■「1998年しんゆり映画祭」レポート
(1998年10月7日(水)〜10月11日(日))


| はじめに | 三池崇史の世界「日本からアジア、そして世界へ」 | 伝説の名画座3「名画座へ行こう」 | 華麗なる印度、マサラムービーナイト・体感レポート | ツァイ・ミンリャンを迎えて「ツァイ・ミンリャン映画の魅力」 | 「しんゆり映画祭」実行委員長 武重邦夫氏インタビュー |


はじめに

 今年で4回目を迎えた「しんゆり映画祭」が10月7日(水)から10月11日(日)まで開催され、好評のうちに閉幕した。期間中は、後半は雨の日もあったが、ほぼ晴天に恵まれ、会場となったワーナー・マイカル・シネマズ新百合ケ丘、新百合21ホールのある新百合ケ丘駅周辺は、映画祭ならではの賑わいをみせた。

 市民プロデューサーとボランティアによる運営で行われたこの映画祭は、ワーナ−・マイカル・シネマズ新百合ケ丘の入口近くに貼られた、手書きの日程表が物語るように、手作り感覚で人の温もりを感じさせる、「芸術のまち構想」を進めるコミュニティーならではのもの。その温もりは企画にも繁栄され、市民プロデューサー達の並々ならぬ思いを感じる企画として最も見逃せなかったのが、『バリアフリー・シアター』だ。そもそも、この企画を考えるきっかけとなったのは、市民である身体障害者団体からの電話だった。「映画を見たい」という彼らのひとことが、市民プロデューサー達を突き動かしたのだ。しかし、彼らが鑑賞出来るような設備をもつ劇場はない。それでも、何とか実現できないものかという一念で、去年実験的に行った試みを、今年は『バリアフリー・シアター』として10/8(木)、10/9(金)の2日間、新百合21ホールで本格的に始動させた。 始めは前売状況も悪く、「バリアフリー」というネーミングが健常者を遠ざけてしまったかと心配もされたが、ふたを開ければ160人余りを動員。結果は好評だった。
 『バリアフリー・シアター』は来年も予定されており、しかも、今度はワーナー・マイカル・シネマズ新百合ケ丘が会場になるという(ワーナ−・マイカル・シネマズでは、今年の暮れに全国の劇場にイヤホン設備設置を予定している)。

 その他も「日本・アジアの熱い風」をテーマにした『ヤングシネマ』(2001年に「かわさき国際映画祭」として独立)、今年からの新企画『しんゆり名画座』と、どちらも様々な趣向を凝らしており、多彩なゲストを招いての座談会やトークも行われた。

 今回は、数多くの企画メニューの中から座談会を中心に、文字どおり物凄い盛り上がりをみせた「華麗なる印度マサラムービー・ナイト」の模様を含めたレポートと、しんゆり映画祭実行委員長、武重邦夫氏のインタビューをお送りしたい。いくつか行われた座談会の中からは、《三池崇史の世界》より「日本からアジア、そして世界へ」、《伝説の名画座3》より「名画座へ行こう」、クロージング特別企画《ツァイ・ミンリャンを迎えて》より「ツァイ・ミンリャン映画の魅力」を紹介しておきたい。

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三池崇史の世界「日本からアジア、そして世界へ」
10/10(土)14:00〜


 この日最初に上映された三池崇史監督作『アンドロメディア』の余韻も冷めぬうちに、10分程のインターバルのあと三池監督を迎え、雑誌『バード』等で活躍中のライター、唐沢和也氏によるインタビューで座談会は始まった。三池監督は、この映画祭の共催として名を連ねている「日本映画学校」の前身、横浜放送映画専門学院の卒業生ということもあったためか(それとも元々こういう人なのか)、だいぶリラックスした状態で、学生時代の話から助監督時代、撮影中のこぼれ話まで、唐沢氏曰く「三池伝説」を快く語り、大いに会場を湧かした。

 しかし、クローム・ドラゴン・プロジェクト(フランシス・F・コッポラ、ウェイン・ワンがアジア人の監督をプロデュースする企画)からの依頼があった話が出たあたりで、一見すると柔和な面もちの彼が、やはり今、日本映画界で注目されている監督の1人であるということを再認識させられた。

