『ムッソリーニとお茶を』/"TEA WITH MUSSOLINI"


2000年5月27日よりシャンテ・シネほかにて公開


1998年/1時間56分/ビスタビジョン/メデューサ・フィルム&ユニヴァーサル映画提供/UIP配給/7巻/DTS、SRD:SR/翻訳:戸田奈津子

◇監督:フランコ・ゼフィレッリ ◇製作:リカルド・トッツィ、ジョパネッラ・ザノーニ、クライブ・パーソンズ ◇製作総指揮:マルコ・チメンザ ◇脚本:ジョン・モーティマー、フランコ・ゼフィレッリ ◇撮影:デビッド・ワトキン ◇編集:タリク・アンウォー ◇衣装:カルロ・セントラビーニャ、ジョイア・フィオレッラ・マリーニ ◇音楽:オレッシオ・ブラド、ステファーノ・アルナルディ

◇キャスト:シェール(エルサ)、ジュディ・デンチ(アラベラ)、ジョーン・プローライト(メアリー)、マギー・スミス(ヘスター)、リリー・トムリン(ジョージー)、ベアード・ウォレス(ルカ(10代))、チャーリー・ルーカス(ルカ(子供))、マッシモ・ジニ(パオロ)、パオロ・セガンティ(ヴィットリオ)、ポール・チェッカー(ウィルフレッド/“ルーシー”)





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【解説】

◆5人の貴婦人達と独りぼっちの少年ルカ。
フィレンツェに秘められたそれぞれのドラマ。



1930年から40年代にかけて。イタリアのフィレンツェで、異邦人でありながら、自由奔放に生き、人生を謳歌した5人の女性たちと、一人の孤独な少年とのふれあいを描いた物語。『ロミオとジュリエット』『ハムレット』などのシェイクスピア映画で知られるイタリアの名匠フランコ・セフェッリ監督が、英米両国の大女優を贅沢に使い、心温まる愛の讃歌を歌い上げる。

大戦前夜の緊迫した空気をよそに、イギリスから来た女たちはあくまでもイギリス流を気取り、アメリカから来た女たちはどこまでもアメリカンであり続けた。かつ、彼女たちは、ルネサンスの香り豊かなフィレンツェを、イタリア人以上に愛していた。そんな個性的な女性たちが、母親を亡くし、父にも見捨てられた少年に、愛の尊さと芸術の素晴らしさを教えていく。トスカーナ地方の絵画のような風景の中で、頑固だけれどやさしい女性たちにはぐくまれ、やがて少年は、“イタリア生まれのイギリス紳士”に成長する。

『ムッソリーニとお茶を』というタイトルは、イギリス人女性たちがムッソリーニに会いに行き、お茶を共にするというエピソードからとっている。と同時に、イタリアにファシズムが台頭し、世界が大きな戦争に向かって走り出しているさなか、どこか飄々とした風情で、相変わらず“アフタヌーン・ティー”の習慣を守っている老婦人たちの、かわいい呑気さをも表している。まもなく、彼女たちの祖国であるアメリカ・イギリスは彼女たちが愛するこの美しい国、イタリアとの激しい戦いに突入していく…。

このコロニー(外国人居住区)のリーダー格、イギリス人のレディ・ヘスターを演じるのは『ミス・ブロディの青春』と『カリフォルニア・スイート』で2度、アカデミー賞を受賞したマギー・スミス。並々ならぬ気位の高さがかえって微笑ましいという役どころだ。行き場のない少年を引き取り、英語とシェイクスピア劇を教えるメアリーには、『魅せられて四月』でアカデミー賞候補に上ったジョーン・プローライト。少年に最も影響を与えた女性としての包容力を充分に感じさせてくれる。3人目のイギリス人、偉大なるイタリア芸術の信奉者アラベラは、『恋に落ちたシェイクスピア』でアカデミー賞助演女優賞を受賞したジュディ・デンチが演じる。前作でのエリザベス女王の風格や、『007』シリーズでのM役のクールさとはまるで違う、“翔んでるおばさん”ぶりが楽しい。また、アメリカ人考古学者ジョージー役は、『9時から5時まで』などのリリー・トムリンが演じている。そして、『月の輝く夜に』でアカデミー賞を受賞した歌手のシェールが、物語の展開に重要な役割を果たす大富豪のエルサ役で登場し、強烈な個性を放っている。

