『ぼくは歩いてゆく』/"DON"


4月29日より銀座テアトルシネマにて公開
大阪:テアトル梅田 名古屋:名古屋シネマテークほか
順次全国公開


1998年/イラン/90分/35mm/カラー/スタンダード/配給:ビターズ・エンド 日本語字幕:石田泰子 字幕監修:ショーレ・ゴルバリアン

◇監督・脚本:アボルファズル・ジャリリ ◇撮影:ファルザッド・ジョダット ◇録音:ハッサン・ザルファム ◇編集・美術:アボルファズル・ジャリリ ◇製作:アボルファズル・ジャリリ、イランテレビ2 ◇キャスト:ファルハード・バハルマンド、バフティヤル・バハルマンド、ファルザネー・ハリリ





| 解説 | ストーリー | キャスト&スタッフ | オフィシャルサイト | WERDE OFFICE TOP |




仕事をください
一生けんめい
がんばるから

身分証をください
せいいいっぱい
生きているから

「人生の物語です。一人の少年の物語です。
真実である、でも現実ではない物語です。」

─ アボルファズル・ジャリリ


【解説】

◆ぼくは歩く。未来をつかむために。

■9才の少年ファルハード。麻薬中毒である両親が出生届を出さなかったため、戸籍も身分証も持っていない。だから、学校にも行けず、働き口を見つけても断られてばかり。それでも働かなくてはならない。ファルハードは仕事を求めて街中を歩き回る。身分証を取るため、たった一人で役所へと向かう。ちゃんとした仕事を手に入れることができる日を、そしていつか学校で勉強できる日を夢見て。

■『ぼくは歩いてゆく』は、親の身勝手な理由で、生まれた時から身分証をもっていないというハンディを背負った少年ファルハードの日常を追ってゆく。しかし、少年は親を憎んだり、状況を憂いたりはしていない。むしろ当たり前のこととして懸命に生きている。今、何が必要かを無意識の内に考え、“へこたれる”という言葉を知らないかのように、自分なりの方法(時には必要最小限の嘘もつくが)で目的へと向かって進んでいく。走ることなく、ゆっくりと、急いで、歩いてゆく。彼の瞳は決して曇ることなく、前を、未来を見据えている。その少年の顔や姿には、“生の輝き”、生きていくことの素晴らしさが満ち溢れている。

■ファルハードは、身分証がないことで様々な困難に遭遇し、ついにはそれを自分で手に入れようとする。果たして、身分証という紙切れがないことは、彼自身の存在自体をも否定することなのか?彼の行動が、たとえ身分証という紙切れがなくても、自信を持って生きていくこと、それが自分自身の身分証であることを証明していくのである。観る者はいつの間にか少年ファルハードの生き方を応援し、そして彼の生き抜いていこうとする“強さ”に励まされるにちがいない。



◆ドキュ・ドラマ―少年との出会いから生まれた奇跡の物語

■ある日、ジャリリは板金工場で働く少年の瞳に目を奪われる。その少年は、まるで捜し物をしているかのように、常に瞳をキョロキョロ動かし、しかも、なぜか色々な名前で呼ばれていた。気になって声をかけ、話を聞くと、彼には正式な名前も戸籍もなく、しかも両親は麻薬中毒であるという。この少年こそが、主役のファルハードである。この二人の運命的な出会いから本作『ぼくは歩いてゆく』が生まれた。

■「子供たちを救うために映画を撮り続ける」と語るジャリリは、この少年のバックグラウンドを作品のテーマとして選び、脚本を仕上げ、撮影へと挑んだ。今回は、少年をはじめ、彼の両親、近所に住む人々が自分自身を演じるだけでなく、ジャリリ自らが、出演者にインタビューするカットが挿入される。そのため、フィクションであるはずの映画のリズムが崩れ、それが現実へと引き寄せられていく。本作は、フィクションやドキュメンタリーとカテゴライズすることが、何の意味もなさないことを証明した映画である。それが、ジャリリの描く映画なのである。

