『Ricky リッキー』/"RICKY"


Bunkamura ル・シネマほか全国順次公開中

2009年/フランス、イタリア/90分/フランス語/35mm/カラー/アメリカンビスタ/DTS、SRD/原題:Ricky/(C)Eurowide & Foz/配給:アルシネテラン/後援:フランス大使館/協力:ユニフランス

◇監督 :フランソワ・オゾン ◇脚本:フランソワ・オゾン、エマニュエル・ベルンエイム ◇原作:ローズ・トレメイン『MOTH(原題)』(出版:Edition Plon) ◇製作:クローディ・オサール、クリス・ボルツリ ◇製作指揮:フィリップ・ドゥレスト ◇映像:ジャンヌ・ラポワリー, AFC ◇音響:ブリジット・テランディエ ◇美術:カティア・ヴィスコップ ◇衣装:パスカリーヌ・シャヴァンヌ ◇メイク:ジル・ロビヤール ◇ヘア:フランク=パスカル・アルキネ ◇監督アシスタント1:ユベール・バルバン ◇台本:クレモンティーヌ・シーファー ◇キャスティング:サラ・ティーパー(a.r.d.a)、レイラ・フルニエ ◇キッズ/エキストラキャスティング:アナイス・デュラン ◇モンタージュ:ミュリエル・ブルトン ◇音声モンタージュ:オリヴィエ・ゴワナール ◇ミキシング:ジャン=ピエール・ラフォルス ◇特殊効果グラフィックデザイナー:ジョルジュ・ブッシュラゲン ◇SFX監督:パスカル・モリーナ ◇視覚効果:BUF ◇スタントマン:パスカル・ゲガン、マルク・ビゼ ◇表紙写真:ジャン=クロード・モワロー ◇オリジナル音楽:フィリップ・ロンビ

◇キャスト:アレクサンドラ・ラミー、セルジ・ロペス、メリュジーヌ・マヤンス、アルチュール・ペイレ、アンドレ・ヴィルムズ、ジャン=クロード・ボル=レダ、ジュリアン・オロン、エリック・フォルテール、アキム・ロマティフ、ジョン・アーノルド、マリリンヌ・エヴァン



| 解説 | インタビュー | ストーリー | キャスト&スタッフ |
| オフィシャルサイト | WERDE OFFICE TOP | CINEMA WERDE |



【解説】

ありきたりの女のカティ。
平凡な男のパコ。
そんなふたりが出会ったとき
魔法にかかったような、奇跡が起こる。
ひとつの愛の物語。

ふたりの間に素晴らしい赤ちゃんがやってくる。
その子の名前は ―
リッキー。




◆女性映画の名手フランソワ・オゾンが贈る、かわいくて、とってもユニークな“ある家族”についての物語

最愛の人を失った喪失と再生を描いた『まぼろし』、フランス映画界の大女優たちによる競演と衣装で世界中の女性を虜にした『8人の女たち』、女性の美のミステリーを描いた『スイミング・プール』など、女性映画で国際的な評価を得ているフランス映画界を代表する監督の一人であるフランソワ・オゾン。女性の美しさや強さといった魅力の他に、脆さや恐ろしさ、身勝手さまでもチャーミングに描き、いろいろなジャンルの映画に挑戦し毎回見事にそれをクリアーしてきた彼が、今回満を持して選んだのは、家族愛、そして母性。

カティは、郊外の団地に娘のリザと二人で暮らすシングルマザー。毎朝バイクで娘を学校に送った後、勤め先の工場で流れ作業をするという、特に代わり映えのしない平凡で単調な日々を送っていた。ある日、カティは新入りの工員パコと恋に落ち、パコは彼女たちの家の一員となる。最初は反発していたリザも、徐々に新しい家庭を受け入れるようになっていく。そしてカティとパコに赤ちゃんが誕生する。名前はリッキー。つぶらな瞳でまんまるほっぺが印象的な可愛い赤ちゃんだ。今までバラバラだった家族が、リッキーを通じて本当の家族になろうとしていた頃、リッキーにある異変が起きるのだった……。

平凡な家族の元に舞い降りた、翼のはえた赤ちゃんリッキー。彼を通して、それまでは自分本位だった家族が相手を尊重し自分と向き合い、不器用ながらも本当の家族になっていく姿を、オゾンならではのオリジナリティ溢れるスタイルで描いた本作は、第59回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品、そのユニークな設定とかわいらしさで話題をさらった。



◆幸せを運ぶ、風変わりな赤ちゃんリッキー。彼は天使? それとも……。

原作は、アカデミー賞美術賞・衣装賞を受賞した『恋の闇 愛の光』(マイケル・ホフマン監督/1995)の原作者であり、ブッカー賞の審査員を務めたこともあるイギリスの女性小説家ローズ・トレメインによる"The Darkness of Wallis Simpson"の中に収められた短編小説"Moth"(蛾)。 “生活が苦しく恵まれないことが当たり前になってしまっている生活に突如やってきた素晴らしい出来事”という設定を気に入ったオゾンが、長年映画化を希望していた題材だった。この原作に、“リアリティ”というエッセンスを加え、リッキーという翼の生えた赤ちゃんの存在=エンジェルというやや短絡的な発想から離れ、観るものによっていろいろな解釈ができるような作品に仕上げた。そして、オゾンならではのアイロニックな要素を本編にちりばめることで、独特の世界観に溢れる寓話的物語をつくりだした。

俳優陣にはオゾンとは初タッグとなる面々を揃えた。母親カティ役はコメディ出身の女優アレクサンドラ・ラミーを抜擢。“どこにでもいる平凡な女性”カティを見事に演じ、カティはオゾンが描き続けるさまざまな女性像に新たなページを加えた。父親パコ役にはフランス、スペインで活躍、2005年の「ハリー 見知らぬ他人」ではセザール賞主演男優賞を受賞した実力派俳優セルジ・ロペス。娘リザ役には、メリュジーヌ・マヤンス。8歳という年齢にもかかわらず、新しい家族の出現を戸惑いながらも受け入れていく、物語の中核ともなる重要な役を繊細な表現力で演じきった。リッキー役には、何と生後数カ月のアルチュール・ペイレ。

