『ドリームガールズ』/"DREAMGIRLS"



2007年2月17日より日劇3ほか全国にて公開

2006年/130分/パラマウント映画&ドリームワークス映画/ローレンス・マーク・プロダクション/UIP配給/シネマスコープ/DTS.SRD.SR/7巻:11,702ft:3,567m/翻訳:戸田奈津子

◇監督・脚本:ビル・コンドン ◇製作:ローレンス・マーク ◇製作総指揮:パトリシア・ウイッチャー ◇音楽:ヘンリー・クリーガー ◇歌詞:トム・アイン ◇撮影監督:トビアス・シュリースラー ◇プロダクション・デザイナー:ジョン・マイヤー ◇編集:ヴァージニア・カッツ ◇衣裳:シャレン・デイビス ◇振付:ファティマ・ロビンソン ◇舞台照明デザイナー:ジュールス・フィッシャー、ペギー・アイゼンハワー ◇ミュージック・スーパーバイザー:ランディ・スペンドラブ、マット・サリバン

◇キャスト:ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィ、ダニー・グローバー、ジェニファー・ハドソン、アニカ・ノニ・ローズ、キース・ロビンソン、シャロン・リール、ヒントン・バトル



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ニューズウィーク
by デイビッド・アンセン

『ドリームガールズ』は大きな衝撃を与える ─ 素晴らしくアグレッシヴで、奥が深いドラマになっている。ビヨンセは控え目だが野心に満ちた歌姫を演じ、溢れる才能を見せつけ、ジェニファー・ハドソンのスター性溢れる歌唱力がアメリカ中を感動の渦に巻き込んでいる。この映画は、ミュージカルの天国に連れていってくれる。


ニューヨーク・デイリーニュース
by ジャック・マシューズ

『ドリームガールズ』はエネルギーに溢れた作品だ。ビヨンセの“Listen”で、観客は総立ちになることは間違いないし、ジェニファー・ハドソンの悲しくも感動的なナンバー、“And I Am Telling You I'm Not Going”で彼女はその名前をオスカーに刻んだ。


バラエティ
by デイビッド・ルーニー

『ドリームガールズ』がやってくれた。原作に忠実ながらも、新しい作品として完全に生まれ変わったこの映画は、力強く、声高らかに、オスカーシーズンを歌い抜けるに違いない。カメラワークは官能的で、編集も動的で優雅なリズムを紡ぎ出している。 ビル・コンドンはビヨンセの魅力を十分に引き出し、信念を越えた美しさと秘めたる覚悟で、純真なティーンエイジャーから冷静なスターへと開花した。ジェニファー・ハドソンは『ファニーガール』のバーブラ・ストライサンドや『ローズ』のベット・ミドラーのデビューを彷彿とさせ、沸き立つ演技と若き頃のアレサ・フランクリンの声を持つ。エディ・マーフィは痛烈な歌、セリフともに画面をはみ出して観る者に迫る。彼の映画のなかでも最高の演技だ。


ローリング・ストーン
by ピーター・トラバース

文句のつけようがない。誰にも負けないほど輝いている作品。この崇高な作品は今年最高の映画のひとつに留まらない。ファンの究極の喝采を浴びる作品だ。

姿、声ともにゴージャスなビヨンセは、役柄の許す限りディーナに奥深く入り込み、そのキャラクターに不屈の精神と胸打つ威厳を与えた。ジェイミー・フォックスは、役柄の不安定さをとらえ、今までにない悪役の魅力を発揮している。破滅への道を歩むスターというリスキーな役を演じたエディ・マーフィは「サタデー・ナイト・ライブ」以来最高のコメディの切れを見せ、驚くべき力量で歌う。彼のスクリーンでの最高の演技だ。そして、ジェニファー・ハドソンの映画デビューは、オスカー受賞に値する素晴らしいものだ。


ロサンゼルス・タイムズ
by パトリック・ゴールドスタイン

オスカー・ダービーのポールポジションを陣取っている『ドリームガールズ』の話題を口にしない人はいない。1981年のミュージカルを忠実に再現しながら、ビル・コンドン監督は、素晴らしい音楽、そして完成されたパフォーマンスを惜しみなく盛り込み、見事なエンターテインメントに仕上げた。作品の持つ力は、十分以上にノミネーションに値する。




【解説】

◆映像、音楽、ドラマ、エモーション ─ 全ての要素が頂点に達し、
2007年最高のエンターテインメントが舞い降りる


1981年12月20日、NYのブロードウェイにあるインペリアル・シアターでオープニングを迎え、毎夜、スタンディング・オベーションによる喝采を浴びたマイケル・ベネット演出による伝説のミュージカル「ドリームガールズ」。ブロードウェイ・ミュージカル史上燦然と輝くこのショーは、4年間に渡り1522回の公演を記録、その後、全米各地や日本を含む世界各国で上演され、1982年にはトニー賞の13部門ノミネート、6部門受賞となる快挙を成し遂げた。そして2007年、この傑作ミュージカルが遂にスクリーンに甦る!!

ミュージカルというジャンルを超え、まさに最高のパフォーマンスと普遍的なドラマが完璧に融合した、エンターテインメントの真髄がここにある。



◆輝くために失う何かがある ─
すべての登場人物の運命が絡み合う興奮と感動のエンディング


1960年代から1970年代のモータウン・サウンド隆盛期を背景に、仲の良い3人の友人同士で結成した女性ボーカル・グループ“ドリーメッツ”が、時代を代表するスーパースター“ザ・ドリームズ”になるまでのサクセス・ストーリー。しかし、その輝くショー・ビジネス界の裏側には、さまざまな確執、裏切り、挫折があった。ブラック・ミュージックが白人文化に多大な影響を与え始める風潮と共に、より大きな成功を手にするために時代の変化を受け入れなければならないことで生じる矛盾。夢をつかんではじめて知る失った何か ─ 栄光と挫折、喝采と中傷、女の友情と男の野望、そして愛 ─ すべての登場人物の運命が絡み合い、興奮と共に胸に迫る感動のラストを迎える。


◆新人からスーパースター、そしてベテラン俳優まで
─ 魂のパフォーマンスで迫る


オリジナルの舞台が上演された年に生まれたビヨンセは、母親からいつも、この「ドリームガールズ」の素晴らしさを聞かされて育った。時代に求められる歌手ディーナ役は、まさに彼女に演じられるのを待っていた。10キロの減量に挑み、憧れのダイアナ・ロスに会って、この役に挑んだ。当代きってのディーバが魂の熱唱で“リッスン”を謳いあげるクライマックスは圧巻。

そして、ビヨンセを超える存在感、圧倒的歌唱力と迫真の演技を披露するのは新人ジェニファー・ハドソン。実力と自信に満ち溢れながらも時代や仲間と折り合いが付かず、孤独な人生を歩まざるを得ないエフィー役を演じる彼女は、全米のジャーナリストからオスカー確実と目されている。

やり手であるがために反面、ビジネスの悪の部分に手を染めてしまうマネージャー、カーティス役に、『Ray/レイ』でアカデミー主演男優賞に輝くジェイミー・フォックス。時代を象徴し、時代にとり残されるベテランシンガー、ジェームス・“サンダー”・アーリーをパワフルかつ切なく演じるエディ・マーフィ。

