『死者の学園祭』
2000年8月5日より丸の内東映ほかにて公開

2000年/日本/1時間40分/製作プロダクション:アスミック・エース エンタテインメント/製作:『死者の学園祭』製作委員会:角川書店、ホリプロ、東映、アスミック・エース エンタテインメント/配給:東映/主題歌:「How?」深田恭子(ポニー・キャニオン)

◇エグゼクティブプロデューサー:原正人 ◇プロデューサー:柘植靖司、井上文雄 ◇原作:赤川次郎(角川文庫刊) ◇脚本:安倍照男、山田珠美 ◇監督:篠原哲雄 ◇撮影:柴主高秀 ◇美術:稲垣尚夫 ◇照明:豊見山明長 ◇録音:山田均 ◇編集:冨田功

◇キャスト:深田恭子(結城真知子)、加藤雅也(倉林勇)、内田朝陽(神山英人)、林知花(柳田真弓)、坂本三佳(小野治子)、黒澤優(山崎由子)、筒井康隆(手塚和彦)、セイン・カミュ(デビッド・ソンヒル)、宮崎美子=友情出演(湧澤和泉)、根津甚八(結城正造)



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【解説】

◆ドビュッシーじゃ殺せない。

“誠実・清楚・洗練”をモットーとする手塚学園。しかしこの学園の歴史には、決して触れてはならない悲しい恋の物語があった…。 原作は、赤川次郎の同名小説。文字通り全世代を通じ支持されてきたその作品群は、角川文庫より発刊されただけでも今年で総販売部数1億冊を超えた。その記念すべき長編小説第1作目を飾ったのがこの「死者の学園祭」(1977年初版)で、その後発表された数々の名作・名シリーズを通じ人々に愛されてきた“赤川ワールド”の原点ともいえる作品の映像化である。

事件のはじまりは、悲しい恋の伝説だった。

ヒロイン・結城真知子を演じるのは今最も輝いている深田恭子。数々のテレビドラマやCMをはじめ各方面から常に熱い注目を浴びる彼女だが、映画主演は今回がはじめて。次第に謎が深まっていく本編において、彼女の存在自体が観る者の癒しとなり、衝撃のクライマックスへと導いてゆく。『セーラー服と機関銃』(1981)『探偵物語』(1983)と時代のスター女優を生み出してきた赤川作品のヒロインを、彼女がいかに演じるか大いに期待される。真知子を陰で支える演劇部顧問の国語教師・倉林勇には、『外科室』(1991)『落陽』(1992)『あぶない刑事フォーエヴァー』(1998)など幅広いジャンルの映画で個性を発揮するだけでなく、近年は米国へ活躍の場を広げる加藤雅也が扮する。そして真知子の前に現れた謎の転校生・神山英人を演じるのが、次代を担う大型新人俳優発掘の目的で開催された「21世紀ムービースターオーディション」で、応募総数17,404人の中からグランプリに選ばれた内田朝陽。オーディション最終選考の演技審査で審査員の満場一致の評価を見た彼の演技力に注目が集まる。

監督は初の劇場用長編映画『月とキャベツ』(1996)で、繊細で幻想的なラブストーリーを丹念に描き、国内外で注目を集めた篠原哲雄。高い評価を得た最新作『はつ恋』(2000年4月公開)に追随し、ミステリーという新たなジャンルでその才能を世に知らしめる。



 




【プロダクションノート】

■リハーサルを経て3月25日クランクインし5月3日にクランクアップした『死者の学園祭』の撮影。

舞台となる手塚学園は、関東近郊の高校・大学3校をはじめ、幾つかの場所の画を繋いだものとなる。特に礼拝堂のシーンを撮影したルーテル学院大学のロケが行われたのは4月上旬。キャンパスの桜が満開の時期だった。治子のお葬式という暗いシーンを撮る一方、昼休憩には、皆自然と校舎から出て、表に並べられたテーブルでロケ弁当を食べ始めた。思わぬお花見にスタッフ・キャストも束の間のホッとした一時を過ごした。



