『インビクタス/負けざる者たち』/"INVICTUS"




2010年2月5日より全国にて公開

2009年アメリカ映画/2010年日本公開作品/134分/原題:INVICTUS/7巻/3,663m/シネマスコープ・サイズ/SR/SRD/DTS/SDDS/字幕:松浦美奈/配給:ワーナー・ブラザース映画

◇監督/製作:クリント・イーストウッド ◇脚本;アンソニー・ペッカム ◇原作:ジョン・カーリン ◇製作:ロリー・マックレアリー、ロバート・ロレンツ、メイス・ニューフェルド ◇製作総指揮:モーガン・フリーマン、ティム・ムーア、ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム ◇撮影:トム・スターン ◇美術:ジェイムズ・J・ムラカミ ◇編集:ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ ◇衣装:デボラ・ホッパー ◇音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーブンス 

◇キャスト:モーガン・フリーマン、マット・デイモン、トニー・キゴロギ、パトリック・モフォケン、マット・スターン、ジュリアン・ルイス・ジョーンズ、ボニー・ヘナ



| プロダクションノート | ストーリー | キャスト&スタッフ |
| オフィシャルサイト | WERDE OFFICE TOP | CINEMA WERDE |



【プロダクションノート】

◆スポーツには世界を変える力がある。
人々にインスピレーションを与え、団結させる力があるのだ。
ほかの何かには、まずできない方法で。

― ネルソン・マンデラ


1995年のラグビー・ワールドカップ決勝戦は、世界の大部分の人々にとっては、スリルに満ちた試合のひとつでしかなかった。しかし、南アフリカの人々にとって、それは国の歴史におけるターニングポイントだった。ともに興奮し、感動を味わうことにより、彼らは過去の傷を癒すきっかけをつかみ、将来への新たな希望さえ手に入れたのだから。この大きな意味をもつイベントの“企画者”は大統領のネルソン・マンデラ、そして、“実行者”は主将フランソワ・ピナール率いる南アフリカのラグビー代表チーム“スプリングボクス”の選手たちだった。

マンデラ大統領の願いは祖国の団結、フランソワの願いはワールドカップでの勝利へチームを導くこと。ふたりはそれぞれの願いを、「ひとつのチーム、ひとつの祖国」というモットーのもとで、同じゴールの中でかなえようとする。監督クリント・イーストウッドは、その過程を順を追って丁寧に描いていく。

本作の中でマンデラはフランソワにある詩を教える。それはマンデラに、つらく長い収監生活を耐えるためのインスピレーションと強さを与えたもので、のちに、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「インビクタス」であることが明らかになる。この詩の題名の意味は「不屈」。イーストウッドは、「それはこのストーリーの特定のキャラクターを表しているものではない。映画の展開の中でもっと広い意味をもつようになる」と語る。

ネルソン・マンデラ役のモーガン・フリーマンは、本作で製作総指揮も務めている。「これはいい意味で世界を揺るがせた出来事であるにもかかわらず、知っている人があまりにも少ない重要なストーリーなんだ」と彼は言う。「歴史上、これほど突然に、そしてこれほど完全に、ひとつの国がまとまった瞬間を、私はほかに思いつかない。私はこのストーリーの語り手になる機会を得られたことがとても誇らしい。そして、それをクリント・イーストウッドの手腕で語ることができるとなれば……。もうとにかくやるしかないよ」

アパルトヘイト(人種隔離)政策と闘って27年もの間、刑務所暮らしを強いられたネルソン・マンデラは、釈放されたあと、南アフリカ共和国大統領に選出される。不当なシステムは公式には撤廃されたものの、長く続いた人種を隔てる線は簡単には消せず、国民の心はいまだに分裂したままだ。新たなスタートを切ってまもないうちに、国が内側から崩れそうになっていく中、マンデラは意外なところに希望の光を見いだす。それはラグビーだった。南アフリカは次のワールドカップを開催することになっており、マンデラは代表チーム“スプリングボクス”を通して国をまとめることはできないだろうかと考える。

イーストウッドはこう語る。「この出来事は、マンデラの在職中の非常に重大な時期に起こる。彼は、スポーツを通して国民の融和を図るうえで、すばらしい聡明さを発揮したと思う。彼はみんなの心をひとつにしなければならない、そのためには、彼らの愛国心に訴える方法を見つけなければならないと知っていた。当時の国民に共通する、おそらく唯一のものがスポーツだったんだ。そして彼は、白人と黒人がひとつのチームとして頑張らなければ、自分の国は破たんするということもわかっていた。だから、その目標を達成する手段として、とても独創的な方法でひとつのチームを利用してみせた」

その目標とは、マンデラの夢である“レインボー・ネイション(虹の国)”であり、そこにはスプリングボクスのチームカラーであるグリーンとゴールドが入っている。マンデラの計画にはもちろんリスクがある。社会的、経済的に困窮している中で、彼の側近たちでさえ、なぜ大統領がラグビーのような些細なことにこだわるのかがわからない。しかも、南アフリカの黒人はスプリンボクスを長らく南アフリカのアパルトヘイトの象徴として嫌悪してきており、その名とエンブレムをこの世から永遠に消してしまいたいと願っている。そんな時に、なぜマンデラがスプリングボクスを応援できるのか、誰もが理解に苦しむ。しかし、マンデラはもっと先を見ていた。もし、同国の白人が愛しているラグビー・チームを消してしまえば、人種間の亀裂はさらに広がり、それはどんなことをしても修復不可能になってしまうだろう。

その点について、本作の原作「インビクタス/負けざる者たち」(NHK出版刊)の著者ジョン・カーリンはこう説明する。「まず理解しなければならないのは、スプリングボクスのグリーンのジャージは、南アフリカの黒人にとって、アパルトヘイトを強烈に思い出させるものだということだ。彼らは、そのジャージを自分たちの受けてきた恐ろしいまでの侮辱を象徴するものとして、ほかのさまざまなものに対してと同じく、激しく憎悪していた。マンデラのすごいところは、その象徴と憎悪を、国を団結させる強力な道具に変身させることができると悟ったことだ」

脚本家アンソニー・ペッカムは南アフリカ出身のため、このストーリーの背景に対し、特別な思いがある。彼はこう付け加える。「マンデラは、これは自分に投票しなかった選挙民たちに訴えかける絶好のチャンスだと気づいたんだ。実のところ、その選挙民たちは彼を恐れていたんだよ。南アフリカの白人はスプリングボクスを徹底して応援していたので、ワールドカップというイベントを利用するのは見事な発想だった。試合に勝つことだけが目的ではなかった。マンデラは、南アフリカの黒人が憎んだチームを受け入れ、ほとんど意志の力だけで、すべての国民に彼らを応援するように仕向けたんだ」

とはいえ、ラグビーの勝敗は政府の閣議で決められるものではない。そのため、マンデラは、自分の目標達成に協力してくれるひとりの人物にアプローチする。スプリングボクス主将フランソワ・ピナールだ。この政治の舞台の中央に突然立たされるラグビー選手を演じるのは、マット・デイモン。「マンデラがフランソワに頼むのは、祖国の予想、そしてフランソワ自身の予想を超越し、ワールドカップで優勝しろということなんだ」とデイモンは言う。「それはとてつもないリクエストだけど、フランソワはそれが単にラグビーの試合だけを意味していないことを悟る。そして、やがてチーム全員が、自分たちは祖国をひとつにするうえで、重要な役割を担っていることに気づくんだ。これは、僕たちの一番いい部分、人間に何ができるかを照らし出す、ほんとうに美しく、インスピレーションを与えるストーリーだよ。それに何がすごいって、実話だということだよね」

スクリーン上で自分を演じたデイモンの言葉に、フランソワ・ピナール本人も同感だ。「僕は、95年に南アフリカで起こった出来事よりすばらしいストーリーは、ハリウッドでさえ思いつかないだろうといつも言っていたんだよ。僕は幸運にも、祖国を団結させる上で大きな役割を果たしたすばらしいチームの主将を務めることができた。そして、そうできたのも、ネルソン・マンデラという最高の指導者がいたからこそだ」

南アフリカは、その年のワールドカップ開催国として自動的に出場が認められていた。しかし、スプリングボクスは、主に国際試合の経験不足のために、力不足は疑いようがなかった。「アパルトヘイトのために、南アフリカのスポーツ界は長年、国際試合から締め出されていた」とイーストウッドは説明する。「だから、スプリングボクスの選手たちを含め、誰も、彼らが勝ち進めるとは思わなかったんだ。それでも彼らは、その可能性に賭けたんだよ」



◆虹の国はここから始まる。
和解はここから始まる。
許しもここから始まるのだ。

― ネルソン・マンデラ
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


原作から映画化へは、一本の道を進んだわけではなかった。むしろ、まさにちょうどいい時期に、同じ行き先の違う道にいた数人が思いがけなく交差したといったほうがよい。

モーガン・フリーマンは、製作パートナーのロリー・マックレアリーと共に、ネルソン・マンデラを描いた映画の企画を何年も練っていた。彼らは、「自由への長い道 ― ネルソン・マンデラ自伝」の映画化を模索していたのだが、そこで語られているマンデラの生涯を映画の時間枠でとらえるのは不可能だとわかった。

マックレアリーはこう語る。「無理だとわかって私はひどく落胆していたんだけど、モーガンは、『ロリー、扉が閉じたら、窓が開くものだよ』と安心させてくれたの。そうしたら、まさにその翌週、95年のワールドカップに関するジョン・カーリンの本について、4ページの企画書が届いたのよ。その本は最終的に、この映画の原作『インビクタス/負けざる者たち』になった。1年足らずの期間に起こるストーリーの中で、マンデラの魂と人となりを描くというのは、とてもいい方法に思えたの」

偶然にも、原作者のカーリンはそのあとでフリーマンに会った。“本職”であるジャーナリストとして、米国南部の貧困に関し、ミシシッピ州クラークスデイルで取材をしていた時に、彼の取材の便宜を図ってくれた人物がフリーマンの友人で、ふたりを引き合わせたのだ。「僕は、『フリーマンさん、あなたにピッタリの映画の基になる話があります』と言ったんだ」とカーリンは当時を振り返る。「彼から何についてかと訊かれたので、『マンデラの天才ぶりと南アフリカの奇跡の本質がよくわかる、あるイベントについて』と僕が答えると、彼が『つまりラグビーのことかね?』と言ったので、僕はもうビックリしたよ。その時初めて、僕が書いた本の企画書を彼がすでに読んでいたことを知ったんだ」

しかし、このプロジェクトを進める前に、フリーマンとマックレアリーは、南アフリカで敬愛を込めて“マディバ”と呼ばれるマンデラの承諾を直接受けに行った。「モーガンが、『マディバ、私たちは長い間、別のプロジェクトに取り組んできましたが、あなたの本質がよく伝わる出来事について……』と説明しかけたら、マディバは最後まで聞かずに、『ああ、ワールドカップについてか』とおっしゃったの。その時、私たちは正しい方向に進んでいるんだと確信できたわ」

