『ロッキー・ザ・ファイナル』/"ROCKY THE FINAL"




2007年4月20日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国にて公開

2006年/アメリカ/上映時間 :1時間43分/ビスタサイズ/SR・SRD/DTS/日本版字幕:林 完治/オリジナル・サウンドトラック&「ロッキー/30周年記念エディション」:東芝EMI/ノベライズ:メディアファクトリー刊/配給:20世紀フォックス映画

◇監督・脚本:シルベスター・スタローン ◇製作:チャールズ・ウィンクラー/ウィリアム・チャートフ ◇製作総指揮:アーウィン・ウィンクラー、ロバート・チャートフ ◇撮影:クラーク・マシス ◇美術:フランコ=ジャコモ・カルボーネ ◇編集:ショーン・アルバートソン ◇衣裳:グレッチェン・パッチ ◇音楽:ビル・コンティ

◇キャスト:シルベスター・スタローン、バート・ヤング、アントニオ・ターヴァー、ジェラルディン・ヒューズ、マイロ・ヴィンティミリア、トニー・バートン、ジェームズ・フランシス・ケリー三世



| 解説 | プロダクションノート | ストーリー | キャスト&スタッフ |
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【解説】

NEVER GIVE UP
自分をあきらめない


1976年、ひとりの無名の俳優が執筆したシナリオに基づく
低予算映画が世界中で大ヒット!
アカデミー賞・作品賞、監督賞、編集賞の3部門を受賞し、
今なおハリウッドのアメリカンドリームとして語り継がれる
『ロッキー』が帰ってきた!!


◆不朽の名作『ロッキー』のスピリットが
今、鮮やかにスクリーンに甦る!


数々の伝説を生み出してきたハリウッドの歴史において、30年の時を経た今もまったく色褪せずに語り継がれるサクセス・ストーリーがある。『タクシードライバー』『ネットワーク』『大統領の陰謀』といった強力なライバル作を退け、見事に1976年のアカデミー作品賞に輝いたその映画は、当時無名の俳優が書き上げた脚本を、彼自身の主演で映像化した低予算作品だった。すべての観客の心を熱く揺さぶり、世界中で大ヒットを記録したこの歴史的な名作『ロッキー』は、脚本・主演のシルベスター・スタローンを一躍スターダムへと押し上げ、映画界におけるアメリカンドリームの代名詞となった。

やがて『ロッキー』は、1990年までに全5作のシリーズへと発展。そして第1作から記念すべき30周年にあたる昨年の12月、スタローンが自らの分身ともいうべき主人公ロッキー・バルボアを愛する人々に格別の思いを込めて贈る『ロッキー・ザ・ファイナル』が全米公開され、大反響を巻き起こした。伝説的なシリーズの真の最終章を飾る入魂の一作が、いよいよ日本のファンのもとに届けられる。

無敵のチャンピオン、アポロとの30年前の死闘を皮切りに、リングで情熱を燃やし続けたロッキーも今は引退し、フィラデルフィアで小さなイタリアン・レストランを経営している。愛妻エイドリアンはガンで他界し、息子のロバートも家を出て行った。エイドリアンとの思い出だけにすがって生きるロッキーは、心の空洞を埋めるようにして、再びプロ・ボクサーのライセンスを取得する。そんなある日、スポーツTV局が、向かうところ敵なしの現役ヘビー級王者ディクソンと往年のロッキーの強さを比較するシュミレーション番組を放送し、両者の対戦企画が持ち上がる。ロッキーはある決意を胸に秘め、数万人の大観衆が熱狂するラスベガスのリングに上がるのだった……。

『ロッキー』が幅広い層のファンに愛され続けるのは、この作品が単なるスポーツ映画に留まらない奥深い魅力を備えているからだ。うだつの上がらない日々を過ごしていた場末のボクサーが一念発起し、無謀とも思える夢への挑戦を試みる。何度も挫折しかけようとも、そのたびにロッキーは這い上がり、不屈の闘志を奮い起こす。そんな彼の生き様に触れた多くのファンは、“人生の教科書”として『ロッキー』に特別な愛着を抱いているのだ。


最新作『ロッキー・ザ・ファイナル』で特筆すべきは、監督・脚本・主演を兼任したスタローンがシリーズの原点である第1作に立ち返り、この名作が宿していたスピリットをスクリーンに甦らせたことだ。たとえば、映画の冒頭でエイドリアンの墓参りをしたロッキーが、地元フィラデルフィアの街をさまよい、在りし日の妻との思い出のペットショップやスケート場の跡地を訪ねるシークエンス。ロッキーがフィラデルフィア美術館の大階段を駆け上がる不滅の名シーンが再現されているのも嬉しい贈りものだ。『ロッキー』のファンならば、これら第1作へのオマージュ的な愛情のこもったひとつひとつの描写に胸を締めつけられずにはいられないだろう。また、エイドリアンを亡くしたことで30年前と同じく孤独な境遇に逆戻りしたロッキーのもとに、ロバートや義兄のポーリーが集い、彼のカムバックを後押ししていくストーリー展開にも胸が躍る。『ロッキー』にチラリと登場していた不良少女のマリーが今はシングルマザーとなり、ロッキーとの旧交を温めるエピソードも涙ものである。

