1967年にロンドンで3年間、本格的な音楽活動をし、<THE PEOPLE BAND>を結成、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツのプロデュースでトランスアトランティック・レコードからアルバムも発表している。後にこのバンドは『ストーミー・マンディ』(1987)にカメオ出演することとなる。彼は更にブライアン・フェリーのバンド、ロキシー・ミュージックにも参加している。
1970年代になると、前衛演劇グループ<THE PEOPLE SHOW>にミュージシャンとして参加したのをきっかけに、演技に興味をもち、その後10年間<THE PEOPLE SHOW>の一員となり世界中で公演。成功を収め批評家からも絶賛される。1980年にグループを脱退し王立映画学校で映画を学びながら自身の劇団<THE MIKE FIGGIS GROUP>を旗揚げ。映像も組み込んだマルチメディア製作法を考案する。「Redhugh 1980」(1980)「Slow Fade」(1984)「Animals of the City」(1985)をヨーロッパ中で上映し、ライヴアクションと音楽と映像の革新的な融合を試み、数々の賞を受賞した。「Redhugh1980」が英国、チャンネル4の目にとまりスティーヴン・レイ主演「The House」(1984)というタイトルでTV放映され高い評価を得た。また、これで映画界の注目を浴び、 映画資金の調達が可能となり、1987年にはメラニー・グリフィス主演による初めての劇映画『ストーミー・マンディ』を製作した。この作品は英国よりもアメリカで評価され、2本目はリチャード・ギア主演の『インターナル・アフェア/背徳の囁き』(1989)を監督し、これも評判を得て印象的なハリウッドデビューを飾った。その後、引退していたキム・ノヴァクを起用し、スリラー『オブセッション/愛欲の幻』(1991)の監督と音楽をてがけ、カルト的支持をうける。
また、HBO局のオムニバスTV番組「男が女を愛するとき」の一編としてヘンリー・ミラーの短編「MARA」(1991・ジュリエット・ビノシュ主演)の脚本を担当した。 続いてリチャード・ギア、レナ・オリン共演の『心のままに』(1991)、アルバート・フィニー、グレタ・スカッキ、ジュリアン・サンズ主演の『明日にむかって…』(1993)と魅力的なキャストを起用した作品を次々と発表していく。
1958年1月15日イギリス、ヨークシャー州生まれ。
6歳のころから演技に興味をもちはじめる。ローンズワース大学卒業後、セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマに進み、アマチュア学生演劇の活動にうちこむ。
卒業後、ワークショップ(フォーラム・シアター・カンパニー)を結成し、戯曲の執筆や8ミリ短編映画の脚本、監督をした。1981年に独立し、デレク・ジャーマン監督による短編『ブロークン・イングリッシュ』に出演。1983年には『A Married Man』でアンソニー・ホプキンスと共演し注目される。1984年に『キリング・フィールド』で英国人カメラマン役を好演し、初主演作『眺めのいい部屋』(1985)で一躍人気を獲得。その後、『ゴシック』(1986)『ワーロック』(1989)『ヴァージニア』(1992)『ボクシング・ヘレナ』(1993)など出演作多数。フィギス作品の常連で『明日にむかって…』(1994)『リービング・ラスベガス』(1995)『ワン・ナイト・スタンド』(1997)『Timecode』(2000)にも出演。 待機作は『The Million Dollar Hotel』(2000・ヴィム・ベンダース)、『Love Me』(2000)『宮廷料理人 ヴァテール』(2000・ローランド・ジョフィ)。
1966年10月1日イタリア、ローマ生まれ。
1984年テレビ映画「Rose」でそのキャリアをスタートさせ、1989年ナスターシャ・ キンスキーと共演した『Il Segreto』で映画デビューを果たした。その後イタリア映画界で活躍し、1994年にダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の創造特別賞を受賞し一躍注目を集める。さらに同年には、ゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー最優秀外国語映画賞にもノミネートされたジェラール・コルビオ監督『カストラート』では主役を演じ、その端正な姿で女性ファンを魅了した。1994年にはさらにリスボンでロベルト・ファエンザ監督『Sostiene Pereira』でマルチェロ・マストロヤンニと共演、リスボンで『Une Fille Galante』(1995)でイレーヌ・ジャコブと共演したりと、国際的に活躍の場を広げていった。 他、『遥かなる帰郷』(1996)『バンボラ』(1996)『年下のひと』(1999)にも出演。
■ジョナサン・リース・マイヤーズ(16歳のニック)
1977年7月27日アイルランド生まれ。ユアン・マクレガーと共演し、グラムロックスターを演じた『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)で、一躍スターになった。1994年の『Man of No Importance』でデビュー以後、『マイケル・コリンズ』(1996)や『セブンティーン』(1997)『ザ・メイカー』(1997)などに出演。今後もっとも注目される若手俳優で、『B.Monkey』(1998)『Ride with the Devil』(1999)『Titus』(1999)など出演作がめじろ押しだ。
■ケリー・マクドナルド(スーザン)
1977年スコットランドのグラスゴー生まれ。1996年にテレビドラマ「Flowers of the Forest」でデビュー。同年、ダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』のオーディションでダイアン役を射止めた。その後の出演作は、ボブ・ホスキンスと共演した『従姉妹ベット』(1998)『エリザベス』(1998)『ウィズアウト・ユー』(1999)『チューブ・テイルズ』(1999)などがある。最新作は『House!』(2000)『Two Family House』(2000)『Some Voices』(2000)『Strictly Sinatra』(2000)。
著名なエコール・ルイ・リュミエールで技術を学び1982年に卒業後、『愛と宿命の泉』の撮影監督ブリュノ・ニュイッテンなど多くのフランス人撮影監督のアシスタントを務めた。その後20本以上の短編映画を手掛け1991年にダーク・ コメディ『Lion du bresil』で撮影監督として一本立ちした。彼が撮影した短編映画のプロデューサー、クリストフ・ロシニョンを通じ、トラン・アン・ユン監督の『青いパパイヤの香り』(1993)の撮影に抜擢され、この作品が1993年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール、フローレンス映画祭最優秀作品賞、フランス・セザール賞最優秀初監督賞を受賞し、1994年アカデミー最優秀外国語映画賞にノミネートされたことにより、フランス内外の映画作家の注目を集める。
その後、同じくトラン・アン・ユン監督の『シクロ』(1995・同年ベネチア映画祭金獅子賞)、セドリック・クラピッシュ監督の『家族の気分』(1996)と『猫が行方不明」(1996・ベルリン映画祭批評家賞)などを手掛け、『アルテミシア』(1997)では1998年セザール賞優秀撮影賞にノミネートされた。本作品に続き、デヴィッド・マメット監督『The WinslowBoy』の撮影監督を務め、マイケル・ウィンターボトム監督『With or Without You』を手がけた。
■マシュー・ウッド(編集)
英国及び海外でペプシ、ナイキ、リーボックなどのコマーシャルの編集を務める。
最近ではBBCの「Perfect Day」の編集を担当し、英国テレビ金賞を受賞。ドキュメンタリーの仕事も多くボスニア戦争について描いた「Two Hours From London」、ブラジルの花形サッカー選手ロマーリオについて描いた「Compo Dourado」、チャンネル4のファッション業界についてのドキュメンタリー「Dressed Undressed」などを手がける。ドラマ作品は「Pink Rubber」や「Raygun Fun」など。