『ヒマラヤ杉に降る雪』来日記者会見
 2月8日(火)帝国ホテル桜の間にて
●出席者:スコット・ヒックス監督、イーサン・ホーク、工藤夕貴、鈴木杏、リック・ユーン

【挨拶】

■リック・ユーン: (日本語で)みなさんにお会いできてうれしいです。映画を楽しんでください。

■イーサン・ホーク: 日本語を言われてヤラレました。本当に、今日はお集まりいただいてありがとうございます。本当に日本に来られて名誉と思っております。

■工藤夕貴: 今まで、ずっと日本でお仕事してたんですけど、こんなに一杯、記者会見で人が集まっているのを見たのは初めてです。驚きました。今日はありがとうございます。

■スコット・ヒックス監督: みなさん、本当に今日はありがとうございます。本当に、これだけ多くの皆様に集まっていただいたのは嬉しく思います。なぜかというと、みなさん、ここにいなくてもいいわけですよね。みなさんもいろいろ行く所があるのに、ここに来てくださったということを、とっても名誉に感じます。ありがとうございます。

■鈴木杏: 撮影中は、本当に新しいことが一杯で ― 素晴しい作品に出会えて本当に嬉しいです。今持っているのは、スコットからもらったぬいぐるみで、(音が鳴る)ちょっと鳴ってしまっているんですけど……(会場笑い)。

●司会者:ありがとうございました。それでは質問をどうぞ。


【質疑応答】

◆質問: イーサン・ホークさんと工藤夕貴さんにお伺いしたいのですが、映画の完成したものをご覧になって、ご感想をお2人からお伺いしたいと思います。

■(工藤夕貴): 最初に台本を見た時と出来上がりの映画が、本当にイメージの違うところがあったので、正直、最初はインパクトが強くてビックリしたんですけれども、あの、2回目、3回目、4回目と、こんなに自分の映画を観たことがないんですけれども、たまたま沢山機会がありまして、各地まわっていて観る中で、だんだん「こんなシーンあった?」「あんなシーンあった?」という新しい発見があって、2回目からだんだん映画の良さが分かってくる映画なので、是非、2度は観ていただきたいなぁと思います。

■(イーサン・ホーク): これだけ一生懸命作った映画ですので、私の感想を申し上げるよりも、皆様、観た方の感想をお伺いしたいくらいです。これだけ力を注ぎ込んだ作品ですから。で、私にとって、この映画を撮った一番価値有る経験というのは、本当に、キャスト、クルーの方の才能が、本当にいい才能が集まったという点です。カメラマン、スコット監督、夕貴さん、マックス・フォン・シドー、サム・シェパード、素晴しいインターナショナルな人が集まって、しかも、インターナショナルな話を演じたという、インターナショナルな映画を作ったという、その経験が価値有るものでした。それで、カメラが非常に素晴しいというのは、本当に自分が良く映っているわけですね(笑)。本当に素晴しいことです。

●司会者:リック・ユーンさんはどうでしたでしょうか?

■(リック・ユーン): この映画は、私にとって映画俳優として初めての映画です。ですから、大スクリーンで自分を観るという経験も初めてだったわけです。最初観た時には、本当に、シュール、リアルな感じを受けました。映画の音響、声などは頭になくて、撮っていた時の記憶が怒涛のように自分に押しかかりまして、非常にシュールな経験をいたしました。そして、この映画を撮ったということが、私を人間としてどれくらい成長させたか。俳優としてどれくらい成長したかという思いが押し寄せてきました。そして、あのセットの中でシェアーした経験が、頭の中を駆け巡りました。夜はみんなで食事を食べに行ったり、マックス・フォン・シドーが、俳優としての豊かな経験を語ってくれただとか、それから、ジェームズ・クロムウェルさんは科学者ですので、世界の始まりのことを説明してくださったり、カメラマンがビジョンのことを説明したり、とにかく、いろんな人からいろんな話を聞いて、つまり、「世界が小さくそこに在った」という経験をしまして、本当にこの映画で学んだことがはじめに頭の中を駆け巡りました。

