『セクシュアル・イノセンス』/THE LOSS OF SEXUAL INNOCENCE
mainpicture 10月28日より新宿シネマ・カリテにて公開

1998年/アメリカ/カラー/ドルビーデジタル/1時間42分/日本語字幕:斎藤敦子/提供:フジクリエイティブコーポレーション/K2エンターテインメント
配給:K2エンターテインメント

◇監督・脚本:マイク・フィギス ◇製作:マイク・フィギス、アニー・スチュワート ◇製作総指揮:パトリック・ワチェスバーガー ◇共同製作:バーニー・レイズ ◇撮影:ブノワ・ドロム ◇編集:マシュー・ウッド ◇コスチューム・デザイナー:フローレンス・ニケイズ ◇キャスティング:ジーナ・ジェイ ◇音楽:マイク・フィギス

◇キャスト:ジュリアン・サンズ、サフロン・バロウズ、ステファノ・ディオニジ、ケリー・マクドナルド、ジーナ・マッキー、ジョナサン・リース・マイヤーズ、バーナード・ヒル、ロージー・デ・パルマ、ジョアンナ・トレル、マーク・ロング



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【解説】

◆セックス、女、死、喪失、そして運命が綴られた衝撃の話題作!


構想17年、アカデミー賞に輝いた『リービング・ラスベガス』(1995)のマイク・フィギスが、人間の本能と欲望を赤裸々にかつエロティックに描くセンセーショナル・ムービー『セクシュアル・イノセンス』。ミュージシャン、脚本家、舞台演出家、そして映画監督とフィールドを超え多分野で活躍を続けるマルチ・クリエイター、マイク・フィギスが仕掛ける、たまらなく魅惑的な世界は、彼が体験した<セックス>をめぐるストーリーの断片を刺激的に映し出す。本作はこの秋最も美しく衝撃的な映画として日本の観客を熱狂させるであろう。


─禁断の果実を口にしたのはいつのことだったのか?─

青く茂ったトウモロコシ畑をくぐりぬけ、5歳の少年が息をひそめて覗き見たものは─薄暗い部屋の中で繰り広げられる老人と混血の少女のなんとも淫靡な光景。初めて目にした禁断の果実。それは監督マイク・フィギスが実際目にし、これまで誰にも語ることのなかったごくごく私的な<青い体験>である。

マイク・フィギスが脚本の第一稿を書き上げたのは1982年。「自分にこれほどのアイデアを実現できる能力があるだろうか」と彼自身、自問自答しながら17年間温めつづけたそのモチーフは、自ら自伝的と語る非常にプライベートな<性をめぐる体験>だ。自己を投影したと思われるイギリス人監督ニック(ジュリアン・サンズ)が5歳、12歳、16歳、そして成人してから遭遇する様々な性的体験のエピソードと、アダムとイブの楽園追放の挿話が平行して語られていく。特に物語の主要部分に登場するアフリカ大地での出来事は、自然の圧倒的な存在感、空虚を見るものの心に深く焼きつけ、映画のテーマである人間あるいは種族の<無垢の喪失>へと導いていく。目のさめるように大胆かつ刺激的な映像、クラシックのピアノナンバーとともに、現代人の性の原罪や苦悩を見事な構成で描いた、マイク・フィギスワールドの集大成とも言えるであろう。


出演は、成人したニック役に『キリング・フィールド』で骨太な演技を見せ、『リービング・ラスベガス』以降マイク・フィギス作品の常連でもあるジュリアン・サンズ。純情でいまにも壊れそうな思春期の愁いをもつ16歳時のニックに『ベルベット・ゴールドマイン』で伝説のロックスターを好演し今一番気になる若手俳優ジョナサン・リース・マイヤーズが扮している。また見えない運命に縛られたミステリアスな双子の美女役に、私生活ではマイク・フィギスの恋人でもあり、『ディープ・ブルー』等メジャー作品でも活躍するサフロン・バロウズ。『トレインスポッティング』『エリザベス』などで活躍するイギリス人女優ケリ−・マクドナルドが16歳のニックの恋人、スーザン役として出演している。

撮影は北イングランドのノーザンブリア、アダムとイブのストーリーは北イタリアのアンブリア、双子がすれ違うシーンをローマの空港で、またアフリカの大地は南チュニジアのサハラ砂漠でと、全部で5週間ほどかけて行われた。そしてマイク・フィギス作品の大きな魅力となる音楽は、トランペッターでもあるマイク・フィギス自身がプロデュース、作曲、演奏まで手掛けている。アディエマスのヴォ−カリスト、ミリアム・ストックレーがヴォイス・パフォーマーとして参加し、ジャズ、クラシックピアノ、アフリカ的スパイスをきかせたサウンドで、美しい映像をより際立たせる贅沢なものに仕上がった。




