『父親たちの星条旗』来日記者会見
●2006年10月20日グランドハイアット東京にて
●出席者:ジェイムズ・ブラッドリー(原作者)、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ
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【挨拶】

■ジェイムズ・ブラッドリー:日本にまた戻ってこられてとても嬉しく思います。実は私、若い頃に上智大学で勉強していました。でも、ごめんなさい、日本語がしゃべれないんです。どうも図書館で過ごすよりも、もっぱら新宿で徘徊していまして……。


■ジェシー・ブラッドフォード:みなさんこんにちは。日本に来られて非常に嬉しく思います。初めての日本なのですが、東京という街にはずっと来たいと思っていました。実は、僕は中学生の時に日本語を勉強しました。今はあまり覚えていなくて、「メリーさんの羊」や「かわいいなぁ」とか、そんな言葉だけです。


■アダム・ビーチ:みなさんこんにちは。僕の名前はアダム・ビーチです。日本に来られてとても光栄です。日本に来てから、みなさんが非常に尊敬してくれて、手厚く歓迎してくださるのです。日本が本当に好きになったので、今は、是非とも日本に引っ越したいというような気持ちがあります。


【質疑応答】

◆質問:出演者のみなさんに質問です。自らが経験していない戦争をリアルに見せるために、どのような工夫をされましたか。また、クリント・イーストウッド監督はどのような演出をされたのでしょうか。

■(ジェシー・ブラッドフォード):私には戦争経験がまったくありません。ですから、今回、この役を演じる上では、まったく経験がなくてもこのような役を演じなければならないというのが俳優の仕事ですので、いろいろ準備はしました。いろいろな書籍を読みまして、ドキュメンタリー映画をたくさん観ました。何度も何度も観て、そのイメージを自分の脳裏に焼きつけるのです。非常に恐ろしい光景も一杯ありましたが、そういうことをしました。また、僕が演じたのがレイニー・ギャグノンという役なのですが、息子さんとも電話で話しました。そして、何をやっても、本当に理解できるかというと難しく、本当に地獄のような体験だと思うのですが、私はできるだけ演じて、本当に犠牲を払った多くの人たちに敬意を表したいと思いました。それから、クリント・イーストウッド(監督)についてなのですが、彼のスタイルというのは、俳優に任せる、任せてくれるというものなのです。ですから、俳優を非常に信頼してくださるし、起用した時に、この役者に演技を任せようという姿勢なので、 ─ よく、こういうスタイルだと恐ろしく感じる俳優たちもいるとは思うのですが、 ─ 私としては非常に自信になりました。

■(アダム・ビーチ):まず、クリント・イーストウッドについてお話ししたいと思います。彼は、世界中でもっともクールで素敵な人です。彼は、映画を通して本当にいろいろな世代に影響を与えてこられたわけですが、その彼が、あの声で、あのような話し方をしてくださる。まさに映画から出て来たような感じでした。でも、私たち俳優を本当に尊敬し、信頼してくださるという点で、私としては、できるだけのことをしたいという気持ちにさせられました。そして、アイラ・ヘイズを演じる上で、戦争の本をたくさん読んで、また、映像を見て、いろいろな勉強をしていくなかで、2週間もそれを続けましたら、本当に眠れなくなるのです。本当に悪い夢を見ているような……。自分が戦争に行くことにならなくて、本当に良かったなと思いました。そして、どのようにしてアイラ・ヘイズの気持ちになったかというと、ある時、ヒッチハイクをしているシーンがあるのですが、あのシーンの直前に父親から電話がありまして、お婆ちゃんが亡くなったという知らせが入りました。その時は本当に泣き出して、泣き崩れたいという気持ちだったのですが、バンの中に戻りましたら、イーストウッド監督が、「大丈夫?」と声をかけてくださって、その時に、「このシーンは撮り終えたい」と返事をしたのです。そして、その時に初めて本当に辛い気持ちが込み上げてきて、その時、アイラ・ヘイズと少し繋がりを持てたような気持ちになりました。

