『デザート・フラワー』/"DESERT FLOWER"


2010年12月25日より新宿武蔵野館ほか全国にて公開

2009年/ドイツ・オーストリア・フランス/127分/カラー/ドルビーデジタル/原題:「Desert Flower」/字幕翻訳:西村美須寿/提供:新日本映画社/配給:エスパース・サロウ+ショウゲート/宣伝協力:博報堂DYメディアパートナーズ/協力:ジョイセフ/後援:オーストリア大使館/(C)Desert Flower Filmproductions GmbH

◇監督・脚本:シェリー・ホーマン ◇製作:ピーター・ヘルマン ◇共同製作:ベンジャミン・ヘルマン&ダニー・クラウズ ◇原作:「砂漠の女ディリー」(草思社)ワリス・ディリー ◇撮影監督:ケン・ケルシュ ◇編集:クララ・ファブリ ◇衣装デザイン:ガブリエル・ビンダー ◇音楽:マーティン・トッドシャロウ

◇キャスト:リヤ・ケベデ、サリーホーキンス、ティモシー・スポール、ジュリエット・スティーブンソン、クレイグ・パーキンソン、アンソニー・マッキー



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【解説】

砂漠で生まれた裸足の少女が世界的トップモデルへ ― 。
世界が共鳴する劇的トゥルーストーリー。



◆世界的トップモデルによる衝撃と感動のベストセラー自伝本が遂に映画化!

『デザート・フラワー』は、「VOGUE」など多くの一流ファッション誌の表紙を飾り、数々のコレクションで活躍した世界的トップモデル、ワリス・ディリーのベストセラー自伝本「砂漠の女ディリー」(1999/草思社)をワリス本人の監修のもとで映画化した作品である。

ドイツ・フランス・イギリスなどヨーロッパ主要8カ国以上での上映に加え、アメリカ・ブラジル・韓国など全世界にて多くの賞賛を浴びている本作。ワリス・ディリーが自ら切り開き、歩んできたこの驚異の物語に世界中が共鳴しているのだ。



◆固い信頼で結ばれた実力派スタッフ&キャストによる力作がここに誕生!

ソマリアの遊牧民家庭に生まれ、裸足で大地を駆け回っていた少女が、砂漠を飛び出し、大都会ロンドンで世界的トップモデルへと転身を遂げていく ― このまるでおとぎ話のような実話の映画化には、ワリスの生き様に深く共感した一流のスタッフとキャストが集結した。

製作には、『名もなきアフリカの地で』でアカデミー賞外国語映画賞受賞の経歴を持つピーター・ヘルマン。原作に惚れ込み、5年以上の歳月をかけてこの映画化権を獲得した。監督には、本作が日本初公開となるシェリー・ホーマン。脚本も兼任した彼女は女性監督としての繊細な視点を生かし、ワリス・ディリーの華やかでたくましいライフストーリーを見事に撮り上げた。そして、圧倒的な輝きでもって主人公ワリスを演じたのは、本作が初主演作となる現役トップモデルのリヤ・ケベデ。現在はモデル業をこなしながら世界保健機構の親善大使としても活動しており、2010年4月には「TIME誌が選ぶ世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。そのほかあらゆる大作映画に出演しているベテラン俳優のティモシー・スポール、イギリスを代表する女優サリー・ホーキンスら豪華キャスト陣が脇を固め、素晴らしい存在感を発揮している。



◆数カ国をまたぐ過酷な撮影を乗り越え生み出された、圧倒的な世界観

灼熱の砂漠地帯で過酷を極めたアフリカロケをはじめ、世界4カ国・3大陸・ドイツ3都市という壮大なスケールで行われた撮影。各ロケ地における地域的な特徴・文化・伝統などの違いでさまざまな問題にぶつかることもあったが、「この物語をたくさんの人に届けたい」というあらゆる人々の強い思いがこの映画を完成へと導いた。それは、ワリス本人がスクリーンに映し出される自分の人生に向き合ったとき、深く感銘を受けたほどに素晴らしいメッセージが詰まった1作となったのである。

数々の困難が降りかかろうとも力強く前進し、チャンスをつかんでいくワリスのたくましさと、彼女の胸中に秘められた衝撃の過去、そして今もなお希望の階段を昇りつづけているその姿はまさに ― “今を生きるシンデレラ”。この信じられないほどの衝撃と感動に満ちたトゥルーストーリーが、この『デザート・フラワー』である。



 


【プロダクションノート】

ディレクターズノート/シェリー・ホーマン

◆すべては小さな白いビニール袋から始まった。

ある日突然、何度か挨拶を交わしたことがある程度のピーター・ヘルマン(プロデューサー)が私のオフィスを訪ねてきて、その袋をテーブルに置き、「これを映画化すべき理由を3つ見つけたら電話をくれ」と言ったのだ。「デザート・フラワー?」 私はその本のことを知らなかった。「何百万の人が知っている本だ」とだけ彼は答えた。私はすぐにその本の虜になった。途方もない人生がそこにあった。このワリス・ディリーの話のように、これほど多くの相対するものが1人の人間の中で共存しているのは見たことがなかった。砂漠の遊牧民の子供、ニューヨークのトップモデル、読み書きもできずマクドナルドで働く清掃員、そして国連の大使。

