『小さな村の小さなダンサー』/"MAO'S LAST DANCER"


2010年8月よりBunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座ほか全国にて公開

2009年/オーストラリア/117分/カラー/ビスタ1:1.85/ドルビーSRD/日本語字幕:松浦美奈/原作:「小さな村の小さなダンサー」(リー・ツンシン著、訳:井上実(徳間文庫))/配給:ヘキサゴン/宣伝:アニー・プラネット

◇監督:ブルース・ベレスフォード ◇製作:ジェイン・スコット ◇脚本:ジャン・サルディ ◇製作総指揮:トロイ・ラム ◇共同プロデューサー:ジェン・リン ◇撮影監督:ピーター・ジェイムズ(ACS,ASC) ◇美術:ハーバート・ピンター ◇衣装デザイン:アンナ・ボルゲッシ ◇メイクアップ:ヴィヴ・メーファム ◇編集:マーク・ワーナー ◇作曲:クリストファー・ゴードン ◇録音:デビッド・リー ◇ライン・プロデューサー:スー・マッケイ ◇振付:グレアム・マーフィー ◇ポスト・プロダクション・スーパーバイザー:キャサリーン・ヘッズ ◇助監督:マーク・イガートン ◇スクリプト・スーパーバイザー:クリッシー・オコネル ◇キャスティング:シャロン・ハワードフィールド、ニッキー・バレット、リー・ハイビン ◇スチール:サイモン・カードウェル

◇キャスト:ツァオ・チー、ブルース・グリーンウッド、カイル・マクラクラン、アマンダ・シュル、ジョアン・チェン、ワン・シャン・バオ、グォ・チャンウ、ホアン・ウェンビン、エイデン・ヤング、マデレーン・イーストー、カミリア・ヴェルゴティス、ペンネ・ハックフォース・ジョーンズ、ジャック・トンプソン



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【解説】

◆ミハイル・バリシニコフと並び、亡命してなお活躍した中国の名ダンサー、
リー・ツンシンの半生の実話を感動の映画化!!


中国の小さな村に生まれ、毛沢東の文化政策による英才教育でバレエの道を志した少年、リー・ツンシン。成長後はアメリカに渡り、その類い稀な才能を認められる。ダンサーとしてさらなる成功を望む彼は自由な新天地に大きな夢を託すが、それは彼と家族にとって新しい人生の始まりだった……。

『ドライビング Miss デイジー』の名匠ブルース・ベレスフォード監督と、 『シャイン』のスタッフが集結し、中国出身の名ダンサー、リー・ツンシンの半生を映画化した感動作が完成した。幼い頃から英才教育を受け、ダンサーとして成長していくリー役を英国バーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパ ル、ツァオ・チーが演じて見事な映画デビューを果たし、真迫のバレエシーンの数々も見せる。まさに中国版『リトル・ダンサー』ともいうべき新たなダン ス映画の傑作が誕生した。

海外では「これほど華麗で、魅惑的なバレエシーンはかつてなかった」(トロ ント・スター)、「ブルース・ベレスフォードの最高傑作のひとつ」(シドニー版 タイム・アウト)と多くのメディアに絶賛され、サンパウロ国際映画祭では、 見事に観客賞を受賞している。



◆お父さん、お母さんの住むあの村に帰りたい!
北京に行った11歳の時から、リーは家族の写真を片時も離さなかった……。


主人公のリー・ツンシンは1961年に中国の山東省の貧しい村に7人兄弟の6番目の息子として生まれた。少年時代に、毛沢東夫人だった江青の政治的な文化政策でダンサーを育成する英才教育が実施され、バレエを一度も見たこともな いが、彼の才能を見込んだ小学校の先生の推薦によって全国から選抜される。 彼は大好きな家族と離れて、不安を抱えながら一人で北京の舞踏学校に入学する。しかし、寂しさと、愛国心をあおるバレエの訓練に最初はなじめず、落ちこぼれていた。 それから数年経ったある日、先生は本物のバレエの美しさを彼に教えようと密かに持っていた古典バレエのテープを貸し与えた。リーは始めてバレエの素晴らしさに感動し、踊りにのめり込むようになる。 しかし、江青夫人の方針に反抗した疑いで先生は政府に捕えられてしまう。

