『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』来日記者会見
 12月10日(金)ウェスティンホテル東京楓の間にて

●出席者:ダニエル・マイリック&エドゥアルド・サンチェス

【挨拶】

■ダニエル: まず、エドゥアルドと一緒に日本に来られましたことを大変嬉しく思います。実は、日本に来たい、来たいと夢に見ていたんですけれども、それが現実になった。それも、自分たちが作った映画のプレミアを上映する場に来られたということは、本当に驚いています。驚いているといえば、この1年間、散々忙しい1年でした。ある意味では、いろいろな所に行ってきましたけれども、この日本の記者会見が最後になります。一番大きな記者会見になりました。これまで、皆様にご支援いただきましてありがとうございました。で、他の国同様、日本でも成功できることを祈っております。

■エドゥアルド: ほとんどダニエルが言ってくれましたけれども、本当に、私たちを日本に招待してくれて、現実にしてくれた方々に特にお礼を言います。特に、後ろにいらっしゃるクロックワークスの古井戸さん。実は、サンダンスで上映されて、どこにも売れてない時に、ある意味では、彼女が私たちを発見してくれてこういう形になったので、この場を借りてお礼を言いたいと思います。

【質疑応答】

◆質問: 映画を拝見しまして、こういう映画の作り方があったのかと思いまして、ビックリして、かつ、やられたという感じがしたんですけど、こちらに伝わってくる話というのは、ボックスオフィスの大きな話ばかりが伝わってきて、あまり、映画の質とか作品について伝わってこないんですけど、こういうような伝わり方というのは、お2人にとってはどんな感じがするのでしょうか。それから、次はコメディを撮るというお話をお聞きしましたが、そこら辺の話もお聞かせいただければと思います。

■(エドゥアルド): 確かに、どこへ行ってもボックスオフィスの話ばかりで、我々としても少し奇妙な感じがします。で、アメリカで当たったということばかりが取り上げられて、映画というのは、基本的に物語を伝えるものなので。ただですね、わかっていただきたのは、この映画は、2万2,000ドルで作られた非常に小さなホラー映画です。ですので、今やモンスターとなって日本に来たわけですけれども、でも、是非わかっていただきたいのは、決してこれはあなたの人生を変えるようなものすごい映画ではなくて、本当に、私がダニエルと一緒に作った小さな映画なので、心を開いて期待しすぎないようにして観ていただきたい。それから、第2作目の映画ですが、『ハート・ラブ』という愛の心臓というものです。おそらくこれは、みなさんが今まで観た中で1番馬鹿げたコメディになると思うのですけれども、ですからこれを観た後も、皆さん嫌わないでください。


◆質問: 今回、ウェブサイトと映画で成功した最初の成功例だと思うんですけれども、映画の撮影当初からミックスメディアで考えられていたのでしょうか?

■(ダニエル): 最初は物語のアイディアを考えたわけです。つまり、3人の映画学校の生徒が森の中で撮影をするというものです。もちろん、森の中で撮影するには必然がなければならないので、その『ブレア・ウィッチ』というフォークロア、いわゆる民話を作り上げた。それで初め、インターネットでフォークロアを伝えたいと思ったんです。なぜかといえば1番安上がり。私たちにはお金がなかったですから、まず、人々にこういう神話みたいなものがあるんだよという、伝説があるんだよということを知ってもらうには、書いて広げる必要があったということ。でもまず、物語が基本の映画として、初めにまず、それがあったということです。そして論理的に、物語、映画を作るにあたって知らせる時にこれがいいだろうと。伝説を真実みたいにわかってもらうにはこれがいいだろうと。ですけれど、そのうち、ウェブファンの人達が一人歩きして、ドンドン広がってしまって、自分たちもこんなになっちゃっていいの?という感じで、興味を持ってくれる人たちが増えていったんです。で、配給会社が決まって、もちろん、配給会社も大きなサイトを持っていますので、そのサイトでもっと大きなものを作って広がったという感じです。私たちが考えるに、インターネットというのは、プラスがあってもマイナスはないと思うし、それから、ファンたちからドンドン有機的に広がっていって、結果的に、自分たちの創作のプロセスにインターネットの作業が加わっていったという感じです。ですから、ネットは後から出てきたものですが、それを有機的に取り入れていったという感じです。