そして、ほぼ同じころ、本作で製作を務めたメイス・ニューフェルドもカーリンの企画書を受け取っていた。「あの当時、私は95年のラグビー・ワールドカップのことは何も知らなかったが、世界的に重要な人物としてマンデラについてはよく知っていた。胸躍るスポーツ・イベントの中で彼のストーリーを描くというのは、すごくワクワクする方法だと思ったよ」

さて、プロジェクトを次の段階に進めるため、ニューフェルドは以前にも組んだ脚本家のアンソニー・ペッカムにこの作品の脚本執筆を打診した。「僕はすぐに承諾したよ」とペッカムは言う。「南アフリカ国民はこのストーリーを知っているけれど、ほかの国の人たちが知っているとは思わない。でも、これは単に南アフリカ国民だけのストーリーではないんだ。僕にとって、これはリーダーシップを描いている。マンデラのだけでなく、スプリングボクスやほかのグループのリーダーシップもだ。真のリーダーシップというのは貴重なものであり、それをもつ人がいたら、喜び、祝うべきなんだ」

ペッカムにとって、このストーリーはもっと個人的な意味をもつ。彼は南アフリカで過ごした成長期に、マンデラのことはほとんど何も知らなかった。「当時、ネルソン・マンデラは“追放された政治犯”だったので、僕が彼について知っていたのは、アパルトヘイト政策をとっていた政府が公表していたことだけだった。あの国を出て初めて、僕は彼の崇高な行為のすべてを知ったんだ。だから僕にとって、この脚本を書き、マンデラについてできる限り多くを知ることは、自分自身を解放させる旅でもあり、夢の実現でもあった」

そして、ニューフェルドは、まさか同じプロジェクトを進めているとは知らずに、マックレアリーに連絡をとった。というのも、「ネルソン・マンデラを演じられるのはモーガン・フリーマンしかいないからだ」と彼は言う。

「メイスから電話があり、すばらしいプロジェクトと脚本家がそろっていると言われたの」とマックレアリーは思い返す。「彼がストーリーを話し始めた時、私は自分の耳を疑ったわ。そんなわけで、私たちはメイスとアンソニーに会い、アンソニーならこの脚本を任せられると思ったの。彼はこのプロジェクトに対して、とても熱い気持ちをもっていたから」

「そして、アンソニーが書き上げた脚本を読んだ時、これはホームランだと全員が思った」とニューフェルド。「次の問題は、監督を誰にするかということだった」

その答えはただひとつ。モーガン・フリーマンから脚本を受け取ったクリント・イーストウッドは、この題材にすぐに惹かれたと語る。「この出来事から私の想像力が刺激されたんだ。ごく自然に映画的な題材だと思ったし、脚本自体もとても気に入った」

製作のロバート・ロレンツはこう付け加える。「クリントと私はこの脚本を読んですぐに、ぜひやりたいと思った。とてもパワフルなストーリーであり、マンデラとフランソワの絆という点では熱いヒューマンドラマでもある。マンデラの類まれな指導力と同時に、彼のもっと個人的な側面を描いていることもとても興味深い」

フリーマンは、「このプロジェクトの一つひとつのコマが磁石のようにくっついてきた」と言う。「人材、時期、場所、プロジェクト……すべてがピッタリはまった。そんなことはめったに起こるものではないが、起こった時、それは運命なんだよ」



◆より大きな力を発揮しなければ目標を達成できない場合、
どうすれば自分を鼓舞できる?
そしてどうすれば周囲の人々みんなをやる気にさせられる?

― ネルソン・マンデラ
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


本作の製作が始まるずっと前に、モーガン・フリーマンは、一番重要な人物によってネルソン・マンデラ役に選ばれていた。「ある時、どの俳優に映画で自分を演じてほしいかと訊かれたマディバは、『モーガン・フリーマン』と答えたんだ」とフリーマンは言う。「だから、何年も前に私が初めてマディバに会った時、彼が私の名を出してくれたことを名誉に思うとお伝えした」

フリーマンがクリント・イーストウッドと組むのはこれが3作目だ。それについて、製作のロレンツはこう考える。「モーガンとクリントは互いのやり方をよくわかっていて、まさに、何も言わずとも意思の疎通ができるんだ。ふたりの関係は、気楽で、とてもリラックスしたものなので、一緒に仕事をすることが本当に楽しいんだと思うよ。モーガンにはクリントのめざすものが正確に理解できるし、クリントのほうも、モーガンが最高の演技をしてくれることを疑わない」

「モーガンは最高だよ」とイーストウッドは認める。「マンデラ役には彼以外に考えられないね。ふたりは同じ背格好だし、同じタイプのカリスマ性をもっている。声質もよく似ている上に、モーガンはマンデラの抑揚をつかむのにすごい努力をした。彼は見事にモノにしたと思うよ」

マンデラとは長年の付き合いであり、友人のひとりと考えるフリーマンはこう言う。「彼のアクセントと抑揚をマスターすることが、私の主な課題のひとつだった。彼が話しているのを何度も聞き、撮影が近づくと、映像も見た……すると、突然、すっとできるようになったんだ」

フリーマンは、マンデラを演じる上でもっとも重要な部分は練習してどうなるものではないと指摘する。「私は“彼に似せて演じる”ことを避けたかった。私は“自然に彼になる”ことが必要であり、それこそ最大のチャレンジだったよ。マンデラに直接会うとわかるが、その存在感の大きさに圧倒される。それは自然と彼からにじみ出てくるものなんだ。彼は人々を感動させ、よい方向に動かす。それが彼の天から授かった力なんだ。それを“マディバ・マジック”と呼ぶ者もいる。どんなマジックかはうまく説明できないけどね」

フリーマンと同様にマット・デイモンも、スプリングボクス主将フランソワ・ピナールを演じるために南アフリカ人のアクセントをマスターしなければならなかった。しかし見てのとおり、この役には肉体的なチャレンジもあった。「出演が決まると、僕はすぐにインターネットでフランソワのことを調べ始めたんだけど、彼がかなり大柄なことを知ったんだ。それでクリントに、『この人、すごくデカいんだけど』と言ったら、『ふん、君はほかのことを心配しろ。それは俺が考えるから』と言われた」

「マットはフランソワほど背は高くないだろうが、彼には同じ粘り強さとパワーがある」とイーストウッドは言う。「マットはこの役のためにとても熱心に体を鍛え、見事に仕上げてきた。それに、そのシーンの構成とカメラワークで、どんな体型にでも見せることができるからね」

しかし、デイモンが本物のピナールに初めて会った時にはカメラの助けはなかった。デイモンはその時のことをこう語る。「フランソワは僕を自宅に招き、すばらしいごちそうでもてなしてくれたんだ。でも僕は彼の家に着いた時、出迎えてくれた彼をただ見上げるしかなかった。ちょっと不安な沈黙があった後、僕は、『スクリーン上の僕はもっと大きく見えるから』と言ったのを覚えているよ」

そんなデイモンの心配は杞憂に終わった。ピナールはすぐに彼を気に入ったからだ。「マットはすごくいい奴だよ。とても謙虚で、ユーモアのセンスが抜群なんだ。彼は僕についてあらゆることを知りたがった。主将としての考え方とか、95年はどんな年だったかとか。練習メニューなどの技術的な面について、ラグビーそのものについても話したよ。とても楽しかった」

「フランソワからはどれだけ助けてもらったかわからない。僕は、実にさまざまなことについて彼を質問攻めにしたんだけど、彼は丁寧に答えてくれたんだ」とデイモンは言う。「彼はとても高潔な人だし、マンデラは現代において世界でもっとも偉大な指導者だと思うので、僕はフランソワという人物をきちんと表現することに対しても、このストーリー自体に対しても、とても大きな責任を感じた。彼らが成し遂げたことも、彼らの国が達成したことも、本当にすばらしいと思う」



◆望んでも望まなくても、
僕らはもはや単なるラグビー・チームではない。
時代は変わる。僕らも変わらなきゃならないんだよ。

― フランソワ・ピナール 
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


デイモンは、ベテランのラグビー選手を演じるため、やはり95年のスプリングボクスの名選手だったチェスター・ウィリアムスからも協力を得た。当時、チームで唯一の黒人選手だったウィリアムスは、本作のラグビー選手たちのコーチを務め、フィルムメーカーたちにとって貴重な情報源となった。

製作のマックレアリーはこう語る。「チェスターは、当時の試合でどんなプレーがあったか、どの選手がどの位置にいたかを完全に覚えていたので、テクニカル・アドバイザーとしてほんとうに頼りになったわ。95年当時、彼はスプリングボクスで唯一の黒人選手としてユニークな立場にあったの。あの時代のシンボルのようになったわけだけど、それは彼が望んだことではなかった。彼はただラグビーをやりたかっただけなの。それでも彼はその役割を引き受けた。撮影中、彼が現場にいてくれて、この映画でのチームを引っ張ってくれたことに心から感謝しているわ」

「チェスターは、映画の中で本物のラグビーをやらせることにこだわった」とイーストウッドは付け加える。「彼は、『この映画では、見せかけはナシだ。ちゃんとしたラグビーをやってもらう』と宣言した。“ちゃんとしたラグビー”というのは、知ってのとおり、とても荒っぽいスポーツだ。アメリカン・フットボールに似ているが、ラグビーにはヘルメットもパッドもなく、攻撃時間と守備時間もわかれていない。とにかくタフなスポーツで、ラグビー選手というのは実に特別な連中なんだ」

「クリントは実は、ラグビーの大ファンなんだよ」と製作のロレンツは明かす。「南アフリカに滞在中、彼は毎晩ラグビーを何時間も見ては翌朝、その試合の話をしていた。本当に楽しんだみたいだ」

キャストにとって、実際にラグビーをする上で必要になる屈強な体を作るため、「トレーニングはかなりハードだった」とデイモンは言う。「僕はウエイトリフティングに時間をかけ、筋肉をつけることに集中した。生まれて初めてダッシュもたくさんやったし、ボクシングもやった。そして、南アフリカに着いた時、チェスターが、『しっかり体を仕上げてきたね。何をやったんだい?』と聞いてきたので、『ウエイトリフティングにボクシングにダッシュをやったよ』と答えたんだ。彼は僕をしばらくじっと見た後で、『そんなことよりさっさとラグビーをやればよかったのに』と笑った」

そしてデイモンは、ほかの俳優たちと共に実際にグラウンドに出て、ラグビーをすることになった。イーストウッドはそれについてこう語る。「アマチュアがプロのスポーツ選手を演じる場合、本物と同じ技術をもっているように見せるため、徹底的に練習しなければならない。この映画でも、ラグビー初体験の俳優たちは大変な努力が必要だった。それと同時に、プロと対戦している時にケガをさせたくなかったので、私たちは、どうか無事に終わってくれと、けっこうハラハラしどおしだったよ」

そのラグビー初心者のひとりであるスコット・イーストウッドが演じたのは、スプリングボクスの選手ジョエル・ストランスキー。ワールドカップ決勝戦において、チームの得点すべてにかかわった選手だ。ラグビーというスポーツ全体を学ぶのに加えて、スコットはアメフトのフィールドゴールに似た“ドロップゴール”と呼ばれるキックをマスターしなければならなかった。