さらにベテラン・マネージャーのマーティ役に名優ダニー・グローバー、ザ・ドリームズのメンバー、ローレル役にトニー賞受賞のアニカ・ノニ・ローズなど、超一流キャストが最高のパフォーマンスで迫る。



◆ハリウッドとブロードウェイ、
エンターテインメントの頂点からプロフェッショナルが集う


監督は、アカデミー作品賞に輝く『シカゴ』で脚本を担当したビル・コンドン。監督作品としては、『愛についてのキンゼイ・レポート』、アカデミー脚色賞を受賞した『ゴッド・アンド・モンスター』がある。25年前のミュージカルの映画化に関してこう語る ─ 「夢をつかんだ時に失った何かに気づくストーリーは普遍的なものです。そして、音楽シーンの変化という意味では、ブラック・カルチャーがトレンドの主流となった現代にこそ密接に関係します」。

その主役ともいえる音楽を担当したのは、ヘンリー・クリーガー。彼は、オリジナル・ブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」の音楽でトニー賞にノミネートされ、アルバムは1982年グラミー賞を受賞した。本作のため、4曲の新曲を提供している。音楽監修は、『シカゴ』『レント』のランディ・スペンドラブ&マット・サリバン。オリジナルの楽曲をアレンジしたのは、ルーサー・ヴァンドロス、ベビー・フェース、アレサ・フランクリン、メアリー・J・ブライジなどを手掛けたジ・アンダードッグス。

プロデューサーは『ザ・エージェント』『恋愛小説家』のローレンス・マーク。製作総指揮は、『ターミナル』『SAYURI』のパトリシア・ウィッチャー。他にプロダクション・デザイナーは、『シカゴ』でアカデミー賞受賞のジョン・マイヤー。撮影は、リアル感を切り取るシネマヴェリテの手法を活かした『プライド/栄光への絆』のトビアス・シュリースラー。衣裳は、『Ray/レイ』でアカデミー賞ノミネートのシャロン・デイビス。舞台照明デザイナーに、トニー賞25回ノミネート、8回受賞のジュールス・フィッシャー&ペギー・アイゼンハワー。振り付けは、エンターテインメント・ウィークリー誌に“最もクリエイティブな100人”に選ばれたファティマ・ロビンソン。

映画と舞台から超一流のスタッフが結集し、映画史に燦然と輝く最高のエンターテインメントが今、ここに誕生した。



 


【プロダクションノート】

◆『ドリームガールズ』そのものが“夢”

監督は語る。「人は誰でも、手に入らないものをどうしても欲しいと思う気持ちがどんなものかわかっています。誰でも、置き去りにされる気持ちを知っています。自分が欲しいと思っているもののためすべてを犠牲にして、失くしてしまったものに気づくのが遅すぎた時の気持ちもわかっています。この映画では、登場人物たちがあらゆる希望と苦悩をあからさまに見せます」。「このストーリーは1960〜1970年代が背景ですが、当時は、大きな社会的、政治的な変化が訪れようとしていた時代でした。『ドリームガールズ』の登場人物は、その大変動を反映しています」。

プロデューサーのローレンス・マークは語る。「名声が伴う損と得は何か? 妥協しないために起こる結果とは? 妥協したらどうなるのか? 人の才能は商品化されて売られるものなのか? そして最後に、夢を追う過程で、自分自身を見失わないためにはどうすればよいのか?」

「人々が夢について考えるときには」ビヨンセが語る。「美しく輝くものだけを思うでしょう。成功を手にし、夢を叶えるために払う犠牲とか、代償については考えません。人生は多くの複雑な出来事に出会います。この映画は、そういうものすべてに触れています。でも、結局は夢を手にすることが核心にあります。私たちにとって、『ドリームガールズ』を作ることが、まさに夢でした」。



◆運命の役

エフィー・ホワイト役には、新人のジェニファー・ハドソンが扮する。1980年代に若いゴスペル・シンガーのジェニファー・ホリデイという名前を有名にした役柄のため、力強さ、情熱、傷つきやすさをバランスよく併せ持った人物を見つけようと、780人以上の女性と会い、6カ月におよぶキャスティングを行った。

また、ジミー・アーリー役には、「最初から、エディ・マーフィを考えていました」と語る監督。「運良く、私と同様、エディはオリジナルの“ドリームガールズ”を何回も見ていました」。ビヨンセは語る。「信じられません。すばらしい才能の持ち主と共演していることが」。

「ビヨンセは、すでにディーナのストーリーを経験しています。彼女はこの役を演じるために生まれてきたような人で、直感的に役柄を理解しています」と監督が語る。ビヨンセは、ディーナの変身ぶりを外見で見せるために、スポットライトを浴びる時期までは自分の声の一部分しか使わず、モデルのようなルックスを控えめにした。「ディーナの歌い方は私のとはとても違うので、抑えなくてはならず、“声をフルに使わず、ディーナのように歌うのよ”と自分に言い聞かせなければなりませんでした。彼女は機微を見せる人です。微妙な、ちょっと謎めいて、とても女っぽく、セクシーです。きっと、'ビヨンセ'を見られると考えているでしょうが、“ビヨンセ”はこの映画にはどこにもいませんから」。




◆伝説の舞台からのキャスティング

監督はキャストとして、四半世紀前にブロードウェイ作品に出演した2人の俳優を迎えた。ジェームス・“サンダー”・アーリー役を、その初演者から引き継いだヒントン・バトルが語る。「当時がどういう状況だったかを伝える作品です。賄賂や、白人のレコーディング・アーティストが黒人アーティストから曲をとってヒット曲にしたことなど、レコード業界の苦闘を見せます。でも、結局は、情熱や愛、我々が憧れる世界を描いたストーリーです。映画には過去を振り返る能力がありますが、アフリカ系アメリカ人音楽が今の文化に占める位置を扱うことによって、未来についてコメントすることも可能です。それが、この作品と現代との関連性をさらに深めているのです」。

オリジナルのブロードウェイ作品に対するもう一つの敬意の表われとして、舞台でローレル役を演じたロレッタ・ディバインがジャズ界のディーバ役で出演する。「舞台で演じていた当時は、自分たちが何を作っているのか、それに、それが25年後にどれほどの意味を持つことになるかまったくわかっていませんでした」と彼女は語る。



◆歌とダンス

“Listen”はディーナの心の旅を初めて表わす。ビヨンセが語る。「映画の中で、あのような瞬間を持つことは役者の夢です。つまり、あんなふうに歌を歌えることです。この曲はディーナが言いたいことをすべて表現していて、女性なら誰でも共感できる言葉と感情です」。

「ジェニファー・ホリデイとジェニファー・ハドソンは、“And I Am Telling You”にまったく別のものをもたらしています」。音楽のクリーガーが語る。「ハドソンの傷つきやすい歌い方は、ホリデイの歌い方とは違います。2人は共に、この曲にすばらしい特色をもたらしています。ブロードウェイと映画のキャストはそれぞれ、独自の芸術性を素材に与えてくれました」。

