「第26回東京フィルメックス」コンペティション出品作品

●2025年11月21日(金)〜11月30日(日)
有楽町朝日ホール、ヒューマントラストシネマ有楽町にて

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『The World of Love(英題)』"The World of Love"
2025年/韓国/120分/監督:ユン・ガウン( YOON Ga-eun )/配給:ビターズ・エンド
ユン・ガウン監督の新作は、快活で物怖じしない17歳の女子高生ジュインが主人公。怒りと勢いに任せて口にした言葉がきっかけで校内に騒動を巻き起こし、匿名の手紙が届き始めたことから、彼女の平穏な日常が崩れていく。忘れたい過去に立ち向かい、自らの人生を取り戻そうとする少女の心の機微を繊細に描いたドラマ。

『わたしたち』で知られるユン・ガウン監督の6年ぶりの新作は、思春期の複雑な感情世界に深く分け入る、力強くも繊細な人間ドラマ。奔放で活発な振る舞いの裏で心に傷を抱える高校生ジュインを主人公に、彼女の過去の秘密が公になり、周囲の視線が変化する中で、彼女が自らの歴史とどう向き合い、どう乗り越えるかに焦点が当てられている。韓国語の原題でもある「世界の主人」という言葉が示唆しているのは、一人の複雑な人間が過去に定義されることなく、自らの物語を主人(韓国語の読みはジュイン)として力強く所有することだろう。本作では単なる被害者としての定型的な描写が徹底して避けられていると共に、悲痛な体験をした人への接し方の難しさや、当事者の反応が他者の期待と異なる場合に生じる摩擦についても丹念に描かれている。登場人物たちの内面的な葛藤や繊細な感情の機微が抑制的で観察的な演出によって引き出されており、物語の啓示的な瞬間をより力強く、心に響くものにしている。本作はトロント映画祭のプラットフォーム部門でプレミア上映され平遥映画祭で観客賞を受賞した。


 


『女の子』"Girl"
2025年/台湾/125分/監督:スー・チー( SHU Qi )
内向的な少女シャオリーが、自由奔放な同級生リリーとの出会いを通じて、抑圧された生活から抜け出し、自分自身の人生を模索し始める姿を描く。シャオリーは、母から受け継がれた悲しみと、自由への強い願いとの間で葛藤しながら成長していく。

俳優として国際的に知られるスー・チーが、長編映画監督としての第一歩を踏み出したデビュー作『女の子』は、1980年代の台湾・基隆を舞台に、家庭内の葛藤と成長の痛みを抱える少女シャオリーの日常を描く。物語の中心にあるのは、家庭内で愛情を求めながらも、母との複雑な関係や父の暴力に揺れる少女の姿だ。彼女は出会ってすぐに親友になったリリーとの交遊や小さな冒険を通じて、閉ざされた世界に微かな光を見出していく。スー・チー自身の幼少期の記憶を下敷きにした半自伝的な作品だという本作は、劇的な展開というよりは、記憶の綾と心の繊細な動きに寄り添うような作品として成立している。カメラの微妙な動きや余白を残したフレーミングには、ホウ・シャオシェンをはじめとする台湾ニューシネマの影響が色濃く感じられるが、映画という表現の力に対する深い理解に裏打ちされているのは一目瞭然だ。本作はベネチア映画祭コンペティション部門でワールドプレミアされ、翌月の釜山映画祭で最優秀監督賞を受賞した。


 


『ラッキー・ルー(仮)』"Lucky Lu"
2025年/カナダ、アメリカ/103分/監督:ロイド・リー・チョイ( Lloyd Lee CHOI )/配給:リアリーライクフィルムズ
主人公は台湾の名優チャン・チェン演じる中国人配達員のルー。彼は長年離れて暮らしていた妻と娘と共に新生活を送るためアパートの契約金を稼いでいたが、生活の手段である電動自転車を盗まれてしまう。ルーは家族と再び一緒に暮らすという希望を胸に、失った自転車と契約金を懸命に取り戻そうとする。

