『エリザベス』シェカール・カプール監督来日記者会見
 1999年7月6日(火)15時30分より16時30分まで第一ホテル東京にて
 通訳:戸田奈津子氏


●司会者: 本日は、ようこそおいでくださいました。それでは、早速ですが、監督からご 挨拶をお願いいたします。

■監督: 今日は、こんなにたくさん集まっていただきまして、ありがとうございます。本当に、本当に、心から嬉しく思っております。まず、こんなに集まっていただいているとは知らずに、『エリザベス』が日本でこんなに注目を集めているとは知らずに、大変びっくりいたしましたし、また、大変嬉しく思います。でも、私自身は、人前で恥ずかしいシャイな気持ちもございます。こういう所に座るのは、実は俳優さんの仕事でございまして、監督というのは、カメラの後ろに立って仕事をするのが、私の持ち場でありまして、そういう意味で、ちょっと照れクサイ思いをしております。しかし、日本に来るのは2回目でして、1回目は京都の映画祭のフェスティバルに出ました。その時は3週間ほど自分の時間もありまして、たいへんいい思い出がございます。今回は妻も連れて参りまして、私が知っている限りの日本を、見せてあげたいと思っております。とにかく、お集まりいただきましてありがとうございました

●司会者: それでは、質疑応答に入ります。

◆質問: 今回、『エリザベス』がアカデミー賞7部門ノミネートされたということで、インドのほうで快挙に湧いたと聞いているのですが、実際、インドでこの映画は、どのような反応だったんでしょうか。あと、逆に今、日本でインド映画が流行っておりまして、僕は、シェカール・カプール監督の以前の作品を拝見させていただきました。実際にインドで撮られた時と、今回、イギリスで撮られた映画の演出法の違いなどがありましたならお聞かせください

■監督: インドの反応ですけれども、もちろん、ノミネートも一杯ありましたし、エキサイトもしました。ただ、監督賞にノミネートされてないということで、一部怒った方もいたようです。とにかく、それでもみんなエキサイトしました。それと、実は、インド国内でナショナリズムが巻き起こりました。というのは、インド人が英国の女王の映画を撮ったと。まあ、英国の人は『ガンジー』を撮りましたけれど(笑)、それの反応で、ナショナリズムの気運が高まったという反応がありました。それと、2つ目の質問ですが、『踊るマハラジャ』が日本で大変ヒットしていると聞いて私も非常に驚いているのですが、なぜあれが日本でウケているのかというこに関しては興味があるところで、あれを製作している人間たちは、私の友人がかなり関わっておりますので、帰国したら、連中にヒットしていることを伝えたいと思います。私自身も、昔は、インドのミュージカルをたくさん作っておりました。そういう経験は自分もありますけれど、今回は、英国の題材の映画を作るわけで、監督としては、2つのチョイスがありました。1つは、私が英国人となって、英国人の視点でこの映画を作るか、あるいは、私はインドの人間ですから、インドの視点で作るかという2つの選択があったわけです。私はもちろん後者、つまり、インド人の視点で『エリザベス』を語るという方を取ったわけです。そういう風に作った結果、インドの観客は、確かにイギリスの話だけれど、非常に東洋的であるということをみんなが言って下さった。たしかに英国の話ではあるが、東洋的な視点で語るということを、私は意識して作ったつもりであります

●司会者: それでは次の方

◆質問: インドの方が、別の国の歴史などの映画を作るときの難しさ、問題点などは、具体的にはどんなところなのでしょうか

■監督: 映画作りというものは、現場では、色々な問題が起こるわけです。そういう意味での問題は、この映画も普通の映画と同様に、いろんな問題がありました。ただ、私は、歴史の捉え方が西洋と東洋では違うと思うのです。つまり、西洋の歴史は、何年に誰がどうした、という記録なんです。ところが、東洋、特にインドでは、歴史とはストーリーテリングなんです。物語を語るというのが、インドでは歴史とされている。アプローチが全然違うわけですね。私にとって、記録を教える歴史、つまり学校で習う歴史は、私にとって非常に退屈であった。で、私は歴史=退屈という観念がありました。ところが、お爺さんたちから聞いた歴史の話は、非常に人間のドラマで、神話に近くて、とても面白かった。インドでお爺さんたちが語ってくれる歴史は、愛の話であり、裏切りの話であり、運命の話など、そういったものであって、それで、私は歴史に興味を持ちました。ですから、この映画を私は非常にメロドラマチックに作った。で、エリザベスが生きた時代は、非常にメロドラマチックな時代です。といいますのは、あのエリザベス朝の時代の特に貴族の寿命は、なんと26歳です。26歳でみんな、まあ、殺されたりする。いつ、どこで、誰に襲われるか解らないという、非常にメロドラマチックな時代を彼らは生きていたんです。ですから、東洋のストーリー的な歴史と繋がるものがある。それに、あの時代の色というのが非常に何故か東洋的なものがありました。もちろん、実際は違ったのですが、この映画では、ちょっと東洋的な色付けがしてある。特に気をつかったところは、そういうとこです。まあ、これは、私の『踊るマハラジャ』バージョンと思ってくださればいい(笑)

