『フォーエバー・フィーバー』/"FOREVER FEVER"


7月8日より恵比寿ガーデンシネマにて公開

東京国際ファンタスティック映画祭'99出品
シンガポール映画公開史上、最高興行収入獲得
1999年秋、全米1000館で公開決定!

1998年/シンガポール/カラー/ドルビーSR/95分

◇監督・脚本・製作:グレン・ゴーイ ◇撮影監督:ブライアン・ブレニー ◇美術監督:ラリー・イーストウッド ◇編集:ジェーン・モラン ◇音楽:ガイ・グロス ◇振付:ザキ・アーマッド ◇衣装デザイン:アシュレイ・アエリア

◇キャスト:エイドリアン・パン、メダリン・タン、アナベル・フランシス、ピエール・プン、スティーブン・リン ◇配給:ファブ・フィルムス ◇配給協力:パルコシティ ◇米題:That's The Way I Like It ◇BGM/アリスタレコードよりサウンドトラック発売






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【イントロダクション】


風を感じオートバイを走らせる。
いままでに出会ったことのない心地よい風、光、そして風景……。
自由が僕らをやさしく包む。
どこまでも、どこまでも2人。この風の中を進んでいこう。
平凡な毎日を送る青年の、たった1つの大切な夢……。

青春は迷いの連続だ。
運命は時々、思ってもいない驚きを僕らに与えてくれる。

人生を変える1本の映画を観た。
カンフー好きで、
いつか憧れのオートバイを走らせることを夢見るホックが、
突然目覚めたディスコ・ダンス。
目指すのは、ダンス大会。
優勝賞金で夢をつかもう。

そんな、夢と希望を感じさせてくれる青春ストーリー。

そう、人生の素晴らしい出会いは、あなたにも必ずある。
それは、夢見ること、そしていつでも追い続け、求めること……。



 




【プロダクションノート】


シンガポール映画界の夜明け。そして祖国の映画界に一石を投じた男。




◆アメリカでの上映権はMiramax(ミラマックス)社

普段あまりお目にかかれないものがある。例えば、劇場の通路でカンフーを披露するハーベイ・ウェインシュタイン氏(Miramax社役員)だ。1998年のカンヌ映画祭で、そのたくましいウェインシュタイン氏は、空手チョップも混ぜてちょっと踊りたくなってしまった。ディスコ全盛期を背景にした映画"That's the Way I Like It"(全米公開時の題名)の上映中である。実際、ウェインシュタイン氏はその映画をとても気に入って買い付けただけでなく、これが初めての作品だという監督に、次の3作品も取り引きしようと申し出た。

この話は別段驚くことではないのだが、映画よりも「チューイングガム禁止」で知られる島国、シンガポールでこの映画が製作されたという点は意外である。ビジネスが盛んな商業の中心地という状況にもかかわらず、この国では過去数十年間、ほんの一握りの映画しか作られてこなかったし、Miramaxが現れるまではアメリカの配給会社との取り引きも確立されていなかった。



◆シンガポール映画事情

10月ニューヨークとロサンゼルスで公開予定の"That's the Way I Like It"。その脚本・監督を手がけたグレン・ゴーイによると、撮影のために道路を閉鎖したいと申請した時、厳粛でお堅いシンガポール政府は映画製作には全く不慣れだったので、最初のうちはただもう驚いた顔でじっと見つめられるばかりだったそうである。「道を閉鎖したいなんて言う奴はいなかったんです」。

グレン・ゴーイはシンガポールで生まれ育ち、現在はロンドンで生活をしている。「結局、許可は貰いましたが、コネを利用しなくてはなりませんでした。知っている限りの政府高官に会わなくてはならなかったんです」。こうして、ゴーイはシンガポール映画界におけるニューウェーブの1人となる。人気のテレビスターのジャック・ネオは、コメディ"Money No Enough"を製作し、国内の劇場だけで3,500万ドルもの総利益を上げた。これは、『タイタニック』『ジュラシック・パーク』に次いで国内映画史上第3位という快挙である。この流れを映画のルネッサンスと呼ぶには少し早い。というのも、50年代から60年代にかけて、かつてイギリスの植民地であったこの国の映画産業は、中国、マレーシアのヒット作を次々と生み出していたCathey Films(キャセイ・フィルムズ)や、Shaw Bros.(シャウ・ブロス)といった大手撮影所の参入もあり、非常に活気づき利益を上げていたのである。