この5人に囲まれて育つのが、少年ルカだ。子役のルカは、イギリス人のチャーリー・ルーカス(10歳)。青年のルカは、ローマに住む17歳のアメリカ人、ベアード・ウォレスが、英伊バイリンガルを生かしてさわやかな演技を見せる。どちらもゼフィレッリ監督が発掘した新人だ。レディ・ヘスターの孫、ウィルフレッドに扮するポール・チェッカーと女性記者コニー役のテッサ・プリチャードも映画初出演。また、エルサの弁護士ヴィットリオ役は、イタリアの映画俳優で、最近は『世界中がアイ・ラブ・ユー』『L.A.コンフィデンシャル』などのアメリカ映画にも出演しているパオロ・セガンティが演じている。その他、ルカの父、服地商パオロ役のマッシモ・ジニとムッソリーニそっくりのクラウディオ・スパダロは、数多くのイタリア映画に出演しているベテラン俳優だ。

監督はフランコ・ゼフィレッリ。生まれ故郷フィレンツェに対するノスタルジーと、イタリア人らしい洒落っ気を盛り込みつつ、文芸調の気品ある作品に仕上げた。今回は『ジェイン・エア』で組んだスタッフの再起用が目立つ。製作は『ジェイン・エア』で製作総指揮を務めたリカルド・トッツィ。同作では共同製作に名を連ねたジョバネッラ・ザノーニ、そしてアメリカから『恋の選択』などのクライブ・パーソンズ。音楽も、『ジェイン・エア』のアレッシオ・ブラドと、同作で編曲を担当したステファーノ・アルナルディが手掛けた。脚本は、ゼフィレッリと、イギリス人のジョン・モーティマー(『ジョンとメリー』)が共同で執筆した。さらに、撮影は、『愛と哀しみの果て』でアカデミー賞を受賞した実力派デビッド・ワトキン。ワトキンはこれまでに、『ハムレット』と『ジェイン・エア』でもゼフィレッリと組んでいる。衣装は、イギリス映画界の第一人者、『眺めのいい部屋』でアカデミー賞を受賞したジェニー・ビーバンが担当した。イギリス人の19世紀風ドレスから、シェールの着こなす前衛的なドレスまで、多彩なデザインが登場する。そして、“花の都”と呼ばれるフィレンツェを始め、“美しい塔の都”サンジミニャーノ、フィレンツェ近郊の古都フィエーゾレ、それ自体が芸術ともいえるトスカーナ地方の美しいロケ地が、この作品を優雅に彩っている。



 


【プロダクションノート】

◆22のオスカー候補&受賞 豪華スタッフ&キャスト

この作品で特筆すべきは、何といっても、俳優とスタッフともに実力あるベテランが揃ったこと。全員の分をあわせると、アカデミー賞の受賞が6つ、ノミネートが16で、実に22件に上る。役者でいうと、マギー・スミスは、1969年の『ミス・ブロディの青春』で主演女優賞、1978年の『カリフォルニア・スイート』で助演女優賞を受賞した他、ノミネートは『眺めのいい部屋』(1985)など3回に及ぶ。また、ジュディ・デンチは、1997年の『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋』で主演女優賞候補に上り、翌年の『恋に落ちたシェイクスピア』で助演女優賞に輝いた。ジョーン・プローライトは、1982年の『魅せられて四月』で助演女優賞候補になった。一方、アメリカ勢も、シェールが1983年の『シルクウッド』で助演女優賞にノミネートされ、1987年に『月の輝く夜に』で主演女優賞を射止めているし、リリー・トムリンは『ナッシュビル』(1975)で助演女優賞候補に上った。スタッフは、ゼフィレッリ監督が、1968年に『ロミオとジュリエット』で監督賞候補となったのをはじめ、カメラのデビッド・ワトキンは『愛と哀しみの果て』(1985)で撮影賞受賞。衣装のジェニー・ビーバンは、『眺めのいい部屋』(1985)で衣装デザイン賞を受賞し、最近の『アンナと王様』(1999)をはじめ、『日の名残り』(1993)、『いつか晴れた日に』(1995)など6作品でノミネートされた。もう一人の衣装デザイナー、アンナ・アンニは、1987年にゼフィレッリが監督した『オテロ』で同賞の候補に上った。そして、サウンド・ミキサーのブライアン・シモンズも、1996年の『ブレイブハート』で音響賞にノミネートされている。