これが実話でなかったら、まるで現代のシンデレラ物語でも読んでいるかと思っただろう。何より、「デザート・フラワー」に描かれているのはやみくもな非難ではない。FGM(Female Genital Mutilation)=女性性器切除を通じて女性が受けている不当な扱いに対する呼びかけであり、そして外見の美しさと華やかさの裏にひそむ深い傷でもあるのだ。

「私の話を撮るっていうけど、あなた誰?」と、最初に会った時にワリス・ディリーは私たちに言った。その数時間後、タクシーに乗り込みながら彼女は、「いつ始めるの? 今から?」と言ったのである。

「デザート・フラワー」の映画化には、皆それぞれの事情でさまざまな想いが寄せられていることを私は痛感している。たとえばこんなことがあった。ワリス役のキャスト選びをロンドンで行っていた時、マリ出身の40歳の女性が入ってきた。信じられない気持ちで彼女を見ていると、その女性は優しい声で、私が言えずにいたことを話し始めた。「私が、あなたが探しているワリスではないことはわかっています。決して若くはないですし、演技もできません。私はグラスゴーの工場で働いているのですが、今日は休みを取り電車でここへ来ました。この映画がアフリカにとってどれほど大切なものかをあなたに伝えたかったのです」。私は彼女の言葉に圧倒され、これまで重要な問題を提起する映画を作ってこなかったことに恥ずかしささえ覚えた。彼女は私の手を取って口づけ、「怖がらないで」と言って笑った。

またはこんなこともあった。初めて調査のためにケニアへ出かけた際、私はベールで完全に顔を隠した3人のソマリ族女性に会った。皆、内戦から逃げてきた女性たちだった。彼女たちからFGM(女性器切除)に関するすべてを教えてもらった。そして、彼女たちの少女時代の話を聞いてみると、ワリスの経験とまるで同じだった。その時1人が突然、「オバマという名前のアメリカ人がいます。彼は次期大統領になると言っています。彼はこの国の人です」と言った。そのとき私は思ったのだ ― 「私たちは皆、どこかでつながっているのだ」と。

「デザート・フラワー」は、ソマリア文化とイスラムのルーツに焦点をあてた初の映画になることに私は気づいた。ジブチでは、それまでカメラなど目にしたこともなかった遊牧民たちをフィルムに収めた。実際に割礼を受ける少女の許可を取り、その撮影を行うことになった時ようやく、この映画は私自身の偏見と先入観を見直すためのとても大きな一歩となるだろうと思ったのだ。

「デザート・フラワー」は、まるでおとぎ話のようだという印象が強い。ゆえにこれを映画化する際に最も気にかけたことは、より原作に忠実であることかつリアリティを持たせることだった。

そのために、ロンドンではリヤ・ケベデに実際にホームレスの生活をさせ、隠しカメラで撮影を行うという方法をとった。彼女はホームレスの生活に溶け込み、すぐに他の人と同じ扱いを受けていた。ロンドンに住んでいたソマリ族は2人しかいなかったのだが、たまたま彼らがやってきて手を差し伸べ、お金や住む場所が必要なのかと彼女に尋ねてきた。

また、美術セットにおいてもリアリティにこだわった。使われていなかったドイツのゴム工場にイギリスの設定の大掛かりなセットを作ったのだ。サリー・ホーキンスや実力のあるイギリス人俳優たちが、可動式間仕切りのなかで演技を始めると、誰もがケルンにいることを忘れてしまった。それは、私たちがロンドンのど真ん中にいると錯覚するほどの素晴らしい空間だった。

その後私たちは、実際にジブチ、イギリス、ドイツ、アメリカと各国でロケを行うようになった。どこの国のパスポートを持っていようと、勇気を持って自分の人生を危険にさらしたワリスの話を伝えるのが私たちの役目だ。

あの日、白いビニール袋を差し出してくれたピーターに感謝したい。




プロダクションノート/ピーター・ヘルマン

プロデューサーとして本作『DESERT FLOWER』 を企画したとき、他のどの作品よりも困難を極めた。なぜなら、3つの異なる映画を1つに統合するようなものだったからだ。ワリス・ディリーのストーリーは、ソマリアの貧しい遊牧民の少女が世界的トップモデルになるシンデレラ・ストーリーというだけではない。アフリカの幼い少女がヨーロッパへ移住する話でもあり、とても勇敢な女性の武勇伝でもあるのだ。有名になり成功を収めたワリス・ディリーは、女性性器切除(FGM)という残酷な伝統について率直に公の場で語った初めての人物となったのである。

本作は問題を提起し、変化を起こすことを狙いとした非常に感動的かつドラマチックなライフストーリーとなっている。原作本はすでに、世界中の何百万人という読者の心を捉えてきている。

ワリスの自伝本「砂漠の女ディリー(原題:DESERT FLOWER)」は1999年にドイツで出版され、すぐにベストセラーとなった。そのおよそ6カ月後に私はこの本を読んだのだが、その時は映画化権について問い合わせをしても無駄だろうと思った。この本は最初にアメリカで出版されており、ベストセラー本の映画化権というのは通常、ドイツで出版される頃には売れてしまっているからだ。実際、この本の映画化権はエルトン・ジョンが取得し、彼が所有する製作会社ロケット・ピクチャーで映画化の話が進んでいた。

