『英雄の条件』/"RULES OF ENGAGEMENT"
8月12日より渋谷東急ほかにて公開

2000年/アメリカ映画/カラー/スコープサイズ/ドルビーデジタル、S.D.D.S./2時間8分/字幕翻訳:岡田宗平/協力:株式会社レントラック・ジャパン、株式会社ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント/サントラCD:BMGファンハウス/ギャガ・ヒューマックス共同配給

◇監督:ウィリアム・フリードキン ◇原作:ジェームズ・ウェッブ ◇脚本:ステファン・ガーガン ◇製作:リチャード・D・ザナック、スコット・ルーディン ◇製作総指揮:アダム・シュローダー、ジェームズ・ウェッブ ◇共同製作:アーン・L・シュミット ◇撮影:ウィリアム・A・フレイカー、ニコラ・ペコリーニ ◇美術:ロバート・レイン ◇編集:オージー・ヘス ◇衣裳:グロリア・グレシャム ◇音楽:マーク・アイシャム

◇キャスト:トミー・リー・ジョーンズ(ヘイズ・ホッジス大佐)、サミュエル・L・ジャクソン(テリー・チルダーズ大佐)、ガイ・ピアース(マーク・ビッグス少佐)、ブルース・グリーンウッド(国家安全保障局顧問ウィリアム)、ブレア・アンダーウッド(リー大尉)、フィリップ・ベイカー・ホール(H・ローレンス・ホッジス)、アン・アーチャー(ムーラン大使夫人)、ベン・キングスレー(ムーラン大使)



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【解説】

「本年度トップ10入りの超大作!!」
マイケル・D・スミス/SUN PUBLICANS

「手に汗握る感動作!迫真の名演!」
ビル・ディール/ABC RADIO

「激しく!力強く!ストーリー、アクションともに納得」
ジェーン・シャリット/TODAY SHOW

「俳優達の熱演!押し寄せる緊張!必見の一作」
ラリー・キング/USA TODAY

「火花散る競演!逃れる術はない」
サンディ・ニュートン/CBS-TV

「実に巧妙な最高級のドラマ」Vジェフリー・リオンズ/NBC-TV



中東イエメンでアメリカ大使館が、大規模なデモ隊に包囲された。大使家族に身の危険が迫る中、米軍海兵隊の無差別銃撃によって、その決死の作戦は成功裏に終わったが、80名もの一般市民が海兵隊の無差別銃撃によって死亡、歴戦の勇士の狂気か?軍人としての正しい行動か?この事件は、全世界を揺るがすとともに、人道主義を踏みにじる行為として非難され、アメリカ合衆国の威信を失墜させるに十分な物となった。そして、全世界注視のもと、発砲命令を出した男の軍事裁判が始まった。彼の弁護を引き受けたのは、28年前来の戦友。友情は時を隔てても生き続けることができるのか?友はほんとうに無実と言えるのか?軍人としての信頼と友情に、『真実』は手を差し伸べてくれるのか?アメリカ政府をも敵に回す裁判は、孤立無援の二人にとって、あまりにも苛酷な戦いとなっていくのだった…。

全米初登場でいきなり第1位を獲得し、批評家からも絶賛を浴びた2大俳優の熱演による、たたみかけるサスペンスと友情ドラマが一体となった、熱い感動を呼び起こす一級のエンターテインメント『英雄の条件』。主演には、強烈なキャラクターを持ち、ドラマに重厚さを加える俳優として、今や名実ともにトップに立つトミー・リー・ジョーンズと サミュエル・L・ジャクソン。二人がガッチリ四つに組んだ映画が面白くないはずはない。二人はベトナム戦争当時からの戦友同士。ホッジス大佐(トミー・リー・ジョーンズ)はチルダーズ大佐(サミュエル・L・ジャクソン)によって当時、分断された部隊から重傷を負いながらも助け出された。そして28年後、今度は窮地に立たされたチルダーズ大佐を、ホッジス大佐はほとんど実績のない弁護士として友情に報いようとする。28年の時を隔てた友情と信頼が、全世界が注目する大舞台で試される。真実とは何か?二人の火花散る演技が、見る者の心を熱くさせる。他の出演作には法廷でチルダーズ大佐の行為を弾劾するエリート将校に、『L.A.コンフィデンシャル』のガイ・ピアース。大佐直属の部下として証言台に立つ大尉に、『タッチト・バイ・エンジェル』など人気テレビ番組の黒人スター、ブレア・アンダーウッド。黒幕的な国家安全保障局の官僚にブルース・グリーンウッド。イエメンのアメリカ大使館から救出される大使にベン・キングスレー。その大佐夫人に『危険な情事』『今そこにある危機』のベテラン、アン・アーチャー、ホッジス大佐の父親役に『マグノリア』のフィリップ・ベイカー・ホールと名脇役たちが勢ぞろいし、さらに作品に重厚さを加えている。

