「第26回東京フィルメックス」特別招待作品

●2024年11月21日(金)〜11月30日(日)
有楽町朝日ホール、ヒューマントラストシネマ有楽町にて

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◎オープニング作品
『太陽は我らの上に』"The Sun Rises on Us All"
2025年/中国/133分/監督:ツァイ・シャンジュン( CAI Shangjun )
きっかけは、病院での偶然の再開だった。かつて恋人関係にあったメイユンとバオシュウは、長い別離を経て、再びお互いの人生に深く関わることになる。メイユンには既婚者の恋人がおり、彼の子供を妊娠したばかりだった。だが、刑務所を出て同じ街で暮らすバオシュウが末期がんだと知り、メイユンは彼を自らのアパートに迎え入れ、治療に専念させようとする。

本作では、共通の秘密によって痛ましくも絡み合った男女の愛憎が描かれる。数年前、男は女の犯した罪の責任を被って入獄した。しかし、わずか1年ほどで、女は新しい人生を始めてしまう。刑期を終えた男は、自己犠牲が無駄に終わり、愛が憎しみへと変化した世界へと足を踏み出す。秘めた過去を抱えた男女の葛藤をスリリングに描いた本作は、寡作なツァイ・シャンジュンの待望の長編第4作。2011年の『人山人海』(ベネチア映画祭監督賞)や2017年の『氷の下』に続くフィルメックス上映作品となる。愛と憎しみ、そして贖罪の不可能性について描かれたこの物語は時に容赦なく展開し、観客の心を揺さぶるだろう。生々しい映像によって、倫理的に複雑な物語を繊細かつ重厚に描くツァイの作風はここにきて新たな高みに達している。本作はベネチア映画祭のコンペティション部門で上映され、主演のシン・ジーレイが女優賞を獲得した。


 



(c)Floating Light (Foshan)Film and Culture Co.Ltd
◎クロージング作品
『大地に生きる』"Living the Land(生息之地)"
2025年/中国/129分/監督:フオ・モン(HUO Meng)
1991年の中国。3人兄姉弟の末っ子チュアンは、家族と離れ、別の村の親戚に預けられる。両親が兄姉を連れて南部の都市、シンセンに出稼ぎに行くことになったからだ。大家族の中で元の苗字のまま生活している彼は、村に完全な帰属意識を持つことができずにいたが、それでも曽祖母やおばの愛情に包まれながら日々を過ごす。10歳の少年の目を通して、激動期の中国の知られざる一面が描かれる。

本作では、春から冬にかけての農村の日常が、辛抱強く、偏見のない観察的な視点で描かれていく。当時の中国は工業化が急速に進行していたが、主人公の少年の暮らす農村には電話も近代的な農業機械もなく、村民たちは外界からほぼ隔絶された状態にある。映画は筋書きよりも、葬儀や結婚式といった人生の節目の出来事を通して展開する。登場人物たちはそれらの出来事に巻き込まれ、彼らが望むと望まざるとにかかわらず、不確かな未来へと導かれる。その過程で、健全なものもそうでないものも含め、彼ら彼女らがどのように物事を受け止め、重労働から政治的抑圧に至るまで、さまざまな苦難に如何に対処し続けているかが明らかにされていく。ありふれた人間ドラマでありながら、季節が移り、人生が続いていく中で、両親や上の世代の辛苦を新しい世代がどう受け継ぐのかという問いに、抵抗と絶望の間で揺れ動きつつも、この作品は真摯に向き合っている。ベルリン国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア上映され、銀熊賞(監督賞)を受賞した。


 


『市街戦』"This City is A Battlefield(Perang Kota)"
2025年/インドネシア/117分/監督:モーリー・スリヤ( Mouly SURYA )
1946年のオランダ植民地支配下のジャカルタ。抵抗運動に身を投じているヴァイオリン教師のイサはオランダ人高官の暗殺任務を命じられる。しかし、協力者であり同志のハジルは、イサの妻ファティマと不倫関係にあった……。

1946年のインドネシア、ジャカルタ。1945年に日本が連合国に降伏した後、再びオランダの支配下に置かれたインドネシアは、独立を求める戦いの最中にあった。元兵士で抵抗運動の闘士であるイサは、ヴァイオリンの弟子であり抵抗運動の同志でもあるハジルと共に、オランダ人高官暗殺という重大な任務を担うことになる。しかし、外では優秀な闘士であるイサも、家庭内では過去のトラウマによる不全に悩む脆弱な夫だった。そしてイサの妻ファティマもまた、銃を手に戦う決意と妻としての欲望との間で揺れ動き、ハジルとの不倫関係にはまり込んでいた……。公的な大義と私的な欲望が複雑に交錯するこの物語を、モーリー・スリヤは暗鬱な色調と陰影深い照明を用いた映像で重厚に描く。歴史の激流に翻弄されながらも個人の尊厳を守ろうとする人々の抵抗を、歴史叙事詩、メロドラマ、そしてアクション映画の文法を援用して描いた野心作だ。本作はロッテルダム映画祭のクロージング作品としてワールドプレミア上映された。