当時の中国ではそれは二度と会うことは出来ない別れを意味していた。 しかし、時を経て、中国で改革開放が実現していこうとする最中、リーはバレエ研修で、思いがけずアメリカを訪ねる機会を得る。この新天地で彼の才能は開花する。 そして、ダンス仲間のエリザベスと愛し合うようになった彼は勇気ある決断を下すが、そうすることで大事な両親との永遠の別れがやってくる。 少年期から国家の英才教育を受け、アメリカという新天地でさらなる希望と愛にめぐりあい、やがては家族との別離を覚悟して、亡命を決意するひとりのダンサー。揺れ動く時代の波に飲まれそうになりながらも、けっして自分の夢 をあきらめなかったリーの苦悩と勇気ある決断をドラマティックに描き、特に、世界で熱狂的な反響を呼んだラストは見た人の脳裏に永遠に刻み込まれるだろう。



◆バーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパル、ツァオ・チーを抜擢!
華麗な「春の祭典」「白鳥の湖」を熱演した!


映画の原作となっているのは、リー・ツンシンが自身の人生について綴った自伝「毛沢東のバレエダンサー」(徳間書店)で、この本はオーストラリアでは1年半に渡ってトップテンのリストに名前を連ねていた。 『シャイン』でアカデミー賞候補となった脚本家ジャン・サーディは、この映画でコンビを組んだプロデューサー、ジェーン・スコットに映画化の話を持ちかけた。やがて、オーストラリア出身で『ドライビング Miss デイジー』で知られるブルース・ベレスフォード監督も企画に加わり、映画化が動き出す。

特に難航したのは主演の男優選びで、完成したシナリオを読んだ監督は、「こんな役を演じられる男優など、見つかるはずがない」と思ったという。 リーは若く、ハンサムな青年で、その上、並はずれたダンサーでなくてはいけない。さらに2カ国語を操って、複雑な心の機微を演じる必要もある。いい男優が見つからない限り、映画化をあきらめる覚悟さえしていた製作陣だが、幸い英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の花形プリンシプルであるツァオ・チーと運命の出会いを果たし、念願の映画化が実現した。彼は「白鳥の湖」をはじめ、息をのむ本格的なダンスナンバーも披露する。 劇中のダンスシーンは、日本でも10月に公演が予定されているオーストラリア・ バレエ団の数多くの作品を手掛けた振付師、グレアム・マーフィーの協力を得て構成されている。なお、英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団も 2011年に来日公演が予定されている。



◆11才のリー役は中国体育学校出身のホアン、
青年役は現オーストラリア・バレエ団のグオが演じた。


リー役の新人ツァオ・チーをサポートしているのは多彩な演技陣だ。リー の母親役に『ラスト、コーション』の名女優ジョアン・チェン、彼に協力する弁護士のフォスター役に人気ドラマ『デスペラードな妻たち』のカイル・マクラクラン、リーの恋人エリザベス役に『センターステージ』のアマンダ・シュルが扮し、リーを支えるアメリカのバレエ団の主任ベン役に『カポーティ』の ブルース・グリーンウッド、判事ウッドロウに『真夜中のサバナ』のジャック・ トンプソン、リーの父親は『盲井(ブラインドシャフト)』のワン・ツァンバオが扮している。また、少年期のリーはこれが映画デビューで、体育学校出身の ホアン・ウェンビン、青年期は現在オーストラリア・バレエ・カンパニーのメンバーであるグオ・チェンウが演じている。

スタッフは、撮影監督に『幸せになるための27のドレス』のピーター・ジェー ムズ、プロダクション・デザインは『グッドマン・イン・アフリカ』などでベレスフォードと組んでいるハーバート・ピンター、編集は『トゥームレイダー』 のマーク・ワーナー、音楽を『マスター・アンド・コマンダー』のクリストフ ァー・ゴードン、衣装デザインを『ピッチ・ブラック』のアン・ボーゲシが担当している。



 


【プロダクションノート】

◆オーストラリアで大ベストセラーとなったリー・ツンシンの自伝の映画化

リー・ツンシンの自伝の映画化を最初に考えたのは脚本家のジャン・サーディだった。過去に困難を乗り越える実在のピアニスト、ディヴィッド・ヘルフゴ ッドの映画化に成功している彼は、製作者だったジェーン・スコットに声をかけたという。「自伝を読み始めて15ページか20ページほどで、この本には人をひきつける特別のものがあると感じた。そこでスコットに電話をしたんだ。“急いで映画化権を買ってほしい”とね」とサーディは回想する。一方、声をかけられたスコットは「映画化にぴったりの本に思えたわ。リーのたどった人生は読む人に訴えかけるものがあるからよ」と語る。実力派監督ブルース・ベレ スフォードが演出を担当することになったが、彼もリーのたどった人生に心を揺さぶられたという。「リーは共産主義の国を出て世界的な名声を得るが、本当はすごく大変なことだったと思う。でも、彼は困難にもめげず、それをやってのけた」と監督はコメントしている。


