナーになってくれと頼まれたフランキーは、自分自身の伝統的な価値観に従って、申し出を頑なに断り続ける。しかし、マギーの32歳の誕生日の夜、彼女の執拗な情熱の中に、突き刺すような痛みと絶望を垣間見たフランキーは、ついに態度を和らげ、マギーのトレーニングを引き受けることにする。イーストウッドは、ここが物語とキャラクターたちの転換点であると説明する。「フランキーが、最終的に彼女の訓練に同意したとき、物語はラブストーリーになる。ロマンティックなラブストーリーではないが、父と娘のラブストーリーになっていくんだ。マギーは、フランキーの人生の中で欠けている娘となり、フランキーは、マギーが幼くして亡くした父親となる。この関係を通して、フランキーは本当に彼自身を見出し、人格を復活させていくことになるんだ」

そんなマギーとフランキーとの関係と並行して、この物語の中では、フランキーとスクラップの友情にもスポットが当てられている。スクラップ役のモーガン・フリーマンは、ふたりの関係を、「年老いた夫婦のようだ」と説明する。「ふたりの悪意のない冗談には年期が入っている。フランキーは概して口の悪い男だが、スクラップは彼から離れようとしない。彼の奥深い善良な心がわかっているからだ。だが、その心は、フランキーがどうにも修復することのできない娘との関係によって粉々になっている。それが永遠の苦しみの根源であり、スクラップだけがその秘密を理解しているんだ」

フリーマンが、イーストウッド監督の作品に出演するのは、『許されざる者』に続いて2度目だが、「監督としてのクリントは、『許されざる者』の時とまったく変わらない」と、証言する。「彼はまったく邪魔をしない監督だ。どういうショットになるのかを説明し、歩く方向を示す。それから後は全部俳優に任せてくれる。彼とは、いつも楽しく仕事ができるよ」

一方、前作『ミスティック・リバー』で、ショーン・ペンとティム・ロビンスをオスカーの受賞に導いたイーストウッドは、自身の演出のモットーを「エゴをさしはさまないこと」であると説明する。「僕は、いい演技を作り出すのに必要な安心感、そして、不必要な不安感というものに気を配るようにしている。俳優には多くを表現してもらいたい。いいものが出ればそれでいいし、もしあまり良くないようなら、僕がそこを調整する。僕がすべてをやりやすくすれば、結果的に演技も良い方向へ向かう。監督が俳優のために仕事環境を整えれば、俳優はいい気分で演技できるからね」



◆マギー・フィッツジェラルド=ヒラリー・スワンク

情熱的でひたむきなボクサー、マギー・フィッツジェラルドの役は、肉体的にきつい努力を強いられるものだったが、ヒラリー・スワンクは、撮影前の3カ月だけで、ボクサーになりきる訓練をやり遂げた。イーストウッドは語る。「ヒラリーの演技については疑う余地はなかったが、この映画で彼女が成功するためには、かなりの訓練を積む必要があるだろうと思っていた。そして彼女はやり遂げた。仕事への姿勢は超一流だよ。映画全体を通して、ひとりの代役も使っていない。撮影中、ヒラリーは試合すべてを自分でやってのけたんだ」

スワンクは、ブルックリンにあるグリーソン・ジムでトレーニングを積んだが、そこで彼女の指導にあたったのは、インターナショナル・ボクシング・ダイジェスト誌に「世界最高のトレーナーのひとり」と称され、アイラン・バークレー、アーツロ・ガッティ、レジリオ・トゥール、バディ・マクガートといった数多くの世界チャンピオンを指導してきたヘクター・ロカだった。彼と過ごした3カ月間を、スワンクは次のように振り返る。


