『M:I-2』
2000年7月8日より日本劇場ほかにて公開

2000年/アメリカ/カラー/パラマウント映画提供
◇クルーズ/ワグナー・プロダクション ◇UIP配給/パラマウント映画
TM©RIGHT(C)2000 by PARAMOUNT PICUTURES. All rights Reserved.
◇監督:ジョン・ウー ◇製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー ◇脚本:ロバート・タウン ◇ストーリー:ロナルド・D・ムーア&ブラノン・ブラガ ◇原案テレビシリーズ創作:ブルース・ゲラー ◇製作総指揮:テレンス・チャン、ポール・ヒッチコック ◇プロダクション・デザイナー:トム・サンダース ◇編集:クリスチャン・ワグナーA.C.E.、スティーブン・ケンパー ◇衣装:リジー・ガーディナー ◇視覚効果スーパーバイザー:リチャード・ユーリッチA.C.S. ◇共同製作:マイケル・ドーヴン ◇音楽:ハンス・ジマー

◇キャスト:トム・クルーズ、ダグレイ・スコット、サンディ・ニュートン、リチャード・ロックスバーグ、ジョン・ポルソン、ブレンダン・グリーソン、レイド・セルベッジア



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【プロダクションノート】


今日の映画界でもっとも影響力のある2人、トム・クルーズとジョン・ウーが、ロマンティック・アクション・スリラー『M:I-2』のために手を組んだ。今回は、特別諜報員イーサン・ハントが、コンピューターを自在に操るルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)を見方に、美しき怪盗(サンディ・ニュートン)に心を奪われながら、想像を超えた恐るべき国際的な危機に追い込まれる。そしてハントはオーストラリア、スペインを駆け抜け、不可能(インポッシブル)にしか思えないミッション(敵が破滅的な作戦を満たす前に阻止するという)に挑む。

トム・クルーズが主演する、パラマウント・ピクチャーズ提供、アクションの巨匠ジョン・ウー監督による『M:I-2』。トム・クルーズとポーラ・ワグナーがプロデューサーを担当。ブルース・ゲラーによるテレビシリーズに基づく脚本の執筆はロバート・タウン。クルーズ/ワグナー・プロダクションによる『M:I-2』の製作総指揮はテレンス・チャンとポール・ヒッチコックが担当した。キャストには、ダグレイ・スコット、サンディ・ニュートン、リチャード・ロックスバーグ、ジョン・ポルソン、ブレンダン・グリーソン、レイド・セルベッジアほか。パラマウント・ピクチャーズはヴィアコム・インクのエンターテインメント部門の一部である。



■小さな画面からビッグ・スクリーンへ

1960年代から1970年代初期にかけてCBSテレビで放送されたシリーズ“スパイ大作戦”の大ファンだったトム・クルーズは、この番組を映画化することを考えついた。そして1996年、『ミッション:インポッシブル』が公開され、世界的な大ヒットとなり、彼の夢はかなえられたのである。「トムは、従来の方法論を破棄することで問題を解決するスパイ・グループの頭の良さが気に入っていました」クルーズのプロダクション・パートナーであるポーラ・ワグナーが語る。「シリーズはとても知的で、観客が夢中になるようなあらゆる要素を備えていました。つまり、ロマンスがあって、ドラマがあり、しかも、アドベンチャーとアクションが盛り込まれています」。

「今回の映画は1作目の『ミッション:インポッシブル』とは違っています」ワグナーが続ける。「もっと個人的なストーリーになっています。エキサイティングなアクション・ドラマのなかで、イーサン・ハントのロマンティックな一面を見ることができるんです」。



■ジョン・ウーとのジョイント

監督を選ぶにあたり、クルーズとワグナーは、プロジェクトのリーダーとして誰を選ぶかについて迷うことはなかった。

「私たち2人ともジョン・ウーの大ファンです」ワグナーが語る。「ジョンは信じられないほどの情熱を仕事にかける人です。彼は世界でも最高のアクション監督ですが、人間的な心の葛藤や弱さ、矛盾、ロマンスといった要素にも非常に気を配る人です。しかも、ユーモアをよく理解しています。ジョンとトムの2人は、怖いものなしの最強のコンビです」。

クルーズが語る。「ジョン・ウーはものすごい人です。彼は『ミッション:インポッシブル』のアイディアを把握し、神話化しました。彼のアクションには現実と超現実が見事に組み合わされ、それが感情的な部分をとてもリアルに見せます」

「私はいつでも何か新しいことをやりたいと思っています。ウーが語る。「今まで一度も触れたことがないようなことです。このプロジェクトはまさにそれを手にするチャンスでした。私にとって、ストーリーの一番重要な面は人間的な要素だったのです。ドラマ性がある、感情と魅力があふれた内容にしたいと思いました。2人の男が1人の女性を好きになるというアイディアが気に入りました。そのために、ストーリーが感情的に大きく広がったと思います」

ストーリーを新しいミレニアムにもたらすことは、ジョン・ウーにとってまた別のエキサイティングなチャレンジとなった。

「アイディアを現代的なものにするために、21世紀のテクノロジーを持ち込む必要がありました」ウーが語る。「映画を新しいものに見せるため、我々は多くのコンピューターのエキスパートの助けを借り、最新鋭のデザインを追求したのです。それに、トムにも新しいイメージが必要だと思いました。今回の新しいルックスは、すべてトムのアイディアです。髪の毛を長くしたり、服の選び方などです。この映画では彼はとてもエレガントで、魅力にあふれ、セクシーです」