■(鈴木杏): 本当に、何が一番良かったかというと、自分の話していた英語が、本当に思っていたよりうまく発音が出来ていたということ(会場笑い)。本当に奇麗な英語で感動しました。

◆質問: 今のを英語で言ってください。

■(鈴木杏): どう言えばいいんでしょうね。難しいですね。

◆質問: 原作はとっても複雑な構成ですけれども、それを映画化する時に、一番苦労された点はどこでしょう。

■(スコット・ヒックス監督): 私がこの小説を読んで一番感じたのは、中心には強いラブ・ストーリーがあるんですけれども、その周りにある背景ですとか、歴史的ないろいろな状況、非常にこういう部分にも興味を持ちました。そして、デビッド・グターソンが描いた、我々が住んでいる所とは、全く違う別の世界の空気ですとか、雰囲気ですとか、そういうものを映像化したいと思いました。もちろん、これを映像化するにあたっては、非常に優秀なデザイナーであるジニーン・オプウォールさん、またカメラマンのロバート・リチャードソン、彼らの助けが大となったわけですけれども、非常に詳細、細かい所に至るまで、彼らは作り上げてくれました。そして、みなさんがこの世界を体験できるように、本当に堪能できる世界を作ってくれました。もちろんそれは、キャストの素晴しい演技があったからこそ、イキイキと生きづいているわけですけれども、私が、それで、この映画を映画化するにあたって一番大事にしたいと思ったのは、原作の持つ雰囲気だったわけです。

◆質問: 工藤さんに2つ質問させていただきたいんですが、1つは、この作品に出演されたことで、御自身が学ばれたこと。もしくは、作品に出演されたことで、人生感とか価値感とかが変わったことがあればお聞きしたいのと、もう1つは、日本、ハリウッド、オーストラリアと、それぞれの国の作品に出演されて、現場から肌で感じた、各国の映画文化の違いといったことがありましたら聞かせてください。

■(工藤夕貴): すごく難しくて、長くならないように答えなければと思うんですけれども、自分自身は、この映画を通じて変われたことというのは、やはり、映画を作り上げるということは人との出会いなので、いろんな人に出会って、本当に、ハリウッドっていう所のラッキーな所は、お金と、やはり、世界中の注目を集めるおかげで、世界中から、さまざまな選ばれた才能を持った人たちが集まってくるわけで、そういう部分で、人間的に豊かな人たちに囲まれて、生きる彫刻のような演技をするマックス・フォン・シドーとか、誰からも愛されて小さい時から仕事をし続けて、今でも素敵な男優さんとして活躍されているイーサン・ホークさんとか、それから新しいタレントを持たれているリック・ユーンさんとか、それからここにも来ている杏ちゃんとか、本当にそういう素敵な人たちに囲まれて仕事が出来て、その中から得たことというのは、目に見えない所で沢山あるんですね。言葉で言い表しづらいんですけれども……。 この映画をしていたときに気づいたことは、何よりも健康で有りえるということと、それから人との出会いを大事にしていきたいということと、それから、各国で仕事をしてきたということは、私にとってもラッキーだったんですが……。なんて言うんですかねぇ〜、やはりハリウッド映画の違う所は、私にとってというのではなく、さっきも言いましたけれども、これだけの人が集まるというのは、ハリウッド映画だから集まるわけで、ハリウッド映画だからこそというのが沢山あるわけで、こういう世界で生きている人がいるということを、自分自身が経験したということは本当に信じられないことだし、でも、これに甘やかされたりすることがないように、自分自身が気をつけなければいけないし、大切なことは、どんな映画を作っている人たちにも共通することで、いい映画を作ろうという情熱は、あらゆる映画を作っている人たちが持ち続けていることなので、この映画を通じて、もっともっといろんな人たちと仕事をしながら、バジェットの大きさ小ささに関わらず、いい映画を作っていくことの責任というか、そういうことを続けるということが大事なんだっていうことを学びました。

