『デトロイト・ロック・シティ』/“DETROIT ROCK CITY”
10月14日より新宿シネマミラノにてロードショー

1999年/アメリカ/1時間35分/シネマスコープ/SRD/SDDS

◇監督:アダム・リフキン ◇脚本:カール・デュプレ ◇製作:ジーン・シモンズ、バリー・レビン、キャスリーン・ハース ◇プロダクション・デザイン:スティーブ・ハーディ ◇衣装:ロザンナ・ノートン ◇音楽:J・ピーター・ロビンソン ◇撮影:ジョン・R・レオネッティ

◇キャスト:エドワード・ファーロング、ジュゼッペ・アンドリュース、サム・ハンティントン、ジェームズ・デ・ベロ、リン・シェイ、ナターシャ・リオン

<KISS>
ジーン・シモンズ(B・Vo)
ポール・スタンレー(Vo・G)
エース・フレーリー(G・Vo)
ピーター・クリス(Ds・Vo)



| 解説 | キャスト&スタッフ | プロダクションノート |
| WERDE OFFICE | CINEMA WERDE |




【解説】

ついに解散か!?
KISSラスト・ツアーが今秋日本上陸決定!?
でもその前に、これだけは観なきゃイケねえぜ!!


ここ数年、いくつもの10代を主人公とするロックンロール・コメディ作品が製作されてきたが、どれもいまいちパッとしなかった。しかし、『デトロイト・ロック・シティ』は今までの作品とは少し違う。KISSのコンサートに行きたいという少年たちの想いを描きつつ、恋や友情を絡め、自由を果てしなく求めていく青春群像がこれでもかというほど滑稽に、それでいて人の心に触れる形でファンタジックに描かれている。
出演は、エドワード・ファーロング、ジュゼッペ・アンドリュース、サム・ハンティントンと新人のジェームズ・デ・ベロ。彼らが4人組のKISSのコンサート・チケットを必死に求める中西部の高校生を演じる。1978年、伝説のKISS・デトロイト公演当日、KISSを悪魔の使者だと信じて疑わない母親の逆鱗にふれ、命よりも大切なチケットを燃やされてしまう。しかし、奇蹟的にラジオのプレゼントで最前列のチケットを手に入れた彼らは意気揚々とデトロイトに向かうのだが…

監督のアダム・リフキンは、スピード感たっぷりの映像に、当時のロック・サウンドをこれでもかというぐらいにブチ込んで、ユーモラスかつファンタジックな青春映画を完成させた。誰でも一度は経験する青春の苦い想い出や、一緒にバカをやった友達たち…そんな記憶を甦らせてくれるロックン・ロード・ムービー『デトロイト・ロック・シティ』。KISSファンは勿論のこと、ファンでなくとも、大感動必至の快作だ。
彼ら以外にも『デトロイト・ロック・シティ』にはナターシャ・リオン、リン・シェイ、メラニー・リンスキー、シャノン・ツィードとキッスのメンバー、ジーン・シモンズ、ピーター・クリス、エース・フレーリーとポール・スタンレーが出演している。製作にはジーン・シモンズ自らあたり、全編にわたってKISSのサウンドを貫いている。



<ABOUT THE DIRECTOR>

監督・脚本家のアダム・リフキンは、『マウス・ハント』と『スモール・ソルジャーズ』の脚本を手がけている。リフキンが古い友人のカール・デュプレが書いた「デトロイト・ロック・シティ」の脚本を読んだ時、ギターを思いっきり弾くための自由を手に入れようと、親の車を勝手に乗り回したり、思いもよらないヒーローになるために校長先生と衝突したり、法律を破った青春時代特有の情景が、彼の頭にすぐに思い浮かんだ。
現代のロックンロール物語、それが『デトロイト・ロック・シティ』。それは意志の強い側面と心をなごませるばかばかしさが同居している作品。この映画独特の非常にテンポが速く目が眩むようなスタイルにより50年代、60年代、70年代が彷彿させられるだけでなく、60曲にも及ぶヒット・シングルが挿入され、執拗で無秩序の興奮が呼び起こされる。アダム・リフキン監督は耳をつんざくようなリフが演奏されているのではないかと思われるような映像を作りたいと思っていた。本来のテンポの速い無邪気な楽しさを伝えたいと考えた。「この作品は青春についてであり、ロックンロールについてであり、人生そのものについてである。この作品でその様子が感じられなければならない」と、リフキン監督は述べる。
『デトロイト・ロック・シティ』は、KISSを見ることができるのはこれが最後の機会だと考えるであろう若者をコミカルに描いた作品である。リフキン自身、中西部で70年代が思春期で、ロックンロールに狂っていたからこそ、この作品に特別なエネルギーと情熱を吹き込むことができることを知っていた。しかし、リフキンは『デトロイト・ロック・シティ』で監督としてもう一つ殻を破ろうと考えていた。この作品は大好きなバンド、KISSを見る機会をことごとく邪魔されてきた(彼らは3年間この瞬間を待っていたのだ)熱狂的なファンの宿命を描いた以上の作品の出来となった。駆け出しのロックバンドの4人の若者、ホーク、レックス、トリップとジャムがKISSのデトロイト公演に行く途中で様々な経験をし、大人になっていく…。