1956年の古典映画"Penarik Beca(The Trishaw Man)"などでその姿を見ることができるが、P・ラムリーという役者が脚本、監督、音楽、出演までこなし、この時期、ある意味では1人で映画界を盛り立てていた。しかし、1973年にラムリーが他界すると、それに合わせて国内の映画産業も衰退していった。海外作品との競争や資金不足が原因である。そして今、シンガポールではこの流れを取り戻すための一歩を踏み出したところである。  昨年、政府と映画会社のCathey Films(キャセイ・フィルムズ)とShaw Bros.(シャウ・ブロス)が協力して、Singapore Film Commission(シンガポール映画委員会)を設立、相応の製作者に対する資金援助や、トレーニング・プログラムの実施、映画祭運営などを担う。1,200万ドルほどの予算では、大作を生むブームを作り出すまでには至らないだろうが、少なくとも、歩み始めたのである。委員会の副理事であるクリスティーン・リムは次のように語る。「かつてシンガポールの映画業界には活気があったのですが、90年代までは停滞していました」。「ここ数年の間に再び盛り返してきたようです。突然、私企業が独自に映画作りを支援し始め、映画ブームの復興が見えてきました。我々は正に今がその時期だと感じ、この流れが尻すぼみに終わらないように支援していかなくては、と思ったのです」。



◆新たなるメディアへの挑戦。映画監督グレン・ゴーイ

映画制作者たちは、資金繰り以外にも様々な問題に直面している。手に負えないほどの著作権侵害、経験のあるスタッフ不足、観客の保守的なテイストなどである。30代前半のゴーイもこういった障害にぶち当たった。10代の後半、両親は彼をイギリスに送りそこでの教育を受けさせた。ケンブリッジで歴史を学んだ後、役者になるために演劇学校へ入学する。彼が頭角をあらわしてきたのは、ウェストン版"M.Butterfly(蝶々夫人)"でアンソニー・ホプキンスの相手役に抜擢されたからである。その舞台は、アンソニー・ホプキンスが『羊たちの沈黙』の撮影に入るまで、6ケ月間上演された。やがて、ゴーイは演技の道はあきらめ、小さな劇団を作ることにする。その後、8年間は低予算の芝居を演出し続け、ロンドンのあの有名な酷評に散々痛めつけられることになる。そして、ある非常に厳しい批評をきっかけに、もう十分だ、と気付くのである。

「他の新たなメディアを試してみる時期だと思いました」とゴーイは言う。「それで2年前、机の前に座ってこの映画の脚本を書くことにしたんです」。だが彼自身、脚本家と仕事をした経験はあっても、実際に自分で本を書いたことは一度もなかった。そこで、「映画の脚本の書き方」なる本を買うとさっそく執筆に取り掛かった。「自分の知っている世界を書きなさい」という素人向けの定義に従って、シンガポールで過ごした10代の日々に焦点を当てることにした。『サタデー・ナイト・フィーバー』とディスコ・ブーム真っ只中の頃である。「あのディスコ・ブームがアジアに来た時、僕はティーンエイジャーでした」。「まだビデオなんかもない頃で、気に入った映画があると何度も何度も劇場に足を運ばなくてはならなかった時代です。僕もそうでしたよ」。

そして、ゴーイは半自伝的なキャラクター、ホックを作り上げる。食料品雑貨店で働くちょっとマヌケな主人公ホックは、ブルース・リーに憧れている。バイクを買う資金欲しさに、入賞しないとわかっているのにディスコ・ダンス・コンテストに応募するのだが、そこで運命の出会いが訪れる。金のチェーン、白いスーツを身にまとったトラボルタもどきのキャラクターがスクリーンから登場し、彼に助言するのだ。あたかもウッディ・アレンの『ボギー、俺も男だ!』のように。次に、この野心溢れる映画監督は製作資金30万ドルを集めるために走り回った。借金をしたり、怪しい仕事に就いたり、その価値が上がる度にロンドンのアパートを抵当に入れたりして、とうとう1人で資金を作ってしまった。