◆主人公の心の旅を見事に描きだしたシナリオ

今回の映画化で脚本家のサーディが苦労したのは、長年に渡る複雑な物語を2時間という限られた時間内で見せることだ。「本には多くの素晴らしい要素がつまっていた。そこで私は主人公の感情の動きをとらえ、それを観客も一緒に体験できるように構成しなくてはいけない。この映画の中心になっているのは、 リーの感情の変化だからね」と執筆の苦労を振り返る。 彼が手がけた『シャイン』も実話の映画化だったが、「実話を扱う時は責任感が生じる。ただ、キャラクターや時間の描写に関しては、ある程度の自由が許されると思う。そうでないと、2時間、いや、20時間あったとしても、誰かの人生を映像で見せるなんてできないからね。今回の映画の場合、まず私がイメー ジとして浮かんだのは、リーが小さな村を出て、北京の舞踏学校に向かう日のことだ。彼が愛する家族に別れを告げて、小さな村を出発した時から壮大な旅が始まっていくんだよ」


◆主人公リーを演じる3人の男優たちのキャスティング

この映画でまず最初の難関となったのは、主人公リーを演じる男優探しだった。 「リーは若くて、ハンサムで、最高のダンサーでなくてはいけない。その上、 北京語と英語の両方を使って、複雑な感情を演じなくてはいけない。そんな俳優、いるはずがない、と最初は思ったものだよ。でも、キャスト探しを続けるうちに、英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団のツァオ・チーに出会えた」 と監督はキャスティングの苦労を振り返る。彼は北京舞踏学校時代のリーの恩師の息子でもある。「私たちはツァオと出会うことでチャンスを手にできたし、 ツァオにとっても、このすごい役を演じることは飛躍のチャンスだと思ったわ」とスコットは語る。


ツァオ自身はリーとは異なる環境で幼年期を過ごしているが、今回のキャラクターには共感できたという。「彼と僕の人生には共通する部分があると思う。 同じ北京の舞踏学校を出ていて、僕の場合は15歳で家族のもとを離れて、ロンドンのロイヤル・バレエ団に入った。若い時に言葉もわからない西洋に向かい、自分自身の力で人生を切り開かなくてはいけなかった」

さらに少年時代を演じるホアン・ウェンビン、青年時代のグオ・チェンウともスタッフは出会う。「ホアンは中国で発見し、グオはメルボルンのオーストラリア・バレエ団で踊っている中国出身のダンサーだった。私たちはオーストラリア・バレエ学校の卒業公演で踊る彼を見て、オーディションに出てもらったけれど、彼は青年期を見事に演じてくれたと思うわ」とスコットはコメントし ている。



◆オーストラリア・バレエ団や英国バーミンガム・バレエ団の協力で
かつてないパワフルなバレエシーンが実現


劇中には本格的なバレエが堪能できる名シーンの数々が登場するが、こうし た場面は本物のバレエ団の協力を得ることで実現した。こうしたバレエの場面について、製作者のスコットは語る。 「映画にバレエの場面を持ち込むのは、いつも難しいと感じるわ。でも、 この映画には実在のバレエ団の協力があった。オーストラリア・バレエ団の芸術監督デヴィッド・マッカリスターはこの映画への全面協力を約束し、映画で必要な時はバレエ団のダンサーを使ってもいいと言ってくれた。これには心から感謝しているわ。劇中に登場する『白鳥の湖』はこのバレエ団の公演の一部で、この舞台を映画で紹介できて本当によかったと思っているのよ」  他にも英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団や香港バレエ団などの協力があり、ダンス場面の撮影は当初考えていたほど困難なものではなかったそうだ。 北京の舞踏学校やアメリカでの舞台など、映画の中に登場するダンスを振りつけているのは、シドニー・ダンス・カンパニーの元芸術監督、グレアム・マー フィーである。