ウーの作品はスタイリッシュなアクション・シークエンスで有名だが、この『M:I-2』も例外ではない。

「私はとても感情に訴える手法でアクションを撮るのが好きです」ウーが語る。「スローモーションを使い、シークエンスにロマンスの要素をもたらすんです。アクションはバレエのようなもので、時にはアニメーションにもなります。



■国際的なキャスト

『M:I-2』は非常に国際的なプロジェクトであるが、映画製作者たちはキャストの顔ぶれにもそれを反映させたいと考えた。「世界中からあらゆる分野の俳優陣を集めました。作品には、まったく違う文化や国民性が盛り込まれています」ポーラ・ワグナーが語る。 スコットランドで人気を博す俳優のひとり、ダグレイ・スコット(“The Prohect”、『ディープ・インパクト』)はハントの元同僚の諜報員で、今や、恋敵であり、戦う相手となるショーン・アンブローズを演じる。「私たちは実力をつけて伸びている俳優を使いたいと思いました」

ワグナーが語る。「ダグレイは大きな幅を持ったすばらしい役者です。彼を見ると、鋼鉄のような鋭い目つきに気づきますが、次の瞬間には、人を恋しているロマンティックな男の姿が見えます。そういった二面性がこのキャラクターには必要でした」。イギリス人女優のサンディ・ニュートン(“Beloved”、『グリッドロック』)は2人のライバルたち、ハントとアンブローズの心を奪う国際的な怪盗、ナイア・ホールを演じる。

「ナイアの役を決めるのは特に大変でした」ワグナーが語る。「彼女にはある意味で弱さが必要でしたが、同時に本物の自立した女性の雰囲気も必要だったからです。私たちは新しいミレニアムを代表するような女性を探しました。彼女は女性的で、セクシーで、とても頭がきれて、しかも、必要な時には肉体を駆使できる人です。サンディはずばぬけた才能のある女優で、そういった要素をすべて披露できるような幅の広さを備えています」

ヴィング・レイムスは、トム以外で唯一人、1作目の『ミッション:インポッシブル』と同じ役柄で出演する。「ヴィングについて面白いのは、見かけと実際の中身が違う二面性のあるところです」ワグナーが語る。「彼の役はコンピューターの天才で、やさしい心の持ち主です。でも、一方で彼は非常に支配的な、他を圧倒するような肉体的な存在感を持った人です。観客は彼に魅了されるでしょう」



■トム・クルーズがスタントに挑む

『M:I-2』は1999年の春と夏に撮影され、キャストとクルーはオーストラリアから、ユタ州、そしてロサンゼルスへと移動した。撮影の中でも一番興味をそそる一面は、クルーズがスタントのほとんどを自分自身で行うと主張したことだった。おかげで、ウー監督はハラハラしながら見守ることになった。

「トムが自分でスタントをやりたがったことは、本当に高く評価しています」ウーが語る。「でも、時々はトムのおかげで恐い思いをしました。もちろんトムが大きな信頼を寄せているブライアン・シュムズをリーダーとするすばらしいスタント・チームが控えていて彼らの準備は万全でした。それでも、“もしも、何かがうまくいかなかったら、ケーブルが切れたら”といった思いを完全に忘れ去ることはできなかったんです」『M:I-2』のなかでクルーズが気に入った体験のひとつは、ユタ州のモアブで撮影した登山のシーンだった。

「F-14(米海軍の現用主力艦上戦闘機・トムキャット)やF-18(ホーネット)で飛べば、あそこにすぐ着けたでしょうね」とクルーズが語る。「あの場所では素敵な、信じられないほど楽しい気分を味わいました。指を一本かける幅もないほどの場所もあったんです。」。一方でウーはこう語っている。「あれは私にとっては最悪の撮影でした。トムが何千フィートもの空高く、断崖の一方に吊り下がり、ヘリコプターがほとんど彼に触れそうな位置にいました。彼はただ1回のスタントをやるというわけではありません。完璧に見せるために、何度もやるからです」

しかしながら、ウーは何がクルーズをそうさせるかについては理解していた。「トムは観客と心を通わせたいという気持ちが強いんです」ウーが語る。「そのために、彼は何もかも自分でやるんです。観客を落胆させたくないからです」。ワグナーが付け加える。「クルーズは自分の限界を知っています。彼は最終的な責任を自分に対して負っていますし、そばにいる立派なチームの人たちを信頼しています。彼は肉体的には強い印象を与えますし、すばらしい集中力を備えています」



■オーストラリア

オーストラリアでの撮影ロケ地は、首都のシドニーから広大な奥地にある町、ブロークン・ヒルにまで及んだ。

ダグレイ・スコットの役柄(アンブローズ)が住む美しい家は、実際のところ、シドニーの港のそばに建てられたセットだったが、ここは観光客のアトラクションとなった。港のフェリーの航路には、『M:I-2』の家という項目が追加され、撮影風景を見ようとするツーリストが乗り込んだクルーザーがそばを通り、撮影が中止されたこともあった。また、シドニーの有名なロイヤル・ランドウイック・レース・トラックでも撮影が行われた。そこには、エキストラの募集広告に応じた人々が多数押し掛けた。

他にも、港を見下ろすシドニーのロイヤル・ボタニカル・ガーデンや、シドニーでもっとも歴史的な意味のある家々が並ぶブーメランでのロケが行われた。命知らずのバイクによるチェイス・シーンなどエキサイティングなスタント・シーン、シドニー近くにある、オーストラリアの国立公園と野生事業団が管理している無人島、ベア・アイランドで撮影された。そこで撮影されたシーンの一つは“バイクによる一騎打ち”として名づけられたが、ハント(クルーズ)とアンブローズ(ダグレイ・スコット)が中世の騎士たちが馬にまたがったようにバイクに乗り、激突し、宙に投げ出される。