製作陣は、撮影をジャンヌ・ラポワリーが担当、音楽にフィリップ・ロンビを迎え、衣装のパスカリーヌ・シャヴァンヌ、美術のカーチャ・ヴィシュコフなど、オゾン組が再集結。そして製作は今回が初タッグとなる、『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』、『アメリ』などを手がけたクローディ・オサールが務めた。そして、キャット・パワーの名曲「ザ・グレイテスト」が、作品の世界観をより味わい深いものにしている。






 


【インタビュー】

フランソワ・オゾン監督インタビュー

◆『Ricky』が生まれたきっかけは、英国人小説家ローズ・トレメインの小説ということですが……。

フランス語では『LEGER COMME L’AIR(原題)』という題名が付けられていますが、原題は『MOTH(原題)』というんです。つまり蛾のことで、光に引き寄せられる虫のことですよね。非常に短い小説で、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』の世界(アメリカの田舎のモービルホームに住んでいる、あまり裕福でない社会層に属した白人の社会)を彷彿とさせる作品なんです。それでずっと長い間、映画化したいと考えていたんですが、どうしたら自分らしく表現できるのかを考えていました。

この小説で気に入ったところは、恵まれないことが当たり前になってしまっている生活に、突然奇跡のような素晴らしい出来事が舞い降りてくる、というところでした。でも、ファンタジーの部分を表現するのは難しいなと思っていたんです。ファンタジーは、観る人が信じることができ、感情移入できるようなものでなければならないと考えています。だから、翼が突然生えてきて、過程の説明がほとんどない小説と違って、僕の映画ではリッキーの翼の成長を事細かに描いたんです。

でも実は、本当に僕が感動したのは、ファンタジーなところよりも、家族が置かれた環境についてであり、家族に新しいメンバーが加わることがどのように家庭のバランスを崩すのか、ということの語り口だということに気づいたんです。



◆監督の作品はいつも、コメディーとファンタジーが複雑に混ざり合っていますね。リッキーの翼にはどういう意味があるんでしょうか?

今回の原作には僕が好きな皮肉が散りばめられていて、映画の中でもそれらを残したいと思っていたんです。物語がファンタジーになりすぎたり、ハッピーになりすぎたりしたら、ユーモアを挟んだりして、テンションを和らげ、シーンにある一定の効果を持たせました。

リッキーは他の赤ちゃんとちょっと違いますよね。そんなリッキーを、カティとリザが大喜びで世話をするんです。この映画に込められた皮肉は、非現実的な状況の中で、ありきたりな母性を見せるところから生まれているんです。どんな親でも、子どもが何かできるようになった瞬間を目にすると大喜びしますよね。たとえば、子どもが最初に笑うときやゲップをするとき、それに、最初の一歩を踏み出すときなど。親というのは赤ちゃんの体を敬愛するものです。リッキーの背中の翼は、そんな親たちの気持ちや行動を強調しているのです。カティにとって、リッキーの翼はハンディキャップではないんです。それは贈り物で、価値のあるものなんですね。彼女はその翼を面白がっているし、気に入っています。

人間と動物で共通しているものの一つに、母性本能が挙げられると思います。だから、パコの動物的な側面を映画の中で繰り返し登場させているんです。みんなは、リッキーの翼に宗教的な意味があると思うかもしれないけれど、僕にとっては、生えかけのときの形とか、大きさも色も天使をイメージさせるものじゃないですね。



◆映画は、カティがソーシャルワーカーと向き合っているシーンのフラッシュバックで始まりますが、どうしてこのシーンを最初に持ってきたのですか?

これはいろいろな解釈を生むだろうなということは思っていましたし、そういったことは悪くないと思っています。僕の作品に関して、みんな好きなように、それぞれの個人的な体験からいろいろな解釈を持ってくれて構わないと考えています。

僕はこのシーンは映画の初めではなく、中盤だととらえています。ちょうどリザとリッキーをカティに押し付けて、パコが出て行ってしまったところですね。この“勇敢な母親”が、絶望で耐えきれなくなって、疑いを持ったり、自分の子どもを施設に預けることを口にしてしまうところを見せることが必要だと思ったんです。このシーンを映画の最初に持ってくることで、カティの社会的な立場や母性を取り戻すところを手っ取り早くあらわすことが出来るんです。よくあるフラッシュバックに慣れている観客は、このとても現実的なシーンで、この話が社会的なテーマを扱ったドラマだと勘違いしてしまう。その期待を裏切って、後からファンタジーで驚かすのは楽しいですね。



◆『リッキー』は家族についての映画ですが、再び女性がテーマとなっていますよね。

僕は女性の姿を描くのが好きなんです。だから、また母性をテーマにした作品を作りたかったんですよ。『海を見る』とは違う形で。『海を見る』では、良き母と鬼のような母という正反対の女性を通して、ふたつの母性本能の姿を描いたんです。『リッキー』ではこのふたつの姿がカティというひとりの女性の中に描かれていて、彼女の複雑な母性の変化が表現されているんです。

初めのうちは、カティは子どもを守る強い母親なんです。でも、そのうち、子どもを人形と遊ぶように扱うようになり、浮き沈みの激しくて子どもっぽい母親になるんです。それから、自分の子どもは世話が必要で、いろいろなものを分かち合える存在だと思っているけれど、最後にはその子を手放さなければならないという現実に向き合うようになるんです。



◆母性は父性よりも複雑だと思いますか?