「この作品は10代の反抗、権力にもめげずに先に進んで行き、自分の人生を切り開いていくことを描いた作品なのだ。ビートルズを愛する4人の友達の物語でもある。U2を愛する4人友達の物語である。あるいはエルビスを愛する4人の友達の物語かも知れない。しかし、その本質は、今まさに大人の世界に足を踏み込まんとしている4人の友達が、あらゆる限りの試練、苦難や障害に会いながらもこの楽しいマジカルナイトを通じて大人に成長していくところを描いた作品なのだ」。
リフキンにとって最も重要なことは、自分や中西部の友達が、あのロックコンサートを見に行となると学校をさぼることになるだろうな、親は怒るだろうなという思いを描きながらも、大好きなバンドが町にやってくるのが待ち遠しくてたまらないというワクワクした日々のことが感じられる作品にすることだった。「ロックンロールのことしか考えられなかった自分の青春すべてがこの作品に凝縮されている。映画は自分のレベルで素材を考えることができた時、その映画は最高の出来となる。この作品は私の人生と私が成長していくところをうまく描いている。この映画で私の青春時代が思い出される。音楽だけでなく、その当時の情熱、喜び、興奮、その時代にしかできない戦いなどが思い出される」。

最初から、『デトロイト・ロック・シティ』の運命は成長していくロックバンド、KISSに委ねられていた。KISSのメンバー自身も70年代にはロックンロールの夢を実現させることができればと考えていた若者たちだったのだ。デトロイトに向かう4人の少年にふりかかる不幸や災難を中心にストーリーは展開していくが、KISSの登場とともに、この物語は最高潮を迎える。KISSは70年代の文化の象徴でもあり、今なおロック・グループのトップに君臨している。昨年のコンサート・ツアー「サイコ・サーカス」では、KISSの古くからの親衛隊と新しいファンが一緒になり、北米で繰り広げられるすべての会場でこぶしを振りながら楽しんでいる。
この映画に登場するKISSは1978年、全盛期の彼らの姿だ。若者が興奮し、親たちはそのホラーショー的なスタイルやバカ騒ぎに心配していた時代だ。デュプレが書いた脚本は、KISSファンの手元に渡り、1976年に専属のカメラマンを務め、それ以来深い親交のあるロックのカメラマンで音楽プロデューサーのバリー・レビンの手に最初に渡った。レビンは、デュプレの飽くことのないロックへの情熱とKISSへの熱い思いにすぐに魅入られた。
レビンはそれから、その脚本をジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、エース・フレーリーとピーター・クリスに見せた。全員が同じように感動を受けた。「『デトロイト・ロック・シティ』は少年が大人になる時のことを描いた非常に内容の濃い作品だ」と、この作品でレビンと同じくプロデューサーを務めるようになったジーン・シモンズは語る。「多くの若者や大人たちが10代の時の人生の旅路を経験しているはずだ。この脚本を読んだ時、この作品がすぐに好きになった。楽しいし、心暖まる作品である。しかし、何といってもすばらしいのが、観客を大事にしていることだ。KISSファンは常にファンを大事にしてきている。これは私たちにとって重要なことだ」。
KISSのギタリストでボーカルのポール・スタンレーは、「『デトロイト・ロック・シティ』は自分たちが大人の仲間入りをする時とまるっきり同じだ。自分たちも若い時、4人で希望をかなえようと色々な困難や苦労に立ち向かっていった。この映画は4人の若者が夢を達成するのにどのような体験をしていくか、描いた作品である。