だが、ロケット・ピクチャーとワリスの間で映画化の際に意見が分かれたため、2002年にこの本の映画化権が再度入手可能な状態になったのだ。私は偶然そのことを聞きつけ、1年後、当時ロンドンに住んでいたワリスと会った。しかし、最初から意気投合し、すべて意見が一致するという類の出会いではなかった。ワリスは再び映画化権を渡すことに慎重になっていたのだ。非常に私的な自伝を見知らぬ人の手にゆだねるにはとてつもない信頼が必要なわけで、彼女の気持ちも理解できた。私たちは9カ月にわたって何度か会い、話をし、企画を立て、アイデアをふくらませ、そしてようやく2004年2月、契約書を交わすこととなった。

こうして「DESERT FLOWER」の映画化が現実のものとなったものの、主役であるワリスを演じる女優を決定するまでには非常に困難を極めた。

実際のライフストーリーを映画化し、成功させるには、他のどんなタイプの映画よりも主役を演じる俳優が重要だ。本作の主役はワリス・ディリーであり、当然どのシーンにも登場する。そのため、映画を支えることのできる女優でなければならなかった。

東アフリカ人のようなルックスの有名女優は探し出せなかった。その結果、知名度の低い女優か素人、むしろ新人を起用する必要があるということになった。そこで、ロンドンのキャスティングエージェントに依頼して国際的なオーディションを始めたのだ。ロンドン、パリ、ケニア、南アフリカ、ニューヨーク、ロサンゼルスで何百もの若い女性をカメラの前に立たせてテストを行ったのだが、6カ月が経っても理想的な女性が現れない。私たちは不安になった ― 「主役の女優がいなければ……」

ある晩遅く、シェリー・ホーマン(監督)から電話がきて「2枚目のDVDの4番、この子よ」と言われた。シェリーの意見とは別に、私もまたキャスティング用のテープを見ていた時にリヤ・ケベデが気にかかっていた。翌日、私たちは追加資料を受け取り、その時リヤがアメリカでは非常に有名なトップモデルでファッション業界ではスターであり、さらに、ロバート・デ・ニーロの『グッド・シェパード』やアンドリュー・ニコルの『ロード・オブ・ウォー』に端役で出演したことがあるのを知った。私たちは、テスト撮影のために彼女を呼び寄せた。だが、大きなスクリーンでテスト撮影した映像を確認する以前に、心は決まっていた。リヤはすばらしい輝きを放ち、カメラの前で強力な存在感を示していたのだ。

リヤが主役に決まり、ようやくアフリカとヨーロッパで他の役のキャスティングを行うことができた。人生で一度もカメラを見たことがない人もいるような、ほとんど素人で構成される印象的なアフリカの俳優陣から、トップクラスのプロのイギリス人俳優まで、すばらしい俳優をさまざまに集めることができた。サリー・ホーキンス、クレイグ・パーキンソン、ミーラ・サイアル、ティモシー・スポール、ジュリエット・スティーブンソンがセットで演技をしているところを見るのは楽しかった。彼らは非常に相性が良く、まるで一つのグループとしてキャスティングされたかのようだった。だが実際、彼らが出演を承諾した決め手となったのは、シェリーと個人的に話をしたこと、そして、もちろんこのワリスのストーリーだ。今回の俳優たちは本当にこの映画に出演したいと思ってくれていた人ばかりだった。

灼熱のアフリカ・ジブチでの過酷な撮影を終えたあと少し休みをはさみ、5月20日からロンドンでの撮影が始まった。6月初旬にはドイツでの撮影が始まり、7月の終わりにはニューヨークで撮影を行った。ロンドン、ニューヨークでは屋外のシーンはすべて実際の場所で撮影するという考えだったのだ。ロンドンとニューヨークの設定の屋内シーンはドイツのスタジオか、改装を施したケルン、ベルリン、ミュンヘンの撮影現場で撮った。4カ国、3大陸、ドイツの3都市にまたがって撮影するというのは非常に複雑な作業となった。

それぞれの国にそれぞれの撮影文化、特徴、伝統があり、それが混乱を引き起こし、ミスへつながり、時間がかかった。撮影が始まる前は、この複雑なプランが実際に機能するとは誰も思っていなかったが、52日間に及んだ撮影の最終日はニューヨークの7月21日で、前年の11月に計画を立てた際に決めた通りの日だった。これはまさに、制作部のすばらしい功績である。

この作品において、衣装はとても重要な要素の一つだ。

そこで、デザイナーには、シェリー・ホーマンとすでに何度か仕事をしたことがあるガブリエル・ビンダー(『善き人のためのソナタ』)に担当してもらうことで決定した。しかし1つ問題があった。私たちが映画で伝えようとしているワリスのストーリーは1990年代に設定されているが、“歴史的視点”の映画は作りたくなかったということ。なぜなら、不法移民や女性性器切除(FGM)は、年代とは関係なく現在でも進行中の問題だからである。だからこそ私たちは現在に焦点を置き、時代を超えたストーリーであるかのように撮影することにしたのだ。これが、衣装デザインにおいて重大な結果をもたらした。時代的違いが最も顕著に表れるのが衣装だからだ。しかし、おもしろいことに、すばらしい衣装というのは、歴史的に正確である必要がないことがわかった。それは、観客が自分たちの現在の観点とセンスで解釈をするからである。