●司会者: 次の方どうぞ

◆質問: この映画は、『女盗賊プーラン』と平行している部分があるように思うのですが。陰謀の渦巻く世界を扱っているし、本当にただの女性が、段々地位のある力のある人間になっていく変化も似ていると思うのです。その辺のコメントをお願いします

■監督: まず、インドの監督がこの映画を撮るということで、誰よりも驚いているのが私でございます。本当にこの映画のオファーを受けた時は、ショックを受けました。もちろん、『女盗賊プーラン』と意識的に平行になぞったわけではありません。もし似ているとおっしゃるならば、それはやはり、映画作家とは、自分の人生哲学を主人公を通して語るものだと思うのです。自分が人生に直面している問題を、その映画を通して語るわけです。ですから、私の考えが出ているという点で似ていると言えるかもしれません

●司会者: 次の方どうぞ

◆質問: 今度の映画では、エリザベスの偉大さを強調するためだと思いますが、スペインとかフランス、特にフランスが悪者にされていると思うのです。これは、ジャンヌ・ダルクの時代から、フランスとイギリスは犬猿の仲だと思うのですが、カプール監督が捉えるフランスというのは、ああいう風になってしまうのでしょうか

■監督: 実際の史実としましては、あの頃のフランス人の上の方々の考え方は、エリザベスという女性は殺しても差し支えないという見方をしていた。で、あの当時のフランスは、やはり、スペインや英国を自分の植民地、つまり、自分の配下にある国という見方をしていたわけす。まさか、あのエリザベスという女性が、将来女王になって、あれだけの帝国を作るとは、その時点では考えもしていなかったわけです。ですから、彼女を殺してしまうか、あるいは、王座から外してしまうか、スペインやフランスの公爵の嫁に入れてしまうか、とういう風にしか考えられない。これは事実なんです。ですからああいう風に描かれているのです。ノーフォーク卿というのが登場しますが、あれはイギリス人で、大変カトリックで権力があった人ですけれど、特にエリザベスに近かった。しかし、その彼でさえ、エリザベスが将来ああなるとは見抜けなかったわけです。彼女にとっては、フランス人も敵だったけれど、彼の方が近くにいたわけですから、余計敵だったわけです。それからまた、アンジュー公というゲイっぽい貴族ですが……。エリザベスが、もしスコットランドの戦いに破れますと、あの公爵と結婚しなければならないわけです。戦いに負けると、いかにその女性は犠牲を強いられるか。つまり、あのゲイっぽい男と一生暮らさなければならない。代償が女性としては実に大きいわけです。でも、このゲイとか申しますのは、今日の観念で言っているわけで、あの当時の、特にフランスの宮廷では、男が女装などをするのは、決して不思議なことではなかったんです。ですから、今のモラルでそういうことを判断してはいけないわけで、当時は当たり前であったんです。それから、今とはプライバシーの感覚も違いますから、生涯エリザベスは、ダドリー卿と寝なかったとありますが、それはつまり、あれだけいつも見られている女王が、男と寝られるはずがないとみんなは思うわけです。ところがそうではなくて、あの当時はプライバシーの観念がありませんから、二人の関係しているところをメイドたちが見ているように、プライバシーの観念が今と全然違うんです。だから、今のそういったモラルの観念であの頃を判断すると、間違ったことになる。当時のモラルで判断しなければならない。そういう判断基準を間違えてはいけないと思います。しかし、あのアンジュ公は、ファニーだった

●司会者: それでは、次の方

◆質問: 歴史悲しさの話なんですが、この映画は、記録されている歴史と全く違うように描かれている部分もある。たとえば、スコットランドのメアリー・オブ・ギースは、この映画では殺されてますけれども、事実では殺されていないわけです。感触としましては、この映画は、歴史的な事実を重んじるよりか、あの時代の雰囲気を出す方を重んじたのでしょうか。私自身は、あの時代の宮廷雰囲気が良く出ていたと思いますし、バイオレンスも的確だったと感心しているのですが