撮影は、また、オーストラリアの広大な奥地にあるシドニーの北西にあたる町、ブロークン・ヒルでも行われた。そこは砂漠とサボテンに囲まれ、アメリカ人の俳優やクルーにとって嬉しかったのは、カンガルーがたくさんいたことだった。

アメリカに戻ってからは、クルーズとニュートンはロサンゼルス近郊にあるサン・ガブリエル・マウンテンでカー・チェイスのシーンを撮影した。ロケ地が決定されてまもなく、山で巨大な火事が発生し、映画製作者たちは火が徐々に迫ってくるのを見ながら息を詰めていた。



■音楽

『M:I-2』のサントラにはオスカー賞受賞の作曲家、ハンス・ジマー(『ライオン・キング』)のスコアが含まれ、この中には即座に誰もが気付くテーマ音楽と、今現在もっとも活躍しているレコーディング・アーティストの歌が組み合わされている。実際の映画用のサントラと別個のサントラ・アルバムの両方に収録されているのは、メタリカの“アイ・ディスアピア”で、これは彼らが初めてサントラのために録音した曲である。そしてもう一曲は、“M:I-2のテーマ”を手がけたリンプ・ビズキットの力強い生のテイクである。サントラ・アルバムにのみ収録されているのは、ピンク・フロイドの“ハヴ・ア・シガー”をカバーしたフー・ファイターズ&ブライアン・メイのほか、この作品のために新たにレコーディングした、ロブ・ゾンビ、クリス・コーネル、トリ・エイモスなどの曲がある。

ミュージック・スーパーバイザーのミッチェル・レイブが語る。「このサントラのために、世界でも最大の演奏をねらいました。クリエイティブな過程で、サントラに収録された演奏を聞いていて、私はひどく感動しました。ジョン・ウーのような力のある監督、トム・クルーズというスター、クルーズとワグナーのプロデュースで、『M:I-2』といったフランチャイズを組み合わせると、最高のアーティストから最高のパフォーマンスが引き出せるんです」



 




【キャスト】

■トム・クルーズ(イーサン・ハント/製作)

パラマウント・ピクチャーズの1996年の大ヒット作、ブライアン・デ・パルマ監督による『ミッション:インポッシブル』のイーサン・ハント役で主演した。ロンドンとプラハでロケ撮影されたこの『ミッション:インポッシブル』は、クルーズ/ワグナー・プロダクションのもとで作られた第1作として、クルーズがパートナーのポーラ・ワグナーと初めてプロデューサーを兼ねた。第2作の『Without Limits』は、批評家から絶賛された。 最近、クルーズはポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(1999)により、ゴールデン・グローブ賞、SAGアワードのノミネート、シカゴ映画批評家賞、3回目のオスカー賞助演男優賞のノミネートを受けた。それ以前には、妻のニコール・キッドマンと共演した故スタンリー・キューブリック監督の最後の映画で、批評家からの高い評価を得た『アイズ・ワイド・シャット』(1999)に出演した。


クルーズは初の主要な役を『タップス』(1981)で演じ、その後に続いた『卒業白書』(1983)では、初めてゴールデン・グローブ賞のノミネートを受けた。また、1986年度の最高の興行成績をあげた『トップガン』(1986)では、1980年代でもっとも人気を集めたキャラクターの一人マーヴェリックを演じた。

その他の出演作には、『ハスラー2』(1986)、アカデミー賞受賞作品『レインマン』(1988)、初のアカデミー賞ノミネートを受け、ゴールデン・グローブ賞の最優秀男優賞を受賞した『7月4日に生まれて』、そして『デイズ・オブ・サンダー』(1990)、『遥かなる大地へ』(1992)などがある。

1993年、クルーズは『ア・フュー・グッドメン』(1992)で演じたJ.G.ダネイル・カフェ中尉役で3度目のゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。さらに、同役ではNATPE/ショーウエスト功労賞とシカゴ国際映画祭のアクター・オブ・ザ・ディケイド・アワードを受けた。1996年の『ザ・エージェント』で演じたジェリー・マグワイア役では、2度目のアカデミー賞ノミネートを受け、ゴールデン・グローブ賞のミュージカル/コメディ部門の最優秀男優賞を獲得した。さらに、ナショナル・ボード・オブ・レビューからはベスト・アクター・オブ・ザ・イヤーという最高の評価を受け、SAGアワードの最優秀男優賞としてのノミネートも受けた。

クルーズのその他の作品には、『エンドレス・ラブ』(1981)、『アウトサイダー』(1983)、『Losin It』、『トム・クルーズ 栄光の彼方に』(1983・未)、『レジェンド/光と闇の伝説』(1985)、『カクテル』(1988)、『デイズ・オブ・サンダー』(1990)、『ザ・ファーム/法律事務所』(1993)、『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(1994)などがある。

クルーズは数々の賞を受賞しているが、1990年にはピープルズ・チョイス・アワードの人気映画男優賞を、次の年にはアメリカシネマ大賞を受けた。1994年、彼はハーバード大学でヘイスティ・プディング・マン・オブ・ザ・イヤーを受賞、1996年には、現在映画とビデオに大きな貢献をしている芸能界のすばらしいアーティストに毎年贈られる、名声のあるアメリカン・シネマティック・アワードを受けた。クルーズはさらに、芸術的プロセスの重要性を保護することに対しての貢献を認められて、アーティスト・ライト・ファウンデーションよりジョン・ヒューストン・アワードを贈られた。クルーズは、1993年、ショータイム・シリーズの“堕ちた天使”のエピソード“Frightening Frammis”で監督デビューを果たした。



