『ツォツィ』/"TSOTSI"




2007年4月14日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国にて公開

2005年/イギリス・南アフリカ/95分/原題:TSOTSI/SR,SRD/35ミリ/シネマスコープ/カラー/全6巻/8820フィート/日本語字幕:田中武人/(C)Tsotsi Films (Pty) Ltd.2005/後援:南アフリカ大使館、アムネスティ・インターナショナル日本、「ほっとけない 世界のまずしさ」/提供:日活、インターフィルム/配給:日活、インターフィルム/宣伝:ムヴィオラ

◇監督・脚本:ギャヴィン・フッド ◇プロデューサー:ピーター・フダコウスキ ◇共同プロデューサー:ポール・ラレイ ◇製作総指揮:サム・ベンベ、ロビー・リトル、ダグ・マンコフ、バジル・フォード、ジョセフ・ドゥ・モレー、アラン・ホーデン、ルパート・ライウッド ◇撮影:ランス・ギーワー ◇プロダクション・デザイン:エミリア・ウィーバインド ◇作曲:マーク・キリアン、ポール・ヘプカー ◇原作:アソル・フガード

◇キャスト:プレスリー・チュエニヤハエ、テリー・ペート、ケネス・ンコースィ、モツスィ・マッハーノ、ゼンゾ・ンゴーベ、ZOLA、ジェリー・モフォケン



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【解説】

世界中が胸を打たれた、パワフルな感動のドラマ

◆"ツォツィ" ─ "不良""チンピラ"を意味する南アフリカのスラング

2006年、アフリカ映画初のアカデミー賞外国語映画賞受賞の快挙を成し遂げた『ツォツィ』。元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏は、ギャビヴィン・フッド監督と出演者たちに対面した際、「自分もかつてはツォツィだった。南アフリカを世界に知らしめたのはこの作品だ」と彼らを讃えた。

南ア最大の都市ヨハネスブルク。その最大のタウンシップ(旧黒人居住区)ソウェトのスラム街にツォツィと呼ばれるひとりの少年がいた。本名は誰も知らない。暴力の中で無軌道な生活を送る彼は、仲間と徒党を組んでは窃盗を働き、銃を振りかざしてはカージャックを犯し、その日をただ、怒りと憎しみを糧に生き延びるかのように暮らしていた。名前を捨て、過去に口を噤み、未来から目を逸らして……。

ある日、少年はひとつの小さな命に出逢う。「生きること」の意味を見失っていた少年は、その小さな命と対峙することで、図らずも「生きること」の価値を見つめ、最後にはそれを選びとることとなる。



◆アパルトヘイトその後。「世界一の格差社会」といわれる南アの過酷な現状のリアリティ

アパルトヘイトが終焉して10年余。国際社会は南アフリカを忘れてしまった。しかし、その悲惨な現状は、まだ終わってはいない。豊かな生活を手に入れた黒人はほんの一握りに過ぎず、これまでの人種格差に黒人内の格差も加わった空前の格差社会となったのだ。それに伴い社会犯罪は激化し、エイズ孤児の問題も暗い影を落としている。

豪邸に暮らす黒人がいる傍らには、水道や電気が通っていないボロボロの家を住処とする黒人がいる。映画『ツォツィ』の中では、奪う側も黒人ならば、奪われる側も黒人だ。かつて黒人が簡単に出入りできなかったダウンタウンは、今や世界で一番危険な街、とさえ呼ばれている。『ツォツィ』は、アパルトヘイト後の知られざる南アフリカの"いま"を、鋭くリアルに切り取った初めての映画だ。



◆「忘れないが、許そう」 ─ 岐路に立つ主人公ツォツィに母国・南アフリカの希望を重ねて

監督は、南アフリカのヨハネスブルク出身で、本作の成功により次作「RENDITION」(原題)でメジャーデビューを果たすギャビヴィン・フッド。作品のテーマである「贖罪と寛容」を強く訴えるために、1960年代が舞台であった原作を現代に置き換え、そして暴力を派手に描くのでなく、リアリティと率直さにこだわって、個々の登場人物の人間らしさに焦点をあてた。「私は寛容とセカンド・チャンスへの小さな希望を見出したかった。今の南アフリカが、さまざまな問題をかかえる中で、希望をいだいているように」。映画のラストに込めた監督のこの思いは、かつてマンデラ元大統領が「忘れないが、許そう」と語って踏み出した南アの希望と、まさに重なりあっている。

