『キャラバン』エリック・ヴァリ監督来日記者会見
●10月29日(日)渋谷Bunkamura地下1Fにて
●出席者:エリック・ヴァリ監督
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【挨拶】

■エリック・ヴァリ: こんにちは。温かい歓迎をありがとうございます。映画の中から一言ということでしたが、私はこの映画を、「本当の映画」「本物の映画」という言い方で表したいと思います。プロの演技者は1人も出てきません。出てくるのは実在者、みんな私の友人たちです。人物も本当ならば、ストーリーも彼らの実人生からインスピレーションを受けたものです。1人もプロの俳優はいません。そして、ヒマラヤの奥地で撮影をしました。現在、多くの映画で観られるような特殊効果も一切使っていません。今日は、多くの方が来ていらしているようなのでそろそろ質問に移ったほうが良いかと ― 。

【質疑応答】

◆質問: 監督は、カメラマンとしてキャリアをスタートされていて、今回は、監督・脚本の初めての作品だと思うのですが、苦労された点をお伺いしたいのですが。

■(エリック・ヴァリ): この映画は、1984年、1985年頃から持っていた夢でした。この映画を作る時には、肉体的にも技術的にも困難が予想されました。しかし、実際に一番難しかったのは、肉体的なことでも技術的なことでもありませんでした。この映画のアキレス腱ともいうべき難点は、15人のスタッフがいるわけですけれども、この15人のスタッフと現地のドルポ人たちとの信頼関係を築けるかどうかでした。私が1人で行った時と同様の信頼感です。1人でドルポに行っている時は、彼らの生活を脅かすようなことはありません。私はドルポに住んで、友情を芽生えさせることができました。今度の映画では、高い所にも行ったことのない15人の技術者を連れていきました。そして、映画を撮るわけですから、ドルポの人の生活の邪魔をしてしまいます。それは、ある意味では、村から引き出して演技をさせなければならないわけです。私がいちばん恐れていた点は、果たして、私が1人で行った時のような友情を、私の友人でもあるフランス人の技術者とドルポの人たちとの間に作り出すことが出来るかということでした。もちろん、私が選んだフランス人の友人たちは、技術的にも水準が高く、肉体も健全で、なおかつ、とてもいい人たちでした。そして、この冒険を理解してくれる。人に対して開かれた寛大な心を持っていて柔軟性がある。ドルポの人々の言っていることに耳を傾けることが出来る人たちだったんです。私が言いたかったことは、人間関係の問題が解決してしまって友情の関係が築ければ、どんな困難な状況に対しても乗り越えることができるということです。

◆質問: 撮影の大変さですが、具体的に特にどんなことが?

■(エリック・ヴァリ): 雪の中のシーンと湖のシーンは、完全にストーリーボードを作って撮影をしました。雪のシーンに3週間、湖のシーンに3週間かけています。簡単なことではありませんでした。全てがオーガナイズされていなければなりません。先ほど言ったように、わずか15人のスタッフで撮影しました。本来、こういう映画であれば、60人、70人のスタッフが必要です。私は、それほどの人数を山へ連れていくことができませんでした。ですから、スタッフが少人数であったこと。そしてなによりも、映画は共同作業ですので、共同作業としてグループで乗り越えてきたということが言えるのではないでしょうか。

◆質問: ひとつは、ノンフィクションの世界からフィクションの世界へいらしたのはなぜでしょうか。ふたつ目は、今回は、ほとんどプロの俳優さんではなかったということで、苦労された点はどういうところでしょう。最後に、今後はどういう方向へ行かれるのでしょうか。


■(エリック・ヴァリ): 最初の質問ですが、奇妙なことに、逆説的に聞こえるかもしれないのですが、現実を本当の意味で再構築するにはフィクション的なアプローチをしなければならないということです。私はドキュメンタリーを作っていますし、多分ご存じだと思いますが、NHKから後で盗作されていますので(会場笑い) ― 。確かに、映像に捉えることは出来ます。けれども、現実に私が生きて体験をしたこと、私が証人となったような現実はドキュメンタリーでは作れない。フィクション的なアプローチをしなければ作れないと思ったんです。