■ダグレイ・スコット(ショーン・アンブローズ)

最近の出演作には、ドリュー・バリモア主演の『エバー・アフター』(1998)、“The Proposal”“This Year's Love”、ビル・フォーサイスの“Gregory's Two Girls”がある。その他の出演作には、興行成績でセンセーションを起こした『ディープ・インパクト』(1998)、“Regeneration”“Twin Town”、“Love In Paris”、『プリンセス・カラブー』(1994・未)などがある。また、スコットのテレビ出演には、ロバート・ハルミの大作ミニシリーズ、“アラビアン・ナイト”、イギリスのシリーズで一躍注目を浴びた“ソルジャー・ソルジャー”、“ウィーク・アンド・ワイド・アストレー”、“タガート:ネスト・オブ・ヴァイパーズ”、“ラブジョイ”、“ハリー・アンフィールド・ショー”、“テル・テイル・ハーツ”、“ステイ・ラッキー”、“カヴァナQC”、“ザ・ローバー”、“ザ・プレイス・オブ・ザ・デッド”、“ハイランダー”、“ザ・クロウ・ロード”等がある。また多数の舞台にも出演しているが、作品には“ウォーレス”、“ウェルカム・ホーム”、“アラバマ物語”、“ザ・パワー・アンド・ザ・グローリー”、イアン・ブラウン演出でハムステッド・シアターで上演された“アンイデンティファイド・ヒューマン・リメインズ・アンド・ザ・トゥルー・ネイチャー・オブ・ラブ”等がある。 スコットはウエルシュ・カレッジ・オブ・ミュージック・アンド・ドラマに学び、地方の舞台やテレビで俳優の経験を積んだ。


■サンディ・ニュートン(ナイア・ホール)

最近の出演作には、ベルナルド・ベルトリッチ監督、デヴィッド・シューリス共演の『シャンドライの恋』とオフラ・ウィンフリー、ダニー・グローバー主演のジョナサン・デミ監督の“Beloved”の主演がある。彼女はトム・クルーズとは以前に『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(1994)で共演した。ジンバブエ人の母とイギリス人の父をもつサンディは、4歳までザンビアで育った。国の政情不安のため、家族はその後にイギリスに移った。16歳で彼女は批評家の絶賛を浴びた『ニコール・キッドマンの恋愛天国』(1990・未)の主役を獲得した。その後、ニュートンはイギリスに戻って学校教育を続け、ケンブリッジ大学で人類学を専攻、学士を取得した。

出演作品には、“The Young Americans”、“Loaded”、『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(1994)、“Jefferson in Paris”(サリー・ヘミングス役を演じた)、“Yje Journey of August King”“The Leading Man”、ティム・ロスとトゥパック・シャクールと共演の『グリッド・ロック』(1996)などがある。 『M:I-2』に続いて、ニュートンはインディペンデントのコメディ・スリラー“It Was Accident”でロンドンのイースト・エンドを舞台にした作品に出演している。



■ヴィング・レイムス(ルーサー・スティッケル)

最近、ニコラス・ケイジと『救命士』(1999)に、またショーン・コネリー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演のスリラー・ラブ・ストーリー、『エントラップメント』(1998)に出演した。また、ジョージ・クルーニー、ジェニファー・ロペスと『アウト・オブ・サイト』(1998)に出演。さらに、HBOの高い評価を受けた“ドン・キング:オンリー・イン・アメリカ”では、辛抱強いボクシングのプロモーター、ドン・キング役でゴールデン・グローブ賞とエミー賞、SAGとイメージ・アワードのノミネートを受けた。

その他の出演作には、“Rosewood”、“Dangerous Ground”、『コン・エアー』(1997)などがある。クェンティン・タランティーノの絶賛された『パルプ・フィクション』(1994)で見せた影のあるドラッグ・ディーラー、マルセラス・ウォーレス役はレイムスのキャリアにとって重要なポイントとなり、これが『ミッション:インポッシブル』(1996)への出演のきっかけとなった。その後すぐに出演した『素顔のままで』(1996)ではデミ・ムーアの用心棒兼親友を演じた。


レイムスのその他の作品には、『デーヴ』(1993)、『聖者の眠る街』(1993)、『ジェイコブ・ラダー』(1990)『ドロップ・スクワッド』(1995・未)、“Homicide: Blood In Blood Out”、『ロング・ウォーク・ホーム』(1990)、『イントゥルーダー 怒りの翼』(1990)、『テロリズムの夜』(1988・未)、『死の接吻』(1995)などがある。 ハーレムで生まれ育ったレイムスはニューヨークのハイスクール・オブ・アート・アンド・ミュージック・アンド・パフォーミング・アーツ(“フェーム”のスクール)に学び、1983年ジュリアード・スクールのドラマ部門を卒業した。ブロードウェイの“ザ・ボーイズ・オブ・ウィンター”や、オフ・ブロードウェイでは“マップ・オブ・ザ・ワールド”、“ショート・アイズ”、“リチャード3世”、“アセンション・デイ”などにも出演した。

現在、レイムスはクルーズ/ワグナー・プロとパラマウント映画のプロジェクトで、大きな期待を集めているボクサーのストーリー、ソニー・リストンの“Night Train”のため、トレーニングに励んでいる。



