『ボーイズ・ドント・クライ』/"BOYS DON'T CRY"


ボーイズ・ドント・クライ [DVD]
2000年7月8日よりシネマライズにて公開

1999年/アメリカ/1時間59分/カラー/ドルビーSR SRD/字幕スーパー翻訳:松浦美奈/配給:20世紀FOX映画

◇監督:キンバリー・ピアース ◇脚本:キンバリー・ピアース、アンディ・ビーネン ◇製作:ジェフリー・シャープ、ジョン・ハート、エバ・コロドナー、クリスティーン・ヴァッジョン ◇製作総指揮:パメラ・コフラー、ジョナサン・セリング、キャロライン・カプラン、ジョン・スロス ◇共同製作:モートン・スウィンスキー ◇製作補:ブラッドフォード・シンプソン ◇撮影:ジム・デノールト ◇編集:リー・パーシー、A.C.E.、トレイシー・グレンジャー ◇プロダクション・デザイナー:マイケル・ショウ ◇衣裳デザイナー:ビクトリア・ファレル ◇音楽スーパーバイザー:ランドール・ポスター ◇音楽:ネーサン・ラーソン ◇ライン・プロデューサー:ジル・フットリック ◇キャスティング:ビリー・ホプキンス、スザンヌ・スミス、ケリー・バーデン、ジェニファー・マクナマラ

◇キャスト:ヒラリー・スワンク(ブランドン・ティーナ)、クロエ・セヴィニー(ラナ)、ピーター・サースガード(ジョン)、ブレンダン・セクストン三世(トム)、アリソン・フォーランド(ケイト)、アリシア・ゴランソン(キャンディス)、マット・マクグラス(ロニー)、ロブ・キャンベル(ブライアン)、ジャネッタ・アーネット(ラナの母親)



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【解説】

◆これは勇気の物語です。自分がそうあるべき人生、そうなりたいと思った人生を生きた女性の物語です。(ヒラリー・スワンク)

1993年、ネブラスカ州フォールズ・シティ。アメリカの心臓部に位置するこの町で、衝撃的な事件が発生した。町外れの傾きかけた農家で、二人の“女性”の死体が発見されたのだ。最初は単に血なまぐさい殺人事件と思われていたが、やがて被害者の一人、ブランドン・ティーナと犯人たちの物語が明らかになるにつれ、その背景が想像よりはるかに根深いことがわかってきた。

ブランドン・ティーナは澄んだ瞳が美しい小柄な青年だった。小さな町外れのコミュニティーに突然現れたこの青年には、不思議なカリスマ性が備わっていた。だれもが彼のチャーミングな雰囲気に引き寄せられ、女たちは憧れの眼で見つめた。しかし、彼には重大な秘密があった。彼はみんなが思っているような“彼”ではなかったのだ。 表面的には女性たちの理想のボーイフレンドだったブランドン。しかし実は“彼”はティーナ・ブランドンという女性だった。性同一障害によって間違った肉体の中に閉じ込められてしまったティーナは、ブランドンとして生きる道を選んだ。ブランドンはラナと出会い、恋に落ちた。ラナはすべてを理解した上で、ブランドンを愛した。しかし、彼の秘密が明らかになったとき、悲劇の幕が切って落とされる―。

『ボーイズ・ドント・クライ』はアメリカで最も保守的といわれる地域で起こった実話をもとに、ブランドン・ティーナの生と死を通して、アメリカの若者の心を探ろうとする。と同時に、性的アイデンティティのあり方について考え、同性愛に対する嫌悪と不寛容の本質に鋭く迫っていく。混沌と欲望と暴力の立ちこめるこの映画の中から現れてくるのは、愛を求めてさまよえるアメリカ人の姿なのだ。