◆質問:原作者のブラッドリーさんにお伺いします。私の父親も、ちょうど同じ頃に中国の北部の方で戦っていて、戦争のことをほとんど話してはくれませんでした。ブラッドリーさんご本人も、お父さんがこのような人だったとは、亡くなった後で聞いたというふうに伺っているのですが、その時にどう思われたのかということと、自分の原作が、スピルバ−グとクリント・イーストウッドという、二大巨匠と呼んでもいい人たちの手で映画化されたことにつぃてどう感じられたのかをお聞かせください。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):父が生きている時から、彼があの旗を掲げた1人であるということは知っていました。しかし、それ以上のことはまったく知らずに、亡くなった後に、父のタンスの中の箱に入ったある1通の手紙を発見したわけです。そしてそれは、彼があの硫黄島で旗を掲げた直後に父母に書いた手紙で、「人生で最高に素晴らしい経験だった」と書いてありました。それを読んだ時に、本当に泣けました。なぜなら、自分の人生で一番幸せな瞬間を、自分の息子に話すことができなかった、分かち合うことができなかったわけですから。

私は、それを知った時には本を書くつもりはなく、とにかく、父はなぜ話してくれなかったのだろうかと思い、おそらく、今ご質問いただいた方のお父さんもそうだったのだと思うのですが、あまりにも辛い経験でしたので、とても言葉にすることができなかった、説明不可能だったのだということで、父も話してくれなかったのではないかと思います。普通の方々があの写真をご覧になると、すごいという感じに思われるかもしれませんが、父にとっては、あの写真は常に、3人の仲間が死んだということでしか意味を持たないことだったのではないかと思うのです。ご存知のように、硫黄島では7,000人のアメリカ人と22,000人の日本人が亡くなられまして、そういうことから考えた時に、とても、何か感じる、他のことを感じるということができなかったのではと思いました。クリント・イーストウッドとスピルバーグにつきましては、スピルバーグが映画化権を買ってくださって、それをクリント・イーストウッドに監督をして欲しいと話を持っていかれたことには、もう文句のつけようもなく、旗を掲げた他の遺族の人たちと一緒に、大喜びをしました。


●司会者:そして作品ができあがって、ご覧になってどんなお気持ちですか。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):やはり、一番して欲しかったのは、本の内容を正確に映像化していただくことだったのですが、実際にそれをやってしまったら20時間かかるわけです。そこで、当然のことながら、感情や精神的なことがきちんと表現されているかということになるのですが、私が観せていただいた限り、この2時間の中で、本当にもっとも伝えて欲しかったことが伝えられていて、とても嬉しく思います。

◆質問:俳優のお2人にお聞きしたいのですが、戦争のシーンはかなり悲惨で、目を覆うようなシーンが続いていましたが、現場の雰囲気は、総じて和やかな雰囲気だったというふうに聞いていたのですが、どのような感じで撮影されたのでしょうか。

■(アダム・ビーチ):クリント・イーストウッド監督の仕事というのは、これはもう噂でもいろいろと聞かされていたのですが、彼は、とにかく1回しか撮らない。ワン・テイクしか撮らない。これは、俳優にとっては恐ろしいことです。俳優というのは、完璧にするには1回よりも2回、そして、3回でも4回でも、なるべく多く撮ったほうが良いと考えるわけですが、彼はとにかく1回しか撮らないのです。でも、2週間も経っていくと、ある意味で非常に自信がつきました。それだけクリント・イーストウッド監督が信頼をしてくれているという証拠でもありましたし、とにかく、ワン・テイク、1回のチャンスにすべてを込めようと、俳優としても、自分の最高の演技を見せたいという気持ちで挑みますから、そういうことが可能になっていきました。

■(ジェシー・ブラッドフォード):本当に、今、アダムが言ったとおりなのですが、クリント・イーストウッドのエネルギーというのは、映画の中の彼のイメージとは非常に異なるもので、非常にゆったりとして、観戦するような穏やかさなんですね。人々に対して非常に敬意を払ってくれるという雰囲気、リラックスした雰囲気が現場の雰囲気なのですが、威張ったり偉そうにしなくても、みんながついていく、彼はそういう指導者でもあるのです。まるで、スイス製の時計のように、すべて正確に現場が進んでいく。だからこそ、ワン・テイクですべてが進んでいくのですが、大きな戦場シーンのような、500人のエキストラがいて、爆発がたくさんあるようなシーンは、3、4回はかかりました。