◆質問: 続編がもう決まっているという話ですが、続編はこの映画の後日談なのか、それとも、先ほどおっしゃっていたフォークロアなのか詳細を教えてもらえないでしょうか。それと、エドゥアルド・サンチェスは、いつもその帽子(写真参照)を被ってらっしゃるみたいですけれども、それはラッキー・ハットなんでしょうか。

■(エドゥアルド): 禿げているから(ジョーク)。もともとフロリダのオーランドなものですから、どこへ行っても寒い。特に、サンダンスは寒くて、それ以来ずっと被ってます。で、今、配給会社のほうで2を作っています。これは、私たちはエグゼクティブ・プロデューサーですので、書いてもないし監督でもないし、実際、何かをするということではなくて、スーパーバイザーをするという形で関わっております。後ですね、2は後の話ですが、この前の話、18世紀頃の、どうやって伝説、事実があったのかという話を作るということが進んでおります。それは、2の後に作られることになると思います。

(ここで司会者が、今の話をもう一度、通訳者に聞き直す場面があった。つまり、今度作られる2は、『ブレア・ウィッチ』の後日談。その次に予定しているのが、本人たちが実際に制作に関わる18世紀頃の話だということを確認したのだ。この18世紀頃を題材にした映画を、司会者が「『リング・ゼロ』みたいなものですね。」と言ったことから、会見中、この映画がなぜか『ブレア・ウィッチ・ゼロ』という題名で通ることになる。これより「ゼロ」「ゼロ」という言葉が出てくるが、それはそういった意味で使われていると解釈していただきたい。 ― それを受けて、 )

■(エドゥアルド): まさしくゼロさ。我々が作るかもしれないのは『ゼロ』です。

◆質問: それじゃコスチュームプレイになるんですか。

■(ダニエル): そうです。1786年を舞台に、伝説が始まった女性の物語を、生まれから生い立ちみたいなものをクールに描きたいと思っております。それでですね、これは、この物語のある話で自分たちはやりたいと思っているんですね。なぜならば、撮影は恐らく寒い真冬のカナダで、ヨーロッパから全く知られていない俳優さんをキャスティングしてですね、スーパー・ハード・コアということで、カチンカチンのヤツを作ろうと。村でとんでもない事件が起こるという話にしたいと思います。

●司会者: 一応、今、補足しますけれども、1734年にブレアの町が創立します。1769年に、その後にブレア・ウィッチとして知られる女性エリー・ケドワードが、ボルチモアの客船、ザ・リライアントに乗って渡米して来る。今の話の1786年には、ブレアがゴーストタウンになる年となっています。ケドワードを訴えた人々と子供たちは次々に消息を絶ち、冬が終わるころには、町の子供の人口は半分になっていた。エリーの呪いだと恐れた人々は、次々と町を捨て、人々は、ケドワードの名前は二度と口にしないと誓う。と、これが1786年の話になっている、ということです。

◆質問: 続編の予算をお聞きしたいです。

●通訳者: 『ゼロ』ですか。

◆質問: どちらでも。

■(エドゥアルド): 2万2,000よりは、上だと思います。

◆質問: 予算とは、あなたたちにとってはどのようなものですか。たくさんあったほうが良いですか? それとも低予算にこだわりをもたれているとか?

■(ダニエル): 基本的には、リアルスティックで常にありたい。つまりそれは、脚本の内容によって変わってくると思うんですけれども、たとえば、2,000万ドルが今回の『ブレア・ウィッチ』にあったとしたら、それでもやはり撮り方としては変わってないと思うし、自分たちのギャラをそこから取っただろうし。正直に言えば、はじめからああいう映画で、とすれば、2,000万ドルも要らないわけであって、そういう風に考えていけばおのずと予算が決まってくる。で、今度の『ブレア・ウィッチ・ゼロ』の場合だったら、冬が舞台なので、かなりのお金がかかるというのはわかると思うんですね。でも、大事なのは、どういう物語をどういう場所で描くかということになるわけだけれども、確かに、お金をかければスクリーンにそれが反映されることがある。ので、お金をかけなきゃイイという訳でもない。ただ、自分たちが絶対嫌なのは、ハリウッドの罠に引っかかる、つまり、お金をたくさんもらえるけれどもコントロール権を持てないということはやりたくない。自分たち(5人)がやっている映画制作会社、ハクサンがコントロール権をもっているということは絶対に譲りたくない。ですから、その中で必要なお金だけもらうということ。ですから、言ってみれば、『ブレア・ウィッチ・ゼロ』、そして、『ハート・ラブ』も自分たちでお金をかき集める必要が出てくるかもしれない。もちろん、3,000万ドル、4,000万ドル払うから監督やらないかっていう話がないわけではないですけれども、自分たちのやり方で、自分たちでお金をかき集めて作っていくというのが、自分たちのいき方だと思っております。