センセーショナルな事件を真摯に見据え、ドラマチックでパワフルな映画を作り上げたのは、これが初の劇場用長編映画となる女性監督キンバリー・ピアース。ロサンゼルス・タイムズが昨年末に大々的に特集したアメリカ映画の“ニュー・ニュー・ウェーブ”の記事でも、『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟、『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン、『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン、『ザ・ビーチ』のダニー・ボイルらと並び、21世紀のアメリカ映画を担う才能として大きく取り上げられている。彼女は関係者へのインタビューに自分の想像力を加えながら、ブランドンの心と魂を探り、謎に満ちた物語を再構築していく。フィクションとノンフィクションを巧妙に混ぜ合わせることによって、事実の裏にある真実を見つめ、ブランドンの人生を浮き彫りにするのだ。

彼女は、単に病理学的な見地での回答を与えようとはしないし、ブランドンを神格化することもない。だれかを裁いたり、悲劇を生んだ社会的環境を安易に批判するのではなく、冷静に、品格をもって、主人公たちの心の痛みを伝えようとする。

ピアース監督は、トルーマン・カポーティやノーマン・メイラーらが切り開いたジャーナリスティックな“ノンフィクション・ノベル”や、『俺たちに明日はない』『地獄の逃避行』などのアメリカ犯罪映画にインスピレーションを受けたと言う。飾り気を取り払った率直な語り口だからこそ、心に響く少年たちの生き様。それは、閉鎖的な田舎町での息詰まるような生活に倦み疲れたアウトサイダーの、純粋なラブ・ストーリーと見ることもできよう。多様化した価値観が複雑に絡み合う現代における、もう一つの「理由なき反抗」といえるかもしれない。ブランドンとラナは、ジェームズ・ディーンやナタリー・ウッドと同じように、愛とアイデンティティと“家”を求めてもがいていたのである。

そして、この映画が成功した最大の要因は、ブランドンに扮したヒラリー・スワンクの並外れた存在にある。美しい瞳と角張ったあご、華奢でスリムな肉体はイノセントな少年そのもので、ブランドンの持っていたカリスマ性をうかがわせる。また、『KIDS』『Gummo』などで強烈な印象を残すクロエ・セヴィニーがセクシーな恋人ラナに扮し、ブランドンの“秘密”を受け入れていく過程を説得力をもって演じている。『ウェルカム・ドールハウス』『ハリケーン・クラブ』のブレンダン・セクストン三世、『仮面の男』『アナザー・デイ・イン・パラダイス』のピーター・サースガードらも、リアルな演技でこの物語を真実味のあるものにしている。

なお、この作品は1999年ベネチア映画祭の現代映画部門、トロント映画祭の現代映画部門、ニューヨーク映画祭で上映されて好評を博し、ヨーロッパ映画賞では非ヨーロッパ映画部門にノミネート。シカゴ映画祭で最優秀女優賞(ヒラリー・スワンク)に輝き、ストックホルム映画祭では最優秀脚本賞、最優秀女優賞、国際批評家連盟賞、観客賞を総なめ、さらに、全米批評家協会賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞の他に、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門で主演女優賞を受賞するなど、今年の映画賞レースのダークホース的存在となっている。



 




【プロダクションノート】

★映画化への5年間の旅の始まり

1993年、ブランドン・ティーナ殺人事件が起こった時、町の人々はみな彼が“女性”であったことに驚いた。翌94年、当時コロンビア大学院生であったピアース監督は事件の記事を初めて読み、この“ミステリー”に興味を惹かれた。

「ブランドンは殺されて数カ月でイコンになってしまった人物。彼は男性にとっては女性であり、こそ泥であり、嫌悪すべき犯罪の犠牲者でもある。彼の物語を語る上で重要なのは、そうした要素の下に隠されている“人間”を見つけることだったわ。彼が何者かを考えると、彼の精神力、想像力がどんなにパワフルだったかが見えてくるの。彼の心の中で何が起き、どうやって思い通りの青年に自分を作り上げていったか。そして、どうやって多くの人の心を惹きつけ、なぜあのような激しい報復を受けたのか。それをちゃんと説明するのは価値ある仕事だと思ったの。」それ以来、監督の5年にわたる長い映画製作の旅が始まった。