振り付けを担当したファティマ・ロビンソンは語る。「この映画の複雑なところは、何もかもあの時代のスタイルで見せながら、今を感じてほしいところです」監督は語る。「彼女の見事な振り付けは、時代に忠実であることと、今の時代にウケルものとの間の細い境界線を踏むものです」。ロビンソンは、ジャッキー・ウイルソンやサム・クック、ジェームズ・ブラウンなどのダンス映像やパフォーマンスのテープを調べ、いくつかの“ヴィンテージ”のステップを現代風の振付と融合させるように組み合わせた。




◆時代を映すロケ&セット

この映画の舞台となった数々のステージは、ヴォードヴィルのパレス・シアターやオルフューム・シアター、パサデナの歴史的なアンバサー・オーディトリウム、アレキサンドリア・ホテルなど、LA近辺でロケ撮影された。映画の最初と最後に、デトロイト・シアターで見せる2つの重要なパフォーマンスのため、パレス・シアターがデトロイト・シアターの代わりに使用された。また、マイアミの華やかなクリスタル・ルームとシーザーズ・パレスをロサンゼルス・センター・スタジオのサウンドステージに再現した。

カーティスがディーナのキャリアと共に成し遂げた成功を表わす現代的な家として、カリフォルニアのチャッツワースにある有名なシナトラ・ハウスも使われた。



◆本物が本物を演じるために

「クリスタル・ルームで“Dreamgirls”を歌うシーンでは、撮影前に、メーキャップとヘアーに2時間半かかりました」。ノウルズが語る。「ディーナがステップアップし、リードボーカルになる時です。人生の変革の時です。シンガーのディーナから、スーパースターのディーナへ。ですから、セクシーでヘビーなドレスで歌うことは、ぴったりでした。上はコルセットとビュスチェ<ストラップレスのトップ>を着け、生まれて初めての大きなヘアーを頭にのせ、それに見たこともないほど真っ青なアイシャドーでした!」

最後のパフォーマンスでエフィーが着る衣装は、1940年代の偉大な2人、ビリー・ホリデイとメエ・ウェストを思い起こさせる。衣裳のデイビスは、エフィーの服選びのため、クイーン・オブ・ソウルやアレサ・フランクリンを参考にした。

映画のために120着以上のルックスをデザインし、100着ほど完成させた。彼女は、ザ・ドリームズのようなスターが着る衣装を考えるため、その時代の保管されている写真だけでなく、当時流行したスタイルを調べた。「“エボニー”や“ライフ”といった雑誌や、モータウン時代の映像、たとえば“アメリカン・バンドスタンド”の出演者たちなどを調べました」。




◆“ドリームガールズ” ─ その伝説

1960〜1970年代初めの音楽は、変革に必死に取り組む社会を表現した。モータウン・サウンドが電波を満たし始めると、それは表面的なアメリカの光沢を切り開く市民権運動にとってのサントラとなった。

プロ・ボクサーで朝鮮戦争の経験があるベリー・ゴーディJr.は、歌えなかったが、小さなピアノが弾け、すばらしい耳を持ち、曲作りができた。1950年代、彼はウイリアム・“スモーキー”・ロビンソンという野心的なティーンエイジャーに出会った。ゴーディのプロデュース、ロビンソンが歌詞と歌を担当し、2人はニューヨークにあるエンド・レコーズで、“Got a Job”というシングルをレコーディングした。この曲はR&BチャートのNO.1となり、ゴーディはロイヤリティとして$3.19の小切手を受け取った時、自分が音楽ビジネスの間違った側にいることに気づいた。1959年、彼は家族から800ドルを借りて、モータウン・レコーズを設立した。スモーキー・ロビンソンはレーベルのバイス・プレジデントとなった。ゴーディはデトロイトのウエスト・グランド通りにあった2階建ての家を購入し、ガレージと地下を初期のヒッツヴィルU.S.A.のレコーディング・スタジオに変えた。ゴーディは、衣装、メーキャップ、ウイッグ、振付、グルーミングとあらゆる新しい行為を細かく調べた。ゴーディの方針を反映し、社の初のヒットはバレット・ストロングの“Money (That's What I Want)”で、その後にミラクルズの“Shop Around”が続いた。1年後、マーヴェレッツがレーベルで初のNO.1ヒット、“プリーズ・ミスター・ポストマン”を出した。

フローレンス・バラード、メアリー・ウィルソン、ダイアナ・ロスはデトロイト出身で、ゴーディが1961年に彼女たちと契約をした時には、まだ高校生だった。プライメッツ(最初はカルテット)だった彼女たちは一夜にして、ザ・シュープリームスとなった。1964年、“愛はどこへ行ったの”が初のNO.1ヒットとなり、その後の5年間に11曲のNO.1ヒットが続いた。彼女たちは、“アメリカン・バンドスタンド”や“エド・サリヴァン・ショー”で歌い、国際的なセンセーションとなった。

ベリー・ゴーディの仕掛けたギャンブルは、1961年から1971年の間に、スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ザ・テンプテーションズ、メアリー・ウエルズ、グラディス・ナイト&ピップス、フォー・トップス、ジャクソン・ファイブといったアイドルたちにより、110曲のトップ10入りヒットを生んだ。これらのアーティストとゴーディは歴史的なモータウン・サウンドを作り出し、それは時代を定義し、音楽、人種、社会、国同士のバリアを崩したサウンドだった。彼らはポピュラー音楽の道を作り出し、未来の黒人アーティストが、世界中の観客の間で成功するための道を切り開いた。

コンドン監督は語る。「私は幼い時、彼女たちや他のモータウン・グループに夢中になりました。あの時代 ─ マーティン・ルーサー・キングJr.が率いたデトロイトでの有名な行進や市民権運動、特に1963年のスピーチの中で、このすばらしい音楽を聞きました。これらの歴史のすべてが、『ドリームガールズ』のストーリーにスケールと背景を提供しています。表面上は、音楽と一つのシンガー・グループの成功を描いていますが、表面下では、あの時代にはびこっていた偏狭というものを終わらせようとして、アフリカ系アメリカ人が直面した苦闘を描く非常に私的なストーリーが語られています」。

『ドリームガールズ』は、トム・アインとヘンリー・クリーガーが書いた“ビッグ・ドリームス”というミュージカルとして生まれた。このショーを、ジョゼフ・パップはパブリック・シアターでワークショップのトピックとして扱い、ネル・カーターがエフィー・ホワイト役で歌った。カーターが去ると、このプロジェクトは棚上げされた。1年後、アインとクリーガーは、代表作“コーラス・ライン”でブロードウェイでの地位を確立していた演出家/振付師のマイケル・ベネットとプロデューサーのボブ・アヴィアンに、ワークショップからの10曲を持ち込んだ。エフィー役でブロードウェイの歴史に残るジェニファー・ホリデイは、彼女ほど“And I Am Telling You I'm Not Going”をうまく歌える人はいないと気づいたベネットに雇われた。プレミア上演の直前になって、題名が“ドリームガールズ”に変更された。