◆質問: ヒックス監督にお伺いしたいのですが、工藤夕貴さんをキャスティングされた理由と、監督から見た彼女はどういう女性かということをお聞きしたいのですが。


■(スコット・ヒックス監督): まず、このハツエという大変難しい役をキャスティングするまでの長い期間、いろんなところでいろんな女優さんと会っていたんですけれでも、そういう中で、実は妻が、私の住んでいる南オーストラリアのアデレードで撮った映画があるということを思い出しまして、この映画(『Heaven's Burning』)を見てみたんですね。この映画を見ましたら、本当に、冒頭の数シーンで、彼女だとひらめいたんです。本当に適役ではないかと、私はその時感じました。そして、その後、ロサンゼルスにお越しいただいて、そこでまた本読みを何回かしまして、オーディションしたわけですけれども、非常に複雑で大変なこの役を演じるのは、工藤夕貴さん以外にはないと、私はその時確信しました。で、本当に長い間探していたので、私の願いが叶ったというような気持ちです。彼女の印象なんですが、隣に座っていると非常に話しにくいんですが、実は、今まで数々のインタビューを受けてきた中で皆様に申し上げているのは、工藤夕貴さんは、今回のこのような役以外にもいろんなタイプの役に挑戦できる方ですし、また、世界中で活躍できると思います。本当に国際的スターになれる素質を持っている方ですので、頑張っていただきたいと思います。

◆質問: 杏ちゃんに質問です。先ほどビックリすることが一杯あったと言いましたけれども、具体的にどんなことに驚かれましたか?

■(鈴木杏): まず、撮影の仕方も違ったんですけれども、他に一杯、トラックみたいのがあって、ご飯もそれ専用のトレーラーみたいのがあったのが、一番最初にビックリしました。後は、撮影の仕方も台本とかも、本当に英語がわからなくて、読めなくてわからなかったんですけれども、セットに雨を降らせたりするところで、山のところなんですが、普通、日本だと雨を降らすのはその場だけなんですけれども、でもアメリカだと、その地域全体みたいな勢いで雨を降らせていたんで、それにはビックリしました(会場笑い)。

◆質問: 一杯食べました? 向こうのケータリングのお食事。

■(鈴木杏): はい。食べて太ってしまいました。
■(工藤夕貴): おいしかったよね。
■(鈴木杏): おいしかったよね。

◆質問: イーサン・ホークさんにお伺いしたいのですが、あの、非常に難しい役だったと思うのですが、役作りの点で、何かご苦労された点がありましたならば。それと、ご自分で気に入ったシーンがありましたならばお教えください。

■(イーサン・ホーク): 自分の好きな場面からお答えいたしますと、これは、自分の場面ではないのですが、やはり、マックス・フォン・シドーが、法廷で演説をする場面が感動的で好きです。それから、私と夕貴さん2人にとってのチャレンジは、特にイシュマエルですけれども、あれは、とても孤独な青年です。自分だけの世界にいるという青年ですので、すべて経験とか感情は言葉で表わせないわけです。言葉でなく、それ以外のもので心情を表わしている。それはやはり、俳優として一番難しかった点でした。

◆質問: 工藤さんにお伺いしたいのですが、先ほど戸田さん(この記者会見の通訳者2名の内の1人が戸田奈津子氏)にお伺いしたら、ハリウッドのこういうメジャーな映画で重要なキャスティングをされたのは、ナンシー・ウメキさん以来のことではと聞いたのですが、日本人女優としてハリウッドのメジャー映画に出られたということについて、どのような感想を持っていますか。それと、今はハリウッドの方で暮らされているということですが、今後は、ハリウッドの方でどんな仕事をしていきたいかということをお聞かせください。