「ボクシングはやったことがなかったし、ちゃんと理解してもいなかったわ。ジムでヘクターと一緒に訓練したけど、初日は惨憺たるものだった。でも彼はとても我慢強く一生懸命で、厳しく私を指導してくれた。本当に限界まで追い込まれたの、もうこれ以上は進めないと思うところまでね。でも突然、突破口が現れる。そしてまた次、その次、さらに次へと進んでいく。正しいパンチの出し方を学んでいる時の感覚を覚えていようと思ったわ。おかげで、マギーがそこへ到達する時の演技に、その感覚を生かすことができたの」

ボクシングに加え、スワンクは、重量挙げの選手でありトレーナーでもあるグラント・ロバーツと共に毎日数時間訓練し、プロの運動選手にふさわしい筋肉をつけていった。さらに、4度世界チャンピオンになったルシア・レイカー("青い熊"ビリー役で出演)たちプロの女性ボクサーとのスパーリングを通じて、圧倒的に男性中心のスポーツの世界において、女性ボクサーであることがどういうものなのかを経験する機会にも恵まれた。スワンクは言う。「彼女たちの人生を見て、彼女たちが言いたいことを聞くチャンスを得たわ。彼女たちは、この映画が作られることを本当に喜んでいた。人々に、違った角度から女性ボクサーたちを見てもらい、敬意を払ってもらえればと願っているの。彼女たちは、男性ボクサーと同じように必死で取り組んでいるから。人の心にそういう意識をもたらすことに関われるなんて、うれしい限りだわ」

さらにスワンクは、こう先を続ける。「私が会ったボクサーたちは、スポーツを本当に愛し、本当に情熱的に関わっている。リングにいるあいだ、ボクサーは、3、4ラウンドの中に自分たちの訓練や辛い作業のすべてを注ぎ込む。それほど厳しく自分自身を追い込む姿は、本当に感動的だわ。短い期間だったけど、それを経験してみて、それが人間に輝きを与えてくれるものだということがわかったの。ボクシングは美しいスポーツよ。そして私は、そこでたくさんの素晴らしい人たちと出会えたの」



◆イーストウッドを支える超一流のスタッフ

『ミリオンダラー・ベイビー』の映像について、クリント・イーストウッドは、事前にはっきりとしたイメージを描いていた。「この映画には年代を感じさせたかった」と、彼は明かす。「映画の舞台は現代だが、僕はこの物語が、歴史の中のある別の時間に起こっているような感覚を捉えようとしていた。1940年代、1950年代、1960年代、1970年代のようでもありえる。僕は、この映画に時代を超越したクオリティを持たせたかったんだ」

その目的のために、イーストウッドが助力を求めたのは、『バード』『許されざる者』『ミスティック・リバー』などに携わってきた撮影監督のトム・スターンと、過去11作でコンビを組んでいるプロダクション・デザイナーのヘンリー・バムステッドだ。

バムステッドは、89歳という高齢だが、「いまだに彼は超一流だ」と、イーストウッドは絶大な信頼を寄せている。今回、映画の主要な舞台となるフランキーのジム、ヒット・ピットは、ロサンゼルスのダウンタウンにある空の倉庫の中に建設されたが、そのロケ地も、バムステッドとイーストウッドのあうんの呼吸によって決定したものだった。バムステッドは回想する。「ロケ場所を探しに探したあと、あの倉庫の写真を見たとき、まさにヒット・ピットだと思ったので、クリントに写真を見せたんだ。彼は出かけて行き、実際に見て、私に同意してくれた。それから作りたい設計図を彼に見せた。ふたつのリングを見下ろす台にフランキーのオフィスを置き、脚本で要求されているものをすべて配置した。クリントはそれを見て"完璧だ"と言ったよ」

ヒット・ピットをデザインするにあたり、バムステッドがとくに気を配ったのは、その場所を適切に老朽化させることだった。「私は老化に対して頑固なんだ」とバムステッドは語る。「壁と天井に使い込んだ艶を出すために艶出しをかける。照明器具や家具はずっとそこにあるように古びた感覚を出す。アシスタントの美術監督のジャック・タイラーをはじめとするスタッフたちが、私を盛り上げてくれた」