 



(c)Homegreen Films
『家へ』"Back Home(回家)"
2025年/台湾/65分/監督:ツァイ・ミンリャン( TSAI MIng-Liang )
ツァイ・ミンリャンの近作に多く出演しているアノンが、故郷であるラオスの村に帰省する様子を捉えたドキュメンタリー作品。アノンが実家で過ごす様子と共に、家屋などの多くの建造物や、現地の職人たちが仏像を彫る様子などが映像に収められている。

劇映画の製作において、ツァイ・ミンリャンは『愛情萬歳』などに象徴されるように、ネオンが輝く都市の喧騒と、そこで暮らす人々の孤独や疎外感を長きにわたり主題としてきた。ただ、劇映画の製作から離れて以降は、彼の興味は多岐に渡るようになり、本作では彼の関心は都市空間からは離れ、近年の彼のミューズであるアノンの故郷であるラオスの田舎の風景へと向けられている。映画はアノンが故郷の農村へ帰郷する旅を追う。とはいえ、主演のアノンは冒頭と終盤にわずかに登場するのみで、カメラは高床式の粗末な家屋、水田、そしてボードで覆われた農家といった建造物や、現地の職人が仏像を彫る姿などをフィックスの撮影で丹念に記録していく。そして静的な画面の中で、交通音や風の音といった環境音だけが、鑑賞者の感覚を研ぎ澄ませていく。私たち観客の心にある固定的な「家」の概念を静かに解体していく、瞑想的な旅の記録だ。本作はベネチア映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映された。


 


『ヒューマン・リソース』"Human Resource"
2025年/タイ/122分/監督:ナワポン・タムロンラタナリット( Nawapol THAMRONGRATTANARIT )
会社で人事担当として働くフレンは、日々、数多くの若い新入社員たちの面接を担当している。彼女は彼らとの面接を通じて、それぞれの人生や考え方を間近で観察し、知ることになる。そして彼女は自分が妊娠しているのに気付くが……。

企業の人事担当社員として働くフレンは自分が妊娠初期にあることを知る。彼女は職場では人事面接の担当として低賃金と長時間労働を受け入れる「使い捨て」の新卒社員を補充する役割を担っており、家庭に帰ればニュースが絶え間なく環境汚染と社会の衰退を告げるのを耳にしている。子供にとってより良い未来を望む彼女の願いは、女性の自己決定が家庭や社会において担保されない状況と、個人を消耗品と見なす企業構造を目の当たりにしていく中で、否応もなく侵食され、彼女は急速に孤立感を深めていく……。映画は彼女が直面するこうした冷酷な現実を、異国趣味的な要素を排除したリアリズムと抑制されたトーンで冷徹に描いていく。フレームの隅々まで気を配られた映画的な豊かさと共に、私たちの生きる現代社会への鋭利な眼差しを持った作品だ。本作はベネチア映画祭のオリゾンティ部門でワールドプレミア上映された。


 


『Yes』"Yes"
2025年/フランス、イスラエル、キプロス、ドイツ/150分/監督:ナダヴ・ラピド( Nadav LAPID )
2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃後、売れない音楽家のYは生活のために、ガザ殲滅を叫ぶ、あからさまに好戦的な歌詞の新しい愛国歌の作曲というオファーを引き受ける。彼は芸術家として、そして市民として良心の呵責に苛まれることになるが、彼のダンサーの妻ジャスミンもまた、そんな彼の姿に疑問と距離を感じ始める……。

猛烈な政治的風刺と深い悲しみが同居する本作は、10月7日以降のイスラエル社会の集団的心性を痛烈に描いた、怒りに満ちた挑発的なドラマだ。従来的な物語の枠組みからは逸脱し、感情の激しい乱気流をそのまま映像に焼き付けたような形式がとられている。物語はダンサーの妻と共にテルアビブのパーティー文化の狂乱の中で生きる売れない音楽家Yが、ガザへの報復を煽る愛国家制作の仕事をオファーされることから動き出す。Yは自身の国家と芸術的良心との間で引き裂かれ、そこから痛ましい自己糾弾が始まる。過去作『シノニムズ』や『アヘドの膝』でも追求されてきた国家の同一性への問いは、今作ではかつてないほどの凶暴さで突きつけられており、現在の世界が直面する倫理的葛藤を、魂を削るような個人の証言として映し出している。本作はカンヌ映画祭の監督週間でワールドプレミア上映された。