●司会者: 言い忘れましたが、エドが被っている帽子のあのロゴが、ハクサン・フィルムのロゴですね。

◆質問: 手持ちカメラの映像が大変興味深かったんですけれども、俳優さんたちが撮影前にトレーニングを積んだということなんですが、どれくらい手ブレの映像は指導されたんでしょう? どこまで演出でどこまで俳優まかせだったのか教えていただきたいのですが。

■(エドゥアルド): ご存じだと思いますが、全部俳優が撮ったわけですけれども、はじめに1日だけ、ミニ映画学校といいますか、俳優さんたちを集めて教えたという経緯があります。あと、最初はヘザー(女優)に、最初はワイドにしていくこと、ズームではなくてやってほしいと。これは初日の話です。それ以上のカメラワークに関しては、一切ディレクションはしていません。あともう1つですが、手に入ったフィルムの長さが決まっていたので、あまりフィルムを撮らないで、撮る前にフィルムの長さを決めました。もちろん、ハイエイトのビデオの方はずっと回してましたんで、特に指定はしませんでしたけれども。それ以上はやってません。

●司会者: ところで、撮影でニール・フレデリックスという人物がいますが、一体何者で、どこの部分を撮ったんでしょうか?

■(ダニエル): 普通、たとえば撮影監督というのは、カメラを覗くことはあっても回すことはないわけです。回すのはオペレーターなわけです。そういう意味で、今回は、オペレーターはヘザーであり俳優たちだったわけです。しかし今回、ニールは一番働いたんです。8人いる中で、彼が一番大変だったのではないかと思います。というのは、実際、露出が合っているかとか、それから、どうやってラボに焼いてもらうかとか、カメラの中にフィルムが入っているかとか、マガジンを変えなきゃいけないかとか、その辺を全部同時にやらなければいけないわけです。と同時に、16mmで回したんですけれども、16mmってよく壊れるんですね。ですので、その修理をしなければいけないし、彼は非常に忙しかったんです。

●司会者: 忘れてましたね。日本とヨーロッパとアメリカの撮影監督のシステムが違いまして、日本とヨーロッパの場合は、ディレクター・オブ・フォトグラフィーといった場合は自分でオペレーターをするんですが、アメリカの場合は、たとえば、ユニオン、組合の規則で、ディレクター・オブ・フォトグラフィーは、覗いてもいいけど回しちゃいけないんでしたね。オペレーターにはなれないんでしたね。そう考えると、今回は、映画学校の生徒として出ているヘザーとジョシュアとマイクがオペレーターであり、まあ、実際、映画の現場を仕切ったりしているのがニール・フレデリックスだったということですね。余計な話をしてすみませんでした。それでは、次どうぞ。

◆質問: アメリカの方で、実際に映画の中で使われた素材を売られたりしたと伺っているんですが、そういうこともあったかどうかということと、日本で、これからマーチャンダイジングされていくかどうか伺いたいんですけど。

■(エドゥアルド): 実は、日本のことでどのように考えてらっしゃるのかわからないんですけど、アメリカでは配給会社に権利を売ってしまって、で、彼らがやったわけです。まあ、ほとんどの場合はうまくいって、多少ゴチャゴチャしたこともなかったわけではありませんが。それで、日本の場合も詳しくは私たちは知りません。ただ、日本の場合、それがあったとしても、上品にやっていただけるとは思います。

●司会者: 日本の状況は、これからマーチャンダイジングをしていくみたいです。ただ、どうしても今回、映画の準備が遅れましたので、マーチャンダイジングも遅れぎみです。え、いくつか商品化されますけれども、中には、自分で組み立てるスティックマンというのもあるらしいです。

◆質問: サンダンスの映画祭でかなり若い方々に興味を持たれて、その中に、日本の古井戸さんがいらっしゃって、映画の配給をしなきゃという使命感に駆られたという話をお聞きしたんですが、そこまで、この映画が映画の配給会社の方々に受け入れられたのは、どこに(理由が)あるのかというのとですね、一般的に、アメリカをはじめ各国でヒットしてますが、なぜここまでヒットしたのかをお聞かせください。