そして、ロッキーが最後の闘いを繰り広げるクライマックスは、手に汗握るスリルと興奮を呼び起こすとともに、勝ち負けを超越した奇跡的な感動を観る者に提供する。今回のロッキーは、相手の挑発や復讐などの理由でリングに復帰するわけではない。胸の奥底で燻っていた情熱を燃やし、あくまで自らの夢を追い求めて闘いに身を投じていく。そんなロッキーの熱きロマンと清々しいまでの闘魂が、シリーズ最高の盛り上がりを見せるファイト・シーンの中にしっかりと息づいているのだ。「このシリーズをずっと応援し、愛してくれた人々は、ロッキーの人生の最終章にきっと満足してくれると思う」とスタローンが語る通り、映画史上の伝説のヒーローにふさわしい劇的なフィナーレがここに実現した。

エイドリアンの兄で、ロッキーの生涯の親友でもあるポーリー役のバート・ヤングは、今回も哀感たっぷりの凄みある存在感で名脇役ぶりを披露。TV界を中心に活躍する若手俳優マイロ・ヴィンティミリアはロッキー・ジュニアことロバートに扮し、父子の葛藤と和解のドラマを好演している。ロッキーの最後の対戦相手となるディクソンをカリスマ性豊かに演じたのは、撮影当時、世界ライトヘビー級王者だったアントニオ・ターヴァー。また本作では、あの元WBA世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンが本人役で出演を果たしている。彼の参加にあたっては、なんと熱狂的なロッキー・ファンであるタイソン自らスタローンと交渉し、この偉大なシリーズへの”参戦“が決定した。今回見逃せないサプライズの1つだ。

製作総指揮を務めたのは、スタローンとともに『ロッキー』シリーズを世に送り出してきた名プロデューサー・コンビ、アーウィン・ウィンクラーとロバート・チャートフ。スタローン率いる撮影チームは、通常のハリウッド映画と一線を画すリアリティあふれる映像を求め、『ロッキー』誕生の地であるフィラデルフィア・ロケを実施した。また、切ない哀調を帯びたメロディで映画に情感を吹き込むのは、このシリーズに欠かせない名作曲家ビル・コンティ。彼の手になる有名なテーマ曲が、ロッキーの最後の晴れ舞台を雄々しく盛り立てている。



 


【プロダクションノート】

◆未完のシリーズを最高の形で締め括ろうとしたスタローンの思い

「何年もの月日を経て、『ロッキー』が多くの人々に愛されているのを感じると、誇らしくも畏れ多い気持ちになる」と語るシルべスター・スタローン。俳優人生で最大の当たり役となったロッキーを通して、夢への挑戦、人生のセカンド・チャンスといったテーマを一貫して描いてきた彼が『ロッキー・ザ・ファイナル』で成し遂げようとしたのは、この30年越しのシリーズにふさわしいフィナーレを作り上げることだった。製作のウィリアム・チャートフが語る。「『ロッキー』がシルべスターの手を離れたことは一度もない。しかし、彼にとっても、世界中の多くのファンにとっても、このシリーズはまだ完結していなかったんだ。まさに最後の続編となる『ロッキー・ザ・ファイナル』は、多くの意味でオリジナル(第1作)に最も近い作品なんだよ」。

「彼は最初にいたところに戻っている。独りぼっちなんだ。ただし、昔ほどケンカっぱやくはない。彼は年をとって以前よりも多くのことを知り、それを伝えようとするんだ」。今回のロッキーの境遇をスタローンが説明する。物語の出発点は長年連れ添ったエイドリアンの死だ。「もしも一番大切にしていたものを奪われ、足元が不安定になったら、誰だって”これからどうやって生きていこう“と迷うだろう?」 そんなロッキーの心中を深く理解しているのは、ポーリー役のバート・ヤングだ。「ロッキーは心にひどい痛みと激しい怒りを抱えていて、そこからどうやって抜け出せばいいのかわからないんだ。それがこの映画のテーマなんだよ。キャラクター全員が空っぽの部屋で立ちすくんでいて、それを何とかして満たそうとする様を描いている」。