 


【ストーリー】

赤い大地。青々と高く生い茂ったトウモロコシ畑。アフリカのその地で5歳のニックが覗き見た白人老人と混血娘とのただならぬ淫らな光景。それが彼の<無垢の喪失>への道程の始まりだった。 ニックは人生の折り返しを過ぎたことが自覚される年齢に達した。美しい妻。利発そうな息子。満ち足りた生活。映画監督としての仕事。ささいなトラブルはあるが、恵まれたといえる生活を送る男は時に回想する。
12歳の時にエジンバラの奨励社会勉強会で見せられた溺死死体の写真。水を吸って醜く膨れた死体に恐怖を覚えながらも、好奇心を抑えきれなかった。その少し後、少年期にありがちな肥満児となった自分の肉体を教師とクラスの仲間の嘲弄の的とされた。16歳の時、つき合っていたガールフレンド、スーザンとの初体験は彼女の父親の登場によっていったんは未遂に終わった。その父親の葬式の夜、泥酔したスーザンの性的放埒を見てしまった。




経験と知識を累積していく過程において得られるものと引き換えに、確実に失われていくものがある。それがいわゆる<イノセンス―無垢>だ。考えてみれば、人類の歴史そのものが、<無垢の喪失>の連続だった。もはや、神話とも寓話ともつかぬはるか昔、眠気を誘うほどに美しい反映とさざなみをかたどる沼の中から、裸体のまま別々に姿を現すアダム、それからイヴ。とりあえず、飢えをしのぐため、口に出来るものはすべて頬張ることだけを行ってきた彼らはやがて、互いを知り、互いのあいだで成立する「遊戯」を知る。しかし、彼らは禁断の果実を食べ、性交にふけり、原罪を犯したことで、すなわち、無垢を喪失したことで、楽園を追放される。無垢を失うことがどれほどの罪なのか?

そんな折、ニックはある撮影のために、イタリア人クルーと合流し、砂漠の地へ向かうこととなる。 録音技師のルカの手配で、コーディネイターのクラウディアとローマの空港で落合う予定のニックは自身が搭乗している飛行機の中で、やがて会うクラウディアとそっくりの女性を見かける。実はクラウディアは知るよしもなかったが、彼女は一卵性双生児だった。彼女が生まれた時、双子は不吉だという根拠のない理由で、修道女たちが、彼女らを別々に育てることを決め、ひとりはイギリスで育てられたのだ。空港でニックを待つクラウディアの目の前を一瞬、自分にそっくりの女性が横切るが、彼女にはそれが意味することなど、まるで見当がつかなかった。 ルカたちとも合流したニックの一行は順調に撮影を続けていく。だがその先に、まるで、生きていくこと自体が断罪されるような、出来事が待ち受けていることなど、その時の彼らには知るよしもなかった…。



 


【キャスト&スタッフ】

■マイク・フィギス(監督・製作・脚本)

1948年イギリス、カーライル生まれ。生後間もなくケニヤのナイロビに移住し幼年期を過ごし、8歳からはイングランド北部のニュー・カッスルに移り住む。ニュー・カッスル大学芸術学部に進学し、在学中は音楽活動に没頭。様々なバンドでプレイしたが、その時には学友だったブライアン・フェリーのバンド、ガス・ボードにも参加しトランペットやギターを演奏していた。