◆中国で敢行された映画のロケーション

リーが少年期に過ごした家のロケーションを行うため、スタッフたちは中国を訪ねた。しかし、かつて彼が住んでいた地域はすっかり生まれ変わり、古い家は壊され、新しい家が目立っていたという。そこでスタッフたちは、北京の郊外にある山間部でのロケを敢行した。プロダクション・デザイナーのハーバー ト・ピンターは、伝統的な中国の石造りで、リーの幼年期の家と村の学校を作り上げた。この村は冬になると雪におおわれ、春になると美しい桜が開花する。 そうした季節の変化もピンターのチームが再現した。

また、北京の舞踏学校は、いまは使われていない北京の舞踏学校の建物を映画用のミニ・スタジオに改造して使用した。町はずれのロケ地に向かうた め、キャストやスタッフは早朝バスに乗り込んだという。その他の場面はアメリカのヒューストン、オーストラリアのシドニーなどで撮影され、リーが実人生でたどった軌跡がリアルに再現されている。



 


【ストーリー】

リー・ツンシン(ツァオ・チー)は 1961年、中国山東省の小さな村に7人兄弟 の6 番目に生まれた。家は貧しかったが、しっかり者で愛情深い母(ジョアン・ チェン)に育てられた彼は、気丈な少年になっていた。11歳になったある日、毛沢東夫人で、元女優の江青が政治的な文化政策とし て始めたバレエの英才を探すために北京からの視察団が学校にやってくる。

毛主席を熱愛する当時の子供たちは、理由を聞くこともできず、ただ品定めされるような視線に耐えていた。彼らが、収穫がなかったと諦めて帰ろうとするとき、担任の先生がリーを推薦する。「あの子はどうでしょうか?」 その 一言で彼の北京行きは決定し、村では英雄が生まれたかのように大騒ぎし喜ぶ。しかし、両親はこのままずっとリーと離れ離れになってしまうのではと暗い気持にもなったが、このチャンスを活かして欲しいという想いと、毛主席への忠誠心からリーを送り出す決心をする。

こうしてリーは、大好きな家族と離れて、初めて都会の北京へと移り、舞踏学校に入ることになった。

入学後は厳しいレッスンが続けられるが、愛国心をあおるバレエの訓練に最初からなじめないリーはダンサーとしては落ちこぼれていた。

それから数年経ったある日、チェン先生は本物のバレエの美しさを彼に教えようと密かに持っていた古典バレエのテープを貸し与えた。リーは初めてバレエの素晴らしさに感動し、踊りにのめり込むようになる。しかし、チェン先生 が江青夫人の方針に反抗した疑いで政府に捕えられてしまう。当時の中国では、それは二度と会うことの出来ない別れを意味していた。


時を経て、ようやく中国で改革開放が実現していこうとする最中、青年となったリーに意外なチャンスが舞い込む。中国を訪ねたアメリカのバレエ団の招きで、バレエ研修に参加することになったのだ。

こうしてリーは、初めて自由な西洋の国、アメリカの土を踏む。彼はヒューストンのバレエ団の主任ベン(ブルース・グリーンウッド)の家で暮らすことになった。文化も言葉も違う異国に最初は戸惑いを隠せないリー。共産圏で育っ たリーにとって、そのカルチャー・ギャップはあまりにも大きかった。

片言の英語を話しながらダンスの修業に励むリーは、やがて頭角を現し、 ケガで出演できなくなった人気ダンサーの代役をつとめることになった。

しなやかなダンスを披露したリーはこの舞台で拍手喝采を浴び、以後、 ダンサーとして認められていく。そして、同じダンサー仲間のエリザベス (アマンダ・シュル)と深く愛し合うようになり、遂に結婚、亡命を決意する。 彼のこの決断は大きな波紋を呼ぶ。中国側の領事館に監禁され、一時は強制送還されそうになるが、弁護士フォスター(カイル・マクラクラン)の協力もあ って、アメリカへの亡命が認められる。しかし、これには過酷な条件がついていた。リーは二度と中国に戻れず、大事な家族と会うことも許されないのだ。 家族思いのリーは苦悩するが、ダンサーとしての未来を信じ、アメリカでダンサーとして、さらに修業に励む。

