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【キャスト&スタッフ】

■クリント・イーストウッド(ウォルト・コワルスキー/監督/製作)

西部劇というジャンルに新風を送り込んだ『許されざる者』(1992)で主演、監督、製作にあたり、ゴールデングローブ賞の監督賞を受賞。米アカデミー賞では作品賞と監督賞に輝き、助演男優(ジーン・ハックマン)、編集、オリジナル脚本、撮影、美術、編集、音楽の各部門にノミネートされた。

監督、製作、音楽を兼ねた『ミスティック・リバー』(2003)もオスカー6部門(作品、監督、主演男優、助演男優、助演女優、脚色)にノミネートされ、そのうち主演男優賞(ショーン・ペン)と助演男優賞(ティム・ロビンス)を受賞。ゴールデングローブ賞で監督賞候補にあがったほか、カンヌ国際映画祭ではパルムドールにノミネートされ、優れた監督に贈られるゴールデン・コーチ賞を獲得した。

続く『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)では主演、監督、製作、音楽を担当し、米アカデミー賞の作品賞と監督賞を受賞、主演男優賞候補にあがる。共演のヒラリー・スワンクが同賞の主演女優賞を、モーガン・フリーマンが助演男優賞に輝き、脚色賞と編集賞にノミネートされた。また、ゴールデングローブ賞では監督賞と音楽賞を受賞した。

その2年後、第二次大戦下の硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く二部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)で監督と製作を務め、いずれの作品でも米アカデミー賞の作品賞と監督賞にノミネートされた。後者ではゴールデングローブ賞と批評家協会賞の外国語映画賞を獲得し、ロサンゼルス映画批評家協会やナショナル・ボード・オブ・レビューなどでは多くの批評家から絶賛され、作品賞を総なめにした。

最近では、アンジェリーナ・ジョリーを主演に迎えた『チェンジリング』(2008)で監督と製作を兼任。1928年にロサンゼルス市警を揺るがした誘拐事件を再現し、カンヌ国際映画祭にて初上映。同映画祭の特別賞を受賞し、パルムドールにノミネートされた。

ほかにも、監督と製作を兼ねた『バード』(1988)でゴールデングローブ賞の監督賞、カンヌ国際映画祭の主演男優賞と音楽賞を獲得し、パルムドール候補に。主演、監督、製作を兼ねた『ペイルライダー』(1985)でもパルムドールにノミネートされ、1994年には同映画祭の審査団長を務めた。

こうした長年の実績が認められ、ゴールデングローブ賞のヘンリエッタ賞(1971)、同セシル・B・デミール賞(1988)、ハーバード大学ヘイスティ・プディング演劇協会賞(1991)、カリフォルニア州知事賞(1992)、米アカデミー賞のアービング・タールバーク記念賞(1995)を受賞。さらに全米映画監督協会、全米映画製作者協会、全米映画俳優協会、アメリカン・フィルム・インスティテュート、リンカーン・センター映画協会、フランス映画協会、米ナショナル・ボード・オブ・レビュー、米ヘンリー・マンシーニ学院、ハンブルク国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭より功労賞を受けた。

本作に続いては、アパルトヘイト後の南アフリカを舞台にした大作でマット・デイモンとモーガン・フリーマン(ネルソン・マンデラ役)を主演に迎え、監督と製作にあたる予定だ。