また、エイドリアンとの愛の結晶である息子ロバートとのドラマも、本作の見どころのひとつだ。「ロバートは成功した父の影で問題を抱え、あらゆることにおいて父と反対のやり方を選ぶんだ」。そんな息子との関係を通して、ロッキーが訴えようとしたことは何なのか。スタローンの答えは次の通りだ。「ロッキーは息子に、人生は晴れの日ばかりではないことを知ってほしいと願っている。人生は険しく厳しい場所で、自分で立ち上がらなければ打ちのめされてしまう。肝心なのは、どれだけ強いパンチが打てるかではなく、どれだけパンチを受けられるかということだ。それこそがロッキーが大事にしてきたことなんだ」。




◆ロッキーに対する大観衆の本物の熱狂が刻まれたファイト・シーン

スタローンは撮影前に過酷な集中トレーニングを積み、最高に引き締まった体型を作り上げた。しかし、撮影が進むほど、監督と俳優の仕事にトレーニングの時間を奪われ、その体型は失われていく。それを考慮し、クライマックスのファイト・シーンは最初に撮影することが決まった。かくしてスタッフはボクシング会場を探したが、手頃な会場はスケジュールが埋まっており、映画撮影に対応することができなかった。そんなある日、スタローンはHBOがペイ・パー・ビュー用の試合の撮影をラスベガスで計画していることを知り、エキストラとしてはとても雇えないほどの数の観衆を利用させてもらうことを思いつく。その試合は当初の撮影開始日より2週間早く組まれていたが、インディペンデント映画の精神を持つスタローンは自分たちのスケジュールを繰り上げることで問題を解決した。

撮影スタッフにとって最もスリリングな瞬間は、6台のカメラが見守るなか、ロッキー=スタローンが満員のアリーナに入場し、通路からリングに上がるシーンだった。彼が両手をあげたとき、1万4000人の本物のボクシング・ファンが熱狂し、「ロッキー!」と叫んだのだ。

また、リアリズムを重んじるため、ファイト・シーンの撮影にはHDカメラが導入された。製作のデイヴィッド・ウィンクラーは、「このファイト・シーンは激しく、獰猛なまでに強烈だ。ロッキーとディクソンが打ち合う姿には、ハリウッドの作り物っぽさがまったく感じられないはずだ」と仕上がりに自信を見せている。



◆シリーズの原点の街、フィラデルフィアでの感慨深い撮影

ラスベガスとロサンゼルスでの撮影を終えたクルーは、ロッキーのホームグラウンドであるフィラデルフィアに移動した。第1作に登場したペットショップや教会といった記念すべき場所の大半は、幸いなことに今も存在していた。フィラデルフィアの市民は当然のようにロッキーの帰還を歓迎し、撮影隊は行く先々で熱狂的な人だかりに囲まれた。スタローンがその時の状況を振り返る。「特別な経験だったね。彼らは僕の名前を叫ぶのではなく、いつも”ロッキー!“と声をかけてくるんだよ」。

フィラデルフィア各地で共同墓地、オフィスビル、市庁舎などをカメラに収めたクルーは、シリーズを通して最もファンに親しまれているシーンを撮影した。ロッキーがフィラデルフィア美術館の大階段を駆け上がっていく場面である。撮影当日、当初はわずかしか雪が舞っていなかったが、突如として空が曇り、撮影隊は大急ぎでカメラを回した。

「階段を上がるシーンの最後の撮影は、大雪の中で行われたんだ。それは僕にとって、とても心を揺さぶられる時間だった」。撮影時のエピソードを語るスタローンの思いは、30年越しのシリーズ全体への感慨となって溢れ出す。

「この30年に渡る旅で、僕が人生で経験してきたすべてのこと、僕が成し遂げるであろう真に価値のあるあらゆることが、もうすぐ終わるような感じだった。そして僕は、この街で日が沈んでいくのを眺めながら、こう思ったんだ。”少なくともお前はそれをやり遂げ、ここにたどり着いた。雪のフィラデルフィアの階段の上で終わらせたんだ。完璧だ。神様、ありがとう!“とね」。





「挑戦しようとする人間を止める権利が誰にあるんだ!」

◆『ロッキー』について

借金取りのヤクザな仕事で生計を立てているフィラデルフィアの4回戦ボクサー、ロッキー・バルボア。ひょんなことから舞い込んできた世界ヘビー級王者アポロ・クリードとのタイトルマッチに発憤した彼は、恋人エイドリアンに最終ラウンドまでリングに立ち続けることを誓い、一世一代の大勝負に臨んでいく……。

製作費わずか100万ドルの低予算映画であるにもかかわらず、世界中で大ヒットした『ロッキー』は、アカデミー賞では作品賞、監督賞、編集賞を受賞。当時は無名の売れない俳優だったシルベスター・スタローンにとって起死回生の1作となった。