アメリカで住民権を得た彼は踊りの世界でもさらに認められていくが、やがて妻エリザベスとの結婚生活は暗礁に乗り上げ、彼女はリーを残して家を出てしまう。

胸の奥で遠い故郷にいる家族への思いを募らせるリー。そんな彼に奇跡の再会の日が訪れようとしていた……。

 


【キャスト&スタッフ】

■ツァオ・チー(リー・ツンシン)

中国の小さな村で育ちながらも、アメリカでダンサーとして開花するダンサ ー、リー・ツンシン役で、見事な映画デビューを飾り、劇中では「白鳥の湖」 をはじめ、圧倒的なバレエシーンも披露している。

リー同様、彼も中国で生まれ、北京舞踏学校でダンサーとして教育を受けた。15歳の時にイギリスに渡り、1995年に英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団に入る。その類い稀な才能が認められて、2002年にはバレエ団のプリンシパルと なる。ツァオは特に古典バレエの演目を得意としている。その素晴らしいテクニックはヴァルナ国際バレエコンクールでも認められ、1998年に金メダルを獲得している。バーミンガム・バレエ団の佐久間奈緒とコンビを組むことも多い。 2000年のNATOの特別イベントや 2002年のエリザベス女王の即位50周年を祝うバーミンガムの記念公演にも出演している。



■グオ・チャンウ(青年時代のリー)

北京舞踏学校でダンスを学び、2006年のローザンヌ国際バレエコンクールで賞を獲得し、奨学金を得てオーストラリア・バレエ団に入る。今はこのバレエ団のメンバーとなり、才能あるダンサーとして将来を嘱望されている。


■ホアン・ウェンビン(少年時代のリー)

北京の体育学校出身で、その身体能力を今回の映画のキャスティング・ディレ クターに買われて、映画デビューを飾ることになった。


■ジョアン・チェン(リーの母親役)

中国出身の演技派女優として知られ、今回の映画では愛情あふれるリーの母親役を演じている。1961年上海出身で、カリフォルニア州立大学で、映画製作を勉強する。ベルナルド・ベルトルッチが監督してアカデミー作品賞に輝い た『ラスト・エンペラー』(1987)で主人公の妻役を演じて高い評価を受け、その後はデイヴィッド・リンチ監督のカルト的な人気を得たTVシリーズ「ツイン・ピークス」(1990〜1991)にも出演。国際的な活動を続けている。最近ではアン・リー監督の『ラスト、コーション』(2007)に出演。主な作品に『天と地』(1993)、 『赤い薔薇、白い薔薇』(1994)、『ジャスミンの花開く』(2004)『胡同(フートン) のひまわり』(2005)、『四川のうた』(2008)などがある。また、監督作に『シュウ シュウの季節』(1998)、『オータム・イン・ニューヨーク』(2000)がある。


■カイル・マクラクラン(フォスター役)

1959年ワシントン生まれ。ワシントン大学を卒業後、オレゴン・シェイクスピ ア・フェスティバルに入り、デイヴィッド・リンチ監督のSF大作『砂の惑星』 (1984)で映画デビューを飾る。以後、リンチ監督との名コンビで知られ、カル ト的な人気を誇る『ブルーベルベット』(1986)にも主演。また、リンチが製作して日本でも話題になったTVシリーズ「ツイン・ピークス」(1990〜1991)で は捜査官クーパーを演じて、ゴールデン・グローブ賞を受賞。映画版の『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(1992)にも出演した。今回のべレスフォード監督とは『リッチ・イン・ラブ』(1993/ビデオのみ)で組んだことがある。近年はテレビの人気シリーズ「デスパレートな妻たち」(2005)に出演し ている。その他の主な作品に『ヒドゥン』(1987)、『ザ・ドアーズ』(1991)、『トライアル/審判』(1992)、『ショーガール』(1995)、『ハムレット』(2000)などがある。


■ブルース・グリーンウッド(ベン役)

1956年、カナダのケベック州生まれ。『アイム・ノット・ゼア』(2007)のトッ ド・ヘインズ監督や『スウィートヒアフター』(1997)のアトム・エゴヤンなど才能ある監督たちと仕事をしてきた。ベレスフォード監督とは『ダブル・ジョパディー』(1999)で組んでいる。その他の主な作品に『エキゾチカ』(1994)、『13デイズ』(2000)、『アララトの聖母』(2002)、『華麗なる恋の舞台で』(2004)、『アイ、 ロボット』(2004)、『カポーティ』(2005)、『世界最速のインディアン』(2005)、『デジ ャヴ』(2006)、『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺の日』(2007)、『スター・ トレック』(2009)などがある。