子どもは母親の体から生まれるので、母親は子どものことを自分の一部のように考えることが多いのではないでしょうか。この生理学的な面と身体的な関係はとても興味深いと思います。

小説の中では、父親のパコは、ジャーナリストからお金をむしり取りに戻ってくるような、とても感じの悪い男として描かれていますが、映画の中では複雑なキャラクターとして描かれています。僕は、この男女の関係を小説よりも詳しく描きたかったんです。パコはリッキーを使って、ジャーナリストからお金を稼ごうとします。でもこれは、単にずうずうしいのではなく、正当な理由があるからなんです。家を買うためとか、良い環境でリッキーを育てるためのスペースを得るため、とか。確かに、パコが戻ってくるのは、リッキーが珍しい子どもだとわかってからだけれど、彼には父性を発達できるような機会も時間も与えられなかったんです。彼は、リッキーが生まれてすぐにカティに追い出されてしまったのですから。“男が父親になれるチャンスはどのくらいあるんだろうか?”、というのがこの映画が問いかけるテーマのひとつでもあるんです。



◆今回のキャスティングについて教えてください。

父親役のセルジ・ロペスとはずっと一緒に仕事をしたかったんです。登場人物の構成を練っていたときに、ずっと彼のことが頭にあった。特に、カティが体の毛のことを話しているシーンではね。セルジはとても繊細な俳優なんですよ。動きが官能的で、やわらかいんですね。でも、女性に好かれるような男性らしさがあって、女性が癒されるような要素を持っているんですよ。小説の中でのパコは良いイメージではないんだけれど、セルジがそんな人物を演じることによって、パコに曖昧さや、人間味が加わっているんです。

アレクサンドラ・ラミーは、TVで『UN GARS, UNE FILLE(原題)』を見ていたときに、面白い女優だな、と思ったんです。コメディの才能があって、受け答えの速さはピカいちだし、その速さやリズムがスクリューボール・コメディのアメリカ人女優みたいだなって。でも、僕は、彼女はもっとドラマティックな役も上手にこなせるんじゃないか、と思ったんです。それにアレクサンドラは、一般的な女性に近い雰囲気を持つ女優ですよね。それがカティにピッタリだったんです。彼女がカティだったら、すでにいろんな役を演じている他の女優よりも、観客がもっと身近に感じるだろうな、と思ったんですよ。それで、彼女にはノーメイクで出演してもらうことを承諾してもらいました。この映画では、カティが魅惑的であってはならないんですよ。

僕は、現実性に少しスタイルを加えようと考えました。カティの社会的な立場を表現して、どの家族にもある“閉じ込める”という概念を強調しようと考えたんです。もしカティがブルジョワ層に属していたら、おそらく有名な医者に診てもらったでしょうね。でも、彼女は隠すことを選んだんです。なぜなら彼女は社会との関わりをあまり持っていなかったから。だから、この赤ちゃんの登場はチャンスだったんです。ぱっとしない、変わり映えのない日常の中で起こった素晴らしい出来事だったんです。赤ちゃんはまさに宝物そのもので、それを彼女は自分だけのものにしたかったんです。

リッキーを演じているアルチュールは、ぽっちゃりしていて愛らしいですよね。でも、姉役のリザを演じているメリュジーヌと同じくらい堂々として見えるんですよ。『海を見る』のときのように、僕は彼を役者として扱いました。彼に話しかけ、どう役を演じてほしいかを説明したりしたんです。すぐに、彼のリズムで撮影を行えるようになりましたよ。彼のお昼寝の時間とか、ご飯の時間とか...... 面白かったのは、彼が自分の役を真剣にとらえて、撮影を重ねるごとに演技が上手になっていたことですね。空中を飛んだ時は、本当にうれしそうでしたよ!





アレクサンドラ・ラミー、インタビュー

◆フランソワ・オゾン監督はどうやって役者を指導するんですか?

イメージが先行してしまう監督は多いんだけど、フランソワは、まず第一に役者のことを考えてくれるの。役者がこの方向に動いて、こういうしぐさをするというイメージが既に彼の中にあるとするわ。でも、私たちにはしっくりこなくて彼のイメージ通りに演じられないとする。そういうときには、彼は私たちを理解してくれるの。台詞や動きに関して、彼は柔軟だわ。それに、フレーミングをするのが監督自身だというのは素晴らしいことだと思う。彼は私を見ていてくれたし、私の意見も聞いてくれた。それに、私の持っているものを引き出してくれたのよ。彼のサポートが感じられたわ。フランソワは、私たちが持っているものを出しきるまであきらめないの。


◆他の彼の作品同様、この映画も女性をテーマにしていますが……。

そのとおりね。シャーロット・ランプリングが出演した『まぼろし』の時のように、フランソワは女優を選ぶのに苦労したみたい。彼は、誠実さとか、強さという女性の本質について独特の世界観を持っているから。カティは思慮深くないの。そして、すごく天真爛漫で、直観的で、動物的なの。もし男の人を手に入れたいって思ったら、すぐに行動するような女性よね。もし、“もういらない”ってことになっても、同じなのよ。そして、母としての本能もとても強いの。他の子どもと違う子を持つということは、本当に大変なことよ。特にリッキーみたいな子どもだったら、なおさら。どうしたらいいかわからなくなってしまうわよね。はじめのうち、カティは心配して、リッキーがどうなってしまうのかとか、歩いたり話したりできるのかしら、とかいろいろ考えているんだけれど、一度納得してしまうと、自分の直面する現実と向き合う強さを持つようになるの。カティは、リッキーに翼があることにあまりショックを受けていないわ。自分の子どもだし、母親としての愛情は変わらないから。


◆カティも娘のリザも、他の子と違うリッキーの世話を大喜びでしますが……。

ふたりとも、リッキーの変化を楽しんでいるの。そして、それはふたりの結びつきをさらに強めているのよ。そういうコメディータッチが私はとても気に入っているわ。でも、実際のシナリオでは、そういうシーンは映画よりもずっと暗いのよ。フランソワとはそれで議論になった。はじめ、彼は私がほほ笑むのを嫌がったの。でも、彼は私がもう少し幸せそうに演じてみることを許してくれたし、結局、最終的にはその演技を映画に採用してくれたのよ。