ニューヨークで働く配達員のルー・ジャチェン。夢だった故郷から妻と娘を呼び寄せるその日に、電動自転車の盗難と家賃の持ち逃げに直面し、希望とは裏腹の厳しい現実の中で奔走する。ニューヨークを拠点に活動する韓国系カナダ人であるロイド・リー・チョイ監督が、自身の短編『Same Old』を長編化した本作では、ストリートレベルの中国人コミュニティが美化されることなくリアルに描かれており、登場する人々は皆、金銭的な問題や倫理的な欠陥を抱えながらそこに存在している。カメラはチャイナタウンの薄暗い路地をルーと共に揺れ動き、陰鬱な色調が、都市の冷たさとそこに住む人々の疲れ切った感情を反映する。主演を務めるチャン・チェンの繊細な演技が光っており、彼が体現する地に足の着いたリアリズムと、娘の視点を通したマジック・リアリズムの境界線が交錯する瞬間は、観客に忘れ難い印象を残すだろう。本作はカンヌ映画祭の監督週間でワールドプレミア上映された。


 


『枯れ葉』"Dry Leaf"
2025年/ドイツ、ジョージア/186分/監督:アレクサンドレ・コベリゼ( Alexandre KOBERIDZE )
ジョージアの田園都市を舞台に、娘リサの突然の失踪の謎を追う父イラクリの捜索の旅を追う。旅の相棒は、なぜか姿が目に見えないリサの友人レヴァニ。手がかりを求めて地方を彷徨う過程で、二人はさまざまな風景や見知らぬ人々に出会う。

スポーツ写真家の娘リサが姿を消し、父イラクリは彼女の仕事仲間であるレヴァニ(声のみで不可視の存在)と共に、彼女が最後に追っていたジョージアの辺境のサッカー場をめぐる捜索の旅に出る。深い不安を抱えながらも、彼らの旅はどこか瞑想的で、道中で出会うさまざまな人々の声や、風景の断片を拾い集めていく……。本作は前作『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』で世界的な評価を確立したジョージアの俊英アレクサンドレ・コベリゼの3作目の長編監督作。この作品の最も特異な点は、全編が2010年代前半の古い携帯電話のカメラで撮影されていることで、そのローファイな映像を通して浮かび上がる、幽玄で美しい田舎の景色は、次第に過去と現在の境界を曖昧にし、観客を現実と魔術的リアリズムが混在する世界へと誘っていく。個人の探求が、国民的な記憶やその変容への問いにまで拡張された、今年最も大胆で独創的な映画のひとつである。ロカルノ映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、スペシャル・メンションを受けた。

*本作は、全編にわたって意図的にピントを外した映像表現を用いている。映像のボケは作品の仕様であり、不具合ではない。


 



(c)AKANGA FILM ASHIA_JULIANA TAN
『アメーバ』"Amoeba"
2025年/オランダ、フランス、スペイン、韓国、シンガポール/98分/監督:タン・スーヨウ( Siyou TAN )
シンガポールのエリート女子校に転校してきた16歳のシンユーは、3人のアウトサイダーたちと出会い、意気投合する。4人はスクールカーストや厳格な校則に不満を抱き、友情の証として「ギャング」を結成し、自分たちのいたずらや反抗的行為をビデオカメラで記録する。しかし、学校当局にカメラが没収されたことで、撮り溜めた映像が露見する危機に瀕し、進路を控えた彼女たちの絆と将来が試される。

シンガポールの厳格な女子校を舞台に、抑圧的な規範に抗う4人の少女たちの連帯を描いたタン・スーヨウ監督の長編デビュー作。シンガポールという場所の特異性を背景に、本作は彼女たちが「当局によって理想化された国家の物語」に疑問を呈する姿を描きながら、形定まらぬ思春期のアイデンティティを深く掘り下げていく。10代の少女たちの友情や絆を、ボーイフレンドや恋愛の物語に依拠させず、権威主義的な教育システムへの集団的な異議申し立てとして描いた点に本作の今日性はあり、同調圧力から身をかわすために自己を変容させていく若者の姿が、形定まらぬ生命体であるアメーバのメタファーに重ねられている。彼女たちが最終的にはそれぞれに異なる経済的・社会的な現実に引き裂かれるかもしれない脆さと共に、自己を確立することの美しさと困難さをこの作品は瑞々しく描き切っている。トロント映画祭ディスカバリー部門で初披露された後、釜山や平遥などの映画祭でも上映、平遥では女優賞など3冠に輝いた。


 