主人公ツォツィに扮するのは、映画の舞台であるソウェト出身の新星プレスリー・チュエニヤハエ。伝統的に演劇がさかんな南アの舞台でキャリアを始めた彼は、肌で知ったリアリティと圧倒的な存在感で、ツォツィを体現している。原作は南アフリカを代表する劇作家、アソル・フガード。差別する側の「白人」でありながら、反アパルトヘイト運動に身を投じていた彼は、アパルトヘイトをテーマにした戯曲を数多く書き、黒人たちと舞台を演じることによって、国の抱える問題を広く世界に知らしめた。また南アフリカを席巻している、タウンシップから生まれた南ア流ヒップ・ホップ「クワイト」がツォツィの魂に息吹を与えている点も必聴だ。加えて南アフリカにおけるクワイトの"スーパー"スターでもあるZolaが出演。全面的に楽曲提供をしているだけでなく、彼の音楽がこの作品のスタイルを決める上でインスピレーションとなった。

アパルトヘイト後もなお続く南アフリカの過酷な現状と、その先にある希望を見つめ、トロント国際映画祭をはじめとする各映画祭で観客賞を受賞、オーディエンスからの熱い支持を得ているパワフルな感動のドラマ、それが本作『ツォツィ』である。

2006年 アカデミー賞(R)外国語映画賞受賞
2005年 イギリス・エジンバラ国際映画祭 最優秀作品賞/観客賞受賞
2005年 カナダ・トロント国際映画祭 観客賞受賞
2005年 アメリカ・AFIロサンゼルス国際映画祭 観客賞受賞
2005年 アメリカ・デンバー国際映画祭 観客賞受賞
2005年 アメリカ・セントルイス国際映画祭 観客賞受賞
2005年 南アフリカ・シテンギ映画祭 批評家賞受賞
2005年 ギリシャ・テサロニキ国際映画祭ギリシャ議会人権価値賞受賞
2006年 アメリカ・サンタバーバラ国際映画祭 観客賞受賞
2006年 アメリカ・ゴールデングローブ賞 外国語映画賞ノミネート
2006年 イギリス・BAFTA カール・フォアマン賞&外国語映画賞ノミネート
2006年 アメリカ・パンアフリカ映画・芸術祭 批評家賞受賞



 


【プロダクションノート】

◆映画化までの道のり

原作の出版以来、何度か脚本化されていたものの、映画化が実現したことのなかった「ツォツィ」。原作に魅了されたプロデューサーのピーター・フダコウスキはギャヴィン・フッド監督にすぐさまコンタクトを取り、映画化権も取得していない中で彼にギャラを支払って脚本を書かせるという賭けに出た。彼ならば、この本の要素を何一つ失わず、かつ現代的に描いてくれるはずだとフダコウスキは確信していたが、予想外だったのは、フッドが作品に対して想像以上の強い情熱を持っていたこと。「ギャヴィンは脚本を2カ月で書き上げてしまった。その上、第一稿の出来が素晴らしかった。思わず『どうやったんだい?』と聞いたほどだよ」。これに対し、フッドは「このストーリーの映画化をずっと待っていたんだ!」と答えたという。フダコウスキはすぐに映画化権を取得し、出資を募り、一方フッドは、脚本編集家のジャニーヌ・エセルとヘンリエッタ・フダコウスキの協力を得て、すごいスピードで脚本を手直ししていった。そして、出来上がった脚本を自作の映画化にとても厳しい原作者のアソル・フガードに送った数週間後、彼らは1通のメールを受け取った。

親愛なるピーター

「TSOTSI」の脚本を送ってくれてありがとう。とても感動し、楽しんで読むことができました。原作を少し変えているところはあるけれど、私の本のスピリットをとても忠実に描いていて、ギャヴィン・フッドは本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思っています。個人的な意見ですが、これまでに映画化された私の作品の中で、一番素晴らしい作品だと思います。

─ アソル・フガード

こうして、「ツォツィ」が初めて映画化されることになった。



◆舞台を過去から現代へ

原作の時代設定は、南アフリカのアパルトヘイト政権が抑圧的になってきた1960年初頭。しかしフッドは、現代の方が「贖罪と寛容」という普遍的なテーマをより強く訴えることができると判断して、設定を変えた。映画の冒頭では、ツォツィは愛のない暴力漬けの人生を歩んでいるが、フッドは、そんな彼の犯罪や犯罪行為を大げさに描かず、率直かつリアルに描くことを決めた。映画の中には暴力的なシーンも幾つかあるが、そこに重点を置きたくはない。それらはただ突然起きてしまっただけなのだ。そう考えることにより、キャラクターに焦点を置くことができる。