◆心に残るトスカーナ地方の風景

全編を彩る美しい風景のロケは、イタリア西部のトスカーナ地方を中心に行われた。この地で生まれ、“トスカーナの息子”と呼ばれるゼフィレッリ監督なればこそ、特別許可の下りたロケ地も少なくない。撮影は、ルネサンスが開花した“花の都”フィレンツェで始まった。ドゥオモ(大聖堂)やジョットの鐘楼、ベッキオ橋はもちろん、ミケランジェロのダビデ像(模作)など5つの像の並ぶシニョーリア広場、学校の前のノッベラ広場、多くの著名人が眠るイギリス人墓地、1445年に完成したヨーロッパ最古の捨て子保育院。フィレンツェ中央駅も印象的。ここはヒトラーがイタリアを訪問した際、ムッソリーニが出迎えた歴史の現場でもある。そして、今回は、世界に名高いウフィッツィ美術館内部での撮影が許可された。撮影が行われた3階の大廊下には、ローマ時代に模作されたギリシャ彫刻が並び、天井には見事なフレスコ画、壁にはメディチ家の肖像画が掛かっている。強制収容所のあるサンジミニャーノは、フィレンツェから南西55キロの丘の上にある14世紀の面影を残す町。“100の塔の町”と呼ばれているが、現在は14の塔を残す城壁に囲まれている。この町の サンタフィーナ礼拝堂には、ギルランダイオが描いたフレスコ画がある。また、フィレンツェ近郊のフィエーゾレでは、古代エトルリア時代の遺跡で、レディ・ヘスターらがピクニックをし、エルサとジョジーが再会するシーンの撮影に使われた。


◆ゼフィレッリ監督は語る

フランコ・ゼフィレッリ監督は、「フィレンツェは世界中でも最も重要な街の一つだ。文明と芸術の発祥地だから」と語る。この時代、実際に存在したイギリス人コミュニティについては、「フィレンツェの文化、芸術、風景の魅力のひとつだった。戦争が起きた時も、彼女たちはフィレンツェの一部だと思っていたから、自分たちが敵とは考えたくなかった。だからそのまま残ったんだ」と言う。ゼフィレッリは、当時のヨーロッパを呑み込んでいた戦争という狂気に抵抗しようとした、この驚くべき女性たちについて、いつか語らなければならないと思っていた。「彼女たちは単純明快に、大勢の間抜けたちが戦争を始めたからといって、どうしてイタリアとイギリスが友達であってはならないのか、理解できなかったに違いない」と言う。また、「この作品は私の他の作品よりユーモアがある。コメディには解放感と安堵感があるけど、この映画はそんな甘酸っぱさがうまく混じり合っている」と自己分析する。そして、今回のキャストは、「まるで奇跡だ」とのこと。


◆脚本家モーティマーとゼフィレッリ監督

この作品のプロジェクトが具体的に進展したのは、1990年代の半ば、作家でもあり脚本家でもあるイギリス人、ジョン・モーティマーが関わってからだ。モーティマーはゼフィレッリの古くからの友人であり、長年、イタリアのトスカーナに家を所有している。ゼフィレッリは、「私たちはかなり話し合い、それからモーティマーがイメージを膨らませていった。彼は1930年代のイタリアに特別な関心を寄せていた」と言う。モーティマーはさらに、主人公となるイギリス人女性たちについて書物や日記を読むなどして、独自の研究も進めた。事実、この映画の中心的エピソード、ムッソリーニとのお茶は、イギリスの知識人バイオレット・トレフシスの回想録から彼が抽出したものだ。真実かどうかは不明だが、彼女は自分がムッソリーニを説得してローマに招待させたと自慢している。その回想録には、彼女のハンドバッグが床に落ちた際、ムッソリーニは四つん這いになって拾ってくれたと書かれている。いずれにせよ、この作品がゼフィレッリとモーティマー、つまり親英派のイタリア人と親伊派のイギリス人の共同脚本であるところが興味深い。