 



(c)Sepideh Farsi Reves d’Eau Productions
『手に魂を込め、歩いてみれば』"Put Your Soul on your Hand and Walk"
2025年/フランス、イラン/113分/監督:セピデ・ファルシ( Sepideh FARSI ) /配給:ユナイテッドピープル
イラン人映画監督セピデ・ファルシが、封鎖されたガザの惨状を伝えるため、現地のパレスチナ人フォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナとの約1年間に渡るビデオ通話で紡いだドキュメンタリー。爆撃や飢餓に晒されながらも力強く生きる人々の姿を、彼女の目を通して記録する。

本作はパレスチナのガザ在住の若きフォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナと映画監督であるセピデ・ファルシとの1年に渡るスマートフォンを介したビデオ通話の記録である。通信環境のため時には途切れ途切れになってしまう通話を通じて、ファトマは写真や詩を語り、爆撃によって瓦礫となった街、市井の人々の行動、夕暮れの空、スカーフの揺らぎ、共に暮らす家族、そしてすでに命を落としてしまった家族や親族への言葉を重ねていく。最悪の事態を見据えつつも、笑顔や日常性を決して見失わないその語り口は、観る者に忘れ難い印象を残すだろう。なお、本作はカンヌ映画祭の並行部門であるACIDにて世界初上映されたが、本作の同部門選出が発表された翌日の4月16日、ファトマは自宅がイスラエル軍の空爆を受け、家族数名と共に死去した。悲しく、そして皮肉なことに、彼女の死によって、この作品は彼女の生きた証と戦争の現実を伝える追悼作品としてより大きな意味を持つことになった。


 


特集上映:ルクレシア・マルテル 「植民地」の残影



(c)Rei Pictures-Louverture Films
『私たちの土地』"Landmarks(NUESTRA TIERRA)"
2025年/アルゼンチン、アメリカ、メキシコ、フランス、オランダ、デンマーク/122分/監督:ルクレシア・マルテル( Lucrecia MARTEL )
ルクレシア・マルテル監督初の長編ドキュメンタリー。アルゼンチン北部の先住民指導者ハビエル・ チョコバル氏が、先祖伝来の土地を守ろうとして殺害された2009年の事件とその裁判を追う。この事件を500年にわたる植民地支配による暴力と土地収奪の歴史の延長として位置づけ、現代アルゼンチンの構造的な不公正を明らかにしていく。

2009年、アルゼンチン北部トゥクマン州において、先住民族チュシャガスタの指導者、ハビエル・チョコバルは土地紛争の最前線で銃撃を受けて命を落とす。本作は、9年後になって動き始めたその事件の法廷闘争を軸に据えながら、土地の権利と所有を巡る植民地主義の歴史的残滓を丹念に掬い取っていく。映画は殺人事件の法廷場面と、土地紛争の舞台となってきた山岳地帯や先住民族の暮らしの営みを往来しながら構成される。裁判の記録映像、証人の証言、アーカイブ写真、空撮映像 ― 多様な素材は時系列に沿って並べられるのではなく、むしろ意図的にずらされ、モザイクのように折り重ねられていく。 そして映画は徐々に、過去の植民地主義的手続きや契約がいかに現代の制度と折り重なって機能し続けているかを明らかにすると共に、土地の持つ歴史や記憶そのものを浮かび上がらせていく。本作はベネチア映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミア上映された。


 


『サマ』"ZAMA"
2017年/アルゼンチン、ブラジル、スペイン、ドミニカ共和国、フランス、オランダ、メキシコ、スイス、アメリカ、ポルトガル、レバノン/115分/監督:ルクレシア・マルテル( Lucrecia MARTEL )
18世紀末、スペイン統治下の南米の僻地を舞台に、かつては武勲を讃えられたスペイン王室の士官でありながら、地方行政官の職に甘んじているドン・ディエゴ・デ・サマの姿を追う。彼はブエノスアイレスに残した妻子と再会するため、あるいはより格式の高い任地へ異動するために、スペイン国王からの転勤許可を記した手紙をひたすら待ち望んでいる。しかし、その手紙は一向に届かず、サマは不確実な未来への焦燥を募らせ、怠惰や腐敗に満ちた環境の中で、時間だけが虚しく過ぎていく感覚に囚われて いく。帰郷や栄転の望みが絶望へと変わる中、彼はついに一攫千金を夢見て危険な探検隊に志願する。この探検は、長年追い求めた「まともな人生」を取り戻そうとするサマの最後の試みとなるが...... 。2017年のベネチア映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門でプレミア上映され、翌年の第90回米国アカデミー賞国際長編映画賞へのアルゼンチン代表作品にも選出。ペドロ・アルモドバルがプロデューサーとして参加した。