フガードのキャラクターたちはとても人間らしく、映画を通してそれがにじみ出ている。「静かなシーンの中で、キャラクターたちへの共感を見出してもらえたらと願っています。そして、映画が終わる頃には、まったく正反対の世界に生きる彼らに、どうか気持ちを重ねて欲しいのです」とフッドは言う。



◆ツォツィを見つけるまで

「ツォツィ」を映画化するには、ソウェトで話されている言葉"ツォツィ=タール"で演じられるキャストが必要だとフッドは強く確信していたが、長編映画を"ツォツィ=タール"で、しかも名の知れた俳優を1人も使わずに作ることには出資者も簡単に合意しなかった。出資者たちの希望で、フッドは3週間かけて有名な役者たちに会ったが、ストーリーの味が薄れてしまう気がして、英語で作ることには踏み切れなかった。悩んだ末、フッドとフダコウスキは名の知れた俳優たちを使うことをやめ、ヨハネスブルグでオーディションを行う。どれだけの俳優に会っても、映画に求める"ツォツィ"を彼らの中に見出すことはできず、オーディションは難航したが、そこに現れたのがプレスリー・チュエニヤハエだった。「ギャヴィンは、ツォツィがミリアムの家に強引に入り、銃を突きつけて赤ん坊に授乳させるシーンのカメラテストをしました。テイク中、プレスリーの迫真の演技に、テリーは思わず涙を流しました。彼がとても役に入り込み、リアルだったからです。あの時、ムーニーンとギャヴィンの目にも涙が溜まっていたのを覚えています。そして、全員が口を揃えて"YES!"と言ったのです。私たちのツォツィの誕生でした」。


◆ワイドスクリーンと美術、衣裳が果たした役割

スラム映画では、ざらついた質感を出すために16ミリが使われることが多いが、根源的なストーリーに叙事詩的な味わいをプラスするために35ミリにシネマスコープ・サイズで撮影された。ワイドスクリーンは、たとえアップのシーンであっても、キャラクターを取り囲む背景を映し出すことができる。また、荒い粒子のフィルムでざらつきを表現するのではなく、キメの細かいフィルムを使うことにより、ざらついた色や質感をあますところなく映し出すのも狙いだった。「この映画でやりたかったのは、観客を社会の外にあるツォツィたちの世界に誘い込んで彼らに注目させることでした」と、フッドは言う。「だから、クローズアップのシーンでは、カメラを直視するように指導しました。観客に役者の目を真っすぐ見させることにより、観客と役者の間に親密さを生みたかったのです」。

また、プロダクションデザインは、色とテクスチャーで各キャラクターのさまざまな人生を表現し、対照的な世界を映し出すように考えられた。ツォツィは、褐色ベースの掘っ立て小屋の内装とダークトーンな衣服でわかるように、最小限の色の世界で存在している。一方、ミリアムは貧しいながらもいろいろなところに想像力に富んだ色を取り入れている。彼女の掘っ立て小屋は、拾い物やカラフルな物で鮮やかに飾り付けられている。



◆南アフリカの希望を託したエンディング

原作の最後では、家に帰ってきたツォツィが彼の小屋を壊しているブルドーザーに気づき、赤ん坊を守ろうとして崩れた壁の下敷きになって死んでしまう(赤ん坊がどうなったのかははっきりと書かれていない)。フッドは、時代設定を現代に移したことから違うエンディングを考え、ツォツィが最後に殺されるパターン、そして彼が警察から逃れてスラム街へ逃げ込む2つのパターンを撮影してみたが、どちらにも満足がいかなかった。そして熟考の末、ツォツィが殺されるエンディングより、威厳に満ちた彼を見せるほうがドラマチックで力強いという結論に達した。フッドはその理由について「今の南アフリカがたくさんの経済的社会問題を抱えているにしろ、1960年代のアパルトヘイト政権下よりも、はるかに希望に満ちているはず。だから、悲劇度を減らして、解釈の余地を残し、希望がうっすら見えるエンディングがふさわしいと思いました」と語っている。また、映画を観た後に、ツォツィに与えるべき罪について、観客たちに話してもらうことも期待した。「ツォツィを殺してしまえば、彼は単純に聖人になってしまう。でも、そうなるべきではない。最終的に勇気を出して自分の行動に責任を持つようになりますが、彼はもともとチンピラなのです。だから、彼は責任を取ることで、罪を贖ったということになる。そして、それを受け入れることにより、寛容とセカンド・チャンスへの小さな希望を見出すことができるのです。今の南アフリカが、さまざまな問題をかかえる中で、希望をいだいているように」。