◆とんとん拍子に進んだ話

シンガポールで撮影すれば比較的安く上がるとわかっていたのだが、次なる問題はクルーを探すことであった。しかし、ここでまた彼は幸運に恵まれる。オーストラリアのアートシアターでヒットした『プリシア』の大ファンであったゴーイは、その撮影監督ブライアン・ブレニーに脚本を送っていた。すると、ブレニーから、撮影の承諾だけでなくカメラ・クルーも全員連れて行こう、との返事が来たのだ。撮影は30日間にわたった。主役のホックを演じたエイドリアン・パンは、イギリスの映画・テレビで活躍するベテランだが、彼以外の役者は皆、演技経験がなかった。「若者のエネルギーと魅力をとらえたかったから、役者は使いたくなかった」とゴーイは言っている。

シドニーで4ケ月にわたる編集作業を終えると、ゴーイは次にどうしたものか途方に暮れてしまった。しかし、ちょうどその頃、オーストラリアのセールス・エージェント、ゲイリー・ハミルトンから電話が入る。彼のBeyond Films(ビヨンド・フィルム)は、Miramaxに『ダンシング・ヒーロー』や『ラヴ・セレナーデ』を売り込んだところである。ハミルトンはゴーイの映画 ― "Forever Fever"と命名 ― をカンヌに持っていきたいと言うのである。そして、最後の上映で数社から引き合いがあった。Miramaxの買い付け・共同プロダクション部部長のエイミー・イスラエルは、この作品を「心温まる映画」だと言う。「アメリカ映画の影響は強く受けているけれども、それでもなお、私達がこれまでにスクリーン上では観たことのない世界があるのです」。ウェインシュタインにこの映画を見せた後 ― 彼は、即興のダンスで賛辞を表現した ― イスラエルと彼女の同僚で買い付けの主任であるジェイソン・ブルームは、この映画の北米における権利を買い取り(それ以外の地域はBeyond社が取得)、次からの3作品もぜひ取り扱いたい、とゴーイに申し出た。ゴーイは、その時はまだウェインシュタインが誰だかも知らなかった。



◆期待はシンガポールにおける文化としての映画

「映画に関しては全くの無知でした」と笑いながらゴーイは言った。「(売り上げの)数字が何を示すのかはわかりますけれど。僕にとっては大切なことですからね」。シンガポールの他の映画製作者たちも同じ様な幸運に恵まれるかどうか、それは時間が経たないとわからないだろう。トングは、最近の様子をハイテクにおける爆発的な成長になぞらえて、「表面上は、突如として多くの映画が出現したようだ」と言う。しかし、著作権侵害は大きな問題であることがわかっている。"Money No Enough"に続くネオの人気作、"Liang Po Po"が苦戦しているのは、昨冬まだ劇場で公開中に、海賊版がビデオ店の店頭に並んだことも原因となっているのである。クーの"12 Storeys"は映画祭の興行系列劇場を巡回したが、わずかな資金と収益のプレッシャーが悩みの種だと言う。「私自身、これまで極めて低予算の中で仕事をしてきましたが、"12 Storeys"は2週間、28万ドルで撮影し、まるでゲリラ的な製作で常に気を張っていました」。更に、国内のクルーの多くは、CMやミュージック・ビデオやテレビ・ショーといった短期間の撮影にしか慣れていないのだという。「こういった制約のおかげで、スケールの大きな趣向を凝らした映画やアクション映画はまだ作れないのです」。驚いたことに、検閲よりも、保守的な観客の好みに不満を持つ製作者たちもいる。ネオによると、多くの観客は国内の作品中で使われるセックスや卑俗な言葉は嫌がるのに、ハリウッド作品の「やりたい放題」は大目に見るのだという。「映画を作る時に気になるのは観客です」とネオは続ける。「我々が海外のマーケットを征服しなくてはならないというなら、より大胆で冒険的なテーマで製作できるように、国内の観客がもっとも寛容に受け入れてくれなくてはなりません」。


 




【ストーリー】

◆ダンスは素晴らしい。僕の夢をかなえてくれる。



1977年、舞台はシンガポール。世界がディスコブームで沸きかえっていたころのお話だ。巷にはトラボルタばりのファッションが流行り、若者は、土曜の夜ともなれば日常から開放され、ディスコに1週間分のエネルギーを発散するといった時代だった。