<フィルモグラフィー>

『グラン・トリノ』 (2008) 監督/製作/出演
『チェンジリング』 (2008) 監督/製作
『硫黄島からの手紙』 (2006) 監督/製作
『父親たちの星条旗』 (2006) 監督/製作
『ミリオンダラー・ベイビー』 (2004) 監督/製作/出演
『ミスティック・リバー』 (2003) 監督/製作
『ブラッド・ワーク (2002) 監督/製作/出演
『スペース カウボーイ』 (2000) 監督/製作/出演
『トゥルー・クライム』 (1999) 監督/製作/出演
『真夜中のサバナ』 (1997) 監督/製作
『目撃』 (1997) 監督/製作/出演
『ヘンリエッタに降る星』 (1995) 製作
『マディソン郡の橋』 (1995) 監督/製作/出演
『パーフェクト・ワールド』 (1993) 監督/出演
             『ザ・シークレット・サービス』 (1993) 出演
『許されざる者』 (1992) 監督/製作/出演
『ルーキー』 (1990) 監督/出演
『ホワイトハンター ブラックハート』 (1990) 監督/製作/出演
『ピンク・キャデラック』 (1989) 出演
『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』 (1988) <未> 製作総指揮
『バード』 (1988) 監督/製作
『ダーティハリー5』 (1988) 出演
『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』 (1986) 監督/製作/出演
『ペイルライダー』 (1985) 監督/製作/出演
『シティヒート』 (1984) 出演
『タイトロープ』 (1984) 製作/出演
『ダーティハリー4』 (1983) 監督/製作/出演
『センチメンタル・アドベンチャー』 (1982) 監督/製作/出演
『ファイヤーフォックス』 (1982) 監督/製作/出演
『ダーティファイター/燃えよ鉄拳』 (1980) 出演
『ブロンコ・ビリー』 (1980) 監督/出演
『アルカトラズからの脱出』 (1979) 出演
『ダーティファイター』 (1978) 出演
『ガントレット』 (1977) 監督/出演
『ダーティハリー3』 (1976) 出演
『アウトロー』 (1976) 監督/出演
『アイガー・サンクション』 (1975) 監督/出演
『サンダーボルト』 (1974) 出演
『ダーティハリー2』 (1973) 出演
『愛のそよ風』 (1973) <未> 監督
『荒野のストレンジャー』 (1973) 監督/出演
『シノーラ』 (1972) 出演
『ダーティハリー』 (1971) 出演
『恐怖のメロディ』 (1971) 監督/出演

主演:

『白い肌の異常な夜』 (1971)
『戦略大作戦』 (1970)
『真昼の死闘』 (1970)
『ペンチャー・ワゴン』 (1969)
『荒鷲の要塞』 (1968)
『マンハッタン無宿』 (1968)
『奴らを高く吊るせ!』 (1968)
『華やかな魔女たち』 (1966)
『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』 (1966)
『夕陽のガンマン』 (1965)
『荒野の用心棒』 (1964)

出演:

『壮烈!外人部隊』 (1957) <未>
『Ambush at Cimarron Pass』 (1957)
『二人の可愛い逃亡者』 (1957)
『Star in the Dust』 (1956)
『最初の女セールスマン』 (1956) <未>
『全艦発進せよ』 (1956)
『Never Say Goodbye』 (1956)
『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』 (1955)
『Lady Godiva』 (1955)
『Francis in the Navy』 (1955)
『半魚人の逆襲』 (1955)

TVシリーズ:

『世にも不思議なアメージング・ストーリー』
シーズン1第12話「ヴァネッサの肖像」(1985) 監督
『ローハイド』 (1959?1966) 出演
『ミスター・エド』 (1962) ゲスト出演
『マーベリック』 (1959) ゲスト出演
『Highway Patrol』 (1958) ゲスト出演
『West Point』 (1957) ゲスト出演




■ビー・バン(タオ・ロー)

本作でプロデビューをはたした新人。クリント・イーストウッド扮する気むずかしい帰還兵と、不思議な友情を育む少年を演じる。

カリフォルニア州フレズノで生まれ、ミネソタ州ミネアポリスで育つ。本作のオーディションを受けたのは17歳のとき。当時は、医学部進学をめざしてミネソタ大学で授業を受けていた。演技については学校の演劇部で経験した程度だったが、それでも一般公募で集まった数百名の候補者の中からタオ役に選ばれた。

小さいころからイーストウッドのファンで、憧れのスターと共演できたことに驚きと興奮を隠せない。

音楽の才能も豊かでピアノ、オーボエ、ビオラ、フルートが得意。今は医学部への進学を保留し、俳優業に進みたいと考えている。



■アーニー・ハー(スー・ロー)

本作で映画界にデビュー。イーストウッド扮するウォルト・コワルスキーの隣人であり、コワルスキーと交流をもとうとする気丈な少女を演じる。

ミシガン州ランシング出身。16歳のとき、この役を射止める。プロとしての経験はなかったものの、芝居が好きで地元の劇団に3年ほど所属していた。

学業優秀で、大学では写真とインテリア・デザインを勉強する予定だ。



■クリストファー・カーレイ(ヤノビッチ神父)

ザック・ブラフ監督『終わりで始まりの4日間』(2004・未)等のインディペンデント作品を経て、最近ではロバート・レッドフォード監督『大いなる陰謀』(2007)に出演。今回は、イーストウッド扮する主人公にあがないを勧める神父という初の大役に挑戦している。