◆カティにはきついところがありますよね。パコがリッキーを殴ったんじゃないか、と責めるときなんか特に……。

カティのきつさというのは、大変な人生を抱えている人たちに共通するきつさだと思うわ。例えば、工場のベルトコンベアーで毎日へとへとになるまで働いて、憂鬱になるような生活を送っているような人たちに。この映画を見ている人たちには、カティが重い過去を引きずっていて、リザの父親に捨てられたということがわかると思う。リッキーを殴ったんじゃないか、とパコを非難するために待ち構えているシーンで、フランソワは私に座っているように言ったの。人と衝突する時って立ち上がっていてもおかしくないのに。だから、このシーンでは、パコと話をする前にカティがもう結論を出してしまっているような印象を与えるの。すべての責任はパコにあって、それ以外にないって彼女は考えたのよ。リッキーに翼が生えたときに、パコの責任ではなかったということがわかったんだから、カティは彼を呼び戻すことができたんだけど、敢えてそうしなかった。彼女はこの不思議な出来事を一人占めにしたかったのよね。平凡で代わり映えもなく、面白くもない日常に起こった信じられない出来事だもの。だからリザに「リッキーに翼があるから、もうパコのことは気にならないわ」って言っているの。こんなカティの単純で素朴なところが私は好きだわ。彼女は翼に気付いたとき、こう言うの。「そのうちとれるでしょ」って! もちろん、彼女にも苦しいときがあるわ。でも、そこに留まっていない。行動的なのよ。


◆子どもと一緒の撮影で、しかも特殊効果を使った撮影はどうでしたか?

リッキー役のアルチュールは大好きよ。でも、常に寛容であり続けることは難しかったわ。とくに撮影のときはね…..。. 彼は本当に素晴らしい赤ちゃんだけど、大変なこともあった。たとえば、彼を笑わせるために面白い顔をしてみせたり、彼がママのところや音声マンの持っているブームマイク、それにカメラを見つめたりしないように、いろいろなことをして気をひいて、何回も撮影をし直したりしたわ。ものすごいエネルギーが必要になるし、結構大変だった。メリュジーヌはとても演技が上手だし、本当にいい子よ。リッキーの翼だけど、撮影の現場では常に目に見えていたわけではなかったの。偽物の翼をつけて撮影したこともある。でも、リッキーに翼があるってことを想像して演技をしなくてはならないことが多かったわ。もしこの角度に頭を向けて、こうやってリッキーを持ちあげたら、私の顔はリッキーの翼で隠れるわ、とかね。


◆セルジ・ロペスとはとても息が合っていますね。

セルジは、素晴らしい共演者だったわ。私たちはお互いに似たような感覚を持っているのよ。フランソワが台詞の一部を私たちに変えさせてくれたから、お互いの言うことによく耳を傾けられたし、お互いに目を見つめ合って演技をすることができたの。それに、セルジは良い父親だったわ。子どもたちの世話をとてもよくしてくれる。大きなぬいぐるみの熊みたいだけれど、とても繊細で、研ぎ澄まされた感覚を持っているわ。彼は、カティとパコの別れのシーンで本気で泣いていたのよ。でも、パコが戻ってくるシーンでは、恐ろしいほど鈍感になったりもできるの。




セルジ・ロペス、インタビュー

◆フランソワ・オゾン監督の作品に出演を決めた理由は?

僕が出演する作品を決めるときに重視するのは、監督がどんな作品を今までに作ったか、ということではなくて、シナリオなんです。内容を肌で感じること、読んだときの直感を大切にすることが僕にとって重要なので。既成概念に左右されないで、内容が面白いと感じられるものがいいんです。

『リッキー』のシナリオを読んで、すぐにその単純さに惹きつけられてしまったんです。マジックに近いと思いました。童話みたいにすぐに核心にいきつく作品なんですから。パコとカティの出会いは、直接的に語られているし、彼らの関係はとてもはやく展開するんです。



◆リッキーに翼がある、ということについては?

ファンタジー的な要素はあるけれど、『リッキー』はSFではないんです。逆に、非現実的なことを語る、現実的な映画なんです。平凡な日常で、赤ちゃんが空を飛ぶなんてありえませんよね。『リッキー』の中に出てくる人たちは、あり得ないことを、あたかも普通の出来事のように体験するんです。みんな一度は空を飛んでみたいと思ったことがありますよね。だから、みんなリッキーを天使に仕立てるのかもしれないけれど、フランソワはそういう象徴にはしていないんです。彼が表現しているのはもっと別な現実、つまりもっと不都合な現実なんです。翼がある、ということは初めのうちは面白いことだけれど、すぐに現実が顔を出すんです。リッキーは天使であり、怪物でもあるんですよ。ブロンドで青い目を持つ、かわいい赤ちゃんなんだけど、どんどん大きくなる翼という怪物的な面も持ち合わせているんです。この翼があるということは奇跡なんだけれど、それが良い意味での奇跡なのか、悪い意味での奇跡なのかは誰もわからないんです。それはすべてこの家族の行動にかかっているんですよ。


◆パコはとても実利主義ですよね。実際、映画を見ている人の中には、パコが家に戻るのは、リッキーを金のなる木として見ているからだと考える人もいると思いますが。

そうですね。パコはリッキーのことを、家族が再びひとつになり、幸せになるために必要なお金を稼ぐ手段であると考えているんです。彼は意地悪でもなければ、親切な男でもないんです。結局、彼をどう評価するかは、映画を見ている人たち次第なのです。観客に想像する余地を与える映画は大好きですよ。『リッキー』は、楽しい物語でもないし、美しい話でもない。つまり、心地よい映画ではないんですね。僕がこの役を引き受けたのは、この曖昧さが気に入ったからです。はっきりしたことは何もなくて、家族が崩壊してしまうかどうかもわからない。この家族は悪い家族でも良い家族でもなく、ただの家族なんです。バランスが取れた家族ではないけど、バランスが取れた家族が必ずしも良いのかどうかはわかりませんよね。