その他の撮影も、すべてロサンゼルス市内と近郊で行われた。おもなロケ地は、ベニス・ボードウォーク、イーグル・ロック、ハリウッド・ブルーバード、パサディナのレイク・アベニューなど。また、ボクシングの試合シーンには、近年多くのプロ・ボクシング試合が行われるグランド・オリンピック・オーディトリアムも使われている。



 


【ストーリー】

私の名は、スクラップ(モーガン・フリーマン)。ロサンゼルスのダウンタウンにある小さなボクシング・ジム、ヒット・ピットで、住み込みの雑用係をやっている。ボスのフランキー・ダン(クリント・イーストウッド)とは、かれこれ23年のつきあいになる。知り合ったのは、私がまだボクサーとしてリングにあがっていた時代だ。私が片方の目を失って現役を引退するまでの2年間、彼は、カットマンとして試合に付き添い、傷の手当てをしてくれた。その後、フランキーはトレーナーとなり、このジムを買い取って何人もの秀れたボクサーを育てた。そう、カットマンだったころと同じように、トレーナーとしての彼の腕も一流だ。だが、マネージャーとしては、お世辞にもやり手とは言えない。なぜなら、フランキーが愛しているのは、試合ではなくボクサーだからだ。「自分を守れ」。フランキーが、選手たちにたたき込む第一のルールが、これだ。タイトル・マッチのような大試合につきものの再起不能のリスクを、フランキーは、自分の選手に冒させようとしない。だから、成功を求めるボクサーたちは、みんな彼の元を去っていくというわけだ。


いま、リングの上で戦っているビッグ・ウィリー(マイク・コルター)も、まもなくフランキーの元を去る運命にあるボクサーのひとりだった。タイトル・マッチに「待った」をかけ続けるフランキーの言葉に忠実に従っていたウィリーだったが、ここにきて、自分が栄光のチャンスを逃がしかけていることに気づいたらしい。まもなく彼は、やり手マネージャーのミッキー・マック(ブルース・マクヴィッティ)に引き抜かれ、タイトル・マッチの誘いに応じることになる。

そんなウィリーと入れ替わるように、私たちのジムにやって来たのが、マギー・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)だった。

「私のトレーナーになって」。それが、マギーからフランキーへのプロポーズの言葉だった。だが、フランキーには、女性ボクサーを育てる気などさらさらない。彼はにべもなく断ったが、マギーは私に半年分の会費を前払いすると、手首をへし折りそうな勢いでサンドバッグを叩き始めた。

マギーの出身は、ミズーリ州のセオドシア。苦労の多い人生を歩んできた娘であることは、ひと目見ればわかる。ウェイトレスの仕事をかけもちしながら、残りの時間をすべて練習に費やしている彼女は、やる気ではこのジムの誰にも負けていなかった。何の助言も受けられず、深夜までひとり黙々と練習を続ける彼女を気の毒に思った私は、サンドバッグの叩き方のコツを教え、フランキーの使い古したスピードバッグを貸し出してやった。

だが、フランキーは、そんな私の善意がお気に召さなかったらしい。マギーがスピードバッグを叩いているのに気づいた彼は、「俺の道具を使っていると、俺がトレーナーだと人に誤解されかねない」と言い、マギーのいちばんの急所に言葉のジャブを浴びせた。その急所とは、31歳という年齢と、一度も正規のトレーニングを受けていないことだ。「プロを育てるには4年必要だ。31歳でバレリーナを志すか?」。毒を含んだフランキーの言葉に、マギーが唇を噛みしめる。するとフランキーは、急にスピードバッグを取り返す気力をなくしてしまったようだ。この勝負は、マギーの勝ちだ。