米ニューヨークに生まれ、ニューヨーク市警の警察官を父にもつ。ニューヨーク大学で演劇を専攻し、劇作家デイビッド・マメット主宰の名門劇団アトランティック・シティ・カンパニーで演技の腕を磨いた。プロとして地方劇団やオフブロードウェイの作品に出演し、トニー賞に輝いたマーティン・マクドナー作「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」でブロードウェイにデビュー。TVでは「LAW&ORDER:性犯罪特捜班」(1999)、「NUMBERS〜天才数学者の事件ファイル」(2005)、「ザ・ソブラノズ/哀愁のマフィア」「Dr. HOUSE」(共に2006)などのシリーズにゲスト出演した。

本作に続いてはインディペンデント映画『Miss Nobody』(2008)でレスリー・ビッブ、アダム・ゴールドバーグと共演。



■ロバート・ローレンツ(製作)

1994年からイーストウッドの右腕として活躍。現在はイーストウッドの制作会社マルパソ・プロダクションズの全作品において企画、製作から宣伝、配給まで手がけている。

米シカゴ郊外で育ち、1989年に映画界入りをめざしてロサンゼルスへ渡る。『マディソン郡の橋』(1995)でイーストウッドの助監督を務めて以来、『真夜中のサバナ』『目撃』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)で組んだ。サスペンスの『ブラッド・ワーク』(2002)やオスカー受賞作『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で製作総指揮にあたり、『ミスティック・リバー』(2003)で製作を務めてオスカー候補となった。

また、全編日本語による第二次大戦記『硫黄島からの手紙』(2006)でも製作を担当し、再度オスカーにノミネートされ、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ナショナル・ボード・オブ・レビューで作品賞、ゴールデングローブ賞、批評家協会賞で外国語映画賞を受賞した。イーストウッドの前監督作『チェンジリング』(2008)ではロン・ハワード、ブライアン・グレイザーと共同で製作にあたる。この作品では、1920年代に起きた幼児誘拐事件を再現し、ロサンゼルス市警に疑問を呈する主人公クリスティン・コリンズ役にアンジェリーナ・ジョリーを起用した。

イーストウッド監督、製作による次回作ではアパルトヘイト後の南アフリカを描き、マット・デイモンとモーガン・フリーマン(ネルソン・マンデラ役)を主演に迎える予定だ。



■ビル・ガーバー(製作)

1998年に制作会社ガーバー・ピクチャーズを立ち上げ、ワーナー・ブラザース映画と提携し、幅広いジャンルの映画作品を放っている。

音楽界からキャリアをスタートし、ロサンゼルスでコンサートのプロモーターとして活躍。1979年にエリオット・ロバーツ率いる音楽プロダクションのルック・マネジメントに入社して、ディーボ、カーズ、ヘブン17、ABCといったアーティストのマネジメントにあたる。1984年からワーナー・ブラザース映画やパラマウント映画で製作を手がけるようになり、翌年には芸能プロダクションのガーバー/ロッドキンを設立して、ジャド・ネルソン、ロバート・ダウニーJr.、ビリー・ゼイン、サラ・ジェシカ・パーカー、ダン・ハートマンらを育てた。

1986年にワーナー・ブラザース映画の映画製作部副社長に就任、1996年に国際映画製作部社長に昇進し、1998年まで在籍。その間の担当作に、『運命の逆転』『グッドフェローズ』(共に1990)、『JFK』(1991)、『許されざる者』(1992)、『ラブリー・オールドメン』(1993)、『ディスクロージャー』(1994)、『ヒート』『リトル・プリンセス』(共に1995)、『ラブリー・オールドメン/釣り大将LOVE LOVE日記』(1995・未)、『ツイスター』(1996)、『L.A.コンフィデンシャル』(1997)、『セレナ』(1997・未)、『ユー・ガット・メール』(1998)、『アナライズ・ミー』(1999)、『スペース カウボーイ』『パーフェクト ストーム』(共に2000)など。