「DESERT FLOWER」は、私にとってシェリー・ホーマンとの初のコラボレーションだ。脚本を作る際にともに過ごした3年間で、私たちはお互いを知り、高く評価し合うようになっていた。脚本作業が基礎を築くとはいっても、その段階ではすべて理論上のことである。脚本には、誰がどのシーンに登場し、どの場所の設定で、どの俳優が何を言うかが書き記されてはいるが、それを読んだ人は皆、それぞれ異なるものを思い描き、異なる考えやビジョンを膨らませる。それぞれのシーンを作るのは監督であり、話がどのように展開し進むのか、そこには魂がこもっているか、そして周囲のわずらわしさもすべて忘れてしまうくらい観客を映画に引き込むことができるのか、それを決めるのもまた監督なのである。

シェリー・ホーマンが俳優たちと連携して仕事をする姿を見るのは非常に印象的だった。たとえば、ルシンダが下宿屋へ入ってくるシーンのブロッキング・リハーサルでは、このシーンをどのように演じるべきかという考えをそれぞれの俳優が持っていた。サリー・ホーキンス、リヤ・ケベデ、クレイグ・パーキンソン、ミーラ・サイアルはそれぞれ別のことを考えていたのだ。シェリーがすべての俳優の位置を決め、方向性を示し、誰がいつ何を言うかを決める。技術的な基本の指示だと思うだろうが、しばらくすると何かが起こり始める。俳優たちが心を開き、魅力を開花させ、そして気分良く演じ始めるのだ。その場が安心感と自信で満ちあふれ、良いものをさらに良くするようなアイデアが出始める。すると突然、そのシーンは別物へと変化するのだ。脚本でそのシーンを熟知しているにもかかわらず、セット上での展開に驚かされる。本物の映画が出来あがっていくのを見るのは純粋な喜びである。それこそが目指すべきものであり、最終的に観客の心を動かすことになるのだ。それは、単なる技術以上のものであり、熟練した技と才能である。

リヤ・ケベデは撮影中に行われたインタビューでこう述べていた。「映画を観に行った人が映画館を出る時に悲しいと同時に幸せだと感じ、それぞれ何かを変えたいという気持ちになったならうれしい」

それこそまさに、この映画に関わったすべての者が望むことである。




ワリス・ディリー プロフィール年表

◆1965年

アフリカ大陸の東に位置するガラカイオの遊牧民の家庭に生まれる。5歳のとき、FGM(女性性器切除)を施され苦痛を味わう。


◆1978年

13歳のとき、ワリスは祖父と同等年齢の老人と結婚をさせられそうになり、砂漠の中を1人逃げ出す。過酷な道のりの末、母親の親戚が住む町モガディッシュにたどり着く。


◆1979年

駐英ソマリア大使の伯父とともにロンドンに渡ることになる。それから4年間ほどメイドとして働く。その後は、任期を終え帰国しなければならなかったがそれを拒否し、ロンドンで路上生活を経験した後アルバイトをして生計を立てる。


◆1983年

18歳のとき、アルバイト先のマクドナルドで、イギリスのトップファッションカメラマンであるテレンス・ドノバンに見出される。それをきっかけにファッションモデルへと転身し、世界的に知られる存在となる。ロンドンからニューヨークに渡り、スーパーモデルの仲間入りをする。アフリカ人のモデルとしてはじめて化粧品会社レブロンの専属モデルとなる。そして、ほとんどの一流ファッション誌の表紙を飾るようになる。


◆1987年

映画『007 リビング・デイライツ』に出演。


◆1995年

BBCのドキュメンタリー番組「私の人生を変えたシリーズ」で、“ニューヨークの遊牧民”として取り上げられる。このとき、逃げ出して以来約17年ぶりに故郷ソマリアに戻り、母親と感動的な再会を果たす。また、ニューヨークに戻った秋には、のちに夫となるディナと知り合う。


◆1997年

雑誌「マリ・クレール」のインタビューで初めて自分の過去・FGM(女性性器切除)の事実を明かす。同年、アナン国連事務総長より、FGM廃絶のための特別大使に任命される。世界中を駆け巡り、多くの会議に参加し、各国の大統領やノーベル賞受賞者、映画スターたちと会い、国連に莫大な資金を募った。また、自伝本「Desert Flower」をニューヨークで出版し、国際的ベストセラーとなる。ドイツでは、有名な雑誌のベストセラーランキングで120週トップ10入りをした。いくつもの国で50刷以上増刷され、今日までに、1,100万部数以上売り上げている。


◆1998年

2冊目の本「Desert Down」を出版。これも国際的ベストセラーとなる。この頃、第1子を出産する。


◆2002年

オーストリアのウィーンを拠点とするワリス・ディリー基金を設立。世界中の多くの人にFGM(女性性器切除)の存在を知って考えてもらい、廃止していく活動を開始。


◆2005年

3冊目の本「Desert Children」を出版。ヨーロッパで力のある政治家やヨーロッパ連合に働きかける。


◆2006年

欧州連合が、連合の歴史上はじめてFGM廃絶を掲げた。


◆2007年

イギリスのスコットランドヤードとBBCと一緒に、FGM反対のキャンペーンをはじめた。また、ワリスの活動や著書における多くの功績に対し、サルコジ大統領よりフランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を授与される。