■(工藤夕貴): まず、こういう映画に決まったということは、私はインディーズの方で、日陰の道をテクテクと歩いてきてますので、すごく不思議な感じで、正直言って、絶対こんなことが起きるというのが信じられなくて、夜中、3時半に電話があった時に飛び起きて、車を運転して、母の家へ行って「ママ! 役を取ったよ!」って起こしたんですね。本当に、飛び起きてビックリするくらい自分では信じられなかったし、特にこの役は、日本人ではなくてアメリカ人の役だったので、私自身にできるかどうか不安な部分もあったんですが、その中で、やはり、オーディションを受けて、初めてこんな大きな役を得たので、指定されて今まで仕事をしたことはあっても、こういう形で、オーディションで大きな役を射止めたことがなかったので、その部分で、今回私は、前回の『ピクチャー・ブライド』の時に、日系人の方々に、「あなたが私たちの役を取っちゃうと、私たちの役は本当に少ないのよ」ってことを言われたことがあるのですが、今度は、そう言われても、「私はオーディションで通ったのよ」って言えるということが嬉しかったことの1つです。 後は、ハリウッドに住んでいるという部分は、住んでいるというのとは違いまして、私は、日本食がないと生きていけないタイプですし、日本にいるのはすごく好きなので、必要な時は向こうに仕事に行って、ベースはこっちというスタンスは、できるだけ変えないようにやっていきたいと思うのですが、とりあえず、私は、映画を作るのが大好きな人間で、それ以外に生き甲斐があまりないので、何かいい役があればどこへでも飛んで行きたい気持ちだし、それが私にとってはとても幸せなことなので、そのスタンスで、ハリウッド映画にこだわることなく、大きな映画も、小さな映画も、1つの映画を作ることというのは、ある意味、婚約をするのと一緒で、一定の期間、すべてを捧げ尽くすわけなので、好きな映画を、情熱を込めてこれからもやっていくことが、私にとって一番大事なことだと思っております。

◆質問: 工藤さんに2つお伺いしたいのですが、ハリウッド映画の主演女優として、こうして日本に来た今の気持ちをお願いします。

■(工藤夕貴): やはり、日本語でこうやって話せることは本当に嬉しいですね。かゆい所に手が届くといいいますか、どんなに英語をしゃべろうと思っても、生まれた時から英語を喋っている時ほどには、なかなかそこに辿りつくのが遠くて、何度も泣きをみて、間違えたことも恥をかいたこともありました。日本でアイドルをしていた時、うまくいかずに悩んでいた時に、自分で、アメリカならば自分の力でチャンスをつかめるんではないかと思っていた自分の直感で、自分の夢が叶ったということと、それから、私がアメリカ人でないにも関わらず、アメリカという国が私にくれたチャンスというものを、本当に感謝しています。そして、少しは日向の道を歩ければいいなと思います。

◆質問: 工藤さん、ここ数年、女性としてもいろいろな経験もあったと思いますけれども、振りかえってどうでしょうか?

■(工藤夕貴): 今、私がやっていることを、結婚している状態でやっていることは本当に大変な状態で、とりあえず、今ある状況を大切にして、生きていかなければならないし……。それからやはり、彼にも家族にもずっと応援してきてもらうことができたので、そういう人から貰う愛情を当り前のこととは思わないで、それがあるから仕事の原動力となっているわけで、1人では、本当に寂しい人生になってしまうし、そういう人生を歩みたくないので……。そうですねぇ〜、たまに男に生まれれば良かったなぁ〜と思いますね。男の人はいいですよね。奥さんがついてきてくれるし、もう、いいなぁ〜と思います。

◆質問: 日本のファンは、いい恋の話も期待しちゃうんですが。

■(工藤夕貴): この前、友達と考えていたんですよ。定年しちゃって、ある程度やることもなくて、夕貴さんがテレビに出ているとか、「アメリカ行こうか」って言ったらアメリカへ行って、「日本へ戻ろうか」って言ったら日本へ戻って、そういうことが出来る人がいればイイなと冗談で言っていたのですが。やはり、恋をしていること、誰かを愛している気持ちはすごく大切だと思うから、沢山いい恋はしていきたいと思うし、どこかに、私のこういう生活に合う人がいればいいなぁと思っております。幸せになりたいです。イーサンみたいに、子供もあって、家庭もあって、仕事も出来てというのが理想です(イーサン・ホークが照れ笑い)。