★真実のブランドンへのアプローチ

ブランドンが何者なのか?なぜ彼の愛が周囲にとっては脅威となり、破壊へと向かっていったのか?その答えは事件が起こったフォールズ・シティにあった。ピアース監督はまず裁判の傍聴記録、マスコミ報道を読みあさった。ブランドンが愛したラナ本人はもちろんのこと、ラナの母親、シェリフ、ソーシャルワーカー、地元の若者にも話を聞いた。ブランドンの友だちやガールフレンドは「彼は本当に可愛かった。完全な紳士だった。女性がどう扱われたいかを知っていた。」と証言した。彼の作り上げた男性像があまりに見事だったので、親しい者は彼を疑う事を拒否し、ときには美化してさえいた。インタビューを重ねるにつれ、人の話は微妙に変化していき、信憑性のある事実はほんのわずかしかないことがわかった。

「未だに床に血の跡が残る農家に座っていたとき、この町で辿ったブランドンの足跡が一つにまとまり、ブランドンを生き返らせなければと思ったの。」とピアースは語る。「ラナは私とのインタビューの間、ずっと嘘をついていたと思うけれど、その嘘がブランドンとの関係を物語っていると思う。感情的な真実は自ずと溢れ出るものだから、溢れ出たものがブランドンと彼女の愛であり、それをどう描くかを映画の核にしたかったの。自分の人生と経験上の真実とブランドン神話との接点を探し、そこからこの物語に流れている真実を浮かび上がらせようと考えたわ。そうすれば、本当に起こったことよりも多少は真実に近い物語を伝えることができるだろうと」。



★映画にインスピレーションを与えた小説と映画

ピアース監督は、事実とそれよりはるかに深い物語を伝えるための真実の間にある細い線の上を歩くために、ノーマン・メイラーの『死刑執行人の歌』やトルーマン・カポーティの『冷血』など、アメリカの犯罪に関する現代文学からインスピレーションを得た。また、アン・ルールによる心理学的研究書『私の中の殺人者』や『スカーフェイス』『明日に向かって撃て!』『俺たちに明日はない』『地獄の逃避行』『狼たちの午後』『グッドフェローズ』などの犯罪映画も参考にしたという。


★特異な神話を生み出す場所

ピアースは小さな町の犯罪を解剖するために、アメリカの伝統を見つめた。彼女は次のように分析する。 「アメリカ人は極端が好きで、中西部の荒涼とした風景の中では、暴力と夢はそれだけで際だってしまうわ。とてもたくさんのコントラストがあるの。そもそも、畑や農場ほどアメリカを象徴するものはないのに、抑圧されている者にとってはその地域は必ずしも見た通りの場所ではないのね。そこでは暴力と恐怖、失望と愛が、人生以上に大きなものになってしまう。特異な神話が生まれるのはそんな場所なのよ」。


★欲望にどう対処するかの物語

ブランドンの物語はタブロイド紙が好む格好の話題だった。扱い方によっては毒々しいセンセーショナリズムに堕としてしまうが、プロジェクトに関わった人々は皆この映画をそのようなものにしようとは思わなかった。

「この物語にはたくさんの欲望が織り込まれているの。ブランドンとラナの情熱的な愛の欲望、ブランドンに対する周囲の人々の隠された欲望、ブランドンを自分の思い通りにしようとする彼らの欲望。単に殺された人の物語より、このような物語の方がはるかに心惹かれるものよ。これは人が自分の欲望にどう対処するかの物語でもあるの」と、プロデューサーのエバ・コロドナーは語る。



★ブランドンを体現する女優

ピアース監督は、ブランドンの精神を理解するだけでなく、彼がそうだったように男性として通用する女優を探さねばならなかった。2年半以上にわたって、何百人もの女優のオーディションを行ったが、なかなかぴったりの人に出会うことはなかった。