【キャスト】

■エドワード・ファーロング(ホーク)

ホークを演じたエドワード・ファーロングの演技はダイナミックで今までの中で最高のものとなった。ホークは頭がよく、4人の中でリーダー的存在で皆から信頼されている。プラチナ・チケットを失ってパニックになっても、冷静にことを運ぼうとする。ファーロングにとって、この役を演じること自体が喜びだった。「ホークと他の3人は人生で最高の時を迎えている。小さな子供でもないし、すべての責任が取れる大人でもない。本当の心配ごとなど彼らにはない。将来がどうなるのか心配する訳ではない、人生の幕がどのように閉じるのか心配する訳ではない。このコンサートに行きたいだけなのだ。人生が分かってしまったとしても、バカになって若い時のように無茶をすることも重要なことだ」。

ファーロングは『デトロイト・ロック・シティ』が郷愁を誘う作品でもなければ特定のバンドを描いただけの作品でもないと自信を持っている。「KISSはロックンロールの人生を表現している。他のバンドでも可能だったかもしれない。オペラの方が好きな人でも、この作品を楽しむことができる」とファーロングは語る。


■ジュゼッペ・アンドリュース(レックス)

一方、大人しく頭のいい青年・レックスを演じるのがジュゼッペ・アンドリュースで、彼はこの役について「心配性で神経質で、良心に反して母親の車を盗んでしまい、事態が悪い方へ悪い方へと行くのを見ている」と語る。アンドリュースが感銘を受けたのは、この作品が10代の若者を陽気に正直にとらえていることであった。「10代の若者が主人公になっている作品は好きではなかったが、この作品は全く違う。時代を反映した、スマートでテーマのはっきりした本当に楽しい作品なのだ」。

■サム・ハンティントン(ジャム)

ジャムを演じるのが16才のサム・ハンティントン。彼は『ジャングル・ジョージ』でスクリーン・デビューを果たした注目株だ。ジャムは敏感な少年で、自分の心に正直になるには、異常なほど口うるさい母親の言うことを聞いていてはだめだと理解する。「ジャムはクールだけど、すごくおっかない母親にいつもびくびくしている少年である。心の中ではいつも母親の言うことに反抗していた。とうとう母親とは関係なく自分で行動する時がやってきた」とハンティントンは言う。ハンティントンはジャムと自分をダブらせていった。登場人物全員が好きだった。一人一人が非常に強い個性を持っている。「ホーク、ジャム、レックスとトリップは極端で全員が異なる。自分と全く正反対のものにひかれ、苦しい時を一緒に体験すれば、お互いが引き付けあう、という諺があるが、まさにその通りだ」。

4人組がデトロイトに向かう途中でハンティントンに面白いことが起こる。彼が恋に落ちるのだ。不思議な少女ベス・バムステインに恋する。バムステイン(ベス)は21才のメラニー・リンスキーが演じる。「彼女ほどすばらしい女性はいない」とハンティントンはリンスキーについて語る。「彼女は年上の女性で、私にはたのしい出来事だった」。


■ジェームズ・デ・ベロ(トリップ)

トリップの役を演じるジェームズ・デ・ベロにとってはこれがデビュー作となる。デ・ベロはトリップのことを「コンサートに行く方法を見つける前に自分の気持ちがどうなのかはっきりさせなければならない」と評している、すこしのんびりした性格の青年である。「トリップはすごく頭の切れるという訳ではない。どちらかと言えば、なぜ自分たちと一緒にいるのか分からないところのある友達なのだ。最も風変わりで狂った考えをもっており、時としてその考えを実行してしまう少年がいるが、彼がまさにそれなのだ」

デ・ベロにとって『デトロイト・ロック・シティ』は「旅に出て、その旅の途中で重要なことを学び、戻ってきた時には出発前とは変わっている。そんなことを伝えてくれる物語」である。「登場人物は経験や失敗から学んで行く。大都市でけがをさせられ、なぐられ、泥棒にあったりする。しかし、それで彼らの友情はさらに高まり自分自身について学んでいく。最初は自分のことは何も知らずに出発し、旅の終わりには何が重要かがわかるようになる4人の少年の話で、誰しもが思い浮かべることのできる物語だ。見終わった後、誰しもの顔が緩んでいる数少ない作品の一つである」