1981年12月20日、“ドリームガールズ”はインペリアル・シアターで初演された。ニューヨーク・タイムズの尊敬される舞台批評家フランク・リッチは、作品を“ブロードウェイの歴史に残る……美しく、せつない……稲妻のスピードと熱さで襲いかかる作品”と断言し、ニューズウィークのジャック・クロルは、“圧倒的で感動的”と評した。

振付によるトニー賞受賞は、ベネットにとって7回目であり、これはアメリカン・シアター・ウイングからの最後の栄誉となった。1987年7月2日、44歳でエイズによる合併症で倒れた彼にとって、“ドリームガールズ”は最後の作品となった。



 


【ストーリー】

1962年 ─ アメリカの自動車産業の中心地、デトロイトで遥かな未来に夢を馳せる3人のハイティーンの少女がいた。彼女たちの名前はエフィー・ホワイト(ジェニファー・ハドソン)、ローレル・ロビンソン(アニカ・ノニ・ローズ)、そしてディーナ・ジョーンズ(ビヨンセ・ノウルズ) ─ “ドリーメッツ”というトリオを組み、音楽で成功すること、その夢を追いかけるため、今日もデトロイト・シアターの公開での新人オーディション・イベントに参加していた。

エフィーの弟、C.C.(キース・ロビンソン)の手によるヒップな楽曲とダイナミックなエフィーのヴォーカルは観客を魅了し、ドリーメッツは喝采を浴びる。しかし、ショー・ビジネスの現実は彼女たちに一片の笑みも見せない。優勝者はあらかじめ決定していて、その他の出演者たちはコンテストを盛り上げるための道具でしかないからだ。

その様子に舞台裏から熱い視線を送る男がいた。中古車販売会社を経営するカーティス・テイラーJr.(ジェイミー・フォックス)は、扱う商品を自動車からサウンドに持ち替える機会を虎視眈々と狙っている。そして彼はドリーメッツという原石を見つけた。エフィーのパフォーマンスとC.C.の楽曲、そしてディーナのルックスを備えた無限の可能性を秘めた宝石を。「君たちに必要なのはアマチュア相手のコンテストじゃない、チャンスだ。それをもたらすことの出来る俺のような男だ」と三人の前で熱弁をふるうカーティス。その裏にはしたたかな計算があった。ローカル・スターでありながら、ソウルとロックをパワフルに融合させ、デトロイト・シアターで抜群の人気を誇るジェームズ・“サンダー”・アーリー(エディ・マーフィ)がバック・コーラスを探しているという情報を彼は得ていたのだった。



ショー・ビジネスの片隅に参加できるこのチャンスに、ディーナとローレルは歓喜の声を上げる。ただ独りエフィーだけが私たちの夢はステージの真ん中に立つことだと抗うが、仲間の説得と夢にまで見た世界への誘惑には勝てない。何より出口の見えない現実から抜け出る唯一のチャンスかもしれない ─ そして彼らの快進撃が始まった。ジミー・アーリー&ドリーメッツのパワフルなステージングと楽曲はデトロイトの若者のみならず、全米の注目を一気に集め、レコードセールスでも、黒人アーティストがランクインすることのないポップスのヒットチャート入りを果たした。そして、ベテランマネージャーのカーティス(ダニー・グローヴァー)からジミー・アーリーのマネージメント権を奪ったカーティスは勝負に出た。残った車を叩き売り、自らのレーベルである“レインボー・レコード”を立ち上げたのだ。

カーティスは社長であり、感性鋭いプロデューサーであり、そして辣腕マネージャーでもあった。ジミーとドリーメッツを檜舞台に立たせるため、あらゆる手段を駆使した。ヒットを左右するDJたちへの賄賂、その資金稼ぎのためのアンダーグラウンドの賭場への出入り。そうしたカーティスの努力はジミー・アーリー&ドリーメッツの全国巡業という形で報われた。フィラデルフィア、ワシントンD.C.、シカゴと行く先々で彼らは熱狂的に迎えられた。おんぼろのツアーバスで各地を回る内、エフィーとカーティスは互いの才能に魅かれ、また、ジミーとローレルも深い仲となっていくのだった。

ローカル・スターから大きなステップを踏み出した彼らの欲望は尽きることがなかった。そのために彼らが選んだのは、彼らが守ってきた“ソウル”ではなく、白人たちの文化を取り込むことだった。しかしその実、この日を境に彼らは“何か”を失い始めるのだった。



カーティスのもくろみ通り、ジミー・アーリー&ドリーメッツは白人たちにも受け入れられ、1963年にはついにマイアミのクラブに黒人のアーティストとして初出演を果たす。見慣れないジミーのセクシーなパフォーマンスに女性客のある者は好奇のまなざしを送り、またある者は眉をひそめて席を立っていった。しかし、カーティスが注目していたのは男性客たちのリアクションだった。彼らは一様に、ステージを重ねるごとに美しさを増すディーナに注目していたのだった。

カーティスのアイデアは3人に喜びと衝撃をもたらした。ドリーメッツは“ザ・ドリームズ”と改名してデビューを果たすのだが、リード・ヴォーカルにエフィーに替えてディーナを据えるというのだ。憤るエフィー、自信なさげなディーナ、必死で仲をとりなそうとするローレル ─ 彼女たちはやがて一つの結論にたどり着く。“カーティスの言うとおりにすればうまくいく”と。そして艶やかな衣装に身を包み、クリーブランドのクリスタルルームでザ・ドリームズがデビューを果たしたのは1964年、キング牧師がノーベル平和賞を受賞した年のことだった。

ザ・ドリームズの存在はその実力、ルックスのみならず白人と黒人の融和の象徴として一気に社会現象化した。特にリードを務めるディーナは時代の寵児ともてはやされた。ザ・ドリームズの楽曲はポップス化の一途をたどり、そのことと比例してエフィーのフラストレーションは限界点に達していた。エフィーは仕事のたびにトラブルを起こした。しかしそれは、ザ・ドリームズのことだけが原因ではなかった。カーティスの心が自分から徐々に離れ、彼の目はいつからかディーナを追うようになったこと、さらに不幸を増したのはカーティスと彼女による新たな生命がそのお腹の中に誕生したことだった。

ショー・ビジネスの頂点、ラスベガスのシーザーズ・パレスにザ・ドリームズが進出を決めたのは1965年のことだった。エフィーはリハーサルに姿を現さず、ディーナやローレルはもちろん、カーティスは困り果て、やがて一つの決断を下す。エフィーのパワフルな歌はいまやザ・ドリームズの流麗なメロディー・ラインにとって邪魔な存在でしかない ─ 本番ギリギリで会場に現れたエフィーの前に現れたのは会社の事務員として雇ったはずのミシェルだった。激高するエフィーだが、今回ばかりはいつもはなだめ役に回るはずのディーナやローレルも激しくエフィーを責める。孤立するエフィー。しかし、誰も悪いわけではない。ショー・ビジネスの大きな流れを作っているのか、それとも流されているのかすでにわからない状態で、エフィーだけがその流れに乗ることが出来なかったのだ。そしてこの日を境に彼女はザ・ドリームズを去る。世間が彼女のことを忘れるのに時間はかからなかった。ザ・ドリームズの歴史はいつしか、ディーナ、ローレル、ミシェルの昔から仲の良い3人で結成されたことになってしまうのだった。

