【キャスト&スタッフ】
■シェール(エルサ)
1946年5月20日、米・カリフォルニア州エル・セントロ生まれ。チェロキー・インディアン、アルメニア、トルコ、フランスの血が入っている。10代でソニー・ボノに出会い、1964年に結婚してデュオ・グループ“ソニーとシェール”を結成。“アイ・ガット・ユー・ベイブ”は300万枚の大ヒットとなった。その後、ソニーと別れ、ソロ・シンガーとして活躍した。映画初出演は、1965年の『Wild on the Beach』。1981年にロバート・アルトマンのオフ・ブロードウェイの舞台で好評を博す。その映画版『Come Back to the Five & Dime,Jimmy Dean,Jimmy Dean』(1982)で女優としての才能を証明した。1983年には、『シルクウッド』でゴールデン・グローブ賞助演女優賞を受賞。続く『マスク』(1985)では、カンヌ国際映画祭主演女優賞を射止め、さらに1987年の『月の輝く夜に』でアカデミー賞主演女優賞に輝いた。『イーストウィックの魔女たち』『容疑者』(1987)、『恋する人魚たち』(1990)などの他、ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』(1992)と『プレタポルテ』(1994)にカメオ出演している。近年は、エクササイズのビデオ関連の事業でかなり成功を収めている。
■ジュディ・デンチ(アラベラ)
1934年12月9日、イギリスのヨーク生まれ。CSSD(セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ)で演技を学んだ後、オールド・ビク座の舞台でデビュー。1961年に本作の監督フランコ・ゼフィレッリが舞台演出家としてデビューした「ロミオとジュリエット」に主演し、高い評価を受けた。60年代半ばから映画に出始め、『Four in the Morning』(1966)では、初めて英・アカデミー賞(BAFTA)を手にする。以後、『眺めのいい部屋』(1986)などで合計4回、同賞を受賞した。1995年の『ゴールデンアイ』以降の007シリーズ3作の“M”役で人気を得る。1997年、『Queen Victoria/至上の恋』でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされるとともにゴールデン・グローブ賞を受賞。翌年の『恋に落ちたシェイクスピア』(1998)ではエリザベス女王の役を演じ、短い出番ながら圧倒的な存在感を示しアカデミー賞助演女優賞に輝いた。その他の主な作品は『ハンドフル・オブ・ダスト』(1988)、『ヘンリー五世』(1989)、『ハムレット』(1996)などがある。1988年には“デイム”の称号を贈られた。
■ジョーン・プローライト(メアリー)
1929年10月28日、イギリスのランカシャー地方ブリッグで生まれる。オールド・ビク座で古典劇を学ぶが、彼女を有名にしたのは現代劇だった。特にジョン・オズボーン作の“寄席芸人”は好評を博し、映画化(1960)もされた。この作品で共演したローレンス・オリビエと1961年に結婚し、話題をまいた(結婚生活は1989年にオリビエが亡くなるまで続いた)。これに先立ち、『白鯨』(1958)で若い女優の役を演じ映画デビューしている。70年代には夫オリビエの監督する『三人姉妹』で英・アカデミー賞を受賞した。80年代は『レボリューション/めぐり逢い』(1985)、『数に溺れて』(1988)などに出演している。90年代に入ると、『わが心のボルチモア』『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)などのアメリカ映画への出演が目立つ。そして『魅せられて四月』(1992)ではゴールデン・グローブ賞助演女優賞に輝いたのをはじめ、アカデミー賞候補にも上った。その他の出演作には、『わんぱくデニス』(1993)、『スカーレット・レター』『サバイビング・ピカソ』(1995)、『ジェイン・エア』『101』(1996)などがある。
■ベアード・ウォレス(ルカ)
現在17歳で、ローマのセント・ジョーンズ・インターナショナル・スクールに通っている。米・ワシントン州シアトル近郊のメーサー・アイランドで育ち、10歳の時、外交官の父の仕事で、ローマに移り住む。母はもとダンサーで、モデルをしていたこともある。今回、ゼフィレッリ監督が「英語とイタリア語を自由に話せる10代半ばの若者」を求め、世界中を探し回った結果、発掘した新人だ。これまでに演技の経験はなく、10年前からチェロを学び、学内のオーケストラで第一チェロを務めている。
■リリー・トムリン(ジョージー)
1939年8月1日、米・ミシガン州デトロイト生まれ。ミシガン州立ウェイン大学の医学部に進学したが、選択科目で取った演劇に魅入られ、コーヒーハウスなどでのパフォーマンスに明け暮れる。1965年にはニューヨークに移り、コメディエンヌとしてテレビ・ショーでのキャリアを始めた。1969年からは再び西海岸に戻り、高視聴率のコメディ番組“Laugh in”の電話交換手役で、一躍人気を取る。1975年、映画デビュー作の『ナッシュビル』でアカデミー賞助演女優賞候補に上る。その後、『9時から5時まで』(1980)、『ビッグ・ビジネス』(1988)、『ウディ・アレンの影と霧』(1991)、『ザ・プレイヤー』(1992)、『ビバリー・ヒルビリーズ/じゃじゃ馬億万長者』(1993)、『ショート・カッツ』(1994)などに出演している。