■(ダニエル): おっしゃったように、配給会社のインターンであるとか、アシスタントの方がものすごく気に入ってくださって、それで、結局このフィルムがいろんな映画会社や業界にまわって、そうしているうちに、業界の中で騒ぎになって広がっていったというのは、確かに、年配の方々より、反応は若い方々からのほうが早かったですね。ただ、この映画もですね、ビデオでも撮っていて、いってみればMTVだとかテレビもそうですが、ビデオのフォーマット自体が受け入れられて、リアルであるということ。ですので、そういう中で育った人達にとっては、たとえば、シーンによってのカメラが揺れたりといったことも含めて、それはもう普通に受け入れられていて、それなりのアピールも感じてくださる育ち方をしている感じなんです。ですからこれは、そういう新しいジェネレーションが作り出した映画だとも言えると思うんですね。だけど、年齢的には結構広くてですね、あの年配の方が気に入ってくれた理由は別なんですね。たとえば、自分たちなりに論理を組み立てて、これはこうだからおもしろいなぁと考えてくださっているみたいです。どちらにしても、私たちは、こんなにたくさんの人達から受け入れられるとは思ってもみませんでしたので驚きました。

■(エドゥアルド): それで、世界的にいろんなところで成功したことですけれども、私としては、そんなに悪い映画じゃなかった。結構いい出来の映画だったということと、私は結構恐かったと思う。つまり、劇場を出て、全然恐くなかったよって人も中にはいますけれども、それでも結構恐かったと思うし、ユニーク、独自性もあったと思う。それとこれは、アメリカで随分書かれたんですけれども、その全く無名の作ったこともないと言われた人間がボコっと出て来たんですよね。それで、2万2,000ドルで作った映画がですね、ハリウッドで作られた、4,000万ドル、5,000万ドルという映画とですね、肩を並べてそれ以上の興行成績を上げたということが気に入ってくれたんじゃないかと。結局、人間ってのは、下から叩き上げてやってて苦労してうまくいくと、弱き者をバックアップすることもあるし。あと、どっちかっていえば、自分たちは宝クジに当たった感じがあって、皆様も一緒に、「やったね。宝くじに当たって良かったね」って感じだと思うんですね。そういうことなんで、次の作品では、私たちもすでに出来上がった人間としてとらえられるんで、後は叩かれるしかないかなって思ってます。

◆質問: 1本目がこれだけ当たると、次が期待されるのは当り前なんですけれども、今回の成功は企画のおもしろさにあると思うんですけれども、2本目、3本目はどんな風に仕掛けてくるんでしょうか。

■(ダニエル): 『ブレア・ウィッチ』が自分たちの手を離れて、ドンドン大きくなってどうしようと、実は、エドゥアルドと話をしました。こういった機会は多くなるし、でも、そんなものは答えられない、どうにもならない。もっと言えば、『ブレア・ウィッチ』が与えたインパクトみたいなものがあるような作品は作れない。無理だということに、自分たちは話していて気付いたんですね。ですから、だからこそ『ブレア・ウィッチ』と180度全く違うコメディを作る気になったんです。先ほども申し上げましたけれども、本当にクダラナイ、そしてポリティカル・コレクトでないもの。つまり、政治的に正しいとか、マズイことは言わないだとか、そんなものでないものを作る。自分たちは大物ぶるのではなく、それを笑い飛ばすしかないだろうという風に結論しました。もちろん、ファンのことは大切にして行きたいと思います。けれども、これから1年半なり、映画を撮る期間はかかるわけですから、やっぱり他の人の期待に答えるだけの映画は作りたくない。やっぱり、自分ちが楽しめるもの、そしてできれば、『ブレア・ウィッチ』を作って良かったと自分を誇りに思いましたので、できることなら自分を誇りに思えるものを作りたいと思う。失敗するかもしれないし、批評家にメタメタに言われるかもしれない。でも、それはそれでいいじゃないかと。自分たちが楽しめる、自分たちが好きなコメディを作れればという結論に達しました。

◆質問: この映画を見たときに、スピルバーグの『激突』を思いまして……。極端にいえば、21世紀のスピルバーグになれるのは彼らではないかと思ったんですけれども、スピルバーグを意識されているのでしょうか。それから、方向性として、スピルバーグみたいな方向と、コーエン兄弟のような方向もあると思うのですが、どのようにお考えですか。