それから8年の月日が流れ、ディーナは全世界にその名を知られるスーパー・スターとなる。カーティスはレインボー・レコードをロスに移し、今やハリウッドにも進出を目指すエンターテインメント界の大立者となった。そして、ディーナとカーティスは結婚し、彼らの名声は頂点に達するのだった。人もうらやむ豪奢な生活を送り、何一つ不自由のないように見えるディーナだが、その心にいつしか目覚めた虚は次第に大きくなっていった。音楽のトレンドの主流がディスコに移り変わって、ディーナたちはその女王的存在にまつりあげられても、それは変わることはなかった。

また、10年以上にわたり道ならぬ関係を続けてきたジミー・アーリーとローレルだが、長いスランプに悩むジミーの薬物依存は、やがて悲しい結末を2人にもたらすのだった。

そして、ザ・ドリームズの誕生の地、デトロイトに戻り、娘のマジックを1人で産み落としたエフィーはようやく再生の時を迎えようとしていた……。





 


【キャスト&スタッフ】

■ジェイミー・フォックス(カーティス・テイラーJr.)

1967年テキサス州生まれ。

幼いころから聖歌隊やボーイスカウトとしての活動を続け、高校時代はアメリカン・フットボールの名クォーターバックとして名を馳せる。その一方で3歳のころからピアノを習い始め、大学では音楽を専攻する。その後、スタンドアップコメディアンの道を歩み始め、1991年には人気コメディ・シリーズの “In Living Color”のレギュラーとなり、1996年には早くも自らの名を冠した“ザ・ジェイミー・フォックス・ショー”をスタートさせ、5年間放送されたこの番組はWBネットワークで最高視聴率を記録した。

スクリーン・デビューは同じく1996年の『ファイト・マネー』(未)。映画俳優としての存在を広く知らしめたのは、1999年のオリバー・ストーン監督『エニイ・ギブン・サンデー』。名優アル・パチーノと共演したこの映画で、高校時代のフットボールの経験を生かしたクォーターバック役で鮮烈な印象を残す。さらに2001年の『ALI アリ』ではウィル・スミス演じるモハメド・アリのセコンド役を見事に演じ、その演技力を各方面に知らしめる。

そして俳優ジェイミー・フォックスの転機となった2004年には2本の映画に出演する。トム・クルーズ扮する冷酷な殺し屋に、図らずも巻き込まれるタクシー運転手を演じたマイケル・マン監督の『コラテラル』と、テイラー・ハックフォード監督の『Ray/レイ』である。

この作品での演技は、“ソウルの神様”レイ・チャールズが乗り移ったようだと、観た者すべてを驚嘆させ、この2本でジェイミー・フォックスの名前は世界中の映画ファンが知ることとなったばかりでなく、『コラテラル』では米英のアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞を筆頭とした各映画賞の助演男優賞にノミネートされ、そして『Ray/レイ』では米アカデミー賞の主演男優賞をはじめ各映画賞を席巻。この年、黒人として始めてオスカーの2部門にノミネートされた俳優となったほか、同じ年にゴールデン・グローブの3部門、全米俳優協会賞の4部門にノミネートされた初めての俳優となり、映画史にその名を残す存在となる。

その後は、サム・メンデス監督の『ジャーヘッド』(2005)、マイケル・マン監督の『マイアミ・バイス』(2006)などの大作、話題作に連続主演。ハリウッドを代表する俳優となった。最新作はピーター・バーグ監督、マイケル・マン製作の『キングダム』。

なお、ミュージシャンとしての活躍もめざましく、2005年にリリースされた初ソロ・アルバム、“アンプレディクタブル”は、同年12月から翌年にかけて、5週間連続でアルバムチャートの1位となり、20日間で100万枚以上を売り上げた。



■ビヨンセ・ノウルズ(ディーナ・ジョーンズ)

1981年テキサス州ヒューストン生まれ。

幼馴染4人組で結成したデスティニーズ・チャイルドが初めて脚光を浴びたのは1992年のオーディション番組でのこと。その才能は一躍注目を浴び、コロンビアが契約に名乗りを上げる。本格デビュー前の1997年に、『メン・イン・ブラック』のサントラに楽曲を提供した後、同年リリースのデビュー曲「ノー・ノー・ノー パート2」が爆発的な大ヒット、続いて翌年にはデビュー・アルバム「デスティニーズ・チャイルド」を発表。16歳とは思えぬ表現力とコーラス・ワークで、プラチナ・アルバムとなった。

以降、2005年の解散まで、シングルとアルバム合わせて5000万枚という天文学的なレコード・セールスを全世界で記録し、デスティニーズ・チャイルドは史上最大のセールスを記録した女性グループのひとつとなり、ハリウッドのウォーク・オブ・フェームにその名を残す存在となった。

デスティニーズ・チャイルドとしての活動と並行してのソロ・デビューは、2002年のシングル「ワーク・イット・アウト」にて。翌年には初のソロ・アルバム「デンジャラスリィ・イン・ラブ」を発表。このアルバムではほぼ全曲の作詞、作曲、プロデュースを手がけ、2004年のグラミー賞で女性アーティストとして史上最多に並ぶ5部門を受賞し、名実共に現代最高のディーバとなった。

俳優としては2001年のロバート・タウンゼント監督の『カルメン:ヒップ・ホペラ』(TVM)で主役デビュー。その翌年、大ヒットとなった『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』のヒロイン、フォクシー・クレオパトラ役でマイク・マイヤーズと共演、MTVムービー・アワードのブレイクスルー・フィーメル・パフォーマンス部門にノミネートされた。さらに2003年の『ファイティング・テンプテーションズ』ではキューバ・グッディングJr.と共演し、NAACP(全米黒人向上協会)イメージ・アワードの最優秀主演女優賞にノミネートされた。

2006年には傑作コメディのリメイク、『ピンクパンサー』でスティーブ・マーティンと共演、全米で大ヒットとなったことは記憶に新しい。エキゾティックさと端正さが奇跡的に融合したその美貌は、今回の『ドリームガールズ』で証明した、新たな俳優としての魅力と相まって、これからの映画界に欠かしてはならない存在となることは間違いない。



■エディ・マーフィ(ジェームズ・“サンダー”・アーリー)

1961年ニューヨーク生まれ。

わずか15歳にして、ナイト・クラブでの出演を果たしたその早熟な才能は、1980年に19歳で「サタデー・ナイト・ライブ」でTVデビューとなり、瞬く間に人気が爆発した。各方面から待ち望まれた映画デビューは1982年のウォルター・ヒル監督の『48時間』。ニック・ノルティとの絶妙のコンビぶりが評判となり、8000万ドルに迫る大ヒットの主役デビューとなる。従来の黒人スターの枠を遥かに超える人気ぶりに、パラマウント映画は5作品で1,500万ドルの異例の契約を持ちかける。