 後半、会場からの質問は、時間の都合で2名のみに終わったが、『アンドロメディア』の クリストファー・ドイルや、この座談会後に上映された『中国の鳥人』のマコ・イワマツの出演経緯(プロデューサーらの紹介なのだが、なぜかこの監督の場合、話からすると、トントン拍子に出演者が決まる)、『アンドロメディア』で描かれたバーチャルな世界と現実世界を、本編で描く上での三池流解釈なども語られ、観客も十分に満足していたようだ。全体的には、「監督・三池崇史の人となりに触れる」といった感があり、三池監督の語りのうまさもあってか、時に笑いが起こる、終始和やかな雰囲気に包まれた座談会だった。

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伝説の名画座3「名画座へ行こう」
10/10(土)18:35 〜


 日本封切りの際わずか一週間で打ち切りとなり、隠れた名作として一部のファンから絶大な支持を誇るマカロニ・ウエスタン、『ミスター・ノーボディ』上映後に座談会は始まった。市民スタッフの箕輪克彦氏の司会で、ゲストとしてターザン山本氏(元週間プロレス編集長)、小野善太郎氏(大井武蔵野館支配人)、片貝知恵さん(早稲田松竹)を迎え、9月に並木座が閉館し、都内の名画座が次々に消えゆく今、名画座の今後という話から名画座の魅力、そして映画の素晴らしさにいたるまで幅広い話題が展開された。

 メジャー映画を想定して作られた映画館での、古典名画の上映の難しさを聞くにつけ、小野氏の「大井武蔵野館も、21世紀まで残るか決して楽観視出来ない」という言葉どおり、名画座の現状は無視出来ないところまできている。
 意外なのか当然なのか、会場はこの日、年配者が多く若者はむしろ少ないように思えた。恐らく、この後の上映作品が『12人の怒れる男』ということもあったのだろうが、名画を映画館で見る価値という話題が出た時、会場の若者の少なさに、複雑な思いを隠せなかった。
 しかし、他ではなかなか見られない映画を映画館で観た観客の満足気な表情。そこに、この企画の重みを感じたのである。

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華麗なる印度、マサラムービーナイト・体感レポート
10/10(土)


 17:30『頭目』、20:50『ラジュー出世する』の2本のマサラムービー(インド映画)が、間にトーク(「インド映画の正しい見方」)をはさんで上映された。『頭目』は、あの『ボンベイ』をヒットさせたマニラトラム監督作。マニラトラムといえばインド映画ファンには馴染みのある監督で、おもしろくないわけがない。
 しかし、スクリーン上で繰り広げられる友情のドラマに比べて、今ひとつ会場は盛り上がりに欠けた。これは、映画がつまらなかったということではない。ただ、インド映画の楽しみ方を我々が知らなかっただけなのだ。

 トークでは、インド映画を100%楽しむ為の奥義が語られた。それは実にシンプルなこと ─ 観客も、映画に積極的に参加しようということだった。
 そして、『ラジュー出世する』が上映された時、奇跡は起こった! 主人公のラジューが踊れば、まるで会場中が踊り出したように、ラジューのリズムに合わせて手拍子が鳴り、時折、口笛まで聞こえるほど。会場は一体感で結ばれて大変な盛り上がりを見せたのである。

 在日インド人の方々も、『頭目』ではあまりに日本人が静かなため、つられて静かになっていた様子。しかし、ここでは本領発揮とばかり、実に楽しそうに日本人の教師となって映画を楽しんでみせ、それを学ぶ日本人もまた、十分にインド映画をインド風に楽しむことができたのだ。

 異文化が、日本という国で見事に輝いた一瞬だった。

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ツァイ・ミンリャンを迎えて「ツァイ・ミンリャン映画の魅力」
10/11(日)13:40〜


 映画祭最終日。《ツァイ・ミンリャンを迎えて》と題されたクロージング特別企画は、 11:30『青春神話』(ツァイ・ミンリャン監督の劇場用映画デビュー作)上映から始まった。この座談会のあとで上映された『河』(当時、渋谷ユーロスぺ−スで上映中)が好評ということもあってか、当日の会場はほぼ満席状態。座談会は、『青春神話』上映後、ツァイ・ミンリャン監督、リ−・カンション(『青春神話』から『河』までのツァイ監督作品に主演)、チェン・シアンチー(『河』に出演)を盛大な拍手で迎えて開会した。