■リチャード・ロックスバーグ(ヒュー・スタンプ)

現在、バズ・ラーマン監督の“Moulin Rouge”を撮影中である。ロックスバーグの映画の出演作には、デボラ・ワーナー監督の“The Last Septenber”、『パッション』(1982)、ピーター・ダンカンの“Children of the Revolution”、ジリアン・アームストロングの“Oscar and Lucinda”、チェリー・ノーラン監督の“The God He Met Lizzie”などがある。

ロックスバーグはオーストラリア映画協会から何度もノミネートを受けているほか、“Doing Time For Pastsy Cline”では、主演男優賞を、またフィルム・クリティックス・サークル・オブ・オーストラリアの最優秀男優賞を受賞している。

舞台出演では、ベルヴォア・ストリート・シアターで上演され、高い評価を受けた、ニール・アームフィールドの“ハムレット”があるが、彼はこの作品でシドニー・シアター・クリティックス・サークル・アワードの男優賞を受けた。ベルヴォア・ストリートの出演作にはほかに、“かもめ”、“オン・パーラメント・ヒル”などがある。さらに、シドニー・シアター・カンパニーにも多数出演、“クローサー”、“ザ・ホームカミング”、“バーン・ジス”、“ロミオ・アンド・ジュリエット”などがある。

テレビでは、賛否両論をよび、批評家に絶賛されたドラマ・シリーズ、“ブルー・マーダー”で演じたロジャー・ロジャーソン役により、オーストラリアン・ロジック・アワードの最優秀男優賞を受けた。



■ジョン・ポルソン(ビリー・ベアード)

数々の賞を受賞した俳優であり、監督でもあるが、短編映画中心のオーストラリアで最大の映画祭、トロップフェストの設立者としてアーティスティック・ディレクターをつとめている。出演作には、ヒュー・グラントの『泉のセイレーン』(1993)、オーストラリア映画批評家賞を受けた“The Sum of Us”、オーストラリア映画協会の最優秀助演男優賞を受賞した“The Boy”などがある。

その他の出演作には、“Index Box”、“Prisoners of the Sun”、ミニ・シリーズの“カンガルー・パレス”、“ベトナム”、テレビ作品の“ダダ・イズ・デス”などがある。また、演技活動を始めた舞台でも幅広く活躍している。

ボルソンはAFIアワードの作品賞にノミネートされた、“Siam Sunset”のほか、3本の絶賛された短編を監督している。1997年11月、ボルソンはオーストラリアの映画界に対する貢献に対して、オーストラリア映画協会賞のバイロン・ケネディ・アワードを受賞した。



■ブレンダン・・リーソン(マック・ロイ)

アイルランド人俳優の彼は、最近、アンディ・マクドウェルとエイドリアン・ブロディと共演の“Harrison's Flowers”の撮影を終えた。その前にはイギリス映画でデクラン・ローニー監督の“Thanks for the Memories”に出演。現在は撮影がスタートしたばかりのジョン・ブアマンの新作、“Tailor of Panama”にかかっている。

グリーソンの経歴にはヒット作品の『UMA/レイク・プラシッド』(1999)や、サン・セバスチャンとFIPRESCIで賞を受けた“I Went Down”などがある。また、グリーソンはメル・ギブソンと共に共演した『ブレイブハート』(1995)で国際的に評価を受けた演技と“The Treaty”でのマイケル・コリンズ役に対して、ジェイコブス・アワードを受けた。ジョン・ブアマンの“The General”では、グリーソンは、暴力、ユーモア、寛大さを兼ね備えた人柄のために伝説となったアイルランド人の犯罪王、マーティン・カーヒルを演じた。この作品と“I Went Down”の両方で、グリーソンはボストン映画批評家賞の男優賞を受けた。“The General”は1998年のロンドン映画批評家賞の男優賞とアイリッシュ・フィルム・アンド・テレビジョン・アソシエイション・アワードを受賞した。

グリーソンの他の出演作として、『ブッチャー・ボーイ』(1998・未)、『マイケル・コリンズ』(1996)、“Love Lies Bleeding”、『スナッパー』(1993)などがあるが、また、舞台、テレビ出演作品も多い。



■レイド・セルベッジア(ドクター・ネロルヴィッチ)

彼が、初めてトム・クルーズに会ったのは『アイズ・ワイド・シャット』(1999)に出演していた時だった。彼の出演作にはアカデミー賞のノミネートを受け、ヴェニス映画祭で金獅子賞を獲得した『ビフォア・ザ・レイン』(1994)がある。

セルベッジアはバラエティに富んだ数々の作品に出演しているが、そのなかには、『スティグマータ/聖痕』(1999)、『マイティ・ジョー』(1998)、『セイント』(1997)、“The Truce”、“Polish Wedding”などのほか、高い評価を受けたニュージーランド映画の“Broken English”がある。加えて、セルベッジアは出身のユーゴスラビア共和国で50本以上の作品にも出演している。

彼はまた、成功した作家および音楽家でもあり、ユーゴスラビアで3冊の詩集を出版、数曲のバラードのレコーディングもしている。祖国の平和のための活動家として、セルベッジアは自ら望んだ亡命者として、著名な舞台演出家の妻レンカと3人の娘と共にイギリスに住んでいる。セルベッジアの次の作品は、クリント・イーストウッドの“Space Cowboys”である。




【映画製作者】

■ジョン・ウー(監督)