◆2008年

映画『デザート・フラワー』の撮影が開始される。


◆2009年

映画『デザート・フラワー』完成。ワリスは女性の尊厳と権利のための新しいPPR基金のメンバーの一員となる。資金供給のためのはじめてのチャリティ企画が、パキスタンやインド、コンゴ、ベナン、ナイジェリア、スペイン、フランスで認可されている。

ワリスのこのような活動があり、2007年頃から、ケニア、ガーナ、ブルキナファソ、中央アフリカ共和国、トーゴをはじめとするアフリカの14の国々では、法律上FGMを廃止するようになった。ワリス・ディリーは世界中の女性にとって希望と正義の象徴となっており、今現在もその強い信念に基づき活動を続けている。




ワリス・ディリーの言葉

私には、子どものころ多くの夢があった。
でも、まさか自分の人生を大きなスクリーンで観ることになるとは思いもしなかった。

私にとって砂漠に帰ることは、心がくじけるほど厳しく強烈な昔の記憶が甦ることだ。それほどに重要な故郷の場面に出演したソマリアの子どもたち、特に、私の子ども時代を演じているソラヤや、映画の中で最も痛みを伴わなければならなかった小さな天使サッファ、私の弟役を演じた小さなイドリスたちは、本当に素晴らしい存在であり、まさに本物だった。

私が数年前初めてプロデューサーのピーター・ヘルマンに会ったときは、とても不安があった。しかし今では、彼は最善を尽くしてくれたとしか言いようがない。『Desert Flower』は本当に素晴しく、美しい映画に仕上がった。最も美しいと言えるのは、アフリカの風景の場面である。そして、監督のシェリー・ホーマンは、このような“複雑な人生の旅”をスクリーンに映し出すという奇抜なことに挑戦し、信じられないほどの勇気を示してくれた。撮影の間、私たちはおそらく幾度も衝突するだろうと思ったが、直観的に「彼女を信じてすべて任せたらいい」と悟った。そして、これ以上にない最高の映画が出来上がった。

私の妹的存在のリヤ・ケベデは、私とたくさんの共通点がある。彼女は私の一部となり、彼女の演技はこれ以上なく魅力的だ。

私がはじめて完成した作品を観たとき、大きなスクリーンで自分の人生に向き合うことは容易ではなかった。しかし、映画館を出てからとても興奮してきたのだ。「この映画は大切なメッセージをさまざまな人々に伝えて、多くの共感を呼ぶだろう」と。

― 人の尊厳に敬意を表して。

ワリス・ディリー




女性性器切除=FGM/C(Female Genital Mutilation/Cutting)とは?

FGM(女性性器切除)とは、思春期までの女児の外性器を切り取ったり、その一部に傷をつけたりする社会的慣習で、現在もアフリカや中東などを中心に、イスラム圏、土着宗教、キリスト教徒においても行われている。

女性性器切除は貞操・純潔の象徴とされるが、施術直後に出血や激烈な苦痛を伴うだけでなく、長期的にも性行為や出産時の痛み、感染症の危険、難産や不妊、トラウマといった弊害をもたらす。

何らかの形でFGM(女性性器切除)を受けている女性は約1億ー1億4000万人と言われ、現在も、推計で毎年300万人の少女に切除が施されている。

なぜFGM/Cを行うのか。

◆よくあげられる理由

・長年受け継がれた慣習だから
       ・家族の名誉
・呪文からの防御
・純潔を守る
・夫への貞節

◆その他の理由

・社会的:通過儀礼、社会の団結
・衛生/美的:女性器は汚くて醜い
・性的:女性の性欲を減らす
・健康:妊娠する力と子どもの生存を増進するという誤解
・宗教的:宗教的に必要

※国連人口基金(UNFPA)東京事務所資料を参考に作成




コラム

◆「このストーリーはただのサクセスストーリーではない」

富永 愛(ファッションモデル)

トップモデル、ワリス・ディリーの人生、そして女性性器切除(Female Genital Mutilation)というおぞましい行為が行われている現実をこの映画は伝えています。

アフリカの赤道近くの国々では、親族に押さえつけられ、麻酔や鎮痛剤もなく、不衛生な場所で、若干3歳から初潮を迎える前までの子供に(色々なケースがあるとされていますが)、女性性器の一部または大部分の切除、そして膣口を閉じてしまうという、考えるだけでも背筋が凍りつくような行為が行われています。施術中の激痛はもちろんの事、排尿痛、月経時の痛み、性交時の激痛、難産による死亡など、女性を一生苦しめ続けます。

大人への通過儀礼? 結婚の条件? 結婚まで純粋性を保つため?
宗教だろうが、迷信だろうが、女にとって、もちろん子供にとって、残虐なことに変わりはない。

ただ、そこに生まれ、それが平然とあたりまえのように行われている現実をどのくらいの人がおかしいと思えるでしょうか。その行いが普通のことであるがゆえに、その残虐さが麻痺してしまっているのではないでしょうか。