監督は『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のアクション・サスペンスの巨匠ウィリアム・フリードキン。緊迫感溢れる映像表現の技は、『英雄の条件』でも発揮されている。特にドキュメンタリー手法を用いた二つの異なる戦場での戦闘シーンは、迫力ある映像と共に、後半の心理劇へと高まっていく上で重要なシーンとなっている。生涯の友情を心の中で誓った悪夢のようなベトナム戦争の戦場と、28年後砂漠の都市イエメンのアメリカ大使館への大型ヘリ数機で舞い降りる救出作戦。どちらも極限状態の中で、軍人が取るべき行動がどのようなものであるかが真に迫って来る。その撮影監督に、迫真のカメラワークを見せたベテラン中のベテラン、ウィリアム・A・フレイカー。脚本は、本作品の製作総指揮にもあたった元米国海軍長官であるジェームズ・ウェッブの原案を元に、ステファン・ガーガンがあたった。プロデューサーは『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』を製作したリチャード・D・ザナックとスコット・ルーディン。なお、原題の『RULES OF ENGAGEMENT』とは米海兵隊が作戦遂行中に従うべき「交戦規定」のことを言う。強力な殺傷力のある武器を常時携行している彼らの行動は、この規定によって厳しく管理されているのである。



 




【プロダクションノート】

◆2大エンタテインメント・スター、夢の共演!

■サミュエル・L・ジャクソンはチルダーズを「自分が正しいと感じたことを実行する海兵隊幹部、時には規則を曲げることもあるが、それは成果を上げるためだ。彼は母国を信じ、彼の海兵隊を信じ、どんな犠牲を払っても戦友達に誠実であろうとする」と説明する。さらにジャクソンは、ビリー(ウィリアムの愛称)は、非常に開放的に、実際の表現を僕らに任せてくれ、多大な自身を持たせてくれた。もし、彼がその演技を気に入らなければ、『うーん、それはちょっとやり過ぎかな』とか『こうやって欲しいんだ』と、率直に言う。そして、それは僕にはとても役に立った。というのも、彼が各シーンに自分のビジョンを持ち、それを僕と共有し、説明することを厭わないと僕にはわかっているからだ」と語る。


■トミー・リー・ジョーンズは、こう語る。「私が演じる人物は、大人になってからずっと海兵隊で働き、父親も祖父も海兵隊大将だった男。1960年代には、小隊長としてベトナムで戦い、重傷を負って帰国しなければならなかった。彼は軍事裁判の弁護士になり、引退を間近に控えた今、軍事法廷で彼の親友を弁護することになる。しかし、彼は自分自身が、それにふさわしい、非常に優れた弁護士とは考えていないので、気が進まないのだ」、更に「撮影の間に、たくさんの本当の海兵隊員たちに出会った。私はいつも、彼らや、彼らの任務を尊敬していた。この作品が彼らに満足してもらえることを心から望んでいる」と語っている。


■自分自身がベトナム戦争の帰還兵でもあるテイル・ダイは、戦場やその他の場所での海兵隊の行動を正確に描写する為、様々なアドバイスをした。彼はまず、ベトナム戦争時代の訓練に際して、俳優達を肉体的に鍛え上げなければならなかった。「私には、彼らの心の中にまで語りかける必要があった。1968年当時、20歳だった私たちがどのようであったか―私たちの気持ち、あの戦争や残忍な行為が私たちになにを見せつけたか、来る日も来る日も、あてもなく、いつも疲れきって、ジャングルで傷だらけになっているとどのように感じるかを、知ってもらう必要があった。私がここまでせずにはいられないのは、この映画に嘘があると、米国の勇敢な兵士たち、ベトナムで亡くなった5万千人の米兵の思いを踏みにじることになるからだ。それは私には耐えられないことだ」彼の指導のもと、俳優やエキストラたちは新兵訓練所並みの条件で厳しい軍事訓練を受け、この試練を通して本当の海兵隊員のように緊密な仲間意識を育んだ。サウスカロライナ州のあるキャンプでは、1968年当時にベトナム戦争で用いられた戦法や兵器類が、俳優たちのために用意され、モロッコの訓練では、原題の砂漠戦の訓練が行われた。