翌年のコメディ『大逆転』も9000万ドルを超える大ヒットとなり、そして1984年には『ビバリーヒルズ・コップ』に主演。マシンガン・トークと呼ばれる猛烈なスピードのセリフ回しと軽快なアクションは、随所にちりばめたコメディ要素と相まって一大センセーションを巻き起こし、黒人が主役の映画として、まさにブロックバスターとなる2億3000万ドルを越える興行収入を全米で記録する。この3本ではいずれもゴールデン・グローブのコメディ部門の主演男優賞にノミネートされ、わずか3年にしてハリウッドの頂点に登りつめた初の黒人スターとなった。

以降、『ゴールデン・チャイルド』(1986)、『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987)、『星の王子ニューヨークへ行く』(1988)などを経て、1989年の『ハーレム・ナイト』では、監督、製作総指揮、脚本、主演の四役に挑戦。その後も主演作が相次ぎ、『48時間PART2/帰って来たふたり』(1990)、『ブーメラン』(1992)、『ビバリーヒルズ・コップ3』(1994)、『ヴァンパイア・イン・ブルックリン』(1995)を経て、1996年の『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』で一人七役に挑戦し、全米で1億3000万ドルに迫る興行成績を上げ、再びゴールデン・グローブ賞にノミネートされた他、続編の『ナッティ・プロフェッサー2/クランプ家の面々』(2000)も1億2300万ドルの大ヒットとなった。他の大ヒットシリーズには『ドクター・ドリトル』(1998)、『ドクター・ドリトル2』(2001)があり、いずれも1億ドル以上の成績となっている。

近年では『ムーラン』(1998)、『シュレック』(2001)、『シュレック2』(2004)などのアニメにも声優として参加するかたわら、『チャーリーと14人のキッズ』『ホーンテッドマンション』(2003)など多彩な作品に出演している。11本の出演作が興収1億ドルを突破し、歴代3位のマネー・メイキング・スターである彼の最新作は、久しぶりに一人で複数の役を演じた『ノービット』である。



■ダニー・グローバー(マーティ・マディソン)

1946年カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。

サンフランシスコ州立大学で経済を専攻する傍ら、ブラック・アクターズ・ワークショップ・オブ・アメリカン・コンサーヴァトリー・シアターの養成所に通い、俳優を志す。舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、ブロードウェイにも進出し、シアター・ワールド賞を受賞する。

映画デビューは1979年の『アルカトラズからの脱出』、1984年にはロバート・ベントン監督に抜擢され『プレイス・イン・ザ・ハート』で主役の農夫を演じ、高い評価を得て、この映画はアカデミー作品賞候補となった。1985年にはローレンス・カスダンの『シルバラード』、ピーター・ウイアーの『刑事ジョン・ブック/目撃者』、スティーブン・スピルバーグの『カラー・パープル』と名匠の傑作に連続出演し、その評価を不動のものとする。

そして1987年にはメル・ギブソンとコンビを組んだ『リーサル・ウェポン』に主演。1989、1992、1998年に続編が製作される大ヒットとなったことに加え、NAACPイメージ・アワードの主演俳優賞を受賞した。

現在のハリウッドに欠かせない名優として数多くの作品に出演している。その主な作品に、『わが街』(1991)、『マーヴェリック』(1994)、『レインメイカー』(1997)、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)、『ソウ』(2004)、『シャギー・ドッグ』(2006)などがある。

また、テレビ界では俳優として3回のエミー賞のノミネートされた他、監督や製作者としても活躍しているほか、ユニセフ大使を務め、数々の功労賞を受けている。



■ジェニファー・ハドソン(エフィー・ホワイト)

聖歌隊のメンバーだった母方の祖母の影響を受け、中学時代から数多くのタレント・ショーやミュージカルに出演し、地元で上演された“ビッグ・リバー”でプロ・デビューを飾る。2002年にはディズニー・ワンダーのクルーズ船で主演ヴォーカリストとして活躍し、4オクターブに及ぶ歌声を世界中から来た観光客に披露した。

そして2004年のフォックスのTVシリーズ“アメリカン・アイドル”のシーズン3で全国デビューを果たし、一躍注目を浴び、この『ドリームガールズ』で25歳にしてスクリーンデビューを果たした。

この映画でのパフォーマンスにより、2006年のショーウェストでは“フィーメル・スター・オブ・トゥモロー”と称され、ヴァラエティ誌は2006年の“見守るべき10人の女優”の1人に選んだ他、ムービーラインでも2006年のブレイクスルー・アクターズの1人に選ばれた。



■アニカ・ノニ・ローズ(ローレル・ロビンソン)

サンフランシスコのアメリカン・コンサーヴァトリー・シアターで演技を学んだ後、ブロードウェイを目指してニューヨークへと移る。ブロードウェイで最初に手にしたチャンスは“フットルース”での代役での出演。以降、オビー賞受賞の“エリズ・カミン”、“パーリー”、“三文オペラ”、“タルチュフ”などに出演、そして“インサレクション:ホールディング・ヒストリー”でドラマ・ローグ・アンサンブル・アワードを、“ヴァレイ・ソング”ではガーランド/ドラマ・ローグ・アワードを受賞した。

そして2004年5月にはトニー賞のミュージカル女優部門ベスト・パフォーマンス賞を受賞した“キャロライン・オア・チェンジ”をブロードウェイで初演。この作品はルシール・ローテル・アワード、シアター・ワールド・アワード、クラレンス・ダーウェント・アワードを受賞した他、ロサンゼルス公演での演技により、ロサンゼルス批評家サークル・アワードとオヴェーション・アワードを彼女にもたらした。

映画では2003年の『アメリカン・スター』(未)で主演デビュー、『ドリームガールズ』が二作目となる。新作にはダニー・デヴィートとヘザー・グラハムと共演のコメディ“One Part Sugar”がある。



■ビル・コンドン(監督・脚本)

1955年ニューヨーク生まれ。

コロンビア大学哲学科を卒業後、雑誌記事がプロデューサーのマイケル・ローリンの目に止まり、『ストレンジ・エクスペリメント』(1981・未)の共同脚本家として映画界でのキャリアをスタートさせる。ホラー・マニアを強烈に触発したこの映画は熱狂的ファンを産み出し、その続編ともいうべき『ストレンジ・インベーダーズ』(1983・未)で再び共同脚本を担当した。そして1987年にはエリック・ストルツ、ジェニファー・ジェイソン・リー主演のサスペンス・スリラー、『地獄のシスター』で監督デビューを果たした。

その後、1991年の『F/X2 イリュージョンの逆転』の脚本、1995年の『キャンディマン2』の監督を経て、1998年に脚色と監督を担当した『ゴッド・アンド・モンスター』を発表する。1930年代の『フランケンシュタイン』『フランケンシュタインの花嫁』の伝説的な監督、ジェームズ・ホエールの晩年を描いたこの作品はアカデミー賞の最優秀脚色賞に輝いた他、インディペンデント・スピリット・アワードとナショナル・ボード・オブ・レビューの作品賞を獲得し、ゴールデン・グローブ賞と放送映画批評家協会賞の作品賞にノミネートされた。また、主演のイアン・マッケラン、リン・レッドグレーヴにもアカデミー賞ノミネートをはじめ、数々の賞をもたらした。