僕自身、安っぽい希望にあふれた、無害で退屈な話には、飽き飽きしているんです。不幸が存在しない安っぽい美しい話には、全く中身がないと思うんですよ。“人生に喜びを”という哲学には賛成するけど、苦しみのない喜びなどありませんから。



◆『Ricky リッキー』のもう一つのテーマは母親でもありますよね。

そうですね。フランソワはこのテーマを扱いたかったんだと思います。精神的にも、身体的にも母であるということはすごいことですよね。それに対して、父性というのは偶発的なものに近いものなんです。母性に焦点があてられているのと同時に、この映画では真の父親とは何かについて述べられているんです。父親としての経験は「お父さんになるのよ」という曖昧な概念を持つ一言で始まります。想像と少し見た目の違う、手のかかる子どもが生まれることによって、その曖昧さが突然、現実味を帯びてくるのです。

そういう意味では、リッキーの翼が強調しているのは、“小さなモンスター”が突然人生の中に飛び込んできて、“父親にさせられる”ということなんでしょうね。



◆今回の共演者はいかがでしたか?

簡単ではありませんでしたよ。僕にも子どもがいるし、子どもは大好きなんです。でも赤ちゃんは大人と同じようにはできないから、僕たちが彼らの体のリズムに合わせなくてはいけないんですよね。それは容易ではありませんでした。ただ、素晴らしいことに、彼らの存在が、特殊効果を使った撮影の非現実味をカバーしたんです。

僕はアレクサンドラ・ラミーの経歴を知らなかったんです。だから撮影で初めて彼女のことを知ったんだけど、すぐに意気投合しましたよ。きれいで、感じの良い女性です。そして何よりも面白い。僕たちはお互いに感受性が鋭く、役者としてとても近いものを持っているんです。



◆フランソワ・オゾン監督との撮影はどうでしたか?

フランソワはとても整然としていますね。自分がどうしたいかをよく知っているし、自分の頭の中で出来上がっている映画を、そのまま形にしてしまうんです。時間を無駄にしないで、物事を常に前へ進めることが好きな監督なんですね。でも、忍耐力がないんですよね。それだから、次のシーンまで待てないし、撮影から編集までの過程も待てないし、次の日の撮影や、次の映画の製作まで待てない、っていうような感じなんですよ。それに自分の作品に出演する役者を気に入っているんです。役者選びは、撮影を開始しているのと一緒だから。もしこの役にピッタリだ、と思うような役者を見つけたら、好きなようにその役を演じさせてくれるんです。彼の気に入らない方向に役者が向かっていかない限り、演技には口出ししませんね。撮影をする前に、シーンの“本質”について語って役者をうんざりさせることはしません。彼が自分の仕事が好きなことは伝わってきますし、これまでにたくさんの映画を製作しています。彼は内面がとてもしっかりしているので、わざわざ威張り散らしたりする必要がないんですよ。


◆映画の最後、とくにカティがまた妊娠するところはどう思いますか?

型にはまった映画だったら、「素晴らしい。人生は続くんだ」なんていうことになるんだろうけど。でも、フランソワはそんな典型的なイメージをからかっているんですよ。カティが妊娠したということがわかったとき、誰もがすぐに、“これは悲劇なのか?”それとも“良いことなのか?”なんて考えてしまいますよね。今度生まれる子どもにも翼があるんじゃないかとか、背びれが付いているんじゃないかとか、脚が熊なんじゃないかとかね。



ピエール・ビュッファン(映像効果担当)、インタビュー

◆『Ricky リッキー』のシナリオを手にしたとき、どのように感じましたか?

「大胆で面白そうだな」と思いましたね。とくにそれがフランソワ・オゾン監督の作品だったらなおさらですよ。だって、彼の映画はいつも“変わってる”との紙一重だから。この映画は、物事がどんどん移り変わっていくように感じる映画なんです。僕は完成した映画を見て、さらに驚いてしまいました。だって、まさかあれほど、力強く現実的な映画になるとは期待していなかったんですから。僕たちの仕事は、特殊効果について監督に説明して、安心させ、彼らのアイデアを完成させるのを手伝い、彼らの要望に最大限に応えること。今回のように突拍子もないアイデアを持ってやってくる監督たちの背中を押して、助けるわけです。何が本当にできることで、それが撮影にどう影響を与えるのかを考えるんです。例えば、フランソワはバーチャルな動きをフレーミングして、特殊効果での赤ちゃんの動きを想像しなければならなかった。こういったことはすべて撮影の前に決める必要があるんですよ。


◆撮影の前からすでに関わっているんですね。

撮影の企画段階からですね。それに、シナリオの段階から関わることもあります。『リッキー』のときはシナリオの段階からでした。フランソワが僕たちのところにやって来て、特殊効果で何ができて、いくらくらいコストがかかるのかなど、いろいろと質問をしてきました。シナリオを作成する上で、特殊効果の限界を知ることが必要だったんです。フランソワはとてもオープンで、知的で、聞き上手な監督です。また、のみ込みが早く、製作のセンスもあって、限界があるということを理解することができる監督ですね。


◆この映画で難しかったことは?

赤ちゃんを“飛ばす”ことでした! 天使を造ったことはあったんですが、赤ちゃんを空中に浮かべることに関しては、未体験でした。マチルド・トレックの監修のもとで行われたんですが、素晴らしい経験でしたね。大変だったのは、赤ちゃんに現実味を持たせることでした。少しでもミスがあると、すべてが台無しになって、観客が物語から離れてしまいますから。だから、リッキーの小さな翼を動かすことになったときは、本物の鳥と虫の飛び方を参考にしたんです。大人を“飛ばす”よりも、赤ちゃんのほうが難しいんです。だって余計に安全面に気を使わなくてはいけないし、そのせいで動きに現実味を持たせることや、自然な動きをさせることが難しくなるのです。大掛かりな装置を付ける必要もありますし。動きをスムーズにするために、スピードについてはいろいろと頭を悩ませました。撮影前のテストで、動きにもっとスピードが必要だということに気づいたんです。もちろん、小さな箱の中に閉じ込められた小鳥のように、いろいろなところにぶつかったりもします。また、映像上で一番しっくりくるように、翼の羽ばたきの速さもいくつか試してみました。


◆どうやって美しい翼をつくりだしたのですか?