そんなフランキーとマギーの関係に大きな変化が生じたのは、ビッグ・ウィリーのタイトル・マッチがテレビで放映された夜のことだった。ウィリーの勝利に終わった試合のあと、チーズバーガーの差し入れを持って私の部屋を訪ねて来たフランキーは、マギーがひとりジムに居残って、新品の自分のスピードバッグ相手に誕生日を祝っていることを私に聞かされると、彼女の様子を見に行った。「いくつになった?」。フランキーの問いに、マギーが答える。「32歳」。そして彼女の口からは、堰を切ったように言葉が溢れ出た。「また1年が過ぎたわ、13のときからウェイトレスをし続けてね。知ってる? 私の弟は刑務所。妹は不正申請で生活保護。父は死に、母は145キロのデブ。本当なら故郷へ帰って、中古トレーラーで暮らすべきなのよ。でもこれが楽しいの。年だなんて言わないで」

そのときフランキーは気づいた。マギーの人生からボクシングを取り上げたら、彼女には何も残らないという真実に。結局彼は、ちょっとばかり自分の正気を疑いながらも、マギーのトレーナーになることを引き受けたのだった。

「何も質問するな。泣き言は聞かん」。フランキーの言いつけに、彼を「ボス」と呼ぶマギーは素直に従った。そして、瞬く間に試合に出られるまでに腕をあげていったが、それは、フランキーが彼女を手放すことも意味していた。最初から、マギーの試合のマネージメントはやらないと決めていたフランキーは、彼女をなじみのマネージャーのサリー(ネッド・アイゼンバーグ)に紹介する。「あとは俺の知ったことじゃない」というわけだ。

だがフランキーは、マギーの初試合を観に行かずにはいられなかった。そして、サリーが別の試合を有利に組むためにマギーを強豪選手と対戦させたのを知ると、リング・サイドに駆け込んでサリーを追っ払い、自分がマギーのマネージャーだと名乗りをあげた。もちろん、フランキーに見捨てられたと感じていたマギーは、大喜びだ。「うまく相手を誘いこんで、"右から来る"と思ったら、サッと体をかわし、フックで仕留めるんだ」。ボスのアドバイスを胸に、リングに飛び出していくマギー。そのラウンドで、彼女は見事なKO勝ちをおさめた。

それからというもの、マギーは負けなしの快進撃を続けた。ひとつだけ困ったことは、彼女が第1ラウンドの立ち上がりで相手をKOしてしまうことだ。そのせいで、マギーは対戦相手に事欠くようになり、フランキーは、彼女に試合をさせるべく、相手のマネージャーに袖の下を払うはめになった。


やがてマギーはワン・ランク上の級へ進出。最初の試合で鼻をへし折る大苦戦を強いられたものの、連続12試合KO勝ちをおさめた彼女の元には、WBAウェルター級のタイトル・マッチや、英国チャンピオンからの試合のオファーが来るようになった。しかしフランキーには、それに応じるリスクを負うだけの覚悟はない。そのことを知っている私は、ある晩、マギーをダイナーに誘い出し、それとなくミッキー・マックに会わせることにした。彼女もそろそろ、フランキーの元を巣立つ潮時だと思ったからだ。だがマギーは、出会い頭にミッキーに先制パンチを食らわせた。「私にはダンさんがいる。話しても時間のムダです」と言って。

フランキーが、英国チャンピオンとの試合を引き受けることにしたのは、その直後のことだ。何がきっかけかは、わからない。もしかしたら、彼が娘に出した何100通目かの手紙が、いつものように送り返されてきたことが原因かもしれない。ともかくも、マギーとふたりでイギリスに乗り込んでいったフランキーは、まったくもって彼の柄にないことをした。女性にプレゼントを、「モ・クシュラ」というゲール語の刺繍をほどこした試合用のガウンを、マギーに贈ったのだ。