そして2002年にはアカデミー作品賞他6部門を獲得した『シカゴ』の脚本を担当、同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化となるこの作品で、2回目のオスカー賞ノミネートを受けた他、ゴールデン・グローブでも7部門にノミネートされ、作品賞、主演男女優賞の3部門を獲得した。

続く2004年の『愛についてのキンゼイ・レポート』では脚本と監督を担当、アルフレッド・キンゼイ博士の生涯を綴ったこの感動のストーリーで、翌年の英国監督協会の最優秀監督賞を受賞、監督、脚本の両面において、現在のハリウッドで最も充実した存在である。



■ローレンス・マーク(プロデューサー)

ウェスリアン大学を卒業後、ニューヨーク大学の映画部で修士号を取得。ユナイティッド・アーティストでエグゼクティブ・トレーニーとして映画界でのキャリアをスタートさせた。アシスタント・プロデューサーとして『レニー・ブルース』(1974)、『輝け! ミス・ヤング・アメリカ』(1975・未)などに参加、その後パラマウント映画でパブリシティおよびマーケティングを担当し、西海岸マーケティング担当のバイス・プレジデントに昇進した。

さらに、パラマウントの製作部バイス・プレジデントとなった後、20世紀フォックスの製作部エグゼクティブ・バイス・プレジデントに就任。この時期の作品には『愛と追憶の日々』『大逆転』(1983)、『恋におちて』(1984)、『ザ・フライ』(1986)、『ブロードキャスト・ニュース』(1987)などがある。

その後ローレンス・マーク・プロダクションを設立し、ソニー・スタジオに本部をおき、コロンビア映画と長期の製作契約を結び、『ワーキング・ガール』(1988)、『ザ・エージェント』(1996)、『恋愛小説家』(1997)の3本でアカデミー作品賞にノミネートされる。

その他の作品に、『ブラック・ウィドー』(1986)、『私のパパはマフィアの首領(ドン)』(1989)、『トゥルー・カラーズ』(1991)、『天使にラブ・ソングを2』(1993)、『サイモン・バーチ』(1998)、『アンドリューNDR114』(1999)、『センターステージ』『小説家を見つけたら』(2000)、『サンキュー、ボーイズ』(2001)、『アイ,ロボット』(2004)などがあるハリウッドきっての敏腕プロデューサーの1人である。



■パトリシア・ウイッチャー(製作総指揮)

ユニット・プロダクション・マネージャーとして、『ダークマン』(1990)、『アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想』(1991)、『バーチャル・ウォーズ』(1992)、『トゥルーライズ』(1994)、『キルトに綴る愛』(1995)に参加、『欲望』(1993)ではライン・プロデューサー、『ハイスクール・ハイ』(1996・未)では共同プロデューサーを務めた。

その後、製作総指揮として参加した作品に、『ベスト・フレンズ・ウェディング』(1997)、『あなたのために』(2000)、『ムーンライト・マイル』(2002)、『ターミナル』(2004)、『SAYURI』(2005)がある。



■ヘンリー・クリーガー(音楽)

ブロードウェイ版「ドリームガールズ」の音楽を担当し、トニー賞のベスト・オリジナル・スコアにノミネートされた他、作詞家のトム・アイン、レコード・プロデューサーのデヴィッド・フォスターと共にこの作品で1982年のグラミー賞でベスト・キャスト・ショー・アルバム賞を受賞した。

その後、ブロードウェイ・ミュージカルの「タップ・ダンス・キッド」(1983)と「サイド・ショー」(1997)で二度にわたってトニー賞のベスト・オリジナル・スコアにノミネートされた。

今回の映画化に際して、“Love You I Do”“Patience”“Perfect World”“Listen”の4曲を新曲として書き下ろし、その作品世界の新たな拡大を試みた。

目下、ブロードウェイで初演を迎えるミュージカル、「ザ・フラミンゴ・キッド」ための作曲に取り組んでいる。



■トム・アイン(原作・作詞)

1960年代のオフ・オフ・ブロードウェイ運動の先駆者で、多作を誇る実験的な劇作家でもある。初めての商業的な成功作は、1970年の風刺コメディ「ザ・ダーティスト・ショー・イン・タウン」である。

ブロードウェイ版の「ドリームガールズ」でも原作と歌詞を担当し、1982年のトニー賞とドラマ・デスク・アワードのベスト・ブック・オブ・ア・ミュージカルを受賞した。

その他の舞台作品には、「ホワイ・ハナズ・スカート・ウォント・ステイ・ダウン」「サラ・B・ディヴァイン!」「ウイメン・ビハンド・バーズ」などがある。

1991年5月28日、惜しまれつつ他界した。



■トビアス・シュリッスラー(撮影監督)

ドイツに生まれ、カナダのブリティッシュ・コロンビアにあるサイモン・フレイザー大学で映画製作を学ぶ。ドキュメンタリーの撮影からそのキャリアをスタートさせ、以降インディペンデント映画、テレビ映画、ミュージック・ビデオ、コマーシャルなど幅広い分野で活躍している。

劇場用映画のデビューは1991年の『チェイン・ジャンクション』(未)にて。その他の作品に『アクセル/爆走マッハ428』(1993)、『フリー・ウィリー3』(1997)、『バッド・スパイラル 運命の罠』(1999)、『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(2003)、『プライド 栄光への絆』(2004)などがある。ビル・コンドン監督とは1995年の『キャンディマン2』以来、二度目のコンビとなる。

CF界では、2000年アウディの“ウエイク・アップ”コマーシャルとその翌年のリンカーン・ファイナンシャルのスポット、“ドクター”の2本でアソシエーション・オブ・インディペンデント・コマーシャル・プロデューサーズ(AICP)の賞を連続受賞し、これらはニューヨーク市の近代美術館の映画とビデオ部門の永久保存アーカイブの一部となっている。手がけたコマーシャルには他に、レクサス、フォード、AOL、AT&Tなどがある。



■ジョン・マイアー(プロダクション・デザイナー)

プロダクション・デザイナーとして頭角を現した1998年の『エリザベス』で早くもアカデミー賞美術賞にノミネートされる。16世紀のイギリスを描いたこの歴史大作では英アカデミーの美術賞、美術監督協会賞にもノミネートされた。

その後、ブライアン・シンガー監督の『X-メン』(2000)、マイケル・マン監督の『ALI アリ』(2001)を経て2002年には『シカゴ』を担当。舞台装置と1920年代のシカゴの町並みを見事に融合させたこの作品でアカデミー美術賞を初受賞し、英アカデミーの美術賞、美術監督協会賞にも再びノミネートされた。

2003年のエディ・マーフィ主演の『ホーンテッド・マンション』を経て、2005年には2度目のアカデミー賞受賞となった『SAYURI』を担当。ロブ・マーシャル監督と2回目の顔合わせとなったこの作品では20世紀初頭の日本を再現し、三度英アカデミーの美術賞、美術監督協会賞にもノミネートされた。



■ヴァージニア・カッツ(編集)