このほか製作を務めた作品に、コリン・ファレル主演『アメリカン・アウトロー』(2001)、スポーツ・コメディ『プリティ・ダンク』(2002・未/アマンダ・バインズ、コリン・ファース共演)、アクション・コメディ『セイブ・ザ・ワールド』(2003/マイケル・ダグラス、アルバート・ブルックス共演)、スケートボードの世界を描いた『クール・ボーダーズ』(2003・未)、人気ドラマの映画版『デュークス・オブ・ハザード』(2005・未/ジョニー・ノックスビル、ショーン・ウィリアム・スコット、ジェシカ・シンプソン共演)、コント集団ブロークン・リザード主演『ビール・フェスタ 無修正版 世界対抗一気のみ選手権』(2006・未)など。また、『追撃者』(2000)、『クイーン・オブ・ヴァンパイア』(2002)、『ロング・エンゲージメント』(2004)、TV映画「DEAN/ディーン」(2001)では製作総指揮を担当。「DEAN/ディーン」はエミー賞11部門で候補となり、ジェイムズ・ディーン役を演じたジェイムズ・フランコはゴールデングローブ賞に輝いた。



■ニック・シェンク(脚本)

本作で映画脚本家としてデビューを飾った。 米ミネソタ州出身。ミネアポリス芸術デザイン大学で美術の学位を取得した後、脚本を書き始め、友人たちとグループを結成して地元のケーブルTV番組に出演する。のちに、そのメンバーだったリッチ・クロンフェルドとコンビを組み、ケーブル局のテレビ番組で脚本と製作を担当。米PBS放送のコメディ・シリーズ「Ozone Radio」、米コメディ・セントラル放送の「Let's Bowl」等を手がけた。その後、エージェントの勧めで脚本業一本に絞り、現在に至る。


■デイブ・ジョハンソン(原案)

米ミネソタ州出身。同郷のニック・シェンクとともに本作の原案を練り、映画界入りをはたした。ミネソタ大学の卒業生で、現在は同州のセントポールに妻ダイアナと暮らす。


■ジェネット・カーン(製作総指揮)

コミック界の革命家として27年間、DCコミックスに在籍。2003年に本作のアダム・リッチマンと共同で制作会社ダブル・ニッケル・エンターテイメントを設立。第一回作品としてリチャード・ギア、クレア・デーンズ共演のスリラー『消えた天使』(2007)を放ち、今後はさまざまなジャンルの作品を手がけていく予定だ。

米ハーバード大学で美術史を専攻し、優秀な成績で卒業。1970年代前半に、子供による子供のための雑誌「キッズ」を創刊し、薬物、人種、動物保護、環境などの現代にも通じるテーマを盛り込んだ。その後も米ゼロックス教育出版の「スマッシュ」、米スカラスティック社の「ダイナマイト」と児童向けの雑誌を相次いで放つ。後者はスカラスティック社始まって以来のベストセラー出版物となり、類似誌「ワオ」「バナナズ」の創刊につながった。

28歳のとき、スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマンら5000以上もの人気キャラクターを誕生させたDCコミックスの発行人に就任する。33歳で書籍部の編集長兼代表となり、同社の「マッド」誌を創刊したビル・ゲインズ亡き後は、「マッド」の編集長兼代表も兼任。DCコミックス史上、最年少かつ女性初の大抜擢となった。在職中は、子供の読み物だったコミックを大人の鑑賞に耐える芸術作品の粋にまで昇華させ、「Ronin」「The Dark Knight Returns」「Hellblazer(Constantine)」「Watchman」「Road to Perdition」「A History of Violence」「Books of Magic」「V for Vendetta」「Sandman」「100 Bullets」などの新刊を次々と発表し、その多くが劇場映画となった。また、コミック作家たちの権利の確立、拡大にも奔走する。

創刊15周年を迎えたバーティゴ・シリーズや黒人のクリエーターによるマイルストン・コミックス(人気連載の「Static Shock」はワーナー・ブラザースによってTVアニメーションとなり、2000〜2004年まで全米で放映)の発行に尽力する一方で、一番人気のスーパーマンを絶命、復活させるなど、DCコミックス歴代のキャラクターを活性化させることに成功。また、作品を通じてドメスティック・バイオレンス、同性愛、銃犯罪、ホームレス、人種差別、エイズなどの社会問題を積極的に提起した。

こうした志は各界から高く評価されている。ドラッグ問題の啓発に対してはレーガン時代のアメリカ政府から、また地雷問題の啓発に対してはマデレーン・オルブライト元国務長官、国連、アメリカ国防省より表彰を受けた。さらにFBIとバージニア州のダグラス・ウィルダー元知事がコミックを通した銃規制への呼びかけに謝辞を表明。これを機にバージニア州では従来より厳しい銃規制法案が成立した。また、カーンのクリエイティブな活動に対して、世界デザイン財団が栄誉賞を授与した。