■ジャック・トンプソン(判事ウッドロウ)

1940年オーストラリアのシドニー生まれ。クイーンズランド大学で演技を学んだ後、TVや映画界で活躍。1979年のブルース・ベレスフォード監督の『英雄モラント』(ビデオのみ)ではカンヌ映画祭助演男優賞とオーストラリア映画 協会賞の主演男優賞を受賞。1983年には大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』 にも出演。国際男優として活動を続け、オーストラリア映画批評家賞の功労賞も受賞している。その他の主な作品に『ブロークン・アロー』(1996)、『ラストダ ンス』(1996)、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002)、『ポワゾン』(2004)、『さらば、ベルリン』(2006)、『オーストラリア』(2008)、『かけひきは、 恋のはじまり』(2008)などがある。


■アマンダ・シュル(エリザベス役)

1978年ハワイ州のホノルル生まれ。ニコラス・ハイトナー監督のダンス映画『センターステージ』(2000)に主演して注目を浴びた女優で、彼女自身もダン サーの出身。ハワイアン・ステート・バレエ団で踊りを修業し、その後、サンフランシスコ・バレエ団に入り、1999年からはレギュラーの団員として活動して いる。このバレエ団に在籍中に『センターステージ』に出演した。主にTVで活躍しており、シリーズ物の『ゴースト〜天国からのささやき』(2008〜2009)、 やTV映画『ライ・トゥ・ミー/嘘は真実を語る』(2009)などに出演している。


■ブルース・ベレスフォード(監督)

1940年シドニー生まれ。シドニー大学を出た後、映画界に入り、『英雄モラント』(1979/ビデオ公開)は高い評価を得る。この作品ではアカデミー脚本賞の候補となる(べレスフォードも共同執筆)。また、ロバート・デュヴァルがカントリー・シンガーに扮してアカデミー主演男優賞に輝いた『テンダー・マーシー』 (1982/ビデオのみ)ではベレスフォード自身もアカデミー監督賞候補となった。 さらにジェシカ・タンディがアカデミー主演女優賞に輝いた『ドライビング Miss デイジー』(1989)はアカデミー作品賞を受賞。実力派監督としての地位を築いた。 今回の新作ではオーストラリア映画協会賞の監督賞候補となっている。 これまでの主な作品に『キング・ダビデ/愛と闘いの伝説』(1985)、『ブラックロ ーブ』(1991)、『グッドマン・イン・アフリカ』(1994)、『ラストダンス』(1996)、『ダブル・ジョパディー』(1999)、等がある。また、TV映画『バンデラスの英雄 パンチョ・ヴィラ』(2003)も手がけている。


■ジェーン・スコット(製作)

実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの数奇な運命を描いたドラマ『シャイン』(1995)で成功を収め、今回は実話のダンサーの物語にチャレンジ して高い評価を得た。これまでの主な作品に『ラスト・ジゴロ』(1987)、『クロコダイル・ダンディー2』(1988)、『ヘッドオン!』(1998)、『リトル・イタリーの恋』 (2003)などがあり、テレビ映画「スティーブン・キング/トミーノッカーズ」(1993)も手がけている。


■ジャン・サーディ(脚本)

ジェーン・スコットが製作した『シャイン』(1995)の脚本で高い評価を受け、 アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、英国アカデミー賞など、数々の映画賞の脚本賞候補となった。また、ベストセラー小説の映画化で、日本でも話題を呼んだニック・カサヴェテス監督の『きみに読む物語』(1995)の脚本も担当。 そのストーリーテリングのうまさでは定評がある。『リトル・イタリーの恋』(2003) では監督デビューも果たしている。TVドラマ『ドクター・ジェーン/犯罪分析医』(1994)も手がけている。


■ピーター・ジェームズ(撮影監督)

オーストラリアのシドニー生まれで、これまで数多くの映画の撮影を手掛けてきた。ベレスフォード監督の『ブラック・ローブ』(1991)ではオーストラリア映画協会賞の候補となる。同監督とは『ドライビング Miss デイジー』(1989)、『ラストダンス』(1996)、『ダブル・ジョパディー』(1996)などでも組んでいる。その他の主な作品に『マイ・ライフ』(1993)、『悪魔のような女』(1996)、『ニュートン・ ボーイズ』(1998)、『ミート・ザ・ペアレンツ』(2000)、『キャプテン・ウルフ』(2005)、 『幸せになるための27のドレス』(2008)などがある。


