【解説】
◆ぼくは歩く。未来をつかむために。
■9才の少年ファルハード。麻薬中毒である両親が出生届を出さなかったため、戸籍も身分証も持っていない。だから、学校にも行けず、働き口を見つけても断られてばかり。それでも働かなくてはならない。ファルハードは仕事を求めて街中を歩き回る。身分証を取るため、たった一人で役所へと向かう。ちゃんとした仕事を手に入れることができる日を、そしていつか学校で勉強できる日を夢見て。
■『ぼくは歩いてゆく』は、親の身勝手な理由で、生まれた時から身分証をもっていないというハンディを背負った少年ファルハードの日常を追ってゆく。しかし、少年は親を憎んだり、状況を憂いたりはしていない。むしろ当たり前のこととして懸命に生きている。今、何が必要かを無意識の内に考え、“へこたれる”という言葉を知らないかのように、自分なりの方法(時には必要最小限の嘘もつくが)で目的へと向かって進んでいく。走ることなく、ゆっくりと、急いで、歩いてゆく。彼の瞳は決して曇ることなく、前を、未来を見据えている。その少年の顔や姿には、“生の輝き”、生きていくことの素晴らしさが満ち溢れている。
■ファルハードは、身分証がないことで様々な困難に遭遇し、ついにはそれを自分で手に入れようとする。果たして、身分証という紙切れがないことは、彼自身の存在自体をも否定することなのか?彼の行動が、たとえ身分証という紙切れがなくても、自信を持って生きていくこと、それが自分自身の身分証であることを証明していくのである。観る者はいつの間にか少年ファルハードの生き方を応援し、そして彼の生き抜いていこうとする“強さ”に励まされるにちがいない。
◆ドキュ・ドラマ―少年との出会いから生まれた奇跡の物語
■ある日、ジャリリは板金工場で働く少年の瞳に目を奪われる。その少年は、まるで捜し物をしているかのように、常に瞳をキョロキョロ動かし、しかも、なぜか色々な名前で呼ばれていた。気になって声をかけ、話を聞くと、彼には正式な名前も戸籍もなく、しかも両親は麻薬中毒であるという。この少年こそが、主役のファルハードである。この二人の運命的な出会いから本作『ぼくは歩いてゆく』が生まれた。
■「子供たちを救うために映画を撮り続ける」と語るジャリリは、この少年のバックグラウンドを作品のテーマとして選び、脚本を仕上げ、撮影へと挑んだ。今回は、少年をはじめ、彼の両親、近所に住む人々が自分自身を演じるだけでなく、ジャリリ自らが、出演者にインタビューするカットが挿入される。そのため、フィクションであるはずの映画のリズムが崩れ、それが現実へと引き寄せられていく。本作は、フィクションやドキュメンタリーとカテゴライズすることが、何の意味もなさないことを証明した映画である。それが、ジャリリの描く映画なのである。
■ジャリリは、上からの視点ではなく、常に少年と同じ目線に立ち、表情、眼差し、言葉、日常にわき起こる喜びや悲しみ、時には痛みまでもフィルムに刻んでいく。そこには、子供を単なる子供として扱うのではなく、ひとりの人間、小さな生活者として向かい合おうとする姿勢が存在する。この同志的とも言えるジャリリの眼差しは、時に残酷に突き放し、時に両手で抱きしめてあげるように暖かい。ジャリリはこれ見よがしなセンチメンタリズムを一切排除し、日々の些細な事柄の積み重ねの中から、真の感動を生み出し、奇跡を起こすのである。
◆映画のラストから本当の物語が始まる。
■本作の原題である“DON―ダン―”という言葉は、“知りなさい(知るの命令形)”という意味である。ジャリリの「全ての人間関係は、まず自分自身を、そして相手を知り理解することから始まる」という考えのもと、タイトルは映画の完成後に付けられた。
■本作の少年の名前である「ファルハード」は、映画のために付けられたものである。ジャリリは、イランの古い詩の中から「犠牲」という意味のその言葉を選び出した。その名前は、まさに少年の行動そのものを示している。
■撮影終了後、少年を取り巻く状況は急変する。ジャリリの尽力で、少年は戸籍と身分証を取得する。また、名前も役名の「ファルハード」を登録し、名乗ることになる。そして、長年の夢であった学校に通い勉強に励んでいる。また、両親は麻薬の更正施設を出て、社会復帰している。
◆アボルファズル・ジャリリ―一切の妥協を許さない監督
■映画に検閲があるイラン映画界において、児童映画は作家が自由に技量を発揮できる舞台となり、数々の名作が誕生した。アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』や、ジャファール・パナヒ監督の『白い風船』、マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』などがその代表である。しかし、ジャリリの作品は、学校に行かず働いている子供たちの日常を描くものであるため、検閲に引っかかってしまい、そのほとんどが上映禁止となってしまう。さらに本作では、出生登録や麻薬の問題、刑務所や更正施設でのロケなども問題となってしまうのである。
■イランで上映禁止になるのに、なぜジャリリは、映画を撮り続けることができるのだろうか?一つの要因は、1994年製作の『7本のキャンドル』以降、最新作のオムニバス映画『キシュ島の物語』(公開予定)まで、発表する作品が海外の映画祭で様々な賞を受賞したことであった。これをきっかけに、本国でも彼の作品を上映しようとする動きが起きている。また、イラン内外を問わず、彼を応援する映画人が出てきている。彼らの尽力で、ジャリリは妥協することなく、撮りたいものを撮ることのできるイランでは稀有な作家となっているのである。
■日本にもまた、ジャリリを応援する人々が生まれている。現在、彼は日本資本のもと、イランで新作を撮影中である。
|