■マギー・スミス(レディ・ヘスター)
1934年12月28日、イギリスのイルフォード生まれ。オックスフォード・プレイハウスで演技を学んだ。1952年にロンドンで初舞台を踏み、ブロードウェイにも進出した後、オールド・ビク座に加わり、本格的な舞台女優として活躍する。映画ファンに知られるようになったのは、ローレンス・オリビエと共演した『オセロ』(1966)あたりからで、この作品でアカデミー賞助演女優賞に初ノミネートを飾った。続く『ミス・ブロディの青春』(1969)では見事にアカデミー賞主演女優賞を受賞。1972年の『Traveis with My Aunt』でも同賞候補に上る。その6年後には、『カリフォルニア・スイート』(1978)で2度目のオスカー(助演女優賞)を手にし、女優としての地位を不動のもとした。さらに『眺めのいい部屋』(1985)でのノミネートを入れると、受賞歴2回、ノミネート歴3回という輝かしい実績を誇る。近年は『フック』(1991)で年老いたウェンディを演じ、ヒット作『天使にラブソングを…』シリーズ(1992・1994)では厳格な修道院長役で印象を残している。その他の主な出演作は、『予期せぬ出来事』(1963)、『名探偵登場』(1976)、『地中海殺人事件』(1982)、『リチャード三世』(1995)など。1989年には“デイム”の称号を授かっている。
■フランコ・ゼフィレッリ(監督・脚本)
映画や舞台で活躍するイタリアを代表する巨匠監督として知られるゼフィレッリ。
1923年2月23日、イタリアのフィレンツェに生まれる。この街の美術院とフィレンツェ大学建築学部で学んだ後、ローマで俳優になる。ルキノ・ヴィスコンティの劇団で助手を務め、やがて、舞台装置や衣装の分野で注目を集める存在になる。その後、『夏の嵐』(1954)などヴィスコンティ映画でも助手を務めている。1950年の“ルル”で舞台演出家としてデビューし、3年後には“シンデレラ”でオペラの演出にも進出。以後、現在に至るまで、ロンドン、ミラノ、ニューヨークなどの世界に名だたる劇場でオペラを演出している。1967年、『じゃじゃ馬馴らし』で映画監督として本格的なスタートを切る。続く『ロミオとジュリエット』(1968)は、舞台で手掛けたものを映画化した作品だったが、斬新な演出でシェイクスピア劇を現代に甦らせたと高い評価を得、世界的なヒットとなった。この作品はアカデミー賞作品賞にノミネートされた。その後も、『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1973)、『チャンプ』(1979)、『エンドレス・ラブ』(1981)、『トラヴィアータ―1985・椿姫―』(1982)、『オテロ』(1987)、『トスカニーニ〜愛と情熱の日々〜』(1988)と続く。90年代にはメル・ギブソン主演で『ハムレット』(1990)を撮り、『ジェイン・エア』(1996)では主人公の少女時代にアンナ・パキンを起用して話題になった。子役や若者の使い方には定評があり、いずれの作品にも独特の気品が感じられる。
■デビッド・ワトキン(撮影)
1925年3月23日、イギリス生まれ。1955年にドキュメンタリー映画のカメラマンを務め、60年代半ばから劇場用の映画に進出する。リチャード・レスター監督とコンビを組み、『ナック』『HRLP!四人はアイドル』(1965)、『ジョン・レノンの僕の戦争』(1967)、『三銃士』(1973)、『ロビンとマリアン』(1976)、『さらばキューバ』(1979)といった作品で撮影を担当した。1985年には、『愛と哀しみの果て』(1985)でアフリカの美しい大地をカメラに収め、見事アカデミー賞撮影賞を受賞した。その他、『炎のランナー』(1981)、『愛のイエントル』(1983)、『ホテル・ニュー・ハンプシャー』(1984)、『月の輝く夜に』(1987)、『迷子の大人たち』(1992)、『ボーイズ・ライフ』(1993)などを手掛けている。またゼフィレッリ監督とは、『エンドレス・ラブ』(1981)、『ハムレット』(1990)、『ジェイン・エア』(1996)などで組んでいる他、ゼフィレッリ監督のTVムービー「ナザレのイエス」でも美しい映像を生み出している。
■ジェニー・ビーバン(衣装)
1950年、イギリスのロンドン生まれ。ロンドン・セントラル・スクールでデザインを学んだ彼女は、1979年に『マハラジャ〜優雅なる苦悩〜』で衣装を担当し映画界に入る。1985年の『眺めのいい部屋』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞している。
また彼女は、その他に『ボストニアン』(1984)、『モーリス』(1987)、『ハワーズ・エンド』(1992)、『日の名残り』(1993)、『いつか晴れた日に』(1995)、そして最近の『アンナと王様』(1999)の作品で6度のアカデミー賞にノミネートされている。
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