モハメド・アリ対チャック・ウェプナーの試合に感動して脚本の執筆に取り組んだスタローンは、わずか3日間でそれを書き上げ、映画化の売り込みを開始。当初、スタジオ側はバート・レイノルズやライアン・オニールのようなネームバリューのあるスターを起用しようとしたが、スタローンは自分が主演することを譲らなかった。撮影中は予算の問題で俳優用のトレーラーすら用意されなかったというが、ジョン・G・アビルドセン監督の丹念な演出、俳優陣の心のこもったアンサンブル、ビル・コンティの名曲などが見事に融合。スタローンが「あれは奇跡だった」と振り返る伝説の傑作が生み出された。



◆スパイダー

『ロッキー・ザ・ファイナル』(以下『ファイナル』)で、ロッキーのイタリア料理店に出入りしている風変わりな人物。実はこの男は、『ロッキー』の冒頭シーンでロッキーがKO勝ちを収めた対戦相手である。元ボクサーのペドロ・ラヴェルが、『ロッキー』に続き、今回もスパイダーを演じている。


◆亀

『ファイナル』のロッキーは亀をペットにしているが、『ロッキー』でも彼はカフ、リンクと名付けた2匹の亀を飼っていた。殺風景な部屋に暮らすロッキーのよき話し相手だったが、もちろん返事はくれない。ちなみにカフとリンクは、エイドリアンが働いていたペットショップで買ったものである。


◆ペットショップ

ロッキーとエイドリアンが心を通わせた思い出の店。『ロッキー』には、彼がエイドリアンを口説くため、ヒマを見つけてはこの店に立ち寄るエピソードが盛り込まれている。おしゃべり好きのロッキーが“笑えないジョーク”を連発し、店主の女性に煙たがられる様がユーモラスだ。


◆スケート場

ロッキーとエイドリアンが初めてデートした記念すべき場所。すでに営業時間が過ぎていたが、ロッキーはその場にいた男と交渉し、10分10ドルでリンクを借り切った。『ロッキー』屈指のロマンチックなシーンである。実はエキストラを雇う資金がなかったため設定を変更し、空っぽのリンクで撮影したという裏話も。


◆マリー

『ファイナル』に中年のシングルマザーとして登場するマリーというキャラクターは、『ロッキー』でスラム街にたむろしていた12歳の少女である。お節介なロッキーは自分自身もチンピラだというのに、マリーにタバコや不良との付き合いを止めるよう説教する。そんなロッキーに対するマリーの返事は「このバカ野郎!」であった。


◆フィラデルフィア美術館

この美術館の前の大階段をロッキーが駆け上がるシーンは、『ロッキー』という映画を象徴する名場面。映画の大ヒットによって、一躍フィラデルフィアの観光名所となった。今なお現地を訪れる『ロッキー』のファンは、この広場でガッツポーズし、記念写真を撮るのが定番である。


◆生卵の一気飲み

これも『ファイナル』で再現された『ロッキー』の有名なシーン。ロッキーは朝のジョギングに出る前に、5つの生卵をコップに落とし、グイッと一気に飲み干す。撮影時にスタローンは本当にそれを飲んだが、幸いにもテイク1でOKが出たという。日本でもマネをする人が続出したが、念のためコレステロールにも気をつけておきたい。


◆犬

『ファイナル』ではパンチーという冴えない犬がロッキーのジョギング・パートナーを務めているが、『ロッキー』でも彼はエイドリアンが連れてきたバッカスという犬を従え、街を走っていた。実はバッカスはスタローンの愛犬で、当時は貧しくてエサ代にも困っていたとか。


◆肉のサンドバッグ

ロッキーがポーリーの勤務先の精肉工場にぶら下がっている肉をサンドバッグ代わりに殴るシーンも、『ロッキー』からの引用だ。硬い肉を本気で殴りすぎたため関節がつぶれてしまい、スタローンの手には今もその跡が残っているとか。


 


【ストーリー】

何百万もの人々に希望を与えた
“ネバー・ギブ・アップ”の精神(スピリット)!
その闘いは、彼の夢を信じてくれたあらゆる人のために……


30年前に世界ヘビー級王者アポロ・クリードと互角以上の大熱戦を繰り広げて以来、ボクシング界の栄光の階段をのぼりつめたロッキー・バルボア。

しかし、リングを去った彼は、愛する妻エイドリアンに先立たれ、地元フィラデルフィアで経営するイタリアン・レストラン“エイドリアンズ”で、客の求めに応じて現役時代の昔話を語って聞かせる日々を送っていた。息子のロバートは有名人である父に引け目を感じて家を飛び出し、彼と顔を合わせようとはしない。エイドリアンの命日に墓参りをしたロッキーは、自らの孤独を痛感せずにいられなかった。エイドリアンの兄で親友のポーリーとともに、彼女が働いていたペットショップや初めてデートしたスケート場の跡地を訪れたロッキーの心は、いっそう深い悲しみに沈んでいく。