 座談会は、観客と屈託のない話(ディスカッション)をしたいという、ツァイ監督たっての希望もあり、実際そのように進められる予定だった。しかし、予定は未定。それこそが市民が作る映画祭の1つの魅力であり、そこを踏まえた上で、ゲストも観客もこの会場に足を運んでいる。
 「私はこういう小さな映画祭が好きです。それは、お客さんとの距離が近く、お客さんといろいろな話ができるからです」というツァイ監督の言葉どおり、3人のゲストはとてもリラックスした様子。司会進行・通訳は、市民スタッフの鈴木直志・文音夫妻がつとめた。最初、通訳の文音さんが、日本語で喋らなければならないところを中国語で喋ってしまう場面もあったが、それが逆に会場全体を和ませ、あたたかい雰囲気のまま会は進んだ。

 2人の役者と出会った経緯から始まった監督の話は、リー・カンションの自然な演技(最初のころはそのあまりの自然さに、監督は彼の演技が下手なのだと捉えてしまい、演出的にひどく悩んでいたという)と自分の意図する自然さとのギャップから、ツァイ映画独特のムード、物語の語り口(淡々とした時間の流れとセリフの喋り方)が生まれたエピソードにいたる。自然さについての2人のやりとりはこんな感じであったらしい。

 ○ツァイ監督
「もっと、自然にできませんか?
 君はロボットのように無表情なので、少なくとも、まぶたぐらいでも動かしてみたらどうでしょう」

 ○リー
「これが、わたしの自然なんです」

 こういうエピソード1つがファンにはたまらない。ツァイ監督作品をより深く捉えるヒントを得た気分になり、思わず引き込まれてしまうのだ。事実、ツァイ監督の話を聞く観客の姿勢が、監督をより一層おしゃべりにする効果を発揮していたように思う。

 中盤、司会者がリー(彼は座談会が始まってからひとことも話していなかった)に話をふった時、またひとつハプニングが起こった。リーが1人の客へ向けて、逆に質問をしたのである。
 リーはこれまで数回来日しているようだが、来るたびに必ずある1人の観客がいるといい、その日も彼が会場の最前列にいることに気付いて、「今まで何回ほど『青春神話』を観たのか」と質問したのである。これは、あらゆる映画祭を例に出しても、滅多に見られない光景だろう。(ちなみに、その観客は『青春神話』を10回以上は見ているとのこと。このやりとりで客席が一層和んだのは言うまでもない)。

 それにしても、ツァイ監督は、実に実直かつ真面目で気さくな男だった。観客の質問にも司会者の問いかけにも、丁寧すぎるほど時間をかけて答える。その話すべてに彼の人間性が表れているようである。

 「台湾の政治的変革と、経済の発展にともない、古いものは失われ新しいものが生まれ、自分が育った当時の古い記憶がすでに台湾では失われていっている」

 彼の話が祖国のことにおよぶと、台湾出身の通訳の文音さんが、感慨のあまり涙して通訳もままならないといった場面もあった。客席との距離がまた縮まっていく…。

 そこで終了の合図。あまりの慌ただしさに時計を見ると、すでに予定を15分も上回っていた。

 最後に、監督から観客へ素晴らしい贈り物があった。監督自らのデザインによるポスト・カードが、入場時に渡されたアンケート用紙の裏にシールが貼られていた30名へ渡される。そして、市民からの感謝の気持ちを込めた花束が3人のゲストへ送られ、座談会は終了した。

 少し遅れて会場を出ると、通路はすごい人だかり。何かと思えばゲストの3人がそこにいるではないか。花束やら握手やら、そこは一瞬のうちにデパートのバーゲン状態。おそらく、これもツァイ監督の希望から実現した幸運だったのだろう。観客と少しでも多くのコミニュケーションをとりたがっていた監督の思いと、それを許したスタッフの心意気。やはり、映画祭は、作るスタッフ、招待されるゲスト、そして観客の三者が協力して作り上げるものなのだ。それぞれの考え方ひとつで、失敗もあれば成功もある。この企画も、また今回の「しんゆり映画祭」全体も、三者が一体となって成功へと導いているのだという感慨が胸をよぎった。

→「しんゆり映画祭」実行委員長 武重邦夫氏インタビュー
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