(c)2025 LEFT-HANDED GIRL FILM PRODUCTION CO,LTD ALL RIGHTS RESERVED
『左利きの少女(原題)』"Left-Handed Girl"
2025年/アメリカ、イギリス、フランス、台湾/108分/監督:ツォウ・シーチン( TSOU Shih-Ching )/配給:スターキャット アルバトロス・フィルム
シングルマザーとその2人の娘が、生活再建のために台北の夜市で麺屋台を始める。反抗的でありながらも将来への不安や焦燥を抱える長女と、祖父に「悪魔の手」と言われたために利き手である左手に罪悪感を覚える幼い次女。彼女たちがそれぞれの困難や誘惑に直面しながら、家族の絆を保とうともがく姿を描いた活気ある人間ドラマ。

台北の裏側の日常、観光客の目に触れない喧騒と色彩、そして音。台北の活気ある街並みを舞台に展開されるのは、主人公のイージンと彼女の家族の物語だ。一家は経済的な困難に直面し、母親の抱える借金が彼女たちの生活に重くのしかかっている。映画はロケーションの持つ力強いエネルギーを背景に、困難に直面する母娘の姿を共感に満ちた眼差しで誠実に捉え、普遍的な人間ドラマへと昇華させる。リアリズムの枠組みの中で、生活のティテールの積み重ねと自然な演技を通じて、人間存在の機微と、厳しい生活の中でも希望を模索する心の揺らぎを力強く描き切った作品だ。本作の監督ツォウ・シーチンは、ショーン・ベイカーと『テイクアウト』(2004)を共同監督した後、プロデューサーとしてベイカーの諸作品に関わってきており、本作が単独での監督デビュー作となる。また、ベイカーはこの作品においては脚本、編集、プロデュースを務めた。本作はカンヌ映画祭の批評家週間にて初披露され、2026年に行われる第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞への台湾代表作品にも選出されている。


 


『アミールの胸の内』"Inside Amir(Daroon-e Amir)"
2025年/イラン/103分/監督:アミール・アジジ( Amir AZIZI )
テヘランに住む青年アミールは、イタリアへの移住を目前に控えている。彼より先に移住した恋人タラと再会し、新しい人生を始めるためだ。彼は愛用の自転車に乗り、配達の仕事をこなしつつ、友人たちとサイクリングを楽しむ。気の置けない仲間たちとかけがえのない時間を共有し、タラと過ごした過去を回想しながら、「去るか留まるか」という心の問いに彼は静かに向き合う。

本作は、テヘランからイタリアへの移住を控える一人の若者の日常の断片を瞑想的に見つめた作品だ。主人公の青年アミールは、自転車でテヘランの雑踏を駆け抜けながら、街と、街にいる人々との最後の繋がりを確認していく。ビザ発給を待つ日々は、彼にとって愛用の自転車でテヘランの街を彷徨う感傷的な別れの旅路となる。映画は物語の劇的な展開を排し、彼が故郷の街並みや友人たちとの日常の中で感じる「留まるべきか、去るべきか」という葛藤に焦点を当てる。損得勘定のない友人たちとの強い絆、遠くにいる恋人との電話越しの会話、そして叔父が語る異国での経験談。こうした日常の断片が、彼の心に渦巻く郷愁と不安を静かに浮き彫りにしていく。現代のイランの人々、とりわけ若い世代が直面する自己と故郷の再定義という主題が、政治的な主張を声高に訴えることなく、人生の不確かさに直面する若者の繊細な感情を通して表現された作品だ。ベネチア映画祭の併行部門であるヴェニス・デイズでワールドプレミア上映され、同部門の最高賞であるGdA Director's Awardを受賞した。


 


『サボテンの実』"Cactus Pears(Sabar Bonda)"
2025年/インド、イギリス、カナダ/112分/監督:ローハン・パラシュラム・カナワデ( Rohan Parashuramu KANAWDE )
ムンバイに住む青年アナンは、父の死に際し、伝統的な葬送儀式のためインド西部の故郷に帰る。親族たちから結婚を急かされ息苦しさを感じる中、彼は幼馴染の青年バリヤと再会する。彼も同様に結婚のプレッシャーに晒されており、共に過ごす時間の中で、秘めていた互いの絆は深まっていく。10日間の喪が明ける時、この関係はどこに向かうのだろうか。