映画界以外では、数々の団体で名誉職に就任。ニューヨークの文化芸術振興団体エグジット・アートやハーレム・ステージの理事、同じくニューヨークのビル・T・ジョーンズ/アーニー・ゼイン舞踊団の顧問を務め、女性経営者の会The Committee of 200の創立メンバーに名を連ねている。近年はワンダーウーマンの生誕40周年を記念して、ワンダーウーマン財団を設立。平和維持、平等社会の実現、女性への支援などワンダーウーマン並の活躍をみせる40歳以上の女性を対象に、計35万ドルあまりの奨励金を支給している。

2003年春に米アブビール出版より、初めての著書「In Your Space」を上梓した。



■アダム・リッチマン(製作総指揮)

本作のジェネット・カーンと共同で制作会社ダブル・ニッケル・エンターテイメントを設立。第一回作品『消えた天使』(2007)に続き、幅広いジャンルの作品をプロデュースする予定だ。

米ニューヨーク州ポートワシントンで育つ。米タフツ大学で英語と演劇を学び、米ハーバード大学でMBAを取得。在学中の19歳のとき、ネクスト・ステージ・プロダクションズを設立して製作業に乗り出し、計38作品をプロデュース、14作品を監督、12作品を企画した。卒業後は米HBO放送の通信事業Visitor Information Network Groupでプログラムの制作にかかわった。

その後、大手芸能プロダクションのユナイテッド・タレント・エージェンシーの研修生として、インディペンデント映画の配給に尽力。サンダンス映画祭で初上映された『Sugar Town』(1999/アリソン・アンダース監督)と『Trick』(1999/ジム・フォール監督)をオクトーバー・フィルムズ、ファイン・ラインからそれぞれ配給することに成功した。ユナイテッド在職中は多くの出資先や制作会社を通して製作費の調達につとめ、各国の大手スタジオ、TV局、代理店、マネジメント会社と太いパイプをつくった。

制作会社MPCA(Motion Picture Corporation of America)に入社後は企画製作部の副社長として30本あまりの作品を統括し、権利関係から宣伝配給まで手がける。一方、HBO放送、スターズ/アンコール、サイ=ファイ・チャンネル、フォックス・ファミリー等のアメリカのTV局向けにTV映画を多数製作した。MPCA時代に手がけた代表作に、SFアクション『ブラディ・ヴァンパイア』(2001・未)、TV映画『ファイター』(2002・未)等がある。また、MPCA代表としてカンヌ、サンダンス、トロント、米アスペンコメディなどの映画祭に足を運び、海外との共同製作や出資の交渉にあたった。

現在はゲームメーカーや出版社の顧問も務めており、近年ではスポーツゲーム・メーカーのストラット・オー・マティック社の創立40周年記念イベントを指揮し、同社とスポーティング・ニュース社とのデジタル・コンテンツ契約を成立させた。最近ではBuilding Career Foundationsと銘打った長期の映像プロジェクトを企画。このプロジェクトはハーバード大ビジネス・スクールの卒業生10名のキャリアを30年がかりで追い、5年ごとに映像として記録するもので、現在も進行中だ。このプロジェクトの関連商品はハーバード・ビジネス・スクール出版局より発売されており、各国の大学で教材として採用されている。

新婚の妻とニューヨークのハーレムに在住。



■ティム・ムーア(製作総指揮)

イーストウッド作品に携わるのは今回で6度目。オスカー6部門にノミネートされた『ミスティック・リバー』(2003)、同4部門で受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、同作品賞にノミネートされた『硫黄島からの手紙』(2006)ほか、『父親たちの星条旗』(2006)や『チェンジリング』(2008)も担当した。

また、ローディ・ハーリントン監督とは20年来のつき合いで、エスピー賞(スポーツ専門放送局ESPYが主催)の候補作『ボビー・ジョーンズ 球聖と呼ばれた男』(2004・未)ほか、『殺しのナイフ/ジャック・ザ・リッパー』(1987)、『ロードハウス/孤独の街』(1989)、『コンフェッション』(1998)などをプロデュースした。