翼は真っ白ではありませんが、デザインしたのはフランソワなんです。僕たちの仕事は、彼が撮影に集中できるように、そして、翼が本物に見えるように、いくつかのバリエーションを提示して、技術面でのサポートをすることでした。だから、いろいろな形の翼を研究したり、生え始めから完全な翼になるまでの発達過程について研究をしたりしました。それから、赤ちゃんにピッタリな大きさになるようにデザインをしたんです。翼を選ぶときのフランソワは本当に細かかったですよ。翼のデザインは撮影前に決められていたけれど、翼の発達に応じて変化する翼の色を考えなくてはいけませんでした。色は赤ちゃんの髪の毛の色に合うものを選びました。出来上がるぎりぎりまで、批判的な目を持ちながら仕事に取り組み、イメージを修正することが重要だと僕は考えています。3Dを使った特殊効果は、コンピューターでつくったイメージだから、味気ないものなんですよ。子どもが不器用に描くデッサンとは正反対なんです。だから、コンピューターの画像を磨きあげて、魂を入れてやるんです。僕たちが手を加えることで、イメージに味が出てくるんですよ。この仕事はさっと出来るものではなく、入念な準備と長くてうんざりするような職人の作業なんです。


◆『Ricky リッキー』のように“作家的な”映画での特殊効果の仕事と、アクション映画大作での仕事はどう違いますか?

『リッキー』のような作品のほうが、監督が映画の製作の全過程で関わっていることが多いですね。アメリカ人の監督のほうがどちらかというと技術者よりで、一部しか見ていないことが多いんです。フランソワは、自分の作品に特殊効果を取り入れるために、制作過程をすべて理解しなければならなかったんです。彼とのやり取りは非常に興味深く、それによって別の見方や表現方法があると気づく事ができました。僕たちは既に、ウォン・カーウァイやエリック・ロメールとの仕事で素晴らしい経験をしていました。僕は、技術的なことしか話さない特殊効果の“専門家”の話に耳を傾けるよりも、映画について話してくれて、特殊効果でどういう結果が欲しいのかを話してくれるような作家型の監督と議論をするほうが好きですね。


 


【ストーリー】

カティは、郊外の団地で7歳の娘リザと二人で暮らすシングルマザー。毎朝バイクで娘を学校に送った後、勤め先の工場で流れ作業をするという、特に代わり映えのしない、平凡で単調な日々を送っていた。

ある日、カティはスペイン人で新入りの工員パコと恋に落ち、その後パコはカティの家に住むようになる。小さなころから母親と二人きりの生活だった家庭に、新たな家族が加わったことへの戸惑いと、母親の注意が自分以外にも向いてしまったことで、リザはパコへ反発するような態度をとってしまい、家庭内はなんとなくギクシャクとした雰囲気に包まれていた。

そんな中、カティとパコに赤ちゃんが誕生する。名前はリザが付けたリッキー。つぶらな瞳にまんまるほっぺが印象的な可愛い赤ちゃんだ。カティがリッキーにつきっきりになってしまい、さみしさを覚えていたリザを見かねて、パコは今まで以上にリザの面倒を見るようになる。はじめは心を許していなかったリザも、だんだんとパコの中に父親像を見出すようになっていく。今までバラバラだった家族が、リッキーを通じて本当の家族になろうとしていた。

しかし、幸せな生活も束の間、仕事に行き詰まりイライラするパコと、育児に追われるカティは衝突する日々を繰り返してしまう。そんな中、カティはリッキーの背中に痣を発見する。痣が出来ることに心当たりがないカティは、育児に疲れ殴ったのではないかとパコを問いただし、二人は口論となってしまう。疑われたことに傷ついたパコは家を出てしまう。

カティとリザ、そしてリッキーの3人の生活が始まった。そんなある日、リッキーになんと翼が生えてきたのだった。はじめは戸惑いながらも、どうにか治療する方法を探るカティであったが、リッキーの天真爛漫な笑顔を見るにつれ、すこし変わってはいるが可愛い我が子として、ありのままの姿を受け入れていくようになり、次第に翼が生えていることを楽しむようになっていく。そんなある日、クリスマスプレゼントを家族で買いに行った時、リッキーに翼が生えていることが明るみになり、大騒ぎになってしまう。取材陣が家にまで押し掛けてくるなか、報道を聞きつけたパコが戻ってくるのだった……。

 


【キャスト&スタッフ】

■アレクサンドラ・ラミー(カティ)

1971年10月14日ヴァル・ド・マヌル、ビルクレーヌ生まれ。

幼少時代をアレスにて過ごし、1990年にはニーム(ガール)の映画学校へ通う。

1995年、パトリス・ルコントの広告で最初の役をとり、同じ年にに出演した。

彼女は、ジャン・デュジャルダンとのコンビで人気を博したTVのお笑い寸劇シリーズ「Un gars, une fille」(1999?2003)で一躍有名となる。TVと映画作品に加え、彼女はでフェミニン・シアター・レベレーションの分野でにノミネートされる。

2003年よりで共演したジャン・デュダルジャンと付き合っており、2009年7月25日にアンドゥーズにて結婚した。彼女には1997年に生まれたクロエという娘がいる。父親は俳優のトーマス・ジョウネット。妹オードリー・ラミーも女優という芸能一家。従弟のフランソワ・ラミーはパラセイユ(エソンヌの区)の市長である。