 


【ストーリー】

紫煙がゆれる。ダイスを転がして賭けをするチンピラ風情の青年たち。窓際に立ち背を向けていた少年に声がかかる。「ヘイ、ツォツィ(=不良)!」。

南アフリカ ─ ヨハネスブルクにある旧黒人居住区ソウェトの貧しいスラム街。ツォツィは、自分の過去と本名を封印している。彼は幼い頃から、たったひとり、社会の底辺で生きてきた。名前も、過去も、未来もなく、怒りと憎しみだけを心の中に積もらせて。ツォツィの仲間は、なりそこない教師のボストン、冷血でキレやすいブッチャー、そして人のいいデブのアープだ。

"仕事場"のヨハネスブルク中央駅に向かうツォツィたち。きょうの獲物は、背広を着た恰幅のいい黒人男性だ。電車の中で、男の財布を奪う。思わず声をあげる男。ブッチャーは躊躇せず、素早くその腹にアイスピックを差し込んだ。

スラム街にあるシェベーンと呼ばれるバー。殺人のショックがおさまらないボストンは、リーダー格のツォツィをなじりはじめる。「品位(decency)って言葉をお前は知っているか? お前の本当の名前は何だ? 両親はいるのか?」。なじり続けるボストンが「おまえは捨て犬か?」と叫んだ途端、ツォツィの怒りが噴き出した。ボストンを血だらけになるまで殴りつける。

過去の記憶を振り切るかのように、街中を狂ったように駆け抜けるツォツィ。気づくと彼はスラム街を抜け、豪邸が建ち並ぶ通りに立っていた。その視界に、車で帰宅した黒人女性の姿が飛び込む。ツォツィは持っていた銃を引き抜いて女性を脅し、そのBMWを盗む。そして、追いすがる彼女に銃弾を浴びせた。

猛スピードでBMWを走らせていると、車内に突然、赤ん坊の泣き声が響く。後部座席に生後数カ月ほどの赤ん坊が乗っていたのだ。ツォツィは車のコントロールを失い、道を外れて標識に衝突する。車から這い出たツォツィは、一度はその場を立ち去ろうとするが、踵を返して後部座席を覗き、車内にあった紙袋に盗めるものを詰め込む。赤ん坊がかけていた毛布まで剥ぎ取った。泣き声がいっそう大きくなる。動揺するツォツィ。次の瞬間、ツォツィは赤ん坊を抱き上げ、紙袋に入れて、歩きだした。

スラム街の自分のバラック。ベッドの下には、紙袋に入れた赤ん坊。泣き叫ぶ赤ん坊にコンデンスミルクを与えると、なんとか泣きやんだ。その頃、警察も赤ん坊誘拐の捜査に動きだしていた。

ツォツィは、いつもの"仕事場"、中央駅で車椅子に乗った物乞いのモリスとひと悶着をおこす。モリスの後を追い、廃虚のような街で彼を呼び止めるツォツィが銃を取り出す。モリスの目に恐怖が走る。「何で俺につきまとう?」。ツォツィは人に蹴られて背骨を折った犬の話をした。「犬みたいになって、なぜ生き続ける?」。モリスは答えた。「俺は太陽の光を感じたい」。ツォツィは、彼を殺さずに去っていく。


部屋に戻ると、コンデンスミルクのせいで、赤ん坊に蟻がたかっている。困ったツォツィは、赤ん坊を抱いた若い女性ミリアムに目をつけ、その後をこっそりつけていく。強引に彼女の家に入り込んだツォツィは、怯える彼女に銃をつきつけ、彼の赤ん坊にお乳をあげるように命令する。

ミリアムは夫を亡くしたばかりで、女手ひとつで赤ん坊を育てていた。最初はツォツィに怯えるミリアムだったが、オムツの代わりに新聞紙を巻きつけた赤ん坊を見て、気丈にも世話を申し出る。赤ん坊に優しく語りかけながら体を拭いてやるミリアム。ツォツィの中にふと甦る記憶があった。

自分のバラックに帰り、赤ん坊をベッドに寝かしつけたツォツィはあることを思い出していた。

幼い頃の記憶。エイズに冒され、寝たきりだった母。差し伸べられた母の手をツォツィが握ろうとした時、それを阻んだ冷酷な父。ツォツィが可愛がっていた犬の背骨を蹴り上げてへし折った父。自分も犬のように殺される……思わずその場を走り去った。その日から少年は1人で生きることを選んだのだ。