ヒラリー・スワンクはフランネルのシャツにカウボーイ・ハットをかぶってオーディションに現れた。コロドナーは「角張ったあごと、とても魅力的で愛さずにいられない個性的な笑顔。みんなの夢を反映していたわ」と当時を振り返る。また、ピアースは言う。「ヒラリーにはブランドンの大胆さが備わっていて、みんなが圧倒されたの。私は初めてブランドンの精神とユーモアのセンスを兼ね備えた人物に出会ったのよ」。



★ヒラリー・スワンクは語る

ヒラリー・スワンクは、これまでのキャリアで最も複雑な人物を演じることになった。彼女自身もネブラスカ州の出身だが、脚本を読むまでブランドンという名前を聞いたことはなかったという。

「これは勇気の物語。自分がそうあるべき人生、そうなりたいと思った人生を生きた女性の物語だと思ったの。私はブランドンを、夢を追いかけ、受け入れてもらおうと努力している人間として演じたかった。その部分ではだれもが共感できると思うわ。でも、ブランドンは人々に受け入れられるために、その土地の持つ罠にはまり、ルールをすべて破ってしまったの。みんながブランドンに惹かれたのは、彼が楽しい人間だったからだと思うの。彼は最大限に自分の人生を生き、夢を追いかけてた。人間はそういう人物に魅了されるものだから。でも同時にそれを脅威と感じる者もいて、引きずり下ろそうとする。ブランドンはその対象でもあったのよ」。



★“男”になる訓練

ブランドン役を手に入れると、スワンクは徹底的に性転換を行った。6週間、声を低くするためのボイス・トレーニングを受け、ワークアウトをして細身の筋肉質に体型を変えていった。長かった髪もバッサリ切り落とした。

ピアース監督はスワンクに4週間、男として暮らすことを命じた。ただ座っているのではなく、ショッピングに出かけたり、外にいる見知らぬ女の子たちに話かけたりすること、そして、そのような行動や体験を日記に書くように言った。

スワンクは語る。「男として通用することが大切だとわかってた。だから実地にテストができてよかったわ。みんな、私が男だと思って話しかけてきたの。私は彼らの反応に夢中だったし、いつも見破られないかと彼らの目を見つめてた。だからブランドンの気持ちもよくわかったわ。彼女にとっては、男になることは演じることではなく、人生そのものだったんですもの」。

スワンクはリハーサルの初日から男としてクルーの前に登場した。セットの中ではだれもが彼女を男として扱った。「あまりにもみんなが自然に男として対応してくれるので、ときにはヒラリーに戻るのに苦労しちゃった」と彼女は笑う。

「映画の撮影が終わった後も、私の性別に混乱している人がいたのはおかしかったわ。夫と一緒にレストランに行ったら、“サー”って呼ばれたの。外見って本当に面白いものね。それを知ったことがこの映画に出た収穫だった。性別の問題だけではなく、私たちは出身階級や人種などで他人を瞬間的に判断してしまうのね。これからは別の見方もできるし、今それをやろうとしているの」。



★クロエ・セヴィニーは語る

ブランドンが愛した19歳のブロンド美人ラナにはクロエ・セヴィニーが選ばれた。ピアース監督は、“The Last Days of Disco”の彼女を見て起用を決めた。「素晴らしく魅惑的で強烈なアピールがあった」と監督は語る。セヴィニーは役に決まるとすぐにラナを吸収し始めた。監督が撮影してきた何時間ものビデオを見てラナを観察し、役作りをしていった。「ブランドンはラナがこれまで会ったどの男とも違ってた。彼はとてもロマンチックで優しかったし、彼女はそれまで男たちにそんな風に扱われたことがなかったのよ。あんなに情熱的な人生を生きる人間を見たことがなかったし、それがラナの心を開いたのね。彼女は彼をある種の逃避の対象とみなしていたし、自分を開放してくれると考えていたんだと思う。私も小さな町で育ったからラナが理解できるし、町から出て行きたいという気持ちも分かるの」。

しかし、ラナにある種の共感を覚えはしても、セックスまで経験しながら男と思いつづけてきたのは不可解だともいう。

「自分を納得させる、自分の物語を作り上げてしまう、言い訳をするってことなんだと思う。自分に嘘をつくことを覚え、まるで自分のことのようにブランドンの秘密を守ったのね。人が何と言おうと、自分にとってブランドンは男だと言い聞かせたのね。彼女にとっての関心事はそれだけだったから」。