マギーには、「モ・クシュラ」の意味がさっぱりわからなかったが、それは、会場のほとんどを占めるアイルランド人観客の心を捉えた。自分よりも若く、強く、経験豊富な相手に、果敢に立ち向かっていくマギーの姿に、観客たちは熱狂。会場には「モ・クシュラ!」の大声援がわきあがった。それを背に、マギーは英国チャンピオンに快勝。さらに、その後のヨーロッパ転戦でもめざましい戦績をあげ、「モ・クシュラ」というマギーの新しい名前は、あまねくボクシング・ファンのあいだに知られるものとなった。

マギーが、フランキーのアドバイスに忠実に従う人間であることを証明したのは、彼らがアメリカに凱旋してまもなくのことだ。「小金が貯まったら家を買え」というフランキーの言葉どおり、マギーは、母親のためにミズーリに小さな家を購入したのだ。フランキーを連れて母のアーリーン(マーゴ・マーティンデイル)に会いに行ったマギーは、母と妹を新しい家に案内すると、誇らしげに鍵を手渡した。だが、予想に反して、そこに感動的な光景は見られなかった。「家ではなく、金をくれればよかったのに」とゴネる母親の姿は、マギーに、自分の本当の家族が誰であるかを知らしめることになった。

気まずい思いでたどる帰り道、マギーはフランキーに言った。「私には、もうあなたしかいない」。「頼りにしていい、いいマネージャーが付くまではね」。そう答えたフランキーも、心の中ではこう言っていたはずだ。「俺にもお前しかいない」と。

そしていよいよ、100万ドルのファイトマネーを賭けたタイトル・マッチの日がやって来た。対戦相手は、汚い手を使うことで知られるドイツ人ボクサー、"青い熊"ビリーだ。会場はラスベガス。いつものように「モ・クシュラ」のコールが巻き起こる中、グリーンのガウンを翻して、マギーが颯爽とリングにあがる。だが、その時の彼女は、まだ知らなかった。自分の前に、どんな過酷な運命が待ち受けているのかを……。





 


【キャスト&スタッフ】

■クリント・イーストウッド(監督・音楽/フランキー・ダン)

半世紀におよぶキャリアを通じて、俳優、監督、プロデューサーとして成功をおさめてきたイーストウッドは、ハリウッドで最も尊敬を集める映画作家のひとりだ。


1930年5月31日、米カリフォルニア州サンフランシスコに生まれ、オークランドで育つ。陸軍を除隊後、ロサンゼルス・シティ・カレッジで演技を学び、1955年にユニヴァーサルと契約。TVシリーズの「ローハイド」で人気を得たのち、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964)に主演し、一躍マカロニ・ウェスタンのスターとなる。さらに、ドン・シーゲル監督と組んだ『ダーティハリー』(1971)で、ハリウッドのドル箱スターの座を不動のものにした。同年には、『恐怖のメロディ』で監督デビュー。以降、『荒野のストレンジャー』(1972)、『アイガー・サンクション』(1975)、『アウトロー』(1976)、『ガントレット』(1977)、『ブロンコ・ビリー』(1980)、『ファイヤーフォックス』(1982)、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)、『ダーティハリー4』(1983)、『ペイルライダー』(1985)といった監督作を通じて、アクション映画の名手の地位を確立。1986年から2年間、カーメル市長として活躍したのち、1988年にチャーリー・パーカーの伝記映画『バード』をカンヌ映画祭で発表し、ゴールデン・グローブ賞の監督賞に輝いた。その後、『ハートブレイクリッジ/勝利の戦場』(1986)、『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)、『ルーキー』(1990)の3作を監督。1992年には、恩師レオーネとシーゲルに捧げた西部劇『許されざる者』で、アカデミー賞の作品賞と監督賞、ゴールデン・グローブ賞の監督賞、アメリカ監督組合賞、全米批評家協会賞の作品賞と監督賞などを受賞。ハリウッドを代表する巨匠の仲間入りを果たした。以降は、『マディソン郡の橋』(1995)、『真夜中のサバナ』(1997)、『目撃』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『ブラッド・ワーク』(2002)など、ベストセラー小説の映画化に熟練の腕を発揮。2003年には、デニス・ルヘインの原作を映画化した『ミスティック・リバー』で、再びアカデミー賞の作品賞と監督賞、アメリカ監督組合賞、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされ、全米映画批評家協会賞の監督賞、ロンドン批評家協会賞の監督賞、セザール賞の外国語映画賞など多数の賞を受賞した。他の監督作は、『愛のそよ風』(1973)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『スペース カウボーイ』(2000)など。俳優としては、2003年に映画俳優組合賞の栄えあるライフアチーブメント賞を受賞している。