フィラデルフィアの街をさまよい、かつての馴染みのバーに立ち寄ったロッキーは、そこでマリーというシングルマザーと出会う。マリーは不良少女だった30年前、ロッキーにタバコを吸うのをたしなめられ、家に送ってもらったことを覚えていた。この偶然の再会をきっかけに、ロッキーは彼女とその息子ステップスと交流を持ち始める。


ロッキーは、心の喪失感をぬぐうため、再びボクシングを始めることを決意する。だが、息子のロバートには、そんな父の「年をとったからって挑戦を止めることはないだろう」という言葉が理解できない。しかし、ロッキーは本気だった。彼は今もなお胸の奥底に情熱が燻っていることを感じ、時々その激しい思いが抑えられなくなることをポーリーに告白する。協会にプロ・ボクサーのライセンスを再申請したロッキーは、一度はそれを却下されながらも、「挑戦しようとする人間を止める権利が誰にあるんだ!」と訴え、ライセンス取得を許された。

プロ・ボクサーに復帰したとはいえ、ロッキーは大きな野望を抱いているわけではなかった。しかし、スポーツTV局が破竹の勢いで勝ち続ける現役ヘビー級チャンピオン、ディクソンと、伝説化した往年の王者ロッキーの強さを検証するシュミレーション番組を放送。ディクソンのマネージャーは対戦相手に恵まれないディクソンのイメージアップを狙い、ロッキーとのエキシビジョン・マッチを企画する。マリーや勤務先の食肉工場を首になったポーリー、人生に迷って舞い戻ってきたロバートの協力を得て、ディクソンとの試合を受諾するロッキー。最後の夢に向かって猛トレーニングを積んだ彼は、大観衆がつめかけたラスベガスのリングに上がっていく……。





 


【キャスト&スタッフ】

■シルベスター・スタローン(監督・脚本・主演)

1946年、ニューヨーク生まれ。シチリア系移民の子として育ち、フィラデルフィア郊外の学校に在学中に演技を始める。スイス滞在を経て、マイアミ大学で演劇を専攻。大学を中退し、数多くのオーディションを受けるが落選を繰り返す。しかし、青春グラフィティもの『ブルックリンの青春』(1974・V)で主役のひとりに抜擢され、この映画で得たギャラを元手にハリウッドへ。新天地でもすぐにはチャンスに恵まれなかったが、1975年にモハメド・アリの試合に感動したことをきっかけに書き上げたシナリオの売り込みを開始。自ら主演も務め、『ロッキー』(1977)として映画化が実現したこの作品は世界中で大ヒットとなり、アカデミー作品賞、監督賞、編集賞を受賞。一躍、スタローンをスターダムに押し上げた。2年後の続編『ロッキー2』(1979)では監督も兼任。さらに『フィスト』(1978)、『パラダイス・アレイ』(1979)、『勝利への脱出』(1981)、『ナイトホークス』(1981)、『ロッキー3』(1982)とヒット作を連発した。

そして、『ランボー』(1982)の大成功により、ハリウッドを代表するアクション・スターとしての地位を揺るぎないものとし、ファンの期待に応えるように『ランボー/怒りの脱出』(1985)、『ランボー3/怒りのアフガン』(1988)、『ロッキー4/炎の友情』(1986)、『ロッキー5/最後のドラマ』(1990)と人気シリーズの続編を発表。1990年代初頭には『オスカー』(1991)、『刑事ジョー/ママにお手上げ』(1992)でコメディの新境地に挑んだのち、雪山を舞台にした大作『クリフハンガー』(1993)でアクション・ヒーローとして復活を遂げた。その後もアクション映画の主演を務める一方、『コップランド』(1998)で懐の深い演技を披露し、カー・アクション映画『ドリヴン』(2001)では製作、脚本、主演の3役を兼務。現在、『ランボー』シリーズの第4作『Rambo IV: Pearl of the Cobra』(2008)の準備を進めている。



「誰にだって胸に秘めた夢ってものがあるだろ。夢を追い求めるその心意気を尊重すべきだ」

「好きなことに挑戦しないで後悔するより、醜態をさらしても挑戦する方がいい」

「自分の価値を信じるなら、パンチを恐れるな、他人を指さして自分の弱さをそいつのせいにするな。それは卑怯者のすることだ!」

「人生ほど重いパンチはない」

「大切なのは、どんなに強く打ちのめされても、こらえて前に進み続けることだ。そうすれば、勝てる。」



■バート・ヤング(ポーリー)