★ピーター・サースガードは語る

ピーター・サースガードが演じるジョン・ロッターは、22歳の時に犯したブランドン殺害の罪で、現在死刑執行を待っている。サースガードはジョンを、孤独で精神が不安定な若者だと考えた。人生の灰色の部分に対処できず、白黒をはっきりつけられない現実にいらだって犯行に及んだのだと。

「彼の行動の多くは恐怖から派生していると思う。ブランドンは町にやってきて、人々に夢をみてもいいのだと思わせる。ところが、一度ブランドンから嘘をつかれたジョンは、彼を人間として見ることができない。彼にとってブランドンは“物”なんだ。だから、自分が好きなようにしても構わないと考えたんだと思う。ジョンはずっとラナに夢中だった。だから、ブランドンをラナに与えることで二人をコントロールできると考えたんだ。彼とラナの関係は説明するのが難しいものだった」。

「ジョンは小さな町の罠にはまり、そこからどうしても出られないでいる。物理的にだけではなく、考え方も閉塞していた。外の世界をほとんど知らず、生まれてからずっと同じ人たちとつるんで暮らしており、道徳的な善悪の判断はそのグループで決められてしまうんだ」。

「ジョンの暴力を理解するのは、僕にはとても難しいことだった。自分の気持ちの境界線を大きく超えなければ演じられなかった」。



★殺人犯にも人間性を与える

製作のクリスティーン・ヴァッジョンは、映画を感動的なものにするための重要な要素の一つが殺人者に人間性を与えることだと考えた。「これは人を殺した二人のバカなチンピラの物語ではないの。世界があまりにも希薄で壊れやすいので、自分たちの信念を否定されると我慢できない男たちの話なのよ」。

これにピアース監督が付け加える。「ジョンとトムは子供のときから刑務所を出たり入ったりしているので、いつか爆弾が爆発する運命にあったのね。同時に彼らは、どうすれば男らしくふるまえるかを見極めようとしていた。ブランドンと親しくなるにつれて、彼が示した親近感と彼が体現しているものが無意識に恐ろしくなったのだと思うわ。彼らがアンチテーゼとしていたブランドンが、本当は女なのに男として自分たちより巧くやっているのは、彼らの男らしさ、ひいては存在そのものを脅かすことだったのね。だから、ブランドンのファンタジーが消えたとき、彼を一時はアイドル視したのと同じように残酷に扱ったんだと思うわ。どこかで私の心はジョンに一番惹かれているの。幼いときに母親から引き離された彼には愛が必要だった。同時に彼は危険な意味でカリスマ性があった。愛を求める気持ちと、凶暴性の中にある優しさ。暴力には心惹かれる側面があって、ジョンはそれをつかんでしまったのね」。



★90年代の「アメリカン・グラフィティ」

ジョンの犯罪仲間トムを演じるのはブレンダン・セクストン三世。彼のことをピアース監督は「私が出会った中で最も優しい人間の一人」だと言う。「自分の中に存在しているかどうかもわからないものを、ブレンダンは心の奥深くから引っぱりだしてくれた。怒り、恐怖、傷つきやすさ。ブレンダンがキャラクターに注ぎ込んでくれたものが、このような残虐的な犯罪を犯す男たちとトムを差別化するものなの」。

プロデューサーのジョン・ハートは言う。「キャスティングが終わって全員を見たとき、気がついたんだ。僕たちは90年代の「アメリカン・グラフィティ」を作っているんだって。同時代の最高の俳優たちが同じ映画に出たのはあれが最後の作品じゃないかな」。



★テキサス州でみつけたフォールズ・シティ

映画はテキサス州のダラスとその周辺で撮影された。ブランドンの人生と死に関する議論が続いているフォールズ・シティで行うのは難しいと判断したからだ。けれど、テキサス州の6つの町を訪れた結果、警察署、公園、広場を囲む商店、大きな工場、駅など、フォールズ・シティとよく似た場所が見つかった。

