北野武監督 フランス芸術文化勲章受章式レポート
6月12日(土) ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル3階ボールホール



北野武監督


ドキュメント「北野武監督 フランス芸術文化勲章受章式」

司会者
「本日は、お忙しい中、第7回フランス映画祭横浜'99での受章式にお越しいただきまして、大変ありがとうございました。まずは、ユニフランス・フィルム・インターナショナル、ダニエル・トスカン会長を紹介させていただきます。」

会長
「第7回フランス映画祭は、このような大事な受章式に、私たちのこのフェスティバルの場をお使いいただいたことに大変感謝しております。そして、この機会にもう一度、横浜市長をはじめ横浜のみなさんに、この7年間このように温かくお迎えいただいていることにお礼を申し上げたいと思います。この7年間で、現在では100を超えるフランスの未公開作品が、日本のみなさまに紹介されました。そして、その中の大部分は、日本でも紹介することができました。しかし、私どもは、フランス映画だけを紹介するためにこちらに来ているのではありません。私どもは、古くから伝統的に紹介されている日本の映画という考え方に、非常に共鳴しております。フランスは、昔から伝統的に、日本の大監督を積極的に迎え入れて参りました。私個人的には、黒澤明監督と一緒に仕事をさせていただいたという経験ももっております。そして、何年か前から、フランスの観客は、日本の新しい監督を見い出し、その監督はフランスでとても愛されております。そして、北野監督の作品を観て、フランスの観客は楽しんでおります。前回のカンヌでも、もうすぐ公開される新しい作品が上映されました。そして、フランスの観客も、そろって北野監督との喜びを分かち合いたいと思っております。それでは、大使においでいただきます。」

司会者
「モーリス・グルド様よりご挨拶を頂戴いたします。そして、ご一緒に北野武監督にもおいでいただきたいと思います。」

会場、拍手。

大使
「親愛なる北野武様、こうした形で、横浜の地で、第7回フランス映画祭が行われているときに、フランス政府を代表いたしまして芸術文化勲章をお渡しできますことを、とても喜びと感じております。

 北野監督は、まさしく日本の新しい映画を作られた監督と理解しておりますが、それは、どのように形容すればいいのか、次のような言葉がよく使われております。まずは、大変に人気のある伝統破壊者。また、時には、無政府主義者として、また、なぜか意図せずに映画製作者になってしまわれたこと、これはまわりの方ばかりではなくて、ご本人もよく言っておられるわけです。しかしながら、日本では、先ほど私が紹回いたしました「赤信号みんなで渡ればこわくない」というように、大変人気のある一面があると私どもは理解しております。

 日本のみなさまにとっては、むしろ、ビートたけしさんとして有名かもしれません。そして、何事にも許容力のあるところで、まずは、漫才から始められたわけですが、今では、テレビでは欠かせない存在となりました。もちろん、司会者として、本当にテレビで拝見しない日はない。北野チャンネルというものがあるほど、毎日活躍しておられます。

 私ども政府の人間にとりましては、むしろ、監督としての北野武さんのほうが有名かもしれません。まさしく、日本の映画界に彗星のごとく現れた監督と理解しております。まずは、俳優として参加されたいくつかの映画があります。たとえば、軍曹を演じられた『戦場のメリークリスマス』などが、私どもの記憶にも残っております。そして、監督としての4番目の作品となりました『ソナチネ』は、私どもにとっては、大変大きな発見でした。

 それからというもの、『その男、狂暴につき』から『HANA-BI』まで、多くのものを私どもは楽しむことができたわけですが、この中には、いくつかの共通性があろうかと思います。まず、独自の手法、固定のカメラによる長いシーン、また、特別な省略手法、そしてまた、その中の予期せぬ暴力、狂暴性、優しさ、道化と、そういったものすべてがなぜか盛り込まれた、とても魅力的なものと私どもは理解しております。また、映画の中に出てくる俳優というのは、冷淡な役を演じることがあるかもしれません。それは、ある意味では、自分の死に直面していることもあるでしょうし、大きなことをやろうとして失敗して、悲しそうに海辺に立っているという場面もありました。そうしたものすべてに、私どもが感動いたしましたのには、常に、音楽を担当しておられた、久石氏の音楽もあったのだろうと思います。いずれにいたしましても、フランス人の私どもの感性にも訴えるものがありました。