本作で、イーストウッドは、ゴールデン・グローブ賞、NY映画批評家協会賞、シカゴ映画批評家協会賞、サンディエゴ映画批評家協会賞、シアトル映画批評家賞の監督賞を受賞。アカデミー賞では、監督賞と主演男優賞の2部門にノミネートされ、2度目の監督賞を受賞した。



■ヒラリー・スワンク(マギー・フィッツジェラルド)

1974年7月30日、米ネブラスカ州リンカーンに生まれ、ワシントン州のベリンガムで育つ。幼い頃から女優を志し、9歳で「ジャングル・ブック」の舞台に主演。以降、ベリンガムのローカル・シアターや学校演劇で活躍した。同時にスポーツにも万能ぶりを発揮し、水泳のジュニア・オリンピックの選考会に参加。体育全般では、州内で5位の成績を記録した。1990年には、本格的に女優をめざし、母と共にLAに移住。『バッフィ/ザ・バンパイア・キラー』(1992)で映画デビューを飾ったのち、何100人もの候補者の中から選ばれて『ベスト・キッド4』(1994)のヒロインの座を獲得。1997年からは、TVシリーズ「ビバリーヒルズ青春白書」にカーリー・レイノルズ役で出演し、人気を集めた。その後、キンバリー・ピアース監督の『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)で、性同一性障害を持つヒロインを熱演。アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞をはじめ、合計20の映画賞の主演女優賞を総なめにし、2000年のショー・ウェスト・コンベンションで明日のスターに選出された。以降、若手でトップクラスの演技派女優として、『ギフト』(2000)、『マリー・アントワネットの首飾り』(2001)、『インソムニア』(2002)、『ザ・コア』(2003)などに出演。本作でも、ゴールデン・グローブ賞、全米映画批評家協会賞をはじめ、数々の主演女優賞を受賞し、アカデミー賞で2度目の主演女優賞を獲得。新作は、キウェテル・イジョフォー共演の"Red Dust"。

私生活では、1997年9月28日に俳優のチャド・ロウと結婚。仲むつまじいおしどりカップルとして知られている。



■モーガン・フリーマン(スクラップ)

1937年6月1日、米テネシー州メンフィス生まれ。ニューヨークの演劇界で名声を築いたのち、子供向けのTVシリーズ"The Elecrtic Compay"(1971)で幅広い人気を獲得。同時期、映画にも進出し、1987年の『NYストリート・スマート』でLA映画批評家協会賞、NY映画批評家協会賞の助演男優賞を受賞、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の候補にもなった。ハリウッドでの名声を決定づけたのは、オビー賞を受賞した舞台の当たり役を演じた『ドライビング Miss デイジー』(1989)。この作品でアカデミー主演男優賞の候補となり、ゴールデン・グローブ賞とナショナル・ボード・オブ・レビューの主演男優賞を受賞。以降、現在まで30本近い映画に出演し、得難い名優ぶりを発揮している。その中の1本『ショーシャンクの空に』(1994)では、三度アカデミー賞にノミネート。また、イーストウッド監督とは、1992年の『許されざる者』でコンビを組んだ。その他の主な出演作は、『ブルベイカー』(1980)、『目撃者』(1981)、『りんご白書』(1984)、『ワイルド・チェンジ』(1989)、『グローリー』(1989)、『ロビン・フッド』(1991)、『パワー・オブ・ワン』(1992)、『セブン』(1995)、『アウト・ブレイク』(1995)、『モル・フランダース』(1996)、『チェーン・リアクション』(1996)、『コレクター』(1997)、『アミスタッド』(1997)、『ディープ・インパクト』(1998)、『ベティ・サイズモア』(2000)、『スパイダー』(2001)、『トータル・フィアーズ』(2002)、『ハイ・クライムズ』(2002)、『チェンジング・レーン』(2002)『ブルース・オールマイティ』(2003)など。1993年には『ボッパ!』で監督に初挑戦し、批評家から高い評価を得た。新作に、ジェット・リー共演の"Unleashed"(2005)、ラッセ・ハルストレム監督の"An Unfinished Life"(2005)がある。