■プロデューサーのリチャード・D・ザナックは以前、『エクソシスト』や『フレンチ・コネクション』でフリードキン監督と組んだことがある。しかし、ザナックは、「以前に、映画スタジオの重役としての彼と仕事をしたことはあったが、実際の撮影に取り組んでいる彼を見たことはなかった。彼があれほど手早いとは思わなかった。おそらく、綿密に計画されていたのだろう。彼は、きっちりと統制のとれた撮影を行っている。完全主義者で、非常に注意深い監督だ。そして、俳優たちと息がぴったりだ。彼はとても斬新なアイディアを持ち、何気ない部分を追求して、それを重要な要素に仕立てる。彼との仕事は、すばらしい経験だった」と振り返っている。




ベトナム、そしてイエメンへ

■訓練の一部として、俳優たちは作品中の名前と階級だけでお互いを呼び合った。ベトナム戦争の撮影では、トミー・リー・ジョーンズとサミュエル・L・ジャクソンは若い少尉だった。その他の俳優たちが、訓練と人間関係の強化のために現地で2、3日間を共に過ごした後、ふたりが、このベトナム戦争の撮影グループに加わった。当初、他の男たちは、グループの仲間関係から故意にジョーンズとジャクソンをのけ者にし、彼らを試した。これは、実戦経験がないにもかかわらず、生死を賭けたやり方だった。



■撮影はモロッコのクアルザザテでも行われた。ここはアトラス山脈にあり、マラケシュの南東約140マイル(約224km)に位置する。国王のハッサン二世の承認と、モロッコ政府の全面的な協力を得て、フリードキンとキャスト、スタッフらは、米国大使館への襲撃を含む、イエメンを舞台としたシーンを撮影した。クアルザザテの住民の多くは、ベルベル人である。この民族は、彼らが多数を占めるイエメンを含め、北アフリカの数カ国に分散している。彼らは、独自の建築様式、服装、肉体的美しさを持ち、「クアルザザテをイエメンのように見せるためにはわずかに手を加えるだけで十分だった」とフリードキンは語る。大使館の包囲と救出の場面は、1500名の現地人のエキストラ、モロッコのヘリコプター乗員を使って撮影された。このヘリコプターは、王立モロッコ空軍の士官が操縦した。ことばの違い(モロッコ人のほとんどが、アラビア語やフランス語、またはベルベル語を話すが、英語は話せない)や、文化の違い(撮影は、イスラム教徒の毎日の祈りの時間とかちあって、たびたび中断しなければならなかった)にも関わらず、フリードキンやキャスト、スタッフらは、モロッコ人の仕事仲間たちとの取り組みに、心からの喜びを表した。「とても楽しかった」とジョーンズは言う。「モロッコは美しい国だ。私はベルベル族の人々が大好きになった。彼らは、たいていのことを、うまくやってのける。」


 




【ストーリー】

◆殺人者か、英雄か?
時を隔てた友情が、今 法廷でためされる!


1968年、ベトナム。ジャングルの最前線。ホッジス少尉(トミー・リー・ジョーンンズ)が率いる分隊は、待ち伏せていたベトコンの激しい銃撃にさらされ、全滅の危機に瀕していた。一方、チルダーズ少尉(サミュエル・L・ジャクソン)はベトコンへの奇襲に成功し、その大佐と通信員を捕虜にする。チルダーズは、ホッジスを救おうとベトコンの通信員の頭に銃口を押しつけ、銃撃停止の指令を出せと究極の判断を大佐に迫った。狂気にかられたような銃声。そしてホッジスは救われた。


28年後、ホッジスは大佐として第一線から退いて弁護士になった。一方、海兵隊屈指の歴戦の戦士として知られたチルダーズ大佐は、暴徒と化した民衆に包囲されたイエメンのアメリカ大使館を救出せよ、という特命をアメリカ政府から受け、一個小隊を率いて大型ヘリで現地へと飛んだ。暴徒による投石と弾雨の降り注ぐなか、見事に大使の救出に成功するが、その直後、いよいよ激しくなったゲリラの襲撃を受けて、次々と死傷者が出始める。チルダーズ大佐も銃弾を受け、やむなく反撃命令を下す。それは、大使館前の群衆に向かって発砲せよ、と言う命令だった。作戦成功の喜びと引き替えに、そこには婦女子を含む83名もの一般市民が殺害され、百数十名の負傷者だけが残った。この事件は全世界に衝撃を与えることになる。