■篠原監督は撮影の中で俳優の演技のテンションを一番重視する。

監督から一方的に押しつけるのではなく、まず俳優自身がどのように感じて演じるか、それをふまえた上で俳優と話しながら芝居をかためていくのが監督流の演出スタイルである。しかも、言葉で説明するだけでなく、監督が実際に自分で演技のお手本を示すこともたびたび。また、それが上手いのだが、監督が真知子の芝居をしているのを客観的に見ていると結構面白かったりする。一方、深田が自身のアイディアを監督に提案する場面も見られた。例えば、雨降らしの中、真知子が倉林先生を追うシーンのこと、当初真知子が倉林を追い抜いて台詞を言う設定だったが、深田の意見が採用され、真知子は倉林の背に向かって台詞を言うよう変更された。監督曰く、「こちらが思っていた以上に、彼女は自分で考えて演技が出来る人です」



■深田は過去に映画出演の経験はあるものの、まだまだ映画に関しては初めての事尽くし。

映画とテレビドラマの違いについて、「映画の撮影では何度もテストで演技をするので、テンションを持続させるのが大変でした」と深田は言う。また、ドラマに比べて映画の撮影では待ち時間が長い。今回、撮影の合間に深田がはまったのが、トランプ。お気に入りは、大富豪とうすのろばかまぬけ。待ち時間に控え室をいつ覗いても。内田朝陽ら同年代の俳優とカードを手に熱中している深田の姿が…。また、深田はイラストを描くのも得意。演劇部の練習のシーンを撮影する合間に、小道具として置いてあったスケッチブックに監督やプロデューサーの似顔絵を描き、当人達にプレゼントする微笑ましい光景も見られた。



■深田は、幼い頃から習っているピアノが本当に好きなようで、学校のロケでは、ピアノを見つけると必ず撮影の合間に演奏する姿が見られた。

曲目は、劇中で演奏するドビュッシー「月の光」やショパン「スケルツォ」はもちろん、華原朋美や鈴木あみらの曲や、以前彼女自身が出したピアノのCDの曲など多種多様。時には周りのスタッフに「次は何を弾いて欲しい?」とリクエストを募ることも。劇中で弾く2曲はかなりの難曲のため、当初は深田自身が弾けるのか危惧する声もあったが、先生について特訓を受け、深田は見事にやり遂げた。尚、撮影に使用したピアノは98年前に作られたSTEINWAYのもので、バブルの時期には3000万円もしたもの。鍵盤は象牙で出来ているため、ピアノを弾く女優陣は、爪で鍵盤に傷を付けないようにスタッフから注意を受けていた。同様に、スタッフも誤って高価なピアノに傷をつけては大変と、必要以上にピアノに近づかないようにしていた。



■舞台劇のシーンは3日間にわたり、千葉県野田市の興風会館を借りて撮影が行われた。

醤油工場が多くある野田は、駅を降りるなりお醤油の匂いがプンプン。興風会館も、元々は醸造会社が昭和4年に建設したものである。当時としては類をみないロマネスク様式を加味した近世復興式で、県内では千葉県庁舎に次ぐ大建築だったと言われる。現在は文化庁有形文化財に指定されるだけあり、非常に趣のある建築である。ここに、雑誌・インターネット・iモード等で募集し、競争率約10倍をくぐり抜けたエキストラが初日500名、2日目300名、舞台の観客役として参加。また、この会館では朝8時から夜9時までしか撮影出来ないという時間制限があるなか、この3日間で100カット近くを撮影せねばならず、スタッフは連日目をつり上げて時間との戦いとなった。深田は本来、学芸会などでも目立たず出番の少ない役を選ぶほど、大勢の人前に立つのが苦手。この日は500人のエキストラを前に芝居をしたり、ピアノを演奏したりしたのだが、いずれも初めての経験。深田は「こんなに多くの人の前でやるのは恥ずかしいし、難しい。深田恭子が真知子の役を演じ、真知子が澄子の役を演じるという設定も複雑で、お芝居をしていて不思議な感じでした」と言う。応募してきたエキストラはもちろん皆深田ファン。深田は両日とも撮影の合間に、舞台からエキストラに向けてメガホンを手に挨拶し、ファンの喚声を浴びていた。エキストラの中には、ずっと講堂の客席に座りっぱなしの撮影でついつい居眠りをする人もいたが、撮影終了時には深田自身が描いた彼女の似顔絵をプリントした特製Tシャツがお土産として配られ、満足気に帰路についた。エキストラの皆様、ご協力どうもありがとうございました。