何千年もの間、この行いは続けられ、今でも年間約220万人がこの施術を受けています。私はこの映画を見て、初めてその事実を知りました。

主人公ワリス。彼女が大都会に来てモデルとして成功し、この現実を世界に向けて公表したことは、大きな勇気が必要だったことでしょう。

私もモデルとして成功した人のうちの一人ですが、共感する場面が沢山ありました。

初めてのオーディション、何が起こっているのかわけもわからず、英語もわからない、ただ起こっていることを観察し理解しようとする。でも、現実は猛烈な勢いで進み自分がおいていかれないようについていくのがやっと……理解に苦しむ場面は多々ありました。

特にファッションの世界は、現実とは少し離れた世界のように感じます。

ピレリカレンダー(自動車メーカー・ピレリが発表しているカレンダーのこと)の撮影中、ワリスがロンドンで出会った男性とのキスを妄想しているように、撮影中、私も妄想の世界にいるのかもしれません。ただそれは、カメラマンとの意思疎通も必要な要素の一つですが。

この映画の主演を務めるリヤ・ケベデは私の友人。彼女とは何度も同じ舞台に立ち、NY、ミラノ、パリと旅をしてきました。映画の中で見せる彼女の演技に、私は感動させられました。特に彼女が見せるランウェイはとても懐かく、たくさんの思い出が蘇ってきました。今後の彼女の活躍に期待します。

さて、私は主人公ワリスがした壮絶な体験はもちろんなく、彼女が何を思い、何を感じてきたのかは知るよしもありません。ただ、モデルとして同じような経験がある私は、よく思うのです。

成功するには、運と、タイミングと、努力が必要だと。

もし彼女がファーストフード店で職を得ず、偶然カメラマンのドナルドソンに出会わなかったら……。
もし私が、私を海外へ導いてくれた今のパートナーに出会わなかったら……。
私達の人生はまた少し違った物になっていたかもしれません。

この映画は、世の中のすべての女性に見てもらいたい映画です。女性であるということの意味、性交渉の意味、結婚の意味、そして成功するということの意味。

― あなたがこの映画を見た後、心に残るものはなんですか?




◆「人生を変えた運命の日」

水田宗子(学校法人城西大学理事長・城西国際大学教授「比較文学・女性学専攻」)

映画Desert Flower (砂漠の花)は、スーパーモデルとして世界の人々を魅了したアフリカ女性の物語である。しかし、いわゆる成功物語ではない。と言って、挫折物語でもない。それは、主人公の人生を変えた運命の日の物語である、という他ないのである。

運命の日とは、今でもソマリアに残る女性性器切除を主人公が受けた3歳になったある日のことだ。この残酷な習慣は西欧の支配下にあった植民地時代も放置され、20世紀後半になってフェミニストたちの強い反対運動が世界の注目を集めて、やっと法律では禁じられることになったのだが、映画のナレーションによれば現在でも1日6,000人もの女子が強制的に受けさせられているという。切除を受けた女の子たちの中には感染病にかかって死ぬ者も多く、また、さまざまな後遺症に悩むものが殆どだという。何よりも、恐ろしい苦痛と、悪夢の経験のトラウマが、その後の人生のすべてを変えてしまうのだ。

この恐ろしいが伝統に守られた習慣に反対する西欧の女性たちに批判的な見方をする人たちが、フェミニストの間でさえ一時はいたことがあった。女性性器切除を受けなければ結婚できず、それは家族に多大な負担と不名誉を与え、女の子も村から出されて、売春婦のような扱いを受けることになる。経済的行為でもある結婚の制度を変えなければならないし、そのためには人々の意識も、文化構造も変わらなければならないからだ。変革はソマリアをはじめとするアフリカの内部からなされなければならないことに違いないとしても、黙って見過ごすにはあまりにも残酷な、女性差別の慣習なのである。 

映画『Desert Flower』は、荒涼としているが、不思議な美しさと魅力に包まれたアフリカの砂漠の高地から始まる。健気に働く主人公の少女とその姉を慕う弟の少年。ソマリアは元々が遊牧民で,モガデッシュなどの海岸に添った低地の街に住む人たちも、大人になるまでに親族の住む高地で、ある時期遊牧生活を送るのが習わしだという。少女は山羊の赤ん坊を取り上げ、少年は群れを追う。家族は貧しく、固いパンしか食べ物はなくても、山羊の乳がある。牧歌的とはいえないが、家族が力を合わせて働き一緒に暮らす幸せがそこには見える。

しかし、主人公が初潮をみた直後に、既に3人の妻がいる男との結婚が取り決められ、少女はモガデッシュに住む祖母のもとへと逃げ出す。しかし、祖母の家にも置いてもらえない少女は、ロンドンにいる親族のつてで、大使館の手伝いとして雇われることになり、英国へと旅立っていく。

ソマリアは、現在、長引く内戦に荒廃し尽くした、無政府状態の国であり、国連軍が撤退せざるを得なかった経緯は映画にもなった、いわば、世界の国々から見放された土地だ。その歴史もまた、苦難に満ちている。イタリア、イギリスなどのヨーロッパの植民地支配からやっと独立して国を作ったが、すぐにアメリカとソビエトの冷戦時代の覇権争いの犠牲となり、短い自国政府の統治の後、政治的闘争と部族間の内戦が終わらない、世界で最も貧困と病気と暴力に喘ぐ国となって今日に至っている。