■ジャリリは、上からの視点ではなく、常に少年と同じ目線に立ち、表情、眼差し、言葉、日常にわき起こる喜びや悲しみ、時には痛みまでもフィルムに刻んでいく。そこには、子供を単なる子供として扱うのではなく、ひとりの人間、小さな生活者として向かい合おうとする姿勢が存在する。この同志的とも言えるジャリリの眼差しは、時に残酷に突き放し、時に両手で抱きしめてあげるように暖かい。ジャリリはこれ見よがしなセンチメンタリズムを一切排除し、日々の些細な事柄の積み重ねの中から、真の感動を生み出し、奇跡を起こすのである。



◆映画のラストから本当の物語が始まる。

■本作の原題である“DON―ダン―”という言葉は、“知りなさい(知るの命令形)”という意味である。ジャリリの「全ての人間関係は、まず自分自身を、そして相手を知り理解することから始まる」という考えのもと、タイトルは映画の完成後に付けられた。

■本作の少年の名前である「ファルハード」は、映画のために付けられたものである。ジャリリは、イランの古い詩の中から「犠牲」という意味のその言葉を選び出した。その名前は、まさに少年の行動そのものを示している。

■撮影終了後、少年を取り巻く状況は急変する。ジャリリの尽力で、少年は戸籍と身分証を取得する。また、名前も役名の「ファルハード」を登録し、名乗ることになる。そして、長年の夢であった学校に通い勉強に励んでいる。また、両親は麻薬の更正施設を出て、社会復帰している。



◆アボルファズル・ジャリリ―一切の妥協を許さない監督

■映画に検閲があるイラン映画界において、児童映画は作家が自由に技量を発揮できる舞台となり、数々の名作が誕生した。アッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』や、ジャファール・パナヒ監督の『白い風船』、マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』などがその代表である。しかし、ジャリリの作品は、学校に行かず働いている子供たちの日常を描くものであるため、検閲に引っかかってしまい、そのほとんどが上映禁止となってしまう。さらに本作では、出生登録や麻薬の問題、刑務所や更正施設でのロケなども問題となってしまうのである。

■イランで上映禁止になるのに、なぜジャリリは、映画を撮り続けることができるのだろうか?一つの要因は、1994年製作の『7本のキャンドル』以降、最新作のオムニバス映画『キシュ島の物語』(公開予定)まで、発表する作品が海外の映画祭で様々な賞を受賞したことであった。これをきっかけに、本国でも彼の作品を上映しようとする動きが起きている。また、イラン内外を問わず、彼を応援する映画人が出てきている。彼らの尽力で、ジャリリは妥協することなく、撮りたいものを撮ることのできるイランでは稀有な作家となっているのである。

■日本にもまた、ジャリリを応援する人々が生まれている。現在、彼は日本資本のもと、イランで新作を撮影中である。



 




【ストーリー】

■9才の少年ファルハード。麻薬中毒である両親が出生届を出さなかったため、戸籍も身分証も持っていない。そのため、学校にも行けず、正規に働くこともできない。それでも、家計を助けるため。板金工場で働いている。

■ファルハードの幼なじみの少女ファルザネー。父親が刑務所に服役中で、生活が苦しいため学校を辞めなければならなくなってしまう。

■ファルハードの両親は、子供たちの戸籍を作るためブローカーに依頼する。ブローカーは口では心配していると言うが、多額の金を要求する。父親はなけなしの金を払う。

―ファルハードと板金工場で働いている子供たちへのインタビュー

子供たちに、なぜ働いているのか、学校へいっているのか、賃金はいくらか、満足しているか、と質問をぶつける。そこにいるのは、学校にも行かず、家計を助ける子供たちばかりである。

■警察に連れて行かれるファルハード。係官は母親を呼び出し、なぜ子供の戸籍を取らないのか、働かせるのかと叱りつける。係官はファルハードを24時間拘留することを決定する。そして、担保証書を持ってこなければ裁判所の裁定を仰ぐと伝える。

■両親は金を用意しブローカーの所に相談しに行く。ブローカーの紹介で、担保証書と引き替えに20日間の条件付きで釈放される。

■薬を飲んで病院に運ばれるファルザネー。医者は胃を洗浄し薬を吐き出させる。退院したファルザネーは家の者に内緒で働くことを決心し、新聞の求人欄で仕事を探すが、経験がないため断られてしまう。