しかし、まだそんな魅力を知らない若者が1人。オリエンタル・スーパーに勤めるホック(エイドリアン・パン)である。彼はただなんとなく惰性で繰り返す毎日を、同じく夢も希望もない仲間たちと過ごしていた。 平凡で変化のない毎日。とりたてて不満はないものの、退屈な日常だった。いつもこごとの絶えない上司にイヤミばかりをいわれ、家に帰れば口うるさい両親に、帰宅時間のことで怒られる。兄弟は、医学生のできのいい弟と、おしゃまな妹。案の定、弟と比べられるホック。そんな彼の唯一の楽しみは、ブルース・リーの映画を観ること、そして街で見かけた新型バイクをいつの日か手に入れ、自由に乗り回すというたわいもない夢だった。

そんなある日、いつものように幼なじみメイ(マデリン・タン)の家が経営する喫茶店に仲間と集まり、映画を観に行こうということになる。もちろんホックが観たい映画はブルース・リー。しかし、あいにく劇場でやっていたのは、カンフー映画ではなく、「フォーエバー・フィバー」(サタデー・ナイト・フーィバー)だ。しかたなくみんなに付き合い、その映画を観ることになった。はじめは退屈していたホックだったが、主人公トニー(偽トラボルタ)の踊りに真剣に観入ってしまう。いつしかその映画の虜になったホックは、きのう捨てた1枚のチラシを思い出す。

そうだ! ダンスコンテストで優勝すると賞金5,000ドルがもらえるのだ。5,000ドルあれば、あのバイクが買える……。 次の日、さっそく彼は、メイを誘い出しダンス教室へ通い始めるのだった。日に日に上達するホック。とにかく夢に見るバイクが欲しいという一心で。

なにもかも順調にいっていた。ライバルのパートナー、ジュリー(アナベル・フランシス)に出会うまでは……。こともあろうにダンスコンテストのパートナーになって欲しいとジュリーに申し込まれたからだ。メイを想う気持と、ジュリーへの憧れという板ばさみにホックの心は揺れる。家庭内でのごたごた。ジュリーの前のパートナーからのいやがらせ。次から次へと襲いかかってくる問題……。なにかすべてが狂い出したようだった。ホックの心は揺れ、悩み苦しむ。

そんな時、まさかの守護神トニー(偽トラボルタ)が現れ、アドバイスしてくれる……。そして起死回生!? ホックの退屈な人生を変える旅は、いままさに始まろうとしていた!





 




【キャスト&スタッフ】

■ピエール・プン(Pierre Png):リチャード(Richard)

ジュリーの前のパートナー。金持ちのボンボンで、いつも美しい女の子にちょっかいを出す。Television Corporation Singapore(テレビジョン・コーポレイション・シンガポール)の1998年度Fame Award(フェ−ムアワード)グランプリを受賞、この映画の配役が成功だったことを証明した。


■エイドリアン・パン(Adrian Pang):ホック(Ah Hock)

カンフー好きで、バイクを買う夢を追いつづける主人公。 ひとつの映画をきっかけにダンス大会へ挑戦することになる。映画・テレビ・舞台で幅広く活躍。BBCの『Peggy Su』では、本作品の監督グレン・ゴーイと共に、『ハムレット』『The Magic Fundoshi』『ガラスの動物園』他、舞台経験も豊富。


■メダリン・タン(Medaline Tan):メイ(Mei)

ホックの幼なじみの彼女。ホックたち仲間がいつも集まるお店は、彼女のお父さんのお店。シンガポールでいま最も注目されているラジオ局の人気DJ。本作品で映画デビュー。


■アナベル・フランシス(Anna Belle Francis):ジュリー(Julie)

ホックの踊りに惚れ込み、ダンス大会のパートナーを申し入れる。 ホックの心を揺さぶる刺激的な彼女。Television Corporation Singapore(テレビジョン・コーポレイション・シンガポール)で毎週放送されている音楽番組『VIDZ』で注目を浴び、今回映画に初挑戦した。


■ピエール・プン(Pierre Png):リチャード(Richard)

ジュリーの前のパートナー。金持ちのボンボンで、いつも美しい女の子にちょっかいを出す。Television Corporation Singapore(テレビジョン・コーポレイション・シンガポール)の1998年度Fame Award(フェ−ムアワード)グランプリを受賞、この映画の配役が成功だったことを証明した。