ツォツィは赤ん坊を入れた紙袋を持って、土管が並ぶ丘の上へ行った。土管の中には貧しい身なりの子どもたちが住み着いている。ツォツィも昔、1人でここに流れ着いた時、土管を住処にしていたのだった。

ぐずる赤ん坊を連れ、ツォツィは再びミリアムの家を訪れる。ミリアムに赤ん坊の名前を聞かれ、思わず「デヴィッド」と答えた。それは、自分の本当の名前だった。ツォツィは一晩、赤ん坊を彼女に預けることにする。「金は払う」。金はいらないというミリアムに、ツォツィは念を押す。「忘れるな、俺の子だ」。

金を稼ぐために一仕事しなければならない。仲間のもとに向かうと、そこではツォツィに殴られた傷が癒えないボストンがシェベーンの女主人にかいがいしく面倒をみられていた。ツォツィは、ボストンを自分のバラックに連れていく。ボストンの面倒を見るのは自分だ。そう思いたかった。ツォツィはボストンの教員試験のための金を工面すると約束する。

金が要る。ツォツィが選んだのは、あの赤ん坊の家に強盗に入ることだった。アープとブッチャーを連れ、豪邸に押し入る。折しも帰宅した父親を縛り付ける。金目のものを盗もうと家探しする3人。だが、ツォツィには、別の目的があった。赤ん坊の部屋を探しあてたツォツィ。ここには、隅々まで両親の愛があふれている。その時、非常ベルが鳴り響いた。赤ん坊の父親が押したのだった。怒りにかられたブッチャーが父親に銃を向ける。その瞬間、ツォツィの銃が火を噴いた。

崩れ落ちたのはブッチャーだった。なぜ? ブッチャーが人を殺すのを、これまで気にしたことなんかなかったのに。ツォツィは、父親に銃を向ける。だが引き金を引くことができない。父親から車のキーだけを奪い、アープと2人で逃走する。盗んだ車を売り払うツォツィに、アープは「俺は殺されたくない。さよならだ」と別れを告げる。アープに金を握らせ、ツォツィは去った。

ツォツィが向かった先は、ミリアムの家。ミリアムは、彼が赤ん坊をさらったことを新聞で知っていた。赤ん坊の家から盗んできた哺乳瓶と粉ミルクを掲げてみせるツォツィにミリアムは言う。「赤ん坊を返してあげて。あなたは母親にはなれないのよ」。自分が返してくる、というミリアムの申し出をツォツィは断る。しかし、家を出ていく時「もしも赤ん坊を返したら、またここに来ていいか」とミリアムに聞くのだった。


翌日、何かを決意した表情のツォツィは、赤ん坊を入れた紙袋をさげ、中央駅に向かう。モリスがいた。ポケットから金を差し出し、彼に渡すツォツィ。

赤ん坊の家には警察が張り込みに来ていた。退院した母親をベッドに寝かし、父親が優しく面倒を見ている。張り込みの刑事が、表の玄関にツォツィの姿を認める。スラム街に捜索に来ていた刑事に連絡が入った。犯人は赤ん坊の家だ!

ツォツィは、赤ん坊を玄関に置いて立ち去ろうとした。しかし、どうしてもそれができなかった。玄関のベルを押し、赤ん坊を玄関に置いたことを告げる。その頃、刑事の車は全速力で向かっていた。そして、急に大声で泣きだした赤ん坊をツォツィが抱き上げ、あやそうとした時 ─ 「動くな!」。刑事たちの銃がツォツィを狙う。しかし、赤ん坊の父親が出てきて、刑事たちに「落ち着け。私の赤ん坊だ!」と叫び、刑事たちの銃をおろさせた。母親も車椅子で出てきた。母としての威厳が周囲を圧倒する。この父もこの母も、誇り高く、子供への愛情にあふれている。

ツォツィの瞳から、涙がこぼれ落ちた。緊張が走る。一瞬の静けさの後、ツォツィは門から出て来た父親に赤ん坊を渡した。

「両手を上にあげろ!」ふたたび銃がツォツィを狙う。両手をあげなければ、射殺される。捕まるのか、それくらいなら命など捨ててしまうのか。

……ツォツィは、両手をあげた。パトカーのライトがツォツィを照らす。掲げた両手が、一瞬輝いて見えた。





 


【キャスト&スタッフ】

■プレスリー・チュエニヤハエ(ツォツィ)