1940年、ニューヨーク市クィーンズ生まれ。海兵隊を除隊後にいくつかの職を経験し、アクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグに師事。オフ・ブロードウェイの舞台に立ったのち、1970年代初頭から映画に出演するようになる。『シンデレラ・リバティー/かぎりなき愛』(1974)、『チャイナタウン』(1975)、『熱い賭け』(1976)、『キラー・エリート』(1976)などに続いて出演した『ロッキー』(1977)のポーリー役が当たり役となり、アカデミー助演男優賞候補に。その後も『ロッキー』シリーズのレギュラーを務める一方、『アンクル・ジョー』(1979)では脚本も担当。『クワイヤボーイズ』(1978)、『コンボイ』(1978)、『カリフォルニア・ドールス』(1982)、『悪の華/パッショネイト』(1987)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)、『ブルックリン最終出口』(1990)などで名脇役ぶりを発揮した。近年は「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」(1999-2007)などのTVシリーズにも活動の場を広げつつ、『ランド・オブ・プレンティ』(2005)、『トランスアメリカ』(2006)といった話題作で健在を示している。


■アントニオ・ターヴァー(ディクソン)

1968年、フロリダ州生まれ。10歳の時にオーランドのフロリダ・ボーイズ・クラブでボクシングを始める。高校時代はフットボールに熱中するが、1998年にかつてのライバルであるロイ・ジョーンズ・ジュニアがソウル・オリンピックで闘っている姿を見て、ボクシングへの情熱が再燃。再びリングにあがり、1996年のアトランタ・オリンピックで見事に銅メダルを獲得した。2006年に世界ライトヘビー級のチャンピオンの座に就き、2006年に現役を引退するまで24勝(18KO勝ち)4敗の成績を残した。

映画デビュー作となった『ロッキー・ザ・ファイナル』では、ヘビー級チャンピオンを演じるために体重を増やして撮影に臨んだ。



■ジェラルディン・ヒューズ(マリー)

1970年、北アイルランドのベルファスト生まれ。カトリック系の家庭で育ち、1984年にアイルランドで撮影された『Children in the Crossfire』というTVムービーにキャスティングされたことをきっかけに女優の道を歩み出す。高校卒業後にUCLAの映画科で学ぶために渡米。自ら執筆した自伝的な戯曲「Belfast Blues」で24役の登場人物すべてをひとりで演じ、高い評価を得る。「Belfast Blues」はヴァーチャル・シアター・カンパニーの資金援助により、ロサンゼルスの小劇場ブラック・ダリア・シアターで初演され、当初4週間の予定が15週間に延長された。その後、この芝居はベルファストやアイルランドのゴールウェイ、ロンドン、シカゴ、ニューヨークでも上演されている。

『ロッキー・ザ・ファイナル』で本格的に長編映画デビュー。ロサンゼルスからニューヨークに引っ越す日の前日、本作のキャスティング・ディレクターから「スタローンが会いたがっている」との連絡を受け、マリー役を獲得した。



■マイロ・ヴィンティミリア(ロバート“ロッキー・ジュニア”)

1977年、カリフォルニア州生まれ。1990年代半ばからTVと映画の双方で活動を始める。2001年にスタートしたTVシリーズ「Gilmore Girls」の物静かで複雑なジェス役や、1960年代の反戦運動を描いたNBCのシリーズ「American Dreams」(2004-2005)で注目された。それ以前にはフォックスの学園ものシリーズ「Opposite Sex」(2000)に出演し、それをきっかけにワーナー・ブラザースと契約を結んだ。ゲスト出演したTVシリーズは「CSI:科学捜査班」(2000-2005)、「サブリナ」(1996-2003)、「Promised Land」(1996-1999)など。映画の出演作には『Massholes』(2000・未)、『ウェス・クレイヴン's カースド』(2005)、『Dirty Deeds』(2005・未)、『Stay Alive』(2006・未)などがある。最近では、セックスについての講座を受講する大学生たちを描いた「The Bedford Diaries」(2006)、悪夢に悩まされる看護師役の「Heros」(2006)という人気TVシリーズのレギュラーを務めている。

現在はロサンゼルス在住。スケートボード、スノーボード、ウェイクボーディングの趣味を持ち、ヴィンテージ・スポーツカーの修復に情熱を注いでいる。



■ジェームズ・フランシス・ケリー三世(ステップス)

1989年、ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。アフリカ系アメリカ人とネイティヴ・アメリカンの血をひく母と、アイルランド系アメリカ人2世代目の父を持つ。4歳の時に始めた演技のキャリアはすでに16年。舞台のほか運動や学問にも精通し、その技術や知識を備えた個性がシルベスター・スタローンの目に留まり、『ロッキー・ザ・ファイナル』で劇場映画デビューの機会を得た。これ以前にゲスト出演したTV作品に「7th Heaven」(1996-)、「On Common Ground」(1999)、「プロファイラー/犯罪心理分析官」(1996-2000)などがある。