ソマリア人は美しい。聖書にも出て来る古い民族のソマリア人は、アラブ民族とアフリカ民族の混血という、目鼻立ちのくっきりとして、背の高い、美しい人々である。ほとんどがイスラム教徒で、大家族、一夫多妻制度があり、一度に4人迄妻を持つことが出来る。そもそもがノマッドの放浪する民族だったこともあり、伝統的に文字を持たず、その代わりに豊かな口述文化を持っている。

1960年代の半ば、アメリカ留学中に親しくなったソマリア人の友人は、卒業後帰国して改革政府に参加し、さまざまな要職に就いて改革を推進していたが、1970年代後半のある日、突然、私の家に家族を引き連れて現れた。亡命をしたのである。それからが、彼の一族、そしてソマリアの人々の受難時代の始まりとなった。

彼の妻のアミナから、私は女性性器切除について聞き驚愕した。そのようなことが行われる世界がいまだに存在するということが信じられなかったが、そのおぞましい経験を直接友人から聞かされたことが、私には生涯忘れることの出来ない経験となった。外国で産まれ育ったアミナの娘たちは、「砂漠の花」の主人公のような「運命の日」を経験することなく、亡命中とはいえ、自由な娘時代を楽しんでいる。

『砂漠の花』は、砂漠での逃避行やロンドン生活の苦労などに、めげずに生きる主人公の強さと健気さに貫かれていて、訪れて来る好機や親身な友人に恵まれながらも、彼女をまえて放さない恐怖や不安の本質について、知らされないないままで物語が進んでいく。どんなに有名になり、経済的に豊かになっても、決して消えることのない、邪悪な、危険に満ちた世界とそこに住む人々への不信感の根底にあるものについて私たちが知るのは、映画の終わり近くになってである。

スーパーモデルとして世界を席巻した彼女の成功物語を書こうとインタヴューに来た記者の、彼女の人生を変えた日は掃除婦をしていたレストランで偶然にカメラマンに会ってスカウトされた日かという質問に、彼女は3歳の女性性器切除の日の経験を話すのである。

長引く少女たちの悲鳴と泣き声の中でその話が終わるとき、BBCの記者も観客の私たちも打ちのめされている。そして、自分は生き残ったが、妹は出血多量で死に、もう1人の妹は妊娠中に死んだ、と話す彼女の言葉に、今も性器を切除されることを運命づけられている幼い女の子たちのことを考えずにはいられなくなるのである。

主人公は国連で始めて経験者として自ら語り、制度の禁止を訴える。その反響は大きく、世界が動き出した。その日こそが多くのソマリアの女性たちの人生を変えていく運命の日であったのだと思う。



 


【ストーリー】

アフリカの貧しい家庭で生まれ育ったワリス・ディリー。

13歳のとき、父親にラクダと引き換えに結婚をさせられそうになったことをきっかけに、彼女は家族のもとを離れることを決意する。広大な砂漠を命からがらたった1人で抜け出し、やがてロンドンへたどり着いたワリスは、故郷とは真逆の刺激に満ちた大都会で孤独な路上生活を送っていた。そんなあるとき、一流ファッションカメラマンにスカウトされたことで彼女はショーモデルへと劇的な転身を遂げる。やがて名実ともに世界的トップモデルとなったワリスだったが、華やかな外見とはうらはらにその胸中には衝撃の過去が秘められていた……。





 


【キャスト&スタッフ】

■リヤ・ケベデ(ワリス・ディリー)

1978年エチオピアの首都アジズアベバ生まれ。

現在最も成功しているアフリカ系スーパーモデルの一人。2000年にグッチの秋冬コレクションでデザイナーのトム・フォードにキャンペーンモデルに抜擢されたことで一躍注目を集める。2003年には有色人種モデルとして初めてエスティー・ローダーの顔に選ばれ話題を呼んだ。これまでに世界各国の「VOGUE」、「ELLE」、「Numero」、「WWD」などの一流ファッション誌の表紙を飾り、「イヴ・サンローラン」、「ルイ・ヴィトン」、「ドルチェ&ガッバーナ」など数々のハイブランドコレクションへの出演、キャンペーンモデルを務めている。また、女優としても活躍しており、これまでにアンドリュー・ニコル監督の『ロード・オブ・ウォー』(2005)、ロバート・デ・ニーロ監督の『グッド・シェパード』(2006)に出演。本作『デザート・フラワー』では、ワリス・ディリーと同じアフリカ出身のモデルとして、その類まれなる美貌と圧倒的な存在感を認められ、見事に映画初主演を果たした。

近年では社会奉仕家としての活動もめざましく、アフリカの妊産婦保護を目的とした「 Liya Kebede Foundation」を立ち上げ、産婦死亡率、小児死亡率、新生児死亡率を下げるために努力している。プライベートでは一男一女の母でもあり、2007年には子供と女性のための手作り洋服ブランド「LEM LEM」をスタートさせた。