UCLA時代に知り合ったジョン・シェパードと組んで映画界入りし、『Eye of the Storm』(1992)、『The Ride』(1997)、『バーティカル・ハンガー』(2002・未)、前出『ボビー・ジョーンズ〜』等のインディペンデント作品を手がける。また、スティーブ・ブシェミ監督『アニマル・ファクトリー』(2000/ウィレム・デフォー主演)、アーネ・グリムシャー監督『バウンティ・キッド』(1999)をプロデュースし、TV映画の「Stolen from the Heart」(2000)や「センパー・ファイ! 海兵隊の誇りを胸に」(2001)では制作マネージャーを担当。近年はアリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)で共同製作を務めた。

プライベートでは、妻ボビーとともに動物愛護活動に取り組んでいる。



■ブルース・バーマン(製作総指揮)

1996年5月にワーナー・ブラザース系列の独立系映画会社プランBエンターテイメントを立ち上げ、1998年2月からビレッジ・ロードショー・ピクチャーズの会長兼CEOを務める。ビレッジ・ロードショーを通じてワーナー・ブラザース映画との製作提携しており、ワーナー・ブラザースが世界配給を、ビレッジ・ロードショー・ピクチャーズが一部地域の配給を担当している。

過去のワーナー/ビレッジ・ロードショー作品に、『プラクティカル・マジック』(1998/サンドラ・ブロック、ニコール・キッドマン共演)、『アナライズ・ミー』(1999/ロバート・デ・ニーロ、ビリー・クリスタル共演)、「マトリックス」全3作(1999、2003、2003/キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン共演)、『スリー・キングス』(1999/ジョージ・クルーニー主演)、『スペース・カウボーイ』(2000/クリント・イーストウッド監督、主演)、『デンジャラス・ビューティー』(2000/サンドラ・ブロック、ベンジャミン・ブラッド共演)など。バーマン自身が製作総指揮を務めたビレッジ・ロードショー作品には、『トレーニング・デイ』(2001/デンゼル・ワシントンがオスカーの主演男優賞を獲得)、『オーシャンズ11』(2001)、『トゥー・ウィークス・ノーティス』(2002/サンドラ・ブロック、ヒュー・グラント共演)、イーストウッド監督『ミスティック・リバー』(2003/ショーン・ペンとティム・ロビンスがオスカーの主演男優賞、助演男優賞をそれぞれ受賞)、『オーシャンズ12』(2004)、ジョニー・デップ主演『チャーリーとチョコレート工場』(2005/ティム・バートン監督)、オスカー長編アニメーション賞を受賞した『ハッピー フィート』(2006)、『オーシャンズ13』(2007)、『ブレイブ ワン』(2007/ジョディ・フォスター主演、ニール・ジョーダン監督)、『アイ・アム・レジェンド』(2007/ウィル・スミス主演)、『ゲット・スマート』(2008/スティーブ・カレル、アン・ハサウェイ共演)、『最後の初恋』(2008/リチャード・ギア、ダイアン・レイン共演)、『イエスマン“YES”は人生のパスワード』(2008/ジム・キャリー主演)などがある。 米ジョージタウン法科大学院に在学中、全米映画協会でジャック・バレンティ会長のアシスタントを務める。1978年に同大学院を卒業し、カサブランカ・フィルムズに入社。その後ユニバーサル映画に籍を移し、1982年に同社の製作部副部長に就任した。

1984年にワーナー・ブラザース映画に移籍し、数々の要職を経て、1991〜1996年5月まで国際映画製作部社長を務めた。ワーナー時代の担当作に、『ドライビング・ミス・デイジー』(1989)、『推定無罪』『グッドフェローズ』(共に1990)、『JFK』『ロビン・フッド』(共に1991)、『沈黙の戦艦』『マルコムX』『ボディガード』(いずれも1992)、『逃亡者』『デーヴ』『ペリカン文書』(いずれも1993)、『依頼人』『ディスクロージャー』(共に1994)、『バットマン フォーエヴァー』(1995)、『ツイスター』『評決のとき』(共に1996)等がある。

本作に続いては、モーリス・センダックの絵本「かいじゅうのいたるところ」を映画化した『Where The Wild Things Are』(スパイク・ジョーンズ監督)、名探偵シャーロック・ホームズの活躍を描く『Sherlock Holmes』(ガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.主演)が2009年に公開を控えている。



■トム・スターン(撮影)