◆それは、夏の別荘で始まった…

それは、1980年代後半のこと。ジョーン・プローライトが夫ローレンス・オリビエと共にゼフィレッリ監督の夏の別荘を訪れた時のことだった。やはりそこに来ていたマギー・スミスとジュディ・デンチと、「45歳以上の女優にはほとんど役がない」とボヤキ合っていた。それを聞いたゼフィレッリが、「今、練っている企画なら3人とも出演できるよ」と言い始めた。面白いことに、この3大女優、長年の間に、何らかの形でゼフィレッリと仕事をしている。1961年、ゼフィレッリがオールド・ビクで演出家としてデビューした作品、“ロミオとジュリエット”でジュリエットを演じていたのが、若き日のジュディ・デンチだった。プローライトも彼が演出する舞台“フィルメナ”に出演した経験がある。これは、70年代にロンドンのウエストエンドで2シリーズ上演のヒットとなった。また、マギー・スミスとプローライトは、30年前、ゼフィレッリ演出の“から騒ぎ”の舞台で、ベアトリス役をダブルキャストでこなした。しかも、この3人が一緒に仕事をするのはこれが初めてだ。プローライトは、「この素晴らしい企画に参加したいという気持ちでいっぱいで、この映画ならたとえ端役でも引き受けたでしょうね」と語っている。


 


【ストーリー】

1935年。イタリアのフィレンツェ。この町に住むイギリス人たちが、花を手に外国人墓地へ向う。元大使の未亡人レディ・ヘスター(マギー・スミス)をリーダーとする一団は、毎年一回、こうして、この地で生涯を終えた英国詩人エリザベス・バーレット・ブラウニングを讃える式典を行っていた。19世紀風のドレスを着て闊歩し、毎日、決まって町のカフェで午後のお茶会をするイギリス人たち。町の人々は、彼女たちを、イギリス人特有のシニカルさで人に噛みつくことから“サソリ族”と呼んでいた。

そこへ、服地商パオロ(マッシモ・ジニ)の秘書メアリー(ジョーン・プローライト)が、パオロが仕立屋の女に生ませた男の子ルカ(チャーリー・ルーカス)を連れてやってくる。幼いルカは母親の死を知らず、いつか母が戻ってくると信じて孤児院を脱走した。パオロはルカを実子として認知せず、イギリス人のメアリーに“英国紳士”に育ててくれと頼み込む。メアリーは困ったものの、ルカを見捨てられず、友人たちと協力して育てる決意をする。フレスコ画をこよなく愛する芸術家アラベラ(ジュディ・デンチ)は、ルカにイタリア芸術の崇高さを伝えた。メアリー自身は、正しい英語と、シェイクスピア劇の素晴らしさを教える。ルカに母親の死を告げる辛い役目も、メアリーが果たした。


同じ外国人でも、気取ったイギリス人と対照的なのがラフなアメリカ人たち。レズの考古学者ジョージー(リリー・トムリン)は、いつもズボンをはいて、遺跡発掘に余念がない。さらに元レビューの踊り子で、富豪との結婚を繰り返しているエルサ(シェール)が舞い戻ってくる。美貌の青年たちを従え、斬新なドレスで派手にふるまうエルサに、レディ・ヘスターは眉をひそめ、孫のウィルフレッド(ポール・チェッカー)を近づけないようにする。一方、エルサは、ルカの一件を知ると、彼の教育用の信託基金を提供する。やがて、フィレンツェで外国人に対する暴動が起きた。ムッソリーニ(クラウディオ・スパダロ)を紳士と信じているレディ・ヘスターたちは、イギリスから取材に来ている女性記者コニー(テッサ・プリチャード)の計らいで、ローマにいるムッソリーニに直談判に行く。ムッソリーニは彼女たちに身の安全を約束し、英国式のお茶でもてなす。この模様は、コニーの記事を通じて大々的に報道された。にも関わらず、彼女たちには暗雲がのしかかる。ウフィッツィ美術館で優雅に語らう自由は、兵士たちの力で奪い去られた。そして、時代を読んだパオロは、ルカに独語を学ばせるため、オーストリアに留学させると言い出した。こうして、彼女たちは、慈しんで育てたルカさえも奪いさられてしまう。