高校のフットボール・チームではキャプテンを務めたことがあり、サッカー、ラケットボール、ムエタイなどのスポーツに親しむ。最近、クロウ族のメンバーとなり、“諦めぬ者”を意味する“Kawayashu”という正式なインディアン名を与えられた。



■トニー・バートン(デューク)

シルベスター・スタローン、バート・ヤングとともに、『ロッキー』シリーズ全作品にデューク役で出演している。そのほか100本以上の映画とTV作品に出演。主な作品に『ジョン・カーペンターの要塞警察』(1976・未)、『シャイニング』(1980)、『私立ガードマン/全員無責任』(1986)、『ビーチバレーに賭けた夏』(1990)、『ハウス・パーティ/パジャマでシェイクヒップ! 』(1991・未)、『フック』(1991)、『ノックアウト/炎のレディ・ファイター』(1999・未)などがある。

俳優としての長いキャリアを築く一方、プロボクサーとしても16勝3敗という成績を残し、ライトヘビー級のアリゾナ王者にもなっている。なかでも1959年、それまで38戦無敗だったラマー・クラークを6ラウンドでKOしたヘビー級の試合は特筆ものである。



■アーウィン・ウィンクラー(製作総指揮)

アメリカン・フィルム・インスティテュートの“歴代トップ100映画”に3本の製作作品がランクインした唯一のプロデューサー。これまでにプロデュースした作品はアカデミー賞で45回候補になり、そのうち12の賞に輝いた。『ロッキー』(1977)ではアカデミー作品賞を制し、のちの同シリーズを全作品プロデュースしている。

エルヴィス・プレスリー主演の『ダブル・トラブル』(1967・V)でプロデューサーとしてのキャリアをスタートさせ、『ひとりぼっちの青春』(1970)、『いちご白書』(1970)などの名作を次々と製作。『ロッキー』以降も『レイジング・ブル』(1981)、『ライトスタッフ』(1984)、『ラウンド・ミッドナイト』(1986)、『グッドフェローズ』(1990)、『シッピング・ニュース』(2002)といった傑作を世に送り出している。

また、ハリウッドの赤狩りを題材にした『真実の瞬間(とき)』(1991)で監督デビュー。その後も『ナイト・アンド・ザ・シティ』(1993)、『ザ・インターネット』(1996)、『アット・ファースト・サイト/あなたが見えなくても』(1998・未)、『海辺の家』(2002)、『五線譜のラブレター DE-LOVELY』(2004)の監督を務めている。



■ロバート・チャートフ(製作総指揮)

コロムビア大学の法学部を卒業。『ダブル・トラブル』(1967・V)を皮切りにアーウィン・ウィンクラーと長年に渡るパートナーシップを結び、彼とのコンビで数多くの名作をプロデュースする。『ロッキー』シリーズ全作品にも製作者として携わっている。主なプロデュース作品は『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1968)、『ひとりぼっちの青春』(1970)、『センチュリアン』(1973)、『熱い賭け』(1976)、『バレンチノ』(1978)、『レイジング・ブル』(1981)、『ライトスタッフ』(1984)、『ラウンド・ミッドナイト』(1986)など。

1990年にはインドのブッダガヤに学校を設立。学びたいと願う子供たちを多数受け入れ、今なおその活動の指揮を執っている。



■ウィリアム・チャートフ(製作)

アーウィン・ウィンクラーのパートナーとして『ロッキー』シリーズを手がけてきたロバート・チャートフの息子。ニューヨークに生まれ、15歳から映画界で働き始め、ニューヨーク大学映画科で学士号を取得。アメリカン・フィルム・インスティテュートで修士号を取得した。

『レイジング・ブル』(1981)のマーティン・スコセッシ、『ミュージックボックス』(1990)のコンスタン・コスタ=ガヴラス、『ロッキー5/最後のドラマ』(1980)のシルべスター・スタローン、『ダブルボーダー』(1987)のウォルター・ヒル、『真実の瞬間(とき)』(1991)のアーウィン・ウィンクラーといった名監督の下で助監督の経験を積む。さらに脚本の執筆、TVコマーシャルの監督、アニメ作品のボイス・ディレクターを務めた経験を持つ。また、3Dインターネットテクノロジーを開発する会社3ディオン・インクのクリエイティブ・ディレクターを務め、数年前から888ホールディングスのコンテント・ディレクターを務めている。



■チャ−ルズ・ウィンクラー(製作)

