『僕たちのアナ・バナナ』エドワード・ノートン来日記者会見
 2000年11月2日(木)帝国ホテルにて

●出席者:エドワード・ノートン


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【挨拶】

■エドワード・ノートン: こんにちは、はじめまして、よろしく(日本語で)。

【質疑応答】

◆質問: いつも強烈なキャラクターの印象があるんですが、今回はとても爽やかな作品なんですけれども、この作品を監督しようと思ったきっかけをお願いします。

■(エドワード・ノートン): 違いますか?(日本語で。会場笑い) 昔からの友人が書いたものなんですが、確かに今までの作品とはちょっと違います。以前からニューヨークで作品を作りたいと思っていて、コレは良いチャンスだなと思って。それからこの前の作品『ファイト・クラブ』が暗かったので、気分転換にもなるしリズムも変わるし、良いかなぁと思った。ハイ、上手でした(通訳者に向かって。会場笑い)。

◆質問: 清々しいイメージのエドワード・ノートンさん。この初監督作でも清々しい役でした。では、素顔のエドワード・ノートンさんはどういう方なんでしょうか。

■(エドワード・ノートン): 自分では言いようがないので、すみませんが友達に聞いてくださいますでしょうか。

◆質問: 大変な演技派として知られるエドワード・ノートンさんですが、他人の演技を指導される時の難しさについてと、ここでは、あなたご自身が主演されていますので、自分で自分を監督なさるということになったんだと思いますが、その難しさについてもお願いします。

■(エドワード・ノートン): 難しすぎる(日本語で)。ベン・スティラーやミロシュ・フォアマンなど、監督に囲まれていたので幸運だったと思います。ですから、アドバイスやアシスタントもしてくれましたし、特に自分が演じている時は、いろいろと教えてくれました。中でもベンは、彼自身も主演して監督したことがあって、コメディのセンスが良いので、アドバイスをしてもらいました。それに、長年周りにいて協力してくれた人たち、特に、脚本を書いたスチュワートは、大学時代からの友人であって、プロデュースもしていますけれども、随分昔からの知り合いなものですから、自然にやりとりが出来る関係でした。

◆質問: 昔、日本で仕事をしたとか……。

■(エドワード・ノートン): 12年前に日本語を勉強しましたが、全然忘れました。12年前に大阪に住んでいました。アメリカの会社に勤めていました。大きくて新しい水族館、大阪湾のすぐ傍です。私の会社、働きました(全て日本語で)。

◆質問: あなたの映画で、日本人に一番理解してもらえる作品はどれだと思いますか? 以前、日本で働いた経験から。

■(エドワード・ノートン): え〜、知りません(日本語)。むしろ、私も知りたいです。ただ、アメリカでヒットしたアクション大作が日本でもヒットしたということを聞きました。今回の作品のテーマは、信仰、“信じる”ということですけれど、これは、世界共通だと思うし、特に、今回スチュワートが書いてくれたことは、日本の若者の中でもあることだと思う。つまり、現代の生き方の中で、新しい生き方、こういうふうに生きたいと思ったとしても、伝統とか家族、その中で対立があって、その中で、どちらも悲しませたくないけれど新しい生き方をしたい、といった葛藤などは、何処の国にもあり普遍的なことだと思うのです。

◆質問: 今回、アナという魅力的な女性を描いていますが、描く際に気を付けたことなど教えていただきたいのですが。


■(エドワード・ノートン): 大学時代、スチュワートと共通の友人の女性で、ロマンティックな関係ではなかったんだけれど、そういう女性がいまして、もう12、3年知っているんですけれども、彼女がインスピレーションを与えてくれました。彼女は、実は今回一緒に日本に来ていまして、自分のことを「私が本当のアナ」と言っております。

◆質問: 今、ニューヨークの現代的な女性像というお話をされたのですが、ニューヨークと言えば、ウディ・アレン監督と一緒に仕事をされているんですが、他にもミロシュ・フォアマン監督、デヴィッド・フィンチャー監督など、彼らに演出的な影響を受けましたか? できましたら、この3人についてコメントをお願いします。