■スティーブン・リン(Steven Lim):ブーン(Boon)

ホックの友人。夜な夜なメイのうちの店にたまり、ボーリングや映画にいつもついて来る。高視聴率を誇るテレビ番組『Growing Up』の主役で成功し、今回映画デビューを果たした。



■監督・製作・脚本:グレン・ゴーイ(Glen Goei)

この映画で、シンガポールヒーローとも誉めたたえられるようになったグレン・ゴーイは、イギリスの演劇界から、今回本作品で映画監督としてデビューを飾った。1989年にトニー賞を受賞した『蝶々夫人』で大役を射止め、アンソニー・ホプキンスと共演。(ホンダ、アヴァンシア出演中)1990年、栄誉あるローレンス・オリビエ賞新人賞にノミネートされる。演劇への情熱が高じて次第に製作・監督も手がけるようになり、Sunday Times Awards(サンデー・タイムズ・アワード)最優秀プロダクション賞、最優秀演技賞を受賞した『Porcelain』、『The Magic Fundoshi』(同最優秀コメディ賞)『Madame Mao's memories』など数多くの作品を送りだしている。また、話題を呼んだジャン・ジャック・アノー監督作品『愛人マラソン』(1992)にも参加。シンガポールでは、芸術への貢献を称えるThe National Award(ナショナル・アワード)が贈られた。


■撮影監督:ブライアン・ブレニー(Brian Breheny)

『プリシラ』(1994)で、1994年Australian Film Critics Circle Award(オ−ストラリアン・フィルム・クリテイクス・サークル・アワード)最優秀撮影賞を受賞。この受賞に伴いAustralian Film Institute Award(オーストラリアン・フィルム・インスティチュート・アワード)を獲得。さらにBAFTA(British Academy of Film and Television Artsブリティッシュ・アカデミー・オブ・フィルム・アンド・アーツ)にもノミネートされた。その他にも『The Small Hours』や『Heavens Burning』、『Mighty Morphin Power Rangers?The Movie』など数多くの作品を手がけている。


■美術監督:ラリー・イーストウッド(Larry Eastwood)

Simon Wincer 監督の『Phar Lap』でSydney Film Critics Award(シドニー・フィルム・クリティクス・アワード)最優秀美術賞を受賞。現在、映画業界の中でも最も人気の高い美術監督の一人である。AFI(American Film Institute )にノミネートされた『Weekend with Kate』から、大ヒットコメディ映画『クロコダイル・ダンディ2』(1988)大作『ウィンズ』(1992)まで幅広く活躍している。


■編集:ジェーン・モラン(Jane Moran)

ピーター・ウィアー監督作品『モスキート・コースト』(1986)、『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)で編集アシスタントを務めたことをきっかけに、その後も多くの主要作品で活躍。バズ・ラ−マン監督『ダンシング・ヒーロー』(1992)P.J.ホーガン監督『ミュリエルの結婚』(1994)ジョージ・ミラー監督『ロレンツォのオイル 命の詩』(1992)オスカーにノミネートされたジェーン・カンピオン監督の『ある貴婦人の肖像』(1996)アレックス・プロヤス監督の『ダーク・シティ』(1998)にも参加している。


■音楽:ガイ・グロス(Guy Gross)

『プリシラ』のサウンドトラックで、BAFTA、AFI、Australian Guild of Screen Composers(オーストラリアン・ギルド・オブ・スクリーン・コンポーザーズ)にノミネートされた。若干28才。映画だけにとどまらずテレビ界へも進出、『Front Up』『Border town』『Blinky Bill』などを手がけ、絶賛を浴びている。最近では、近日公開予定のStephen Elliot監督作品『Welcome to Woop Woop』に参加。これまで既に8枚のアルバムを発表している。


■振付:ザキ・アーマッド(Zaki Ahmad)

National University of Singapore's Dance Ensemble(ナショナル・ユニバーシティ・オブ・シンガポールス・ダンス・アンサンブル)でキャリアを積み、1994年からトップダンサー、振付け師として活躍。


■衣装デザイン:アシュレイ・アエリア(Ashley Aeria)

テレビコマーシャルなどで活躍中。独自のセンスで、本作品のレトロな雰囲気を見事に演出している。


 









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