<主な作品>

2009年 『Ricky リッキー』フランソワ・オゾン監督
     『LUCKY LUKE(原題)』 ジェームス・ユット監督
2008年 『MODERN LOVE(原題)』ステファーヌ・カザンジャン監督
2007年 『CHERCHE FIANCE TOUS FRAIS PAYES(原題)』 アリーヌ・イゼルマン監督
2006年 『ON VA S’AIMER(原題)』 イヴァン・カルベラック監督
2005年 『VIVE LA VIE(原題)』イヴ・ファンベール監督
     『BRICE DE NICE(原題)』 ジェームス・ユット監督
     『AU SUIVANT?!(原題)』ジョアンヌ・ビラ監督
     『L’ANTIDOTE(原題)』ヴァンサン・ドゥ・ブリュ監督
2003年  『LIVRAISON A DOMICILE(原題)』 ブリュノ・ドゥラアイエ監督
     『RIEN QUE DU BONHEUR(原題)』 ドゥニ・パラン監督



■セルジ・ロペス(パコ)

1965年12月22日生まれ(ビリアヌエバ・イ・ゲルトロ、バルセロナ)、スペインの俳優。

16歳に学校を中退し、バルセロナの大道芸専門学校に通い、アマチュア劇団にて舞台に立つ。その後、パリで演技を勉強中にマニュエル・ポワリエ監督に見出される。

1991年『Le petite amie d’Antoni』でデビュー。その後も『Antonio's girlfriend』『A la campagne』『Marion』とたて続けにマニュエル・ポワリエ監督の作品に出演。ポワリエ作品に欠かせない存在となる。カンヌ映画祭審査委員賞受賞作品『ニノの空』(1997)では、カタロニア系の青年を演じ、セザール賞有望若手男優賞にノミネートされた。

1999年、『ポルノグラフィックな関係』でナタリー・バイと共演。ナタリー・バイは「演技の確かさと驚くべき信憑性」に感嘆したという。2000年には『ハリー、見知らぬ友人』で、親切で奇妙な男ハリーを演じる。この作品は、フランスで200万人以上の観客を集めて大ヒット。セルジ・ロペスも、セザール賞主演男優賞、ヨーロッパ映画賞男優賞などを受賞した。2008年には過去最多の6作品に出演し、最新作は2009年にカンヌにて上映され、菊地凛子が出演したことでも話題となったイザベル・コイシェ監督作品『ナイト・トーキョー・デイ』。

スペイン語、フランス語、英語、カタロニア語に堪能で主に悪役を演じてきたセルジ・ロペスは、本作でさらに芸風を広げフランス映画界、スペイン映画界で、今後の活躍が大いに期待される実力派俳優である。

<主な作品>

2010年 『ナイト・トーキョー・デイ』 イザベル・コイシェ監督
2009年 『旅立ち』(未) カトリーヌ・コルシニ監督
2006年 『パンズ・ラビリンス』 ギレルモ・デル・トロ監督
2003年 『歌え!ジャニス★ジョプリンのように』 サミュエル・ベンシェトリ監督
2003年 『レッドナイト』 エレーヌ・アンジェル監督
2002年 『シェフと素顔と、おいしい時間』 ダニエル・トンプソン監督
2002年 『堕天使のパスポート』 スティーヴン・フリアーズ監督
2000年 『ハリー、見知らぬ友人』 ドミニク・モル監督
1999年 『ポルノグラフィックな関係』 フレデリック・フォンテーヌ監督
1997年 『ニノの空』 マニュエル・ポワリエ監督



■アンドレ・ウィルムス(医師)

1947年4月29日、フランス・トラスブルグ生まれ。

エティエンヌ・シャティリエ監督『人生は長く静かな河』(1988)、パトリス・ルコント監督作品『仕立て屋の恋』(1989)などを経て、アキ・カウリスマキ監督作品『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992)にて、ヨーロッパ映画賞助演男優賞を受賞した。その他の主な出演作に、『秋のドイツ』(1978)、『夜のめぐり逢い』(1988)、『読書する女』(1988)、『ダニエルばあちゃん』(1990)、『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(1990)、『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992)、『アイアン・カウボーイ ミーツ・ゴーストライダー』(1994)、『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』(1994)、『愛の地獄』(1994)、『白い花びら』(1999)、『プロセリアンドの魔物』(2002)などがある。1980年代後半からは、演劇やオペラの製作をするなど、精力的に活動している。



■ジャン=クロード・ボル=レダ(ジャーナリスト)

1949年6月24日、フランス・ジレ生まれ。

1971年、ストラスブールのジャン=ルイ・マルティネリの劇団員として活躍後、1978年にプロへ転向。その後60本以上の映画に出演する。主な出演作に、『夏に抱かれて』(1987)、『夏のアルバム』(1989)、『ニキータ』(1990)、『サン=デグジュペリ/星空への帰還』(1996)、『ルーヴルの怪人』(2001)、『ぼくの大切なともだち』(2006)、『画家と庭師とカンパーニュ』(2007)などがある。最近では声優としても活躍するなど、幅広く活動している。



■メリュジーヌ・マヤンス(リザ)

『アサシンズ 暗殺者』(未/2009)などにも出演。世界中で翻訳されベストセラーとなった「サラの鍵」を映画化した『Elle s'appelait Sarah』(2010)にも出演するなど、現在11歳の大注目子役である。


■アルチュール・ペイレ(リッキー)

2008年生まれ。オーディションにてリッキー役を獲得した。撮影当時は生後数カ月の赤ちゃん。


■フランソワ・オゾン(監督)

1967年11月15日、フランス・パリ生まれ。父親は生物学者で、母親はフランス語の先生。4人兄弟の長男。父親のカメラで11歳のときから8ミリを撮り始める。

1989年にパリ第一大学映画コースで修士号を取得。22歳で国立の映画学校フェミスの監督コースに入学、4本の短編を撮った。1993年に卒業後、次々に短編を発表。

1996年に『サマードレス』でロカルノ映画祭短編セクション・グランプリを受賞し、「短編王」と呼ばれるようになる。その後ロカルノ映画祭のオープニングを飾った中編作品『海をみる』(1997)を経て1998年、『ホームドラマ』で長編デビュー。人間の深層心理、犯罪、性などを題材に毒気のある作品を見せた。

