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2025年11月21日(金)から11月30日(日)まで、東京都千代田区有楽町の有楽町朝日ホール、ヒューマントラストシネマ有楽町にて「第26回東京フィルメックス」が開催された。メイン会場を昨年の丸の内 TOEIから有楽町朝日ホールに戻して、昨年より1日多い10日間の会期中に全34作品(東京フィルメックス・コンペティション10作品(国際審査員は、ソン・ファン(SONG Fang/中国/映画監督)、ラモン・チュルヒャー(Ramon ZURCHER/スイス/映画監督)、マティアス・ピニェイロ(Matias PINEIRO/アルゼンチン/映画監督)の各氏)、特別招待作品13作品(「特集上映:ルクレシア・マルテル 「植民地」の残影」と「特集上映:ラモン・チュルヒャー「動物」三部作」を含む)、メイド・イン・ジャパン2作品、プレイベント「香港ニューウェーブの先駆者たち:M+ Restored セレクション」(11月14日(金)から11月18日(火)までヒューマントラストシネマ有楽町にて開催)3作品、関連企画「マノエル・ド・オリヴェイラ監督作品セレクション」(11月13日(木)から11月15日(土)までアテネ・フランセ文化センターにて開催)6作品)が上映された。サイドイベントは、「監督たちが語る:世界と交差する日本映画 ― 国際映画祭の現在」、「『女の子』上映記念トーク:演じる時間、撮る時間 スー・チーが語る“映画の記憶”」、「『わたしたち』から『The World of Love(英題)』へ:ユン・ガウンが見つめる少女たちの世界」の3本に加えて、独立映画鍋との共催企画「脱中心の場をつくる!映画・アートコレクティブの実践と可能性」が開催され、24日(月・祝)に行われたレセプションイベント「フィルメックス・ナイト」と併せて、作品上映のみではない参加、交流の場が設けられ、いずれも好評を博していた。 今年の上映1本目は『Yes』。妻子とのより良い生活のため、ガザ殲滅を叫ぶ愛国歌の作曲を引き受けてしまった売れない音楽家Yの、良心の呵責と倫理的葛藤に苦しむさまが描かれ、2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃後の、大義名分に基づくガザへの容赦ない攻撃に対する作り手の激しい怒りと悲しみが込められている作品だ。爆撃と隣り合わせの日常のあまりの異様さが、パンチの効いた音楽と狂躁の中で鮮明に浮かび上がる。苦しみながらもその時々に「身を任せて」きた主人公が、最後の最後で口にする同じ「Yes」の意味するところが変わり、儚くも幾許かの希望が感じられるラストシーンが胸に響く。カンヌ映画祭の監督週間でワールドプレミア上映された。 2本目は、オープニング作品の『太陽は我らの上に』。自分の犯した罪を自ら被って投獄された嘗ての恋人と、現在の愛人の子どもの妊娠を確認した病院で再会した主人公の罪の意識、どうしようもない双方の苦しみ、時と共に変化していく複雑な思いや葛藤が、贖罪不能な状況下で如実に描かれている。衝撃的なラストシーンの捉え方は人それぞれだろうが、主人公の懊悩の深さが窺い知れて(今にも断ち切られてしまいそうな二人の繋がりを再び必死に手繰り寄せようとする、もしくは無意識のうちに新たな罪を生み出して自らを罰し、儚くも二人の繋がりを保とうとするかのようにも受け取れて)、この行為をもってやっと男は、女もまた狂おしいほどに苦しんでいたのだと理解するかのようだ。ベネチア映画祭のコンペティション部門で上映され、主演のシン・ジーレイが主演女優賞を獲得した。 2日目には、審査員特別賞を獲得した『しびれ』が登場。新潟の寒風吹き荒ぶ海沿いのとある街で、母や自身への父親の暴力に恐れ慄く過酷な日々を余儀なくされて、母は身を持ち崩し、主人公は声を失ってしまう。監督の自伝的な要素を多く含んだ物語は、数々のエピソードと共に多くの痛みを伴いながら展開されていくが、社会の片隅で埋もれたような主人公の救い手はなかなか現れない。困難極まれりという状況下で、主人公はどのようにして生き延びたのだろう。