本作で、フリーマンは、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、俳優組合賞、放送映画批評家協会賞の助演男優賞候補になり、念願のオスカーを手にした。



■アルバート・S・ラディ(製作)

アルバート・S・ラディは、『ゴッドファーザー』(1972)のプロデューサーとしてアカデミー作品賞を受賞したが、そのときプレゼンターとしてオスカー像を渡したのが、クリント・イーストウッドだった。以降30年以上に渡り、ハリウッドの第一線で活躍し続けているラディが製作を手がけた作品には、原案も兼ねた『ロンゲスト・ヤード』(1974)、『キャノンボール』(1980)、『バッド・ガールズ』(1994)、『ヘブンズ・プリズナー』(1996)などがある。


■トム・ローゼンバーグ(製作)

ビーコン・コミュニケーションズの共同創立者として、『ザ・コミットメンツ』(1991)、『ケロッグ博士』(1994)などの製作総指揮を担当。レイクショア・エンターテインメントを創立してからは、『プリティ・ブライド』(1999)、『ギフト』(2000)、『オータム・イン・ニューヨーク』(2000)、『プロフェシー』(2002)、『アンダーワールド』(2003)、『白いカラス』(2003)、『サスペクト・ゼロ』(2003)、『ホワイト・ライズ』(2004)などの製作を手がけた。


■ポール・ハギス(製作・脚本)

人気TVシリーズ"thirtysomething"の脚本家として、1988年にエミー賞2部門とヒューマニタス賞を受賞。また、TVシリーズ"Due South"(1994)では、1995、1996年のジェミニ賞を受賞し、批評家に絶賛されたTVシリーズ"Ez Streets"(1996)では、ヴュワーズ・フォー・クオリティ・テレヴィジョン賞のファウンダーズ賞を受賞している。その他、脚本に参加したTVシリーズは、"City"(1990)、"Michael Hayes"(1997)、"Family Law"(1999)、"Mister Sterling"(2003)など。TVムービーの「帰ってきたむく犬」(1987)の脚本と、「炎のテキサス・レンジャー」(1993)の企画も手がけている。次回作は、サンドラ・ブロック、ドン・チードルらを主演に迎えた"Crash"(2004/2005年全米公開予定)で、監督としてもデビューを飾っている。

本作で、ハギスは、アカデミー賞、アメリカ脚本家組合賞の脚本賞にノミネートされ、USCスクリプター賞とゴールデン・サテライト賞を受賞した。



■ロバート・ロレンツ(製作総指揮)

『マディソン郡の橋』(1995)で第2助監督をつとめたのち、『目撃』(1997)で助監督に昇格。『真夜中のサバナ』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペースカウボーイ』(2000)『ブラッド・ワーク』(2002)と『ミスティック・リバー』(2003)でも助監督をつとめると同時に、マルパソ・プロダクションの製作部門の責任者として、『ブラッド・ワーク』(2002)の製作総指揮と、『ミスティック・リバー』(2003)の製作を手がけた。