■リン・シェイ(ミセス・ブルース)

“鬼ママかく語りき…”
たばこを一時も離さない神も恐れるKISS大嫌いの、ジャムの母親を演じるリン・シェイも、70年代に戻ることをとても楽しんでいた。70年代に普通に見られたものとは全く異なるキャラクターを演じなければならなかった。それが彼女にはとても楽しいことであった。シェイは『メリーに首ったけ』で広場恐怖症で犬を愛し太陽を崇拝している未亡人、マグダを演じて観客の賞賛を浴びた。この作品で彼女のレパートリーにもう一つ華やかな役柄が加わった。非常に滑稽ではあるが人の心を感動させる役柄である。

「最初にこの脚本を読んだ時、ブルース夫人は何の理由もなく子供を怒鳴っているだけの母親になってしまわないかと心配した。しかし、それだけではないことが分かった。本当に子供を愛している母親だった。息子が人生のすべてで教会より大事な存在であった。息子が彼女の人生で大切な部分を占めていた。KISSは彼女が絶対に勝てない存在として登場しており、そこが笑いを誘い、コメディの要素が生まれた。「母親が持つせつない感情と彼女のもつ狂信的なおかしさを組み合わせようとしたの」とシェイは説明する。 シェイはブルース夫人には母親であれば誰でも経験する瞬間が感じられるという。子供と別れる時、つまり子供が自分から離れ自分の人生を送ろうとする時である。「哀しい瞬間ではあるが、それが家族というものであり、人生というものである。しかし、この母親は子供が自分の人生を送ろうとしているのにその心構えができていなかった。多くの母親がそうした経験をしていると思う。ブルース夫人はそれを滑稽なまでに表現している。彼女はKISSに反対する母親という意味のMATMOK(MOTHER AGAINST THE MUSIC OF KISS)という表現を作り、息子の友達を全員よくないと決めつけ、KISSの4枚のコンサート・チケットを地獄への片道切符と考えている」。



<出演者について>

出演者全体について、アダム・リフキン監督は、「私も彼らと同じような青春時代を過ごした。私が探していたものをようやく見つけたような感覚である。これを誰が演じたらピッタリなのか考えるのは非常に楽しいものであった。本当に愉快で才能のある俳優陣をまとめることができ満足している」。70年代のキャラクターの調査として、両親に尋ねたり、家族のアルバムをひも解いてみたり、70年代のコンサート・ビデオを見るしかなかった。「それほど難しいことではなかった」とジュゼッペ・アンドリュースは言う。「父がちょうど70年代にこうした青春時代を迎えていた。だからその当時のことをいろいろと思い出しもらった」「70年代の言葉はすこし変だね」とサム・ハンティントンは言う。「90年代の表現は忘れて、全く新しい表現を覚えなければならなかった。グルーピーや意味は分からないけど何にも「マン」を付けなければいけない。そう言えば「カーリー」もよく言ったね。意味は分からないけど、何度もいったよ」。




【プロダクション・ノート】

この作品の中心になるデトロイトの背景はリフキン監督にとっては重要であったが、ほとんどの撮影をカナダのトロントで行っている。しかし、監督とスタッフのすごいところは、トロントをデトロイトの装いにしてしまったことである。「デトロイトはこうした少年のメッカでデトロイトに人生でたった一度きりのコンサートを見にくる70年代のロックンローラーの目を通してこの町の香りを再現することが重要であった。トロントは典型的な中西部の雰囲気をかもしだしており、デトロイトの風景を再現することができたのは、ラッキーだった」とリフキン監督は語る。