興味深いことに、チェスター・ウィリアムスは本作で彼自身を演じる人物のキャスティングを任された。そのマクニール・ヘンドリックスは、現在はラグビーのコーチをしている元プロ選手。90年代後半にはスプリングボクスに在籍していたこともある。ウィリアムスとヘンドリックスは選手時代からの知り合いだったが、ヘンドリックスを本作の自分の役に起用することになったのは偶然の出来事からだった。「何週間探してもふさわしい人物が見つからなかったんだが、そんな時、ショッピングセンターでマクニールに出くわしたんだ。それで僕は、『君に僕を演じてほしい』と頼んだんだよ。彼が承諾してくれてほんとうに嬉しかった」と、ウィリアムスは思い返す。

ヘンドリックスはこう語る。「僕にとってはすばらしいチャンスだった。チェスターとは古い知り合いで、僕らは似たところがあるんだ。現役のころ、彼はいつもニコニコしていた。僕のほうも、たとえ何度グラウンドに押し倒されても、いつも笑っていたんだ。それに、マットやモーガンやクリントのような人たちと仕事をするチャンスなんて、もう最高だったよ」

本作のラグビー選手たちはいろいろな国を代表するわけだが、そのほとんどは南アフリカで選ばれた。さまざまなチームを構成する選手役を集めたのは、スポーツ・コーディネーターのエイミー・マクダニエルである。

マクダニエルがこのプロジェクトに参加したのは撮影開始のわずか4か月前。彼女は、ウィリアムス、そして同じくラクビー・コーチのルドルフ・デウィー、トロイ・リーと密に連絡を取り合いながら、それぞれのチームにふさわしい選手たちを選んでいった。そのプロセスについて、マクダニエルはこう思い返す。「まず私がやらなければならなかったのは、2週間ほどで約500人のラグビー選手たちを集めることだったの。シーズン開幕直前だったので、それはかなり厳しい壁だったわ。私たちは、一つひとつのラグビー・クラブを回って、公開オーディションのチラシを配ったの。そして、集まった全員に対して、チェスターたちコーチが相手になってトライアウトを行い、少人数ずつ落としていき、最終的な候補者グループまで絞った。そこからがさらに複雑で、今度は、ポジションごとにふさわしい選手を選ばなければならなかったの。最終的には、とても結束力のあるグループができたと思うわ」

強豪であるニュージーランド代表オールブラックスの選手を演じる場合、彼らはラクビーだけでなく、“ハカ”と呼ばれる伝統的なマオリ族の戦いの踊りを覚える必要があった。「その踊りと叫び声は、試合開始の前から、対戦相手を威圧する目的があったんだ」とイーストウッドは説明する。

本物らしさを出すため、また、敬意を表する意味で、「私たちは、ハカを正しく演じられるよう、ニュージーランドのラグビー協会に連絡した」とロレンツは明かす。「彼らは、イニア・マックスウェルという名のエキスパートを派遣し、トレーニングを手伝わせてくれた。そのシーンの撮影時にも立ち会ってくれたので、正確な踊りを演出できたよ」



◆過去はもう終わったことだ。我々は今、未来を見すえている。

― ネルソン・マンデラ
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


マンデラの掲げる“虹の国”の実現には、もうひとつ、とても重要なチームがいる。映画の冒頭で、就任したばかりのマンデラ大統領は、前任者であるデクラークのもとで働いた白人スタッフにそのまま残ってほしいと頼む。マンデラ個人の警備チームを率いるジェイソンとリンガは、その命令が警備チームにまで適用されると知ると困惑を隠せない。つい最近まで、自分たちの自由と生命そのものを脅かしていた白人政府の公安部の元メンバーと、突然、肩を並べて働くことになったのだから当然だ。

イーストウッドはこう語る。「マンデラは、大統領スタッフの中でいちばん人目につくのは自分の護衛だとわかっている。だから、それを黒人と白人の混合チームにすることによって、彼の政府では多種多様な人材が一緒に働いていることを示せると考えた。それは彼にとって非常に重要なことなんだ」

「マンデラは、和解と許しという言葉を、ほかの国民に無理に従わせようとして語ったわけではない。彼はそれを自ら実行し始めたんだ」と説明する脚本のペッカムは、マンデラの警備チームにおける融合は、国全体がめざす姿の理想的な縮図となったと付け加える。「ANC(アフリカ民族会議)と公安部は水と油のような関係だった。その両者を、祖国の共通の指導者となった人物を守るという唯一無二の目的のために団結させることにより、僕は脚本家として、ほかの方法ではできなかったであろう形で、和解と許しという概念に個性を与えることができた」

ジェイソンとリンガをそれぞれ演じたのは、トニー・キゴロギとパトリック・モフォケン。そして、マンデラの安全を守るために、新たな同僚として信頼関係を築かなければならなくなった元公安部のメンバー、ヘンドリックとエティエンヌを演じたのはマット・スターンとジュリアン・ルイス・ジョーンズである。

マンデラとフランソワの人生には、女性たちも重要な役割を果たしている。マンデラの首席補佐官ブレンダを演じるのはアデョア・アンドー。遥かに重要な案件が山積みの中で、ラグビーのような些細なことになぜ大統領が多大なエネルギーと時間を注ぐのかをブレンダは理解できない。そして、マーガリート・ウィートリー扮する、フランソワの当時の婚約者ネリーンは、人生最大のチャレンジに挑むフランソワの強力なサポーターとなる。



◆これは、僕らの国歌のひとつ
意味は、「神よ、アフリカに祝福を」だ。
今の僕らに必要だと思わないか?

― フランソワ・ピナール 
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


南アフリカがアパルトヘイトの影を長く引きずっていることが本作ではっきりわかるのは、フランソワがスプリングボクスのチームメイトに、新しい国歌「Nkosi Sikelel' iAfrika」の歌詞を渡した時だ。南アフリカの黒人の言葉であるコサ語で「神よ、アフリカに祝福を」を意味するその歌は、主に白人が使うアフリカーンス語で歌われてきたそれまでの国歌「Die Stem van Suid-Afrika」(「南アフリカの叫び」という意味)にとって代わるものではなく、一緒に歌われるべきものである。しかし、フランソワの呼びかけに対し、白人のチームメイトたちは強く反発する。彼らはいまだに時代の変化になじむことができないでいるのだ。

本作で使われている南アフリカの歌は国歌だけではなく、音楽を担当したカイル・イーストウッドとマイケル・スティーブンスも、曲作りの上で、南アフリカ固有の音楽に大きく影響を受けた。この映画の製作が始まったころ、カイルはたまたま、ジャズ・フェスティバルのために南アフリカにいた。そのため、「カイルには、あちこちに行って、地元のミュージシャンたちと交流し、ヒントをもらえと伝えたんだ」とクリント・イーストウッドは言う。

彼はこう続ける。「私も南アフリカに行った時、いろいろなバンドを聴いた。この映画では、マンデラのお気に入りのバンドでもある“ソエト・ストリング・カルテット”を起用したんだ。それに、現地で見つけたアカペラ・グループ“オーバートーン”もとても気に入った」

「この作品のことを聞きつけて、参加したがった有名ミュージシャンはたくさんいた。このストーリーの意義をよく理解しているからだ」と製作のロレンツは言う。「最終的には、クリントが自分の琴線に触れ、この映画の彼のビジョンにふさわしい音楽を選んだんだ。南アフリカのさまざまなミュージシャンのサウンドも採り入れたので、この映画の音楽に本物らしさが加わり、その結果、いろいろな要素が融合したユニークな音楽が生まれた。それは見事にこの映画を盛り立ててくれているよ」



◆あの歌が聞こえるか? 祖国の声に耳を傾けろ。
これだよ、これが僕らの運命なんだ。

― フランソワ・ピナール 
映画『インビクタス/負けざる者たち』より


本作の撮影は、南アフリカでの完全ロケでおこなわれた。フィルムメーカーたちは、できる限り実際の出来事が起こった場所を使うようにした。

ロレンツはこう振り返る。「キャスト、スタッフ全員にとって、実際に南アフリカにいたことがストーリーを理解する上で大きな意味があった。あの出来事が人々にどんな影響を及ぼしたか、つねに思い出させられたからだ。私たちが話をした現地の人たちはみんな、あの決勝戦の日に自分がどこにいたか、どんな興奮を感じたかを話してくれた。あれは、彼らにとって自分の存在意義を明確にした瞬間であり、誰もが鮮明に思い出せる出来事だったんだ」

「実際の出来事が起こったのと同じ場所にいられたことで、このストーリーがより真に迫って感じられた」と製作のニューフェルドも言う。「それに、まだあれから15年もたっていないのに、その間にどれだけのことが成し遂げられたかを見られたのは実に感動的だった。プロデューサーとして、それまででもっともすばらしい体験のひとつだったな」

フリーマンの想いも同じだ。10年以上前に彼が初めて訪れた時から、南アフリカは明らかに変わったと彼は感じる。「私が初めて南アフリカへ行った時はマンデラの大統領時代で、まだピリピリした雰囲気が漂っていた。何か起こりそうな緊張感がそこらじゅうにあったんだ。だが、今回は、緊張感もプレッシャーもなく、すべてが落ち着いていて、とてもいい感じだった。そうなることをめざして始まったことが、ちゃんと続いているのを見られて、すごく嬉しかったね」

「南アフリカ以外でこの映画を撮るつもりはなかった」とイーストウッドは言い切る。「実際の場所でしか得られないものがあるからね。人々、ロケーション……。私たちはそういう真実味が欲しかった。この映画のキャストの大部分と、エキストラ全員は南アフリカ人だ。優秀な映画制作会社も現地にあったので、撮影スタッフはアメリカ人と南アフリカ人がうまく融合していて、これ以上のチームはなかったよ」

さて、本作のクリエイティブ・チームには、撮影のトム・スターン、美術のジェイムズ・J・ムラカミ、編集のジョエル・コックスとゲイリー・D・ローチ、そして衣装のデボラ・ホッパーなど、イーストウッド作品の常連が集結した。

「クリントは、彼の感性を共有できるスタッフに囲まれている」とニューフェルドは言う。「彼らのチームワークはすばらしいよ。クリントが演出している様子はただ見ているだけで圧倒される。彼は常に熟慮した上で撮影に臨むので、キャストもスタッフも、彼についていけるよう、しっかり準備をしてこなければならないんだ」

イーストウッドの演出スタイルをよく知っているフリーマンもこう語る。「クリントの撮影はとても速い。1テイク撮ったら、すぐ次に進む。すごくいいよ。それに、彼がいつも平静でいることもありがたい。それは彼の精神力と自制心の表れだ」

本作で初めてイーストウッドと組んだデイモンは、「彼は映画の中でとても雄弁なんだ」と言う。「彼は、そのストーリーを語るにはどうすればいいかを正確に把握している。俳優として、完全に身を任せられるので、とても安心して演じることができるんだ。彼との仕事は本当にすばらしい体験だった」