現在は、国際連合の世界保健機構の親善大使をしており、2010年4月には「TIME誌が選ぶ世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。



■サリー・ホーキンス(マリリン)

1976年ロンドン生まれ。 王立演劇学校を卒業後、マイク・リー監督の『人生は、時々晴れ』(2002)で映画デビュー。2007年には、同監督作品『HAPPY-GO-LUCKY』(2007)で主演を務め、ベルリン国際映画祭主演女優賞及びゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞した。『デザート・フラワー』では、ワリス・ディリーの恩人でもあり、親友でもあるマリリンという重要な役どころを、親しみ感たっぷりで表情豊かに演じている。

そのほか代表的な出演作に、マシュー・ヴォーン監督の『レイヤー・ケーキ』(2004)、マイク・リー監督の『ヴェラ・ドレイク』(2004)、ウッディ・アレン監督の『ウッディ・アレンの夢と犯罪』(2007)、ロネ・シェルフィグ監督の『17歳の肖像』(2009)などがあり、そのバラエティー豊かな役で観る人を楽しませている。



■ティモシー・スポール(ドナルドソン)

1957年ロンドン生まれ。

王立演劇学校で演技を学んだ後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに在籍し、数々の舞台に立つ。マイク・リー監督の『秘密と嘘』(1996)に出演し、高い評価を得たことで国際的に知られるようになった。2001年頃からハリウッドに進出しはじめ、キャメロン・クロウ監督の『バニラ・スカイ』(2001)、ブラッド・シルバーリング監督の『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(2004)、『ハリー・ポッター』全シリーズなど多くの大作に出演し、名助演俳優の地位を確固たるものにした。日本においては、渡辺謙や真田広之などと共演した大ヒット作『ラスト・サムライ』(2003)で知名度が上がり、近年では、ティム・バートン監督×ジョニー・デップ作品『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)に参加し、その独特の個性を存分に発揮。映画界になくてはならない存在感を示している。



■ジュリエット・スティーブンソン(ルシンダ)

1956年エセックス生まれ。

王立演劇学校を卒業した後、1988年にピーター・グリーナウェイ監督の『数に溺れて』で女優デビュー。その後は、特にアンソニー・ミンゲラ監督の作品に多く出演しており、イギリスでは国民的女優として1999年に大英帝国勲章コマンダーを与えられている。代表的な出演作に『愛しい人が眠るまで』(1991)、『モナリザ・スマイル』(2003)、『こわれゆく世界の中で』(2006)などがある。



■アンソニー・マッキー(ハロルド)

1979年ニューオーリンズ生まれ。

カーティス・ハンソン監督の『8マイル』(2002)で映画デビュー。その演技力がスパイク・リー監督の目にとまり『SUCKER FREE CITY』(2004)、『セレブの種』(2004)の2作品の主演に抜擢された。その他、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)、『イーグル・アイ』(2008)、『ハート・ロッカー』(2008)などの大作に出演し、アメリカの注目若手俳優として飛躍的な活躍を続けている。



■クレイグ・パーキンソン(ニール)

イギリスのTVドラマシリーズ、TV映画などで人気を得ている。主な映画出演作に、アントン・コービン監督の『コントロール』(2007)、クリス・モリス監督の『FOUR LIONS』(2009)、サマンサ・モートンの映画監督のデビュー作『THE UNLOVED』(2009)などがある。


■シェリー・ホーマン(監督・脚本)

ニューヨーク・キングストン生まれのドイツ系アメリカ人。

デビュー作の『SILENT SHADOW』(1991)で、監督と脚本を兼任してババリア映画賞をはじめさまざまな賞を受賞。劇場上映2作目の『FATHER’S DAY』(1996)ではドイツで150万人を動員し、映画監督としてブレイクした。また、TV番組の監督としても活躍しており、大人気シリーズ『HELEN, FRED AND TED』はババリアTV賞にノミネートされている。本作『デザート・フラワー』は監督作品として日本初公開となる。



■ピーター・ヘルマン(製作)

ミュンヘンで民族学を勉強し、1984年から映画業界に参加。プロデューサー、ドキュメンタリー映画の監督、製作会社のCEOなど多方面で活躍している。

2001年には、製作を担当した『名もなきアフリカの地で』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、ドイツ映画賞でも5部門に輝くなどプロデューサーとして大きな功績を残した。



■ケン・ケルシュ(撮影)

1992年にアベル・フェラーラ監督『バッド・ルーテナント』で撮影監督デビュー。代表作に『スネーク・アイズ』(1993)、『アディクション』(1995)、『ブラックアウト』(1997)などがある。


■クララ・ファブリ(編集)

『STAUFFENBERG』(2004)で編集を担当し、ドイツ映画賞でノミネートされる。

『デザート・フラワー』の前にもシェリー・ホーマン監督の『HELEN, FRED AND TED』(2006)で編集を担当し、ドイツTV賞にノミネートされた。



■ガブリエル・ビンダー(衣装)

1993年にヴィム・ヴェンダース監督の『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クルース!』で衣装デザインアシスタントを務める。2006年には、アカデミー賞外国語映画賞受賞作であるフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の『善き人のためのソナタ』の衣装デザインでドイツ映画賞にノミネートされた。