思わず作中で描かれている以上を想像するが、過去を経て未来へと続く道のりを描こうとしたという監督の言葉どおり、ラストシーンには希望が感じられて救いがある。現場の冬の寒さと闘いながら、食べず眠らずの状況に自らを追い込んで撮影に臨んだという北村匠海とキャストたちの、監督や作品と「心中」するような覚悟を持って作り上げられた『しびれ』は、国内での配給(2026年)が決まっている(追記:第76回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門に正式出品)。多くのファンに見守られている好調な船出にささやかながら声援を送りたい。 最優秀作品賞を受賞した『サボテンの実』では、父親の死を弔うために故郷の村に戻り、周囲から結婚を急かされる主人公が、同様に結婚のプレッシャーを感じている幼馴染との再会を経て互いに惹かれ合い親密な時間を過ごすようになるのだが、インドの農村のしきたりにはそぐわないその心のままのありようが、豊かな自然を背景にして、静かな筆致で描かれている。息子の非常に困難な立場を深く理解しながら、母親(とおそらくは生前の父親)が、厳しいしきたりの中でも息子の心を尊重しようとしていた驚くべき姿が心に残る。サンダンス映画祭のワールド・シネマ・ドラマ部門でグランプリを受賞している。 スペシャル・メンションと学生審査員賞を獲得した『枯れ葉』では、スポーツ写真家の娘の失踪の謎を追う父が、姿の見えない彼女の友人と共に捜索の旅に出て出会うさまざまが、美しいジョージアの自然の中で、繊細な音響(監督の兄弟であるギオルギ・コベリゼが担当している)と共に幻想的に描かれていく。全編が2003年の携帯電話(ソニー・エリクソン製)のカメラによって撮影された、アレクサンドレ・コベリゼの3作目の長編監督作。当初は5時間にも及ぶ非常に長尺であったものを、周囲の助言を受けて編集の末、何とか3時間に収めたという。ロカルノ映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、スペシャル・メンションを受けた作品。 同日3本目に上映された『左利きの少女』は観客賞を獲得。台北で麺屋台を始めたシングルマザーと子供たちは、母親の借金が重くのしかかる中で生活再建をめざしている。どうやら彼女たちは、なにゆえか暫く離れていた台北に戻ってきたばかりのようだ。母親には経済的に恵まれている親族がおり、かろうじての生活を保っている。上の子は反抗的ながらも家計の一部を担い、まだ幼い下の子は屋台のお手伝いをしながら、祖父に「悪魔の手」と言われた利き手の左手を気にしている。ツォウ・シーチン監督の単独監督デビュー作となる本作は、生き生きとした台北の街を舞台に繰り広げられる、困難を抱えながらも希望を見出そうとする親娘をめぐる人間ドラマだ。冒頭から多くの伏線が張られていることに徐々に気付くが、キャストの気負わない自然な演技が光り、物語は非常にテンポ良く進められていく。子役の目線の高さを考慮した屋台の情景や色鮮やかな色彩が、幼いながらも芸達者な彼女を自然にやさしく包み込んでいる。カンヌ映画祭の批評家週間で初披露され、金馬奨で新人俳優賞を受賞。2026年の日本での公開が予定されており、第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞への台湾代表作品にも選ばれている。 受賞は逃したものの、ユン・ガウン監督の『The World of Love(英題)』とスー・チー監督の『女の子』もサイドイベントと共に評判を呼んでいた。前者は、快活で奔放な行動からは計り知れない、深い心の傷を抱えた主人公の過去が、勢いに任せて口にしてしまった一言によって公になり、周囲の見る目が変わる中で必然的に過去と向き合い、傷つきながらも果敢に乗り越えていこうとするひとりの少女の心の機微が繊細なタッチで綴られていく作品だ。彼女が母親に向かって感情を吐露する洗車機のシーンが印象に残るのだが、韓国語の原題「世界の主人(ジュイン)」として、彼女自身が自らの人生を主体的に再生していくその過程に寄り添うような作り手の視点が素晴らしい。