ふたつ目の質問ですが、私が選んだ俳優は、自然の俳優、生まれつきの俳優と言ってもよいでしょう。あのスクリプトは、あの映画に登場した実在の人物に基づいて作られたのです。ですから、本当の人々であり、本物のストーリーです。彼は、あのような冒険を日常的に生きています。叙事詩的な凄い冒険を現実に生きている人々であり、ジャック・ロンドンの小説に出てくるような人物たちなんです。私にとっての大きなチャレンジは、このような現実を叙事詩的なストーリーで描くのだけれども、彼が生きている現実に出来るだけ近くすること。彼らに近づくことが重要でした。ですから、彼らに普段やらないような不自然なことは一切求めておりません。それからもちろん、俳優としての訓練も受けてもらいました。しかし、その、自然で生まれつきの俳優たちに訓練をほどこしたのは、ピーター・ブルックの劇団で、いつもプロではない俳優たちと仕事をしているモーリス・ベニュシュとアラン・マントラです。彼らは、プロの俳優ではない人たちとの仕事の経験がある人たちでした。しかし、もっとも大切だったのは、このようなドルポの人たちとフランス人技術者たちが、この、人間としては素晴らしい冒険の中に全身全霊を投入して、融合関係を持つということだったのです。ですから、とても情熱を掻き立てられる仕事でした。もちろん、忍耐心も必要でした。付け加えてですが、私は、ドルポの人たちの映画を作ったのであって、私の映画を作ったわけではありません。逆説的に聞こえるかもしれませんが、彼らに指導をするというよりも、彼らに耳を傾けることが重要でした。ならべく彼らが成すようなやり方で、彼らに表現をさせなければならない。そこが重要でした。ですから、プロの俳優でないと言っても、彼らは、生まれてから一度も映画を観たことがない。映画が何なのかも知らない人々です。ですから、絶対的な信頼感が必要でした。

一度、複雑なシーンの撮影に困ったことがありました。カメラも3台使っていて、移動撮影もある難しいシーンでした。この撮影の時、私は、1人で現場を離れて、カット割りから、このシーンを自分が本当に理解しているかどうか考えていました。その時、主役のティンレがやってきて私にこう言いました。「撮影も進んで、私とカルマの関係も変わってきているから、こういうふうに話すわけにはいかない。もう少し、こういうふうに話した方が良いのではないだろうか」と。そこで、私たちはふたりでそこのシナリオを書き直しました。ですから、プロではなかったこの人々は、本当に凄いプロの俳優になり、普通ないような真剣さと注意を注いでくれました。自分をこの映画の中に投入してくれたのです。多大な喜びでした。ティンレは、本当に素晴らしい演技をしていたので、マーロン・ブランドというあだ名を付けてその名前で呼んでいました。重要な点は、この映画は、冒険ドラマでもありますが、ドキュメントなんです。スクリーンで皆さんがご覧になったのは、今のドルポの現実なんです。毎年冬になると、あのようにキャラバンはヒマラヤを横断していきます。少なくとも、1000年前から同じことを行っています。


◆質問: 今まで映画を観てきて、こんなに気高い、深い映画を観たのは初めてです。感動しました。ありがとうございました。先ほど、こういう映画を作るのが夢だったと言っていましたが、その発想はどこからだったのでしょう。

■(エリック・ヴァリ): 大人になってからの私の夢は、子供時代の夢を実現することだったんです。子供の頃夢見ていたのは、十善に生きること、危険をおかして、本当の人間に出会って大自然を駆けめぐることでした。もちろん、この映画は、何年間も自分の中であたためてきました。この映画の中で、ひとつ、転換点になるようなセリフがあります。それは、「ふたつの道が君の前にあるとき、難しい方の道を選べ。その道こそが君の中の一番良い事を引き出してくれる」という言葉です。これは、ノルブの師匠がノルブに言った言葉です。正にそれだと思います。自分の中の最良の部分を引き出すために、この世界をめぐって強い感動に出会いたかったのです。そして、自分が生きたことを他の人に向かって証明したいと思いました。突然、哲学の話になってしまいましたが……これでよろしいでしょうか。