撮影の大部分は、海岸沿いの都市ケープタウンとその周辺で行われた。そこで撮られた重要なシーンのひとつは、マンデラがスプリングボクスの強化合宿を訪れるシーンだ。トカイと呼ばれるその地区へ、当日の朝、到着した撮影隊は、そこにはすでに珍しい“見物客”たちがいることに気づいた。ヒヒの群れだ。「私たちはヒヒがいなくなるのを待たなければならなかったが、ラグビー選手役のキャストが出ていくや否や、彼らはサイドラインのところに残ったり、少し丘になっている木々の間にいたりした。そして、『このイカれた人間どもは何だ?』とでも言いたげに私たちを見ていたよ」とイーストウッドは当時を思い返しながら笑う。

ケープタウンでは、一軒の家をマンデラ大統領の自宅内部の撮影に使った。マンデラの個人秘書ゼルダ・ラグレインジは、ムラカミ率いる美術チームの仕事ぶりを称賛する。「私はマンデラの家をよく知っているので、この家がどれだけ完璧な再現かがわかる。部屋の様子なんて、ほとんど同じに思えたわ。そしてその時、モーガン・フリーマンの声が聞こえてきたの。最初、声の主は見えなくて、『あら、なぜマディバがここに?』と思ったのよ。私はマディバに毎日のように会うけど、モーガンほど彼にそっくりなしゃべり方、しぐさができた人は見たことがなかった」

家の外観のシーンは、ヨハネルブルクにある実際のマンデラ邸で撮影された。また、クライマックスのワールドカップ決勝戦を含むラグビーの試合のシーンも、実際の試合が行われたヨハネスブルクのエリス・パーク・スタジアムで撮影された。95年以降、スタジアムの様子もかなり変化していたので、ムラカミの美術チームは、徹底的なリサーチを行い、広告看板なども含め、当時のスタジアムをできるだけ再現し、最終的にはCGIでそれを完成させた。また、スタンドの2千人余りのエキストラを、モーション・ピクチャーによって、視覚効果チームが6万2千人の観客に増大させることができた。

ムラカミと同様に、衣装のホッパーの課題も95年のファッションを蘇らせることだった。特に重要だったのはスプリングボクスのユニフォームで、現在のチームのものとはかなり違う。「ユニフォームは多くの点で違うの。95年当時、短パンの丈はもっと短かったし、ジャージはもっとゆったりした感じ。布地にしても、今は合成繊維だけど、当時は綿。そのため、この映画のために特別に布地を織ってもらう必要があったの」

ほかのチームのユニフォームも、ロゴを含めて当時からは多くが変わっており、ホッパーたちはそれもすべて再現しなければならなかった。スプリングボクスの場合、チームのロゴの向きは95年と正反対である。

本作の決勝戦で、マンデラはスプリングボクスのジャージを着る。「あれはとても重い意味をもつの。あのジャージは南アフリカの黒人にとってずっと受け入れがたいものだったので、マンデラはそれを着てグラウンドへ出ていったことで、『今はみんな同じなのだ。心をひとつにして頑張ろうじゃないか』と、黒人も白人も関係なく、全国民に訴えかけたのよ」と製作のマックレアリーは言う。その時、マンデラのジャージの背番号は“6”。それは彼の友であり、協力者である主将フランソワ・ピナールの背番号であり、ふたりの絆を示すものだ。

マンデラとフランソワが大統領執務室で初めて会うシーンは、首都プレトリアの政庁所在地であるユニオン・ビルディング内のオフィスで撮影された。映画の撮影に使われたのは本作が初めてである。

しかし、スタッフ、キャスト全員にとって、もっとも感傷的になったロケーションは、マンデラが30年近く閉じ込められていた実際の独房を含めた、ロベン島の刑務所だった。「誰もがさまざまな意味で心を動かされ、ほとんどが言葉を失っていたわ」とマックレアリーは思い返す。「あの場所を訪れたあと、私たち全員がこのストーリーとマンデラに対して結びつきをもつことができた。それは、あそこで実際に撮影しなかったら、まったく違う形になっていたはず」

イーストウッドはこう振り返る。「ロベン島へ行った時、誰もがあの独房の狭さに驚いた。あそこで27年という、おそらくは人生でもっともいい時期を過ごしながらも、出てきた時にあれだけ苦々しさのない心境のままでいられたというのはすごいことだと思う」

スプリングボクスの選手たちは全員でロベン島を訪れ、短い瞬間だけでも、そこがどれだけひどい場所であったかを直接体験する。その時、フランソワは、インスピレーションの源としてマンデラが教えてくれた一篇の詩を思い出すのだった。



 


【ストーリー】

その大統領の誕生は、熱い喜びと、激しい怒りで迎えられた。1994年、南アフリカ共和国初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)だ。

マンデラは就任早々、国の最大の問題を大統領官邸で目の当たりにする。白人の職員たちが新政権の下を去るべく、荷物をまとめていたのだ。マンデラは、すぐに全職員を集めて、「“過去は過去”だ。皆さんの力が必要だ。我々が努力すれば、我が国は世界を導く光となるだろう」と語りかける。

南アフリカは、問題を山のように抱えていた。不況、失業、犯罪増加 ― それらに立ち向かうためには、対立する黒人と白人をひとつにする ― それがマンデラの願いだ。

手始めにマンデラは、大統領警護班に4人の白人を配属する。さまざまな人種で創る“虹の国”は「君たちから始まる」と言うマンデラに、「俺たちを殺そうとした連中ですよ」と反発する責任者のジェイソン。それでもマンデラは「赦しが魂を自由にする」と諭す。前政権に27年間も投獄された人の言葉に、ジェイソンは驚きながらも従うしかなかった。

さらにマンデラは、意外な行動に出る。ラグビーの南ア代表スプリングボクスの試合を観戦したのだ。ラグビーは白人が愛好するスポーツで、黒人にとってはアパルトヘイトの象徴だった。長らく国際試合から追放されていたチームは、“南アの恥”と言われるほど、弱体化していた。

1年後、ラグビーのワールドカップが、南アで開催される。マンデラの中で、何かが閃く。その日からマンデラは、秘書のブレンダが心配するのも聞かず、どの政策よりもラグビー強化を優先するのだった。

まずは、チーム名を変えることを決定した国家スポーツ評議会を、「今は卑屈な復讐を果たす時ではない。我々の国家を築く時だ」と説得してやめさせる。次に、スプリングボクスの主将、フランソワ・ピナール(マット・デイモン)をお茶に招待し、指導者のあり方について気さくに語り合う。そして投獄されたロベン島で絶望した時、ある詩が立ち上がる力をくれたという体験を語る。車で待っていた婚約者のネリーンに「大統領の用件は何?」と聞かれ、「たぶんワールドカップ優勝だ」と答えるピナールは、大統領の真の目的に気付き始めていた。

過酷なトレーニングを続けるチームに、大統領から、PRの一環として各地の黒人地区でコーチをしろとのお達しが出る。「そんな時間はない」と怒る選手たちも、崩れかけた家に住む子供たちの、輝く瞳とはじける笑顔に触れた時、時を忘れて懸命にスポーツの楽しさを伝える。彼らの歓声が一つになった空き地には、「一つのチーム、一つの国」のスローガンが書かれた看板が立っていた。

1995年、遂にワールドカップが幕を開ける。サッカーファンだった黒人たちも、今やスプリングボクスを応援している。熱狂するスタンド、TVの前に集まる人々、南ア国民4300万人が見守る中、一国の、そして世界の歴史を変える“事件”が、始まろうとしていた ― 。





 


【キャスト&スタッフ】

■モーガン・フリーマン(ネルソン・マンデラ/製作総指揮)

クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で米アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。さらに全米映画俳優組合(SAG)賞も受賞し、ゴールデングローブ賞にもノミネートされた。この作品で、米アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『許されざる者』(1992)に続き、イーストウッド監督と2度目のチームを組んだ。

そのほかに、3度米アカデミー賞にノミネートされた経験をもつ。1回目は、冷ややかな演技でノミネートを獲得した1987年のドラマ作品『N.Y.ストリート・スマート』(未)。この作品では、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ニューヨーク映画批評家協会賞、全米批評家協会賞、インディペンデント・スピリット賞の各最優秀助演男優賞も受賞し、初めてゴールデングローブ賞にノミネートされた。2回目は、オフブロードウェイで演じ、賞を受賞した役を再演した1989年の『ドライビング・ミス・デイジー』。この作品では、ゴールデングローブ賞、全米映画批評会議賞最優秀男優賞も受賞。3回目は、フランク・ダラボン監督の1994年のドラマ作品『ショーシャンクの空に』。この作品では、ゴールデングローブ賞、SAG賞にもノミネートされた。

そのほか近作に、コメディ『ブルース・オールマイティ』(2003)およびその続編『エバン・オールマイティ』(2007・未)、ラッセ・ハルストレム監督の『アンフィニッシュ・ライフ』(2005・未/ロバート・レッドフォード、ジェニファー・ロペス共演)、ジェット・リーのアクション映画『ダニー・ザ・ドッグ』(2005/リュック・ベッソン脚本)、クリストファー・ノーラン監督の大ヒット作『バットマン ビギンズ』(2005)および『ダークナイト』(2008)、『ラッキー・ナンバー7』(2006)、ロブ・ライナー監督の『最高の人生の見つけ方』(2007/ジャック・ニコルソン共演)、ロバート・ベントン監督の『ラブ・アペタイザー』(2007・未)、ベン・アフレック監督の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(2007・未)など。また、スティーブン・スピルバーグ監督の『宇宙戦争』(2005)、米アカデミー賞受賞ドキュメンタリー『皇帝ペンギン』(2005)ではナレーションを担当し、見事な声を披露している。

そのほか初期の作品に、『ブルベイカー』(1980)、『ポール・ニューマンのハリー&サン』(1984・未)、『りんご白書』(1984)、『目撃者マリー』(1985・未)、『偽りのヘブン』(1988・未)、『ワイルド・チェンジ』(1989・未)、『グローリー』(1989)、『セブン』(1995)、『コレクター』(1997)、スティーブン・スピルバーグ監督の『アミスタッド』(1997)、『ディープ・インパクト』『フラッド』(共に1998)、『ベティ・サイズモア』(2000)、『スパイダー』(2001)、『トータル・フィアーズ』『ハイ・クライムズ』(共に2002)など。

1993年、『ボッパ!』(未)で監督デビューした後すぐにレベレーションズ・エンターテイメントを立ち上げた。この会社が製作し、出演も兼ねた近作は、ブラッド・シルバーリング監督のコメディ『素敵な人生のはじめ方』(2006・未/パス・ベガ共演)である。

メンフィス生まれ。整備士として空軍に従事した後、60年代初頭からニューヨークの舞台でキャリアをスタートさせた。10年後、人気子供番組「The Electric Company」(1971〜1977)で人気キャラクターのイージー・リーダー役を創り出し、米国内で有名なTVパーソナリティとなった。

70年代を通して舞台で活躍を続け、1978年の「The Mighty Gents」での演技で、ドラマ・デスク賞とクラレンス・ダーウェント賞を受賞し、トニー賞にもノミネートされた。