■(アダム・ビーチ):そして、この現場は、非常にプレッシャーがかかる現場でもあるのです。つまり、自分が何か間違ってしまったり、自分のせいで何かが上手くいかなかったりしたら、もうこの映画からカットされてしまうという恐怖感があるのです。ただし、このような戦場の場面というのは危険も伴うわけで、バリー・ペッパーというマイク役の役者がいますが、彼がやっていたシーンのひとつでいろいろと爆発が起きて、ワイヤーが彼の口のところに刺さったんですね。撮影が終わった時に医務室にいきましたら、縫わなくてはいけないと言われて、彼は、「絶対ダメだ、縫ったら映画からカットされてしまう」と言って、とにかくイーストウッド監督のところに行って、「大丈夫だ。縫わなくても僕はできる!」と監督に直談判して、それで丸くおさまったんです。

●司会者:お2人は怪我はなさらなかったんですか。

■(アダム・ビーチ):いえいえ。後ろに隠れていたので大丈夫でした。

■(ジェシー・ブラッドフォード):実は私は、ちょっと背中を痛めてしまったのですが、仕事中ではなくて、仕事に行く前にジョギングをしている時、背中の筋肉を引っ張ってしまって、1週間から2週間くらいはまっすぐ立てなかったんです。ただし、このレイニーという役は、まっすぐ立つというのがトレードマークのようなもので、非常に辛かったのですが、自分のせいでしたので、それはもう、我慢しました。

◆質問:原作者のブラッドリーさんに質問です。この作品は日本側からの硫黄島も描かれるということで、ある意味、2部作となっているわけですが、そういう形にすることは、監督、プロデューサーからはいつお聞きになったのでしょうか。そして、その感想について教えてください。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):実は、イーストウッド監督から電話があった時 ─ このお話の最初の時に、2本の映画を作りたいと聞きました。私は、これは素晴らしいことだし、いくつかの理由があって考えました。1つには、実は自分は、『フライボーイズ』というアメリカ、日本両側から見た作品、第2作を書いておりまして、その時に結局、気持ちというのは国が変わっても変わらないんだなということを自分で認識していたことがありました。それから、2つめの思い入れなのですが、先ほども言ったように、私は日本の大学に行きました。そして、当然のことながら、帰国してから日本人の友人が何人も家に来ました。父は彼らを喜んで迎えてくれました。そういうことがあったので、自分の中で2つというものが自然に入り込んでいたのです。それから3番目なのですが、日本人の方も含めて、さまざまな退役軍人と話したのですけれども、彼らはみな、一様に、今、この年になってみて、あの頃は本当にただただ若く、相手のことが何もわからずに、無我夢中に戦っただけだったんだということで、どっちがどっちということもないと、みなさん口を揃えて言ってらっしゃったので、この作品ができたということをとても嬉しく思います。
◆質問:この映画は、国家が戦争というものを遂行していくために、真実が歪められていくということを描いていると思います。3人の方にお伺いしたいのですが、現在も、たとえばアメリカのイラク戦争で同じようなことが起きているとお考えでしょうか。

■(ジェシー・ブラッドフォード):まず私が感じるのは、イーストウッド監督でしたら、この映画では、やはり、あの時代の、あの戦争のあの写真の事実を正確に伝えたい、知られていない事実がこの写真の裏にはあるというようなことをおっしゃるはずなんです。ただ、この映画を観て、いろいろな方がいろいろなことを感じると思います。私が一番感じるのは、今、イラクで起こっている戦争と当時の状況というのは、非常に共通点があると思うのです。政治家というのは、国民に対して、如何に戦争が有益かとか、いろいろなプロパガンダをするものだと思いますし、今、まさにアメリカで、イラク戦争が必要な戦争だったのかというディベートがあります。この映画をご覧になって、さらにそういうディベートが激しくなると思います。私としては、そういう意味での共通点が見いだせると思います。ただし、実際に戦争を戦っている戦士たちと政治家たちの間には、かなり溝があるものだと思うのです。この硫黄島の写真がありますけれども、今のイラク戦争のイメージというと、あまり、こういう英雄的なものはなくて、屈辱的な刑務所のイメージですとか、そういうものしかないと思います。ただし、私としては、戦地に出向いて国のために戦っている人たちに、非常に敬意を払おうと思いますし、無事に帰ってきて欲しいと思っています。