『ロッキー』シリーズを製作してきた名プロデューサー、アーウィン・ウィンクラーの息子。ロサンゼルス育ちで、幼い頃から映画界での仕事を志し、『レイジング・ブル』(1981)『ロッキー2』(1979)『ニューヨーク・ニューヨーク』(1977)といった父のプロデュース作品で映画ビジネスを学ぶ。

20代前半に短編の映画やドキュメンタリーを作り、自作の脚本に基づく『あばよ、デ・ニーロ』(1987・V)で劇場用長編を初監督。さらに『沈黙のリベンジ』(1990・V)、『Red Ribbon Blues』(1996・未)、「ロッキー・マルシアーノ 伝説のチャンプ」(1999)、「ロック・アンド・ドリーム」(2000)などを監督した。そのほかにも「ベイウォッチ」(1989-2001)などのTV作品を手がけ、父の監督作『五線譜のラブレター DE-LOVELY』(2004)の製作を担当している。



■クラーク・マシス(撮影)

高校在学中にABCニュースで編集の仕事をこなしたのち、映像カメラマンに転身。メジャー・スタジオのみならずインディペンデント映画でも活躍する。日本ではBS-iで放映された「ゴッサム・シティ・エンジェル」(2002-2003)ではASC賞の最年少候補者に。他の主な作品に「エッジ・オブ・アメリカ」(2003)、『スカーレット・ヨハンソンの百点満点大作戦』(2004・未)、『ハッピー・エンディング』(2005・未)、ロン・アンダーウッド監督作品『In the Mix』(2005・未)などがある。


■フランコ=ジャコモ・カルボーネ(美術)

アメリカン・フィルム・インスティテュート、パーソンズ・スクール・オブ・デザイン、ニューヨーク大学のティッシュ・スクール・オブ・アーツで学ぶ。プロダクション・デザインを手がけた主な作品は「アメリカン・ドリーム/二つの祖国」(2001)、『キャビン・フィーバー』(2005)、『ワンダーランド』(2005)、『スターシップ・トゥルーパーズ2』(2004)、『ダウン・イン・ザ・バレー』(2005)、『ホステル』(2006)、ウィリアム・フリードキン監督作品『Bug』(2006・未)など。クェンティン・タランティーノの製作で話題を呼んだ『ホステル』(2006)では衣装デザインも担当した。


■ショーン・アルバートソン(編集)

2005年にスタートしたTVシリーズ「E-Ring」のほか、「NORTH SHORE ノース・ショア」(2004-2005)「コールドケース 迷宮事件簿」(2003-)といった人気シリーズの編集を担当している。

編集を手がけた主な映画は『モンタージュ/証拠死体』(1998)、『いつかあなたに逢う夢』(1998・未)、『犯行予告』(1999・未)など。そのほかに「特捜女警部−L.A.犯罪捜査線−」(1988・未)、「チャペンデールズ 男性ストリップ劇場殺人事件」(2000・TV)、「グリーニー/E.T.売ります!」(2001・TV)、『飛べ!プランサー ぼくのトナカイ』(2001・TV)、『クリープゾーン セイント・ソード』(2002・TV)、「ファースト・スピード」(2004・TV)などの編集に携わっている。



■ビル・コンティ(音楽)

1942年、ロードアイランド州に生まれ、7歳の時から著名なピアニストで彫刻家、画家でもある父の指導のもとでピアノを始める。ルイジアナ州立大学を経て、ニューヨークのジュリアード・スクール・オブ・ミュージックで学んだ。

映画史上に残る数々の大ヒット作の音楽を手がけ、『ロッキー』(1977)の「Gonna Fly Now」と『007/ユア・アイズ・オンリー』(1981)の「For Your Eyes Only」でアカデミー賞のオリジナル歌曲賞にノミネート。『ライトスタッフ』(1984)ではアカデミー作曲賞に輝いた。なかでも『ロッキー』のサウンドトラック・アルバムはゴールデン・グローブ賞やグラミー賞などの候補となり、RIAA認可のプラチナ・アルバムとなった。TV界でも多くの栄誉に輝いており、エミー賞のノミネートは10回を数え、1990年と1992年に同賞を獲得している。こうした作曲活動に加え、世界中の数多くの権威あるオーケストラの指揮もこなし、ナッシュヴィル・シンフォニーのポップス主任指揮者を務めている。

上記以外に音楽を手がけた主な映画には『ハリーとトント』(1975)、『グリニッチ・ビレッジの青春』(1976)、『勝利への脱出』(1981)、『グロリア』(1981)、『ベスト・キッド』(1985)、『赤ちゃんはトップレディがお好き』(1988)、『ブロードキャスト・ニュース』(1987)、『対決』(1991)、『イヤー・オブ・ザ・ガン』(1991)、『がんばれ!ルーキー』(1994)、『トーマス・クラウン・アフェアー』(1999)などがある。