1980年、ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルで演じたシェークスピア作「コリオレイナス」のアンチヒーロー像コリオレイナス役と、「肝っ玉おっ母とその子どもたち」での演技によってオビー賞を受賞。さらに1984年には、評判の高いブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック製作によるリー・ブリューワー作「The Gospel at Colonus」でのメッセンジャー役の演技でオビー賞を再度受賞し、翌1985年には、同役でドラマローグ賞も受賞した。

1987年、アルフレッド・ウーリーのピューリッツァー賞受賞戯曲「ドライビング・ミス・デイジー」におけるホーク・コールバーン役の演技で4作目のオビー賞を受賞。1990年、ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバルにおいて「じゃじゃ馬ならし」(トレイシー・ウルマン共演)のペトルーキオ役を演じた。2008年にはブロードウェイの舞台に戻り、クリフォード・オデッツ作「The Country Girl」(マイク・ニコルズ演出、フランシス・マクドーマンド、ピーター・ギャラガー共演)に出演した。



■マット・デイモン(フランソワ・ピナール)

米アカデミー賞最優秀脚本賞受賞や最優秀主演男優賞ノミネートなど、カメラの両サイドにおける活躍で称賛を得ている。

今後の公開作も幅広いジャンルに及ぶ。2010年3月公開予定のポール・グリーングラス監督のサスペンス『Green Zone』、現在撮影中のジョージ・ノルフィ監督のサスペンス『The Adjustment Bureau』(エミリー・ブラント共演)、クリント・イーストウッド監督と再びタッグを組むドラマ作品『Hereafter』(ピーター・モーガン脚本)、コーエン兄弟が古典西部劇『勇気ある追跡』(1969)をリメイクする『True Grit』、インディペンデント映画『Margaret』(ケネス・ロナーガン監督)など。またTVでは、有名な歴史家ハワード・ジンが共著者として名を連ねる原作に基づく「The People Speak」において、製作総指揮者と出演者の両方を兼ねている。エンターテイメント業界においてもっとも有名な人物たち数名がドラマチックな朗読と演技を披露するこの番組は、2009年12月にヒストリーチャンネルで放映予定である。

最新作『インフォーマント!』(2009年12月5日、日本公開)で主人公を演じ、スティーブン・ソダーバーグ監督と5度目のタッグを組んだ。ソダーバーグ監督とは以前に、オールスターキャストのアクションコメディ『オーシャンズ11』(2001)、『オーシャンズ12』(2004)、『オーシャンズ13』(2007)でチームを組み、監督の二部作『チェ』の後編『チェ 39歳 別れの手紙』(2008)にもカメオ出演している。

2002年、大ヒットアクション映画『ボーン・アイデンティティー』でジェイソン・ボーン役を演じた。その後もポール・グリーングラスが監督した2本の続編ヒット作『ボーン・スプレマシー』(2004)および『ボーン・アルティメイタム』(2007)で同役を再演している。

そのほかの近作に、スティーブン・ギャガン監督のサスペンス『シリアナ』(2005/ジョージ・クルーニー共演)、米アカデミー賞最優秀作品賞を受賞したマーティン・スコセッシ監督の『ディパーテッド』(2006/レオナルド・ディカプリオ、ジャック・ニコルソン、マーク・ウォールバーグ共演)、ロバート・デ・ニーロが監督と出演を兼ねたサスペンスドラマ『グッド・シェパード』(2006/アンジェリーナ・ジョリー共演)など。

ボストン出身。ハーバード大学に通い、アメリカン・レパートリー・シアターで初めて演技を経験した。映画デビューは『ミスティック・ピザ』(1988)。次に『青春の輝き』(1992)、ウォルター・ヒル監督の『ジェロニモ』(1993)、さらにケーブルTV系列の「Rising Son」(1990)およびトミー・リー・ジョーンズ監督の「ワイルド・メン」(1994)にも出演した。最初に注目を集めたのは、戦場での記憶に苦しみ、自責の念にかられる湾岸戦争退役軍人を演じた1996年の『戦火の勇気』だった。

長年の友人ベン・アフレックと共に脚本を書き、高い評価を得た1997年のドラマ作品『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』で、ふたりは米アカデミー賞およびゴールデングローブ賞、さらに多くの批評家協会賞の最優秀オリジナル脚本賞を獲得した。また自身は、米アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、全米映画俳優組合(SAG)賞の主演男優賞にノミネートされた。また同じく1997年には、フランシス・フォード・コッポラ監督の『レインメーカー』で理想に燃える若き弁護士を演じ、ケビン・スミス監督の『チェイシング・エイミー』にもカメオ出演している。

1998年には、スティーブン・スピルバーグ監督のオスカー賞受賞作である第二次世界大戦ドラマ作品『プライベート・ライアン』でタイトルロールのライアン役を演じ、さらにジョン・ダール監督のドラマ作品『ラウンダーズ』(エドワード・ノートン共演)にも出演。1999年の『リプリー』(アンソニー・ミンゲラ監督)では3度目のゴールデングローブ賞ノミネートを獲得した。さらにケビン・スミス監督の物議を醸し出したコメディ『ドグマ』ではベン・アフレックと再びチームを組んだ。

ほかの出演作品に、『バガー・ヴァンスの伝説』(2000/ロバート・レッドフォード監督)、『すべての美しい馬』(2000/ビリー・ボブ・ソーントン監督)、カメオ出演した『コンフェッション』(2002/ジョージ・クルーニー監督)、ファレリー兄弟監督のコメディ『ふたりにクギづけ』(2003/グレッグ・キニア共演)、『ブラザーズ・グリム』(2005/テリー・ギリアム監督、ヒース・レジャー共演)など。

映画・TV・ニューメディア作品をプロデュースする製作会社ライブプラネットをアフレックと共に立ち上げた。ライブプラネットはエミー賞に3シーズンノミネートされた「Project Greenlight」(2001〜)を製作。これは、初脚本・初監督によるインディペンデント映画のメイキングを記録する番組である。同番組はこれまでに、『夏休みのレモネード』(2002)、『The Battle of Shaker Heights』(2003)、『The FEAST ザ・フィースト』(2005)を製作。ライブプラネットは米アカデミー賞受賞者ジェイムズ・モールが監督したドキュメンタリー『Running the Sahara』(2008)の製作にも携わっている。

さらに、現在ではWater.orgとして知られている「H20 Africa」を共同設立し、子供たちの財団「ONEXONE」の大使も務めている。



■クリント・イーストウッド(監督/製作)

多くの受賞経験をもつ監督、プロデューサー、俳優である。現在は監督・製作を務めるドラマ作品『Hereafter』(ピーター・モーガン脚本、マット・デイモン、セシル・ドゥ・フランス出演)に取りかかっている。

近作は、監督・製作・主演を務め、高い評価を得たドラマ作品『グラン・トリノ』(2008)。『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)以来久しぶりに演じた主役のウォルト・コワルスキー役の演技で、全米映画批評会議賞最優秀男優賞を受賞した。また2008年には、ロサンゼルス警察を揺り動かした悪名高き1928年の誘拐事件における真実のドラマを描いた『チェンジリング』(アンジェリーナ・ジョリー主演)でも監督・製作を務めた。この作品は2008年度カンヌ国際映画祭でプレミア上映された後、パルムドール賞にノミネートされ、特別賞を受賞した。またジョリーの最優秀主演女優賞を含め、米アカデミー賞3部門にノミネート。また、英アカデミー賞およびロンドン映画批評家協会賞の最優秀監督賞にもノミネートされた。

監督・製作・音楽を担当して称賛を浴びた第二次世界大戦記『硫黄島からの手紙』は、2007年度米アカデミー賞最優秀監督賞ならびに最優秀作品賞にノミネートされた。この作品は日本人の視点から見た歴史的戦闘を語っている。また、ゴールデングローブ賞および放送映画批評家協会賞の最優秀外国語映画賞も受賞し、ロサンゼルス映画批評家協会賞、全米映画批評会議賞など数多くの批評家協会賞最優秀作品賞の栄誉に輝いた。同作は、硫黄島に国旗を掲げるアメリカ人兵士たちの有名な写真を基に語られ、やはり監督・製作・音楽を担当して熱い支持を得た『父親たちの星条旗』(2006)と対を成す作品である。

2005年、『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目の米アカデミー賞最優秀監督賞および最優秀作品賞の両部門を受賞。この作品の演技で最優秀主演男優賞にもノミネートされ、共演のヒラリー・スワンクとモーガン・フリーマンがそれぞれ主演女優賞と助演男優賞を受賞した。また、脚色賞および編集賞にもノミネートされた。

高い評価を得たドラマ作品『ミスティック・リバー』は、2003年度カンヌ国際映画祭でデビューし、監督自身がパルムドール賞にノミネートされ、カロセドール(フランス映画監督協会)賞を受賞。さらにこの作品は、最優秀作品賞と最優秀監督賞を含む米アカデミー賞6部門にノミネートされた。ショーン・ペンとティム・ロビンスが主演男優賞と助演男優賞を獲得し、助演女優賞および脚本賞にもノミネートされた。

1993年、西部劇というジャンルに新風を吹き込んだ監督・主演・製作の『許されざる者』では、米アカデミー賞9部門にノミネートされ、最優秀作品賞および最優秀監督賞を受賞し、主演男優賞候補となった。また、最優秀助演男優賞(ジーン・ハックマン)および最優秀編集賞も獲得し、オリジナル脚本賞、撮影賞、アートディレクション賞、編集賞、音響賞にもノミネートされた。また、1995年には米アカデミー賞アービング・G・タルバーグ記念賞の栄誉に輝いている。

最初に注目を集めたのは、1971年、ゴールデングローブ賞のヘンリエッタ賞を受賞した時だった。1988年には、セシル・B・デミル功労賞を受賞。1989年には『バード』で初のゴールデングローブ賞最優秀監督賞を受賞し、1993年には前述の『許されざる者』で再びゴールデングローブ賞の最優秀監督賞を受賞。2004年には『ミスティック・リバー』で監督賞にノミネートされ、2005年には『ミリオンダラー・ベイビー』で3度目のゴールデングローブ賞最優秀監督賞を受賞した。さらにこの作品では作曲賞でもノミネートされている。

作品は、批評家たちや、1994年には審査員長を務めたこともあるカンヌなどの国際映画祭で高い評価を得てきた。1985年には『ペイルライダー』がカンヌ国際映画祭のパルムドール賞にノミネートされ、1988年には『バード』が最優秀男優賞(フォレスト・ウィテカー)およびサウンドトラック賞を受賞。さらに1990年には『ホワイトハンター ブラックハート』がパルムドール賞にノミネートされた。

また、タルバーグ賞とデミル賞に加えて、全米監督組合、全米製作者組合、全米映画俳優組合、アメリカン・フィルム・インスティチュート、リンカーンセンター映画協会、フランス映画協会、全米映画批評会議、ヘンリー・マンシーニ・インスティチュート(アメリカ音楽への傑出した貢献に対するハンク賞)、ハンブルグ国際映画祭(ダグラス・サーク賞)、ベネチア国際映画祭(栄誉金獅子賞)など数多くの功労賞を獲得している。