都会で暮らす主人公アナンは、父の逝去に伴う10日間の服喪儀式のため、故郷の村へ帰省する。農村の伝統と親族からの結婚圧力に直面する彼にとって、幼馴染のバリヤとの再会を経て、彼と親密な時間を過ごすことが、次第に唯一の逃避場所になっていく……。本作は地方の農村における文化的な背景を忠実に描いていく一方で、静的なカメラワークとロングテイクによって、登場人物たちの感情の機微を徹底したリアリズムで映し出していく。クィアな物語によく見られる悲劇的な側面を極力排しつつ、親子の間に見られる稀有なまでの相互理解も並行して描かれ、登場人物たちの間の心の交流を通じて、困難さの中での愛と受容の可能性がささやかに提示される。この成熟したビジョンと人間の本質に迫る誠実な洞察こそが、本作を特別なデビュー作たらしめている。サンダンス映画祭ワールド・シネマ・ドラマ部門のグランプリ受賞作品。


 


『グラン・シエル』"THE SITE(Grand Ciel)"
2025年/フランス、ルクセンブルク/92分/監督:畑明広( HATA Akihiro )
建設作業員のヴァンサンは、未来的な巨大複合施設「グラン・シエル」の夜間工事現場で働いている。ある日、同僚の作業員が行方不明になり、現場主任が事故を隠蔽していると労働者たちは疑念を抱く。その後も別の作業員が姿を消していく中で、彼らは団結し、仲間の失踪の謎を解明しようとするが……。

本作は、フランスの巨大な未来型都市開発現場を舞台に、労働者の過酷な現実を冷徹な視線で描き出す社会派ドラマとして幕を開ける。夜間シフトの現場作業員のヴァンサンは、家族のより良い生活という夢を叶えるため、献身的に働く。しかし、同僚である移民労働者たちの相次ぐ不可解な失踪と、それに対して何も手を打たない上層部を前に、現場の不穏な空気は高まっていく。そして上層部からの昇進の誘いは、ヴァンサンを同僚たちから決定的に引き離してしまう……。労働者たちの間に不安や不信が広がる過程と並行して、リアリズムを基調としたこの作品にジャンル映画の要素が次第に混入されていく。労働者たちが掘り進む薄暗い地下空間は次第に恐怖が潜む場所となり、巨大な建造物はいつしかディストピア的空間へと変貌する。進歩を象徴する都市開発が完成に向かう一方で、その礎となった労働者たちの精神と倫理が静かに崩壊していくさまを、恐怖映画の表象と共に描く演出は、観る者に鮮烈な印象を残すだろう。本作はベネチア映画祭オリゾンティ部門にてプレミア上映された。


 



(c)2025「しびれ」製作委員会
『しびれ』"NUMB"
2025年/日本/118分/監督:内山拓也( UCHIYAMA Takuya )/配給:NAKACHIKA PICTURES
日本海沿いの街に暮らす少年は、暴君のようだった父の影響で言葉を発しない。今は、母と共に暮らしているが、水商売で稼ぐ彼女はほとんど家に帰らない。どこにも居場所がなかった少年は、父の行方を求めて生家を訪ねることを決める。そして、彼の運命は大きく揺らいでいく。

『佐々木、イン、マイマイン』(2020)で鮮烈な印象を残した内山拓也監督が、自身の故郷である新潟県を舞台に挑んだ4作目の長編作品『しびれ』は、監督自身の自伝的な要素を深く刻み込んだ痛切な母子の物語だ。本作では、居場所とアイデンティティを模索する少年が、息をのむような大きな愛を知るまでの年月が、憎くて愛しい母親との関係性の変遷を通して描かれている。彼の母親は夜の仕事に従事し、男に貢いで尽くすという自滅的な愛の形しか知らず、結果として息子へのネグレクトを繰り返していた。また、少年時代に同居していた父親に抗えなかった時間が、彼から文字通り「声」を奪い去ってしまい、彼はその「沈黙」を抱えたまま、その後の人生と向き合うことになる。物語は少年が離散した父親との再会を経て、過去の痛みに向き合い、自身の「声」を取り戻すまでの魂の救済の旅路を追う。全編にわたる手持ちカメラによる生々しい映像は、母親の不在による現実的な苦難、出口の見えない家族の闇を鋭く炙り出しながらも、彼の内に秘めた葛藤と、見据えたその先の光を捉えている。今回の上映がワールドプレミアとなる。