 そして、8番目の作品となりました『菊次郎の夏』は、多くの期待を受けて、カンヌ映画祭で公開されたわけです。そして、今までとは全く違うものを観客は見い出すことができ、また、感動を覚えたのではないかと思います。そこには、北野監督ご自身の特別な技法、また、特殊効果にどこかたよりがちなアメリカ映画とは異なったものを目指していきたいという気持ちを強く感じました。そして、映画監督としての批評は、ご自身でも謙遜されて決して評価してらっしゃらないのでありますが、多くの日本の巨匠と並ぶものと私自身は、確信しているのであります。ですから、こうして開催されている横浜のフランス映画祭の場において、この受賞式が執り行われることが決定したのであります。

 映画は人類の多種多様性を表わす表現方法であるかと思います。今回の団長クロード・ルルーシュ氏が言っていたように、映画は、人間の想像性を駆り立てるものであると思います。フランス政府がそもそも、この芸術文化勲章を制定いたしました背景には、フランスにおいて、また世界的レベルの芸術の分野において、活躍をされている方々の成果を評価したいという気持ちがあったからです。ですから、まもなく、私の手よりメダルをお渡しするわけですけれども、そうした、芸術文化勲章のお仲間入りをしていただきますことは、私どもにおきましても光栄であり、また当然のことではないかと考えております」

司会者
「ただいまより、大使より北野武様へ勲章が授与されます」


 モーリス・クルド駐日大使より、北野監督に勲章が授与された。勲章が北野氏の左胸に付けられると、会場からは拍手が起こり、しばらく鳴りやまなかった。北野氏は、少し涙ぐんでいるようにも見えた。この後、北野監督を中央に、ダニエル・トスカン会長、モーリス・グルド大使、3人のフォトセッションが行われた。







司会者
「監督よりご挨拶を頂戴いたしたいと思います」

北野武
「今日は本当にありがとうございました。何度も言うようですが、自分では、日本で監督をやって、まあ、当たったことのない時に、ヨーロッパの人たち、特にフランスの人たちが、お前の映画を気にいっているという噂を聞いて、半信半疑ながらヨーロッパにいったわけですが、想像以上の評価と、愛情を込めて私の映画を観ていただいたことに、非常に感動しておりました。それ以上に、今日は、もっと、評価の証しであるというか、このような勲章をいただいたことに、非常に感謝、感動しております。それから、去年、黒澤監督とか、淀川さんがお亡くなりになってしまいましたが、このお2人には、色々教えていただいたり、励ましていただいたりしました。今日のこの賞がお2人への、一つの恩返しになったかと思います。本当にありがとうございました」


 この後、会場に多数つめかけていたフランス代表団をステージに集め乾杯が行われた(記者にもワインが配られた)。本映画祭の出品作に日本からただ1人出演している広田レオナも会場に駆けつけ、乾杯の音頭役を担当した。




広田レオナ
「北野監督おめでとうございます。ひよっこの私ですが、今回、フランス文化使節団のただ1人の日本人の代表として乾杯の音頭をとらせていただきます。私の次の作品もありますので、来年は、是非一緒にパルムドールを狙いたいと(笑)。すみません。大口をたたいてしまいました。これからも、是非イイ作品を作っていっていただきたいと思います。乾杯!」


 乾杯の後、軽音楽が流れ、リラックスした雰囲気に会場は包まれた。しばらくその雰囲気の中で、フォトセッションが行われた。北野監督は、サインをねだられたり、カメラマンからの要望もあり、使節団の女性から北野監督へお祝いのキスが送られる場面もあった。非常に困ったような照れ笑いを浮かべていた監督の表情を捉えようと、その瞬間、多くのシャッターが切られたのは言うまでもない。こうして、受賞式が終り、その後、10分ほどの記者会見が別ルームに場所を変えて行われた。


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