さらに、ケネディ・センター名誉賞、全米映画編集者協会賞および全米パブリシスト賞、ウェスリアン大学芸術学部名誉博士号も獲得し、ピープルズ・チョイス賞の“お気に入りの映画俳優賞”を5回受賞している。1991年、ハーバード大学演劇部の“今年のハスティ・プディング賞”に選出され、1992年には、カリフォルニア知事賞芸術部門賞を受賞した。2009年秋、映画に対する貢献を称えて贈られるふたつの名誉賞が加わった。初めて開催されたグランド・リヨン映画祭のリュミエール賞、そしてフランスのニコラ・サルコジ大統領より授与されたレジオンドヌール勲章である。



■アンソニー・ペッカム(脚本)

期待のアクション・アドベンチャー・ミステリー『シャーロック・ホームズ』(2010年3月12日日本公開/ガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.、ジュード・ロウ、レイチェル・マクアダムス出演)の共同脚本を担当。全米では2009年クリスマスに公開予定である。

現在は、アレックス・カーツマンとロベルト・オーチーが製作する深海アドベンチャースリラー『Deep Sea Cowboys』の脚本に取りかかっている。脚本を担当する次回作は、オレン・スタインハウアー原作、ジョージ・クルーニー製作による『The Tourist』、マイケル・キャネル原作、トビー・マグワイア主演による『The Limit』。

そのほかの作品に、サスペンススリラー『サウンド・オブ・サイレンス』(2001/マイケル・ダグラス主演)、サイファイチャンネルのミニシリーズ「5デイズ」(2004/ティモシー・ハットン、ランディ・クエイド出演)など。

南アフリカで育ち、ケープタウン大学で政治学、歴史学、英語学の学位を取得。さらにノーベル賞受賞作家J・M・クッツェーのもとでレイモンド・チャンドラーの作品群を研究し、英文学の優等学位を取得。アパルトヘイトに反感を抱き、さらにチャンドラーの影響を受けて南アフリカを去った後、カリフォルニアで映画製作を学ぶためにサンフランシスコ州立大学に入り、映画学の文学修士号を取得した。



■ジョン・カーリン(原作)

1989年から1995年にかけてロンドン「インディペンデント」紙の南アフリカ支局長を務めた。ネルソン・マンデラの釈放ならびに大統領就任式に関する記事を報道し、何度もマンデラと面会した。4年間、米国を含める多くの国々で、「ニューヨーク・タイムズ」紙、ロンドンの「タイムズ」紙、「ワイアード」誌、「ニュー・リパブリック」誌、「コンデナスト・トラベラー」誌、「オブザーバー」紙(英国)など、多くの主要な英国系新聞社の海外特派員として仕事をした。政治報道と食文化の記事によって英国内のジャーナリズム賞をいくつも受賞している。

ブルース・ウィリスが主演した『ダイ・ハード4.0』(2007)は「ワイアード」誌に書いた記事が基になっている。米PBS放送で放映されたマンデラの人生を描いたドキュメンタリーでは、インタビューと脚本を担当し、2000年のエミー賞にノミネートされた。現在は、世界有数のスペイン語新聞「エル・パイス」紙の国際部上席ライターを務めている。



■ロリー・マックレアリー(製作)

高い評価を得た反アパルトヘイト映画『ボッパ!』(1993・未)で共同製作を務め、映画界でのキャリアをスタートさせた。この作品で監督デビューを飾ったモーガン・フリーマンと初めてチームを組んだ。1996年、ふたりは人間の経験を称える映画を製作するという使命感に燃え、レベレーションズ・エンターテイメントを設立。

レベレーションズ社の最高経営責任者として、『The Maiden Heist』(2009/ウィリアム・H・メイシー、クリストファー・ウォーケン、マーシャ・ゲイ・ハーデン出演)、ミミ・レダー監督の『The Code』(2009/アントニオ・バンデラス、ラダ・ミッチェル、モーガン・フリーマン出演)の製作に携わる。

そのほかの作品に、『アンダー・サスピション』(2000/モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマン出演)、ジェイムズ・パターソン原作の『スパイダー』(2001/モーガン・フリーマン主演)、『Levity』(2003/ビリー・ボブ・ソーントン、キルスティン・ダンスト出演)、ブラッド・シルバーリング監督の『素敵な人生のはじめ方』(2006・未)、ロバート・ベントン監督の『ラブ・アペタイザー』(2007・未)など。

映画製作者でありコンピュータ科学者でもあるという稀有な経歴の持ち主である。全米製作者組合(PGA)に映画テクノロジー委員会を創設。映画製作者、俳優、エグゼクティブたちと、新たなメディアについての話し合いを続け、デジタル分野への移行が続くハリウッドで、優れたテクノロジー製造会社にとっての良きアドバイザーとして信頼を勝ち得ている。

現在は、PGAの製作者評議委員、全米撮影者協会のテクノロジー委員を務めている。

「ハリウッドレポーター」誌の有名な“ハリウッドでもっともパワフルな女性たち100人”のひとりに選出された。



■ロバート・ロレンツ(製作)

1994年からクリント・イーストウッドの右腕として活躍し、イーストウッドの製作会社マルパソ・プロダクションズが製作する映画のすべての局面を統括している。プロデューサーとして、イーストウッド監督のもっとも多作で成功を収めた時期に2つの米アカデミー賞にノミネートされた。

『ミスティック・リバー』の製作で2004年に初ノミネートを獲得。翌年には、最優秀作品賞を受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』の製作総指揮を務めた。

さらに、イーストウッド監督の2本の第二次大戦記『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)を製作。後者では、イーストウッドとスティーブン・スピルバーグと共に製作を担当し、2度目の米アカデミー賞ノミネートを獲得した。ほとんど全編が日本語で撮影された『硫黄島からの手紙』は、ロサンゼルス映画批評家協会賞および全米映画批評会議賞の最優秀作品賞、ならびにゴールデングローブ賞および放送映画批評家協会賞の最優秀外国語映画賞を獲得した。

2008年、イーストウッド監督の真実の物語を描いたドラマ作品『チェンジリング』で、ブライアン・グレイザー、ロン・ハワードと共に製作に携わり、この作品は、アンジェリーナ・ジョリーの最優秀主演女優賞を含む3つの米アカデミー賞ノミネートを獲得した。同年、イーストウッドと共に『グラン・トリノ』を製作。この作品はこれまででもっとも高収益をあげたイーストウッド監督作品となった。

現在は、ドラマ作品『Hereafter』(イーストウッド監督、ピーター・モーガン脚本)の製作に携わっている。出演は、マット・デイモンと受賞経験をもつフランス人女優セシル・ドゥ・フランス。

米シカゴ郊外で育ち、1989年に映画界入りをめざしてロサンゼルスに移る。『マディソン郡の橋』(1995)でイーストウッドの助監督を務めて以来、『真夜中のサバナ』『目撃』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)などの作品でチームを組んでいる。



■メイス・ニューフェルド(製作)

ハリウッドで最も成功を収め、尊敬を集めるプロデューサー。書籍をヒット映画にする才能や能力を発掘する鋭い眼力をもち、ケビン・コスナー、アレック・ボールドウィン、監督のリチャード・ドナー、ロジャー・ドナルドソン、フィリップ・ノイス、ジョン・マクティアナンたちがキャリアを踏み出すのに助力してきた。映画業界で最も大きな成功を収めたシリーズ作品「オーメン」三部作のうち2作品、およびトム・クランシー原作の小説に基づき、主人公“ジャック・ライアン”を中心に描いた4つの大ヒット作『レッド・オクトーバーを追え!』(1990)、『パトリオット・ゲーム』(1992)、『今そこにある危機』(1994)、『トータル・フィアーズ』(2002)の製作を担当。現在、5作目の“ジャック・ライアン”シリーズを開発中で、2010年に撮影開始予定である。

そのほかの担当作品に、『フリスコ・キッド』(1979・未/ジーン・ワイルダー、ハリソン・フォード出演)、好評を博した『追いつめられて』(1987/ケビン・コスナー、ジーン・ハックマン出演)、『セイント』(1997/フィリップ・ノイス監督、バル・キルマー、エリザベス・シュー出演)、ネルソン・デミルのベストセラー小説を基にしたヒット犯罪スリラー『将軍の娘/エリザベス・キャンベル』(1999/ジョン・トラボルタ、マデリーン・ストウ、ジェイムズ・クロムウェル出演)、サイコスリラー『アサイラム/閉鎖病棟』(2005・未/ナターシャ・リチャードソン、イアン・マッケラン出演)、クライブ・カッスラーのベストセラー小説を基にしたアドベンチャー『サハラ/死の砂漠を脱出せよ』(2005/マシュー・マコノヒー、ペネロペ・クルス、スティーブ・ザーン出演)などがある。

1976年、ハーベイ・バーンハードと共に、超自然スリラー『オーメン』(リチャード・ドナー監督、グレゴリー・ペック主演)の製作を担当。自身の初プロデュース作品でもあるこの作品は、世界的大ヒットを記録した。

1989年、ニュー・ワールド・エンターテイメントの元社長、ロバート・G・レーメと共にニューフェルド/レーメ・プロダクションズを設立。90年代、同社は『イントルーダー 怒りの翼』(1990/ダニー・グローバー主演)、『スーパー・タッチダウン』(1991)、『ビバリーヒルズ・コップ3』(1994/エディ・マーフィー主演)など、ヒット作を相次いで手がけている。1993年、ニューフェルド/レーメのコンビは、ショーウェストでプロデューサー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、翌年、パブリシスト組合のショーマン・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。

ニューヨーク出身、エール大学卒業。マネージャーとしてキャリアをスタートさせ、ドン・アダムス、ドン・ノット、ジェイ・ウォード、ガブリエル・カプランなど当時のエンターテイメント業界で最も貴重なタレントたちや、ジム・クロウチ、ランディ・ニューマン、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス、カーペンターズといった伝説的ミュージシャンたちのキャリアにおいて案内係を務めた。

80年代には、ジョン・スタインベックの傑作小説を基にしたゴールデングローブ賞受賞ミニシリーズ「エデンの東」(1981)、のちに画期的な賞受賞TVシリーズとなった「女刑事キャグニー&レイシー」(1981)のパイロット番組など、数々の傑出したTV映画を手がけた。また、賞受賞ミニシリーズ「歪んだ愛/レイプの報酬」(1985)の製作総指揮を務め、その後最高の視聴率をあげたベーシック・ケーブルTVミニシリーズで、4時間におよぶ1993年のイベント的作品「ゲティスバーグの戦い/南北戦争運命の三日間」を放送した。

興味の幅は広く、名人級のカメラマンでもある。第二次世界大戦から帰還した退役軍人を撮った写真「Sammy's Home」が、「ニューヨーク・ワールド-テレグラム・アンド・サン」紙のピクチャーオブ・ザ・イヤーに選ばれている。また、米国作曲家・作家・出版社協会に長年籍を置いている。作詞家のロバート・アーサーとは、サミー・デイビス・Jr.、ドロシー・ラウドン、ベティ・クルーニーたちの曲で組んでいる。さらにアニメシリーズ「The Heckle and Jeckle Show」(1956〜1971)のテーマソングなど、子供向けの歌を数多く手がけている。