―刑務所にいるファルザネーの父親へのインタビュー

父親に、なぜファルザネーに学校に行くなと言ったか訪ねる。彼は適当な言い訳をするばかりである。

■ファルハードはファルザネーのため、母親の身分証をかたにタイプライターを借りてくる。二人で夜になるまで、一生懸命タイプライターの練習をする。しかし次の日、ファルハードの父親はタイプライターを売りに行ってしまう。ファルハードは泣いて母親に訴えるが、母親は仕方がないと言うばかりである。

―ファルハードの父親へのインタビュー

父親に、なぜタイプライターを売ったのか尋ねる。キャメラをみることすらできない彼は、仕方がなかったと言うだけである。

■ファルハードはタイプライターを借りた事務機器店に行き、タイプライターは盗まれたと嘘をつく。疑う店主は、タイプライターが戻るまでは、身分証は返せないと言う。それを聞いた父親は、事務機器店に行き、麻薬を売った金でタイプライター代を支払う。そして、身分証を取り戻す。

■近所に住む少女セキネの紹介で、ファルハードとファルザネーは、絨毯を洗う工場で働けることになる。三人でモップを使い一生懸命絨毯を洗う。

■突然ファルザネーの家族が引っ越しをすることになる。引っ越しの手伝いをするファルハードは、偶然にファルザネーの弟の身分証を拾い、大事にしまっておく。

―セキネのインタビュー

セキネに、なぜファルザネーが工場のボスと結婚したことをファルハードに黙っているかを尋ねる。彼女は、ファルザネーに黙っているように頼まれたこと、そして話すことでファルザネーもファルハードも悲しむことになるからと答える。

■ファルザネーの結婚のことを知ったファルハードは、引き留めるボスを振り切り、給料ももらわず工場を辞めてしまう。その日から、ファルハードの新しい仕事探しが始まる。自動車修理工場、肉屋などを訪ね歩くが、すべて断られてしまう。ファルハードはタイプライターを借りた事務機器店に仕事をもらいに行く。店主は、戸籍や身分証のない者を雇うことはできないと言う。

■ある日、家族のもとへ担保証書を貸した男がやってくる。彼はブローカーが行方不明になったことを告げ、証書が必要なので返せと迫る。しかし、家族にはどうすることもできない。

■父親が麻薬の禁断症状で苦しんでいる。母親は嫌がるファルハードに麻薬を買いに行かせる。しかし、売人が留守だったため、ファルハードは公衆電話で救急車を自宅に呼ぶ。そのため、両親は施設に収容されてしまう。

■ファルハードは、事務機器店に拾ったファルザネーの弟の身分証を持って行く。名前を偽り、ようやく働くことができるようになったファルハードは、配達を任される。彼は図書館に配達に行き、いつの日か文字を読み書きできるようになりたいと思うようになる。そして、店主からも文字を習う。

―ファルハードへのインタビュー ファルハードに、身分証のことを尋ねる。彼は、身分証がないと、店主が働かせてくれないから、身分証がどうしても必要だった、嘘をついて悲しかったと言う。

■ファルザネーの母親が、事務機器店に息子の身分証を取り返しに来たため、店主に嘘がばれてしまう。ファルハードは、また仕事を失ってしまう。

■ファルハードは、収容されている両親のもとにメロンの差し入れを持って面会に行く。父親は、後20日で出られる。もう苦労はさせないと誓う。

■ファルハードは、自分自身の手で身分証を得ようと思いつき、写真を撮り役所へと向かう。しかし、役人は、子供であるため、保護者を連れてくるようにと言うばかりである。それを聞き、彼はおばあちゃんの住む町まで行こうと決意する。

■ファルハードは、バスターミナルへ切符を買いに行くが、切符売りは交番の認印がないと、子供には切符は売れないと言う。交番へ行くと、警官は少年院から来ていた手配書を確認するため、ファルハードに様々な質問をする。答えを聞き、警官は少年院に連絡する。

■車に乗っているファルハード。

■柵ごしに笑っているファルハード。

■献辞:この作品をファルハードと少年院の子らに捧げる

─ アボルファズル・ジャリリ



 