トロント映画祭のプラットフォーム部門でプレミア上映され、平遥映画祭で観客賞を受賞している。後者は、大人しく内向的な少女シャオリーが、父による家庭内暴力に揺れる家族の中で、母との関係性の複雑さと痛みを抱えながら成長していく姿を描いたスー・チー監督のデビュー作。同級生で外向的なリリーに誘われて体験する幾つかは、閉ざされていた彼女の世界を開いていく役割を果たし、到底解決不能に思われた家族のありようもまた、思わぬ形で変化していく。ホウ・シャオシェン監督に背中を押されるようにして、スー・チー監督自身の幼い頃の記憶に基づいて描かれたというこの作品は、ベネチア映画祭のコンペティション部門でワールドプレミアされ、釜山映画祭で最優秀監督賞を受賞している。 『ヒューマンリソース』では、会社の人事担当者として働く主人公が、日々、人が消耗品のように扱われる自社の企業風土にそぐう、使い捨てに等しい新卒社員の採用現場で味わっている寒々とした現実が、物語の進行と共に浮かび上がる。そんな中で、自らの妊娠を知ることになるのだが、新たな生命を授かりながらも純粋に喜べない主人公の物憂げな佇まいと、不穏な世の中を象徴するカーラジオの音声、洗車機のシーンがやはり印象的だ。終盤の、無理をして採用された女性社員のひきつったようで苦しげな面持ちに、日頃、私たちがさまざまな局面で感じていながらも、独力ではどうすることもできないような、現代の(企業)社会における冷酷なまでの理不尽さが集約されているように感じられる。ベネチア映画祭のオリゾンティ部門でワールドプレミア上映された作品。 『アメーバ』は、シンガポールの厳格なエリート女子校を舞台に、権威に刃向かおうとする少女たちの友情と密やかな反抗、そしてその先にある現実の厳しさを描いた作品だ。転校してきた主人公と意気投合した彼女たちは、親や教師の目を盗んで生き生きとした連帯関係を結ぶ。自分たちのいたずらと反抗心を記録したビデオが学校側に没収されたことから窮地に陥いるが、それぞれの処分には格差があり、主人公は停学になってしまう。やがて進学のための口頭試問(英語でのスピーキングの試験)に臨んだ彼女たちのありようが、それぞれの身の処し方の違いと共に社会という見えない壁の存在を否応なく浮かび上がらせる。主人公の非常に無謀だが己の感じ方を貫く姿勢と眼差しがとても凛々しく印象的だ。2022年のタレンツ・トーキョーでタン・スーヨウ監督が企画支援を受け、さまざまな困難を乗り越えて完成させた。 『アミールの胸の内』では、まもなくイタリアへの移住のため祖国を離れようとしている主人公アミールの、恋人タラや友人たちと共有した故郷でのかけがえのない時への思いが、テヘランの街の美しさ、ある種の郷愁と共に、風が通り抜けていくような清々しさをもって描かれている。イランという国の国情や世情ゆえ決して穏やかではない人々の等身大の日々の営みも浮かび上がる。さりげない台詞の形を取りながら、人生の機微が語られていくさまもさりげなく見事だ。作中の片目の猫は、イランという国の形と国情になぞらえて登場させているとのこと。イランを去るのか留まるのかという問いに対するアミール・アジジ監督自らの胸中と細部に至るまでのこだわりが感じられた。 『グランシエル』では、フランスで建設中の巨大な複合施設で夜間の建設作業員として働く主人公が、パートナーとその息子との今よりも良い生活のため献身的に努めているのだが、同僚の謎の失踪をめぐる対応の食い違いと自身の昇進によって、次第次第に仲間たちから引き離されてゆき、パートナーとの関係にも亀裂が生じてしまう。終盤で描かれた主人公をめぐる数多くの破綻的状況とこの複合施設のありようは、まさに不穏さに満ち満ちており、ディストピア的だ。労働者を描いてきた作り手の社会派目線を感じさせながら、意外な結末(主人公(労働者)をめぐる多くのものが、不安定な労働環境の下で次第次第に「消滅」していくということを比喩的な意味でも表しているようだ)で作品を締めくくるあたりに、フランスを拠点として活動する畑明広監督の確かな手腕と力量が感じられた。 