 




【ストーリー】

今から80年前のこと。

手塚学園に想いを寄せ合う男女がいた。男は妻子を残してドイツから招かれた美術教師、女は初代学園長の娘で音楽教師として教職に就いていた。女は毎日講堂にあるピアノを、男を思う気持ちを込めて弾き、男は美術室でその音を毎日聴くことで互いの気持ちを確認し合う…それが公然と学園内で逢うことのできない二人にとっての唯一の対話だった。だが、講堂のピアノが遠く礼拝堂に移されたとき、その音色は男に届かなくなる。次第に二人の絆は途切れ、男は一枚の絵を残し学園を去り、女は悲しみのあまり命を絶つ。以来、二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう元の講堂に戻されたピアノは、脚を床に打ちつけられた。男の名はオイガン・メトカフ、女の名は手塚澄子。これが現在も手塚学園の講堂に残る“張り付けのピアノ”にまつわる哀しい恋の物語…。

月日は流れ、手塚学園演劇部の山崎由子が校舎の屋上から投身自殺を図った。遺書は無く、かわりに遺されていたのは、「青い瞳の天使」と題された芝居の台本。それはかつてメトカフがが学園を去る際に遺した絵画のタイトルだった。演劇部の部長で学園に通う2年生の結城真知子は、学園創立80周年を祝う春燈祭の出し物に、親友だった由子が最後に遺した台本「青い瞳の天使」の上演を企画する。しかし台本の中、旧約聖書の一部を引用した不可解な台詞(※)が由子のダイイングメッセージとしての色を帯びるに連れ、真知子の周囲で次々と新たな惨劇が起こる。同じ演劇部で親友の治子と真弓が次々と謎の死を遂げる。

事件のカギを握るのは、演劇部員の他、美術教師のソンヒル、学園長の手塚、学園所有の美術館々長で真知子の父親の結城正造。そして常に事件の傍らにいる謎の転校生・神山英人。自分の身近なところに事件の真実があることを感じた真知子は、演劇部顧問の倉林らの助けを借りながらその真相に迫っていくのだが…。かつて手塚澄子が愛するメトカフのため講堂で引き続けたというドビュッシーの名曲「月の光」が静かに響きわたる中、80年の時を経て手塚学園を舞台に悲劇・死者の学園祭の幕が再び上がる。


※「第七の月の一日には聖なる集会を開く。
如何なる仕事もしてはならない。
角笛を吹き鳴らす日である」
(旧約聖書 民数記二十九章 一節より)

<ドビュッシー>(Claude Achille Debussy 1862-1918)
フランス生まれ。叔母にピアノの手解きを受けたのをきっかけに才覚を現した彼は10歳でパリ音楽院に入学。デュランに和声学・ギローに作曲を学び、1884年カンタータ「放蕩息子」でローマ大賞を獲得して卒業。1894年には管弦楽曲「牧師の午後への前奏曲」、1902年には歌劇「ペアレスとメリザンド」を発表、その後ピアノ曲集を続けて制作し、ショパン以来最もピアノ曲の発展に貢献したとまでいわれ、印象主義音楽を確立する。

「月の光」(1905年出版「ベルガマスク組曲第三曲」)
「ベルガマスク組曲」はドビュッシー初期のピアノ曲の中でも特に優れた作品で、その色彩的で大胆な和声は後に開花する印象主義的な音の世界を予感させた。その第三曲「月の光」は世界で最も有名なピアノ曲であるとさえ言われたロマンティックでミステリアスな情緒が聞き手の心をとらえる名曲。