1999年に発表した『クリミナル・ラヴァーズ』がヴェネチア国際映画祭に正式出品され、翌年の『焼け石に水』はベルリン国際映画祭のテディ2000賞を受賞。2001年には、シャーロット・ランプリングとブリュノ・クレメールを起用して『まぼろし』を発表。長年連れ添った夫が、ある日突然行方不明になる妻の悲しみを巧みに描き、セザール賞の作品賞と監督賞にノミネートされるなど国際的にも高い評価を受けた。

2002年には『8人の女たち』を発表。ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール、ダニエル・ダリュー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペール、ヴィルジニー・ルドワイヤンら、そうそうたる女優たちを起用した。この作品で、セザール賞の12部門にノミネートされ、ベルリン映画祭では銀熊賞、ヨーロッパ映画祭では女優賞をもたらすなど、フランソワ・オゾンは世界的な評価を確立する。

2003年には、シャーロット・ランプリングとリュディヴィーヌ・サニエを起用したサスペンス『スイミング・プール』を発表。2004年には『ふたりの5つの分かれ路』で、ある一組のカップルが離婚に至るまでを、時間軸を逆に辿りながら描いた。2007年には、総製作費25億円をかけた初の英語作品『エンジェル』を発表し、新境地を切り開いた。

ペドロ・アルモドバル、ソフィア・コッポラと並ぶ現代最高の女性映画の作り手として、高い人気と実力を誇っている。

<主な作品>

2011年 『Potiche』
2009年 『refuge』
2007年 『エンジェル』
2005年 『ぼくを葬る』
2004年 『ふたりの5つの分かれ路』
2003年 『スイミング・プール』
2002年 『8人の女たち』
2001年 『まぼろし』
2000年 『焼け石に水』
1999年 『クリミナル・ラヴァーズ』
1998年 『ホームドラマ』
1997年 『海をみる』
1996年 『サマードレス』
1995年 『小さな死』
1994年 『アクション、ヴェリテ』



■エマニュエル・ベルンエイム(共同脚本)

フランソワ・オゾン監督作品は『まぼろし』(2001)、『スイミング・プール』(2003)、『ふたりの5つの分かれ路』(2004)などを担当。その他の主な作品は、ジャン=ピエール・リモザン監督『天使の接吻』(1988)、自身の小説を脚本化したクレール・ドゥニ監督の『Vendredi soir』(2002)など。


■クローディ・オサール(製作)

『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986)、『アリゾナ・ドリーム』(1992)、『アメリ』(2001)、『パリ・ジュテーム』(2006)、『シャネル&ストラヴィンスキー』(2009)などを手がける敏腕女性プロデューサー。フランソワ・オゾン監督とは今回が初のタッグとなり、次回作『Le Refuge』(2009)でもコンビを組んでいる。


■ジャンヌ・ラポワリー(撮影)

フランスワ・オゾン監督作品は『焼け石に水』(2000)、『まぼろし』(2001)、『8人の女たち』(2002)、『スイミング・プール』(2003)、『ぼくを葬る』(2005)などを担当。『私の好きな季節』の第二班カメラを経てアンドレ・テシネ監督の『野生の葦』でデビュー。ガエル・モレル監督の推薦でオゾン監督と共に仕事をするようになる。その他の主な作品は、『映像作家ストロープ=ユレイ あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(2001)、『ウェイクアップ・デッドマン?奇跡の朝』(2004)など。


■フィリップ・ロンビ(音楽)

フランソワ・オゾン監督作品は『クルミナル・ラヴァーズ』(1999)、『まぼろし』(2001)、『スイミング・プール』(2003)、『ふたりの5つの分かれ路』(2004)などを担当。また、アカデミー賞外国語映画賞候補になった『戦場のアリア』(2005)ではセザール賞にノミネートされた。その他の主な作品は、『世界でいちばん不運で幸せな私』(2002)、『みんな誰かの愛しい人』(2004)など。


■パスカリーヌ・シャヴァンヌ(衣装)

フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』(2002)で、ディオールが1950年代に発表し、ファッション界に革命を起こしたオートクチュール「ニュールック」からインスピレーションを得た衣装を披露し、世界各国で絶賛される。オゾン監督作品では、『クリミナル・ラヴァーズ』(1999)、『焼け石に水』(2000)、『まぼろし』(2001)、『スイミング・プール』(2003)、『ふたりの5つの分かれ路』(2004)、『ぼくを葬る』(2005)、『エンジェル』(2007)も手掛けている。その他の作品は、アンヌ・フォンテーヌ監督、ファニー・アルダン、エマニュエル・ベアール主演の『恍惚』(2003)、ディアーヌ・ベルトラン監督の『薬指の標本』(2004)など。


■カーチャ・ヴィシュコフ(美術)

フランソワ・オゾン監督作品は『ふたりの5つのわかれ路』(2004)、『ぼくを葬る』(2005)、『エンジェル』(2007)でコンビを組む。その他、『イザベル・アジャーニの惑い』(2002)、『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』(2001)、『イブライヒムおじさんとコーランの花たち』(2003)、『アガサ・クリスティーのおくさまは名探偵』(2005)などを手掛けている。モーリス・ピアラ監督の『ヴァン・ゴッホ』(1991)とオリヴィエ・アサイヤス監督の『感傷的な運命』(2000)でセザール賞にノミネートされた。


■ローズ・トレメイン(原作)

1943年、ロンドン生まれ。父親は作家。イーストアングリア大学で学士号取得。教師(1988〜1995)、研究員を経て、1980年以降、執筆に専念する。劇作、ラジオ、TVドラマ、伝記も手がけている。1983年、Best of Young British Novelistsに選ばれる。2000年イーストアングリア大学から文学博士の名誉を受ける。ブッカー賞の審査員も勤めた(1988、2000)。『恋の闇 愛の光』(1995)は同名小説がマイケル・ホフマン監督、ロバート・ダウニー・Jr主演により映画化された。