「薬漬けの子供たちが昼間はずっと寝ていて、夜になるとたむろするのはフォールズ・シティと同じだった。平坦な農地もあったし、荒れた農家も見つかって、まさに求めていた階級と雰囲気が感じられる場所だった」と、ピアース監督は語る。

キャストは予算の都合上、ダラス近くの手頃な値段のホテルに寝泊まりした。それが仲間意識を作り上げる機会を提供し、スクリーン上にも反映された。

クルーはさらにテキサスで、ブランドンの言う“埃のないハイウェイ”を見つけた。“埃のないハイウェイ”とはフォールズ・シティにある実在の場所で、ハイウェイからそれてここに入って行くと、後ろに大きな埃が舞い上がって車が見えなくなり、追っ手から逃げることができる。撮影クルーはこの埃を実際に体験した。プロデューサーのエバ・コロドナーは言う。「まるで夢の中に車を走らせるようで、ブランドンにとってフォールズ・シティに行くのはまさにそんな気持ちだったんだと思う」。



 




【ストーリー】




1993年、ネブラスカ州リンカーン。20歳になるブランドン(ヒラリー・スワンク)は髪を少年のようにカットし、ジーンズとフランネルのシャツにカウボーイ・ハットといういでたちで町にでかける用意をしていた。従兄でゲイのロニー(マット・マクグラス)は「フォールズ・シティの連中はオカマを殺す」と警告するが、ブランドンにとって“男”としての人生こそ正しい道に思われた。

ブランドンはフォールズ・シティへと向かった。彼は地元のバーで、若い未婚の母キャンディス(アリシア・ゴランソン)、マッチョな男ジョン(ピーター・サースガード)や彼の弟分的なトム(ブレンダン・セクストン三世)らと知り合った。地元の男たちにはない、ソフトなしゃべり方と優しい表情。ここでは誰もがブランドンの不思議な魅力に魅了された。女たちにとって彼は理想のボーイフレンドだった。そして、ブランドンは彼らの仲間ラナ(クロエ・セヴィニー)を見たとたん、恋に落ちる。

ジョンは元詐欺師。不良グループのボス的存在でラナの母親の恋人だが、実はラナに惚れている。ジョンの刑務所仲間だったトムは、忠実なパートナーにして暴力的な若者。彼らは徒党を組み、酒を飲んではパーティに明け暮れていた。退屈な日常にいらだち、キレる寸前の状態だった。

ブランドンはジョンたちと微妙な均衡を保ちつつ、仲間として受け入れられた。だれもが彼を男だと信じ切っていた。しかし“彼”の本名はティーナ・ブランドン。以前に車を盗んで逮捕された“彼女”は、その日、裁判所への出廷を命じられていたが、“彼”の頭の中はラナのことでいっぱいだった。ラナの働く工場へ行ったブランドンは、彼女をデートに誘い出す。初めてのキス、草原でのセックス…。翌日、キャンディスたちに促されたラナは、ブランドンとのデートを嬉しそうに語った。ラナに惚れているジョンも、相手がブランドンなら「譲れる」ような気でいた。

しかし転機は思わぬときにやって来た。裁判所から召還されていたブランドンは、ある日、免許証からティーナとばれて女性用の留置場に放り込まれる。面会に現れ、真実を教えてくれるようたのむラナ。ブランドンは彼女に、自分が男性と女性双方の性的要素を持って生まれてきた性同一障害であることを打ち明ける。ラナはブランドンのことを理解しようとした。たとえ彼がティーナという女性であろうと、ラナの愛は変わらなかった。しかし、ほかの者たちにとってはそうではなかった。

町の人々は新聞の“ティーナ逮捕”という身出しをみて驚いた。出所して家に戻ってきたブランドンを、ジョンやラナの母親は「ヘンタイ!」「化け物!」となじった。そして、その悲劇は起こった…。