◆質問: 監督にお伺いしたいのですが、この原作を選ばれた経緯は、プレスシートに書いてあって理解できているのですが、脚色のコラボレーションの役割分担はどういう感じだったのでしょうか。

■(スコット・ヒックス監督): まず最初に、小説からロン・バスさんがアダプテーションした第1稿がありまして、それに、私が、手直ししたり加えたりカットしたりする。そういう作業だったわけですが、はじめは、ロン・バスさんと一緒に、共同で脚本を練っていきました。そして、私がロケハン、キャスティングなどをしている段階で、ロンさんは何しろ売れっ子なんで、他の脚本に取りかかってしまいました。で、その後は、私が、デビッド・グターソンからのアドバイス、言葉について、住民の地域の詳細にいたるまでアドバイスをいただきました。途中は、ロン・バスさんに連絡をいれて相談もしました。ですから、最初は一緒に作業をしましたけれども、その後は、私が1人で、自分の演出したい映画に近づけようと、私のビジョンに近いものに作り直していきました。

◆質問: イーサン・ホークさんは、多分この出演に関してオーディションではないと思うのですが、この出演の経緯を聞きたいのと、それと、もしも先に決まっていたのであるならば、工藤さんのオーディションにどのように立ち合ったのか。

■(イーサン・ホーク): 私は、この映画に関しましては、前に仕事をしたフランク・マーシャルとキャスリーン・ケネディのチームからこの話を伺いまして、この小説を初めて読みました。それから、監督とお会いしたわけです。私は、監督の『シャイン』以来のファンでありまして、その監督だというので会いに参りまして数回お会いしました。彼は、私をキャスティングするかどうか非常に不安だったので、私が教育をいたしまして、僕に是非やってくれという気持ちを起こさせました。そして、2度目にお会いした時に、おそらく夕貴さんと最初にお会いした時で、2人で本読みをしました。監督は、相性を見るためもあったのでしょう。2人で本読みさせられたりして、これが最初の出会いでした。

◆質問: リックさんに質問です。あなたのバックグラウンドを紹介していただきたいのと、将来のビジョンをお聞かせください。

■(リック・ユーン): これは、私にとって、俳優としての初めての仕事です。それまでは、金融のヘッジファンドのブローカーをしておりました。数年間、そういう仕事をしておりまして、その後は、ファッションの方の仕事をしていました。非常に順調だったのですが、年をとって、たとえ、何万ドルのお金を稼ごうとも、人間としては幸せかということで、自分では幸せになれないと考えました。私は、俳優になる気持ちは、それまで、あまり真剣にはなかったんですけれど、映画は好きだった。本当に子供の頃から、映画は日常から逃れる為のものとして、いつも自分のそばにあった。私は、寄宿舎学校へ行ったり陸軍学校などへ行っていて、家庭を離れる少年時代が多かった。そういう家庭のない孤独な青年が、ひとつ、孤独から逃れる術は映画でした。映画を見ながら、自分自身を探して自分の成長がありました。そういうものが私にとっての映画の存在であった。それで、前の仕事をやめて何をするかといった時に、初めて、とてもラッキーにも、たった数ヵ月でこの作品のオーディションがあるということを聞きまして、5回オーディションを受けました。そして、この素晴しい役にめぐり会えたという経緯です。

●司会者: ありがとうございました。時間が迫って参りまして、これにて終了させていただきます。スコット・ヒックス監督、イーサン・ホークさん、工藤夕貴さん、鈴木杏さん、リック・ユーンさん、ありがとうございました。

『ヒマラヤ杉に降る雪』は、2000年春、日比谷みゆき座ほかにて公開。