1967年にロンドンで3年間、本格的な音楽活動をし、<THE PEOPLE BAND>を結成、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツのプロデュースでトランスアトランティック・レコードからアルバムも発表している。後にこのバンドは『ストーミー・マンディ』(1987)にカメオ出演することとなる。彼は更にブライアン・フェリーのバンド、ロキシー・ミュージックにも参加している。
1970年代になると、前衛演劇グループ<THE PEOPLE SHOW>にミュージシャンとして参加したのをきっかけに、演技に興味をもち、その後10年間<THE PEOPLE SHOW>の一員となり世界中で公演。成功を収め批評家からも絶賛される。1980年にグループを脱退し王立映画学校で映画を学びながら自身の劇団<THE MIKE FIGGIS GROUP>を旗揚げ。映像も組み込んだマルチメディア製作法を考案する。「Redhugh 1980」(1980)「Slow Fade」(1984)「Animals of the City」(1985)をヨーロッパ中で上映し、ライヴアクションと音楽と映像の革新的な融合を試み、数々の賞を受賞した。「Redhugh1980」が英国、チャンネル4の目にとまりスティーヴン・レイ主演「The House」(1984)というタイトルでTV放映され高い評価を得た。また、これで映画界の注目を浴び、 映画資金の調達が可能となり、1987年にはメラニー・グリフィス主演による初めての劇映画『ストーミー・マンディ』を製作した。この作品は英国よりもアメリカで評価され、2本目はリチャード・ギア主演の『インターナル・アフェア/背徳の囁き』(1989)を監督し、これも評判を得て印象的なハリウッドデビューを飾った。その後、引退していたキム・ノヴァクを起用し、スリラー『オブセッション/愛欲の幻』(1991)の監督と音楽をてがけ、カルト的支持をうける。
また、HBO局のオムニバスTV番組「男が女を愛するとき」の一編としてヘンリー・ミラーの短編「MARA」(1991・ジュリエット・ビノシュ主演)の脚本を担当した。 続いてリチャード・ギア、レナ・オリン共演の『心のままに』(1991)、アルバート・フィニー、グレタ・スカッキ、ジュリアン・サンズ主演の『明日にむかって…』(1993)と魅力的なキャストを起用した作品を次々と発表していく。

こうしてアメリカでの知名度を確実なものにしていった後、ハリウッドのメジャー製作からインディペンデント作家に戻った。1995年に、ニコラス・ケイジとエリザベス・シューを主演に自暴自棄なアルコール患者と娼婦との絶望的で儚い 恋を感動的に描いた『リービング・ラスベガス』が監督、脚色でアカデミー賞にノミネートされた。この作品でニコラス・ケイジにアカデミー主演男優賞をもたらし、その他にも計4つの主要な賞にノミネートされ、世界中の注目を浴びた。
ウェズリー・スナイプス、ナスターシャ・キンスキー、ロバート・ダウニー・ジュニアが出演した『ワン・ナイト・スタンド』では監督、脚本、音楽の三役をこなした。この作品はヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得した 。 ドキュメンタリーでは、チャンネル4出資によるドキュメンタリー「Just DancingAround」を撮った。これはフランクフルト・バレエのアヴァンギャルドなアーティスト、ウィリアム・フォーサイスについてのドキュメンタリー番組で、ヨーロッパで放映された。 その他のドキュメンタリー作品は英国のファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドについてのものと、女性のフラメンコダンスについての「Flamenco Women」(1997)である。 『セクシュアル・イノセンス』に続き、サフロン・バロウズ主演による心理劇『Miss Julie』(1999)『Timecode』(2000)を監督し、常に新しいジャンルへと挑戦している。



■ジュリアン・サンズ(成人したニック)

1958年1月15日イギリス、ヨークシャー州生まれ。 6歳のころから演技に興味をもちはじめる。ローンズワース大学卒業後、セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマに進み、アマチュア学生演劇の活動にうちこむ。 卒業後、ワークショップ(フォーラム・シアター・カンパニー)を結成し、戯曲の執筆や8ミリ短編映画の脚本、監督をした。1981年に独立し、デレク・ジャーマン監督による短編『ブロークン・イングリッシュ』に出演。1983年には『A Married Man』でアンソニー・ホプキンスと共演し注目される。1984年に『キリング・フィールド』で英国人カメラマン役を好演し、初主演作『眺めのいい部屋』(1985)で一躍人気を獲得。その後、『ゴシック』(1986)『ワーロック』(1989)『ヴァージニア』(1992)『ボクシング・ヘレナ』(1993)など出演作多数。フィギス作品の常連で『明日にむかって…』(1994)『リービング・ラスベガス』(1995)『ワン・ナイト・スタンド』(1997)『Timecode』(2000)にも出演。 待機作は『The Million Dollar Hotel』(2000・ヴィム・ベンダース)、『Love Me』(2000)『宮廷料理人 ヴァテール』(2000・ローランド・ジョフィ)。


■サフロン・バロウズ(双子)

1973年イギリス生まれ。ダニエル・デイ・ルイスと共演した『父の祈りを』(1993)、『サークル・オブ・フレンズ』(1995)『恋はワンダフル』(1997)『セレブリティ』(1998)『ディープ・ブルー』(1999)、SF映画『ウィング・コマンダー』(1999)などに出演し、現在注目の女優である。
私生活ではフィギス監督の良きパートナーであり、『ワン・ナイト・スタンド』に次ぎ『Miss Julie』『Time code』など継続して彼の作品に出演している。待機作は『Gangster No.1』(2000)。