アメリカ政府の威信を失墜させたこの事件の真相究明のため、軍事法廷が開かれた。検察側の背後には、海兵隊の交戦規定(RULES OF ENGAGEMENT)に違反したチルダーズ大佐一人を処罰する事で、政府への非難を回避しようとする国家安全保障局の顧問ソーカル(ブルース・グリーンウッド)がいた。彼はチルダーズ大佐を弾劾する検察官として、海兵隊きってのエリート将校ビッグス少佐(ガイ・ピアース)を抜擢する。一方、市民の中に武装ゲリラが紛れ込んでいたと主張するチルダーズ大佐は、自分の弁護をしてくれと、戦友のホッジスに望みを託す。ところが、そのホッジスは離婚によって心をすり減らし、アルコール依存症の「勝てない弁護士」と自らを呼ぶような男になり果てていた。チルダーズの必死の願いにホッジスは、命がけで任務を遂行してきたすべての海兵隊員の誇りと、チルダーズへの友情をかけて法廷で闘う決心を固める。そして裁判を前に、有利な証拠を収集しようとイエメンのアメリカ大使館に飛んだホッジスは、壁の銃痕も生々しい大使館や負傷者が収容されている病院を訪ね、子供たちの悲惨な姿に衝撃を受ける。チルダーズの無実を証明する決定的な証拠が得られぬまま帰国したホッジスは、友の無実を疑いはじめるのだった。

30年以上も海兵隊一筋に生きてきたチルダーズ大佐は、海兵隊の規定に違反した殺人者か?それとも大使を救った英雄か?





 




【キャスト&スタッフ】

■トミー・リー・ジョーンズ(ヘイズ・ホッジス大佐)


海兵隊弁護士の彼は、米国大使館で部下にデモ隊への発砲を命じ虐殺事件を起こし告発された戦友、サミュエル・L・ジャクソンを弁護することになる。1994年、大ヒット映画『逃亡者』(1993)での冷徹な連邦保安官、サム・ジェラード役の演技に対し、映画科学学術協会は彼に助演男優賞を贈った。この演技で、彼はゴールデングローブ賞助演男優賞も受賞している。その3年前、ジョーンズは、オリバー・ストーンの『JFK』(1991)のクレイ・ショウ役で、初めてオスカーにノミネートされた。1999年にはアシュレイ・ジャッドと『ダブル・ジョパディー』で共演。1998年、『逃亡者』に続く『追跡者』(1998)で連邦保安官、サム・ジェラード役を再演、1997年には、『メン・イン・ブラック』(1997)でウィル・スミスと共演した。最新作は、ジェームズ・ガーナー、ドナルド・サザーランドと共演、クリント・イーストウッドが監督、出演した『Space Cowboys』。 1970年、『ある愛の詩』で映画界にデビューし、30年間にわたってそのキャリアを積んだ。その他の出演作には『アイズ』(1978)、彼が初めてゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『歌え!ロレッタ・愛のために』(1980)、『ストーミー・マンデイ』(1988)、『ザ・パッケージ 暴かれた陰謀』(1989)、『沈黙の戦艦』(1992)、『天と地』(1993)、『ザ・クライアント 依頼人』(1994)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)、『ブルースカイ』(1994)、『バッドマン・フォーエヴァー』(1995)、『タイ・カップ』(1995)、『ボルケーノ』(1997)などがある。


■サミュエル・L・ジャクソン(テリー・チルダーズ大佐)


クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994)で、哲学的なプロの殺し屋、ジュールズを演じ、忘れがたい印象を残した。彼の演技は絶賛され、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされ、英国映画テレビ芸術アカデミー助演男優賞を受賞した。 最新作は、ジョン・シングルトン監督、クリスチャン・ベール、ヴァネッサ・ウィリアムズ共演の『Shaft』である。 昨年、レニー・ハーリン監督の『ディープ・ブルー』(1999)に出演、更に、フランソワ・ジラール監督の『レッド・バイオリン』(1998)、また、大人気となったジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ1/ファントム・メナス』(1999)にも出演した。 また、『交渉人』(1998)や、彼がプロデューサーもつとめた『プレイヤー 死の祈り』(1997)、『ジャッキー・ブラウン』(1997)にも出演。この作品は、クエンティン・タランティーノ監督作品への彼の出演としては、2作目である。この作品で、彼はゴールデングローブ賞にノミネートされ、ベルリン映画祭のコメディ部門男優賞で銀熊賞を受賞した。 ジョン・グリシャム原作、ジョエル・シュマッカー監督の『評決のとき』(1996)では、サンドラ・ブロック、マシュー・マコノヒー、ケビン・スペイシーらと共演。この作品ではゴールデングローブ賞にノミネートされ、NAACPイメージ賞を受賞した。さらに、1995年に世界で最高の興行収入を上げた『ダイ・ハード3』(1995)では、ブルース・ウィリスと共演。その他の出演作品は、『187(ワン・エイト・セブン)』(1977)、『スフィア』(1998)、『ロン・・キス・グッドナイト』(1996)、『High Eight』(1996)、『死の接吻』(1995)、『代理人』(1995)、『アモス&アンドリュー』(1993)などがある。


■ガイ・ピアース(マーク・ビッグス少佐)

英国に生まれ、オーストラリアで子役として俳優の道を歩んだ彼は、『プリシラ』(1994)の小生意気なドラッグ・クイーン役で、世界的な注目を集め、大ヒットした『L.A.コンフィデンシャル』(1997)で、ケビン・スペイシー、ラッセル・クロウらと共演し、米国映画界にデビューした。 最近では、アントニア・バード監督の『ラビナス』(1999)、アン・タイラーの小説をもとにした、トニ・カレム監督の『A Slipping Down Life』に出演し、1999年サンダンス映画祭で、グランドジュリー賞にノミネートされた。その他の出演作には、彼が俳優エロル・フリンに扮した『Flynn』などがある。


■フィリップ・ベイカー・ホール(H・ローレンス・ホッジ大将)

最近の出演作には、『リプリー』(1999)、『マグノリア』(1999)、『インサイダー』(1999)、『クレイドル・ウィル・ロック』(1999)などがある。1998年には、リメイク版『サイコ』、『トゥーマン・ショー』、『ラッシュアワー』などで活躍。今後、公開される『Lost Souls』、『The Contender』、オスカー受賞のチャック・ワークマン監督のドキュメンタリー『The House On The Hill』などにも、出演している。 その他の出演作品には、『ビッグ・リボウスキ』(1998)、『エアフォース・ワン』(1997)、『ブギーナイツ』(1997)、『ハードエイト』、『死の接吻』、『ミッドナイトラン』(1988)などがある。


■ブルース・グリーンウッド(国家安全保障局顧問ウィリアム・ソーカル)

この作品と同じく、トミー・リー・ジョーンズ主演の『ダブル・ジョパディ』に出演、また、アトム・エゴイアン監督の作品である、『スウィート・ヒアアフター』(1997・ジニー賞受賞)と、『エキゾチカ』(1994)でも活躍した。その他に、『Trick as Thieves』、『Disturbing Behavior』、『蘭の女』(1990)、『パッセンジャー57』(1992)、ロビン・ウィリアムズとビリー・クリスタルの『Father's Day』などに出演している。


■ベン・キングスレー(ムーラン大使)

『ガンジー』(1982)で主役を演じ、オスカー、BAFTA、ゴールデングローブ賞、その他の賞に輝いた。数々の出演作品には、アカデミー賞受賞作『シンドラーのリスト』(1993・彼は、この作品でBAFTA賞を受賞)、彼がオスカーとゴールデングローブ賞にノミネートされた『バグジー』(1991)、『The Confession』、『死と乙女(おとめ)』(1995)、『ボビー・フィッシャーを探して』(1993)、『デーヴ』(1993)、『バスカリの島』(1988)、『Betrayal』などがある。



■ウィリアム・フリードキン(監督)

シカゴのWGN-TVの郵便室で働いていたフリードキンは、2年もたたないうちにテレビのライブ番組の演出を手がけるようになり、8年間に、2000本を越える生放送の演出を行った。最初の映画作品、『The People Vs.Paul Crump』は、クック刑務所の死刑囚棟で8年間を過ごした男のドキュメンタリーである。この作品で、彼は、サンフランシスコ映画祭ゴールデンゲート賞を受賞、彼にとって初めての受賞となった。しかし、この賞よりもさらに喜ばしいのは、この作品が注目されたために、この受刑囚、クランプが減刑されたことだった。