映画製作者としての華々しいキャリアを香港でスタートし、30本近い作品を監督。繁栄する映画界で20年以上も中心的な位置を占めた。彼は元々はコメディ映画専門として知られたが、1980年代半ばには、大ヒットとなったロマンスとバイオレンスに満ちたギャング・ドラマのシリーズを放った。

ウーは1946年、中国の広州に生まれ、4歳の時に家族とともに香港へ移った。マテオ・リッチ・カレッジで学んだ彼は、19歳で、実験映画の製作を開始した。フィルム・スクールの代わりに、ウーは盛んな香港の映画業界で初級レベルの職からスタートするやり方を選んだ。

1971年、彼はショー・ブラザーズでアシスタント・ディレクターとして仕事を始めた。そのわずか2年後には、“The Young Dragons”(1973)を発表して監督デビューを果たした。その後、ゴールデン・ハーベストと専属契約を結び、2本の大ヒットしたマーシャル・アーツ映画、“The Dragon Tamers”と『ジャッキー・チェンの非龍拳/少林門』(1975・未)を発表、後者ではアクション・スーパースターのジャッキー・チェンが初の主要な役柄で出演している。

ウーはまた広東語のオペラ作品、“Princess Chang Ping”でも同様のヒットを放ったが、“Money Crazy”“From Riches to Rags”など8本のヒット・コメディを連続で撮り、アジア映画界の主力となった。

1983年、ゴールデン・ハーベストを抜けたウーは、新会社のシネマ・シティに入り、チョウ・ユンファ主演のロマンティック・ギャング映画、『男たちの挽歌』(1986)を監督した。チョウ主演の多くの犯罪スリラー――そのなかにはすばらしい振付けがされた人物中心のアクション映画、『狼/男たちの挽歌・最終章』(1992)も含まれる――は、世界中の映画ファンや映画製作者を熱狂させた。また、ベトナム戦争を舞台とした『ワイルド・ブリット』(1990)、コメディ・アクションの『狼たちの絆』(1991)、『男たちの挽歌ll』(1987)も監督した。

ウーはジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『ハード・ターゲット』(1992)で、アメリカにおける長編映画の監督デビューを果たした。1994年、彼は製作パートナーのテレンス・チャンとWCGエンターテインメントを設立、この傘下で、初のハリウッドでの大ヒットを記録した、ジョン・トラボルタ、クリスチャン・スレーター主演の『ブロークン・アロー』(1996)を監督した。また彼のハリウッドでの第3作、ジョン・トラボルタ、ニコラス・ケイジ主演の『フェイス/オフ』(1997)は香港の監督に記録的な大ヒットを生み、世界的にも高い評価を得た。

ウーは映画監督の合間に、テレビ用のパイロット版の監督も手がけている。『男たちの挽歌』のテレビ化や、ドルフ・ラングレン主演の“ブラック・ジャック”などがある。

1998年、ウーは初のコマーシャルを監督、7人のブラジル人のサッカー選手を使ったNikeのCMを撮った。ウーの次回作は、パートナーのテレンス・チャンと新たに設立したライオン・ロック・プロダクションが製作する。



■ポーラ・ワグナー(製作)

1992年、トム・クルーズと組んで、パラマウント映画内にクルーズ/ワグナー・プロダクションを設立した。C/Wプロのもとで作られた第1作は、『ミッション:インポッシブル』だったが、この作品は1996年、メモリアル・デイ(戦没将兵記念日)の週末に公開され、世界的な大ヒットとなった。

ワグナーがクルーズと共に一番最近プロデュースした作品はワーナー・ブラザーズ映画の“Without Limits”でアカデミー賞受賞者のロバート・タウンが脚本執筆および監督を手がけた作品である。ドナルド・サザーランド、ビリー・クルーダップ、モニカ・ポッター出演のこの作品は、伝説のランナーでオレゴン大学のオリンピック選手、スティーブ・プレフォンテインのストーリーである。C/Wプロダクションはさらに、多数の長編映画の製作を計画中である。プロデューサーとしての活躍のほかに、ワグナーは舞台、映画、テレビのための教育課程にも積極的に関わっている。彼女は演劇を学んだ、カーネギー・メロン大学の理事会のメンバーをつとめているほか、ゲッフェン・プレイハウス、UCLAスクール・オブ・シアター・フィルム・アンド・テレビジョンの役員も兼ねている。さらに、アメリカ映画協会、映画テレビ基金財団などのシンポジウムで講師をつとめ、1996年のトロント映画祭では基調演説も行った。パートナーのトム・クルーズと共に、ワグナーは1997年、プロデューサー・ギルド・ノヴァ・アワードの劇場映画の新人プロデューサーによる最優秀功労賞を受けた。

C/Wプロダクションを設立するまでは、ワグナーは15年近くエージェントをつとめた。そのうち12年間ほどは映画業界のトップ・タレント・エージェントとして、クリエイティブ・アーティスト・エージェンシーに在籍、オリバー・ストーン、デミ・ムーア、ロバート・タウン、ヴァル・キルマー、トム・クルーズといったクライアントのキャリア開発につとめた。

ワグナーのエンターテインメント業界でのキャリアは、芸術学士号(BFA)を取得したカーネギー・メロン大学でスタートした。卒業後ニューヨークへ移った彼女は、女優として、数本のエール・レパートリー作品ほか、ブロードウエイ、オフ・ブロードウェイや地方の舞台で活躍した。彼女はまた、イブ・メリアムの“グローイング・アップ・フィーメール・イン・アメリカ:テン・ライブス”を脚色した“アウト・オブ・アワー・ファザーズ・ハウス”の共同執筆を手がけ、出版した劇作家でもある。ワグナーは現在、ロサンゼルスに住んでいる。