■(エドワード・ノートン): ウディ・アレンに関しては、今までニューヨークを描いてきた、その描き方は素晴らしいと思っていました。ニューヨークに住んでいない人が撮るとひいていて、つまり、シーンとシーンの間にニューヨークのシンボリックなものをおさえてというような撮り方です。でも、ウディ・アレンの場合はシーンに溶け込んでいる。そういうところを彼から学びました。それと、ウディ・アレンの場合は、ロングでずっと長回しで撮っているところが多くて、これは、コメディの場合は非常に有効だと思うんです。観客も無意識にその場面の面白さに引き込まれていけるという部分で、非常に効果的だと思ったんです。もちろん、俳優は、それだけの技量を持った俳優でなければならない。そういう意味では、自分とベン・スティラーのシーンの時は、出来るだけ長回しで撮ったつもりです。

デヴィッド・フィンチャーとミロシュ・フォアマンには、いろいろなことを教わったと思います。ミロシュ・フォアマン監督は非常にスタイリッシュで、(私は彼からその)スタイルを学びました。あと、『ラリー・フリント』の時には、彼が編集するのを長い時間見ていました。今回も、その時のことを思い出しながら編集した経験があります。それから、デヴィッド・フィンチャーには、スタイルではないけれども、技術的なこと、たとえば、カメラの使い方だとか照明のあて方などを学んだ。でも、何よりも彼から学んだのは、彼は全体をまとめるということが非常に優れていて、その日整っている条件の中で、どうすれば最大に良いものを引き出すことが、作り出すことができるかということを知っていて、そういう部分が自分の中にしっかり焼き付いています。


◆質問: この映画の中で気になったのが、カラオケのシーンの2曲なんですが、この曲を選ばれた理由を……。シーンにピッタリだったもので。それと、あなた自身はカラオケで歌われることがあるんでしょうか。

■(エドワード・ノートン): 1曲は、スチュワートの脚本にあったので。もう1曲は、使用権の問題でお金がなかったということもあるんですが、シーンにピッタリだったので選びました。で、大阪では、もっぱらビリー・ジョエルを歌っていました。というのも、一緒に働いていたタカマツさんという方が、“オネスティ”をしょっちゅう歌っていたので、それで歌っていました。

◆質問: 共演者のお二方の印象と、ご自分がこういった経験をお持ちだったのかどうか(についてうかがいたいのですが)。


■(エドワード・ノートン): そういう経験はないです。実は、スチュワートの脚本では、初めベンがやった役は、ベンという名前だったんです。ですから、初めから彼を想定して書いていたので、彼が引き受けてくれることを祈っていたのですが、引き受けて貰って。で、女性のアナ役のジェナ・エルフマンは、彼女は人気TVドラマに出ていて、でも、私は(それを)見たことがなかった。ただ、自分がとても尊敬するキャスティングの方が、彼女は良いから会ってごらんよと言われて、会って、彼女を発見できたことは、ラッキーなことだったと思います。で、彼女も頑張ってくれた。良い人だったし、楽しかった。

◆質問: 大変面白く拝見しました。特に、セリフが良かったと思います。名詞の積み重ねだけで書いていたセリフがありましたが、これは、ニューヨークのビジネスマンはこういう話し方をするんですか? それとも、あなたが手法として用いたんですか。

■(エドワード・ノートン): ああいうふうに喋る友達が1人いまして、その彼女からインスピレーションを受けて、彼女へのオマージュです。ニューヨークのビジネスマンは知りません。どんな喋り方をするのか知りません。

◆質問: とても楽しそうな撮影だったと思うのですが、その雰囲気、エピソードなどあったらお願いします。

■(エドワード・ノートン): 全部、楽しかった(日本語)。実は、撮影した場所が、昔スチュワートとルーム・メイトだった場所で、(なおかつ)ベンの育った場所だったわけで、夜撮影していると、ベンのお母さんがサンドイッチを差し入れてくれたり、とにかく、家の近くで歩いて仕事に行ける場所というのが良かったです。それから、季節も夏に撮影したのですが、自分は、ニューヨークの夏は好きなので。それから、フォアマン監督は、何度も何度もテイクを撮る監督なんです。自分も何度もやらされました。そこで、決して復讐というわけではなかったんですが、今度は、フォアマン監督に多くのテイクを要求しました(会場笑い)。

●司会者:最後に日本のファンのみなさんに一言。

■(エドワード・ノートン): 10年ぶりに日本、東京国際映画祭にこの映画を持って来られたことを大変嬉しく思います。映画を楽しんでいただければと思います。
(通訳者の表現をもとに採録。細部の言い回しなどには若干の修正あり)


『僕たちのアナ・バナナ』は2001年1月20日より日比谷スカラ座ほかにて公開。