また、米国映画協会の評議会委員、南カリフォルニア大学ピーター・スターク・プロデューシング・プログラムで指導者を務める。パーム・スプリング国際映画祭での製作部門功労賞など数多くの賞を受賞してきた。そして、誉れ高いハリウッド・ウォーク・オブ・フェームを授かっている。

さらに、PATH(ホームレスサポート団体)のサポーターを10年以上務めており、2000年度PATHメイカーズ賞を受賞。また、ストップ・キャンサーの熱心なサポーター、およびビバリーヒルズ芸術委員会のメンバーでもある。



■ティム・ムーア(製作総指揮)

2002年より、クリント・イーストウッドが関わる全ての映画の物理的製作を統括している。現在、2010年公開予定のイーストウッド監督のドラマ『Hereafter』(マット・デイモン主演)の製作総指揮を務めている。さらに、『グラン・トリノ』『チェンジリング』(共に2008)で製作総指揮、二部構成で第二次世界大戦を描いた大作『父親たちの星条旗』(2006)および多くの賞を受賞し、米アカデミー賞最優秀作品賞にノミネートされた『硫黄島からの手紙』(2006)の共同製作を担当。ほか、イーストウッドと組んだ作品に、米アカデミー賞最優秀作品賞を含む6部門にノミネートされたドラマ『ミスティック・リバー』(2003)、同賞を最優秀作品賞を含む4部門で受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)などがある。さらに、アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)で共同製作を担当。

また、ローディ・ハーリントン監督とは20年来のつき合いで、エスピー賞にノミネートされた伝記『ボビー・ジョーンズ 球聖と呼ばれた男』(2004・未)の製作を務めた。これ以前にも、『ジャック・ザ・リッパー/殺しのナイフ』(1987)、『ロードハウス 孤独の街』(1989)、『コンフェッション』(1998)などでチームを組んでいる。

ほかの製作担当作品に、『バウンティ・キッド』(1999・未/アーネ・グリムシャー監督)、『アニマル・ファクトリー』(2000・未/スティーブ・ブシェーミ監督、ウィレム・デフォー出演)など。また、TV映画「Stolen from the Heart」(2000)の製作、「センパー・ファイ! 海兵隊の誇りを胸に」(2001)の製作マネージャーを務めた。

映画の世界でキャリアをスタートさせる前、カルフォルニア大学ロサンゼルス校に通っていたころ、寮友ジョン・シェパードと出会った。ふたりは4本のインディペンデント作品、『Eye of the Storm』(1992)、『The Ride』(1997)、『バーティカル・ハンガー』(2002・未)、前出の『ボビー・ジョーンズ 球聖と呼ばれた男』などを手がけている。

妻のボビーと共に数多くの動物愛護団体で積極的に活動している。



■ゲイリー・バーバー(製作総指揮)

パートナーのロジャー・バーンバウムと共に製作・資金調達・配給を業とするスパイグラス・エンターテイメント社を設立し、共同会長兼CEOを務める。

今日までにスパイグラス・エンターテイメントが手がけた映画は、全世界で47億ドルを超える興行収入をあげている。また、同社がリリースした作品は、28度の米アカデミー賞ノミネート獲得、および3度のオスカー受賞など、おびただしい数の栄誉を授かっている。

同社は、今夏に公開した2作品、SF大ヒット作 『スター・トレック』(2009/J・J・エイブラムス)およびアクション『G.I.ジョー』(2009)でも相次いで成功を収めている。

スパイグラス社の初製作作品は、1999年に大ヒット現象を引き起こした『シックス・センス』(ブルース・ウィリス主演)。この作品は、全世界で6億7000万ドルの興行収入をあげ、米アカデミー賞最優秀作品賞を含む6部門にノミネートされた。その後同社は、米アカデミー賞最優秀作品賞ノミネート作品『インサイダー』(1999/アル・パチーノ、ラッセル・クロウ出演)、『シービスケット』(2003/ジェフ・ブリッジス、トビー・マグワイア出演)に共同出資している。

さらに、大ヒットコメディ『ブルース・オールマイティ』(2003/ジム・キャリー、ジェニファー・アニストン、モーガン・フリーマン出演)、ベストセラー小説を基にした大河ドラマ『SAYURI』(2005)、アクション・アドベンチャー『レジェンド・オブ・ゾロ』(2005)、同じくアクション・アドベンチャー『南極物語』(2006)、ロマンチック・コメディ・ヒット作『幸せになるための27のドレス』(2008/キャサリン・ハイグル、ジェームズ・マースデン)、アクション・ヒット作『ウォンテッド』(2008/アンジェリーナ・ジョリー、ジェイムズ・マカボイ、モーガン・フリーマン出演)、クリスマス・コメディ『フォー・クリスマス』(2008・未/ビンス・ボーン、リース・ウィザースプーン出演)など、多くの成功を享受している。

スパイグラス社は次回作として、ロマンチック・コメディ『Leap Year』(エイミー・アダムス、マシュー・グード出演)、コメディ『Dinner for Schmucks』(ジェイ・ローチ監督、スティーブ・カレル出演)、ドタバタコメディ『Get Him to the Gig』(ジョナ・ヒル、ラッセル・ブランド出演)など数多くのプロジェクトを抱えている。

エンターテイメント業界においてのベテランであり、70本を超える映画・TV作品の製作・製作総指揮に携わってきた。また、長編映画の製作・海外配給・上映をおこなう企業を自身で運営している。



■ロジャー・バーンバウム(製作総指揮)

パートナーのゲイリー・バーバーと共にスパイグラス・エンターテイメント社を共同設立している。ふたりで映画製作・資金調達・配給をおこなう同社の共同会長兼CEOを務める。また自身は、スパイグラス社のもとで製作されるほぼ全作品の製作・製作総指揮にあたっている。

今日までにスパイグラス・エンターテイメントが手がけた映画は、全世界で47億ドルを超える興行収入をあげている。興行面での成功に加え、同社がリリースした作品は、28度の米アカデミー賞ノミネート獲得、および3度のオスカー受賞など、おびただしい数の栄誉を授かっている。

スパイグラス社の近作は、夏に公開した2本のヒット作、SF大ヒット作 『スター・トレック』(2009/J・J・エイブラムス)およびアクション『G.I.ジョー』(2009)。さらに次回作として、ロマンチック・コメディ『Leap Year』(エイミー・アダムス、マシュー・グード出演)、コメディ『Dinner for Schmucks』(ジェイ・ローチ監督、スティーブ・カレル出演)、ドタバタコメディ『Get Him to the Gig』(ジョナ・ヒル、ラッセル・ブランド出演)など数多くのプロジェクトを抱えている。

1999年、スパイグラス社は発足し、メガヒット作『シックス・センス』(ブルース・ウィリス、ハーレイ・ジョエル・オスメント出演)を初プロデュースした。この作品は、全世界で6億7000万ドルの興行収入をあげ、米アカデミー賞最優秀作品賞を含む6部門にノミネートされた。その後同社は、米アカデミー賞最優秀作品賞ノミネート作品『インサイダー』(1999/アル・パチーノ、ラッセル・クロウ出演)、『シービスケット』(2003/ジェフ・ブリッジス、トビー・マグワイア出演)に共同出資している。

さらに、大ヒットコメディ『ブルース・オールマイティ』(2003/ジム・キャリー、ジェニファー・アニストン、モーガン・フリーマン出演)、ベストセラー小説を基にした大河ドラマ『SAYURI』(2005)、アクション・アドベンチャー『レジェンド・オブ・ゾロ』(2005)、同じくアクション・アドベンチャー『南極物語』(2006)、ロマンチック・コメディ・ヒット作『幸せになるための27のドレス』(2008/キャサリン・ハイグル、ジェームズ・マースデン)、アクション・ヒット作『ウォンテッド』(2008/アンジェリーナ・ジョリー、ジェイムズ・マカボイ、モーガン・フリーマン出演)、クリスマス・コメディ『フォー・クリスマス』(2008・未/ビンス・ボーン、リース・ウィザースプーン出演)などで多くの成功を収めている。

スパイグラス・エンターテイメントを共同設立する前に、キャラバン・ピクチャーズを共同設立している。これより前、ワールドワイド・プロダクション社長、および20世紀フォックスの上級副社長を務めている。映画業界に参入する以前に、音楽業界でA&Mレコード、アリスタ・レコードの副部長として輝かしいキャリアを築いている。

米国映画協会理事および同協会前芸術監督。また、南カリフォルニア大学ピーター・スターク・プロデューシング・プログラムで指導者を務めている。



■トム・スターン(撮影)

クリント・イーストウッド監督のドラマ『チェンジリング』(2008)で、米アカデミー賞および英アカデミー賞最優秀撮影賞候補となる。イーストウッドとは長いつき合いで、撮影を担当した近作に、絶賛を浴びたドラマ『グラン・トリノ』(2008)があるほか、携わったイーストウッド監督作品に、初めて撮影監督を務めた『ブラッド・ワーク』(2002)、米アカデミー賞受賞ドラマ『ミスティック・リバー』(2003)および『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、第二次世界大戦を舞台にしたドラマ『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)などがある。現在、イーストウッド監督のドラマ『Hereafter』に取りかかっている。

このほか、ローディ・ヘリントン監督の『ボビー・ジョーンズ 球聖と呼ばれた男』(2004・未)、ジョン・タトゥーロ監督の『Romance & Cigarettes』(2005)、スコット・ディクソン監督の『エミリー・ローズ』(2005)、トニー・ゴールドウィン監督の『ラストキス』(2006・未)、アリソン・イーストウッド監督の『レールズ&タイズ』(2007・未)、スザンヌ・ビア監督の『悲しみが乾くまで』(2008)、クリストフ・バラティエ監督の『幸せはシャンソニア劇場から』(2008)、パーベル・ルンギン監督の『Tsar』(2009)など、多くの監督たちと組んでいる。

30年にわたり業界に籍を置くベテランで、クリント・イーストウッドとは20年以上のつき合いになる。最初は照明係として『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)、『ダーティハリー4』(1983)、『タイトロープ』(1984)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)などを担当。マルパソ・プロダクションズで主任照明技師になってからは、『ルーキー』(1990)、『許されざる者』(1992)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)などのイーストウッド作品のほか、幅広いジャンルにわたる作品に携わった。このほか主任照明技師を務めた作品に、マイケル・アプテッド監督の『訴訟』(1991)、サム・メンデス監督の『アメリカン・ビューティー』(1999)および『ロード・トゥ・パーディション』(2002)などがある。



■ジェイムズ・J・ムラカミ(美術)

2009年初めに、クリント・イーストウッド監督の1928年を舞台にした時代ドラマ『チェンジリング』(2008)で米アカデミー賞および英アカデミー賞候補となる。さらに同監督の2008年のドラマ『グラン・トリノ』にも携わり、現在、次回作『Hereafter』で再びチームを組んでいる。