■テレンス・チャン(製作総指揮)

オレゴン大学で建築を学んだあとで、ニューヨーク大学に移り、映画製作を学んだ。彼はその後に出身地の香港に戻り、1979年、レディヒュージョン・テレビジョン(RTV)に製作部の総務担当として入社した。2年間、彼はあらゆるテレビ番組制作のオペレーションを指揮した。1981年、彼はプロデューサーとして、ジョニー・マーク・プロダクションに入社、“Lonely 15”、“Dragon Force”、“Everlasting Love”を製作した。最後の作品は、1984年カンヌ映画祭のディレクターズ・フォートナイト部門の参加作品に選ばれた。

1986年から1988年まで、彼はD&Bフィルムスの配給の責任者となり、ブランドン・リーやミシェル・ヨーを送り出した。1988年、彼はゼネラル・マネージャーとしてフィルム・ワークショップに入社した。『狼/男たちの挽歌・最終章』(1989)、『スウォーズマン/剣士列伝』(1990・未)、『スパイゲーム』(1990)、『アゲイン/明日への誓い』(1990)、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2』(1990)、『ガンメン』(1993)の製作の責任を負う重役をつとめた。またこれらの作品を国際的にマーケティングする上でも手腕を発揮した。

チャンは1990年5月、ジョン・ウーと共にマイルストン・ピクチャーズを設立、『男たちの絆』(1991)、『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』(1992)を製作した。同時に、彼はアジアのスーパースター、チョウ・ユンファ、そして世界的に著名な作家リリアン・リーのマネージャーとなった。リーの著書、“さらば、わが愛―覇王別姫”、“The Last Princess of Manchuria”はウィリアム・モローによって英語で出版された。一番最近では、チャンはアジアの最大のスター女優、ミシェル・ヨーのマネージャーを始めた。 1993年、チャンはジョン・ウーのアメリカ映画デビュー作、『ハード・ターゲット』の共同製作を手がけた。1994年、彼は製作パートナーのウーとクリストファー・ゴッドシックと共にWCGエンターテインメントを設立した。その後、『ブロークン・アロー』(1996)のほか、2時間テレビ用パイロット版でアリアンス・コミュニケーションズの“ブレイク・ダウン”、“ブラック・ジャック”、『フェイス/オフ』(1997)、『リプレイスメント・キラー』(1998)、『ビッグ・ヒット』(1998)、アクション・ドラマの“The Corrupter”を製作した。もっと最近では、チャンはジョン・ウーと共に新会社のライオン・ロック・プロダクションズを設立、同社は現在3作品が開発中のソニー・ピクチャーズとファースト・ルック契約を結んだ。



■ポール・ヒッチコック(製作総指揮)

第1作の『ミッション:インポッシブル』(1996)でも製作総指揮をつとめた。彼はレオナルド・ディカプリオ、ジョン・マルコビッチ、ジェレミー・アイアンズ、ジェラール・ドパルデュー主演の『仮面の男』(1997)で共同プロデューサーを、ヴァル・キルマー、エリザベス・シュー主演の『セイント』(1997)では製作総指揮を、ショーン・コネリー、リチャード・ギア主演の『トゥルーナイト』(1995)では共同プロデューサーをつとめた。1969年から1994年まで、ヒッチコックはワーナー・ブラザーズでバイス・プレジデントおよびマネージング・ディレクターをつとめた。この期間、彼は多数のメジャー作品を手がけたが、その中には、『バットマン』(1989)、『愛は霧のかなたに』(1988)、『スーパーマン』(1978)、『スーパーマンll 冒険篇』(1981)、『太陽の帝国』(1987)、『フルメタル・ジャケット』(1987)、『アウトランド』(1995)、『バリー・リンドン』(1975)、『シャイニング』(1980)、『時計じかけのオレンジ』(1971)、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1986)、『ファイアー・フォックス』(1982)、『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)、『グレイストーク』(1984)、『レディホーク』(1989)、『リトル・ドラマー・ガール』(1984)などがある。


■マイケル・ドーヴン(共同製作)

1992年のプロダクション設立以来、クルーズ/ワグナー・プロダクション・チームの一員である。彼は1996年に公開された1作目の『ミッション:インポッシブル』で、プロダクション・アソシエイトをつとめた。

さらに、彼がトム・クルーズのエグゼクティブ・プロダクション・アソシエイトをつとめた作品には、『ザ・エージェント』(1996)、『ザ・ファーム/法律事務所』(1993)『遥かなる大地へ』(1992)『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(1994)『ア・フュー・グッドメン』(1992)などがある。



■ロバート・タウン(脚本)

アカデミー賞受賞経験者の彼は、6歳の時から作家活動を始めて以来、今日にいたっている。カリフォルニアのサン・ペドロで生まれ、ロシアとルーマニアからの移民の両親を持ったタウンは、ポモナ大学で哲学と文学を学んだ。軍隊に入隊、プロのマグロ漁師を経て、伝説的な教師ジェフ・コリーのもとで演技クラスに参加し、この時期、ジャック・ニコルソン、ロジャー・コーマンとの友情を深めた。

タウンの初の作家としての作品は、21歳の時に書いた、コーマンの映画、“The Last Woman On Earth”だった。タウンはその後の数年、テレビ番組のために脚本を書いたが、その中には“アウター・リミッツ”(1963-1965)、“ナポレオン・ソロ”(1964-1968)、“ロイド・ブリッジス・ショー”、“リチャード・ブーン・ショー”などがあった。1965年、コーマンがエドガー・アラン・ポーの“The Tomb of Ligeia”を次の作品として提供し、タウンはこの脚本で高い評価を受けた。