【キャスト&スタッフ】

●アボルファズル・ジャリリ(製作・監督・脚本・編集・美術)

1957年イラン中央部のサヴェーに生まれる。少年時代をテヘランで過ごし13歳で自分が描いた絵や書を売り生計を立てる。1970年代から8ミリの自主映画の製作を始め、テヘランの映画クラブに参加するが、教室で映画を理論的に学ぶという授業の退屈さにうんざりし1ヶ月で辞めてしまう。その後、1979年イランテレビ(I.R.I.B.)に入社。「私は誰かに教わることもなしに自分流の映画製作法を身につけた」と本人が語るように、この間に手がけた短編ドキュメンタリーや短編劇映画を通じて独自の手法を模索する。

1983年、初の長編映画『Milad』を、1985年に第2作『春へ』を発表。1987年の第3作『かさぶた』で映画作家として内外で注目を集める。しかし、苛酷な状況下にある子供たちを“ドキュ・ドラマ”と称されるスタイルで描くことが、常に論争を引き起こし、本国イランでは作品のほとんどが上映禁止となってしまう。1990年製作の『Doma』は製作中に政府から撮影禁止命令が出され、1992年製作の『ダンス・オブ・ダスト』は、1998年になるまで海外の映画祭に出すことすら許されていなかった。このことが、彼の国際的評価を遅らせる要因となった。

しかし、1995年に『7本のキャンドル』がヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞、それを皮切りに、『トゥルー・ストーリー』が1996年のナント三大陸国際映画祭でグランプリを受賞、1998年には、ようやく海外での上映が許された『ダンス・オブ・ダスト』がロカルノ国際映画祭の銀豹賞をはじめ、各国の映画祭で様々な賞を受賞する。重ねて同年、本作がサン・セバスチャン国際映画祭で審査員賞を受賞、また、最新作『キシュ島の物語』(共作オムニバス)は1999年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。ロッテルダム国際映画祭においては早くも回顧上映が組まれるなど、今まさに、世界的に注目されている監督の一人となっている。


フィルモグラフィー

1975 「Joghd(The Owl)」 8mm、15分
1976 「Pesarak-e Rooznameh Foroush(Newsboy)」8mm、20分
1979 「Khaneh(Home)」16mm、15分
1979 「Gheseyeh Hossein(Hossein's Story)」16mm、20分
1980 「Ba Bachehay-e Zelzeleh Zadeh Golbagh-e Kerman(With The Child Victims of Earthquake of Golbagh-e Kerman)」16mm、30分

1981 「Mohajeran-e Jang(The War Immigrants)」16mm、30分
1981 「Dokan Daran-e Tehran(Tehran's Stand-Owners)」16mm、60分
1982 「Movazeb Bash(Be Careful)」16mm、50分
1983 「Milad(Milad)」16mm、104分
1985 『春へ(The Spring)』(アジアフォーカス 福岡映画祭’99にて上映)35mm、86分

1987 『かさぶた』35mm、87分
1990 「Dorna(Dorna)」35mm、未完
1994 『7本のキャンドル』35mm、83分
1995 『トゥルー・ストーリー』(再編集版・公開予定)35mm、125分
1992-1998 『ダンス・オブ・ダスト』(公開予定)35mm、73分
1998 『ぼくは歩いてゆく』35mm、90分
1999 『キシュ島の物語』※オムニバスの1編『指輪』を担当(公開予定)35mm、72分



●ファルハード・バハルマンド

戸籍やIDカードを持っていなかったため、正確な生年月日や年齢は分からず、また、正式な名前もなかった。そのため、人から「チャーリー」や「ジアン」と言った様々な呼び名で呼ばれていた。

しかし、ジャリリ監督と出会い、本作に出演したことが、彼の人生を変えたと言っても過言ではない。

実際、ジャリリ監督の尽力で、本作の撮影終了後、彼は戸籍とIDカードを取得する。そして、役名でもあった「ファルハード」を正式な名前として登録し、名乗ることができるようになった。現在では、念願であった学校に通い、読み書きもできるようになったという。小学3年生である。

そして、麻薬中毒から立ち直った両親と一緒に暮らしている。



 





|
WERDE OFFICE TOP | MOVIE WATCH |