映画、テレビの両方でビル・コンドンとの長きにわたるコンビを組んでいる。映画では、1998年の『ゴッド・アンド・モンスター』に続き、2004年の『愛についてのキンゼイ・レポート』でも編集を担当し、アメリカン・シネマ・エディターズのエディ賞にノミネートされた。

他の映画には、マーク・ゴードン監督の“Her Majesty”(2001・未)、ダン・アイルランド監督の“Mrs. Palfrey at the Claremont”(2005・未)、ロニー・ユー監督の『SPIRIT』(2006)など。テレビではJ.J.エイブラムス監督による人気シリーズ「エイリアス」などを担当している。



■シャレン・デイヴィス(衣裳デザイナー)

1992年、アラン・ルドルフの『堕ちた恋人たちへ』で映画の衣裳デザイナーとしてデビュー。以降、『青いドレスの女』(1995)、『ドクター・ドリトル』『ラッシュアワー』(1998)、『ナッティ・プロフェッサー2/クランプ家の面々』(2000)、『ハイ・クライムズ』『きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー』(2002)、『タイムリミット』(2003)を担当。

そして2005年、テイラー・ハックフォード監督の『Ray/レイ』の衣装デザインによりアカデミー賞およびコスチューム・デザイナーズ・ギルド・アワードにノミネートされた。その後は『幸せのちから』“Akeelah and the Bee”(2006)などを担当する。

『ドリームガールズ』では、登場人物たちの13年間のドラマで着用するすべての衣裳の製作を行なった。その点数としては、ザ・ドリームズ用だけで120点以上のデザインを求められた。



■ファティマ・ロビンソン(振付)

エンターテインメント・ウイークリー誌によって、“エンターテインメント・ビジネスで最もクリエイティブな100人”の一人に選ばれたファティマは、演出も手がけたブラック・アイド・ピーズのミュージック・クリップ「ヘイ・ママ」で、2004年のMTVビデオ・ミュージック・アワードにおいて7度目のノミネートとなるベスト・コリオグラフィー賞を受賞した。その受賞歴は、アメリカン・コリオグラフィー・アワード、ミュージック・ビデオ・プロデューサーズ・アワードで数多くのノミネーションを誇る。舞台でも、劇場デビューとなったオフ・ブロードウェイの「ラディアント・ベイビー」で名誉あるルシール・ローテル・アワードのアウトスタンディング・コリオグラファー賞を受けた。

映画作品では2005年のジョン・トラボルタ、ユマ・サーマン主演の『Be Cool/ビー・クール』とサンドラ・ブロック主演の『デンジャラス・ビューティー2』、2006年のジェイミー・フォックス、コリン・ファレル主演の『マイアミ・バイス』などがあり、テレビでは2005年のテレンス・ハワード主演の「ブルース・イン・ニューヨーク」(TVM)、ハル・ベリー主演の「彼らの目は神を見ていた」(TVM)などがある。

さらに、アウトキャスト、ブラック・アイド・ピーズ、ウイル・スミス、ジェシカ・シンプソン、ノー・ダウト、プリンスなどのトップ・アーティストの振付を担当している他、ターゲットやジェームズ・アール・ジョーンズが出演しているヴェリゾンや、サラ・ジェシカ・パーカー、レニー・クラヴィッツ、ジョス・ストーンが出演のGAPなど、コマーシャルでの振付けでも幅広く活躍している。

彼女の最先端の振付により、『ドリームガールズ』のダンス・ナンバーは現代的なテイストを加えた切れ味鋭いものに仕上がった。



■ランディ・スペンドラブ(ミュージック・スーパーバイザー)

A&Mレコードに8年間勤め、スティング、ジャネット・ジャクソンら大物アーティストを担当、その経験を買われてミラマックス・フィルムズに移り、ミラマックスモーション・ピクチャー・ミュージック部のプレジデントとして数多くの映画の音楽を担当する。

1998年の『恋におちたシェイクスピア』『ライフ・イズ・ビューティフル』に続き、1999年にはオスカーにもノミネートされた『ミュージック・オブ・ハート』を担当、主題歌の“Music of the Heart”はナンバーワン・シングルにもなった。

同年の『サイダーハウス・ルール』、2000年の『ショコラ』に続き、2001年には世界中で大ヒットとなった『ブリジット・ジョーンズの日記』に加え、オスカーにノミネートされゴールデン・グローブのベスト・ソングに輝いた『ニューヨークの恋人』、さらに『ギャング・オブ・ニューヨーク』の主題歌は、翌2002年のオスカーにノミネートされ、ゴールデン・グローブのベスト・ソングを受賞した。

その2002年は『シカゴ』にエグゼクティブ・ミュージック・プロデューサーとして参加、サントラ・アルバムは全世界で300万枚以上を売り上げ、グラミー賞のベスト・コンピレーション・サントラ・アルバム・フォア・モーション・ピクチャー賞を受賞した。

スペンドラブはミラマックスにアカデミー、ゴールデン・グローブ、グラミーの各賞で多数の受賞やノミネートをもたらしたばかりでなく、エルマー・バーンスタイン、ハンス・ジマー、トーマス・ニューマン、ジェームズ・ホーナー、ハワード・ショア、ダニー・エルフマンらを起用し、映画製作とレコードセールスの両面で多大な貢献をした。

その他の作品にオスカーとゴールデン・グローブのベスト・スコアとベスト・ソングにノミネートされた『コールド・マウンテン』(2003)、オスカーのベスト・スコア賞を受賞した『ネバーランド』(2004)、ゴールデン・グローブのベスト・スコア受賞の『アビエイター』(2004)、最近作にジェニファー・ロペス主演の“Bordertown”(2006)がある。



■マット・サリヴァン(ミュージック・スーパーバイザー)

ニューヨークで書籍の編集者だったサリヴァンは、プレスコ(あらかじめ録音した音楽に沿って撮影すること)を専門とするレコーディング・プロデューサー兼エンジニアであり、ミュージシャンでもある。

映画音楽に参加した作品には、『ハートブレイカー』(2001)、『バンガー・シスターズ』(2002)、『アップタウン・ガールズ』『オトコのキモチ♂』(2003)などがあり、ミュージック・スーパーバイザーとしては『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994)、オスカーとグラミーに輝いた『シカゴ』(2002)、『レント』“Underclassmen”(2005)、“Idlewild”(2006)などがある。



■ジ・アンダードッグス(ミュージック・プロデューサー/アレンジャー)

ハーヴェイ・メイソンJr.とデイモン・トーマスの2人による音楽制作ユニット。クリス・ブラウン、ルーサー・ヴァンドロス、ジャスティン・ティンバーレイク、エルトン・ジョン、パティ・ラベル、タイリース、ライオネル・リッチー、ベビー・フェースなど、これまでに手がけたアルバムの売り上げ総計は6000万ドル以上にもなる。

この2人は今回オリジナルの「ドリームガールズ」のサウンドに敬意を表しながら、さまざまなアイデアを盛り込み、現代的なバージョンに変えた。その作業は15カ月にも渡り、40曲以上の作曲とアレンジを手がけた。