タウンのその他の共同執筆を含む作品には、ライターズ・ギルド・アワードを受賞し、アカデミー賞のノミネートを受けた『さらば冬のかもめ』(1973)、『戦うパンチョ・ビラ』(1968)、製作と監督も兼ねた『マイ・ライバル』(1982)、また『チャイナタウン』では、アカデミー賞のほか、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞の最優秀オリジナル脚本賞、ライターズ・ギルド・アワードの映画のための最優秀アメリカ・コメディ賞を受賞した『シャンプー』(1975)、アカデミー賞脚本賞にノミネートされ、ライターズ・ギルド・アワードの別メディアを元にした脚本賞にノミネートされた『グレイストーク』(1984)、監督を兼ねた『テキーラ・サンライズ』(1989)、『デイズ・オブ・サンダー』(1990)、『ミッション:インポッシブル』(1996)などがある。 タウンの最新作で脚本と監督を兼ねた“WIthout Limits”はビリー・クルーダップ、ドナルド・サザーランド、モニカ・ポッターが出演、ポーラ・ワグナーとトム・クルーズの製作である。



■ジェフリー・L・キンボール(撮影)

最近ではガブリエル・バーン、パトリシア・アークエット主演、ルパート・ウエインライト監督の『スティグマータ/聖痕』(1999)を手がけた。その他の作品には、『ワイルド・シングス』(1998)、『スペシャリスト』(1994)、『トゥルー・ロマンス』(1993)、『カーリー・スー』(1991)、『ジェイコブス・ラダー』(1990)、『リベンジ』(1990)、『ビバリー・ヒルズ・コップ2』(1987)、『トップガン』(1986)、“The Legend of Billie Jean”などがある。

キンボールはまた、ポール・シュレイダーの『キャット・ピープル』(1981)では第2班の撮影監督をつとめた。



■トム・サンダース(プロダクション・デザイナー)

一番最近手がけた作品は、トムハンクス主演、ステョイーブン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(1998)である。彼は、この作品でアカデミー賞のプロダクション・デザイン賞にノミネートされた。

その他の作品には、メル・ギブソンのアカデミー賞受賞作品、『ブレイブハート』(1995)で、GAFTAノミネートを受けた。また、アイバン・ライトマン監督、ビリー・クリスタル、ロビン・ウィリアムス主演の『ファザーズ・デイ』(1997)、アカデミー賞のプロダクション・デザイン賞にノミネートされた『ドラキュラ』(1992)、『暗殺者』(1995)、『マーヴェリック』(1994)などがある。

サンダースはまた、美術監督としても、『フック』(1991)、『デイズ・オブ・サンダー』(1990)、『ネイキッド・タンゴ 剥き出しの愛』(1991)などを手がけている。



■リジー・ガーディナー(衣装)

『プリシラ』(1994)での活躍で知られたデザイナーで、この作品では、アカデミー賞、BAFTA賞、オーストラリア映画協会賞の衣装デザイン賞を受賞した。

オーストラリアでもっとも才能のある衣装デザイナーの一人として、彼女が手がけた他の作品には、“Eyes of the Beholder”、“Woundings”、“Welcome to Woop Woop”、“Gone Fishing”、『バウンド』(1996)、“Weekend with Kate”、“Kokodo Crescent”、“Drug and Alcohol”、“Devils Hill”、“Jilted”、“Dear Card Holder”などがある。



■ハンス・ジマー(音楽)

彼が手がけた作品には、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、シカゴ映画批評家賞のベスト・オリジナル・スコア賞、2つのグラミー賞、アメリカン・ミュージック・アワードのベスト・アルバム賞を受けた『ライオン・キング』(1994)がある。また、ジュリー・テイモアの手がけたブロードウェイ・ヒット作の“ライオン・キング”では、ジマーはトニー賞のベスト・オリジナル・スコア・リトゥン・フォア・ザ・シアターのノミネートを受けた。

ジマーは他にも『シン・レッド・ライン』(1998)、『恋愛小説家』(1997)、『天使の贈り物』(1996)、『レインマン』(1988)でオスカー賞にノミネートされた。

その他の作品には、スティーブン・スピルバーグ監督のドキュメンタリー、“The Last Days”、アニメ作品の『エル・ドラドへの道』、『クリムゾン・タイド』(1995・グラミー賞の映画用ベスト・オリジナル・スコア賞を受けた)、『ピースメーカー』(1997)、『ザ・ロック』(1996)、『ブロークン・アロー』(1996)、“Muppet Treasure Island”、『9か月』(1995)、『ドライビング・ミス・デイジー』(1989)、『クール・ランニング』(1993)、『トゥルー・ロマンス』(1993)、『トイズ』(1992)、『プリティ・リーグ』(1992)、『パワー・オブ・ワン』(1992)、『テルマ&ルイーズ』(1991)、『バックドラフト』(1991)、『グリーン・カード』(1990)、『パシフィック・ハイツ』(1990)、『デイズ・オブ・サンダー』(1990)、『ブラック・レイン』(1989)、『ワールド・アパート』(1987)などがある。

1996年、ジマーはBMIの名声のあるリチャード・カーク・アワードの功労賞を受けた。同年、彼はジェイ・リフキンと共にメディア・ヴェンチャーズを共同設立、パートナーを組んだ。ジマーは、ドリーム・ワークスSKGの音楽部の責任者をつとめ、映画やテレビ作品の音楽を指導している。