■ゲイリー・ルチェッシ(製作総指揮)

ブルース・ロビンソン監督の『ジェニファー8』(1992)からプロデューサーのキャリアをスタート。これまで製作を手がけた作品に、『バーチュオシティ』(1995)、『真実の行方』(1996)、『オータム・イン・ニューヨーク』(2000)、『プロフェシー』(2002)、『白いカラス』(2003)、『アンダーワールド』(2003)、『サスペクト・ゼロ』(2004)、『ホワイト・ライズ』(2004)などがある。


■ボビー・モレスコ(共同製作)

ポール・ハギス脚本のTVシリーズ"EZ Streets"(1996)の共同製作、自らライターも兼ねたTVシリーズ"Millennium"(1996)の共同プロデュースと、"Falcone"(2000)の製作総指揮を担当。ポール・ハギス監督の"Crash"(2004)の製作も手がけている。また、デニス・ホッパー、ジェームズ・マースデンらが出演する"10th & Wolf"(2006)では、監督と脚本もつとめている。


■トム・スターン(撮影監督)

照明の技術スタッフとして、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)、『タイトロープ』(1984)、『ダーティハリー4』(1984)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイクリッジ/勝利の戦場』(1986)などのイーストウッド作品に参加。『バード』(1988)で照明コンサルタントをつとめたのち、『ルーキー』(1990)、『許されざる者』(1992)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『スペースカウボーイ』(2000)で主任照明技師をつとめた。撮影監督デビューは、『ブラッド・ワーク』(2002)。前作の『ミスティック・リバー』(2003)では、ゴールデン・サテライト賞にノミネートされた。イーストウッド作品以外では、ローディ・ヘリントン監督の"Bobby Jones, Stroke of Genius"(2004)と、ジョン・タトゥーロ監督の"Romance & Cigarettes"(2005)の撮影を手がけている。


■ヘンリー・バムステッド(プロダクション・デザイン)

アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958)で初のアカデミー賞候補となり、『アラバマ物語』(1962)と『スティング』(1973)で同賞を受賞。その後、イーストウッド監督の『許されざる者』(1992)でもオスカーにノミネートされた。以降、『パーフェクト・ワールド』(1994)、『目撃』(1997)、『真夜中のサバナ』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペースカウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)のプロダクション・デザインを担当している。イーストウッドとのコンビ以外の代表作に、『トパーズ』(1969)、『ファミリー・プロット』(1976)、『リトル・ロマンス』(1979)、『ガープの世界』(1982)、『リトル・ドラマー・ガール』(1984)、『ゴースト・パパ』(1990)、『ケープ・フィアー』(1991)などがある。

本作で、バムステッドは、美術監督組合賞にノミネートされた。



■ジョエル・コックス(編集)

フェリス・ウェブスターのアシスタントとして『アウトロー』(1975)の編集を手がけて以来、イーストウッドの主演作、監督作の編集を、20作以上手がけてきた。ウェブスターとの共同編集作品は、『ダーティハリー3』(1976)、『ガントレット』(1977)、『ダーティファイター』(1978)、『アルカトラズからの脱出』(1979)、『ブロンコ・ビリー』(1980)、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)など。『ダーティハリー4』(1983)以降は、単独で、『タイトロープ』(1984)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイクリッジ/勝利の戦場』(1986)、『ダーティハリー5』(1988)、『ピンク・キャデラック』(1989)、『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)、『ルーキー』(1990)の編集を担当。『許されざる者』(1992)でアカデミー賞の編集部門を受賞したのちも、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『マディソン郡の橋』(1995)、『目撃』(1997)、『真夜中のサバナ』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペースカウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)のイーストウッド作品を手がけている。トム・スターン、ヘンリー・バムステッドと並ぶ主要なイーストウッド組のメンバーだ。

本作で、コックスは、アカデミー賞とアメリカ映画編集者賞にノミネートされた。