■監督: もちろん、全部が違う、まったく違う解釈、これは許されません。こういう映画は、人の長い人生、20年、30年をとにかく2時間で見せなければならない。ですから、もちろん歴史を歪めてはいけませんけれども、やはり、その2時間の中で描けるのは、その時代、そして、物語のスピリットを描く、これしかできない。ですから、少し変えて、でもその時代のスピリットが現れるような映画作りをする。これが重要だと思います。でもまあ、歴史といいますけれども、それは、ある歴史家の解釈ですから、それは正しいかどうかわからない。たとえば、インドにおける英国の統治についての歴史の書物も、英国とインドでは違いがあるんです。この映画が出来たとき、英国の歴史家から色々と文句がでましたのは、エリザベスが肉体的に、バージンだったかどうかということですね。その点に関してもいろんなリサーチをしました。ある説では、彼女は男だったという説があるくらいです。一部では信じられている説なんです。だから、映画の中では、彼女は男と寝ないの? 男だからというセリフも入っているわけです。ヘンリー8世は性病で死んだ。エリザベスは、その性病を受け継いでいるという説もあります。メアリーは不妊でしたからエリザベスも同様だったという説もある。他には、ピュアリストなどは、生涯男と寝なかったということを信じている。とにかく、いろんな説があるわけです。しかし、今や純潔ということとバージンは同じなのだから、どっちだっていいじゃないかと私は思い判断しております

●司会者: 次の方

◆質問: この映画でさまざまな賞を受賞されてますが、監督として、なぜこれほど受賞されたのかというご意見と、もう一つなんですが、実際にケイト・ブランシェットが評価されていますが、そういった中で、実際に監督としてアドバイスをされたりしたんでしょうか

■監督: 最初の質問で、どうしてそんなに評価が高いのか私にはわかりません。私は、映画を作る時に、人に笑われなければいいなぁという、そのくらいの気持ちで作り始めるのです。だから、賞なんか取ると、人の映画なんじゃないかという気持ちになります。それから、ケイトへのアドバイスなんですが、他の俳優にも同じことをしたのですが、映画に関わる俳優さんたちはリサーチしちゃう。つまり、本を読むわけです。しかも読み過ぎちゃう。自分の頭の中にいろんな知識を詰め込んでしまう。それが一番困る。それをすべて忘れて下さいというのがアドバイスでした。それで、このキャラクターをあなたのイマジネーション、ハートで感じたように演じて下さいというのが私のリクエストでした。で、これは、人間のドラマで、歴史ものではないのですから、本で得た知識、これは、全部忘れて、あなたのハートで作ってくださいと言いました。自分でその演じる人物を発見していく。エリザベスはこの瞬間、どういう感じをもっていたのか、彼女はどうしてこういう運命を辿っていったのか。そこを自分で解釈して、役作りをしていくというのがこの映画での演技でして、決して自分の知識をひけらかすことが、この映画で求められている演技ではないわけです。自分のハートで作る、これが求められているわけです

●司会者: 次の方

◆質問: この作品を理解するには、当時の宗教事情といいますか、カトリックかプロテスタントかという問題、そういった宗教問題が背景上大きくありますが、監督ご自身は、インド人として、ヒンズー教の信徒でしょうか。それとも、無宗教、無神論でしょうか。それから、2つ目は、王政というもについて深く考えさせられました。今世紀初め、100年前は、9割が王制で、共和制は1割でしたが、今日は逆転して、 260国ある内のイギリスや日本のような王制を抱えているところは、1割強です。まったく逆転しております。それで、日本の国会では、国旗国歌問題で、特に国歌のほうは、昔、天皇を誉めたたえる歌という歴史がありますもので、大きく問題になっておりますけれども、監督さん自身は、21世紀におけるこの王制をどうお考えか。2つとも個人的な質問なんですが、お願いします

■監督: 宗教は、私はヒンズーの家系ですけれども、決して、規律を守る熱心な信徒ではありません。ただ、この世の中には、スピリチャリティ、魂があるということは信じております。それに基づいて私は、自分の人生を生きています。だから、寺院に行ってお祈りをする熱心な信者ではありませんが、スピリットは信じております。特に、インドでは、ヒンズー、イスラム、回教徒の間で、本当に宗教といいつつ、非常な苦しみを民に与え、戦争が起こり、殺戮が起こっているわけです。そういうところを見ると、やはり疑問を持ちます。王制の問題に関しましては、我々は、過去にどれほど危険なものかを見てきたわけですから、21世紀には、権力を持ったそういうものは無くなってほしいと思います。王制の世の中では、人々は、イエス、ノーを言えなくなる。それは絶対にいけないと思います。それからまた、この映画の撮影中に、英国のダイアナが亡くなりまして、あのときの、人々の悲しみ方、人々は、いつもあこがれる人は欲しいわけです。しかし、その気持ちも解りますけれども、でも、そういうものを必要としない、そういう社会を作るべきだと私は思います