■ステファノ・ディオニジ(ルカ)

1966年10月1日イタリア、ローマ生まれ。 1984年テレビ映画「Rose」でそのキャリアをスタートさせ、1989年ナスターシャ・ キンスキーと共演した『Il Segreto』で映画デビューを果たした。その後イタリア映画界で活躍し、1994年にダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の創造特別賞を受賞し一躍注目を集める。さらに同年には、ゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー最優秀外国語映画賞にもノミネートされたジェラール・コルビオ監督『カストラート』では主役を演じ、その端正な姿で女性ファンを魅了した。1994年にはさらにリスボンでロベルト・ファエンザ監督『Sostiene Pereira』でマルチェロ・マストロヤンニと共演、リスボンで『Une Fille Galante』(1995)でイレーヌ・ジャコブと共演したりと、国際的に活躍の場を広げていった。 他、『遥かなる帰郷』(1996)『バンボラ』(1996)『年下のひと』(1999)にも出演。


■ジョナサン・リース・マイヤーズ(16歳のニック)

1977年7月27日アイルランド生まれ。ユアン・マクレガーと共演し、グラムロックスターを演じた『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)で、一躍スターになった。1994年の『Man of No Importance』でデビュー以後、『マイケル・コリンズ』(1996)や『セブンティーン』(1997)『ザ・メイカー』(1997)などに出演。今後もっとも注目される若手俳優で、『B.Monkey』(1998)『Ride with the Devil』(1999)『Titus』(1999)など出演作がめじろ押しだ。


■ケリー・マクドナルド(スーザン)

1977年スコットランドのグラスゴー生まれ。1996年にテレビドラマ「Flowers of the Forest」でデビュー。同年、ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』のオーディションでダイアン役を射止めた。その後の出演作は、ボブ・ホスキンスと共演した『従姉妹ベット』(1998)『エリザベス』(1998)『ウィズアウト・ユー』(1999)『チューブ・テイルズ』(1999)などがある。最新作は『House!』(2000)『Two Family House』(2000)『Some Voices』(2000)『Strictly Sinatra』(2000)。


■アニー・スチュワート(プロデューサー)

『オブセッション/愛欲の幻』(1991)でマイク・フィギスとのコラボレーショ ンをスタートし、その後『心のままに』(1993)『明日にむかって…』(1994)『リービング・ラスベガス』(1995)『ワン・ナイト・スタンド』(1997)と長年にわたり彼のプロデュースを手がけてきた。


■ブノワ・ドロム(撮影)

著名なエコール・ルイ・リュミエールで技術を学び1982年に卒業後、『愛と宿命の泉』の撮影監督ブリュノ・ニュイッテンなど多くのフランス人撮影監督のアシスタントを務めた。その後20本以上の短編映画を手掛け1991年にダーク・ コメディ『Lion du bresil』で撮影監督として一本立ちした。彼が撮影した短編映画のプロデューサー、クリストフ・ロシニョンを通じ、トラン・アン・ユン監督の『青いパパイヤの香り』(1993)の撮影に抜擢され、この作品が1993年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール、フローレンス映画祭最優秀作品賞、フランス・セザール賞最優秀初監督賞を受賞し、1994年アカデミー最優秀外国語映画賞にノミネートされたことにより、フランス内外の映画作家の注目を集める。 その後、同じくトラン・アン・ユン監督の『シクロ』(1995・同年ベネチア映画祭金獅子賞)、セドリック・クラピッシュ監督の『家族の気分』(1996)と『猫が行方不明」(1996・ベルリン映画祭批評家賞)などを手掛け、『アルテミシア』(1997)では1998年セザール賞優秀撮影賞にノミネートされた。本作品に続き、デヴィッド・マメット監督『The WinslowBoy』の撮影監督を務め、マイケル・ウィンターボトム監督『With or Without You』を手がけた。


■マシュー・ウッド(編集)

英国及び海外でペプシ、ナイキ、リーボックなどのコマーシャルの編集を務める。 最近ではBBCの「Perfect Day」の編集を担当し、英国テレビ金賞を受賞。ドキュメンタリーの仕事も多くボスニア戦争について描いた「Two Hours From London」、ブラジルの花形サッカー選手ロマーリオについて描いた「Compo Dourado」、チャンネル4のファッション業界についてのドキュメンタリー「Dressed Undressed」などを手がける。ドラマ作品は「Pink Rubber」や「Raygun Fun」など。