1936年、37年、38年…イタリア国内に軍靴の音が高鳴り、ムッソリーニは力を増していった。そして、1939年、イギリス、フランスがドイツとの戦争に突入。翌年の6月、ドイツ軍によるパリ占領を目前に、ムッソリーニはついに英仏両国に宣戦を布告する。イギリス人たちは、もはや完全にイタリアの敵になった。母国へ帰る者が相次ぐ中、レディ・ヘスターは、未だにムッソリーニとの約束を信じ、仲間たちとフィレンツェに居残っていた。成長したルカ(ベアード・ウォレス)がオーストリアから帰ってきた時、メアリーたちは、今まさに外国人の強制収容所に移送されるところだった。

行き先は、サンジミニャーノの町。廃屋同然の施設で、共同生活を強いられるイギリス人女性たち。レディ・ヘスターは、孫のウィルフレッドを兵役から守るため、女装をさせて連れてきていた。メアリーは追ってきたルカと、宵闇に紛れて久々に静かな語らいの時を持つ。そのころエルサは、ユダヤ人を国外へ逃すためにフィレンツェに戻っていた。実は、彼女自身もユダヤ人だったのだ。エルサが調達した偽造パスポートは、ルカが運んだ。イタリア人のルカは怪しまれにくい。そして、そんな危険な仕事も、ルカのエルサに対する幼い恋心を満足させた。だが、エルサは、財産管理を任せることになった弁護士ヴィットリオ(パオロ・セガンティ)と珍しく真面目な恋に落ちていた。それを知ったルカは、裏切られた思いに沈む。ある日、イギリス人たちは、汚い施設から町のホテルに移される。ムッソリーニの計らいだと大喜びのレディ・ヘスター。だが、メアリーだけは、それが、エルサが大金を使って手配してくれたのだと知っていた。

1941年、日本軍の真珠湾攻撃をきっかけに、アメリカが日独伊に宣戦し、アメリカ人のジョージーとエルサもこの施設にやってきた。レディ・ヘスターは、自分たちが助けられたことも知らず、相変わらずエルサを嫌っている。1943年になった。戦況はますます厳しさを増してくる。ウィルフレッドも女装を脱ぎ捨て、イギリス軍に志願していった。エルサは、ユダヤ人であることが発覚する前に、弁護士のヴィットリオとスイス経由でアメリカに逃げる約束になっていた。その頃、フィレンツェの美術学校にいたルカは、そのヴィットリオの密告で、何人ものユダヤ人が連行されていくのを目撃していた。エルサは騙されているのだ。エルサがあぶない。だが、エルサは、来るはずのない恋人をひたすら待ちわび、部屋を一歩も出ようとしなかった…。





 


【キャスト&スタッフ】

■シェール(エルサ)

1946年5月20日、米・カリフォルニア州エル・セントロ生まれ。チェロキー・インディアン、アルメニア、トルコ、フランスの血が入っている。10代でソニー・ボノに出会い、1964年に結婚してデュオ・グループ“ソニーとシェール”を結成。“アイ・ガット・ユー・ベイブ”は300万枚の大ヒットとなった。その後、ソニーと別れ、ソロ・シンガーとして活躍した。映画初出演は、1965年の『Wild on the Beach』。1981年にロバート・アルトマンのオフ・ブロードウェイの舞台で好評を博す。その映画版『Come Back to the Five & Dime,Jimmy Dean,Jimmy Dean』(1982)で女優としての才能を証明した。1983年には、『シルクウッド』でゴールデン・グローブ賞助演女優賞を受賞。続く『マスク』(1985)では、カンヌ国際映画祭主演女優賞を射止め、さらに1987年の『月の輝く夜に』でアカデミー賞主演女優賞に輝いた。『イーストウィックの魔女たち』『容疑者』(1987)、『恋する人魚たち』(1990)などの他、ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』(1992)と『プレタポルテ』(1994)にカメオ出演している。近年は、エクササイズのビデオ関連の事業でかなり成功を収めている。


■ジュディ・デンチ(アラベラ)