30年におよぶキャリアのなかでイーストウッドとは20年以上の付き合いになる。最初は照明係としてイーストウッド作品にかかわり、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)、『ダーティハリー4』(1983)、『タイトロープ』(1984)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)を担当。イーストウッドの制作会社マルパソ・プロダクションズで主任照明技師になってからは『ルーキー』(1990)、『許されざる者』(1992)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)を手がけた。その後、『ブラッド・ワーク』(2002)で撮影監督に昇格し、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)、『チェンジリング』(2008)を担当。

このほか主任照明技師を務めた作品に、マイケル・アプテッド監督『訴訟』(1991)、サム・メンデス監督の『アメリカン・ビューティー』(1999)と『ロード・トゥ・パーディション』(2002)など。また、撮影を担当した作品に、ローディ・ヘリントン監督『ボビー・ジョーンズ 球聖と呼ばれた男』(2004・未)、スコット・ディクソン監督『エミリー・ローズ』(2005)、ジョン・タトゥーロ監督『Romance & Cigarettes』(2005)、アリソン・イーストウッド監督『レールズ&タイズ』(2007・未)、クロストフ・バラティエ監督『Paris 36』(2008)、スザンヌ・ビア監督『悲しみが乾くまで』(2008)等がある。



■ジェイムズ・J・ムラカミ(美術)

イーストウッド作品で美術を担当するのは『硫黄島からの手紙』(2006)、『チェンジリング』(2008)に続いて3度目。それ以前は、イーストウッドと旧知の美術デザイナー、ヘンリー・バムステッドと組み、『許されざる者』(1992)でセット・デザイナーを、『真夜中のサバナ』(1997)でアート・ディレクターを務めた。

このほかアート・ディクレクターを務めた作品に、ジョン・バダム監督『ウォー・ゲーム』(1983)、バリー・レビンソン監督『ナチュラル』(1984)、マーティン・ブレスト監督『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)と『ミッドナイト・ラン』(1988)、デイビッド・フィンチャー監督『ゲーム』(1997)、ピーター・ハイアムズ監督『レリック』(1997)など。トニー・スコット監督作では『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987)、『トゥルー・ロマンス』(1993)、『クリムゾン・タイド』(1995)、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)でアート・ディクレクターとして活躍。セット・デザイナーとしては、『スニーカーズ』(1992)、『アイ・ラブ・トラブル』(1994)、『真夏の出来事』(1996)、『ポストマン』(1997)、『プリティ・プリンセス』(2001)、『スコーピオン・キング』(2002)、TVシリーズ「チャームド 魔女3姉妹」等を手がけた。

2004年にTVシリーズ「Western」(2004)でエミー賞にノミネートされ、翌年には米HBO放送のシリーズ「デッドウッド 銃とSEXとワイルドタウン」(2005)で同賞を受賞した。



■ジョエル・コックス(編集)

ワーナー・ブラザース作品をひとすじに手がけ、その大半をイーストウッド作品が占める。編集アシスタント時代に『アウトロー』(1976)を担当したのをきっかけに、25本あまりのイーストウッド主演作、監督作、プロデュース作に携わってきた。そのうち『許されざる者』(1992)で米アカデミー賞の編集賞に輝き、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で同賞にノミネートされた。

ほかに担当したイーストウッド作品に、『ダーティハリー4』(1983)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)、『バード』(1988)、『ホワイトハンター ブラックハート』『ルーキー』(共に1990)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『マディソン郡の橋』(1995)、『目撃』『真夜中のサバナ』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)、新作『チェンジリング』(2008)など。また、恩師のフェリス・ウェブスターと共同編集したイーストウッド作品に『ダーティハリー3』(1976)、『ガントレット』(1977)、『アルカトラズからの脱出』(1979)、『ブロンコ・ビリー』『ダーティファイター/燃えよ鉄拳』(共に1980)等がある。



■ゲイリー・ローチ(編集)

『目撃』(1997)でイーストウッド作品に初参加。そのときは実習生だったが、まもなく編集アシスタントに昇格し、『真夜中のサバナ』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』(2006)を担当。『硫黄島からの手紙』(2006)でひとり立ちし、本作のジョエル・コックスと共同で編集にあたる。アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)ではひとりで編集を手がけた。

ドキュンメンタリー映画では、マーティン・スコセッシ製作、イーストウッド監督の『ピアノ・ブルース』(2003・未)や人気歌手トニー・ベネットを描いた『Tony Bennette: The Music Never Ends』(2007)を担当した。