●司会者: 次の方

◆質問: ケイト・ブランシェットについて質問なんですが、ケイト・ブランシェットにオファーされた理由というのが、『オスカーとルシンダ』のプロモーションビデオを見てと伺っているんですが、その辺のお話をお伺いしたいのと、それと、実際に撮影されて、ケイト・ブランシェットの女優としての魅力を監督さんご自身がどのように感じられたのか。できれば、具体的なシーンやエピソードをあげて教えていただければと思うのですが

■監督: プロモーションで見たというのは本当です。『エリザベス』に使う女優を何か月もリサーチして、インタビューして見つけていた。で、会社側はもちろん、スターを使えと言っていたわけです。でも私は、スターを使うとそれなりに見る方は先入観を持ちますから、エリザベスそのものが霞んでしまうわけです。確かに、ニコール・キッドマンはイイ女優ですけれど、彼女がエリザベスをやりますと、何をやってもニコール・キッドマン、それに、トム・クルーズとキューブリックがくっついて来るわけですね。それでは絶対にいけないというわけで、私は、本当に無名の人を選びたかった。たまたま私は、プロモーションフィルムを見た。しかも、彼女はたった5ショットしか出てなかった。でも、瞬間的にこの人だと、運命で直感的に解ったんです。私が、エリザベスを演じる女優に求めていたすべてを、彼女は持っていた。会社側は、製作費があるんだから、もっと高い女優を使えという話もあったが、私は彼女を選んだわけです。私が思うに、偉大な俳優、パフォーマーとは、 2つの矛盾したものを持っている。つまり、規律正しく自分の演技術をもっていて、なお、ワイルドな、思うがままに奔放にやるという両方の相反するものを持っている。で、ケイトはそれを持っていまして両立させることができるんです。たとえば 15行のセリフがあります。彼女は、そのすべてのラインに、どちらにも片寄ることなく言葉にすることができる。うまく両方を兼ね合わせてできるわけです。そういう俳優が素晴しく、正しく、ケイトはそういう能力を持っている女優なんです

●司会者: それでは、最後の質問にさせていただきます

◆質問: 2つ質問があるんですが、キャスティングについてなんですが、ジェフリー・ラッシュとジョセフ・ファインズは、かなり今注目されているんですが、この2人を起用された理由と、これからの監督の次回作や予定をお聞かせ下さい

■監督: ジョセフ・ファインズは、まず、彼の演じたこのダドリーという男はルックスがいい。で、ある程度人生をコントロールしていけるのだけれども、イノセンスの部分があって、その部分で間違いをしてしまうという男である。どこかに人間として弱い点がある。だから、そういうものを持った男ということで、彼を見た時に、この人はそういう役が出来ると見抜きましたし、男優というのは、スクリーンで弱い所を見せられる人が少ないのだけれども、このジョセフ・ファインズは、ドンドンそういう所を見せる勇気がある。恐れない。それで彼を選びました。それで、エリザベスを取り巻く男が、この映画にはたくさん出てきますけれど、この男たちは、女性ならだれでも、人生で1度は出会う男たちの象徴なんです。もちろん、恋人はジョセフ・ファインズです。それから、リチャード・アッテンボローは父親ですね。それから、ノーフォーク卿はエゴ。エゴの塊ですね。そして、最後に会うのが、禅ティーチャーといいますか、仏教でいうところのグルという象徴が、このジェフリー・ラッシュなんです。彼女も、人生の中でこういういろんな男たちに会っていくのです。で、ジェフリー・ラッシュは、『シャイン』を見まして、この人ならばこの役が出来ると思ったんです。実際に会いまして、目を見た時に、この人ならばそういうものを持っているということがわかって、この役をやっていただくことにしました。私はいつも、映画を撮り終えると、もう映画は作らないぞと思うわけです。特に、成功した後は作らないぞ、と思うわけです。一生これで食っていこうと思うわけです。もしも、この映画より次の作品が良くなければ、みなさんを失望させるだけなのでこれでやめようかとも思います。でも、次は、ネルソン・マンデラを題材にしたものを考えております。もう1本は SFっぽいものですけど、宗教などは、よく、蘇るということをいいますね。キリストですとか。そういう予言者が蘇るSF的なものを考えています

●司会者: それでは、質疑応答をこれにて終らせていただきます

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