エイズで寝たきりの母と冷酷で暴力的な父親のもとを、ある出来事をきっかけに飛び出し、スラム街の外れにある土管を住処として育つ。アープ、ボストン、ブッチャーを従えた小さなギャング組織のリーダー。邪魔な人間には平気で暴力を振るい、仲間が自分に逆らうことを許さない。

1984年、南アフリカ・ソウェト生まれ。演じた役柄と同様、タウンシップの治安の悪い地域で育ち、息子の行く末を案じた母の勧めで演劇をはじめる。16歳の時にSABC TVの"Orlando"でTVデビューを飾り、演劇ではノース・ウェスト・アーツ(現マバーナ・アーツ・ファウンデーション)の数々の舞台に立ち、グラハムズタウン芸術祭では"真夏の夜の夢"(パック役)や"Cards"に出演した。"ハムレット"に出演していた高校生の終わりの時に「ツォツィ」のキャストを探していたエージェントに見出される。当初はブッチャー役でオーディションを受けたが、その天性の演技力で主人公のツォツィに大抜擢され、衝撃的な映画デビューを飾った。



■テリー・ペート(ミリアム)

魅力的な若いシングルマザー。仕事から帰宅途中だった夫を最近殺されたばかり。悲しみにくれながらも、誇りを失わず、息子との生活を支えるために裁縫業を営んでいる。

「女性として美しいばかりか、聖母のような雰囲気を持ち合わせている」とミリアム役に抜擢され、本作で映画デビューを飾る。南アフリカのポジティブ・アーツ・ソサエティ、リーバ・インスティテューションとラテーンで演技を学び、即興演技を専攻。グラハムズタウン芸術祭で"Amasiko"と"Park to Dawn"の舞台に立ち、ヨハネスブルグのマーケット・シアター・ラボラトリーとプレトリアの国立劇場で"Devil's Protest"に出演した。



■ケネス・ンコースィ(アープ)

幼いころからの、ツォツィの手下。体が大きくて力持ちだが、頭は弱い。ツォツィの命令には喜んで従う。

大衆演劇の舞台がきっかけで演技に魅了される。1993年、ヨハネスブルグのマーケット・シアター・ラボラトリーに参加し、その2年後にヨハネスブルグ・シビック・シアターで上演されたコメディ"Afrodiza"でデビュー。シビックやマーケット・シアターの数々の舞台で活躍し、南アフリカ・スポーツ・ソサエティの一員でもある。ソープオペラのヒット作"Isidingo"と"Saints, Sinners and Settlers"、そしてE-TVの"The Toasty Show"でのパフォーマンスで、その名を広めた。



■モツスィ・マッハーノ(ボストン)

ツォツィの仲間内で、いちばん頭が良い。自己嫌悪にさいなまれており、暴力を嫌う。酒が入ると発言にコントロールが効かなくなるタイプで、自分より劣っていると思う相手に対して、馬鹿にしたような話し方をする。

5歳の時にマフィケングのアマバーナ文化センターで行われたパントマイム"A Dragon For Dinner"に出演したことがきっかけで演技に興味を持つ。その後、ウィットウォータースランド大学演劇学部に進学し、"Death and the Maiden"(ジェラルド・エスコバー役)と"リトル・ショップ・オブ・ホラーズ"(オードレイII役)に出演。2003年にハリー・ライム役を演じた"第三の男"でエージェントのムーニーン・リーに見出された。映画では、"Gums and Noses"と「ホテル・ルワンダ」に出演している。



■ゼンゾ・ンゴーベ(ブッチャー)

ツォツィの仲間内で、もっとも残忍で、他人に苦痛を与えることを楽しんでいる。

マバーナ・アーツ・ファウンデーションで演技指導を受け、マクーフェ文化祭やグラハムズタウン芸術祭の"リア王"や"Cards"をはじめとする舞台や芸術祭で活躍。高校を中退してプレトリアへ渡り、国立劇場のワークショップやトレーニングに参加し、"ハムレット"や"ジュリアス・シーザー"の舞台で活躍した。



■ZOLA(フェラ)