■(アダム・ビーチ):私も、今の状況と当時の状況というものに似通った部分があるというふうに感じています。今でもプロパガンダというものがありますし、我々の文化というものは、物を売る文化です。物を売って収入を得る文化なので、戦争が起こると儲かる商売があったり、戦争で儲けるという商売があったりという、製造業が出てくるわけです。ただし、アイラ・ヘイズを演じて感じたのは、こういうアイラ・ヘイズのような人々がたくさんいた。犠牲になった人々、彼らには友達がいて、家族もいたわけです。ですから、政治家が、そういう彼らをチェスゲームの中の駒として使わないで欲しいと思いますし、また、我々はこの世の中でいろいろなことを学んできたはずなので、暴力に頼らない解決策を、何か見い出していってほしいと思います。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):みなさんも真実を知りたいということなのでしょうが、現実には、私自身の経験では、真実とは明らかにされません。国は何かがあると兵士を送って戦争を始める。本当の真実を知ろうとしていない。でも、それは私としては、非常に嫌なことであるわけですけれども、ここで言いたいことは、現実の中で私なりに考えて、「ジェイムズ・ブラッドリー平和基金」というものを立ち上げました。これはどういう基金かというと、本の収益を注ぎ込みまして、毎年、中国と日本に交換留学生を送っています。高校ですけれども、6年目になりました。なぜ、私が今、そういうことをしているかというと、相手の国の人々の居間に入って、高校時代になんらかの経験をしたなら、彼らだっていつかは政府の高官になるかもしれませんが、そういった権力の構造の中にいたとしても、その居間での昔の経験というものによって、戦争にすぐ突入するのではなくて、なんらかの別の方法、解決策を見つけるのではないか。そういう希望を持っていて、私としては現実的に、それ以外には希望を見つけられないので、自分ではそういうことをやっています。

◆質問:少年の頃は、白黒はっきり、日本は悪くてアメリカは良いというふうに思っていらっしゃいましたか。また、日本にはなぜいらしたのですか。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):私ももちろん考えていました。良い方があれば、その反対は悪い方であるということですね。ただ、私は21歳になるまでに21カ国を旅行していました。そして、そういう経験の中で、どんな国の母親も、息子を戦争に送り出した母親の涙はまったく同じであると思いました。私の母がいつも言っていました。結局のところ、いろいろなところで戦争があるというふうに言っているけれども、すべて普通の人が参加するわけだから、シビルウォー 一 市民戦争 一 なんだよ、と。国と国ではなく、市民と市民が戦うのだと言っていました。

●司会者:この後の『硫黄島からの手紙』には、どんなことを期待されているかということを、みなさんにお聞かせいただいて会見を終了したいと思います。

■(ジェイムズ・ブラッドリー):私としては、そういう作品、つまり、反対側の視点に立つものが観られてとても嬉しいと思います。これまで、メディアでは、日本側のほうはどうだったのかということが十分に紹介されなかったと思うんですね。そして、フェアな形で紹介されてもいなかったと思うのです。私としては、是非、日米で議論が巻き起こり、お互いに癒されていない心の傷が、お互いに話し合うことによって癒されればと思います。

■(ジェシー・ブラッドフォード):私は大学時代、映画を勉強していたのですが、本当に、映画史上、1つの戦争を両方の側から描こうという映画は今までに一度もなかったと思います。ですから、自分がその一部になり得たということはとても興奮していますし、また先ほど、ジェイムズさんがコメントされたすべて、戦争で息子を失った母親の話、また、外国との戦いではなくて市民戦争なのだという言葉について、もっともっと考えるべきだなと思いました。戦後60年という長い期間が経過しましたが、恐ろしい、虐殺という戦いを見直す、とても良い機会だと思います。

■(アダム・ビーチ):私としては、次の映画、『硫黄島からの手紙』を観るのがとても楽しみです。今回、『父親たちの星条旗』の中でアイラ・ヘイズという役を演じましたが、私自身がネイティブ・アメリカンですし、この映画の中でも、アイラ・ヘイズを通して、 ─ 彼はとても愛国心の強い人物だったと思うのですが、 ─ アメリカのために戦ったのと同時に、やはり、先祖のため、先祖の土地を守るために戦った人だと思うのです。ですから、今度の映画の中で、日本側の視点から、文化のため、先祖の土地を守るという気持ちで戦った人たちの思いを是非知りたいと思いますし、日本に来てから、みなさん、日本人は非常に礼儀正しく美しい人たちなので、興味を持ちました。

(通訳者の表現をもとに採録。細部の言い回しなどには若干の修正あり)


『父親たちの星条旗』は2006年10月28日より丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にて公開 。