■ハーバート・ピンター(プロダクション・デザイン)

オーストラリアやハリウッドで活躍しており、今回の映画でオーストラリア映画協会賞候補となる。ベレスフォード監督のTV映画『ブラック・ローブ』(1991)ではジェニー賞に輝き、また、同監督のTV映画「バンデラスの英雄 パンチョ・ヴィラ」(2003)ではハリウッドの美術協会賞を獲得している。ピータ ー・ウェア監督の『危険な年』(1982)ではオーストラリア協会賞候補となる。その他の主な作品に『山猫は眠らない』(1993)、『グッドマン・イン・アフリカ』(1994)等がある。


■マーク・ワーナー(編集)

ベレスフォード監督の『ドライビング Miss デイジー』(1989)でアカデミー賞候補となり、同監督のTV映画「バンデラスの英雄パンチョ・ヴィラ」(2003) ではエミー賞候補となる。また、今回の新作ではオーストラリア映画協会賞候補となる。編集助手として『チャンス』(1978)、『帰郷』(1978)、『レイジングブル』 (1980)などに参加した後、独立した。これまでの主な作品に『ロッキー3』(1982)、 『48時間』(1982)、『コクーン』(1988)、『ディアボロス』(1997)、『ダブル・ジョパ ディー』(1999)、『トゥームレイダー』(2001)などがある。


■アンナ・ボーゲシ(衣装デザイン)

今回の映画でオーストラリア映画協会賞候補となり、ヒース・レジャーがオ ーストラリアの伝説のギャングに扮した『ケリー・ザ・ギャング』(2003/DVDのみ)でも同賞の候補となる。その他の主な作品に『女と女と井戸の中』(1997)、 『ピッチブラック』(2000)、テレビ映画の『エンド・オブ・ザ・ワールド』(2000) などがある。


■クリストファー・ゴードン(音楽)

今回の映画でオーストラリア映画協会賞を見事に受賞している。代表作にピ ーター・ウェアが監督し、ラッセル・クロウが主演した大作『マスター・アンド・コマンダー』(2003)があり、この映画でオーストラリア映画音楽賞を受賞。 TV映画としては「エンド・オブ・ザ・ワールド」、(2000)「ぼくとゾンビと秘密のハロウィン」(2001)、「死霊伝説 セーラムズ・ロット」(2004)などがある。 また、『ムーラン・ルージュ』(2001)には指揮者として参加している。


■グレアム・マーフィー(ダンス場面の振付)

1950年、オーストラリアのメルボルン生まれ。タスマニアで育つ。1968年から オーストラリア・バレエ団のダンサーとなり、振付も担当。1975年からフリーの振付師となる。1976年にニューサウス・ウェルズ・バレエ団の芸術監督となる。 ダンサー時代のパートナーで、夫人でもあるジャネット・ヴァーノンと2004年に シドニー・ダンス・カンパニーを設立。その並はずれた才能で、オーストラリ ア出身の伝説の振付師として知られる。日本では彼の振付によるオーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」が10月に公演予定。





「小さな村の小さなダンサー」 〜中国のバレエ事情&バレエシーンを中心に〜

中国のバレエは、とにかく「強い」。 国際バレエ・コンクールに参加すれば、かなりの確立で入賞を果たす。 バレエ学校の生徒を対象にしたローザンヌ国際バレエ・コンクールだけではなく、歴史と権威を誇るヴァルナ国際バレエ・コンクール(ブルガリア)など、 大バレエ団のプリマやプリンシパルが鎬を削る場でも、中国人ダンサーは傑出している。

高い位置で静止するようなジャンプ、真っ直ぐな軸が全くぶれない回転など、 技術は完璧なほど。容姿も良い。スタイル抜群で、「イケメン」や「カワイイ」 というよりも、もっと正統派の美男美女揃いだ。