初めて美術を担当したイーストウッド作品は、好評を博した第二次世界大戦を舞台にしたドラマ『硫黄島からの手紙』(2006)。それ以前は、イーストウッドと旧知の美術デザイナー、ヘンリー・バムステッドと組み、『許されざる者』(1992)でセット・デザイナーを、『真夜中のサバナ』(1997)でアート・ディレクターを務めた。

2004年、米HBO放送の好評を博したシリーズ「デッドウッド 銃とSEXとワイルドタウン」(2004〜2006)でエミー賞にノミネートされ、翌年にはこの西部劇シリーズで同賞を受賞した。

アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)で美術を担当。このほかアート・ディレクターとして、トニー・スコット監督の『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987)、『トゥルー・ロマンス』(1993)、『クリムゾン・タイド』(1995)および『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)、ジョン・バダム監督の『ウォー・ゲーム』(1983)、バリー・レビンソン監督の『ナチュラル』(1984)、マーティン・ブレスト監督の『ビバリーヒルズ・コップ』(1984)および『ミッドナイト・ラン』(1988)、デイビッド・フィンチャー監督の『ゲーム』(1997)、ピーター・ハイアムズ監督の『レリック』(1997)など多数の作品を手がけている。また、セット・デザイナーを務めた作品に、『スニーカーズ』(1992)、『アイ・ラブ・トラブル』(1994)、『真夏の出来事』『ポストマン』(共に1997)、『プリティ・プリンセス』(2001)、『スコーピオン・キング』(2002)、TVシリーズ「チャームド 魔女3姉妹」(1998〜2006)などがある。



■ジョエル・コックス(編集)

クリント・イーストウッドとは30年以上にわたり、チームを組んでいる。イーストウッド監督の『許されざる者』(1992)で米アカデミー賞最優秀編集賞を受賞。さらに同監督の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で再び米アカデミー賞にノミネートされている。2009年初めに、『チェンジリング』(2008)で英アカデミー賞にノミネート。イーストウッド監督と組んだ近作に、第二次世界大戦ドラマ二部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)、『グラン・トリノ』(2008)などがある。

そのほか編集を担当したイーストウッド監督作品に、『ダーティハリー4』(1983)、『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)、『バード』(1988)、『ホワイトハンター ブラックハート』『ルーキー』(共に1990)、『パーフェクト・ワールド』(1993)、『マディソン郡の橋』(1995)、『目撃』『真夜中のサバナ』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)などがある。

ふたりのつき合いの始まりは、1975年に編集アシスタントとして『アウトロー』を担当した時に遡る。以来、30本以上のイーストウッド監督作、プロデュース作、および主演作の編集に携わってきた。

キャリア初期のころ、恩師のフェリス・ウェブスターと共同編集を担当した作品に、『ダーティハリー3』(1976)、『ガントレット』(1977)、『ダーティファイター』(1978)、『アルカトラズからの脱出』(1979)、『ブロンコ・ビリー』(1980)、『センチメンタル・アドベンチャー』(1982)などがある。そのほかの編集担当作品に、『タイトロープ』(1984)、『ダーティハリー5』(1988)、『ピンク・キャデラック』(1989)、『ヘンリエッタに降る星』(1995・未)など。



■ゲイリー・D・ローチ(編集)

1996年に見習いとして『目撃』(1997)に携わって以来、クリント・イーストウッドと組んでいる。すぐに編集アシスタントに昇格し、『真夜中のサバナ』(1997)、『トゥルー・クライム』(1999)、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』(2006)などを担当。

賞を受賞した第二次世界大戦を舞台にしたドラマ『硫黄島からの手紙』(2006)で、イーストウッドの長年のコラボレーター、ジョエル・コックスと組み、初めて編集者として作品に携わる。アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)で、初めてひとりで編集を手がけた。クリント・イーストウッドおよびジョエル・コックスと組んだ近作に、英アカデミー賞最優秀編集賞にノミネートされた『チェンジリング』『グラン・トリノ』(共に2008)などがある。現在、次期公開のドラマ『Hereafter』で再びチームを組んでいる。

さらに、イーストウッド監督の『ピアノ・ブルース』(2003・未)、マーティン・スコセッシ製作のドキュメンタリーシリーズ「The Blues」(2003)の数エピソードで共同編集を務めている。その後もドキュメンタリーの仕事に携わり、トニー・ベネットを描いた作品「Tony Bennett: The Music Never Ends」(2007)の共同編集を担当している。



■デボラ・ホッパー(衣装)

クリント・イーストウッド監督とは25年近くにわたりチームを組んでおり、2010年公開予定の次回作『Hereafter』でも衣装を担当し、ふたりのコラボレーションは継続中である。最近、実録ドラマ『チェンジリング』(2008)で衣装を担当し、英アカデミー賞候補となった。さらに、イーストウッド監督/主演の2008年の現代ドラマ『グラン・トリノ』(2009)にも携わっている。そのほか衣装を担当したイーストウッド監督作品に、『スペース カウボーイ』(2000)、『ブラッド・ワーク』(2002)、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)などがある。

イーストウッドが主演と製作を兼ねた1984年の『タイトロープ』で女性用衣装を監修し、イーストウッド作品に初参加。ほかにも女性用衣装監修として『ペイルライダー』(1985)、『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』(1986)、『バード』『ダーティハリー5』(共に1988)、『ピンク・キャデラック』(1989)、『ルーキー』(1990)を手がけ、その後『真夜中のサバナ』『目撃』(共に1997)、『トゥルー・クライム』(1999)で衣装全般を監修する。

2008年、ハリウッド映画祭でその年の衣装デザイナーに選ばれた。キャリア初期のころ、50年代を舞台にしたTV映画「L.A.シェイクダウン/裸体の疑惑」(1987)で女性用衣装を手がけ、エミー賞を受賞。そのほか衣装監修/女性用衣装監修を務めた作品に、『氷の微笑』『チャーリー』(共に1992)、『ストレンジ・デイズ 1999年12月31日』『ショーガール』(共に1995)、『ゴッドエージェント』(1996・未)、『狼たちの街』(1996)など。



■カイル・イーストウッド(音楽)

長年のパートナー、マイケル・スティーブンスと共に、父クリント・イーストウッド監督の2008年のドラマ『グラン・トリノ』に提供した主題歌でゴールデングローブ賞最優秀主題歌賞にノミネートされた。ふたりはこの映画のスコアも手がけている。これまでにもスティーブンスと組んで『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)などのイーストウッド監督作品を担当。また、アリソン・イーストウッドの初監督作『レールズ&タイズ』(2007・未)でもスティーブンスと共同でスコアを手がけた。

米カリフォルニア州カーメル出身。ジャズの好きな父に連れられて、モントレー・ジャズフェスティバルなどに親しみ、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、マイルス・デイビスらのジャズに触れる。18歳の時、高校の友人たちとペブルビーチで即興演奏をしていた。1986年、映画について学んでいた南カリフォルニア大学2年生の時、音楽活動に専念するため休学。1年だけのつもりが、今に至っている。

ニューヨークやロサンゼルスでの数年にわたる下積み時代を経て、ソニーと契約し、1989年にファースト・アルバム「フロム・ゼア・トゥ・ヒア」をリリース。伝説のジョニ・ミッチェルをボーカルに迎え、ジャズのスタンダードとオリジナル曲を収録したアップビートなこのアルバムは、高い評価を得る。

2004年、英国の大手独立系ジャズレーベル、キャンディッド・レコーズと契約。同社を通して、デイブ・コーズのレーベル、ランデブー・エンターテイメントとも、米国でのアルバムリリースについての契約に至った。

2005年に発表したセカンド・アルバム「パリ・ブルー」には父も参加し、当時9歳の娘も自作自演のイントロソングを提供。フランスのジャズ・チャートで1位の座を獲得した。2006年秋に、3枚目のアルバム 「ナウ」を発表。このアルバムは、もっとも意欲的な作品と言われている。2009年5月に、最新アルバム「メトロポリタン」をリリース。



■マイケル・スティーブンス(音楽)

本作のスコアをカイル・イーストウッドと担当したうえに、クリント・イーストウッド、エミール・ウェルマン、ダイナ・イーストウッドと共に「インビクタス 9000デイズ」を手がけている。これより前にカイル・イーストウッドと組み、クリント・イーストウッド監督の絶賛を浴びたドラマ『グラン・トリノ』(2008)の主題歌とスコアを手がけた。この主題歌で、ふたりはゴールデングローブ賞最優秀主題歌賞にノミネートされている。ほか、ふたりでスコアを手がけたクリント・イーストウッド監督作品に、『ミスティック・リバー』(2003)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006)などがある。さらにふたりは、アリソン・イーストウッド監督の『レールズ&タイズ』(2007・未)も担当している。

また、『さよなら。いつかわかること』(2007)で、ジェイミー・カラムが歌う主題歌をプロデュース。さらに、ピューリッツァー賞に輝く写真家エディ・アダムズを追ったドキュメンタリー『An Unlikely Weapon』(2009/2009年度仏アビニョン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞)ではスコアを手がけた。

米シカゴ郊外のパラタインで育ち、5歳でピアノを始める。数年ののちにドラムへ転向するが、家の中で練習する息子に辟易した父親からクラッシックギターを買ってもらう。このギターが、ミュージシャンとしての人生を歩むことを決定づけた。

17歳の時、シカゴを離れフロリダ州マイアミ大学に入学し、著名なキューバのギタリスト、ファン・メルカダルにクラッシックギターの指導を仰ぐ。そのかたわらで作曲も始め、ビージーズのアルバム「ESP」に2曲収録されるが、残念なことにアルバム発売前にカットされてしまった。

1987年に南カリフォルニア大学へ転入し、活動的なベース奏者カイル・イーストウッドと知り合う。ふたりでユニットを結成し、アルバム「マグネティック・バケーション」を発表。ユニットの活動が軌道に乗ってきたころ、クリント・イーストウッドに招かれ『ルーキー』(1990)にオリジナルソングを提供し、映画音楽の世界に進出した。

1990年、映画音楽の大家ハンス・ジマーに師事。6年間にわたり、米アカデミー賞作曲賞に輝いた『ライオン・キング』(1994)など、20本あまりのサウンドトラックで演奏、録音、プロデュースにあたった。1998年、シンガー・ソングライターとして、ドリームワークスと育成契約を結ぶに至り、およびクリサリス・ミュージックと出版契約を結ぶ。

2004年、カイル・イーストウッドと再び組み、イーストウッドの好評を博したアルバム「パリ・ブルー」、次いで「ナウ」の曲を共同で手がけ、プロデュースを担当。ふたりのコラボレーションは継続し、2009年6月にリリースされたイーストウッドの最新アルバム「メトロポリタン」のプロデュースも手がけている。最近、2009年12月にコペンハーゲンでおこなわれるコフィ・アナン元国連事務総長が呼びかける気候変動枠組み条約第15回締約国会議のために、マヌ・カッチェと共に「ベッズ・アー・バーニング」をプロデュースしている。