カージャック組織のリーダー。世渡りが巧く、仲間を引き付ける才に長ける。

ミュージシャン、俳優、そして詩人。ソウェトの黒人居住区ZOLAで育ち、ここから芸名を取る。2000年に"Mdlwembe"でCDデビューを飾り、多くの批評家たちから絶賛された。その後、アルバム"Khokhovula"と"Bhambatha"を続けてリリース(何曲かは「ツォツィ」のサントラにも使用されている)。2002年度の最優秀アーティスト、"Tizo Yizo"で最優秀サウンドトラック賞、"Ghetto Scandalous"で最優秀ミュージック・ビデオ賞、"Mdlwembe"で最優秀クワイト・アルバム賞など、南アフリカで数多くの賞を受賞。ここ数年で、南アフリカにおけるクワイトのスーパースターとなった。2003年には、自身のTV番組"ZOLA 7"をヒットさせ、映画"Drum"ではボンギンコースィ・デュラミーニの名でテイ・ディグスと共演している。 映画のイメージを決めるため、南アフリカを訪れ、さまざまな音楽を聴いていたプロデューサーのフダコウスキは、ZOLAのクワイト・ミュージックを聴いた時に、映画をどの方向にもっていくか明確にイメージできたという。「ダークな物語だけど、エンターテイメント性があり、世界中の観客が取っ付きやすいものにするんだ。活気あふれるこのクワイトがあれば、映画はエネルギーとスピード感にあふれる。それがストーリーと対照的な一面を見せ、若い観客がツォツィに共感できるようになるんだ!」



■ジェリー・モフォケン(モリス)

炭鉱で働いていた時に足を事故で失い、怒りと痛みを抱いている。駅で物乞いをしているが、憐れみを示す相手には遠慮なく噛み付く。

味わいのあるバイプレイヤーとして、『輝きの大地』や『グッドマン・イン・アフリカ』など数多くの作品に出演している。ギャヴィン・フッド監督作品に出演するのは、1998年の短編映画"The Storekeeper"に続く2本目。2005年には、ニコラス・ケイジ主演のハリウッド作品『ロード・オブ・ウォー』に出演した。



■ギャヴィン・フッド(脚本・監督)

1963年5月12日、南アフリカ生まれ。南アフリカの大学を卒業し、一時俳優として活動。その後アメリカに渡り、UCLAで脚本と監督業について学ぶ。1993年、宗教儀式殺人(ritual murder)を題材にした脚本デビュー作 "A Reasonable Man"でダイアン・トーマス脚本賞を受賞。卒業後は南アフリカに戻る。脚本家/監督としての初仕事は教育テレビの仕事で、その活躍でアーテス・アワード(南アフリカのエミー賞)を受賞。1998年、22分の短編映画"The Storekeeper"でオーストラリアのメルボルン国際映画祭グランプリを初めとする13もの賞に輝く。その後、前述の"A Reasonable Man"で長編映画デビューを果たし、脚本、監督、共同製作、そして出演もし、2001年のオール・アフリカ・フィルム・アワードで主演男優賞、脚本家賞、監督賞を受賞。2000年のサンダンス映画祭ではバラエティ誌に"注目の監督10人"に選ばれた。2001年、ポーランドのノーベル賞受賞作家ヘンリー・シェンキウィッチ原作の、アフリカを舞台にした子供向けアドベンチャー小説"In Desert and Wilderness"の映画化を手がける。ポーランド語で撮らなければならないという制約があったのにもかかわらず、通訳まで雇って臨んだフッドは大成功を収め、この作品はポーランドで公開年一番の興行成績を記録し、2002年度シカゴ国際子供映画祭の最優秀賞を受賞した。次回作は、ジェイク・ギレンホールとリーズ・ウィザースプーン主演の政治スリラー"Rendition"。


■ピーター・フダコウスキ(プロデューサー)

ケンブリッジ大学で経済学の修士号を取得した後、INSEADでMBAを取得する。米国銀行の映画融資部で数多くのインディペンデント映画の融資をサポートした後、妻ヘンリエッタとプロダクション・カンパニー、プレミア・プロダクションズを設立。マギー・スミス、マイケル・ガンボン出演の"The Last September"、ITVの犯罪シリーズ"Trial by Fire"、"The Helen West"の製作総指揮としても活躍。2001年にUK フィルム & TV プロダクション・カンパニーを設立し、CEOとして、昆虫たちのミクロの世界を描いたIMAXドキュメンタリー映画"Bugs 3D!"を製作し、ヒットさせる。自社の"融資家の橋渡し屋"、また製作総指揮として、ローワン・アトキンソン、クリスティン・スコット・トーマス、マギー・スミス出演の"Keeping Mum"、ブレンダ・ブレシン、トム・ウィルキンソン、サム・ロックウェル出演の"Piccadilly Jim"の資金調達も手がけた。


■ポール・ラレイ(共同プロデューサー)