■(エドゥアルド): 私にとってはスピルバーグは神ですから。で、本当にスピルバーグは才能のある人だと思います。実際に、私は彼の映画を観て育ってまして、実際に彼に逢った、いや、6,7ケ月前に横から見たんです。それが私たちの人生のハイライトでしたというくらいの、スピルバーグは最高の人です。それから、コーエン兄弟も素晴しいと思います。もしもそういう質問であるならば、その間くらいをいけたらなぁと思います。つまり、スピルバーグ的なものも作るしコーエン兄弟のようなものも作る。あらゆものを作る。コメディなものも作れば社会的なものも作るということをしたいと思います。それで、あえて我々にプランがあるかと言われれば、この10年間から15年間映画を作って、それを振り返った時、少なくともあらゆることを試したじゃないかと、努力をしてきたじゃないかと。大作も作った。コメディも作った。ドキュメンタリーも作ったと自分たちの中に言い聞かせたんですね。だから、『ブレア・ウィッチ』の成功で、本来ならコメディなんか出来ないかもしれないけれども、このあと、『ハート・ラブ』を作った後、誰も金を出さないかもしれないけれども、1回ぐらいは作ってみたい。それが『ブレア・ウィッチ』の成功で出来る。とにかくあらゆることにトライしたいと思っているんです。

◆質問: 先程、ロッタリーに当たったみたいな幸運だったとおっしゃっていましたけれども、非常にユニークでご自分たちの努力の賜だと思うのですが、ただ、私もアメリカで映画制作を学んでいたんですが、非常に多くのインディペンデントのフィルムメーカーがいると思うのですが、その人と他の人たちと自分たちと、何が一番違っていたのか。自分たちで分析するに、何が違っていたのかをお聞かせ願えたらと思います。あと、日本でも、そういう映像作家を目指す人たちが非常に多いんですけれども、何かアドバイスがあればお願いします。

■(エドゥアルド): 大変ラッキーだった。

■(ダニエル): 彼らの方が優れた映画作家だと思いますけれども、正直言って分からないのでが、ビジネスってタイミングではないかと思うのです。自分たちが持つアイディアを、ちょうど大衆が、みんなが観たいと思うタイミングの時にうまく出すことが出来れば、別に自分たちではなくて他の人たちがここに座っていたかもしれない。そういうことだと思うんです。それで、あとやはり、皆さんが気に入ってくれたのは、大きな店にやられそうな、お父さんとお母さんがやっている小さな小売店と大企業と戦ってなんてやっていると、ガンバレよなんて思う部分があると思うのです。そういう意味で、自分たちのガンバリを買ってくれたとも思うし。そして、ちゃんとしている映画、ユニークな映画であったというのもあると思う。あと、マーケッティングですね。これは、今までの映画とは違うことをやって、それでデジタル・フィルムなわけですよね。そういうことも言えるわけだけれども、それにしたってやはりタイミングだと思う。例としては、エルビス・プレスリーの時代に、エルビス・プレスリーほどうまい人がいたかといえばいたと思うんですよ。けれどもあの時、あのタイミングでエルビス・プレスリーが出てきたということだと思うので、私としては、そういうタイミングでまた素晴しい才能が出てくると思っています。

●司会者: 日本のインディペンデントのフィルムメーカーにアドバイスを一言。

■(エドゥアルド): やめなさい。どうせ金にならないから(笑)。自分たちが聞いて従ったアドバイスは、とにかくやることしかないということです。それで、自分がビデオとか編集機に触るぐらいの15,16歳の時から、ダニエルもそのくらいだと思うんですけれども、その時からずっと今までやってきたんです。で、もう結構いい年になったんだけれども、MTVとか脚本書きとかずっとやっていて、運が良ければあなたの『ブレア・ウィッチ』に当たるかもしれない。先ほど、宝くじの話がでましたが、オッズはこっちのほうが高いですから。自分を信じていけば当たることもあるわけですから、続けることです。とにかく今は、カメラも編集機も安く手に入るので、ゴチャゴチャ言ってないでやれというのが私のアドバイスです。

●司会者: ありがとうございました。これで、本日の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の記者会見を終わりにしたいと思います。

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は12月23日(祝)より渋谷東急ほか全国松竹東急系にて公開。