1934年12月9日、イギリスのヨーク生まれ。CSSD(セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ)で演技を学んだ後、オールド・ビク座の舞台でデビュー。1961年に本作の監督フランコ・ゼフィレッリが舞台演出家としてデビューした「ロミオとジュリエット」に主演し、高い評価を受けた。60年代半ばから映画に出始め、『Four in the Morning』(1966)では、初めて英・アカデミー賞(BAFTA)を手にする。以後、『眺めのいい部屋』(1986)などで合計4回、同賞を受賞した。1995年の『ゴールデンアイ』以降の007シリーズ3作の“M”役で人気を得る。1997年、『Queen Victoria/至上の恋』でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされるとともにゴールデン・グローブ賞を受賞。翌年の『恋に落ちたシェイクスピア』(1998)ではエリザベス女王の役を演じ、短い出番ながら圧倒的な存在感を示しアカデミー賞助演女優賞に輝いた。その他の主な作品は『ハンドフル・オブ・ダスト』(1988)、『ヘンリー五世』(1989)、『ハムレット』(1996)などがある。1988年には“デイム”の称号を贈られた。


■ジョーン・プローライト(メアリー)

1929年10月28日、イギリスのランカシャー地方ブリッグで生まれる。オールド・ビク座で古典劇を学ぶが、彼女を有名にしたのは現代劇だった。特にジョン・オズボーン作の“寄席芸人”は好評を博し、映画化(1960)もされた。この作品で共演したローレンス・オリビエと1961年に結婚し、話題をまいた(結婚生活は1989年にオリビエが亡くなるまで続いた)。これに先立ち、『白鯨』(1958)で若い女優の役を演じ映画デビューしている。70年代には夫オリビエの監督する『三人姉妹』で英・アカデミー賞を受賞した。80年代は『レボリューション/めぐり逢い』(1985)、『数に溺れて』(1988)などに出演している。90年代に入ると、『わが心のボルチモア』『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)などのアメリカ映画への出演が目立つ。そして『魅せられて四月』(1992)ではゴールデン・グローブ賞助演女優賞に輝いたのをはじめ、アカデミー賞候補にも上った。その他の出演作には、『わんぱくデニス』(1993)、『スカーレット・レター』『サバイビング・ピカソ』(1995)、『ジェイン・エア』『101』(1996)などがある。


■ベアード・ウォレス(ルカ)

現在17歳で、ローマのセント・ジョーンズ・インターナショナル・スクールに通っている。米・ワシントン州シアトル近郊のメーサー・アイランドで育ち、10歳の時、外交官の父の仕事で、ローマに移り住む。母はもとダンサーで、モデルをしていたこともある。今回、ゼフィレッリ監督が「英語とイタリア語を自由に話せる10代半ばの若者」を求め、世界中を探し回った結果、発掘した新人だ。これまでに演技の経験はなく、10年前からチェロを学び、学内のオーケストラで第一チェロを務めている。


■リリー・トムリン(ジョージー)

1939年8月1日、米・ミシガン州デトロイト生まれ。ミシガン州立ウェイン大学の医学部に進学したが、選択科目で取った演劇に魅入られ、コーヒーハウスなどでのパフォーマンスに明け暮れる。1965年にはニューヨークに移り、コメディエンヌとしてテレビ・ショーでのキャリアを始めた。1969年からは再び西海岸に戻り、高視聴率のコメディ番組“Laugh in”の電話交換手役で、一躍人気を取る。1975年、映画デビュー作の『ナッシュビル』でアカデミー賞助演女優賞候補に上る。その後、『9時から5時まで』(1980)、『ビッグ・ビジネス』(1988)、『ウディ・アレンの影と霧』(1991)、『ザ・プレイヤー』(1992)、『ビバリー・ヒルビリーズ/じゃじゃ馬億万長者』(1993)、『ショート・カッツ』(1994)などに出演している。


■マギー・スミス(レディ・ヘスター)