■デボラ・ホッパー(衣装)

イーストウッドが主演と製作を兼ねた『タイトロープ』(1984)で女性用の衣装を監修。以来、20年あまりにわたってイーストウッド作品にかかわってきた。女性用衣装の監修として『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)、『バード』『ダーティハリー5』(共に1988)、『ピンク・キャデラック』(1989)、『ルーキー』(1990)を手がけ、衣装全般の監修としては『目撃』『真夜中のサバナ』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)を担当。

衣装デザイナーに昇格してからは『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)を手がけ、近作『チェンジリング』(2008)では年代物の衣装をデザイン。アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)でも衣装を担当した。

このほか衣装の監修を務めた作品に、『氷の微笑』『チャーリー』(共に1992)、『Exit to Eden』(1994)、『ストレンジ・デイズ』(1995)、『ゴッドー・エージェント』(1996・未)、『狼たちの街』(1996)など。TV映画「L.A.シェイクダウン/裸体の疑惑」(1987)では1950年代の衣装を手がけ、エミー賞を獲得した。



■カイル・イーストウッド(音楽)

本作では長年のパートナー、マイケル・スティーブンスととも主題歌を含むスコア全般を提供。これまでにもスティーブンスと組んで『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)といった父クリント・イーストウッドの作品を担当。アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)でもスティーブンズと共同でスコアを手がけた。

米カリフォルニア州カーメル出身。ジャズの好きな父に連れられて、幼いころからモンテレー・ジャズフェスティバルなどに親しみ、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、マイルス・デイビスらのジャズに触れる。高校時代は学友とバンドを組んで、地元ぺブルビーチで演奏をしていた。1986年、南カリフォルニア大学2年生のとき、音楽活動に専念するため休学を決意。一年だけのつもりが、今に至っている。

ニューヨークやロサンゼルスでの下積み時代を経て、ソニーと契約し、1998年にファースト・アルバム「From There to Here」をリリース。このアルバムでは歌姫のジョニ・ミッチェルをボーカルに迎え、ジャズのスタンダードとオリジナル曲を収録して高い評価を得る。2004年にジャズ専門の英国のレコード会社キャンディッド・レコーズと契約。同社を通して、サック奏者デイブ・コーズが率いるランデブー・エンターテイメントとも契約が決まり、アメリカでのアルバムリリースが可能になった。

2005年に発表したセカンド・アルバム「Paris Blue」には父クリントも参加し、9歳の娘も自作自演のイントロソングを提供。2006年秋に3枚目のアルバム「NOW」を発表。最新アルバム「Metropolitan」は2009年5月に発売される予定だ。



■マイケル・スティーブンス(音楽)

本作のカイル・イーストウッドと組んでスコアを手がけた作品に、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)、アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)がある。また、カイル・イーストウッドのアルバム「Paris Blue」「NOW」「Metropolitan」で作曲やプロデュースを担当した。

米シカゴ郊外のパラタインで育ち、5歳でピアノを始める。のちにドラムへ転向するが、家の中で練習する息子に辟易した父親からギターを買ってもらい、クラシックギターに目覚める。17歳でフロリダへ出て、マイアミ大学に入学し、キューバのギタリスト、ファン・メルカダルらとクラシックギターを学ぶ。そのかたわらで作曲も始め、ビージーズのアルバム「ESP」に2曲提供するが、残念なことにアルバム発売前にカットされてしまった。

1987年に南カリフォルニア大学へ転入し、ベースを弾いていたカイル・イーストウッドと知り合う。ふたりでユニットを結成し、アルバム「Magnetic Vacation」を発表。ユニットの活動が軌道に乗ってきたころ、クリント・イーストウッドの勧めでイーストウッド主演、監督の『ルーキー』(1990)に曲を提供し、映画音楽の世界に進出した。

1990年から6年間、映画音楽の大家ハンス・ジマーに師事。米アカデミー賞の作曲賞に輝いた『ライオン・キング』(1994)など20本あまりのサウンドトラックで演奏、録音、プロデュースにあたった。

近年では、『さよなら。いつかわかること』(2007)で主題歌をプロデュースし、本作の主題歌を歌っているジェイミー・カラムをボーカルに起用。ピューリッツア賞に輝く写真家エディ・アダムズを追ったドキュメンタリー映画『An Unlikely Weapon』(2009/仏アビニョン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞)ではスコアを手がけた。