中国では、素質のある子どもたちに徹底的なバレエ教育を施している。 それが「強さ」の大きな理由だ。プロのダンサーを養成するバレエ学校の入学 試験では、脚(尾てい骨からかかとまで)が胴体(尾てい骨から首の付け根まで)より、何センチ長いかも測定され、基準値に満たなければ不合格となる。 身体の柔軟性も、舞台映えするマスクも、もちろん「頭の良さ」も審査される。 そうして狭き門を突破して入ったバレエ学校では、クラシック・バレエだけでなく、アクロバティックな動きが多い京劇舞や中国古典舞踊も学ぶ。 「強い」中国のバレエは、こうして築かれていった。

「小さな村の小さなダンサー」の主人公リー・ツンシンは1961年、山東省 に生まれ、11歳のときに、北京からの視察団の目に留まり、毛沢東夫人、 江青が名誉校長をつとめる北京舞踏学院に入学する。 素質ある生徒を求め、一般の小学校にスカウト隊がくるというのは、最近まであった話だ。中国では、選ばれた者たちだけがバレエの道に入ることができるのだ。

映画では、主人公が身体を後ろに反らせ、そのまま床に両手をつける「ブ リッジ」や「倒立」の厳しいトレーニングを受ける場面が見られる。 これは現在も実際にある光景だ。ダンスのレッスンとはあまりにイメージが異なるが、このような基礎訓練が、素晴らしいダンサーを作り上げる。 これも「強さ」の礎。この時代の主人公を演じている少年が、中国の体操学校 の生徒だというのもうなずける。言い換えれば、体操選手並みの柔軟性や運動 能力が、中国のバレエ・ダンサーには求められるのだ。

10代の主人公役は、郭誠呉(グオ・チャンウ)。北京舞踏学院でトレーニングを受け、2006年のローザンヌ国際バレエ・コンクールでチャンスを得てオーストリア・バレエ学校に入学。2008年にオーストラリア・バレエに入団している。

大人になった主人公は、曹馳(ツァオ・チー )。北京舞踏学院で学び、英国ロイヤルバレエ学校に留学、バーミンガム・ロイヤル・バレエに入団、2002年にダンサーの最高位、プリンシパルに昇格、多くの作品で主役を演じている。1998年にはヴァルナ国際バレエ・コンクールで金メダルを獲得している。二人とも「選ばれた者」であることは、スクリーンを見ればわかるはず。10歳そこそこでバレエ・ダンサーへの道を選び、北京で、そして西側世界でバレエのレッスンを続け、その地でプロになったという点は、主人公リー・ツンシンと同じである。将来への覚悟、そのための努力 ― 時代は違うのだが、そこに共通するのは、ある種のハングリー精神。ハングリーと言うのがそぐわないとしたら、「必死さ」とでも言おうか、コンクール取材で出会ったグオやツァオからもそれは感じた。

彼ら出演ダンサーの質は非常に高い。俳優としてもダンサーとしても演技力も優れている。たとえば、バレエ学校時代に踊る『ジゼル』の第一幕のパ・ド・ ドゥや、政治的バレエ(おそらく『海羅紗』)、あるいはアメリカの野外劇場で、主人公が、怪我をしたダンサーの代役として急きょ踊った『ドン・キホー テ』のパ・ド・ドゥ(オペレッタ『こうもり』に挿入)でも、その決めの表情が少々京劇風にも見える。だが、実際のグオもツァオも、そうではない。流暢な英語を喋るツァオが、スクリーンでは、たどたどしく話すのと同様だ。ダンサーたちの「演技」の結果、ドラマは、よりリアルになっている。

オーストラリア・バレエが全面協力していて、同バレエ団プリンシパルのマドレーヌ・イーストがプリマ役。また、リー・ツンシンが再婚する相手メアリ ー・マッケンドリー役は、オーストラリア・バレエ出身で、現在香港バレエのソリストであるカミラ・ヴェルゴティス。振付は気鋭のグレアム・マーフィーが担当。最初の妻との別離とともにリハーサル風景から描かれる『白鳥の湖』 は、オーストラリア・バレエ団のレパートリーであるマーフィー版。オデット姫を英国王室の故ダイアナ元皇太子妃と重ね、オーストラリアはもちろん、イギリスでも、2007年の日本公演でも絶賛され、今年秋にも東京で再び上演される話題作だ。さらにラスト、中国の両親が初めてヒューストンに見にきた公演は、ストラヴィンスキー音楽の『春の祭典』。振付はダイナミックで良い意味でのエンタテインメント性もたっぷり。衝撃的な音楽とともに、クライマ ックスを大いに盛り上げている。


舞踊評論家 桜井多佳子