1934年12月28日、イギリスのイルフォード生まれ。オックスフォード・プレイハウスで演技を学んだ。1952年にロンドンで初舞台を踏み、ブロードウェイにも進出した後、オールド・ビク座に加わり、本格的な舞台女優として活躍する。映画ファンに知られるようになったのは、ローレンス・オリビエと共演した『オセロ』(1966)あたりからで、この作品でアカデミー賞助演女優賞に初ノミネートを飾った。続く『ミス・ブロディの青春』(1969)では見事にアカデミー賞主演女優賞を受賞。1972年の『Traveis with My Aunt』でも同賞候補に上る。その6年後には、『カリフォルニア・スイート』(1978)で2度目のオスカー(助演女優賞)を手にし、女優としての地位を不動のもとした。さらに『眺めのいい部屋』(1985)でのノミネートを入れると、受賞歴2回、ノミネート歴3回という輝かしい実績を誇る。近年は『フック』(1991)で年老いたウェンディを演じ、ヒット作『天使にラブソングを…』シリーズ(1992・1994)では厳格な修道院長役で印象を残している。その他の主な出演作は、『予期せぬ出来事』(1963)、『名探偵登場』(1976)、『地中海殺人事件』(1982)、『リチャード三世』(1995)など。1989年には“デイム”の称号を授かっている。


■フランコ・ゼフィレッリ(監督・脚本)

映画や舞台で活躍するイタリアを代表する巨匠監督として知られるゼフィレッリ。

1923年2月23日、イタリアのフィレンツェに生まれる。この街の美術院とフィレンツェ大学建築学部で学んだ後、ローマで俳優になる。ルキノ・ヴィスコンティの劇団で助手を務め、やがて、舞台装置や衣装の分野で注目を集める存在になる。その後、『夏の嵐』(1954)などヴィスコンティ映画でも助手を務めている。1950年の“ルル”で舞台演出家としてデビューし、3年後には“シンデレラ”でオペラの演出にも進出。以後、現在に至るまで、ロンドン、ミラノ、ニューヨークなどの世界に名だたる劇場でオペラを演出している。1967年、『じゃじゃ馬馴らし』で映画監督として本格的なスタートを切る。続く『ロミオとジュリエット』(1968)は、舞台で手掛けたものを映画化した作品だったが、斬新な演出でシェイクスピア劇を現代に甦らせたと高い評価を得、世界的なヒットとなった。この作品はアカデミー賞作品賞にノミネートされた。その後も、『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1973)、『チャンプ』(1979)、『エンドレス・ラブ』(1981)、『トラヴィアータ―1985・椿姫―』(1982)、『オテロ』(1987)、『トスカニーニ〜愛と情熱の日々〜』(1988)と続く。90年代にはメル・ギブソン主演で『ハムレット』(1990)を撮り、『ジェイン・エア』(1996)では主人公の少女時代にアンナ・パキンを起用して話題になった。子役や若者の使い方には定評があり、いずれの作品にも独特の気品が感じられる。



■デビッド・ワトキン(撮影)

1925年3月23日、イギリス生まれ。1955年にドキュメンタリー映画のカメラマンを務め、60年代半ばから劇場用の映画に進出する。リチャード・レスター監督とコンビを組み、『ナック』『HRLP!四人はアイドル』(1965)、『ジョン・レノンの僕の戦争』(1967)、『三銃士』(1973)、『ロビンとマリアン』(1976)、『さらばキューバ』(1979)といった作品で撮影を担当した。1985年には、『愛と哀しみの果て』(1985)でアフリカの美しい大地をカメラに収め、見事アカデミー賞撮影賞を受賞した。その他、『炎のランナー』(1981)、『愛のイエントル』(1983)、『ホテル・ニュー・ハンプシャー』(1984)、『月の輝く夜に』(1987)、『迷子の大人たち』(1992)、『ボーイズ・ライフ』(1993)などを手掛けている。またゼフィレッリ監督とは、『エンドレス・ラブ』(1981)、『ハムレット』(1990)、『ジェイン・エア』(1996)などで組んでいる他、ゼフィレッリ監督のTVムービー「ナザレのイエス」でも美しい映像を生み出している。


■ジェニー・ビーバン(衣装)

1950年、イギリスのロンドン生まれ。ロンドン・セントラル・スクールでデザインを学んだ彼女は、1979年に『マハラジャ〜優雅なる苦悩〜』で衣装を担当し映画界に入る。1985年の『眺めのいい部屋』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞している。 また彼女は、その他に『ボストニアン』(1984)、『モーリス』(1987)、『ハワーズ・エンド』(1992)、『日の名残り』(1993)、『いつか晴れた日に』(1995)、そして最近の『アンナと王様』(1999)の作品で6度のアカデミー賞にノミネートされている。


 





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