■撮影について

映画の撮影に際して、セットが組み立てられロケーションが敢行されていった。その数は30以上にもおよぶ。トロントのダウンタウンの交差点を1978年のデトロイトのコボ・ホールの周りの風景にみせかけたり、その時代の車を再現し、KISSのコンサートに行く様子を表現するために何百人というエキストラが採用された。
『デトロイト・ロック・シティ』の撮影はもちろん、他の場所でも行われた。コボ・ホールのバックステージを再現するためにトロントのスカイ・ドームが使われた。デトロイトの修理工場を再現するために肉屋を1978年の装いにした。トロントの悪名高い有名スポット、ジリーズが男性ストリップ・クラブ「イッツ・レイニング・メン」となった。郊外の広大な高校、セダルブリー・カレジエイトも撮影に使われた。生徒も先生も6日間の撮影をもろ手をあげて歓迎した。その学校は模様替えされ、少年たちの出身校、ロバート・E・ケネディ校になった。
リフキン監督は、70年代の郷愁を誘う想い出を基に、この時代の風景を細部にまで再現していった。「私自身、70年代、中西部で青春時代をすごしていたKISSファンであり、この映画を撮るにあたり自分の青春を再現していったのかもしれない。個人的にもすべてが自分のことのように思い出される。高校、服装、セット、すべてが私の記憶どおりである」。


■プロダクション・デザイン

「調査は完璧に行った」と製作デザイナー、スティーブ・ハーディは言う。レックスの地下の部屋が若者たちのたまり場となっていたが、それなどアート部門が映画の中にその当時の様子を細部まで表現しようとしたいい例である。撮影準備の段階で、ジーン・シモンズはKISSの個人的なコレクションを見にくるようにスタッフを自宅に招いている。シモンズのところになければ、ファンから借りていった。監督がKISSのタオルを必要とすれば、KISSのホームページにそれが掲載され、ぜひとも自分のタオルを使ってくれとの申し出が1時間以内に送られてくる。しかし、戻す前にそのタオルでフレーリーが化粧を落とすことなどの条件がそうした申し出にはついている。フレーリーは喜んでそれに応じた。最後には、レックスの部屋はKISSの思い出の品で一杯になってしまった。フィギュア、プレーヤー、ゴミ箱、ガムのおまけのカードやポスター、パズル、ピンボールの機械、もちろん、さっきのビーチ・タオルも入っている。70年代に青春時代を送った人たちはロックだけで生きている訳ではない。装飾を担当するスタッフはその時代に不可欠であったファラ・フォーセットの水着の写真を前や真ん中に貼るのを忘れてはいなかった。

■衣装について

衣装デやザインを担当したロザンナ・ノートンは『愉快なブレディ一家、我が家がイチバン』や『A Very Brady Sequel』などの作品の衣装デザインで定評があり、70年代の衣装に関しては第一人者である。そのノートンが今回の衣装を担当した。「70年代は大きな変化が見られた時代である。ヒッピーの時代のなごりが感じられ、皆が大げさなヘアースタイルで汚れた服装をまとい、厚底シューズをはいていた。そこにKISSのファンが登場する。ロック野郎はみんな、エドワード・ファーロングのようにTシャツにジーンズ、スニーカーをはき、アーミージャケットをはおっている」と、ノートンは語る。

出演者やエキストラの衣装をそろえるために、ノートンとスタッフはトロントのあらゆる古着屋を回った。「ラッキーにもビンテージ・ショップやディスカウント・ショップで多くの衣装を見つけることができた。しかし、最も運が良かったのは、トロントにはポリエステルの生地の在庫をもっている生地屋がいくつもあったことだ。映画に使われている衣装はこうした店で作って貰うことができた」と、ノートンは言う。ごくありふれた地味な、それでいて権力を持っている母親、ブルース夫人を表現するのにリン・シェイの衣装はピッタリであり、この衣装がロザンナ・ノートンにとっては一番の見せ場となった。「ブルース夫人の衣装が最も好き。さびたような色のパンツ・スーツ、格子柄のコート、予想をはるかに超えた出来映えである。すべてがポリエステルなので、そのまま洗濯でき、しわにならない。それを着て寝ることも、泳ぐことも、ころがることも何でもできるのよ。それでも着た時とまるっきり同じ。化繊ってすごいわね」と、ノートンは語る。「ブルース夫人がどのような人であっても、くすんだ色の服を着ないことが重要だと思った。でもブルース夫人はそれを本当に望んだ。それで出来たのがファラ・フォーセットの髪型とポリエステルの洋服と格子柄のコートに身を包んだ、狂信的で、非常に保守的な女性ということ。子供につらくあたり何でも思い通りにしていこうとするところが面白いけど、ラストは心にジーンとくる」。