 


『沼地という名の町』"The Swamp(La Cienaga)"
2000年/アルゼンチン、スペイン/103分/監督:ルクレシア・マルテル( Lucrecia MARTEL )
アルゼンチン北部のサルタ州の湿地帯を舞台に、荒れ果てた屋敷で蒸し暑い夏を過ごす退廃的なブルジョワ家族を描いた作品。物語は中年女性であるメチャと、その夫の家を中心に展開する。アルコール依存症気味のメチャは、親戚のタリスとその子供たちと共に別荘で夏を過ごすことになるが、タリスもまた不安定な精神状態を抱えている。無気力で怠惰な大人たち、独自の遊びや冒険を求める思春期の子供たち、そして先住民の使用人たちの姿が湿度の高い夏の空気を背景にして描かれ、家族間の緊張関係や性的抑圧、階級間の軋轢が次第に露わになっていく。そして、ある少年が起こす事故が、この閉塞した日常に一石を投じることになるが......。2001年のベルリン国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、アルフレッド・バウアー賞を受賞。


 



特集上映:ラモン・チュルヒャー「動物」三部作を一挙上映


『煙突の中の雀』"The Sparrow in the Chimney(Der Spatz im Kamins)"
2024年/スイス/117分/監督:ラモン・チュルヒャー( Ramon ZURCHER )/提供:JAIHO
スイスの郊外にある実家で、夫マルクスと子供たちと暮らすカレンは、妹ユーレ一家を招いてマルクスの誕生日を祝う家族の集いを開く。一見すると牧歌的なこの家は、カレンとユーレ姉妹にとって、自殺した父や亡くなった母との間に生じた複雑な感情が渦巻く場所でもあった。子供時代の思い出が詰まっ た家で、姉妹は家族に対する姿勢や、亡き母親にまつわる暗い記憶からくる長年のわだかまりを抱え、緊張感が高まっていく。さらに、マルクスと親密な関係にある近所の女性リヴの存在や、子供たちの間に起きる予期せぬ衝突が、家族間の均衡を崩していくが......。本作はロカルノ映画祭のコンペティショ ン部門で2024年8月にワールドプレミア上映され、翌月に中国の平遥国際映画祭でロベルト・ロッセ リーニ賞の最優秀作品賞を受賞した。


 


『ガール・アンド・スパイダー』"The Girl and the Spider(Das Madchen und die Spinne)"
2021年/スイス/98分/監督:ラモン・チュルヒャー( Ramon ZURCHER ) /提供:JAIHO
主人公リザが友人マーラと同居していたアパートから引っ越す日の出来事を描く。荷造りを通して関係性の変化に向き合うことになるリザとマーラ。リザの母アストリッドが手伝いに訪れ、さらにアパートの新たな隣人やペットを含む多くの人や動物が集まってくる。夜にはささやかな送別パーティが開かれ、集まった人々の間に複雑に絡み合う感情や欲望が露わになる。視線や言葉の交錯、小さな出来事の積み重ねが、登場人物たちの錯綜する関係性や内面に秘められた情念を生々しく描き出す。本作は2021年のベルリン国際映画祭のエンカウンターズ部門にてワールドプレミア上映され、同部門の監督賞を受賞した(『Social Hygiene』のドゥニ・コテ監督と同時受賞)。


 



(c)Alex Hasskerl
『ストレンジ・リトル・キャット』"The Strange Little Cat(Das merkwurdige Katzchen)"
2013年/ドイツ/72分/監督:ラモン・チュルヒャー( Ramon ZURCHER )/提供:JAIHO
ベルリンに住むある家族の平凡な1日の出来事を綴った群像劇。ある週末、一家のもとに、祖母を囲み夕食を共にするために親戚が集まってくる。母親は食事の準備に追われ、子どもたちは無邪気に遊びまわり、各々が思い思いの時間を過ごしている。本作は、そうした何気ない家庭の風景に潜む不穏な一面を、断片的なエピソードと独特な視点であぶり出し描き出す。登場人物たちの間の何気ないやり取り、ふとした仕草、生活音、そして家の中をさまよう1匹の猫。家族という共同体の内側にカメラが据えら れ、その親密さと同時に、他者には踏み込めない個々の断絶や均衡の変化が映し出されていく。本作は 2013年のベルリン映画祭のフォーラム部門にてワールドプレミア上映された。