このプロジェクトがテレビ局の経営陣に強い印象を与え、フリードキンは、新設されたドキュメンタリー映画部門のトップに任命された。彼は、引き続き、『The Thin Blue Line』、『Mayhem on a Sanday Afternoon』、『The Bold Men』など、デビッド・ウォルパーをプロデューサーとする複数の作品を含む、ドキュメンタリー作品を手がけた。

1960年代後半から1970年代前半にかけて、若者たちの運動、ウッドストック音楽祭、ベトナム戦争などの影響を受けた社会では、ドラッグの使用が反体制文化の中核となった。ドラッグの世界を、鋭く、大胆に描いた『フレンチ・コネクション』(1971)で、フリードキンは、アカデミー賞監督賞を獲得、この作品はその他にも、アカデミー賞作品賞、脚色賞、主演男優賞、編集賞を総なめにした。さらに、撮影賞、音響賞、助演男優賞にもノミネートされた。

その後、時代を超えた最高の映画のひとつとされている『エクソシスト』(1973)では、監督賞、作品賞を含む10のアカデミー賞にノミネートされ、脚色賞、音響賞を受賞した。その他のフリードキンの作品には、『恐怖の報酬』(1977)『ブリンクス』(0978)、『クルージング』(1980)、『世紀の取り引き』(1983)、『L.A.大捜査線 狼たちの街』(1985)、『ガーディアン 森は泣いている』(1990)などがある。



■リチャード・D・ザナック(製作)

映画スタジオの経営幹部であり独立プロデューサーでもあるザナックは、20世紀フォックスの製作担当取締役社長時代に、アカデミー賞受賞作『フレンチ・コネクション』を、ワーナー・ブラザーズの製作担当副社長時代には、現代の古典とも言うべき『エクソシスト』を、ウィリアム・キングスレーと組んで製作した。

彼の最新作には『ディープ・インパクト』(1998)や、『トゥルー・クライム』(1999)などがある。

ザナックは、わずか28歳で20世紀フォックスのトップとなり、史上最年少のスタジオチーフとなった。彼の在任中、フォックス社は、前代未聞の159のオスカーにノミネートされた。フォックス社の3本の作品―『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)、『パットン大戦車軍団』(1970)、『フレンチ・コネクション』―がアカデミー賞作品賞を受賞、その他のヒット作に、『猿の惑星』シリーズ、『明日に向かって撃て!』(1969)、『M★A★S★H』(1970)などがある。その後、フォックス社からワーナー・ブラザーズに移り、取締役副社長に就任、まもなくパートナーとなるデビッド・ブラウンと共に、『エクソシスト』や『ブレージングサドル』(1974)など、大ヒット作の製作を担当した。

1971年、彼とブラウンはザナック/ブラウン社を設立。その後15年間にわたって、ザナック/ブラウン社は、批評家からも高い評価を受けた大ヒット作を次々と生み出してきた。3つのアカデミー賞3部門受賞、作品賞にもノミネートされた『ジョーズ』(1975)、『ジョーズ2』(1978)、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞した、スティーブン・スティルバーグの劇場用映画監督デビュー作、『続・激突!カージャック』(1973)、作品賞を含む7つのアカデミー賞に輝いた『スティング』(1973)、アカデミー賞で5部門にノミネートされた『評決』(1982)などである。

1988年に設立されたザナック・カンパニーのデビュー作は、『ドライビング・ミス・デイジー』(1989)。この作品は、ナショナル・ボード・オブ・レビューの作品賞を受賞、アカデミー賞9部門にノミネートされ、作品賞を含む4部門で受賞した。その後のザナック・カンパニーの作品は、リリー・フィニー・ザナックの初監督作品となった『ラッシュ』(1991)、『リッチ・イン・ラブ』(1992)、『ワイルド・ビル』(1995)、『狼たちの街』(1996)、クリント・イーストウッドと組んだ、『トゥルー・クライム』(1999)などがある。



■スコット・ルーディン(製作)