■ヘアースタイルについて

ヘアースタイルがその時代を表現するものでなければ、70年代のファッションは完成しない。ヘアーデザインを担当したのがエミー賞受賞のジュディ・クーパー・シリーである。多くの人が70年代の髪型はボリュームたっぷりのものであると考えているが、実際はそうではない。逆毛で髪のボリュームを出すようになったのは本当は80年代に入ってから。70年代の女性のことを考え、リン・シェイというキャラクターにはこの髪型しかないと考えたの。70年代を最も代表する髪型がファラ・フォーセットの髪型だったの。やわらかくなびく髪型かカールをかけ後ろにもっていく髪型。男の子たちはサイドあるいはセンターで分け、カールをかけ後ろに髪をもっていき長さも長く、首の後ろにかかっていた。ジェームズ・デ・ベロのようにヒッピーの時代からの長髪も見られた。最近の若者は、髪をみんな短くしてしまい、かつらや付け毛を使わなければならないのが残念だった」とクーパー・シリーは語る。70年代のヘアーはその時代を象徴するものの中で最も不評をかった。特にジェームズ・デ・ベロとサム・ハンティントンはショートヘアで、デ・ベロがかつらを、ハンティントンは付け毛をしなければならなかった。「自分の髪を少しずつこよりにしてそこに付け毛をつけていった。12時間もかかり、すごい大変だった」とハンティントンはたじろぐ。

■最後はもちろん、KISSについて

『デトロイト・ロック・シティ』で描かれる70年代の雰囲気と同じように重要なのが音楽である。バッド・ボーイ・バラードからディスコ・ミュージックや初期のパンク音楽、70年代のサウンドが非常に重要となる。ホーク、レックス、トリップとジャムを夢中にさせたKISSの音楽以外にも、ブラック・サバス、ヴァン・ヘイレンやチープ・トリック、デビッド・ボウイ、スイート、ランナウェイなどの音楽がひっきりなしに流れる。ブルース夫人の好きなカレン・カーペンターも流れる。

この映画にKISSが参加してくれたことにより、ラストシーンでは伝説となった1978年のコボ・ホールでの「ラブ・ガン」コンサートを再現することができた。このコンサート・シーンは映画が最高潮に達した時にようやく訪れる。デトロイトにまでやってきた少年たちの思いがいっぱい詰まったこのシーンの撮影は、ハミルトンのコップス・コロシアムで行われた。

「ラブ・ガン」コンサートの再現では、当時と同じように自分の席を争う熱狂的なファンを演じてもらった。4才の子供からおじいちゃんまで約4000人のファンがコンサートの雰囲気を出すために昔風の洋服と髪型で撮影に参加した。

「反応がすごいんで圧倒されたよ。撮影のために昔風の服装で来て欲しいと発表したところ、電話が鳴りっぱなしになった。スイス、英国、カリフォルニア、マニトボ、ニューヨークなどから人々が観衆として参加してくれた。本当に驚いた。彼らは最高だった。1998年なのか、1978年に連れ戻されてしまったのではないかを確認するために撮影を一度、中断しなければならなかった」とジーン・シモンズは言う。

コンサートの撮影では本物の雰囲気を出すために、その当時のバンドの衣装、ギター、ドラムや会場を照らすKISSの電飾の旗などが用意された。KISSは名曲『デトロイト・ロック・シティ』のロング・バージョンを映画の最後のシーンで流すために再レコーディングをした。映画のラストシーンでこの90分間のコンサートが数分に凝縮され、圧倒的な迫力でスクリーンに甦る。

「このコンサートは4人のヒーローにとってはとても大切なものである、すばらしい場面にしたかった」とアダム・リフキン監督は語る。「ジーンには血を吐いてもらい、火を吹いてもらい、ポール・スタンレーにはギターをたたきつけてもらい、エースのギターからスモークがでるようにし、ピーターのドラムは空中に舞い上がるようにした。これらがKISSのコンサートの代表場面だ。コンサート全体を通じて見られるものであるが、この撮影では全部を一曲に集中させた。レックス、ホーク、トリップ、ジャムの夢が実現する場面である」