30年以上にわたり南アフリカの映画製作の場で活躍している。世界中に売れた"African Skies"をはじめ、何十本もの長編映画やTVシリーズを監修し、製作してきた。手掛けた作品には、トーマス・ジェーン主演の"Stander"、ギャヴィン・フッド監督の"The Storekeeper""A Reasonable Man"、クエンティン・タランティーノ製作総指揮の『フロム・ダスク・ティル・ドーン2』『フロム・ダスク・ティル・ドーン3』、そして"Borne Free"などがある。


■ロビー・リトル(製作総指揮)

妻のエレンと共に、数多くのアカデミー賞ノミネート作品で成功を収めてきた。『リチャード三世』『タイタス』『天井桟敷のみだらな人々』や『プロフェシー』シリーズなどの作品では製作総指揮をつとめる。若手監督の助成にも積極的で、ローランド・エメリッヒ(『ゴースト・チェイス』『Moon 44』)、タムラ・デイヴィス(『ガンクレイジー』)、ハル・ハートリー(『ニューヨーク・ラブストーリー』)、スコット・エリオット(『マップ・オブ・ザ・ワールド』)、ビル・コンドン(『ゴッド・アンド・モンスター』)などと仕事をしている。妻と共同設立したファースト・ルック・メディアでは、『フィオナの海』『エヴリン』『ベニスで恋して』『エルサレム』など300本以上に及ぶ映画の資金調達、プロデュース、配給に関わっている。


■アソル・フガード(原作)

1932年、南アフリカのミドルバーグ生まれ。白人系イギリス人とアフリカーナの両親を持ち、英語を母国語として育てられるが、自らのことは"英語で物書きするアフリカ人"と呼んでいる。

ケープタウン大学に進学し、アルベール・カミュに傾倒するが、卒業試験を控えた1953年に大学を中退し、水兵や新聞リポーターとして働く。俳優として多少の経験を積んだ後、南アフリカのアパルトヘイト下に生きる人々を題材にした戯曲を書き、自ら演じるようになる。1956年に小説家・詩人のシーラ・メイリングと結婚。ヨハネスブルグへと引っ越し、Native Commissioner's Courtで事務員として働く。ここでの経験は、彼にアパルトヘイトの不公平さを実感させるものとなった。 フガードの舞台は、南アフリカの美しさと国がかかえる問題を世界に広めたが、アパルトヘイトを批判することにより、南アフリカ政府との激しい対立を呼んだ。1961年、国際的に認められた「血の絆」がきっかけとなり、南アフリカ政府にパスポートを4年間没収される。舞台観客を人種によって分ける南アフリカの制度に対する国際的ボイコットを支援したことで、その拘束はさらに激化。しかし、1971年にはその拘束も少し和らぎ、イギリスに渡って"Boesman and Lena"を演出することを許された。 フガードはこれまでに20本以上の戯曲を書いており、いちばん最近の作品は、2006年に南アフリカのバクスター・シアターで上演された"Booitjie and the Oubass"。人間の権力構造から生まれる矛盾(アパルトヘイトを題材にすることが多い)をテーマに作品をつくるが、中心にあるのはあくまでも人間。強さと脆さゆえに社会に適合できない人間、そして、支配的な女性がしばしば登場する。「劇作家としての私の得意分野は、秘密に満ちた世界と、それが人間の行動に及ぼす影響、そしてそれが暴かれて生じるトラウマを描くことだ。これらは、私の舞台を動かす心臓だと言える」と語っている。

「ツォツィ」は、劇作家であるフガードの唯一の小説であり、「血の絆」に成功した1960年代初頭に書かれたが、"Boesman and Lena""Sizwe Banzi is Dead""Master Harold and the Boys"の舞台で世界的な成功を収めたあとの1980年まで出版されることがなかった。

●原作「ツォツィ」アソル・フガード著 金原瑞人、中田香訳
─ 最初の殺人から、最後の強烈なラストシーンまで、異様な緊張感にあふれた作品。(翻訳家:金原瑞人)
2007年春 青山出版社より刊行予定(予価1,500円)

訳者:金原瑞人
1954年、岡山県生まれ。翻訳家。法政大学社会学部教授。ヤングアダルト分野を中心に精力的な翻訳活動を行い、「ブラッカムの爆撃機」(岩波書店)、「アナンシの血脈」(角川書店)など訳書は260以上にのぼる。
オフィシャルサイト http://www.kanehara.jp

訳者:中田香
新潟県生まれ。訳書に「まぼろしのロンリヴィル」(求龍堂)、「Love Affairs 歴史に残る、世界の恋人たち」(代田亜香子と共訳/ポプラ社)がある。