彼が今までに製作した作品には、『Wonder boys』、『アンジェラの灰』(1999)、『スリーピー・ホロウ』(1999)、『救命士』(1999)、『South Park:Bigger,Longer&Uncut』(1999)、『トゥルーマン・ショー』、『シビル・アクション』(1999)、『イン&アウト』(1997)、『身代金』(1996)、『Mother』(1996)、『マイ・ルーム』(1996)、『ファースト・ワイフ・クラブ』(1996)、『Twilight』(1998)、『クルーレス』(1995)、『サブリナ』(1995)、『ノーバディーズ・フール』(1994)、『ザ・ファーム/法律事務所』(1993)、『ボビー・フィッシャーを探して』(1993)、『天使にラブ・ソングを』(1992)、『アダムス・ファミリー』(1991)、『アダムス・ファミリー2』(1993)、『リトルマン・テイト』(1991)、『心の旅』(1991)、『パシフィックハイツ』(1990)、『フラットライナーズ』(1990)、『ジェニファー8』(1992)、『燃えつきるまで』(1984)、アカデミー賞受賞作の『He Makes Me Feel Like Dancing』、『Shaft』などがある。


■アダム・シュローダー(製作総指揮)

ティム・バートン監督、ジョニー・デップ、クリスティーナ・リッチ主演の『スリーピー・ホロウ』、ピーター・ウィアー監督、ジム・キャリー主演の『トゥルーマン・ショー』、サム・ライミ監督、ビル・バクストン、ビリー・ボブ・ソーントン主演の『シンプル・プラン』(1998)を製作した。彼が製作総指揮を担当した作品には、トレイ・パーカー監督の『South Park:Bigger,Longer&Uncut』、マーティン・スコセッシ監督、ニコラス・ケイジ主演の『救命士』、アラン・パーカー監督の『アンジェラの灰』などがある。また、今年は、カーティス・ハンソン監督、マイケル・ダグラス主演の『Wonder Boys』などを手がけた。現在、サミュエル・L・ジャクソン、トニ・コレット主演で『Shaft』のリメイクを製作中。


■ステファン・ガーガン(脚本)

人気TVショー『The Practice』の初期に、スタッフのひとりとして加わり、『NYPD Blue』のエミー賞を受賞したエピソード、『Where's Swaldo?』の脚本を共同執筆した。彼が担当したその他の脚本には、近日公開される長編映画『20 Billion』、『American Gothic』シリーズの7つのエピソード、『Sleepywalkers』の3つのエピソード、その他の多くのテレビ番組がある。また、フィクション、ノンフィクションの作品を発表し、ニューヨークで、ジョージ・プリンプトンのパリ・レビュー誌で働いている。


■ウィリアム・A・フレイカー(撮影監督)

アメリカ映画撮影監督協会から、ライフタイム・アチーブメント賞を受賞、この賞はウィリアム・フリードキンから贈呈された。フレイカーはその32年間にわたるキャリアで、カメラマンとして45本近い長編映画を手がけた。アカデミー賞では、撮影賞に『ミスター・グッドバーを探して』(1977)、『天国から来たチャンピオン』(1977)、『ウォー・ゲーム』(1983)、『マーフィーのロマンス』(1985)、視覚効果賞に『1941』(1979)など、6回にわたってノミネートされた。

撮影監督としての最初の長編映画は『悪魔のくちづけ』(1967)、その後、『The President's Analyst』(1967)『女狐』(1997)が続いた。その他の作品は、『ブリット』(1968)、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)、『ベンチャー・ワゴン』(1970)、 『イルカの日』(1973)、『The Best Little Whorehouse in Texas』(1982)、『American Hot Wax』、『ペーパーファミリー』(1984)、『ハネムーン・イン・ベガス』(1992)、『トゥームストーン』(1993)、『D.N.A. ドクター・モローの島』(1996)、『ストリート・ファイター』(1994)など。アメリカ撮影監督協会の会長を、3期にわたって務めた。



■マーク・アイシャム(音楽)

『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)でアカデミー作曲賞、グラミー賞にノミネートされた。アイシャムが音楽を担当したその他の映画には、『遠い空の向こうに』(1999)、『ブレイド』(1998)、『ボディ・ショッツ』(1999)、『バーシティ・ブルース』(1999)、『あなたが見えなくても』(1999)、『ラストダンス』(1996)、『グース』(1996)、『ネル』(1994)、『タイムコップ』(1994)、『ゲッタウェイ』(1994)、『蜘蛛女』(1994)、『ショート・カッツ』(1993)、『二十日鼠と人間』(1992)、『リトルマン・テイト』、『運命の逆転』(1990)、LA批評家協会賞作曲賞を受賞した『モダーンズ』(1988)など、アメリカ映画協会の「1980年代の作曲家ベスト3」のひとりに選ばれた。