「第27回東京フィルメックス」メイド・イン・ジャパン

●2026年11月20日(金)〜11月29日(日)
●有楽町朝日ホール、丸の内ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町にて

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(c)2026「かすかな彼を抱きしめて」製作委員会
『かすかな彼を抱きしめて』"Goodbye, Absence"
2026年/日本/138分/監督:山西竜矢( YAMANISHI Tatsuya )/配給:日活
水難事故で夫の幸助(中島歩)を失って7年。現在の恋人の優(大東駿介)と暮らすかなみ(奈緒)のもとに、「幸助の幽霊に会った」と語る青年・純(坂東龍汰)が現れる。純が幸助しか知らない事実を口にしたことで、夫の死を受け入れきれていないと気づいたかなみは、純とともに幸助が消息を絶った町へ向かう。残された過去と向き合う旅が始まる。

演劇ユニット「ピンク・リバティ」主宰であり、長編映画デビュー作『彼女来来』(2021)やドラマ『SHUT UP』(2023)で大きな支持を集める山西竜矢監督。本作は、独自の劇作的アプローチで評価を確立してきた彼が、実力派俳優・奈緒を主人公にあて書きして書き下ろしたオリジナル脚本の映画作品だ。山西らしいひねりのある脚本は健在だが、あえて展開を急がずに、登場人物の心理の機微に重きを置き、弱さや揺らぎやすい関係性を丁寧に捉えた物語に仕上がっている。山西とは『彼女来来』や舞台映像など複数の重要なプロジェクトでタッグを組んできた撮影監督・米倉伸がここでも素晴らしい仕事をしており、光や闇を繊細に捉え、ゆったりとしたリズムで微細な感情の揺れを見事に画面へと定着させている。一見何気ないシーンが、陰影のグラデーションによってじわじわと異質な心理的迷宮へと変貌していく展開は極めてスリリングだ。東京フィルメックスでの上映が本作のワールドプレミアとなる。


 


『太陽ぬ色』"The Color of the Sun"
2026年/カナダ、イタリア、日本/110分/監督:ザビエル・テラ(Xavier TERA)
2012年、沖縄本島。高校最後の夏を迎えたカメイは、亡き父の海洋生物学のフィールド録音を繰り返し聴き、面影を追う。母や彼女とぎくしゃくするなか、米軍基地育ちの少年コリンと出会う。カメイは沖縄方言、コリンは英語で話すが、なぜか心が通じ合い、島を出たいカメイと居場所のないコリンの思いが重なっていく。

複雑な歴史を抱える沖縄の日常と、そこで生きる若者たちの等身大の姿を捉えたザビエル・テラ監督の長編デビュー作。軍用機の爆音や基地のフェンスといった社会的な背景が重苦しい緊張感をもたらす一方で、映画は政治的主張に過度に偏ることなく、孤独や焦燥感を抱える若者たちの繊細なアイデンティティの模索に優しく寄り添っていく。名手サヨムプー・ムックディプロームによる35mmフィルムの映像は、強烈な太陽の輝きや夕闇のシルエットを温かく深みのある粒子感で捉え、言葉以上に雄弁な視線や揺らめく影によって感情の機微が表現されている。洗練された構図と繊細な色彩感覚による画面設計と、複雑な歴史的文脈を持つ土地の記憶と若者たちの瑞々しい生の記録が鮮やかに重なり、観る者に深い思索と感動をもたらす重厚な青春群像劇だ。ヴェネツィア映画祭のオリゾンティ部門でプレミア上映され、同部門において国際映画批評家連盟賞を受賞した。


 



(c)『22 世紀の猫』製作者労働組合(Creators Labor Union of "22nd Century Cat")
『22世紀の猫』"22nd Century Cat"
2026年/日本/84分/監督:佐々木想( SASAKI Omoi )/配給:Omoi Sasaki
ヨシコ(影山祐子)は老いた父(流山児祥)と2人で暮らしている。主演するインディーズ映画で地方選挙に出馬する風変わりな夫(平沼誠士)の妻の役を演じることになり、撮影現場と日常を行き来する中で、映画と日常の境界が次第に曖昧になっていく。

今ここにある現実と地続きのディストピア社会を描き、一部で大きな反響を呼んだ『鈴木さん』(2022)。それに続く佐々木想監督の長編第3作がこの映画だ。社会風刺、政治、そしてコメディという多面的な要素を備えている点は前作と同様だが、それらをストレートに前に押し出した前作とは違い、本作は劇中でさらに別の映画が展開する「入れ子構造」を採用した。それぞれの要素はより断片化され、象徴的に扱われているのが特徴だ。最も強く前面に出ているのはデッドパン・コメディの要素。俳優陣の抑えた演技、それを引き出す演出力、そして見事な撮影と編集によって生み出されたもので、佐々木監督の確かな手腕を物語っている。『22世紀の猫』というタイトルが、民主主義に関する実在の書籍を指しているのか、あるいは架空の猫型ロボットを指しているのかは定かではないが、いずれにせよ、これが今ここにある現実を直視するためのタイトルであることに違いはないだろう。