『ラッキー・ルー』では、ニューヨークで配達員の仕事に従事する主人公が、離れて暮らしていた妻子を呼び寄せるまさにその日に、仕事道具の自転車の盗難とアパートの契約金の持ち逃げに遭ってしまい、厳しい現実に直面しながら妻子には秘めたままの必死の奔走を余儀なくされる。ニューヨークを拠点に活動する韓国系カナダ人のロイド・リー・チョイ監督が、自身の短編『Same Old』を長編化した本作、主演で細部にわたるまで神経の行き届いた好演を見せるチャン・チェンが、薄暗い路地を走り回ることによって見えてくる街の表情に幼い娘の目を通したそれが重なり、等身大の移民コミュニティーや主人公たちを包含する、美化されることのないニューヨークという街のありようがリアルに浮かび上がる。第62回金馬奨で最優秀新人監督賞、主演男優賞、音楽賞を獲得している。 クロージング作品の『大地に生きる』は、1991年の中国の農村における日常が、季節の移ろいと共に主人公である10歳の少年の目を通して描かれたフオ・モン監督作。家族と離れ親戚に預けられた主人公は、村に完全には馴染めずにいたが、曽祖母たちの愛情を受けて暮らしている。葬儀や結婚式、近代的な農具を持たない農村での重労働などの描写を通じて、彼らが困難な状況に如何に立ち向かっているかが浮かび上がる。ベルリン国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア上映され、銀熊賞(監督賞)を受賞している。 最終日の10日目に上映された『市街戦』と『手に魂を込め、歩いてみれば』も、それぞれに異なる意味で鮮烈な印象を残す。前者では、1946年のオランダ支配下のジャカルタで、弟子で同志のハジルと共に抵抗運動に身を投じていたヴァイオリン教師のイサが、私生活で不全に悩む中で、妻ファティマがハジルと不倫関係にあることを知る。大義と私生活の狭間で苦悩しながら、オランダ人高官暗殺という重大な任務を負った主人公たちの姿が、暗く陰影のある画作りを用いて描かれている、タレンツ・トーキョー2025でメイン講師を務めたモーリー・スリヤ監督作。原作は、インドネシアの作家モフタル・ルビスの「果てしなき道」。登場人物たちのキャラクターに手を加え、当時の街の喧騒をリアルに際立たせて、よりスリリングな映像表現を可能にしている。ロッテルダム映画祭のクロージング作品としてワールドプレミア上映された。 そして後者は、イラン人の映画監督セピデ・ファルシが、ガザのフォト・ジャーナリストであるファトマ・ハッスーナとの、およそ1年間に渡るビデオ通話を元にして作り上げたドキュメンタリー作品。瓦礫の街や死と隣り合わせの日常、それでも笑顔を忘れぬファトマ自身や人々のありようが、痛ましくも尊い非常に貴重な記録として浮かび上がる。カンヌ映画祭の並行部門であるACIDで世界初上映されたが、同部門に選出されたことを告げた翌日の未明に、ファトマと家族は空爆を受け死亡してしまった。彼女の生きた証であり戦争の生々しい現実を伝えるこの作品が、一人でも多くの方の元に届きますよう。2025年12月5日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー(オフィシャルサイトはこちら)。 今年のタレンツ・トーキョー・アワードは、フィリピンのグレン・バリット監督の『ルゾネンシス・アンド・フロレシエンシス』が、スペシャル・メンションは、中国のチェン・ジェンハン監督の『スクエア・ホライゾンズ ー ア・ハウス・アクロス・ボーダーズ』、フィリピンのサム・マナクサ監督の『ザ・ボイド・イズ・イメンス・イン・アイドル・アワーズ』、日本のくわやま あつし監督の『ホーム ー ワーク』が受賞している。 以上、コンペティション作品と特別招待作品を中心に振り返ってみたが、スタッフの方々のご尽力とさりげないお心遣いの下で、今年も非常に濃密な10日間が実現していたように思う。個人的には、『Yes』で始まり『手に魂を込め、歩いてみれば』で完結した今年のプログラムに言いようのない感慨を覚えている。できることなら一人でも多くの人々に、国情や世情を超えた結びつきや分かち合いを新たにする機会を与えてくれるフィルメックスを体感してほしいと祈りながら、世界中の国際映画祭の存在意義にも思いを馳せつつ、名残惜しくも筆を置きたいと思う。 |