◆質問: 素晴らしい答えをありがとうございました。

◆質問: 監督は、映画監督であると同時に写真家でもあるわけですが、監督なりに、写真と映画の違いをお聞かせ願えればと思うのですが。


■(エリック・ヴァリ): 共通点は、フレーミングのセンス、色、光ということになるんでしょうか。映画となると、そこに動きが加わります。私は今、それを習っているところです。写真を撮っていることと映画を作ることは、両方とも素晴らしいことで私は好きですが、映画の方が、頭を抱える厄介なことが多いです。責任も巨大ですし、お金もかかる、時間ももの凄くかかります。しかし、私はその責任を負うことも好きです。私のキャリアは、自然に写真から映画に向かうようになりました。今後も大がかりな映画を作っていこうと決めましたから。しかし、自分の特権として、1人でライカを持って旅に出て、写真を撮り続けることは維持していきたいと思っております。それは、自分が地に足をつけていられることでもあり、現実の生活との接触を保ち続けることでもあります。世界を発見する喜びを持ち続けるため、現実と共犯関係を持ち続けるためでもあります。この9月にも写真を発表しましたし、12月にはまたネパールに戻る予定になっています。こうしたフォトグラファーであることの自由さ、共犯関係、これは映画にないことですから、持ち続けていきたいと思います。映画の方だと、考えることも沢山ありますし責任ももの凄く重い。お金もそこには大きくかかっていますから、映画作家であるときは、写真家でいる時ほどクールにはいられません。ですから、私は両方とも続けていきたいと思います。これは、自分の精神の健全性を保つためでもあります。この世界は、まあ、シンプルではないからです。

◆質問: この映画によって、現地の人たちは、意識や生活に変化があったのでしょうか。この映画が与えた影響はどういうものだったのでしょうか。

■(エリック・ヴァリ): とてもよい質問です。ありがとうございます。ドルポの人たちは、地に足をつけていないといけない人たち、現実との接触を保っていないといけない人たちでした。つまり、私たちの生活とは違って、いつも生きるか死ぬかの生活をしています。ですから、映画に出演したからといって、ヨーロッパやアメリカや日本のように、そのことで頭に血が上って生活を変えるような人々ではありません。もちろん、彼らは、この映画に出演したことによってとても満足していますし、この映画はネパールでも大成功をおさめました。そして、この主役のティンレは、この映画の撮影の後、もとの暮らしに戻って畑を耕し、ヤクの世話をして、穀物を交換する交易のキャラバンに出て、家族と一緒に暮らしています。子供の方ですが、彼の生活は変わりました。彼の両親のところに行って出演交渉をしたとき、彼の本名はワンギャルというのですが、ワンギャルに対して、この撮影の後、教育を受けさせて欲しいと頼まれましたので、ギャラを一度に支払ってしまう代わりに、彼の学業を助けることになりました。それで、彼はカトマンズの学校に行くことが出来ました。私は、2週間前にヒマラヤに行って彼と会いましたが、今では上手に英語を話していて、カトマンズの高校に通っています。彼にとっては、この映画に出て世界が広がったわけです。それから、カルマを演じた役者ですが、あの美男の役者は、黒澤映画の役者をやってもいいような人ですが、彼は、パリにやって来て、今は俳優になるための勉強をしています。この2人を例外として、他の人たちはみんなもとの現実に戻っていきました。もちろん、この映画の前よりも少し豊かにはなりました。私たちは映画の出演料を十分に支払いましたが、彼らは全く変わっていません。近年、中国はドルポに対して、昔ほど岩塩を与えてくれなくなっています。そこで、交換をして得るための経済としてアンバランスが生じて、欠落が出ていました。今回のことで、ドルポの人たちに巨額のお金が入りましたので、そこを埋めることができました。これはよかったと思います。また今では、この映画が世界的に成功をおさめたと言ってもよいと思うのですが、成功のおかげで、随分観光客がヒマラヤ高地を訪れるようになりました。そこで、中国側の態度の変化によって、欠損を生じていたドルポの経済の停滞を償うことになり、それはよかったと思います。

(通訳者の表現をもとに採録。細部の言い回しなどには若干の修正あり)


『キャラバン』は2000年11月25日より渋谷シネマライズにて公開。